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新しい物質、新しい素材 複雑化/集積化する素材 | 今井公太郎+今村創平+日埜直彦+吉村靖孝
New Materials: Materials of Complexity, Integration | Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) pp.37-44

報告 今井公太郎

今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランといった幾何学的なことに対応し、「物質的想像力」は素材や物質そのものに対応する、という区分をしました。近代建築以降のさまざまな建築理論は、どちらかというと形式的想像力に集中して展開してきたといってよいでしょう。しかしながら当然、その幾何学に対応する物質というものがあって、形式と物質は無関係ではない。例えばコンクリートはその名の通り連続体ですから、連続する形式をつくる時にはコンクリートは対応する物質として適切なわけです。あるいは、骨組みのような形式を考えるときには鉄が対応するとか、実際にはもっと複雑ですが、形式的な部分と物質的な部分には何がしかの対応関係があります。それを分けて話をするというのはいかがなものか、一緒に考えなくてはならないのではないかという感覚は皆さん持っていると思います。それで、物質的な部分の議論が不十分なので、もう少し掘り下げられないものかということを前々から感じているんですね。
前回日埜さんに整理していただいたように、古い物質の抱えるリアリティと新しい物質の抱えるリアリティの問題があります。例えば木という古い物質は、これに伴うわれわれの経験が多様に引きずりだされるという意味で豊かなコンテクストを持っており、そのコンテクストを如何に操作するかということが建築の問題として現われます。しかし、新しい物質にはそれがなく、私はそちらに強い興味を抱いています。そこでまずは、多岐にわたっている新しい物質の特性をあぶりだし、「人工/自然」という対立関係を見直さざるをえないような新しい物質性について議論を進めていきたいと思っています。「人工/自然」の対立がゆらぐ関係が見出された地平からは、さまざまな可能性が垣間見られると考えています。それでは具体的にお話していきます。
まず「エアロ・ジェル」という物質から始めます[図1]。これは一九三一年頃に発明されたものです。ゾル・ゲルによってつくられた湿潤ゲルを高温・高圧の、気体・液体・固体のどれでもない超臨界状態で、乾燥させます。すると気体膨脹が伴わずに、分子レベルで多孔質な物質ができます。九五パーセント以上が空気という摩訶不思議な物質です。写真ではわかりにくいですが、スカスカできわめて軽く、孔が光の波長よりも小さいため向こう側が透けて見え、持った感じは煎餅やスタイロフォームに近い。最大の特徴は屈折率が空気に近いため、実物を目の前にしても輪郭が判別しにくいんです。つまりどこまでが物質かはっきりしない、存在の曖昧な哲学的な物質です。特定の用途がなく、当然コンテクストもない、いわば純粋素材です。研究用途では、衝撃をよく吸収するので宇宙の塵を集めるのに利用されています。またほとんど空気なので、スタイロフォームをはるかに凌ぐ断熱性が特徴です。が、それくらいしか用途がないんですね。このような物質をどう捉えたらいいのか、われわれは感受性を持ち合わせていません。感受性を持ち合わせていないということを認識させる物質。私はこのような物が多数生み出されるのが現代だ、と考えています。
前回、質料(ヒュレー)と形相(エイドス)という、アリストテレスが最初に分節した概念から話をしました。哲学事典で調べると、質料とは「カント以降は認識の形式によって加工される素材の意味を持つようになった」と書いてあります。つまり、物自体という話が前回も出ましたが、認識されうるものとして質料があり、認識されえないものは物自体ということになります。一方、形相を見ると「神は完全な現実性として質料を含まぬ純粋な形相」と書いてあります。神を安定的に、完全な形相として分節するというのが、アリストテレスの発想かもしれません。しかし私にはこれは硬直した考えに感じられる。これに従えば、大理石でできている《ミロのヴィーナス》のように、その本質=美はフォルムにこそあるのであって、作品を充填している質料つまり大理石は二次的なものである、という整理になるかと思いますが、これは非常に古典的で西洋的なものだと思います。近代はそういう硬直した思考から抜け出たのかというとそうではなく、現代になってようやく形相/質料という分節概念から離れる試みが潜在的に起きているのではないかと思います。
