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運動情報装置 | 榑沼範久
Motion/ Movement-Information Apparatuses | Kurenuma Norihisa
掲載『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間, 2005年06月発行) pp.33-35

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昨今の安全キャンペーンでは、ドライバーに絶えず用心を怠らないようにと強調して、その不安な気持ちにつけこもうとするあまり、ドライバーが適切な習慣を身につけることができない場合がある。こうしたキャンペーン(「And Sudden Death」など)はドライバーの普段の動作を向上させるよりも、臆病な態度を生みだす効果のほうが大きいと言えるだろう。


ジェームズ・J・ギブソンは自動車技師ローレンス・クルックスとの共著論文「自動車運転の理論的なフィールド分析」(一九三八)のなかで、そう指摘している★一。技術のあるドライバーが安全に運転できるのは、絶えず緊張して注意しているからというよりも、さまざまな状況に応じて半ば自動的に、適切な知覚─動作の習慣を身につけているからである。例えば、高速度のままカーブを曲がろうとすれば、ブレーキをかけたときの「最短停止ゾーン(the minimum stopping zone)」は遠ざかり、強い遠心力と横滑りの可能性が加わるために「安全運行フィールド(the field of safe travel)」は縮小する[図1]。技術のあるドライバーは、こうしたゾーンとフィールドの変化を確実に知覚しながら運転することができるに違いない。したがって、自動車事故による人口の死亡率を下げるためには、まずは個々の状況に応じたゾーンとフィールドの変化を知ること、そして、フィールドのできるだけ中央を走行する知覚─動作の習慣をドライバーに身につけさせることが重要だということになる。
「生命に対するもっとも大きな脅威をもたらすという意味において、現代文明によって要求されるあらゆる技術のうち、自動車を運転する技術は個人にとって確かにもっとも重要である」と始まるこの論文の文化的背景には、巨大な自動車産業によって大量生産されていく自動車の疾走が、国民の生命を脅かす大きなリスクを生み、そのリスクを制御しなければならなくなったアメリカ合衆国の「人口の生─政治学」(フーコー)がある。ただし、この時点でのギブソンは、具体的にどのようにしてドライバーたちに適切な知覚─動作の習慣を身につけさせるかという問題を論じていない。ギブソンが同じ種類の問題から逃れられなくなるのは、「住民全体が、彼らの生存の必要の名において殺し合うように訓練される」「人口の生─政治学」時代の戦争が、大地・海洋に加えて空域で展開された第二次世界大戦期、彼が陸軍航空軍「心理学テスト・フィルム班」の首班として、軍事飛行訓練に携わったときのことである(「視覚の身体文化学3──ギブソンを再軍事化する」参照)。
ギブソンは「大学生全員に匹敵するくらいの人口」のパイロット訓練生に対して、「テイクオフとランディング、航空と目標認知、追撃と回避、そして攻撃目標に銃弾・爆弾の照準を合わせること」など、「鳥や蜂のできる」動作を覚えさせなければならなかった。軍事飛行のさまざまな状況に応じて、パイロットはどのような知覚─動作をしているのか、(パイロットの「視点」を仮構して撮影した映像も交え)動画で見せるのが有効なのはわかった。だが、そもそもパイロットは具体的にどのような情報を知覚しながら、「鳥や蜂のできる」動作を行なっているのだろうか。そして、飛行訓練装置にも使用されるようになった動画は、どのように情報をパイロット訓練生に与えているのだろうか。
ギブソンの視覚論は、網膜にマッピングされる刺激をベースにした『Motion Picture Testing and Research』(一九四七)、『The Perception of the Visual World』(一九五〇)から、視覚系による環境の情報のピックアップをベースにした『The Senses Considered as Perceptual Systems』(一九六六)、『生態学的視覚論』(一九七四)へと変化していくが、ここでは主に『生態学的視覚論』を参照しながら、彼の生涯をとらえた問題にアプローチしてみたい。

1──自動車運転時に発生する「最短停止ゾーン」と「安全運行フィールド」 引用図版=Gibson and Crooks, “A Theoretical Field-Analysis of Automobile-Driving”, 1938, in Reasons for Realism, p.127.

