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偽装する住宅──非決定論的住宅論の試み | 山中新太郎
Camouflaged Housing: An Essay on an Indeterminate Theory of Housing | Yamanaka Shintaro
掲載『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) pp.111-120

「それらには何か或るものが共有されていなくてはならない。さもないと、それらは「ゲーム」と呼ばれないから」などと言ってはならない。──そうではなく、それら全てに何か或るものが共有されているか否かを、良く見るべきなのである。──何故なら、君がそれを良く見れば、それら全てに共有されている何か或るものを見出す事はないとしても、しかし君は、そこに類似性や血縁関係を見出すであろうし、しかも場合によっては、或る完全な系列を見出すであろうから★一。


1 差異と反復の断面

もはや住宅は家族と共に語るべきではない、と指摘する人もいるだろう。確かに、私たちは家族論との泥沼の関係から〈住宅〉を引き上げなければならないという感覚を持っている。社会―家族―個人の連結方法の組み替えの中からは、もはや何も新しいものは生まれてこないのではないかという認識がある。しかし一方で、現実的で個別な家族の問題から、私たち自身が依然として解放されていないことを認めないわけにはいかない。夫婦や老人、子供や兄弟の問題は、身近な問題としてつねにアクチュアルなものである。しかし、個別の問題はそのままでは他者と共有することはできない。それどころか、家族と思われている当事者同士の間ですら問題が正確に共有されることはない。家族の中にあって、ある者はあることを問題であると言い、別の者はそれを問題であるとは思わない。この事自体、日常的な状況である★二。家族問題の共有不可能性は個人の次元まで解消されることはない。それぞれの家族にはそれを成立させている固有の条件があると考えることもできるだろう。しかし、このとき仮定される条件は複雑に入り組みながら状況と共に変化しているものである。家族を巡るそれぞれのコンテクストは錯綜し、移り変わり、時にはパラノイア的状況に至る★三。家族の問題はあまりにも近すぎ、あまりにも可変的で、あまりにも離散的に見えるものなのである。
さらに進んでこう指摘する人もいるだろう。家族論からの撤退に止まらず、もはや住宅そのものを問う意味がないのではないかと。住宅はビルディングタイプのひとつに過ぎないのだからと★四。住宅がビルディングタイプのひとつに過ぎないという前提に異論はない。もし、あえてここで住宅を問うことを理由付けるならば、いま私の最も近くにひとつのビルディングタイプとしての住宅があるからだ、という以外にはない。しかし、この〈近さ〉が、問題を厄介なものにしている。
ここで私が取るべき態度は非常に微妙なものになる。問われるべきなのは「家族」と「住宅」と「建築家」の三者の関係である。手垢にまみれたこれらのことばにいまのところ代わることばがないことが、この問題を私たちから遠ざけている。しかし、ここではこれらの言葉を別の言葉に置き換えることはしない。ぼんやりとした輪郭のまま、これらのことばをある種の素材のように扱いたいと思う。空間が操作されるべきひとつの素材であるというように、ここでは個々の「住人」も、総体としての「家族」もほかのさまざまな素材と同じようにひとつの操作されるべき素材であるというように考えたい。
まず、ひとつの集合住宅計画から始めたいと思う。取り上げるのは《岐阜県営住宅ハイタウン北方》(一九九八)である[図1]。この論をこの集合住宅から始めたのは、実現された四つの提案の中に〈見えない家族〉に対する建築家の構え方の典型が示されているからである。
 《岐阜県営住宅ハイタウン北方》は、磯崎新によってプロデュースされ、妹島和世、高橋晶子、クリスチャン・ホーリィ、エリザベス・ディラーという四人の女性建築家によって計画された集合住宅である。磯崎は総数四三〇戸の住戸を四人に割り振り、住戸平面から考えはじめるように指示を出した★五。これに対してホーリィはパブリックとプライベートを明確に分離したメゾネットを提案し、高橋とディラーは可動間仕切りを用いたフレキシブルなプランを提案した。この提案に対して、妹島は他の三人とは全く異なるアプローチを取った。「nLDK」のバリエーションをひたすら書き続けたのである[図2]。妹島は家族像が特定できないという集合住宅の特性を逆手にとって、テラス、食事室、寝室、和室、トイレ・浴室、吹き抜け、階段、というパーツの組み合わせをひたすら書き続けた。受け持った一〇〇戸を越える住戸のうち約三割がメゾネットで、約半数が吹き抜けを持ち、さまざまに異なるタイプの住戸が断面的に自由に組み合わされる構成を採用した。この提案では、家族の差異は部屋の組み合わせゲームに置き換えられてしまったのである。家族の組み合わせが尽きることがないように、この組み合わせゲームも無限に反復される。このことを最もよく表わしているのがその立面である。ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》(マルセイユ、一九五二)や「ストラスブルグの八〇〇戸の集合住宅」計画(一九五一)[図3]にも似たその立面は、ル・コルビュジエの時よりもこのゲームがさらにパラノイア的な状況に至っていることを示している。そして、ゲームは建物の輪郭でいともあっさりと断ち切られてしまう。あたかも、ここで示されているゲームの結果が巨大な母集団から抜き取られた試験体に過ぎないと言わんばかりに。無限に続く差異と反復の組み合わせゲームから一区画分だけ切り取ってきた切断面に過ぎないと言わんばかりに。妹島は間取りの組み合わせで家族を表象するという極めて日本的な方法を過剰なほど増幅させて用いた。そして、無限に想定される配列のバリエーションからひとつを選び出さないという態度を取っているのである。
この提案には「nLDK」という極めて日本的な住宅形式の延長線上にありながら、いままでの「住宅」とは異なる様相が現われている。そして、一九六〇年代以降、繰り返し提案されてきた脱「nLDK」系の「住宅モデル」とも違う位相にあるように思える。一体何が変わりつつあるのか。この集合住宅に見え隠れする「変わりはじめたもの」を相対化するために、まずは見ることからはじめなければならない。

