私は常に建築に関心を抱いていた。
D・ジャッド『Art and Architecture』一九八七
建築はそこで人間が様々な活動を展開するフィールドである。人間の身体性から開口の位置や大きさ、壁の高さ、廊下の幅などが決定するという意味で、私達は落ちぶれたとは言え「建築空間の
しかし人間らしさとはそもそも同定不能の暖昧な概念に過ぎない。いかなるリアリズムによっても、いかなるシンボリズムによっても、いかに周到な比例においても、それを全的に表現する術は見出されず、逆にあらゆる関連データは、次の瞬間にはもう「主体」と呼ばれるものを裏切っている。そしてどんな人間的な属性も空間にとって決定的ではないことが最終的に明らかにされた。この不一致は多くのデザイナーにとって相対論的な諦めを意昧するかもしれないが、「ミニマル・アート」を代表する作家であるジャッドのような人物にとっては、そこが格好の出発点となる。プライマリーな幾何学や数列、素材や技術の優位が絶対的な因子として浮上する。彼にとって真の人間的な要素は人間という不確かな存在の外部に求められる。アプリオリに知覚が共振してしまうテクスチュアやディテール(とくにジョイント部での)はものの見事に消し去られている。オブジェクトに触発された裸形の認識の推進という意味で彼は真正のモダニストだが、同時に消費経済や情報主導などの、現代特有の操作的現象を舌鋒鋭く排撃する。彼をポスト・ヒューマニストと見なす理由には事欠かない。
ジャッドの方法は(当初のアイゼンマンと同じく)主知的なヴォリューム操作やアーティキュレーションに信を置く。それは「客観的な」アプローチであったはずだが、同時に突出した個性による独自の探究であり、造形上の創意や熟達した手業が却下される一方で、オブジェクト自身が語り始める契機が仕掛けられる。確かに今や、デザイナーやアーチストが丹精したアーティファクトよりも、工業技術によって無機的(もしくは無菌的)に仕上げられた即物的オブジェクトの方が、許し難いほどに「人間的」なのではないか。透徹した思考が「作品」の背後で──作家と観察者の間で──交換され、そのプロセスで強烈なアイロニーが加味されて現代の流儀に対する批評性が発現する。いきおい自律的な
一九六八年にニューヨークで鋳鉄造のビルを購入し自らの手で改装(修復)を施して以来、ジャッドは多数の建築物(その多くはアトリエや展示施設)を設計し、建築家としても広く知られるようになった。しかし彼自身が「アートと建築を混同してはならない」と力説するように、建築はまず機能や経済性そして構造力学を満たしている必要があり、そのルールは律儀なまでに守られている。無限の展開力を留保している作品を何らかのカテゴリーに押しこめるのを嫌う──従って「ミニマリズム」という括りにも反発する──ように、ジャンルの混交(同一視)や固定化は平面的な議論に収斂するとしてただちに斥けられる。建築における「修復論者」として知られる彼は、「その空間がかつてあった様態」にあくまでこだわりを見せる。物理的な修復よりも、そこにかつて根づいていた技法や素材、逸話(出来事)やセッティング、場合によってはわずかに顔をのぞかせている建物の基礎──アリーナと呼ばれる建物のケースがそれだ──の継承(顕在化)に執念を見せるから、いわば空間が成立した要因の保存という領域に歩を進めている。建築における新しさとは、彼の場合、既に存在した何事かを再発見することである。まず安価で入手の容易な素材、それに内属したテクスチュア、入射光をコントロールした上で、規則性と機能と記憶という三要素が彼の建築を支える。
六〇年代の前半、まだアーチストとして認知される以前の彼は、「クリティック」として健筆をふるっていた。折しも、抽象表現主義がポテンシャルを消尽した時期に当たっていたが、彼が言説家としてスタートを切った意義は、もっと着目されて良い。