1──自動車運転時に発生する「最短停止ゾーン」と「安全運行フィールド」
引用図版=Gibson and Crooks, “A Theoretical Field-Analysis of Automobile-Driving”, 1938, in Reasons for Realism, p.127.

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動画が与える情報に関してギブソンが強調するのは、一九世紀から存続している「視覚の持続性(persistence of vision)」理論、「刺激継起理論(the stimulus-sequence theory)」の誤りである★二(pp.234-36, p.311)。ソーマトロープ、フェナキスティスコープ、ゾートロープといった一八二〇、三〇年代に開発された動画装置や、キネトグラフ、シネマトグラフ、ヴァイタスコープといった一八八〇、九〇年代に開発された動画装置を見ると、非連続の静止画像の継起が網膜・視神経・脳によって合成され、「見かけの(apparent)」運動として知覚されると考えたくもなる。身体内部の生理学へと閉じていった一九世紀以後の視覚論(「視覚の身体文化学1──色の知覚の生態学?」参照)と同じく、『The Perception of the Visual World』のギブソンを悩ませたのも、この「偽りの問題」であった。
しかし、すでにギブソンは『The Perception of the Visual World』を書き上げる前から、網膜像などの生理現象と視知覚との不一致に気づいていた。例えば、長方形のスクリーンに正面から投影された映像を斜めから観ている人の網膜像は歪んでいるはずなのに、実際に観ている映像は歪んでいない。斜めから投影された映像を投影方向と同じ角度から観ている人の網膜像は正方形のはずなのに、実際に観ている映像は歪んでいる[図2]。一九世紀のヨハネス・ミュラーも知っていたように、生理現象は各感覚に固有な神経エネルギーの効果にすぎず、知覚される世界を特定するわけではない(p.261)。
むしろ動画装置が教えてくれるのは、「運動(motion)の刺激情報(stimulus information)はパターンの変化であり、間欠的変化でも連続的変化でも情報は同じ」(p.185)ということではないか。動画装置が与える「光配列の流動(the flow of optic array)」からパターンの変化/不変をピックアップすると考えれば、非連続の静止画像の継起を「見かけの」運動に合成するという謎めいた生理現象を考える必要はない★三。われわれの観ている動画は「見かけの」運動であって、「現実の(real)」運動ではないという区別も疑しくなる(p.236, pp.311-13)。
飛行訓練装置の動画にしても、「現実の」運動とは異なる非連続な静止画像の継起が、訓練生の生理現象によって「見かけの」運動に合成されるのではない。「現実の」飛行中にパイロットが「鳥や蜂のできる」動作をしながらピックアップする「光配列の流動」[図3]のパターンを、動画を観る訓練生も同じようにピックアップしている。だが、飛行訓練装置の場合、飛行中と同じ「現実感(reality)」を訓練生に覚えさせるためには、動画の与える運動(motion)が訓練生自身の運動(movement)に応じて変化する必要もある。すでに一九七〇年代には、この両者がコンピュータによって共変動する飛行訓練装置が開発されていたにもかかわらず、ギブソンはこの「現実感」の問題を論じていない。「われわれの知覚がもつ現実感は、この知覚のもつ行動性、すなわち、この知覚を受け継ぐ身体運動にある」と、ベルクソンが記した「現実感」の問題である★四。
ふつう映画の場合ならば、動画が与える「光配列の流動」に対して観客が行動を起すことはない。「よく見ようと近づいたり、ひろく見ようと遠ざかったりする観客の運動は、映画製作者によって制限されている」(p.315)。映画の「光配列の流動」が観客の行動の可能性の情報(アフォーダンス)を与えているとしても、その情報は観客自身の行動には受け継がれない★五。映画においては、このアフォーダンスの遮断から「ショック体験」(ベンヤミン)も生じると考えられる(「視覚の身体文化学2──色のショック体験」参照)。
かたや飛行訓練装置の動画の場合は、「光配列の流動」の知覚が訓練生自身の動作に受け継がれ、今度はそれに応じた「光配列の流動」の変化が求められる。そうでなければ、飛行中と同じ「現実感」は得られない。この「現実感」についての理解を深めるためには、ギブソン自身「不足している」(p.318)と認める「視覚性運動感覚(visual kinesthesis)」と「運動の視覚性制御(visual control of the movement)」の理論のうち、特に後者に注目する必要がある。なぜなら、「視覚性運動感覚」は「光配列の流動」を知覚することによって知覚者自身も動いているような感覚を覚える現象であり、「運動の視覚性制御」が生じるためにも重要であるが(pp.196-202)、「運動の視覚性制御」は知覚者の運動そのものを、「光配列の流動」からピックアップした情報によって制御していく次元を指しているからだ(pp.238-52)。
『The Senses Considered as Perceptual Systems』以来、神経系に入力された刺激によって生じる感覚が統合されて知覚になり、脳の指令のもとに刺激が出力されて運動になるという考えを批判してきたギブソンの理論は、この「運動の視覚性制御」の次元において、「現実感」の生成という問題に直面する。ギブソンは絵画のような「媒介された知覚」が「直接的な知覚」に変化することはないと論じていたが★六、飛行訓練装置の動画が与える「光配列の流動」は、訓練生がそれに応じた動作を開始するとともに「運動の視覚性制御」を起動させ、知覚─動作の連動を不気味な「現実感」に彩っていく。「媒介された知覚」でありながら、「現実感」を備えた「直接的な知覚」として機能していく。こうした運動情報装置による「現実感」の生成もまた、人工環境と身体との接続によって変動する視覚系を探求する「視覚の身体文化学」に投げかけられた、大きな問いなのである。[了]