素材史において注目すべきは、実は先ほどの整理は紀元前三世紀頃のアリストテレスの時代から百年ほど前まで二千年以上あまり変わっていないという事実です。一番大きな変化は、一八六九年にメンデレーエフの周期律表が見出されることです。それまで素材というのは、せいぜい石・金属・土・水・木・皮・骨くらいだったのが、メンデレーエフの周期律表が発明されると飛躍的に数が伸びるわけです。その後エジソンが電球を発明し、アインシュタインが相対性理論を発表し、またマンハッタン計画という科学の突発的進歩があり、コンピュータが開発されるに至って、物質界は百花繚乱の時代になります。そして現在、われわれはそこらにある家電や机ですら何でできているかを正確に言い当てることができないという、複雑な状況を迎えているわけです。アリストテレスの時代、土とか石しかなかった時代に、物質界を形相と質料とに分節するというのはリーズナブルだと思いますが、今に至ってはそれでは不十分です。
このような問題を非常に意識した展覧会が一九九五年に行なわれました。パオラ・アントネッリというMoMAの建築・デザイン系のキュレーターが企画した「Mutant Materials」展です。私たちはこの時に初めてエアロ・ジェルを見て、驚愕したわけです。その下敷きになっているのが、マンツィーニによる『The Material of Invention』という本です[図2]。現代の飛躍的に増えてしまった物質をわれわれがどう捉えたらいいかが整理されています。前文ではフランソワ・ダゴニエというバシュラール研究者のテキストも掲載しています。ここで、「Mutant Materials」展の内容を少し紹介します。これはセラミックスのエンジンタービンです[図3]。従来は鉄でできていました。エンジンですから爆発的な回転をして非常に高温になるわけですが、セラミックスは熱に対して非常に強く、焼きつかないのでエンジンオイルもいらず、鉄より適している。今の技術でセラミックスに鉄の機械強度を持たせることがこれを可能にしているのです。
次はアクリルのカップです[図4]。一見ヴェネツィアン・グラスのように見えますね。非常に高価に見えますが、実はプラスチックです。色の違う、プラスチックを超音波でシーム溶接する技術がこのカップを安価に実現します。次にこれは車のテールライトに使われているケースです。こうした複雑な成型は不可能でしたが、射出成型技術と機械強度の向上によって造形性が得られるようになってきました。このようにガラス/プラスチック/セラミック/鉄といった境界線が曖昧になり、何が鉄で何がプラスチックかということがあまり重要ではない、新しい物質観が生まれています。
これはステンレス・スチール・クロスといって、布の表面にステンレスをスパッタリングしたものです[図5]。質感はステンレスですが、くねくね曲がり布の柔らかさは失われていません。これはブラウン社製のシェーバーの断面です[図6]。ボディの硬いプラスチックと、グリップで使われているゴムに近いエラストマというプラスチックと二つの材質を張り合わせたように見えますが、実は一体成型です。プチプチした突起を貼り付けているのではなく、ダブル・インジェクションという方法で射出成型したプラスチックのひとつの塊なのです。
これらの事例でわかるように、われわれは新しい物質は物質の特性で認識するしかないという状況に置かれています。素材自体を言い当てることは困難であり、特性の集成としてしか捉えられない。つまり、硬い/柔らかい、重い/軽い、熱に強い、濡れやすい……という、形容詞でしか捉えていけない。原理的に、素材というものは人間にとって現象するものであるということです。言葉から考えても、「ステンレス」とは「錆びない」という意味で、物質を名指す名詞ではありません。ですから「ステンレス○○」という金属が多様につくられるわけです。われわれが「ステンレス」と呼んでいるあの物質は一般に「ステンレススチール」ですが、ここでは何でできているかは重要ではなく「錆びない」ということが重要なわけです。さらに言えば、安定した確固たるプロパティもありません。例えば、鉄は加熱すれば性質が変化するし、鉄に含まれるニッケルや炭素といった不純物のプロポーションによっても性質が大きく変わります。そういう意味でプロパティは一定ではなく、唯一形容詞で捉えることができるのだと、そういうことが言えると思います。
つづいてカヤックの例です[図7]。カヤックは強さを重視してつくりますが、「強さ」といってもいくつかの意味が含まれます。激流にもまれても壊れない破壊強度、長持ちする耐久性、そして靭性、表面硬度などなど。このように形容詞にも階層構造があり、われわれの言語構造(価値)がそのまま物質のプロパティに対応してくるわけです。逆に言語が変わればプロパティも変わってしまいますから、物質に何を見出すかはわれわれの言語の開発にもかかわるということが言えるのです。
