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Natural Computationの景相化 | 田中浩也+久原真人
Ommniscape of Natural Computation | Hiroya Tanaka, Macoto Cuhara
掲載『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築, 2007年09月30日発行) pp.149-154

自然/コンピュテーション/コンピュータ

「Computing」あるいは「Computation」という思考法は、筆者がこの原稿をタイプしている物理的実体としての「コンピュータ(計算装置)」を超えて、自然界/生態系や社会★一、ヒト★二の現象や運動の総体を、「計算」という観点から捉え返そうとするものであるといえる。そのメタレヴェルの視点を獲得できれば、次に、いま私たちの身の回りに実在する「自然現象」と「コンピュータ」という二つの計算機構の特質を、現代的に結託させて、まだ見ぬアルゴリズムを生み出そうとする創作の営みを開始することもできる。
コンピュータ・システムは基本的に、誤差の入り込むことのできない平衡的で安定的なシステムである。そこではあらゆる要素が「離散化」されて、独立に再構成可能な「素材」★三となっている(その単位は、計算領域ではビット、平面領域ではピクセル、立体領域ではボクセル、音響領域ではクリック、アルゴリズム上ではステップ、プログラム上ではオブジェクト、そして、モジュール、ファイルとどこまでも続く)。一方、自然界もまた、不確定性を含みながらも何らかの物理・化学・生体法則に従った運動を継続しているという点では、「計算=コンピューティング」を行なっているシステムとみなしうる。しかしながら、すべての要素が「質量」をもつ物理世界では、ある要素のみを完全に独立して動かすことは原理的に不可能でもある。水の流れを変えずに川底の小石を拾うことが不可能であるように、質量をもつものは必ず他の環境要素に影響をおよぼす。わずかな流れの変化が、下流では乱流となっているかもしれないように、あるいはバタフライ効果のように小さな蝶の羽ばたきがトルネードを生じさせるかもしれないように、少しの誤差が時間とともに拡大されて全く違った結果をもたらす可能性があるという意味で、物理世界のそれはダイナミックで不可逆なシステムである。「計算」としては処理機構の中身を確認できない「ブラック・ボックス」の現象も多数存在する。しかし視座を移せば、常に即興的に進行する「創発的なパターン・ジェネレータ」と捉えることができ、うまく「生け捕る」ことで人為的なシステムに連携させることも可能である。
こうした全く異なる性質をもつ「自然界」と「コンピュータ」という二つの計算機構の長所を接続・相互連携してみることで、「ハイブリッドな計算の場」への可能性が開かれる。コンピュータ・システムのもつ時空間的柔軟性・安定性・再現性・普遍性、それに自然界のもつ不安定性・即興性・創造性・一回性といった要素を、現実世界のなかで掛け合わせてみる。そこに生まれてくる「クロッシング・ポイント」──それは、あらかじめ構築された秩序と、創造的なゆらぎが同居しながら進行し、洗練された抽象の理解と原初的な感覚の手触りが同時に身体を包み込む、新たな知覚と経験を生み出す。

“Site-Oriented Computing”

