RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.37>ARTICLE

>
測量地図の集積と物理的基盤の構築 | 山根伸洋
Survey Map Compilation and Building Physical Infrastructure | Nobuhiro Yamane
掲載『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) pp.40-41

明治期初頭における電信線路網整備が凄まじい速度をもって進められたことはよく知られるところである★一。例えば東京と長崎とを結ぶ通信は、電信線路整備が郵便線路の整備に先行し、その後、東京と長崎とを結ぶ電信線路を背後から支えることも重要な目的として「官営独占・全国一律料金」体制成立以前の東京と大阪を結ぶ東海道郵便線路を長崎まで延伸する決定が行なわれた。デンマークの大北電信会社の手により内国通信の自主権が脅かされることを恐れた明治政府が苦肉の策として、長崎に陸揚げされた海底電信ケーブルを陸上電信線路によって東京・横浜へ接続させることが画策された。これによって、横浜への海底ケーブルの陸揚げを「無効」とする戦略は、さしあたって功を奏し内国電信線路を明治政府が独占的に整備することが可能となったと言われる。以上はひとつの通説となっている。実際に開国以来の西欧との対峙、アジアの他の地域の状態をめぐる情報の流入は、明治政府にとって国家的自立・国益などについて相当の危機意識を喚起させていた。したがって当時の明治政府にとって通信の自主的整備が西欧社会と対峙するうえでいかなる意味を持ちえていたのかを考察することは極めて重要なことと言える★二。一八六五年にはパリにおいて万国電信連合が設立(西欧を中心として二〇カ国が参加、日本は七九年に加盟)、七四年にはスイスのベルンにて万国郵便連合が設立(西欧を中心として二二カ国が参加、日本は七七年に加盟)された★三。もちろんこの西欧国家群を中心とする「万国」への参入と「脱亞」論という思想動向との関連は、現在的地点から見て反省的再考が必要なものとも言える。しかしながら一五世紀に端を発した第一のグローバリゼーションの波が一九世紀においてひとつの臨界に達し、地球上は西欧諸国によって世界市場の内部へ秩序付けられる趨勢の中で、明治期日本のあり方もまたひとつの必然として捉えることもできよう。
マルクスは『共産党宣言』において、以下のような有名な文句を述べている。「ブルジョワジーはわずか百年ほどの階級支配のうちに、過去の全時代をあわせたよりも、より多量な、より巨大な生産力をつくりだした。自然力の征服、機械装置、工業および農業における化学の応用、汽船、鉄道、電信、全世界各地の開拓、河川の航路開掘、呪文をもって地下から呼びだしたようなおびただしい人口──これほどの生産力が社会的労働の胎内に眠っていようなどと、以前のどの世紀の人々が予想したろうか」。一九世紀半ばにおいて汽船、鉄道、電信の網の目が地球上をくまなくすみずみまで被覆していく最後の地域として東アジアがあったことは想起しておこう。この文言からもわかるように、西欧文明社会が国土全域を物理的改造・整備の対象とすえ、なおかつ遠隔の植民地と宗主国本国とを物理的(電信線海底ケーブルや鉄道網)に架橋すること、即ち世界規模での交通基盤の開発を遂行する時期として一九世紀がある。と同時に、この時期に同時並行的に港湾地区を中心として「植民都市」の計画的整備がブームを迎える★四。かかる状況において、明治政府が国家全域を開発の対象に据えて輸送・通信網の整備を開始したことの内には、西欧国家群の当時の国土整備の状態の見聞を参考としていると思われる。
上記を踏まえて考えるのであれば、明治維新政府が主要都市の整備(横浜─東京、神戸─大阪など)と同等以上に、国土全域を輸送・通信網の基盤整備事業の対象と据えて地方・地域間のネットワーク形成に政策的重心をおいていたことの理由が垣間見えてくるのではないだろうか。明治維新政府は近代国家建設の手始めに国家として想定される全域に輸送・通信網を張り巡らせることを通じて、近代的国土の建設・整備を行なうことをもって地方経営・統治を遂行することを目指したと考えることができるのではないだろうか。この点を踏まえるのであれば、戦前に刊行された山田盛太郎の『日本資本主義分析』(一九三四)にみられる「軍事警察的輸送通伝機構の強行的創出過程」としての官営方針による「鉄道、電信、電話の施設を統一的」な「強行的創出」という分析は一面的に過ぎると思われる。