RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.18>ARTICLE

>
葛藤する家具 | 山崎泰寛
Troublesome Furniture | Yamasaki Yasuhiro
掲載『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) pp.162-165

かつて北野武が彼のフィルムで最初に暴力を演じた舞台は、実は子供部屋だった★一。「二階ですね」という刑事の確認が表象する、了解されたその部屋の配置、また訪問者を威嚇しつつ拒絶するようなドアの装飾も考察されるべき内容を含んでいるだろうが、それらは本稿の直接の興味ではない。この映画のように多く密室めいて描写される子供部屋の存在は、もはや自明である★二。住むための諸機械として再仮定された住宅★三の一部分を、日常的に構築し続ける子供部屋。諸機械へ思考するためには、おそらく内部装置の解剖を愚直に試みるのもひとつの方法である。そこで本稿では、いまやごく当たり前の表情で子供部屋の一隅を占める★四家庭用学習机(以下学習机と指称)を取り上げる。「家族」という規範を保証する住居★五内部にはたらいたもうひとつの作用──すなわち「学校化」★六──と学習机のデザイン展開とを二本の軸として、日常を構成するこの「不気味な」★七家具がもつ意味の射程を考察することにしよう。

侵入する家具・成長する家具

学習机の起源は、一九六二年にある。これはすでに発売されていた家庭用スチール机の子供向け商品であり、黄褐色縞模様のリノリウムの天板をもち、本体にベージュの塗装を施した机であった[図1]。この種の学習机の市場が形成される背景に「住宅公団による団地の建設が進められ、DKの流行で、テーブルと椅子の生活パターンが普及したことや、経済の高度成長、ベビーブームから起こる入学競争・教育熱の過熱など」★八があったとされる。しかし当時は学習机という名前自体になじみが薄く、価格も主流であった木製机の約三〇〇〇円に対して九八〇〇円であり★九、何よりこのデザインは明らかに就学前の子供には無機的にすぎたし、当時の公共住宅は、たとえ子供部屋を置ける限界の3DK型であっても「DKを除く三室は和室で計画された」★一〇ため、和室を充当された子供部屋にとっていかにもそぐわない相貌であったと言わざるをえない。学習机が家庭に導入された実際の契機は、ここで「入学競争・教育熱の過熱」と先述され、六〇年代に通奏低音として響き始めた「学校化」にあるのではないだろうか★一一。「商標は(…中略…)モノの一貫した集合的な姿を押しつけてくる」とすれば★一二、学校化する社会であったからこそ、「学習」なる語を接頭させた名称をもつ机が、「子供用」机ではなく「学習」机として、「教育する家族」の住まう住宅に領域を確保しえたのである。
六七年以降、各社棚付きの製品を発売。「住宅事情から狭い空間を最大限に利用するというアイディア」が評判となった★一三背景のひとつに家庭に持ち込まれる教材の増加があったと考えられ★一四、かつて価値的に排除されていた学校だが、そこから流れ込む諸道具がようやく机上に公然と居場所を確保した。上方に大きな収納空間を獲得した学習机は、七一年頃からさまざまな附属品★一五を身にまとい要塞化していく[図2]。子供向けキャラクターの採用★一六や装飾性の乏しい学習机からの転換によって、事実上その購買対象が小学校の新入生に絞られたと考えれば、「学習」を冠した家具は小学校への就学というインパクトをより増幅させる結果を生んだだろう。またここで注目すべきは、要塞化する過程で棚の直下に配置された時間割表である。これは、数々のガジェットに身を隠しつつ家庭内の生活時間をも学校的に分節するために、他の附属品とはまったく異質な存在感をもつ。そして学習机は、明らかに学校の端末として機能することになる。
七五年以降、JISによる規定、オイルショックによる原材料不足もあり、過剰な装備に歯止めがかかる。デザイン的にはシンプル化した木製志向にあり、八六年頃からは天然木製の学習机が登場、他の家具と融合した姿も現われる[図3]。当初自らを畳の色に似せ室内の保護色をまとった学習机は、ここに他の家具と材質的にも同質化して自らの家具化を完成した。「六・三・三で一二年」というコピーは、耐久消費財としての自己顕示以上に、実は時間的な生活世界を学校段階で分節する巧みな表現であった。学校的活動を端的に示す「学習」なる語を接頭させた家具がデザインを巧みに変容させながら住宅内に侵食していたという視点を保てば、「規範そのものである」住居★一七もまた、「学校化」という奔流を生きたといっていいだろう★一八。
一方で、学習机は形態を変えながらも、構造上一貫して「高さ調節機能」を継承している。たとえば、図1に示されるような発売当初の学習机は脚部の長さを変えることで天板を上下させたが、八〇年前後からは天板の位置が固定され、椅子の高さの変化で子供の成長に「合わせた」。また、天板の上方に据え付けられた棚は取り外し可能になっていく。他方、決して形態を変化させない六二年以前の木製机や衣服の使用においては、身体が「合わなくなる」ことで肉体的な成長が実感される。残された跡をもって成長が実感されるとすれば、学習机はまさに、子供の肉体的成長を「学習」の名のもとにゼロ化し、身体を規格化する装置と呼ぶにふさわしい[図4]。加えてここで身体は、住宅内を学校化する装置のうえで保証されるのである。住宅を学校化し、身体をも学校化する装置として、少なくとも六二年以降型の学習机はそれ以前の楽天的な学習環境とは明らかに断絶した空間装置なのである。