コンピュータが外部の自然界に計算の一部を委譲し、逆に自然界が外部のコンピュータに計算の一部を委譲するような、相互連関・フィードバックをもった「装置」としてのシンセシス、ハイブリダイゼーション、アマルガム。先日東京大学で開催された国際会議「ユビキタス・メディア(UMAT)」の展覧会(http://www.u-mat.org/jpn/art/info.html)でも、さまざまなアプローチによる作品が展示されていたように、自然とコンピュータの切り結びの探求は、昨今のメディア・アートの領域でも最も先端的な潮流のひとつである。それらは、実世界に出力される「彫刻(Autonomic Sculpture)」や「空間(インスタレーション)」という形式を伴っているがゆえに、建築分野へも通じる可能性をもっているだろう★四。
こうした、これまでとは異なる自然観、コンピューティング観の探求、そしてその融合をもって「ポスト・デジタル」へと向かうこのような感性に関して、筆者は完全に共感する。共通の同時代性を捉えているだろうとの強い実感がある。しかし同時に、ここで幾許かの「建築的思考」を動員するならば、その上にあともう幾つかの要素を書き加えてみたいとも思えるのだ。
それは、「自然」も「コンピュータ」も、「計算する」ものであると同時に、「分布する」ものでもあるという着眼である。コンピュータ・システムは、場所・時間を問わない汎用的なインフラである。「ユビキタス」という用語は、一般に、それが何であるかを意識させず、かつ「いつでも、どこでも、だれでも」恩恵を受けることができる遍在的なインターフェイス、環境、技術を意味している。一方、「自然」は「気候」として、地域・地方によってさまざまな様相をもって偏在的に顕われる。「季節」という反復的な時間要素も関与する。それらが、その場に住まう人々の生活と編み合わされたとき、「ヴァナキュラー」なるものが生成する(バーナード・ルドフスキー『建築家なしの建築』をここで説明する必要はないであろう)。
であるならば、昨今のメディア・アートで試みられているような、「コンピュータ」と「自然」の結託に地理学的・風土学的な一項目──「遍在性・永続性・一様性(コンピュータ)」と「地域性・季節性・多様性(自然)」の掛け合わせを書き加えてみることが、「建築的」なものへと向かう、もうひとつの方向性ではないだろうか。つまり、Universalな「空間」というよりも、むしろSite-Orientedな「場所」として、「そこにある自然」とコンピュータとの融合を可視化・実体化すること。それが、筆者が久原真人と立ち上げたトラベリング・デザインユニット「tEnt」の基本的なミッションである。私たちがこれから生きる場所は、共通の地平を拡大する「情報環境」(Digital Ground★五)と、場所の多様性を保証する最終的な依拠点となるであろう「自然環境(風土)」が縦横、もしくはより高次に編み合わされた複合環境となる。その止揚統合を構想してみたい。具体的な活動は、以下の手順で行なう。
(1) コンピュータを携えて地域に飛び込み、その場所・季節の自然現象を計算論的・アルゴリズム的に解読、あるいはサンプリングする。
(2) ハイブリッドな計算現象を時空間的に現出させる「計算・装置(ソフトウェア+ハードウェア)」の「群」を設計・製作し、空間的に配置する。
(3) その「群」によって生まれる「場」は、そこに立つ人々に、新たな「観測」行為を促すことになる。それは、新たな想像力を獲得するための景  相オムニスケープでもあり、時間とともに生成・変質・循環・伝播・消滅する。
(4) (1)──(3) を、多様な地域・季節・装置の組み合わせとして継続的に展開・実践する。
「tEnt」の創作物は、現在のところ「建物」としての形式はとっていない。ここで製作しているものは、機構として言えば「計算装置」であり、用途として言えば「観測装置」であり、存在として言えば「環境装置」である。環境芸術やランド・アート、アースワークといったドメインを暫定的な導入口として、パブリックスペースにおけるメディア技術と建築的思考の接点を探り続けているといってもよい。

「群」が生み出す「場」

アナログとは「測る」ことであり、デジタルとは「数える」ことである。そして、「量が質に転化する」は、ネットワーク時代に私たちが獲得した、ひとつの重要な想像力・構想力である。このような認識を建築スケールの空間形式に翻訳すると、「数え上げられる点群の集まり・分布が、ある量を超えたときに、曖昧な領域(パターン)を現出する」といった認識を経由して、「森」や「星座」といったイメージの参照根が浮上してくるのではないか(例えば大空間に無数の極細の柱が[一見]ランダムに立ち並んだような石上純也氏の「神奈川工科大学」のプランは、筆者にはそのように理解されている)。
一方、「群が生み出す場」には、空間形式に加えて、時間的なダイナミクスも付与させることができるはずである。このイメージの参照先は「桜前線」である。よく知られているように、ソメイヨシノは接ぎ木によって増えるため、全てが同じ遺伝子をもった、いわば複製体(クローン)である。それが故に同じ環境条件で開花するという規則ルールが与えられて分散し、春になると南から北へと徐々に暖かくなる様子を観測できる。独立のセンサー群が散らばって個々が環境に反応することで、全体として環境に「補助線」が描かれるのである。こうした反応する群の場は、地理的なスケールから建築的なスケールまでいかようにも拡大縮小できよう★六。
筆者らが、装置をモニュメンタルな単体としてではなく、あくまで離散的な「群」として構想・製作するのは、磁場や風・温度・エネルギー分布など、その場にある環境パラメータの「補助線」や「包絡線」として全体を発現させることを追求するがゆえである。「もともとそこにあるもの」と「新たに設置するもの」の干渉や接触の結果として、潜勢していたパターンとしての幾何学が時空間的に浮かび上がってくることになる。