この数年間に新しく生み出された最良の作品の半分、もしくはそれ以上は、絵画でもなく彫刻でもない。
D・ジャッド『Specific objects』一九六五
この物言いは次のように解され、つまり彼らが生み出しつつあった作品は「絵画でも彫刻でも」なく、まして家具でも建築でもなかった。しかしそれらは逆説的にはそれらのすべてであり、物象化された
シンメトリーは彼の美学の中枢に位する。ただそれはスタティックな概念ではなく、心理的に拡張された位相に戦略化されている。従ってそれは単なる「左右対称」を超えて尺度の統一的な操作(行使)を意味し、非対称のシンメトリーや立体的な軸線の交差を含んでいる。また個別の単純なシンメトリーが並置されて提示された場合、観察者の眼の位置とも相まって、数理的安定は認識(視差)の罠につまずいて迷宮状の隘路に追いこまれてしまう。プライマリー・ストラクチュア(明晰なオブジェ)が突如として崩壊感覚を呼びさまし、秘された構造が眼前に投げ出される。カオスを内包した「秩序」のパラドックスは、フラクタルでしかあり得ないフラクタルなどの比ではない。作品名として汎用される「アンタイトル」は、その惑乱の構造──言い得ないこと──に向けられた感嘆の題辞にほかならない。
彼の主張や作品にはピュリスト的な潔癖性や倫理感が認められ、それは生理的にも行動原理としても存在する。例えば彼は単一の形、要素または表面に必ず単一の色彩を与えるが、その理由は「複数のカラーリングはオブジェクトの統一感を乱すから」だと言う。また
自分自身では気がつかないのでしょうけども、心の動きを、幾何で引く線や図などで、現すような性癖があるのです。それを、難しく云えば
数形式型 と云って、反面には何かにつけて、それを他のものに、結び付ける傾向が強くなって行きます。
小栗虫太郎『白蟻』
グリッドの基盤上で幾何図形の無限増殖(アール・デコ)を敢行したメトロポリス(ニューヨーク)を舞台に、フォルムの初源的な還元をはたした彼は、テキサスでその純粋培養に着手した。そこには不毛の荒野が果てしなく広がっているが、地下には石油資源が豊富に埋蔵されている。軍事キャンプの存在は、地下資源確保のために当初インディアンに対して、後にはメキシカンを駆逐するために配備されたものだ。今や美術拠点に生まれ変わったそれは、大袈裟に言うと歴史的抑圧の癒しと捉えられるかも知れない。いわゆるアースワーク──この周辺にも散見される──には、鉱山の跡地に手を加えたり自然の地形を整形したものなど、大地を鎮める意識が働いている。またそれらを支えるコレクションに石油資本が関与して複雑なメカニズムが進展している。
今や二〇カ所にも達するマーファの拠点施設を維持・運営していくのは並大抵ではないが、財団は後継者の手に任され、独自の家具制作も着実に続行されている。パオロ・ソレリのアーコサンテが一種の芸術家村のようになっているのに比すれば、マーファはさしずめ求道者のコミューンだろう。硬骨漢のジャッドは「芸術を理解しない」美術館での展示もなるべくなら断わろうとした程だが、ここでは実験的にしつらえた空間に自作を委ねて遠来の訪問者が門を叩くのを待ち構えている。〈ニューヨーク──テキサス〉という「撤収」の意味するところは、六〇年代ラジカリズムに生起した位相変換──ポストモダンからの逃避行──をつうじた塹壕戦のプレゼンテーションととらえられる。
1──「後陣が後部に据えられたポジションは、それがそこ又は正面にのみありうるから、非シンメトリーとは考えられない。不在の位置は含意によって提示される」
(D・ジャッド『Symmetry』1985)
2──連続的に閉じた住居
『Donald Judd Architektur』(Westfälisher Kumstverein, Münster刊)所収の論考「囲われた庭」より
長辺と短辺中央の柱の位置と壁の開口の関係に注意