1──《岐阜県営住宅ハイタウン北方》 妹島棟ファサード 写真提供=妹島建築設計事務所

1──《岐阜県営住宅ハイタウン北方》 妹島棟ファサード
写真提供=妹島建築設計事務所

 

2──《岐阜県営住宅ハイタウン北方》妹島棟計画案平面 出典=assemblage, 30, MIT Press.

2──《岐阜県営住宅ハイタウン北方》妹島棟計画案平面
出典=assemblage, 30, MIT Press.

 

3──ル・コルビュジエ「ストラスブルグの800戸の集合住宅」計画 立面 出典=W.Boesiger and H. Girsberger, Le Corbusier 1910-65, Artemis Verlags-AG, Züich, 1967.

3──ル・コルビュジエ「ストラスブルグの800戸の集合住宅」計画 立面
出典=W.Boesiger and H. Girsberger, Le Corbusier 1910-65, Artemis Verlags-AG, Züich, 1967.

2 解体


近代住居がそうであったように、現代住居も現代家族以外を軸として成立しはしないのだが──、しかし現代では「家族」は名も実もない。あるものは個人だけである、あるいは社会全体が家族であり、その構成単位が個人である。そしてその住居を考えれば、この構成単位がそのまま住居単位となる以外はない。それは一人の個人によって占められる住居単位である、そのような個人単位の空間は、一般に「個室」と呼ばれる。それは寝室や居間などの機能単位の部屋ではなく、一人の人間が一日の生活を営める場である。そして男も女もそれぞれの個室に住む、また子供も専用の個室を持つ、とりたてて居間がある必要はない。その機能はコミュニティによってになわれる。そしてこの住居の一般解は、「キ個室」あるいは「キ1R」であって、その住様式は「個室群住居」と呼ばれる★六。


黒沢は近代住居における「社会―家庭―個人」という構成が「社会―個人」という直接の関係に転換せざるえないことを認めながら、社会全体を家族に代わる共同体の母胎としてとらえ、個人を単位とした新しい共同体の構築を目指した★七[図4]。そして、この「個室群住居」以降、家族という関係を飛び越えた「社会―個人」あるいは「都市―個人」という図式が新しい提案の必要条件となっていった。個人は個室として表象され、平面図上にいかに個室を配置するか、いかに個室を剥き出しにするかという技法に焦点は絞られていく。そこには脱「nLDK」という共通したイデオロギーがあった★八。もはや形骸化した家族という枠組みから個人を解放し、より選択的な関係として家族を捉え直すというものである。そして、住宅が担っていた機能は専門化し特化しながら都市の中に次々に流出していき、いまや住宅はそれらとの補完関係をもってはじめて成立できるものであるというのである。この共通認識が、建築家をして個室とパブリック・スペースの配列の変換へと駆り立てていった。しかし、出てきたものはどれも似通ったものになってしまう。何よりも新しい家族に対する読みが個室群住居以降あまりにも一元的でありすぎた。それは「nLDK」という表記が、1K、2DK、3DK、3LDK、3LDK+S(和室等)とマルチプルに間取りを表現できたことを考えると、皮肉なほど展開力に乏しいものであった。さらにそのいずれもが家族の図式を空間に写像するという意味において「nLDK」と同じ範疇に止まらざるをえなかった。
こうした状況に対して、花田佳明は山本理顕の《岡山の住宅》(一九九二)[図5]や《熊本県営保田窪第一団地》(一九九二)、「クリエイティブミズが住まいを変える」と題された特集での伊東豊雄(一九九二)[図6]の提案★九などを挙げ、その平面的な類似性を指摘している。そして、それらの根本には家族関係の図式と平面計画の図式とを対応させる共通の思考があるとし、こうした「家族像の変化という現象への建築家側の過剰な反応」を「家族論強迫神経症」と批判している★一〇。ここで、家族と住宅の関係はある種の拘泥状態に陥ったのである。表層的な問題は二つある。ひとつは家族の未来像に対して「都市―個人」というひとつの図式しか与えられなかったこと、そしてもうひとつはその図式に対して個人に個室を与えるという方法しか取りえなかったことである。しかし、これらの提案が妹島の集合住宅と根本的に異なるのは、「家族」と「住宅」に対して、ひとつの図式にひとつの空間を与えるという決定論的な立場を取っていたことである。
しかし、「家族」と「住宅」の関係が執拗に問われ続けたことによって、あるまとまりを持った「住宅」の概念が揺さぶられ、次第に解体されていったことは事実である。ひとつの図式にひとつの空間を与えるという決定論的思考を破棄して、次にばらばらになった住宅の残滓を拾い集めることにする。