「演奏する風景」なるもの

人間が創作・構築するものは、なんらかの意味において必ず言語性を有する。
コンピュータ・プログラムは言うまでもなく「(人工)言語」である。人間が前もって(pro-)記述した(gram)論理の束を機械に委譲すると、それを解釈し、何度でも「読み上げて」(=実行して)くれる。それは「記述」「命令」「実行」といった、「言語」のひとつの働きを顕わにしている。しかし、それはあくまで「書く(Write)」「読む(Read)」といった書記言語(文書)の範疇にあり、それが言語のすべてではない。言語のもうひとつの側面──「話す(Speak)」「聞く(Listen)」といった音声・音響の側面を忘れるわけにはいかない。「自然言語」には生まれながらにして「音」が付随している。それは発声器官や聴覚機構の物理的構造に深く関わる、身体と言語の接点である。しかし「アルゴリズム(人工言語)」には体感可能な「音」に相当するものがない。だとすれば、まさにそれ──アルゴリズムを直感的に感じ味わい体感するためのインターフェイスこそを、新たにつくり、与えなければならないのではないか。
筆者らが試みていることは、コンピュータ上に「記述」した言語(プログラム)を、自然界がもつ質量やエネルギーによって「演奏(発音)させる」ことでもある。つくられた装置は、ソフトウェアとハードウェアの組み合わせとなっているが、それは一旦場所に設置されると、環境+ハードウェアという「楽器/音響体」に、演奏すべき曲(スコア)としてのソフトウェアが挿入されている、といったもうひとつの分節を生み出すことになる[図1]。
むろん、ここでいう「音」は喩えである。筆者らは「音楽」や「音響」のみを直接的な表現として取り扱っているわけではない。表現は、空間的な配列と、物理化学的な媒質の共鳴・反応・振動現象といった全感覚的なものの統合として最終的に出力される。あくまで隠喩としての用法において、「演奏する風景」なるものを立ち上げたいと考えているのだ。そこには、人間が認知可能な速度の範囲内で、あらかじめ記述された「時間」が響きやリズムとなって「流れ出して」くる。従来の建築設計が、プログラムから空間的なハードウェアへの翻訳に重きがあるならば、この試みは「時間の生成」を主眼に置いている。また、九〇年代のサイバーアーキテクチュア論が直面した、「画面上では流体的な生成過程が、実体として建築化された際にはただの珍奇な形態にしかならない」という問題を、ソフトウェアとハードウェアを緩やかに連続させる方法で、別の言葉で言えば「かたち」から「現象」までのなだらかな分節を装置に織り込むことで、超克しようという取り組みでもある。

1──「装置」はハードウェアとソフトウェアの混成であるが、それが一旦設置され「場所性」を伴うと、ハードウェアは環境に溶け込み、 ソフトウェアが即興的に時間的なパターンを生成して物理世界に「流れ出す」。

1──「装置」はハードウェアとソフトウェアの混成であるが、それが一旦設置され「場所性」を伴うと、ハードウェアは環境に溶け込み、
ソフトウェアが即興的に時間的なパターンを生成して物理世界に「流れ出す」。

Sculpture / Garden / Architecture

水の相転移・夕焼け・虹・紅葉・植物の受粉……。世界には、さまざまな階層に「コンピューティング」なるものが存在している。原子や分子が織り成す物理現象・化学反応、あるいは生体の遺伝・成長・増殖。万物は「計算」を行なっており、常に即興的な挙動をもって世界を「生成」し続けている。アルゴリズム的な世界観を獲得した現在の私たちは、そのようにして捉えられる──しかし実際には完全に捉えきることのできない──パターンの総体を、改めて「自然」という言葉で、そして同時に「コンピューティング」という言葉で、呼ぶことが許されるだろう。
私たちはまた、そうした認識を、今身の回りにあるものを用いて、再構築・再編成し、その中に「立つ」ことができるようになっている。それによって、自然界というシステム、コンピュータというシステム、生体システムとしての人間の三者の間に橋が架けられ、サーキット(回路)が生まれる。アルゴリズムの場に自らを介在させて身体的に浸る、浴びるような直接知覚のための空間が、今筆者らがつくりたいと思っているもののすべてである(それは、「アルゴリズムで空間を設計する」のとはまるで異なるし、アルゴリズム的「思考」よりもアルゴリズム的「知覚」に近い)★七。
「建築に向かって」、筆者らが次になすべきことは、「屋根を架ける」ことであろう。「庭としてのコンピューティング」から、「建築としてのコンピューティング」へ向かう漸近的な研究と実践を継続したい。