2──投影された映像、網膜像、知覚している映像の3つの形状の比較 引用図版=Gibson, “Pictures as Substitutes for Visual Realities”, 1947, in Reasons for Realism, p.234.

2──投影された映像、網膜像、知覚している映像の3つの形状の比較
引用図版=Gibson, “Pictures as Substitutes for Visual Realities”, 1947, in Reasons for Realism, p.234.

3──パイロットがピックアップする「光配列の流動」 引用図版=ギブソン『生態学的視覚論』134頁

3──パイロットがピックアップする「光配列の流動」
引用図版=ギブソン『生態学的視覚論』134頁


★一──James J. Gibson and L. E. Crooks, "A Theoretical Field-Analysis of Automobile-Driving" (1938), in Edward Reed and Rebecca Jones eds., Reasons for Realism: Selected Essays of James J. Gibson, Hillsdale, New Jersey: Lawrence Erlbaum Associates, 1982, pp.119-36. ギブソンの警告は自動車・列車等の運転のみならず、「安全管理社会」一般に当てはまる。
★二──J・J・ギブソン『生態学的視覚論』(古崎敬ほか訳、サイエンス社、一九八五)。『生態学的視覚論』への参照頁は本文中に記す(原書と照合しながら必要に応じて原語を補い、訳を変えたところもある)。
★三──ただし、環境と組み合わさって作動する視覚系(「視覚の身体文化学1」参照)の様態に応じて、どのような変化/不変がピックアップされるのかという問題をギブソンは論じていない。
★四──アンリ・ベルクソン『物質と記憶』(岡部聡夫訳、駿河台出版社、一九九五)八四頁。
★五──登場人物の知覚が行動に受け継がれる「運動イメージ」体制の映画(Gilles Deleuze, Cinéma1: l' image-Mouvement, Éditions de Minuit, 1983.)であっても、その「運動イメージ」が観客の行動に受け継がれるわけではない。
★六──J・J・ギブソン「絵画において利用できる情報」(一九七一)エドワード・リード+レベッカ・ジョーンズ編『ギブソン心理学論集──直接知覚論の根拠』(境敦史+河野哲也訳、勁草書房、二〇〇四、二四九─五〇頁)。

>榑沼範久(クレヌマ・ノリヒサ)

1968年生
横浜国立大学大学院都市イノベーション学府(建築都市文化専攻)・教育人間科学部(人間文化課程)准教授。表象文化論。

>『10+1』 No.39

特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間

>ジェームズ・J・ギブソン(ジェームズ・ジェローム・ギブソン)

1904年 - 1979年
アメリカ合衆国の心理学者。

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