開発当初はセルロイドやシリコーンなど、種類が少なかったプラスチックも、今や破壊強度が非常に高くなったポリカーボネートや再生産が何度でもできるポリプロピレン、生分解性を備えたプラスチックなど、ヴァリエーションを増やし続けています。建築家はシリコーンとポリカーボネートの違いくらいは認識していると思いますが、それぞれの違いを正しく認識している人はどれほどいるでしょうか。われわれがFRPと呼んでいるものを見てみましょう。FRPはこの図のようになっています[図8]。プラスチックはいろんなものを抱き込んでひとつの新しい塊に変える性質があり、何を抱きこむかによって呼称が変わります。ガラス繊維を抱き込んだGFRP(Glass Fiber Reinforced Plastics)がその代表です。最初から与えられるものとしての材料ではなく、目的に応じて混ぜ物をし、新しいFRPをつくるという状況です。実際に各社がさまざまなFRPを開発しており、命綱や先ほどのカヤックなどでも使用されている「ケブラー」を使ったFRPなどは、比強度においてジュラルミンや高張力鋼などを凌駕しています。建築家には鉄より強い素材はないという感覚がありますが、実際にはFRPのほうが強度が出ることもあります。例えばこれは、FRPでヘリコプターの羽をつくっているところです[図9]。ヘリコプターの羽には斜めの角度にせん断力がかかるので、その方向に重点的に繊維を入れてプラスチックで固めています。想定されている方向の力には非常に強いのですが、それ以外の方向の力に対しては弱い。映画などで銃弾が当たっていきなり墜落してしまうシーンがありますが、そういうイメージです。つまり材料自体が設計対象になっているということですね。建築の世界の外に出てみると、ある均質な連続体としての材料というイメージはもうなくなっているという事実を目の当たりにします。このあたりの話はジャン・ボードリヤールの『物の体系──記号の消費』(宇波彰訳、法政大学出版局、一九八〇)にも若干出ています。いわゆるインテグレーション(集積化)ですね。インテグレーションの効用は、複数の機能をひとつの素材で実現し、軽くすることにあります。それにはマイクロ・コンプレクシティという方向性もあります。これは最近発明された「DMD」というプロジェクターの素子です[図10]。蟻の足の先の毛くらいの非常に小さなスケールの鏡が一枚単位で微妙に回転することにより映像をつくっています。私たちが素材として認識しているスケールが、さらに細かいフォルム(形相)によって構成されているという逆転現象が起きていて、素材における自然性よりも人工性のほうが深化しているという感覚が生まれてきています。『The Material of Invention』ではこのような素材の複雑性の変遷を指して、前産業時代の「enforced complexity」から物理科学の進歩による「controlled complexity」へ、そして現在は「managed complexity」であるとしています。歴史のはじまりにおいて、主たる素材は木・石・骨・角・皮の五つでした。一九〇〇年の時点では一〇〇種類にも満たなかった自動車の素材が、今は四〇〇〇種類を越えています。つまり複雑性、人工性の深化が増し、素材の履歴とエントロピーがどんどん増している。そこでは高度な人工性が限りなく自然に接近します。準自然「quasi natural」とでも呼ぶべき状況です。もはや現象としてしか素材は表われなくなってきた印象です。
前回、紹介したH&deMの『Natural History』のなかに、「Chinese Scholarユs Rock」という中国の石の話がありましたが、H&deMはこうした自然と人工の境目がなくなっていくような物質観を伴った建築をつくっていると思います。
さらに既知の素材であってもそのプロパティを再発見すると、新しい素材のように扱うことができます。いくつかの建築・デザインの例を挙げたいと思います。倉俣史朗のアクリル四本足角型テーブルです[図11]。色の違う二色のアクリルが接していますが、屈折率に差がないため光が直進し、屈折面が現われてこないため、密度分布のようなヴァーチュアルな表情を獲得している。これはアクリルというものの性質を分析し、屈折率という現象を研究して到達した作品だと言えるでしょう。妹島和世の《横浜デイケアセンター》[図12]ではフロートガラスの性状を見つめ直し、透明ではあるが厚みがあるのだから、その厚みの表裏を使えばこういうモアレが起こせるという発想かと思います。これも同様に、物質のプロパティを捉え直した作品です。前回の素材の話をまた別の角度から考えると、以上のような、物質そのものの科学的な性質をもう一度分析し直すという視点を見出すことができると思います。