4──黒沢隆《武田先生の個室群住居》 出典=『都市住宅』1971年9月臨時増刊「住宅第1集」(鹿島出版会)

4──黒沢隆《武田先生の個室群住居》
出典=『都市住宅』1971年9月臨時増刊「住宅第1集」(鹿島出版会)

 

5──山本理顕《岡山の住宅》 出典=『新建築住宅特集』1993年1月号(新建築社)

5──山本理顕《岡山の住宅》
出典=『新建築住宅特集』1993年1月号(新建築社)

 

6──伊東豊雄「クリエイティブミズが住まいを変える」伊東案 出典=『建築文化』1992年10月号(彰国社) 直接外部につながる3つの個室の背後に共同のスペースが置かれている

6──伊東豊雄「クリエイティブミズが住まいを変える」伊東案
出典=『建築文化』1992年10月号(彰国社)
直接外部につながる3つの個室の背後に共同のスペースが置かれている

 

3 剥き出しにされた器官の行方


象徴的な屋根を引きはがし、まわりを囲む壁を取り外したとき、そこにはどろどろとしたものがうごめいている。それとも、住宅の内と外をきれいに裏返してみるのがいいかもしれない。(…中略…)剥き出しになった空間では、住宅の器官があらわになり、無防備の「家族」が身を縮こまらせて震えているだろう★一一[図7]。


ばらばらに解体された住宅を前にして、サディスティックな欲望が起こる。ありのままに晒してしまえ、シェルターとしての「家」の外皮を引き剥がし、あのロマンチックな纏の下にあるグロテスクな臓器を晒してしまえ、と。
スコギン・イーラム・ブレイの《メイン州の住宅》(一九九七)[図8]とF・O・ゲーリーの《ウィントンのゲストハウス》(一九八七)に共通するのはこのサディスティックな欲望である。ここでは、「家」としてひとつのまとまりが与えられることは許されない。どちらも、それぞれの部屋はかろうじてつなぎ合わされているだけである。《メイン州の住宅》を見たとき、主寝室やリビング、ダイニングやゲストルームは中央にある階段室から自由に外部へ伸びていると見ることもできるであろう。しかし、その注釈を見るとそれが全く逆であることがわかる。「先行するいくつものメイン州の住宅に似て、この住宅も形に形を付加していった結果にほかならない。空間を守り合うように接し合い──あるいは密に集合して──、長く厳しいメインの冬に抵抗する」★一二。「家」としての全体性を剥ぎ取られ、それぞれの部屋が剥き出しにされることで、部屋と部屋のつながりが強調されるのである。「この家の部屋部屋は決して孤立することはない──部屋部屋は常に視覚的にも空間的にも交信しあっている」★一三。一方、《ウィントンのゲストハウス》はよりシンプルに部屋部屋が吹き抜けのある居間と接続されている。しかし、それぞれの部屋が接するのはほとんど扉の間口分だけである。

7──立石紘一《裏がえしの家》 出典=『美術手帖』1982年11月号(美術出版社) 

7──立石紘一《裏がえしの家》
出典=『美術手帖』1982年11月号(美術出版社) 

 

8──スコギン・イーラム・ブレイ《メイン州の住宅》 断面図 出典=『GA HOUSES』58(A.D.A. EDITA Tokyo、1998)

8──スコギン・イーラム・ブレイ《メイン州の住宅》 断面図
出典=『GA HOUSES』58(A.D.A. EDITA Tokyo、1998)

 

