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空間・秩序・弱さと建築 | 藤本壮介
Space, Order and Frailty in Architecture | Fujimoto Sosuke
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること, 2005年04月発行) pp.102-103

当たり前のことかも知れないけれど、本を読んだり、展覧会に行ったり、映画を見たりするときに、建築に役立つかどうかということは特に考えない。自分の素朴な好奇心に任せている。しかし僕の作る建築自体が、その同じ素朴な好奇心から出発しているのだから、どこかで繋がりがあるのは確かなのだろう。
レクチャーのあとの質問の時間に、どういう本を読めばいいですか、ときかれることがある。そのときは、今読みたいと思う本を読むべきだと、たぶん不親切なんだろうなと思いながら答える。僕もそうしてきた。そして読みたいと思う瞬間にしか、その本から得られることに反応することはできないのだと思う。
湯川秀樹博士が書いていたと思うが、僕も自分が読んだ本の内容をほとんど忘れている。覚えていられればどんなにすばらしいかと思うが、忘れてしまう。ただ幸いに、印象に残った内容は、僕自身のなかで建築の形に変換されて蓄積している。そう考えると、少し気が楽になる。

空間ということ

僕が空間というものを本当の意味で意識しはじめたのは、たぶん『ガモフ全集』(白揚社、一九五九)を読んでからだったのではないかと思う。ジョージ・ガモフは、宇宙の起源に関するビッグバン理論を提唱したロシアの著名な物理学者で、その彼が当時の最先端の科学、相対性理論、量子論、宇宙の起源、数学などについて、わかりやすく解説した名著が『ガモフ全集』である。
この本を読んだのは、たしか高校時代だったと思う。たまたま実家の本棚にあった古びた本を読み始めたのだが、すぐに引き込まれてしまった。といっても、すべてを正確に理解したわけではない。ただ、なんというか、相対性理論のいう「空間」というものを、身体的に理解できたような気がしたのである。それは新鮮な空間だった。というか、モノとは違う「空間」というものが「ある」ということを初めて知ったことの新鮮さだったのだろう。
そのとき僕は、空間というものを、ヴォリュームがあり、ゆがみ、身体と相互作用するようなものとして意識したような気がする。相対性理論の記述を正確に身体化したのではなくて、むしろ、ガモフの物語から「空間」という概念を自分なりに意識し始めたという感じである。高校時代ということは、まだ建築を学び始める前である。建築以前に、まず空間というものを認識することになったわけである。しかもその空間の概念が、ある非常に特殊な、それでいて普遍性をもった相対性理論のイメージから始まっている、というのは、僕の建築の、空間の、原風景である。それは今の僕の建築を、根底で規定していると思う。僕は最近、「居場所」というものを建築の根底にすえてみようとしているが、その居場所というのは、こういう空間と切り離せないものだと思う。つまり「場」であろうか。あるいは、「場のゆがみ」が空間である、といってもいい。
また、これは余談だが、確か第六巻、数学について書かれた巻がある。そこでは素数のこと、ものすごく大きな数のこと、インドの数学、数に関する魅力的な話に満ちている。特に無限の部屋のあるホテルの無限の宿泊客の話は非常に印象的で、それ以来、ゲオルグ・カントールは僕のなかでヒーローのひとりになった。そしてたぶん、その無限の話との繋がりから、ボルヘスと出会うことになる。その話はまた別の機会に。