1──日本初のスチール製学習机、1962 株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

1──日本初のスチール製学習机、1962
株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

 

2──棚・蛍光灯付き学習机、1967 株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

2──棚・蛍光灯付き学習机、1967
株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

 

3──天然木製机、1990 株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

3──天然木製机、1990
株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

 

4──肉体の成長、家具の成長 株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

4──肉体の成長、家具の成長
株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

 

引き出される出口

「家族」の演者のひとりとしての妻はおそらくビルト・インされたシステム・キッチンに見出されるが、もうひとりの重要な役者──子供──は、たしかに後天的に学校化する住宅内で「発見」されるのかもしれない。現在の個室化した子供部屋は、依然として密室的状況と推断され、その内部を視線に曝すべく「開放」が叫ばれる★一九。しかし、建築家を含む管理者がいくら「開こう」としても、そのまなざしの濃密さゆえに密室は未だ閉じられるままであろう。
そして学習机は、ただ子供を縛り付けるだけの絶望的な拘束具であるわけではない。
たとえば「のび太」は、家の手伝いを求める母親の前では自発的に机に向かう。ここに、学校化した住居が与えた空間を逆手にとって机に向かう子供の姿が、家族のなかで事実上特権的な立場を得ている様子が伺える。親は密室状態のときこそ子供が「学校的」であることを望み、自らが学校化されていることに無自覚だが、子供は扉を開けたときに出会う家族がすでに「学校化」されてしまっていることを察知している。子供は、物理的に開かれるのみの部屋の中では学校化した自己を戦略的に装いさえすれば、あとは濃厚な教育的まなざしをかい潜って自分の世界へと旅立つことができる。
さらに、住宅も身体も学校化する装置である学習机は、実はそれ自体「学校化後の住居」の外の価値観に直結している。たとえば鍵のかかる引出しは、アーバックが指摘する「反=クローゼット空間」の「襞」的存在様態に通ずると考えられる★二〇。すなわち学習机の前方に、引き出されることが予定された空間がある。引出しは内部が露わになるその瞬間まで期待が充填されており、四次元ポケット同様どちらでもない異界に接続している「のび太」の引出しは、日常的でありながら決して安定していない学習机の様態を端的に示すに相応しい。翻って現実の引出しは、単なる瓦楽多がらくたをもその内部に呑み込む深淵となりうる空間である★二一。また近年、学習机は家庭へのパソコン導入をにらんだデザイン戦略をとっている[図5]。メタファーとしての引出しと同様、インターネット接続によって物理的障壁は無化され、直結された外部が机上に出現するという逆説的な現実が生まれる。つまり住宅はその最深部──日常に内蔵され、規範に対して抜き差しならない関係にありながらも、そこから離脱する可能性を孕み続ける「葛藤する家具」──で、住居という規範の域外に最も近接するのであり、このときまさに住居は内部から自らを「開いていく」のではないだろうか。

5──パソコン対応学習机、1999 株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

5──パソコン対応学習机、1999
株式会社イトーキクレビオホームページより(http://web.infoweb.ne.jp/itokicrebio)