この二つの住宅を見た後に山本理顕の《岡山の住宅》[図5]を見ると、これらの二つのプログラムと《岡山の住宅》のプログラムが実は反転された関係にあることがわかる。《岡山の住宅》は、あらかじめ塀によって囲まれた領域の中に、個室や厨房が分離して配置されている。このプログラムは、吹きさらしの切り妻の屋根の下に「ベッドのある部屋」と「厨房のある部屋」などを分散して配置した《山川山荘》(一九七七)[図9]と同一のプログラムと考えてよいだろう。すなわち、部屋と部屋は明確に分離されながらも、「家」としての全体性を保証する塀や屋根といった要素が与えられるということである。そのゆるやかに規定された全体性が「家族」を保証しているのである。しかし、ゆるやかであろうと厳密であろうと、そこに全体を規定するものがあれば、部分はその全体性に整合する形でコンポーネントされる。山本のプログラムは「部分が全体の中にコンポーネントされる」ことと引き替えに、「家族」が隠蔽されるという構造を持つのである。しかし、《メイン州の住宅》と《ウィントンのゲストハウス》は逆である。全体を規定する外皮がない代わりに、中心でそれぞれの部屋が接続するという構造を持つのである。それは内包される「家族」にとってより過酷なものだ。ミースの《ファンズワース邸》(一九五〇)がガラスの透明性をもって裸体のように内部を晒したとすれば、この二つの住宅は解剖学的な視線に晒されている。食べる、寝る、排泄する、性交するといったグロテスクな欲望が、「家」という全体性を剥ぎ取られて白日の下に暴かれてしまうのである。

9──山本理顕《山川山荘》平面図 出典=『新建築』1978年8月号(新建築社)

9──山本理顕《山川山荘》平面図
出典=『新建築』1978年8月号(新建築社)

 

こうした「住宅」と「家族」を巡る二つの類型の狭間に、西沢立衛の《ウィークエンドハウス》(一九九八)をプロットしたらどうだろう。この住宅を見ると確かに全体性はその外観として明確に示されている。いや、そのプリミティヴな形態や仕上げからくる一体感はこの建物の全体性をこの上なく強調しているといっていいだろう。しかし、ひとたび内部に目を向けると、そこには何もないのである。もちろんそれは比喩としてであるが、住宅の臓器として喩えたい何かが何もないのである。だからといって、この住宅が大きな個室であるのかというと、そうでもない。その中には二つのプライベート・ルームに和室まで用意されている。週末住宅であるからといってこの住宅を議論から排除できるかというと、そうでもない。この住宅には日常的な生活をするための条件が一通り用意されているのである。いや、その一見閉鎖的に見える構えはむしろ都市住宅として成立するのではないかとさえ思わせる。問題は挿入された三つのライトコートである。もし、このライトコートが建物の輪郭に合わせてルーバーや格子戸を持っていなかったら、言い換えれば、このライトコートが完全な外部として規定できるものだったら、この住宅は《メイン州の住宅》の、あの臓器を露出した系列の内に語ることができたかもしれない。もし、このライトコートと室内の関係が逆転したものであったら、《岡山の住宅》のゆるやかに守られた個室群の系列の内に語ることができたであろう。しかし、そのどちらでもない絶妙のバランスにガラス張りの三つのライトコートを挿入しているのである。恐らく西沢は《メイン州の住宅》も山本の住宅も意識することなくこの住宅を作ったであろう。むしろ、そのスタイルはミースの均質性を、ヘルツォーク&ドムーロンの抑制のきいた一体感を、そしてレム・コールハースのマニュピレーションを彷彿とさせる。しかし、結果として描かれたその平面は「住宅」というビルディングタイプが必然的に背負い込まざるえない問題をきわどく回避しながら、それでも「住宅」であることを拒絶していない。「住宅」の中から「家族」の臭いを消し去る偽装に満ちた住宅。グリッド上に厳密に並べられた柱も、山間の中に漆黒の塊として建ち上がるあの姿も、内部とライトコートを等価に操作するあの技法も、この住宅を「住宅」から遠ざける偽装である。しかし、それでもこの住宅は「住宅」としての汎用性を持っている。家族のアクティビティを内包しながら、「住宅」のしがらみからは〈離れて建つ〉住宅。《ウィークエンドハウス》は、住宅と「住宅」の建ち方の問題を問うている。

4 接続するのではなくドライブすること


それはイベント(またはイベントの連鎖)のプレゼンテーションと、その継続的な空間解釈(それはもちろん空間を変化させるものだ)を組み合わせる。たとえば儀式や、そのイニシエーションのルートはそういうものであり、侵入点から到着点に至るまで、新しい挑戦が次々に候補者を待つ。ここでは、シークェンスの秩序は内在している。それに沿って存在するどの地点にも増して一番重要なのはルートである★一四。


