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構築者のテクストまたはアーキテクトの罠──六〇年代を牽引したプロタゴニストの遍歴と漂着 | 大島哲蔵
Builder's Texts and Architects' Traps: Charting the Course of a Few Sixties Protagonists | Oshima Tetsuzo
掲載『10+1』 No.05 (住居の現在形, 1996年05月10日発行) pp.28-29

建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとかれ、人がそこに集い議論を交わす「フォーラム」のごとき場所となる。建築家の著した建築論は現実の設計活動と密接に連動し、比較検討され、ある時は混同されながらも、当人のプレゼンスを重層的で全体性のあるものに押し上げて行く。
ル・コルビュジエは一九二三年に『Vers une architecture』を出版したが、それは六年後に早くも邦訳出版され、そのタイトルは『建築芸術へ』だった。磯崎新氏が六〇年代に書いた三六編を集めて『空間へ』(美術出版社)というタイトルで上梓したのは、あるいはそれに因んだのかもしれない。しかしモダニズムのイデオローグたらんとし、革命家の気質を受け継いだコルブとは違って、戦後の転換期を背景にモダニズムの超克を志した少壮の建築家は、最初から「引き裂かれた」存在として自己規定する他はなかった。冒頭に登場する都市の〈殺し屋〉Sinと〈アーバン・デザイナー〉ARATAとの葛藤劇は身につまされるが、このエポックメイキングな出版にはこうした悲喜劇的な幕あきがよく似合っている。ここで演じられる都市と建築のねじ曲がった弁証法、プランナーとアーキテクトの不条理な抱擁などは、後に表現主義に傾いたコルビュジエが描いた、アポロとメデューサの二重ポートレイトによる仮面劇を想起させるに十分である。

イカロスの離陸

建築──都布の論述と現実の構築が多様な回路で結ばれ、分かち難く発展してきたことを疑う者はいないが、実作家の語る建築論が、包括的な目的性と分析力を備え、個別の心情を超えて全体性を獲得した例は、この時期の磯崎新を嚆矢とする。私たちははじめてアーバニズムと格闘する作家の肉声を耳にし、実存的な自己表出の行跡を目撃したのだった。しかもそれはかなり放恣にその都度書かれたものの集積でありながら、また内容、記述の形式、叙述のトーンを目まぐるしく変化させつつも、一本筋の通った体系的な思考に裏打ちされている。この連接、縫合術の巧みさは後に「引用論」を引っ提げて、他者性の言語を操りながら縦横に私性を語ったIsozakiの面目躍如といったところだ。
この著作の切り開いた水準によって、建築の言説はようやく建築本体に追いついたと言うべきであろう。そしてその後の一連の著作活動に誘発されて、建築家の言説や議論は平面的なものから立体化し、知的な奥行きを飛躍的に増大させたかに見えた。磯崎の論法は基本的に当時の自作の手法と似ている。大胆にして細心、強引な飛躍と説得性に満ちた推断、生命力に満ちたレトリックで雑多なマテリアルを表情豊かな構築体に仕立て上げている。特に論理の運びが窮屈でないのが取り柄で、今日のメタ批評のごとく瑣末なテーマを緻密に回りくどく論証するような痩せ細った議論は何処にも発見できない。
しかしその自在で闊達なレトリックはやがて一人歩きを始め、デミウルゴス的で牽強付会な色彩を強めていく萌芽がすでに認められる。巧妙な文章術──伏線、逆説、誘導、誇張、擬態、美化、フェイント、すり替え、ぼかしなど、確かに魅力ある論述には多かれ少なかれそうした技法は使われているのだが、レトリックをトリックに横滑りさせてしまったのでは元も子もない。デザイナーのエクリチュールと作品表現はパラレルだとは言わないが、磯崎氏については両者の間に明らかに共通する因子が認められ、と言うよりも、彼はこの二つの活動を密接に結びつけ緊張をはらんだ関係にレイアウトした張本人(功労者)なのだ。他の建築家の場合、その主張する意味内容が実作にいかほど投影されているのかというレヴェルで済んでしまうのに対して、この建築記号学を唱導したこともある人物に限っては、統辞法など文章術一般が、建築の形式、プランニング、意匠など建築術と内々に通じている。
そこで言うのだが、もし建築が詭弁であり、後の彼自身の言い方で「すべてがメタファー」だとしても、そこにリアリティと創造性が認められるかどうかが問題なのだ。あらゆる命題は(マルクスが言うように)論証可能だとして、美しいだけの、矛盾を孕まない「均質で機能的な」ロジックは虚ろな装飾に過ぎない。この時期の磯崎のロジックにはまだ隙が多く思考のムラも感じられ、それがかえって可能性を感じさせる。若書きのテクストに固有の美質──ほど良いナルシシズム、筆勢にまかせたアンバランス、抑えきれない情念のポテンシャル──が奇妙に老成したフレージングや目端の利いた立ち回りをカヴァー・アップしている。ところがやがてそれらは技術的に解決され、自己言及の防火壁が周囲に張り巡らされ、あたかも一枚岩のごとき完全性を誇るようになるだろう。建築的な命題は「言語的」にクリアーされ、建築論はレトリックとして自立を果たしたが、建築を支える実践的な理論としては自己崩壊を起こす。