 


★一──北野武監督『その男、凶暴につき』(バンダイビジュアル/松竹東宝、一九八九)。
★二──八〇年代から九〇年代にかけての子供部屋の語られ方の変容は、島田裕巳『個室──引きこもりの時代』(日本評論社、一九九七)一三四―一三七頁に詳しい。また子供部屋に寄せられる賛否両論の一部として、金崎芙美子「子ども部屋との関わりで」(『児童心理』五一巻一八号、金子書房、一九九七)、宮脇檀「子ども部屋の功罪」(『児童心理』四三巻一二号、一九八九)、柏木博「家族の規範から解き放たれ子どもたちの部屋はひとり歩きを始めた」(『中央公論』一〇一巻七号、中央公論社、一九八六)などが挙げられる。
★三──五十嵐太郎「住宅の廃墟に──建築家と住居をめぐる七つの物語」(『10+1』No.5、INAX出版、一九九六)一三一頁。
★四──学習机の一九九七年の市場規模予測値は約一一九万台である(日本オフィス家具協会学習家具部会)。なお、同年の小学校新入学者数は、全国で約一二一万人である(文部省「学校基本調査」より)。また、東京都生活局では一九七九年から小学校入学児童の「入学児に準備する学用品などの費用調査」を行なっており、学習机は調査開始時から項目として挙げられている。一九九八年の調査によると、その準備費用の平均総額一八六、七四六円のうち実に五割近くを学習机+椅子の総額が占める。
★五──上野千鶴子+山本理顕「住宅、そして家族とは」(『住宅特集』一九九三年一月号、新建築社、一二八―一三五頁)。
★六──筆者は、「学校化」という言葉はおおざっぱに二分節できると考える。ひとつには、社会の学校化とでもいうべきものであり、七〇年代後半から「家族的コミュニケーションの〈埋め合わせ〉」のために「家族に学校的評価基準が無条件でもち込まれ」、「〈家族〉も、評判を通じて親の学校化を加速する〈地域〉も、学校の出店やサテライトになった」(宮台真司『まぼろしの郊外──成熟社会を生きる若者たちの行方』[朝日新聞社、一九九七]一二八―一五二頁)結果であり、過程そのものである。いまひとつは、身体の学校化とでもいうべきものであり、フーコー的な、微視化された権力に身体が規律・訓練される「身体の管理と内面的な自発的服従」(桜井哲夫『「近代」の意味──制度としての学校・工場』[日本放送出版協会、一九八四]九一頁)、または身体の「ドリル」化(鶴見済『檻のなかのダンス』[太田出版、一九九八]六二頁)とでもいうべきか。
★七──アンソニー・ヴィドラー『不気味な建築』(大島哲蔵+道家洋訳、鹿島出版会、一九九八)一九―五四頁。ここでヴィドラーは、フロイトによるheimlich-unheimlichの位相をとおして、「居心地の悪い家」を考察する。
★八──『TALK 1997.9』(イトーキクレビオ、一九九七)六頁。
★九──串間努『まぼろし小学校──昭和B級文化の記録』(小学館、一九九六)二三一頁。
★一〇──鈴木成文ほか『「いえ」と「まち」──住居集合の論理』(鹿島出版会、一九八四)八七頁。
★一一──広田照幸は、「日本における家庭と学校の関係の〈変容〉」を考察した論考で、次のように述べている。かつて、日本において子供の社会化機能は家族が独占していたわけではなかった。しかし、日本では一九一〇―二〇年代にいわゆる新中産階級において「家庭と学校教育の同種化」が進み、子供を「全面的に学校―学歴に依存する」「濃密な教育的視線」のもとに養育する「教育する家族」が誕生した(広田照幸「家族―学校関係の社会史」[『現代社会学一二』岩波書店、一九九六、二一―三八頁])。実は日本において子供部屋は、まさに広田が指摘する「教育する家族」の住まう住宅において誕生したのであり、起居様式を洋式化させた子供部屋に学習机が置かれる風景は、この時点に創出されていた(島田、前掲書、一二八頁。また子供部屋の洋室化が奨励された経緯は、沢田知子『ユカ座・イス座』[住まいの図書館出版局、一九九五]二四頁)。しかし、この「教育する家族」というあり方が新中産階級から拡大したのは、広田によれば「都市流出と兼業化の進行により」農村部であっても学歴追求の欲望が明確化し、「新中産階級の家族のあり方」を「あるべき家族像のモデル」とするさまざまな言説空間が当時の知識人らによって形成された六〇年代以降である。