次に見るのは住宅で起こる「行為」と「出来事」である。ここでは住人相互の関係性の総体である「家族」という概念は、住人個々の「行為」と「出来事」へと置き換えられる。近代以降、食べる、寝る、排泄するといった住宅の中で繰り広げる行為は、それらを目的とした専用室へと分節化されていった。しかし、ここで注目するのは「動き」である。「動きは建築的空間へのイベントの侵入である」★一五。廊下や階段、斜路や通路はそのままでは部屋を接続する移動空間にすぎない。しかし、移動空間が分節化された目的空間の中に侵入し、その境界を取り払い、「行為」と「行為」の間をドライブさせていくとき、「動き」は固定された行為の配列を攪乱する。
近代において「分室化=分節化」と「動きの表象」は表裏一体の関係である。まず、住宅は分節された。住宅の中で想定される行為はつぶさに分析され、切り分けられ、住宅機械の最大効用を目指して配列される。食べる、寝る、排泄する、団らんするといった行為は分節化されたセルのラベルとなって特権化された。食べる部屋は「食堂」あるいは「ダイニング」へ、寝る部屋は「寝室」へ、団らんする部屋は「リビング」へというように。「移動」は特権化された行為のネガであり、移動空間は接続機械として最小パスの効用を求められる。移動空間は合理性の名の下に見る見るうちに縮減されていき、《ダイマキシオン・ハウス》(バックミンスター・フラー、一九二七)[図10]では六角形の支柱の中にまで追いつめられてしまう。接続する機械にイベントは期待されない。ただ繋げ、ひたすら短く繋げ。そこは踊る場所ではない、そこは話す場所ではない、そこは笑う場所ではない。

10──バックミンスター・フラー《ダイマキシオン・ハウス》 出典=『建築20世紀』Part 1(新建築社、1991)

10──バックミンスター・フラー《ダイマキシオン・ハウス》
出典=『建築20世紀』Part 1(新建築社、1991)

 

空間的シークエンスとして移動空間を復権させたのはF・L・ライトかもしれない。大邸宅の長い廊下をあてもなく歩きながら次々に部屋の扉を開けていく期待感、階段や廊下の持つある種のノスタルジー。ライトは天井高を押さえ、視線を制御させながら、部屋と部屋を小刻みな段差で接続する。次から次へと風景が移り変わる快楽をライトは住居内の微地形として復権させる。部屋から部屋へと誘導する仕掛けとして、移動が移動を誘発する装置として。ライトの住宅には移動空間を歩き回り、未知の扉を開ける紙芝居的な楽しさが演出されている。「空間は遊歩者に向かって目配せをして、さて、私の中で何が起こったと思うかね、と言うのだ」★一六。
ル・コルビュジエの取った戦略はよりドラスティックである。《オザンファンのアトリエ》(一九二四)を、《ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸》(一九二四)を、《クック邸》(一九二六)を、《ワイゼンホフ・ジードルンクの吹き抜けのある住宅》(一九二七)を、《シュタイン邸》(一九二七)を、《カルタゴの家》(一九二八)[図11]を、《サヴォア邸》(一九三一)を見よ。その部屋の中には螺旋階段や折り返し階段、直線階段やスロープなどが、我が物顔で入り込んできている。ル・コルビュジエはあたかもこう言っているかのようだ。移動装置を取り込め、移動装置を視覚化せよ、床を抜き、上下を繋げ、孤立した部屋と部屋を剥き出しになった移動装置で接続せよ、と。「ドミノ・システム」(一九一四)のドローイングで描かれた折り返し階段は、その後の移動装置の介入を示唆するのに十分なプレゼンテーションである。そして、「シトロアン住宅」第二案(一九二〇)[図12]では、こうした考え方の萌芽がひとつの住宅の提案として描かれている。この住宅の内部には二階の半分を占める大きな吹き抜けと、その脇に付けられた螺旋階段がある。ここで移動空間は螺旋階段というシンボリックな装置となって、一気に団らんの主役の位置に躍り出る。階段が空間的な演出装置として主役の座に着いたのはもちろんこれが初めてではない。しかし、階段が演出装置として威力を発揮するのは吹き抜けのあるエントランスホールであったはずである。それは間違っても団らんの目の前ではない。ル・コルビュジエはソファーとダイニングテーブルの間に、どちらからもはっきりと見えるような位置に剥き出しで移動装置を挿入している。さらに、この行為が確信をもって為されたことを裏付けるものがある。この後に出来たいくつかの住宅と同様、この住宅にもエントランスホールがないのである。外部階段でそれぞれの階にアクセスできるようになっているが、主要な入り口は建物の正面にしかない。その扉を開けると、いきなり食堂の真ん中となる。つまりここでは移動空間の排除と移動装置の介入が補完的な関係を持って並立しているのである。「動き」の介入によって団らんは攪乱される。しかし、これによって閉じた系であった部屋と部屋は直接相互に交通する機会を獲得する。視線は解放され、移動は視覚化される。そして、そもそも食事という行為に命名の特権が与えられた部屋「食堂(Salle)」が、閉じた系である必要があるのかどうか、という問題を突きつけてくる。閉じた系を形付けていた壁や床が引き剥がされ、接続機械が部屋の中に視覚化され、住宅の内部は動き始めるのである。

11──ル・コルビュジエ《カルタゴの家》断面図

11──ル・コルビュジエ《カルタゴの家》断面図

 

12──ル・コルビュジエ「シトロアン住宅」第2案

12──ル・コルビュジエ「シトロアン住宅」第2案

 