成層圏から超低空飛行まで

現実的な論点を見てみると、近代建築のイデオローグに投げかけられた批判は、P・ジョンソンや丹下がホッと胸をなでおろす体のもので、自身の退路を断つほどのものではなく、この暖昧さ──「均質空間」の批判を見よ──が、後に「ポストモダン」との距離感の測定にも甘やかな影をおとした。またモンドリアンやポロックの絵画を引例して建築と都市の新しい問題意識を探るくだりも、この調子でどんなアートの新局面も建築の動向にリフレクトされてしまうという予感をいだかせる。今やアナロジーの範囲は思想一般に敷衍され、空間は哲学的に「解釈」可能となったが、そもそも磯崎氏の野望とは解釈学を斥けて建築論と実作の、建築と都市の、象徴主義とリアリズムの弁証法を高いレベルで発光させることではなかったか。
当時チーム10やメタボリストが提案した要点(活動システムやプロセス・アーキテクチャー)が巧みに取り入れられ、新しいアスペクトの中で再構成される。この適応力、換骨奪胎能力は見事と言う他はない。あらゆる同時代の先進的な観念が動員され、フルイにかけられ、目的論的に再配備され、意図された結末(カタストロフィ)に向けて一斉に走り始める。私たちはこの小気味良い推進力に魅せられて、まるで千夜一夜物語の王のように美姫の話術の虜となっていった。
六〇年代という背景は、このパフォーマンスにとって恰好の舞台を提供したように思われる。一方に左翼的な気分がくすぶり、他方では高度成長の追い風が吹いている。社会制度の構造矛盾が若者の意識に閉塞感をつのらせ、もはや臨界点に到達していた。今日と同様、牽引力過剰なリーダーの出現がこよなく待望されていた。日本資本主義の国際化に向けた再編を阻もうとする社会派の批評がステレオタイプに陥ると共に、「建築の自律」すなわちイデオロギーとしての建築を標榜し、思索し、ひたむきに実践するアーキテクト像は圧倒的なプレゼンスを獲得した。イソザキの「空間へ」と向かう快進撃はまだ始まったばかりだ。

トートロジーの翼

この自伝風マニフェストの読者に要求される作法は次の二点であろう。成功のストーリィとして、同時に挫折のそれとして二重の眼で読むこと。意図的な誤読によってテクストの含意をあぶり出すのだ。次にその過程で浮上した設問は著者と同じく、私達後塵を拝する者にも受け継がれること。この種の複雑骨折の責めをひとり著者に負わせる権利は誰にもあるまい。書き手──テクスト──読み手の関係式を予定調和に収束させてはならない。テクストの引き起こす罪科には常に読者という共犯者が存在する。言いくるめ易い読者が言説深化の足枷になる。
あれから三〇年以上が経過して、トップ集団を並走していたホライン、スーパースタジオ、ヴェンチューリなどは後方へ退き、先頭を切っていたスターリングは力尽きた。唯一の例外は鉄人アイゼンマンである。しかしこのレースは実力勝負というよりも、心理作戦やマスコミによる捏造が幅を利かすスクープとドーピングの競演なのだ。炯眼なP・ジョンソンならこう評するかも知れない。「君たちの功績は自分勝手なルールで競技して喝采をはくしたことだ」。
無きに等しい日本の建築論──その多くが作家の自作自演つまり自己言及なのだ──には逆進化の傾向が見られる。テクストは順境に追い詰められ、認知に躓く。一九八四年に再版されるに当たってさし挟まれた解題と本文との落差をおし量って見るがいい。一〇年少しで都市のシナリオライターは古典的なアーバン・プランナーを背景に追いやり、アーバン・デザインの第一人者に変身を果たした。当時の自作(大分県立図書館)を振り返って曰く──「自分自身の仕事を分析することはできても、批評するのは不可能だ」──六六年の彼はそう思いつつも懸命に行を埋め、八〇年代の分身はその自分を余裕綽々と振り返り、無意識のうちにカサ上げをはかっている。その究極の目的が裏返ったアドバタイジングであるという点で、磯崎のテクストと黒川のそれは異母兄弟である。
興味深いことに、外国作家の建築書のなかには、自作の引例を最終章に限って、それまでは客観的な記述に専心する傾向が見られる。『多様性と対立性』『錯乱のニューヨーク』などだが、放っておくと必ず現われる自らの亡霊の出所を局限しているのかもしれない。テクストの自立とはテクスト自身が語り始めることであり、書き手がそれを屈服させることではない。テクストの支配者は空間をもねじ伏せようとするだろう。かくしてSinのエートスは抑圧され、ARATAが次第に出張って来る。
 磯崎の描いた軌跡は六〇〜七〇年代にデビューを果たしたプロタゴニストの遍歴と漂着の物語と言えよう。空間のフレキシビリティ(後にそれは無節操のレヴェルに届く)を追い求めてあらゆる手法を渉猟し、アーキテクトの快楽原理に酔い痴れた〈不在の主格〉とは何を表象するのか? 私という他者を発見してしまった男──とは戦後日本の寓意劇そのものであり、その後日譚は今も続演中である。建築思想のモードを一新しようとした立て役者が、今また流行のモードを取っかえ引っかえ身に纏いながら感度の落ちた観衆に愛嬌を振りまいている。裸の王様はひと言声が掛かるのを待っているのかも知れない。
(おおしま  てつぞう/建築批評)

>大島哲蔵(オオシマ・テツゾウ)

1948年生
スクウォッター(建築情報)主宰。批評家。

>『10+1』 No.05

特集=住居の現在形