本稿第一節は、慶應義塾大学環境情報学部関根雅人君の議論を参照させていただいた。記して感謝する。
★一──なお、「社会システム」と「コンピュータ・システム」の連携については、本稿では議論しないが、現在「ITアーキテクト」と呼ばれる職能の主要な実践はそこに向けられていることを確認しておく。神成淳司+宮台真司『計算不可能性を設計する──ITアーキテクトの未来への挑戦』(ウェイツ、二〇〇七)を参照。
★二──ホイットマン・リチャーズ編『ナチュラルコンピュテーション1  視覚の生物計算理論』(田中博訳、パーソナルメディア、一九九四)、同『ナチュラルコンピュテーション2  聴覚と触覚・力センシング・運動の計算理論』(石川正俊+平原達也訳、パーソナルメディア、一九九四)。
★三──久保田晃弘「Design3.0──デジタル・マテリアリズム」(奥出直人+後藤武編『デザイン言語──感覚と論理を結ぶ思考法』慶應義塾大学出版会、二〇〇二)を参照。
★四──池上高志氏の本誌連載「サウンド+アート+サイエンス」を参照。また、池上高志+鈴木健「Natural Intelligence──計算プロセスとしての自然現象」(『InterCommunication』No.59、NTT出版、二〇〇七)を参照。
★五──Malcolm McCullough, Digital Ground: Architecture, Pervasive Computing, and Environmental Knowing, MIT Press, New ed., 2005.
★六──センサー群配置の密度は、環境に対する空間的解像度に呼応しているといえる。例えば、Living Worldの「風灯(Solar)」は、風の動きを受けて光で伝える、風鈴の形をした小さな灯りであり、暗くなって風が吹くと揺れをセンサーが感知して、LEDが発光する。これが「群」となって樹木に取り付けられると、その場全体の風の流れが可視化される。筆者らはこのような原理を平面的空間構成=場として展開している。
★七──本特集号は「アルゴリズム的思考と建築」という題が冠されているが、筆者は、「アルゴリズムで空間をつくる」という“設計論”としてのコンピューティングよりも、「アルゴリズムを感じるための空間をつくる」という“経験の生成装置”としてのコンピューティングを探求している。

インスタレーション  tEnt02「Icicle Drops」

北国には冬になると一定の条件のもとで「つらら」が発生する。「つらら」は、昼夜の温度(寒暖)差、積雪、斜面、水滴の落下、落下の速度・リズム等の環境条件がすべて揃ったときにのみ生成される、自然現象の「特異点」である。私たちは、そのような「つらら」を発生させる環境条件を、人為的に「誘導」するための装置を開発した。上部に溜まった雪が、溶け出して水滴となり、1滴ずつ落下し、冷えた(伝導率の高い)導線を通過する際に強制的に冷却されて、凝固する。これが一晩繰り返されると、「つらら」が生成される。これらはすべてコンピュータ・プログラムで制御されている。導線には八つのLEDがつけられており、生成された「つらら」を内部から照らし出す。光はつららによって乱反射し、新しい現象をつくりだす。LEDは水滴が落下するような重力運動のプログラムに従って点滅する。光の落下は自然の水滴の落下とシンクロし、落下する水滴はポリリズミックな音楽を奏でる。

「Icicle Drops」 装置ディテール

「Icicle Drops」
装置ディテール

「Icicle Drops」展示風景 2006年2月に札幌のギャラリーThinkGardenで行なったインスタレーション。8 機の「Icicle Drops」を設置した。水滴の落下が光と音響に変換される。 撮影=小牧寿里

「Icicle Drops」展示風景
2006年2月に札幌のギャラリーThinkGardenで行なったインスタレーション。8 機の「Icicle Drops」を設置した。水滴の落下が光と音響に変換される。
撮影=小牧寿里

札幌市真駒内歩くスキー場  tEnt02「Icicle Drops」

札幌市真駒内歩くスキー場に、「サイン計画」の一部として設置されたIcicle Dropsの群。環境デザインへの取り組みである。ここではIcicle Dropsを用いて「風景」を創出することを目的としている。昨今、断熱気密性の高い住居が増えたがゆえに、市内からは「つらら」が消滅しているというクライアントの問題意識があった。2007年冬、他のスキー場へも展開予定である。

「Icicle Drops」真駒内スキー場での設置風景 撮影=瓜生裕樹 

「Icicle Drops」真駒内スキー場での設置風景
撮影=瓜生裕樹 

譜面としてのプログラム

プログラムは、2−3cmほどのPICマイコンやPSoCマイコンに書き込まれる。これらのマイコンはピーナッツの豆ほどの大きさであるので、筆者らはこれを比喩的に「種」と呼んでいる。
マイコンプログラミングは、常にクロック数を意識しながら進める必要があるため、ミリ秒単位の時間の流れやズレに敏感になる。プログラム上のリピートや停止も、手元にあるタイマーで時間をカウントしながら検証していく。常に速度やタイミングを気にしながら「実時間における再生」を意識しつつプログラミングを進めていく作業である。この感覚はある意味で「作曲」に近い。