1──エアロ・ジェル  ©NASA  99.8パーセントが空気 出典=http://stardust.jpl.nasa.gov/images/technology/aerogelhand.jpg

1──エアロ・ジェル  ©NASA
99.8パーセントが空気
出典=http://stardust.jpl.nasa.gov/images/technology/aerogelhand.jpg

2──Ezio Manzini, The Material of Invention: Materials and Design, the MIT Press, 1989.

2──Ezio Manzini, The Material of Invention: Materials and Design, the MIT Press, 1989.

3──セラミック・タービン 出典=Mutant Materials in Contemporary Design, The Museum of Modern Art, New York,1995.

3──セラミック・タービン
出典=Mutant Materials in Contemporary Design, The Museum of Modern Art, New York,1995.

4──超音波溶着によるアクリル製カップ 出典=Mutant Materials in Contemporary Design, The Museum of Modern Art, New York,1995.

4──超音波溶着によるアクリル製カップ
出典=Mutant Materials in Contemporary Design, The Museum of Modern Art, New York,1995.

5──ステンレス・スチール・クロス 出典=『SD』1999年05月号(鹿島出版会)

5──ステンレス・スチール・クロス
出典=『SD』1999年05月号(鹿島出版会)

6──ブラウンのシェーバーの握り 出典=Manzini, The Material of Invention.

6──ブラウンのシェーバーの握り
出典=Manzini, The Material of Invention.


7──ケブラー製カヤック 出典=Mutant Materials in Contemporary Design.

7──ケブラー製カヤック
出典=Mutant Materials in Contemporary Design.

8──複合材料の構造 出典=日本複合材料学会編『おもしろい複合材料のはなし』日刊工業新聞社、1997

8──複合材料の構造
出典=日本複合材料学会編『おもしろい複合材料のはなし』日刊工業新聞社、1997

9──ヘリコプターの羽 出典=Manzini, The Material of Invention.

9──ヘリコプターの羽
出典=Manzini, The Material of Invention.


10──DMD   ©Texas Instruments Incorporated 出典=『SD』1999年05月号(鹿島出版会)

10──DMD 
©Texas Instruments Incorporated
出典=『SD』1999年05月号(鹿島出版会)

11──倉俣史朗《アクリル4本足テーブル》 出典=『倉俣史朗の世界  Shiro Kuramata, 1934-1991』(原美術館、2000)

11──倉俣史朗《アクリル4本足テーブル》
出典=『倉俣史朗の世界  Shiro Kuramata, 1934-1991』(原美術館、2000)

