今、時代は確実に変わりつつある。だが、変わりつつある時代に対し、建築はいまだ足並みをそろえられてはいないようだ。いくつかの建築が新たな時代の建築の誕生を告げてはいるが、大局的な流れはいまだその姿を現わそうとはしていない。もちろん価値観が多様化した現代にあっては、もはや近代ごとくひとつの原則やスタイルが世界を包み込むことなどありえないのだし、何でもありが現代なのだと言い切ることはできる。だが、それでは現代が近代と異ならねばならない理由を説明することはできない。では何ゆえ現代建築はモダニズム建築やポストモダニズム建築と異ならねばならないのだろうか。なぜ、時代は異なる建築を求めようとしているのだろうか。
二〇世紀終盤に世界を席巻したポストモダニズム建築は、その名称からも分かるように、モダニズム建築を乗り越えるべく生み出された建築であった。だが現在、ポストモダニズム建築と異なる建築が要請されているのだとすれば、それはなにゆえだろうか。ポストモダニズム建築が乗り越えられねばならないような新たな世界的状況が訪れているのだろうか。それとも、ポストモダニズム建築が何かを乗り越えなかっただけなのだろうか。そもそもポストモダニズム建築は十分に〈ポスト・モダン〉であったのだろうか。それを明らかにするために、まずはモダニズム建築という枠組みの把握から始めてみよう。
1 モダニズム建築
1—1 近代という時代
モダニズム建築そのものの定義を何とするかといえば、さまざまな定義が存在することだろう。だが、モダニズム建築の展開を同時代の他の分野の展開と並列させて眺めれば、ひとつの傾向を見出すことができる。
まず手始めにハーバマスの言葉を引いてみよう。
啓蒙時代の哲学者たちが一八世紀に作り出した近代(モダニティ)というプロジェクトは、客観的科学、普遍的道徳及び法、そして自律的芸術を、それぞれ固有の論理にそって発展させようと努力することにあった。と同時に、このプロジェクトはそれぞれの領域の持つ知的な潜在力を、その秘教的な形式から解き放つことをも目指していたのである★一。
つまり、近代とは各領域が分離・制度化され、各々の次元に本来備わっている構造が明るみに出されていった時代であった。そして各分野が自立するためには各々がその内部だけで自律的に体系化されることが必要であると考えられていった。時代は理性への信頼の下、リオタールが〈大きな物語〉と呼んだひとつの流れのなかにあったのである。
そうした変化は芸術においても同様であった。それまで絶対的な判断基準であった〈芸術性〉という概念が失効し、芸術を支えてきたあらゆる超越的な〈外部〉が機能しなくなったとき、芸術もまたその各々の分野において己の概念体系を己自身で打ち立てることが必要とされたのである。結果として近代芸術は、表象を生み出す技術的な制約を意識化し問題化することで、己の体系を内部から構築することを試みていくことになった。近代絵画のゼロ座標ともいえるマレーヴィチの絵画は、模倣する対象の選択ではなく、まさに絵画という領域の基底材の探求から獲得されたのである。
1—2 モダニズム建築
そして他の分野と足並みをそろえるように、建築もまた自らの成り立ちを意識化し問題化することで様式からの脱却と自立を試みていった。磯崎新も指摘しているように、そこには当時強い影響力をもった記号論の影響を認めることができる★二。
言語は世界を「分割」することで物事を定義する。「言葉」と「もの」は一対一に変換されて理解され、その組み合わせが世界を表現することになる。モダニズム建築もまた、自らを明快な「要素」に分割し、要素同士の「構成」をクリアに表現することで、自分の体系化を図ったのである。柱、壁、床……、居間、食堂、寝室……、すべてはまず要素単位として部分に分かたれて理解される。そしてこの分割された要素が部分として形態化され、それらの関係性が視覚的に表現された結果として全体がその姿を現わしていく。そこでは「要素」と「構成」の真正さによって「建築」たりえるかが判断されたのである。こうした思考の背景に、「世界はモデルへと写像することで理解可能」という近代科学的なモデル化の思考への信頼を見てとることができる。こうしてモダニズム建築は一義的に説明可能で、誰もが理解できる形式となった。誰もが同じ方向を見据え、同じ物語を共有することが時代の価値であった近代において、そうした建築の作られ方は強い説得力を持ったのである。