秩序ということ

僕の今の設計活動にとって、直接的に決定的な本があったとすれば、それはI・プリゴジン+I・スタンジェール『混沌からの秩序』(伏見康治+伏見譲+松枝秀明訳、みすず書房、一九八七)だと思う。大学時代に友人のひとりが薦めてくれたのだが、実はそのときには読まなかった。ただ、どこかで引っかかっていたのだろう、卒業して、ひとりで設計活動を始めてまもなく、特にやることもないという奇妙に恵まれた状況のなかで、何か予感があって読んでみたいと思ったのだった。
この本についても、正確な内容は忘れてしまった。印象に残っているのは、近代というものが持っていた「大きな秩序」に対して、部分と部分の関係性から生じる「部分からの秩序」のようなものがありえる、というメッセージだ。例えば森の木々は無秩序ではないが、けっして誰かが外側から配置を決めて作ったものではない。東京の路地は行き当たりばったりに見えるが、しかしある秩序を持っていて、しかも意外性、不確定性と秩序が同居しているかのようである。そういう場所のあり方、ものの秩序づけられ方に、非常に衝撃を受けたのである。それは建築的な問題提起そのものに思えた。これを読んだときに、この向こうにこそ、近代を、ル・コルビュジエを超える何かがあるに違いないと思ったのだった。
しかしそれを建築の空間で実現するという作業は、なかなか大変である。当時取り組んでいた精神病院の計画で、大きな中廊下という秩序をやめて、逆に小さな居場所の連続から組み立ててみたり、大きな床面というものをやめてしまって、座れるくらいの段差の連続で住宅というものを考察してみたり、そういう試行錯誤のきっかけになったのが本書だった。その試行錯誤は今も続いている。たぶん、この本の問題提起はあまりに本質的なので、これからも無限の試行錯誤が続いていくのではないかと思う。そうしてその先に、なにか、新しい秩序のあり方、ものの新しい存在のしかた、のようなものが見えてくればと思うのである。
科学的な一般書は、今でもけっこう好きな分野で、生物学の本や、最新の超ひも理論の本なども手に取る。僕のなかでは、《安中環境アートフォーラム》の案は、「建築の超ひも理論」と呼べるのではないかと思っている。すべての建築の原型はこれです、というような、ある種の究極理論。そういう強さがあると思う。
そういう「部分からの建築」の試行錯誤のひとつが《青森県立美術館》のコンペ案だった。そのときに、部分から秩序づけられるこの新しい建築に、何か呼び名を与えたいと思って、ふと「弱い建築」と言ってみたのだが、そこから新しいイメージが膨らんでいった。

弱さということ

「弱い建築」と言ってみて、それで、それって何だろう、と、逆に考えたりする。そういうことが起こるので、言葉というのは面白い。言葉が生まれるときには、それを知っているからではなくて、知らないなかのかすかな予感から、ということが多い。知るためにまずは言ってみる。そうして思考を始める。弱いという概念も、そうやって始まった。
そしてそんなときに、『武満徹著作集 一—五』(新潮社、二〇〇〇)を読んだ。
そもそもその著作集を買ったのは、本が美しかったから。本屋で、手にとって見て、欲しいと思った。それで買ったのだった。いつも思うのだが、本というのは、そのモノが非常に重要だ。装丁、というか、本の姿、そういうもので、すべてが決定されることもあると思う。
それはともかく、帰って読んでみると、これが非常に面白かった。何が面白かったのか。まずは、武満さんが、今の僕たちが日々やっているように、何かを模索して、仮説を立て、論じてみて、そうして模索しているということがわかったから。そういう試行錯誤のなかから生まれてくる文章を読んでいると、こちらもやる気が出てくる。
同時に、近代の音楽が目指した無調の音楽(というらしい)というものがどうにも行き詰っていたなかで、それを超えて新しい音楽を目指すというのが、まさに僕たちのやろうとしている、何か新しい建築を、という思いと重なる気がしたのだ。音楽と建築という、かなり違った世界のそれぞれで、同じように何かを模索している人がいる。そしてその断片を、美しい文章にして、提示している。その言葉の幾つかに時々反応して、何か、予感の予感のようなものを感じ取るときに、先がスッと見えたような気がするときに、創作の至福がある。そういう瞬間に満ちている本なのだ。
そうしてもうひとつ、具体的には、弱いということと、日本的な音、楽器、そういうものとがつながる気がしたこと。ただし僕は、弱い=日本などと言うつもりはない。しかしきっかけとしてはわかりやすい。武満さんは、琵琶や尺八などの日本の楽器を、というか、響きを、探求されていた。それを単純に西洋音楽に組み合わせる、というようなことではなくて、日本の響きのなかに、その時間感覚のなかに、何か新しい可能性を探っていたのだと思う。僕は自分の言う「弱い」という感覚が、何かそのあたりにつながりそうな気がして、気が急いて読み進めたのだった。もちろん答えはない。しかし深いところにまで行けた気がする。
それからしばらくして、僕は、五線のない楽譜を作った。バッハの「ゴールドベルク変奏曲」の楽譜から、五線を消したドローイングである。それは、均質な時間のなかに音が置かれるというミース的な秩序ではなくて、それぞれの音自体に固有の時間が内包されているような、それこそ日本の楽器の音のような、そういう秩序である。それをそっくり空間に置き換えると、僕が意図している建築を表現しているのではないかと思ったのだ。それは今のところ、僕の建築のイメージを示唆するいちばん鮮やかな絵なのではないかと思う。そしてその楽譜から、また新しいイメージがあふれてくるのである。

1──五線のない楽譜(部分)、2004 筆者作成

1──五線のない楽譜(部分)、2004 筆者作成

>藤本壮介(フジモト・ソウスケ)

1971年生
京都大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。