12──機能傾斜性継手  銅管からステンレス管への機能傾斜材料 出典=『SD』1999年05月号

12──機能傾斜性継手
銅管からステンレス管への機能傾斜材料
出典=『SD』1999年05月号

討議 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝

今村──今日の話で二つのことを感じました。ひとつは、いわゆる遺伝子組み換えにも通じるテーマだということ。昔は羊といったらそれ固有の生態がありましたが、今やクローンが生まれ、さまざまな生物が遺伝子組み換え操作の対象になっています。必然的に生物という素材についても議論は及ぶでしょう。もうひとつはインテグレーションの話です。以前のようにラーメン構造の計算をし、箇所によってモーメントが異なっても一番安全な数値で全材料を統一するという結果をだしていたものが、今はコンピュータにより応力分布を解析し、部位ごとに最適な量の材料で構造体をつくりえる状況がうまれています。ですから、構造の分野ではインテグレーションは前提条件に入ってきていると思います。ただプロパティの可能性を実用レヴェルにまで押し上げるためにはシミュレーションを繰り返す環境が必要ですから、生産面で追いつけないという事情もあるのではないか、ということです。
今井──本当のところはそう思います。でもすでに言いましたが、私は新しい物質観がもたらす、これまでと違うフェーズの建築に興味があるのであって、生産性を高めたハイテク製品に魅力を感じているわけではありません。例えば、伊東豊雄さんの《TOD'S》は先ほどの最適解のみを求めるヘリコプター翼の設計姿勢と手法は似ているが戦略が大きく違いますよね。高度に設計された素材を使うことも考えながら、「コンクリートとはこういうものだ」というような膠着した感覚から自由になることが必要なのではないかと考えているわけです。
日埜──バイオテクノロジーとの関係で一言いいでしょうか。バイオテクノロジーが抱える問題のひとつは宗教的世界観とどう折り合いをつけるかということです。結局は神が創造したもうた生命に手をつけるということに対する軋轢ですね。先ほどアリストテレスの頃からメンデレーエフまで物質観にはさほど変化がないというお話がありましたが、その背後にも類似の問題があるような気がします。アリストテレスにはキリスト教的な世界観とは異なる古代ギリシアの神話的世界観があり、メンデレーエフの場合は逆に神の秩序が物質に内在しているはずだという確信によって周期律表の秩序に導かれたわけです。あるいは先ほどの素材に関する年表に錬金術のことを付け加えても良いんじゃないかと思うんですが、錬金術の背後にもやはり異教的な神秘思想があったわけですね。そのような宗教的、思想的なバイアスにおいて僕らの物質観が成り立っているということは、今も変わらないのではないでしょうか。先ほどの機能傾斜材料のお話はとても面白いと思うのですが、そういう自然にはありえない新しい物質を建築においてどのように使うのか考えるときに、それをどのように受け止めるべきかイメージさせる世界観がわれわれに欠けているのかもしれません。エアロ・ジェルは性質的には断熱材との一種と考えることができるということですが、そういう既知の枠組みに定位させてしまうとその新しさのポテンシャルを取り逃がしてしまうような気がします。それを正確に扱う言葉とか、ものの考え方が必要なんでしょう。今井さんがおっしゃっていた「形容詞」によって物質を捉えるという話もこのあたりと関連しているのでしょうが。
今井──一年ほど前に青木淳さんが講演でおっしゃっていて納得したのですが、《LOUIS VUITTON 銀座》はエアロ・ジェルのイメージが発想源のひとつになっていたようです。モアレにより境界をぼかして全体のヴォリューム感を浮かび上がらせるようにするというイメージはエアロ・ジェルの曖昧な境界のような状態に通じる部分がある。つまり人は、既成の感受性を超えた物質が持っている跳躍力にすがることによって別の到達点に行けるのだ、ということではないかと思いますが、それは僕も同感なんですよね。日常のなかで自分が整理できる物質だけに向き合っていると、やはり結果がわかっている物しかできない。それでは進歩がないので、未知の物質を発見的に分析してみて、少しでも自分の物質に対しての感受性を高めるように開発していくのが一番生産的なのではないかと考えています。
今村──いろいろ考えさせられますね。例えば、ブロップは概念上どんな形もつくることができますが、奇抜な形をつくっても驚くだけだと。それが一番の批判になっているのですね。それによって建築の様相がどう変わるのかというターゲットが設定されない限り、理解を得ない限りは、結局はこんな形ができました、ああすごい、と驚くだけで終わる。それに素材の話も似ているのかもしれないと思いました。