むしろ明治維新政府の構想した新「国土観」について「素直」に語られているのは、「明治の元勲」である大隈重信の懐古録『大隈伯昔日譚』(一八九三)においてなのではないだろうか。大隈は明治期初頭における電信や鉄道の建設の建議を「四通八達の便を画り、運輸交通の発達を努めんには、鉄道を敷設し、且つ之れと同時に電信を架設して、全国の気脈を通ずること、実に最急の要務なり。而して是れ啻に運輸交通を便にするのみならず、其の封建の旧夢を破り、保守主義連、言換へれば攘夷家の、迷想を開き、天下の耳目を新にして、『王政維新』の事業を大成するに少なからざる利益を与ふることならん」と振り返っている。
「迷想を開き」「天下の耳目を新」にする、即ち、日本社会が「全国の気脈を通じる」ことによって新たに〈文明化〉していく、まさにその必須の手段として「鉄道を敷設」し「電信を架設」することがあると、大隈はここで明快に言い切っている。特筆すべきは大隈が「運輸交通を便」にすることの手段として、けっして幕藩体制から継承した「在来輸送・通信網」を信用していなかったことである。地域社会の村々からの労働賦役としての「伝馬役」などの助郷制度に依存する在来交通網の恒常的維持のためには、安定した地方経営・統治の実現が不可欠であり、そのためにも西欧近代技術に裏打ちされ、相対的に地域社会から自律した通信手段としての電信の整備を先行させることのもつ意味を知っていたということであろう。電信線や鉄道線路の整備とは輸送・通信の物理的基盤を軸として地域社会を再組織化していくことであった。日本社会における「封建の旧夢」を打ち破る文明化の手段としての鉄道や電信といった輸送・通信の物理的基盤は、当然にも日本社会における近代化が持続する社会秩序をささえる「社会的信憑の基盤」となっていく。欧米においては文明の表象が都市社会であるのに対して、日本においては地域開発によって構築された建造物が文明を表象するものとして成立する。このことの背後には、実は、明治期初頭における都市部と非都市部を貫通して経験された「土木事業の近代」としての電信線路網の全国化があったとも言えるのではないだろうか。
鉄道網整備に先行する電信線路網の全国的な整備事業は「測量地図の集積と物理的基盤の構築」という〈事態〉として、その核心的な意味で、日本社会における国家的近代の一断面を抉り出すものであろう。明治期初頭において国家全域という規模で行なわれた大規模土木事業としての電信線架設工事は、一九世紀における世界規模の輸送・通信ネットワークとしての世界的交通網の形成と同時性を孕んだ経験であり、なおかつ近代主権国家という単位を、物理的に成立させるうえでの重要な契機となった社会的経験と言える。実際、電信線路網の整備も多面的に展開する。東京─長崎間の電信線整備は、先にも述べた当時の国際環境における通信主権確保を焦眉の課題として遂行される。ところが東北線について言えば一八七一年一一月(明治四年一〇月)には工部省にて「東京ヨリ陸奥國青森縣迄鐵道ヲ布設スルノ議決ス。因テ先ツ該線路ニ電線ヲ架設スヘキ旨ヲ令セラル」★五と決定されている。あくまでも鉄道線路の整備に先行し鉄道軌道建設を前提として電信線路の整備が行なわれたのだ。したがって電信線路の整備には、その後の鉄道網整備のために近代的国土整備のアウトラインを〈土地〉へ刻み込んでいくという意味があったと言える。
電信線路網の全国化は一八八〇年代半ばには達成される。電信線架設工事は地域社会へ電信線を架設することにとどまらず、測量によって地域の地理情報が「野帖(フィールドノート)」[図1]★六に書き留められる。そして工部省本省において測量地図[図2]として集積されていく。電信柱と電信線は、地域社会における歴史的厚みを持った街並みの諸物の配置を基本的には動かすことなく、地域社会間を結び付ける経路として、街道筋を〈上書き〉しながら、電信線を延長して行く。電信線架設工事は、地域社会を電信線に沿って、断片化し、その断片化された線路図は、その後の保守・点検作業、電信線路の再配備等で、常に紙上に断片化された地域社会の一部を、国土整備事業の対象として可視化させ、と同時に国家全域を電信線路によって「第二電信回線及機械設置圖」[図3]★七として表象するに至る。ここに示された電信線の稠密の度合いこそ戦後社会にいたるまでの「地域開発」の実相を予感させていることに注意を払うべきだろう。