1—3 「構成」の「表現」
かくしてモダニズム建築は「要素」と「構成」の真正さを追及してきた。だがそれは建築が真正なものになったことを意味しているのではない。それは単に建築の「要素」や「構成」が観察者に伝達されるように建築の上でわかりやすく「表現」したにすぎない。つまり、モダニズム建築はそう作られているのではなく、そう見えるように作られているのだ。そしてモダニズム建築がインターナショナルスタイルと呼ばれたとき、そうした傾向は決定的となったのである。
だがそもそも「要素」も「構成」も人間の認識の結果、すなわちヴァーチュアルなものでしかないのだとすれば、近代建築の真正さは、ヴァーチュアルな形式の純粋な表現と伝達のために、リアルな物質という現実を縮減する行為のうえに成立しているとはいえないだろうか。モダニズム建築が形という言語によるヴァーチュアルなコミュニケーションの完全性を前提にする限り、物質存在としての建築が人間に対して持つはずの他者性は抑圧されてきたのではないだろうか。
モダニズム建築モデル
2 ポスト・モダン/ポストモダニズム建築
2—1 ポスト・モダン
リオタールが指摘するように、〈ポスト・モダン〉とは近代の大きな物語に対する不信感より開始された★三。理性と科学技術への信頼に基づく進歩史観の崩壊。科学の限界が暴かれ、社会の歪みが明らかになったとき、人々はもうみんなで同じ夢を見られなくなった。形式化の限界が叫ばれ、単一普遍の原則や概念が共有されてきた時代は終わり、多様性と混成系の時代が訪れたのである。こうした枠組みの変動がモダニズム建築に変化を迫ることになった。
2—2 ポストモダニズム建築
ポストモダニズム建築の先導者であるロバート・ヴェンチューリは二冊のもはや古典ともいえる名著によって自らの立場を明らかにした。すなわち建築形態の多様性と対立性を称揚し、「複雑な統一」を目指した『Complexity and Contra-diction in Architecture』(一九六六、邦訳=『建築の多様性と対立性』[伊藤公文訳、SD選書、一九八二])、「メイン・ストリートはおおむね正しい」という名文句とともに建築のシンボリズムの問題を扱った『Learning from Las Vegas』(一九七二、邦訳=『ラスベガス』[石井和紘+伊藤公文訳、SD選書、一九七八])の二冊である。
こうしてポストモダニズム建築はモダニズム建築への批判から誕生した。それはモダニズム建築が不純な要素の排除に基づいた安易な統一に執着し、建築形態が持つ意味作用を扼殺してきたためであった。全世界的な画一化と均質化をもたらしたモダニズム建築(インターナショナルスタイル)に対し、ポストモダニズム建築は多様性や地域性などさまざまなかたちで反旗を翻し、世界を席巻していったのである。
2—3 乗り越えたもの/乗り越えなかったもの
確かにポストモダニズム建築において建築の意味作用が回復され、読解の可能性は多様になった。だが、モダニズム建築の問題はすべて乗り越えられたのだろうか。
『建築の多様性と対立性』において、ヴェンチューリは古典建築のさまざまな実例を取り上げながら、そこに見られる曖昧さ、両義性、不合理性を称揚し、「価値ある建築は、いろいろな意味のレベルや、視点の組み合わせを喚起する。その空間や要素は、様々な読まれ方、働き方が同時に可能なのである」と述べた★四。それは間違いなくモダニズム建築の核心を突く批判であった。現実の建築が多様な組み合わせで読まれうるのは、建築が複雑な組み合わせが可能なヴァーチュアルな言語だからではない。それは建築がリアルな物質的存在であるからにほかならない。建築が物質的な存在であるがゆえに、建築家と観察者のコミュニケーションに対して建築は他者性をもちえるのだ。
