大島哲蔵
学芸出版社、2003年6月、191ページ
ISBN=9784761523183
[建築の言説、都市の言説 7]
私は常に建築に関心を抱いていた。 D・ジャッド『Art and Architecture』一九八七 建築はそこで人間が様々な活動を展開するフィールドである。人間の身体性から開口の位置や大きさ、壁の高さ、廊下の幅などが決定するという意味で、私達は落ちぶれたとは言え「建築空間の主人(ホスト)」だった。しかしこの安定したポ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.28-30
[建築の言説、都市の言説 6]
創造なんて、シェークスピアはなんにもしちゃいない。ただ実に正確に観察して、見事に描き出したってだけだよ。 (『人間とは何か』M・トウェイン★一) 出版と同時に高い声望を獲得し、ポストモダンと呼ばれた包括的な潮流(短命に終わったが)の論拠ともなった ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』★二を、そのトレンドが役割を終...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.30-32
[建築の言説、都市の言説 5]
いくぶん道化者で、いくぶん神のようで、いくぶん狂人で……それが透明性なのだ。 (『ニーチェについて』G・バタイユ) コーリン・ロウは多くの顔を持っている。歴史家、アーバン・デザイナー、教育者、現代建築のイデオローグというのがその一部である。戦後のアメリカ建築界は巨匠たち(ライト、ミース、カーン、サーリネンなど)がまだ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.26-28
[建築の言説、都市の言説 8]
多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背を向けてから、かれこれ一〇年が経過している。それでも本誌のバックナンバーなどで健在ぶりに接し、いくつかの新書版などで文化評論を味読することも可能である。それならなぜ「建築」を棚上げにしてしまったのかが問題になる。最初からいわゆる...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.30-31
[大島哲蔵追悼]
インド圏でのルイス・カーン(一九〇一─一九七四)の足跡は、アーマダバードの経営大学(一九六二─七四)とダッカの議会堂(一九六二─八三)である。前者はグジャラードの州都で、この地域はル・コルビュジエのパトロンでもあったサラバイ家に象徴される綿工業によって、資本の蓄積が進行し、ある種の「近代化」を追求する土壌が備わっていた...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.172-180
[ブック・レヴュー 1]
宮内康(一九三七─九二)は批評家、建築家、教育者として精力的に活動し、六〇年代末から七〇年代の言説活動を中心に根強い支持を得ている。六二年に東大建築学科を卒業して同大学院に進んでいるから、いわゆる第一次安保闘争の世代に属するが、「全共闘運動の鮮烈さに比べれば、あの六〇年安保闘争も、私にとってはいささか影が薄い」(三〇九...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.44-45
[大島哲蔵追悼]
記憶に棲むオブジェ 今日はタイポロジーをめぐって、アルド・ロッシからドナルド・ジャッドまでお話する予定です。まずはオーソドックスな話から始めましょう。 私はかつて、イタリアの建築家、アルド・ロッシの主著である『都市の建築』(福田晴虔+大島哲蔵共訳、大龍堂、一九九一)の翻訳をやりました。七〇年代当時、彼は非常に人気があ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.181-191
[建築の言説、都市の言説 4]
建築を主導した言説に光をあてて、その含意を明らかにするシリーズも四回目を数える。今回は少し違った角度から、つまり「テクスト」を拡大解釈して、建築写真家(二川幸夫氏)が刊行をしている〈GAシリーズ〉をとり上げてみたい。GAシリーズは簡素なテクストが付されているが、それらの比重は相対的に低く、ここでの「本文」はあくまで写真...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.28-31
[建築の言説、都市の言説 3]
建築と都市の遭遇した最大の危機は、大規模な破壊と急ごしらえの建設を繰り返し、イデオロギーの存立基盤さえも崖淵に追いやった今世紀を措いて他に考えられない。表面上の徹底したコンストラクトと内面の空洞化が鮮やかなコントラストを開示している。批評の言説はつとに、この点に関して警告を発して来たが、建築の批評そのものが根底的なクラ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.28-31
[日本]
1961年兵庫県生まれ。1987年東京大学大学院修士過程修了。1988年アトリエ第5建築界設立。現在、大阪芸術大学助教授。作品=《Open-Air Kindergarten》 《愛田荘》 「芦屋川左岸堆積体」 《ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展(共同作品)》 《「ゼンカイ」ハウス》《SH@64》など。 螺旋のパフォー...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.172-173
[日本]
1965年生まれ。89─91年鈴木了二建築計画事務所、92─95年根岸一之建築設計事務所勤務。96年玉置アトリエ設立。主な作品=《トウフ》《ハカマ》《大阪N邸》《綾部S邸》《吹田S邸》《梅小路の住宅》(仮称)「京都市T邸」など ネーミングの才 玉置順は京都(宇治)で生まれ育ち、九六年にそこで事務所を開設した。普通は京...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.162-163
[論考]
建築は基礎(基壇)でしっかり地面にインプラントされて身動きできない存在だから、何らかの手だてで代理的イメージを制作して流通させないことには、より広い世界を獲得するには至らない。大規模な人工物(アーテイフアクト)に直面した感動を人に知らせたいという欲求は、修辞術(レトリツク)や絵画描写を進展させた。既に紀元前五世紀の古代...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[批評]
美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自らを委ねる。 ──ジョルジュ・バタイユ「美術館(ミュゼ)」 ジェームス・スターリングの建築に関する最近の論文で、コーリン・ロウは、シュトゥットガルトの新しい《...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[建築の言説、都市の言説 2]
心血を注いだテクストの出版を目前に著者が亡くなるというドラマは、死神の非情さを思い知らされるが、ゆかりの者が手を尽くして故人が浮かばれる形で出版に漕ぎつけたなら、それは何よりの追悼となるに違いない。ケヴィン・リンチの遺著となった『廃棄の文化誌』(工作舎、一九九四年)は彼の死後にMITでの生徒だったマイケル・サウスワース...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.28-30
[建築の言説、都市の言説 1]
建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとかれ、人がそこに集い議論を交わす「フォーラム」のごとき場所となる。建築家の著した建築論は現実の設計活動と密接に連動し、比較検討され、ある時は混同されながらも、当人...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29
[日本]
長田直之 Naoyuki Nagata:1968年生まれ。90─94年安藤忠雄建築研究所勤務後、94年I.C.U.開設。大阪芸術大学、大阪市立大学非常勤講師。95、96、99年SDレビュー展入選。中部建築賞、JCDデザイン優秀賞など受賞。主な作品=《HIYOCOHOUSE》《九門邸》《邯鄲─HOUSE》《Nishino...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.148-149