加えて今井さんにお聞きしたいことがあります。建築がアートと違うのは、発想と完成に時間的な差異/遅延があるということです。そこには何重かの意味がありますが、図面から竣工のタイムラグ、それから完成した時にそれが発想通りにできているかという問題もあれば、例えば施主が三年の間に飽きてしまうということもある。建築では、この差異/遅延という問題は非常に大きいと思っています。自分でノミをふるって形をつくる彫刻家と根本的に違うところであって、例えば模型をつくる時にも感じるわけですね。自分がつくるにしろ他人につくってもらうにしろ、ひとつ段階が入ってしまうわけです。そしてその模型からさらに発想する、という遅延がある。もちろん遅延と同時に思考のジャンプも訪れ、時間を圧縮することも起きます。つまりわれわれに発想と物質の間の差異/遅延を減らして時間のエコノミーを課題にせざるをえない──場合によっては模型を工場に発注して一カ月後にそれを見てスタディする──ということが示すように、われわれは今の即時的な時代環境に比してものすごいプリミティヴな仕事の仕方をしているような気がするんですよね。今井さんはこの点をどう思われますか?
今井──プリミティヴですよね。でも形が即座にシミュレートできるというのは結局エイドスの話でしかないじゃないかと、私は疑ってかかっています。
今村──でも素材創造とは商品開発ですから、エコノミーはクリアすべき大きな課題ですよね。現在超高層ビルが二年でできてしまうなどの状況はやはりエコノミーからの要請が大きいわけです。
今井──FRPの設計は有限要素の解法ですから、コンピュータで即座に解析できますが、建築のように純粋な有限要素とは言えない目的の場合はやはりトライ・アンド・エラーが伴うのではないでしょうか。建築は単なる性能設計とは違うわけですよ。
今村──そのような議論は当然あるでしょう。例えばブロップ建築家たちは模型をつくるよりよっぽど早くコンピュータで3Dをつくる、と言うわけですよ。自分が発想したと同時にスクリーン上に3Dが現われて、そこでヴァーチュアルに体験できるから、そのスピード・レヴェルでは模型づくりと比べものにならないと。僕のように不器用な人間には実感がもてないのですが。でも事実、誰かに「こういう模型をつくってくれ」と指示する時には、その人は具体的な指示を受けないとつくれないわけですから、どんどん段階は増えていきますよね。ただどの場合でも、人間は出現した形に対して良/悪、美/醜などの判断に時間をかけ、おそらくその時間だけは縮めることができないでしょう。素材開発がもたらした即時性によって形になるまでのプロセスがさまざまに変化することは想像の範囲ですが、美学的に正しいとかコストに合うとかとは別に、早くつくれるということ自体が必ず価値になるわけで、そこが曖昧な領域に持ち込まれてしまいそうな気がしてなりません。
今井──素材開発の最大の課題は、工場を空けて抱えておくことができるかという問題かと思います。でも、建築がそんなにすぐにできたら面白くないじゃない(笑)。
吉村──先ほど今井さんは、形が即座にシミュレートできるというのは結局エイドスの話でしかないのではないかとおっしゃったけれど、話を聞けば聞くほど、今井さんが興味を持っているのは質料なのか形相なのか、だんだんわからなくなっていくような感じがします。今井さんの眼差しは、素材を形相的に眺めていると言うべきなんじゃないか。ヒュレーというのは当然素材という意味も含みますが、例えば漠然と壁だったものを構造と開口に分解していくというような、「一」を分解して「多」を取り出す要素主義的な視線だとも言えると思います。そのように考えると、僕には近代建築というのはむしろ質料へ向かうヴェクトルと見えて、逆にそれをふたたびインテグレートするとか、関係付けて眺めるという行為は形相へと向かうヴェクトルに属するように思うんです。だから、今井さんのお話は迂回しながらも質料への眼差しを導く、ちょっとした意図を含んでいるように聞こえてしまう。
今井──そういうふうに思っていただければ今日の話は成功だと思っています。質料のなかに形相的な幾何学が潜んでいたり、形相のなかにも質料的な部分が見えてくるという、質料/形相が互いに行き来しあえるような、あるいは膠着的な概念を一度撹乱させるような状況が示せればいいと思うんです。それを非常にうまくやっているのが《IBM巡回パヴィリオン》などでのレンゾ・ピアノだと思う。どちらかというと質料のなかに形相的な幾何学を見出す、ということをテーマに考えているのかと思います。
吉村──素材開発の最先端では形相と質料の違いが不明瞭になったり、場合によってはすっかり入れ替わっているような事態も起こりうるのでしょうね。確かにその状態には可能性を感じます。ただ僕には、そのことと建築の分野で起こっていることのあいだにはずいぶんと開きがあるようにも見える。ピアノの《IBM巡回パヴィリオン》はその溝を埋めてくれるのでしょうか。