植物インターフェイスと栽培メディア

栗林賢+坂本雄祐+外池千尋+木川賢仁+根本和
(慶應義塾大学田中浩也研究室)

JR東京駅前新丸ビル10Fスペース「エコッツェリア」 「植物インターフェイス」を全面的に導入したインテリア空間を設計した。 植物のバイオリズムや生体反応が空間全体に光や音として展開し有機的な「揺らぎ」を与える。

JR東京駅前新丸ビル10Fスペース「エコッツェリア」
「植物インターフェイス」を全面的に導入したインテリア空間を設計した。
植物のバイオリズムや生体反応が空間全体に光や音として展開し有機的な「揺らぎ」を与える。

I/O-Plant 「植物」と「コンピューティング」を接続した空間デザインを行なうための汎用的なプロトタイピング・ツール・キット。 自然現象・生体反応を利用したさまざまな入出力を実現・応用できる。 植物をノードとしたネットワーク構成することもできる。

I/O-Plant
「植物」と「コンピューティング」を接続した空間デザインを行なうための汎用的なプロトタイピング・ツール・キット。
自然現象・生体反応を利用したさまざまな入出力を実現・応用できる。
植物をノードとしたネットワーク構成することもできる。

札幌モエレ沼公園  tEnt03「Catch the White Breath」

北国の雪原で吹雪を捕獲する観測装置である。風の強さを感知して段階的に発光する機能が内蔵された蛍光管は、同時に、表面に雪を吸着させて変質する素材としても機能し、さまざまな時間のスケールに応じてその様相を変化させていく。 この装置群を、「つむじ風」が生じるポイントを中心として円状に配置することによって、全体として巨大な「光るコンパス」を構成し、雪原に新たな風景の幾何学を生み出す。2007年冬に、モエレ沼公園(設計=イサム・ノグチ)に設置された。

群での反応 装置を円形に配置することで、風見鶏のような機能を有し、この装置群は「光のコンパス」となり、さまざまな風の向きを視覚的に認識できるようになる。

群での反応
装置を円形に配置することで、風見鶏のような機能を有し、この装置群は「光のコンパス」となり、さまざまな風の向きを視覚的に認識できるようになる。

「Catch the White Breath」コンセプトCG モエレ沼公園の冬景色を、光を用いて新たに抽出するための装置として考案したものである。風を受けて微小な変化をする発光装置を数多くつくり、群として設置することで風の位相を視覚的に感じられる風景を生みだす。風の向きと強さに反応する風センサーの感度によって発光の強弱をダイナミックに変え、降雪中の風は雪(パウダースノー)を発光体のファンデーションに変え、自然な表層変化をもたらす。

「Catch the White Breath」コンセプトCG
モエレ沼公園の冬景色を、光を用いて新たに抽出するための装置として考案したものである。風を受けて微小な変化をする発光装置を数多くつくり、群として設置することで風の位相を視覚的に感じられる風景を生みだす。風の向きと強さに反応する風センサーの感度によって発光の強弱をダイナミックに変え、降雪中の風は雪(パウダースノー)を発光体のファンデーションに変え、自然な表層変化をもたらす。


モエレ沼公園での「Catch the White Breath」の実際の展示風景  撮影=瓜生裕樹

モエレ沼公園での「Catch the White Breath」の実際の展示風景  撮影=瓜生裕樹


>田中浩也(タナカ・ヒロヤ)

1975年生
慶応義塾大学環境情報学部准教授、国際メディア研究財団非常勤研究員、tEnt共同主宰。デザインエンジニア。

>久原真人(クハラ・マコト)

1976年生
デザインユニットtEnt共同主宰。プロダクト、インテリア、商環境デザイン。

>『10+1』 No.48

特集=アルゴリズム的思考と建築

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

>神成淳司(シンジョウ・アツシ)

1971年 -
慶應義塾大学環境情報学部准教授。

>後藤武(ゴトウ・タケシ)

1965年 -
建築家。後藤武建築設計事務所主宰。

>池上高志(イケガミ・タカシ)

1961年 -
東京大学大学院総合文化研究科&情報学環教授。

>リビング・ワールド

2002年 -
デザイン事務所。