5 連続体の表現

アドルフ・ロースの《ミュラー邸》(一九三〇)[図13]には移動空間の中に桟敷席のようなステージが設けられている。このステージには「移動空間」と「部屋」の関係を問い直すステップがある。この家では一連の空間が階段室のまわりで分節されている。客室から食事室へ、書斎へ、「婦人の部屋(Zimmer der Dame)」へ、さらにその床上げされた着席部分(ステージ)へと階段を上がりながらプライバシーの程度を上げていく。こうして配列された食事室、居間、婦人の部屋、着席部分(ステージ)の関係には奇妙な視線のからくりが仕込まれている。レベルを変えることで、いま通り過ぎたひとつ下の部屋はこれから入る上のレベルの部屋から見渡されているのである。そこには、窓が切られ、あたかも外の眺めを見下ろすように、上位の部屋から下位の部屋が見下ろせるのである。それは外部から内部へと入って来る者を順次、監視するかのようである。それは「内側へと折りたたまれた眼差し」★一七である。外来者は部屋に入り、いま来た方向を振り返って、初めてこの視線のからくりに気付く。そして、この見る見られるの関係の最上位に置かれているのが着席部分(ステージ)である。これは踊り場にソファーが設置されたような空間なのだが、それが階段に囲まれるようにしてあり、また、それ自身も移動空間の一部として機能しているように見える。このことがこの空間の位置づけを難しくする。この空間にはソファーが置かれ、視線はホールへ向けた窓へと誘導されている。この部分で移動は中断され、そこに腰を掛け居間を見下ろしながら談笑することができる。しかしそこを通り過ぎることもできる。ここに名付けることができる特権的な行為は見当たらない。移動空間があるところで変質し、そこに滞留できる空間を生み出したのか、それとも滞留空間が移動空間の中に飲み込まれたのか。そして、ここではロースによって仕込まれた視線のからくり、すなわち部屋ごとに繰り返される見る見られるの視線の連関が空間の分節性を揺るがす仕掛けとなっている。移動空間は単なる移動装置あるいは独立した移動空間として分離することができなくなり、滞留空間との境界を失っていく。「滞留空間」の「移動空間」化、「移動空間」の「滞留空間」化。二つの空間が溶け合わさっていく素地がロースの住宅には見てとれる。

13──アドルフ・ロース《ミュラー邸》 夫人の部屋の床上げされた着席部分 出典=Eva B. Ottillinger, ADOLF LOOS: Wohnkonzepte und Möelentwüe, Residenz Verlag, 1994.

13──アドルフ・ロース《ミュラー邸》 夫人の部屋の床上げされた着席部分
出典=Eva B. Ottillinger, ADOLF LOOS: Wohnkonzepte und Möelentwüe, Residenz Verlag, 1994.

 

ファン・ベルケル&ボスの《メビウス・ハウス》(一九九八)[図14]、青木淳の《H》(一九九四)[図15]、レム・コールハースの《ダラヴァ邸》(一九九一)[図16・17]の三作に共通するのは、「移動空間」と「滞留空間」がもはや完全に溶け合い、ひとつの連続体として表現されていることである。そこでは内部の分節が最小限に抑えられ、行為の不可分性が空間化されている。

14──ファン・ベルケル&ボス《メビウス・ハウス》外観 出典=『a+u』1993年3月号(新建築社)

14──ファン・ベルケル&ボス《メビウス・ハウス》外観
出典=『a+u』1993年3月号(新建築社)

14──同、「2人の1日の活動軌跡をトレースした円環体」

14──同、「2人の1日の活動軌跡をトレースした円環体」


15──青木淳《H》 夫人の領域

15──青木淳《H》 夫人の領域

15──同、平面図 (first plan)

15──同、平面図 (first plan)

 

16──レム・コールハース《ダラヴァ邸》

16──レム・コールハース《ダラヴァ邸》

17──同 エントランスへ降りる螺旋階段 出典=EL CROQUIS: oma / rem koolhaas 1987 1993,El Croquis,1994.

17──同 エントランスへ降りる螺旋階段
出典=EL CROQUIS: oma / rem koolhaas 1987 1993,El Croquis,1994.

 《メビウス・ハウス》は、そこで生活する二人の行動を二つの軌道としてとらえている。「この二つの軌道は、二人が一緒に住み、別々の時間をすごし、そしてある地点で出会い、空間を共有する方法を描き出している。二つの自主性が、各々の時間をたどり、ある時間を共有し、ことによると、ある時点において、お互いの役目を反転させる」★一八。二本の軌道が組み合わされたダイアグラムは二つの主な素材、コンクリートとガラスとして置き換えられ、それらがねじ曲げられながら相互に絡みつくようにデザインされている。内部空間もこのダイアグラムに忠実である。中央に上下左右から交錯してくる動線空間を設け、一階から二階、二階から一階と、絡み合う二つの帯の両端にそれぞれ二つのスタジオと二つのベッドルームのゾーンを配置している。《メビウス・ハウス》はプログラムされた「経路」を忠実に可視化しているのである。
それに対して、《H》は夫婦の二人のアクティビティを「夫人の領域」と「夫の領域」という二つの領域としてとらえている。