だが、ヴェンチューリ自身のイコノロジーへの偏愛もあいまって、ポストモダニズム建築が結果として辿り着いたのは、歴史や人々の集合的な記憶に依拠した引用と解釈の果てしないゲームだった。ポストモダニズム建築は自らの多様性を歴史や人々の集合的な記憶に依拠するがゆえに、その正確な伝達のため、「要素」と「構成」をやはり明確に表現せねばならなかった。つまり解釈が多重化し言語が多様化されたにしろ、建築家が建築の形式を表現し、観察者がそれを読解するという関係、そして建築家の自意識の枠内に建築が縮減されている関係は少しも変わってはいなかったのである。結局それはモダニズム建築が持つコミュニケーションの構造そのものを乗り越えるものではなかったのだ。そこに自由はなかった。現実の建築の持つ他者性はモダニズム同様に去勢され、物質は言語へと縮減されたのである。結局ポストモダニズム建築は、インターナショナルスタイルに変わる多様なスタイルを提供し、モダニズムを乗り越えるどころかモダニズム建築のコミュニケーションの構造の延命に手を貸したのである。
だが、そうした構造そのものが誰もが同じ物語を共有した近代という時代の産物である。ポスト・モダンの時代を生きるわれわれは、もう「大きな物語」を求めてはいないし、建築が真正であることを共有する必要もない。多様な価値観が共存する現代にあって、われわれはこのモダニズム建築の構造そのものを再考せねばならないだろう。認識と活動を建築家の想像の枠内で一義的に規定する近代的な「強い」表現を退け、この押し付けがましい解釈の環から建築を自由にすることが求められるのだ。
ポストモダニズム建築モデル
3 現代建築の問題構成——
形態の表現から物質の現前へ
いまや建築は建築家から自由である。もはや建築は建築家の自意識の投射物ではなく、あくまで他者としての、物質的な存在としての建ち方が要求されるのだ。今や建築がどのように構成されているかをご丁寧に説明する必要などない。建築の問題は形態の表現(リプリゼンテーション)から物質の現前(プレゼンス)へとシフトしつつある。
だが、同時にいまひとつの落とし穴がある。建築が物質であるという前提のもと、見せ掛けを廃して物質の本物らしさと正しい使い方を目指す生真面目なリアル志向がそれである。しかし、安易な素材主義への撤退はいかがなものだろう。そもそも石膏ボードとジャンクスペースでできたメトロポリスというスペクタクルの世界の中で、「もの」の「本物らしさ」などにすがってみたところでどこに説得力があるだろうか。建築はそうした「本物らしさ」からもとっくに自由なのだ。われわれは過去の解釈の体系に回収されない新たな物質現前のあり方を問われているのである。
ひとつ補助線を引いておこう。建築が物質という他者を媒介としたヴァーチュアルなコミュニケーションである以上、そこにはある脱線の可能性が潜んでいる。だがむしろこの潜在するディスコミュニケーションにこそ建築のヴァーチュアリティが存在するのだ。スケールアウトしたモノリシックな表面、過剰なまでの反復、モアレなどの距離や移動によって変化する知覚の利用。こうしたディスコミュニケーションもまた物質現前の可能性なのである。
結局のところ、われわれは物質を五感の情報を通じて感じることしかできず、物質そのものを受容することはけっしてできない。だが、その不完全性を苦悩する必要はない。物質という他者とわれわれとの間のこの越えることのできない「隔たり」こそが、建築の可能性を励起するのだとすれば。
新しい建築モデル
註
★一——ユルゲン・ハーバマス「近代——未完のプロジェクト」(ハル・フォスター編『反美学——ポストモダンの諸相』[室井尚+吉岡洋訳、勁草書房、一九八七])。
★二——磯崎新『《建築》という形式 I』(新建築社、一九九一)一九七頁。
★三——ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件——知・社会・言語ゲーム』(小林康夫訳、書肆風の薔薇、一九八六)八頁。
★四——ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』(伊藤公文訳、SD選書、一九八二)三四頁。