今井──プラスチックという素材をうまく利用し、開口部と構造(梁)という分節が成立しない、分節を超えてしまっている建物ができていると思います。開口部であり構造材であるというインテグレートがプラスチック上で起きていて、質料の力を使って形相を克服しているように僕には見える。まるっきり新しいアッセンブルを得ていますよね。またプレストレスの入った石のアーチでできた「Padre Pio Pilgrimage教会」のプロジェクトなどを見ると、石の持っている可能性を分析してあそこまで解き放つというのは、普通の人のイマジネーションでは及ばないだろうと思ってしまう。そういうのを見てしまうと私たちとどんどん差が開くばかり、追いつけないなという感じがしてきてしまう(笑)。ただそこから撤退するというのはちょっと考えられないので、少しでも追いつきたいと思います。
今村──そのお話は理解できますが、しかしわれわれが今日啓蒙されて明日から発想を変えようと思っても難しいですよね。建築においてはきっと、生産の問題をのぞいたとしても、コンクリートが徐々に木に変わるというようなインテグレートはできないでしょう。制度的な問題が大きいですよね。JISもあるし、建築基準法などの法規もありますから。
今井──ストラクチャーに関わる部分でいきなりインテグレートをやるのはかなり難度が高いですが、逆にストラクチャーに関わらないところだったらできます。
今村──だからみんなファサードから手をつける。
今井──最近のブティック建築では《TOD'S》は大変だったと思うのですが、それ以外のものはほとんどそういう流れで行き着いているのではないかと思います。
今村──《カルティエ財団》や《デイケアセンター》、今井さんの《笠岡ラウンジ》などはいずれも実質的にガラスの質自体を変えているわけではないのですが、これらも含めて、無意識にも時代とパラレルな発想をしている結果できた建築ではないかと思わせるものがたくさんあります。必ずしも素材自体にラディカルな変化が起きなくても、多くの建築家がそういうことを目指しているのではないか。
今井──そういう願望が根底にあるのではないかと思います。
今村──建築界にそういうトレンドがあるからということではなく、遺伝子組み換えもそのひとつだと思いますが、さまざまな社会的変化が世界的に起きているなかでの傾向だと思いますね。
今井──時代とパラレルな発想ということで言えば、例えばライトの有機的建築の時代では、有機的とは言ってもパーツ自体の内部は均質だったわけですが、今ライトが生きていて有機的建築をやると違った手法になるのではないかと思います。
今村──現代のパーツ設計というとすぐにCADのイメージが浮かびますが、CADのもつヴァーチュアリティとマテリアリティは単純な対概念ではなく、逆にヴァーチュアルとマテリアルは相互に強く意識されていると思います。
今井──マテリアルの中に形相を見出し始めると、重要なのは結局、結晶構造なんですよ。私たちが『SD』で「特集=挑発するマテリアリティ」(一九九九年五月号)をやったときは「準自然」で整理されたのですが、その前に同じく『SD』が別の素材特集を組んだ時には、「素材はストラクチャーだ」というところで整理されていました。つまり、結晶構造を構成している分子の球は何でもよくて、結晶構造のトラスの形が素材だ、という認識ですね。
日埜──結晶構造だとかトラス状の物質の構造だとかが、ひとつの素材性と見なしうるというお話はよくわかります。
今日話を聞いていて二つほどなるほどと思うポイントがありました。ひとつは、複合材料においては素材のつくり方自体が新しい素材をもたらすということ。もうひとつは形容詞によって素材を捉えるという話です。素材の成分や化学式などとは別に、むしろ素材は「柔らかい」とか「軽い」などの物性によって捉えうるという見方ですね。この二つはそれぞれ面白い観点だと思いますが、おそらくそれは結局のところ物質に先立つ視点と物質を後から見る視点なのではないでしょうか。例えばセメント自体はローマ時代からあったわけですが、そこに鉄筋をコンポジットする鉄筋コンクリートの工法が考案され、RCという新しい「素材」が発明された。そしてさらに《TOD'S》やトラスウォールのようにさまざまな応用が出てくると、もはやRCに対するありきたりの形容は必ずしも適当ではなくなる。コンクリートというのは非常に古典的な材料だけれども、工法の変化によって素材そのものが変化している。素材の弱点を補うための工夫や形をつくる工法などに応じてその現われ方はまったく異なったものとなり、もはや違う素材と言ってもかまわない、というわけですね。
今井──今日の話を前提に建築家としての実感をひとつ挙げると、RC造では鉄筋のモチアミっていうのがありますよね。あれはすごいストレスなわけで、モチアミでないものを差し込んで打ってみたらどうなるのかということを、構造家ではなく建築家がデザイン対象として捉え直したほうがよいのだ、ということに繋がるはずです。