1──手書きの野帖 所蔵=逓信総合博物館・逓信協会博物館部

1──手書きの野帖
所蔵=逓信総合博物館・逓信協会博物館部

2──電信線路図(測量地図) 所蔵=逓信総合博物館・逓信協会博物館部

2──電信線路図(測量地図)
所蔵=逓信総合博物館・逓信協会博物館部

3──第二電信回線及機械設置圖、1892

3──第二電信回線及機械設置圖、1892


★一──松田裕之『明治電信電話(テレコム)ものがたり』(日本経済評論社、二〇〇一)二九─三五頁。
松田は電信線架設工事の進捗について、デンマーク大北電信会社が長崎と横浜へ海底ケーブル陸揚げ権を取得し、長崎へケーブルを陸揚げし、海外電信を開始せんとする状況にあったことに加えて、天皇の国内巡幸にあわせての〈御巡幸線〉の整備が大きな役割を果たした点を指摘している。その上で、「産業資本主義の怒涛の発展」を起爆剤とするアメリカ合衆国における民間資本の電気通信事業の展開に対して、明治期日本における官営電信整備事業を「日本独特の通信行政」と位置づける。
★二──例えば朝鮮半島における電信整備事業は一八七〇年代末からはじまるが、中国大陸からの延伸によって半島北部から仁川へいたるものと、明治政府が大北電信会社へ依頼して八三年に長崎と釜山の間を海底ケーブルで結び、釜山日本人居留地と日本内国との電信による通信を可能とする電信線路が並存した。通信線路が「誰の手によって」整備されたのかという問題は、極めて重要な問題といえよう。この点に関しては下記の文献が参考となる。
姜雄「一九世紀末朝鮮の電気通信技術」(『科学史研究』第二期第三〇巻No.179[日本科学史学会編、一九九一]所収)。
山村義照「朝鮮電信線架設問題と日朝清関係」(『日本歴史』第五八七号[吉川弘文館、一九九七]所収)。
★三──月尾嘉男他編『原点メディア環境 1851─2000』(東京大学出版会、二〇〇一)。
上記書籍は「原典」の掘り起こしを丁寧かつ網羅的に行なうねらいのもとに編集されている。特に明治期初頭における錯綜した状況において、国家制度形成的視点も含めて丁寧な史料の蒐集が心がけられている。本稿の執筆においても参照している。
★四──ロバート・ホーム『植えつけられた都市』(アジア都市建築研究会訳、京都大学学術出版会、二〇〇一)。
★五──大蔵省編『工部省沿革報告』(大内兵衛、土屋喬雄編『明治前期財政経済史料集成第十七巻』)所収。
★六──ここに紹介する「測量図」は、東北線の北端部の青森県から北海道に向けて引かれる海底ケーブル関連施設が記録された貴重なものである。
★七──逓信省電務局『大日本電信沿革史』(一八九二)付録図(『明治後期産業発達史資料一七四巻・一七五巻』所収)。

>山根伸洋(ヤマネノブヒロ)

1965年生
明治学院大学、玉川大学非常勤講師。歴史学、社会学。

>『10+1』 No.37

特集=先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...