すなわち、子供の人間形成を担う役割としての家族という、新中産階級の教育意識は、六〇年代以降に他の諸階層に共通化し、浸透していったのである(ただし広田はつづいて、「学校への依存度」について「都市化が進んだ地域ほど、また高学歴・高階層ほど、少なくなっている」と階層間の差異の存続を指摘している。広田、前掲論文、三一頁)。もちろん、本稿のように階層的に均質化した「教育する家族」の姿をもって社会の学校化を即断するのは危険である。しかし高校進学率の急激な上昇(六〇年には六〇パーセント以下だったが、七〇年代初頭には九〇パーセントを超えている)から推察される学歴取得の欲望の広範化や、「家族による教育」をめぐる言説空間の形成を鑑みても、社会的な価値判断の基準が学校に依存されはじめた六〇年代を学校化の端緒とみなすのはあながち無謀な試みではないだろうと筆者は考える。
★一二──ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』普及版(今村仁司+塚原史訳、紀伊國屋書店、一九九五)一四頁。
★一三──『平凡社世界大百科年鑑 1977』(平凡社、一九七七)五六八―五六九頁。
★一四──六三年に「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が公布され、棚付き学習机が登場する六七年度までにすべての小・中学生に教科用図書が無償給与されていた。
★一五──附属品の内容は、串田、前掲書、二三二―二三三頁に詳しい。
★一六──採用されたキャラクターは、たとえば、ケンちゃん(イトーキ、六九―七一)、ドリフターズ(くろがね工作所、七二)、仮面ライダー(コイズミ、七一―七二頃)など。
★一七──山本理顕『住居論』(住まいの図書館出版局、一九九三)一二頁。
★一八──天野正子によれば、七〇年代初頭から、「学校の成績、それも主要科目の成績によって「出来のよい子と悪い子」とをふりわけていく」という「学校的まなざし」が浸透し、子供を評価する際の学校外での基準も学校的価値観にあったことが指摘されている(天野正子「子どもを映す『文化と社会』」[『現代の教育 七』岩波書店、一九九八、三―二七頁])。学校的な価値基準に集束した視線が学校外空間においても行き交っていたことは、広田や宮台の指摘するところと大きく重なる。
★一九──たとえば「子ども部屋を閉ざさないようにしよう」(中央教育審議会答申「新しい時代を拓く心を育てるために──次世代を育てる心を失う危機──」一九九八・六)、「子ども部屋を与えるときには、そのルールも与えよう」(『家庭教育ノート──小中学生を持つ親のために──』文部省、一九九九・四、二九頁)。
★二〇──ヘンリー・アーバック「クローゼット、衣服、暴露」篠儀直子訳(『10+1』No.14、INAX出版、一二〇―一二九頁)。ここでアーバックは、「反=クローゼット」という前=クローゼット空間をドゥルーズの「襞」になぞらえる。
★二一──子供にとっての鍵付き引出しの重要性は、梅原清子「子どもの家庭用学習机について」(和歌山大学教育学部教育実践研究指導センター紀要、No.2、九五―一〇五頁、一九九三)。串田、前掲書、二三二頁。

>山崎泰寛(ヤマサキ・ヤスヒロ)

1975年生
横浜国立大学教育学部卒業、京都大学大学院教育学研究科修了。SferaArchive企画・運営を経て、建築ジャーナル編集部勤務、roundabout journal共同主宰。編集者。

>『10+1』 No.18

特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>宮脇檀(ミヤワキ・マユミ)

1936年 - 1998年
建築家。日本大学教授。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年 -
建築史。東北大学大学院工学研究科教授。

>不気味な建築

1998年11月1日

>大島哲蔵(オオシマ・テツゾウ)

1948年 - 2002年
批評家。スクウォッター(建築情報)主宰。

>篠儀直子(シノギ・ナオコ)

翻訳者。表象文化論、アメリカ史。