「H」には明確な部屋の区分がない。というのも、滑らかに連続している生活、まずはそれをそのままのかたちで切り取ってみようと思ったからである。たとえば、一階の細長い「夫人の領域」。食事をつくりながら絵を描き、疲れたら休む。そうした夫人の生活が、まるで外にいるかのような開放感をもって行われる。このひとつづきの動きの中から、少しずつ機能が生まれ分化しはじめる★一九。


 《H》は家族ではなく個人のアクティビティに注目している。個人のアクティビティを切れ目なく扱い、行為の総体をゆるやかな境界によって区切られたひとつの領域の中に還元する。そこには家族という関係から離脱して個人の「動き」に空間を対応させたい、というモチベーションが感じられる。家族を飛び越えて個人に対して領域を与えるという概念は個室群住居と共通している。異なるのは《H》が個室化されない「動線体」としてこの住宅をとらえていることである。
ファン・ベルケル&ボスが連続した「経路」としてとらえ、青木が連続した「領域」としてとらえたものを、レム・コールハースは、そのどちらでもない〈非決定論的な連続体〉としてとらえている。《ダラヴァ邸》は両親と娘が住む住宅である。両親と娘は上階にそれぞれ二つのボリュームに分かれて寝室とバスルームを持ち、外部のテラスを通してつながれている。それぞれの部屋につながる階段を下りるとリビング、ダイニング、キッチンを含んだ大きな空間の両端に出る。そこで、二つの寝室のユニットは連続するのだが、そこを素通りしてそのまま接地階へ下りることもできる。さらに、この住宅を特徴付けている長いスロープを通って、この大きな空間からエントランスまで下りてもよい。連続体としてデザインされながら、移動経路が決定されているわけでもなく、個人の行動領域が決定されているわけでもない。空間を個人に還元しきることもなく、さりとて空間を共同体の論理に委ねているわけでもない。この住宅は住人のアクティビティに対して何も決めごとを作ることなく、全てを内包している。それも均質性や可変性に頼ることなく。移動装置を剥き出しにして部屋に挿入するというル・コルビュジエ的なボキャブラリーをも使いこなしながら。この仕掛けに満ちた住宅は、「住宅」に対して戦略的に〈非決定論的な連続体〉という構えを取っているのである。

6 偽装する住宅

私たちはこれまでに、妹島和世の〈差異と反復の断面〉を見、西沢立衛の〈離れて立つ平面〉を見、レム・コールハースの〈非決定論的な連続体〉を見てきた。これらに共通することは住宅固有の問題に対して〈決定論的な構えをとらない〉ということである。恐らく妹島の集合住宅が従来の住宅モデルから離脱しはじめている点はこの構え方にあると思われる。建築である以上、何らかの形でひとつの形態を選択して決定しなければならない。これは避けられそうにない。問題はどこまで決定するかということである。そして、それをどのように見せるかということである。これは住宅というビルディングタイプにあっては特に重要である。
問われるのは「家族」と「住宅」と「私=建築家」の距離である。決定論的な住宅論に陥る落とし穴は、ひとつには「私=建築家」にとって「家族」が近くにありすぎることにある。近傍にある家族がリアルに見えすぎるのである。最も厄介なことは、近傍にある「家族」のイメージを他者と共有できるという幻想を抱いてしまうことである。「家族は幻想に過ぎない」のではなくて、建築家の間に「家族の問題を共有できるという幻想」があるのである。家族の問題はどこまでも離散的で刹那的なものでしかないのだ。
〈決定論的な構えをとらない〉ということは決定を放棄しているというわけではない。ある決定をしているかのように見せながら、決定しきれないことをデザインするということである。〈決定論的な構えをとらない〉住宅はある形式を装うことで住宅固有の問題を取り込みながら、その実、決定論的な住宅論からは距離を置くような住宅である。「nLDK」という日本的な住居形式を受け入れているように偽装しながら、ひとつの住居形式を選択しない妹島の集合住宅。偽装する住宅は共同で住むことも独りで住むことも拒まない。住むための要素を確かに持ちながら、限られた生活様式を押しつけることを拒むのである。同じように偽装する住宅は家族の問題が介入することを拒まない。そこで繰り広げられるさまざまなドラマに対してひとつのシナリオを与えることを拒むのである。偽装する住宅は家であることを拒まない。手垢にまみれた住宅であることを拒むのである。


★一──ウィトゲンシュタイン「第一部・読解 四、家族的類似性」(『哲学的探求』黒崎宏訳、産業図書、一九九四)六六節。傍点は原文でのイタリック表記。
★二──社会学者C・C・ハリスは『家族動態の理論』(正岡寛司+藤見純子訳、未来社、一九七八)において「家族」ということばが社会的に広く使われ、そのためにその言葉の通俗的用法と専門的用法の間の食い違いが混乱を生じさせていると指摘している。また、上野千鶴子はその主著『近代家族の成立と終焉』(岩波書店、一九九四)で、家族を成立させている意識を「ファミリィ・アイデンティティ」と呼び、個人によって異なる家族の「境界の定義」をさまざまなケーススタディを通して記述している。
★三──ジャック・ラカンは『家族複合』(宮本忠雄+関忠盛訳、哲学書房、一九八六)において、家族に内在する家族神経症のさまざまな事例とその心理構造を論じている。
★四──土居義岳は「住宅という名の原罪──我田引水的な山本理顕論のための序説──」(『GA JAPAN』創刊号、エーディーエー・エディタ・トーキョー、一九九二)の中で、「近代住宅」も一九世紀の「社会的総空間のコード化」によって細分化されたひとつのビルディングタイプであると考え、「多くの「非住宅」が建築タイプとして成立したからこそ、それらから区別されるべき「住宅」が成立した」としている。
★五──渡辺真理+木下庸子「nLDKよさらば」(『新建築』一九九八年五月号、新建築社)。
★六──黒沢隆「個室群住居とは何か」(『都市住宅』一九六八年五月号、鹿島出版会)。
★七──黒沢は個室群住居を提起するにあたって、近代住居の成立条件を挙げ、それが社会構造の変化の中で崩壊していっていることを指摘している。すなわち、単婚の家族によって住まわれ、仕事場から分離された私生活の場であり、夫が妻の分まで働き妻が夫の分まで家事をするという夫婦の一体的性格によって支えられていた近代住居が、共稼ぎ世帯の一般化や職住の境界の曖昧化などによってその成立基盤を失ったというのである。個室群住居を定義した箇所の本文の引用はこうした社会認識に接続されるのである。
★八──「DK(ダイニング・キッチン)」という言葉が使われはじめたのは、昭和三〇年、食堂と台所をひと続きとした平面計画、「51C型」住戸(一九五〇、吉武泰水、郭茂林提案)の貸出しに端を発する。この計画を採用した当時の住宅公団は、「ダイニング・キッチン=DK」を販売戦略の前面に押し出し、このクラスの生活では珍しかったテーブルをダイニング側に付設、三年後にはキッチンにステンレスの流し台を採用するなど、新しい団地での生活を演出した。こうした計画が実践され、一般化されていった背景に、戦中期から庶民用小住宅の「食寝分離」を唱えていた西山卯三、それを戦後の住宅復興、高度経済成長期の住宅供給計画の中で展開していった吉武泰水、鈴木成文などの建築計画学的成果が挙げられる。しかし、住環境の多様化が叫ばれ始めた昭和五〇年代頃からその表記方法とともに批判の的となりはじめ、画一化されたnLDKという表記をどう乗り超えるかという、極めて日本的な住宅論が展開されるようになった。nLDKの起源については藤森照信『昭和住宅物語』(新建築社、一九九〇)等に詳しい。
★九──「クリエイティブミズが住まいを変える」(『建築文化』一九九二年一〇月号、彰国社)。
★一〇──花田佳明「拡張された住宅──建築を開くこと」(『新建築住宅特集』一九九五年一月号、新建築社)。
★一一──五十嵐太郎「住宅の廃墟に──建築家と住居をめぐる七つの物語」(『10+1』No.5、INAX出版、一九九六)。
★一二──スコギン・イーラム・ブレイ、作品註釈(『GA Houses』五八号、エーディーエー・エディタ・トーキョー、一九九八)。
★一三──スコギン・イーラム・ブレイ、前掲書。
★一四──ベルナール・チュミ『建築と断絶』(山形浩生訳、鹿島出版会、一九九六)一五七頁。
★一五──チュミ、前掲書、一一〇頁。
★一六──ヴァルター・ベンヤミンパサージュ論III──都市の遊歩者』(今村仁司ほか訳、岩波書店、一九九四)七四頁。
★一七──ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(松畑強訳、鹿島出版会、一九九六)一五四頁。
★一八──ファン・ベルケル&ボス「絶えまない差異としての生活」(堀元伝訳『a+u』一九九九年三月号、エー・アンド・ユー)。
★一九──青木淳、作品註釈(『JA』一四号、新建築社、一九九四)。

>山中新太郎(ヤマナカ・シンタロウ)

1968年生
山中新太郎建築設計事務所主宰、日本大学理工学部助教。建築家。

>『10+1』 No.18

特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>ファンズワース邸

アメリカ、イリノイ 住宅 1950年

>西沢立衛(ニシザワ・リュウエ)

1966年 -
建築家。西沢立衛建築設計事務所主宰。SANAA共同主宰。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA准教授。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。

>サヴォア邸

パリ 住宅 1931年

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>藤森照信(フジモリ・テルノブ)

1946年 -
建築史、建築家。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年 -
建築史。東北大学大学院工学研究科教授。

>建築と断絶

1996年

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...