日埜──《ラ・トゥーレット修道院》の礼拝堂のキャノン・リュミエールの廻りには、応力方向に沿った配筋がされていたはずです。当時の規格化が未成熟な施工体制においてはこうしたことは珍しくなかったのかもしれませんが、そうしたことは手間がかかり、生産性に劣るために行なわれなくなっていったのでしょう。しかし確かにそのような変化とともに見失ったものはあるのかもしれません。
今村──今福岡で工事が進んでいる伊東豊雄さんの《緑の建築》では、大部分が普通に配筋され、一部施工が難しいところだけトラスウォールを使っているらしいですね。全部が一体に見えながら途中で構造が完全に変わっている。先の機能傾斜材料のようで、それは面白い柔軟な発想だなと思います。
今井──ジャン・ヌーヴェルの「無限の塔」は下方が石で上方がガラスの建築をイメージしています。実際つくるときには結局パネル割りをして、ガラスと石の境界がはっきりしてしまうと思いますが、そうではなくあの通りのものが完成したら本当にすごい。
今村──近年の技術進歩がヴァーチュアリティとマテリアリティを近い関係にしているという話をしました。最近ちょうど、アーキラボやアーキグラムが展覧会をやっていますが、アーキグラムの人たちと話していて面白いことに気づきました。一九六〇年代、アーキグラムは「ペーパーアーキテクト」と呼ばれていましたが、近年のアンビルト系の若い建築家は呼称が変わって「ヴァーチュアル・アーキテクト」と呼ばれますね。つまり昔は紙に描くだけで建たない建築は一般の人からナンセンスと言われ、判断停止に陥るのが関の山だったのですが、今は一般の人も日常的にパソコンなどを手にしているから、建築のヴァーチュアリティにまったく抵抗がない。そこが非常に違う、というわけです。マテリアルに対する感受性に変化が起きているのは当然と言ってもよいでしょう。
日埜──マテリアルのほうで言えば、六〇年代後半のイギリスでは新素材としてのプラスチックの使用例が結構ありますね。例えばリチャード・ロジャースやジェームズ・スターリングでそういう例があったはずです。
今村──スミッソンズが展覧会用に《フューチャー・ハウス》というのをつくりました。コンセプトは全部プラスチックでできている、ということでしたが、実際は木にペンキ塗って「プラスチックとして見てください」と言うもので(笑)、当時はプラスチックでは模型もつくれなかった。でも感受性は時代に沿って進行していて、二五年後くらいにはみんなプラスチックの住宅に住んでいるだろうというところからきているわけです。
今井──今やユニットバスはほとんどがFRPですが、六〇年代後半にジョー・コロンボがFRPのバス「Total Furnishing Unit」をつくりましたね。だからそれ自体で建物をつくってしまうという発想はなんら不思議でない。ただやらないだけです。たしかにプラスチックに対しての感受性は、その当時、五〇、六〇年代くらいから急激に増大したと言えるでしょうが、実用的に普及したのはここ二五年くらいではないかと思います。僕は市場にあるユニットバスというものに特別な思いがあって、あれは変えたほうがいい、もっとできることがあるとずっと思っているんです。
吉村──デザインの完成度はさておき、欧米人が日本のユニットバスに異常な興味を示すことってありますよね。でも現状だと新素材系の量産品の場合、在来以上に制度が障壁になる。法規にはじまり保証やメンテ、もちろん風呂の入り方も。法整備の遅れている国のほうが建築が大きく変化する可能性があるのかもしれない。
今井──ストラクチャーをいじろうとすると必ず法規の話になりますよね。プラスチックが使えるかどうかは防火地域かどうかで決まりますが、防火地域でも使ってよい木の外装材ができていますから、燃えないプラスチックも時間の問題ではないでしょうか。
日埜──考えてみればそういった工法を国が認定する制度というのは不思議なものですよね。おそらくドイツがつくった制度が原型で、近代工業を育成する時期にはそうした標準化が要請されたのでしょうが。
今井──単純計算すれば、一〇倍の強度がある鉄があれば、柱なんか一〇分の一の厚みになるわけですよ。それが実現しないのは生産ベースにないとともに法規があるからです。ですから、例えば海外には断面がハニカムで長大スパンのFRP橋などがあります。ただ燃えてしまう。そこに対する考え方の違いですよ。燃えていれば渡らなければいいわけで(笑)。法規の問題として、国外に出たほうが都合がいいことも多いのかもしれない。

会場A──今日の討議は、素材をミクロからマクロまでのさまざまな視点で見て、それを発想の源として新しいベースの建築観をどう構築するかということだったと思います。そのなかで今井さんが一番力を入れたのはインテグレーションの話だったと思うのですが、そのほかにエコロジカルとかサステイナビリティという概念が建築で話題になっていますよね。インテグレーションによって素材が分離不可能になっていくことと、エコロジカルということは相反すると思いますが、このことに対してはどのようにお考えでしょうか。
今井──確かにそれは弱いところです。スチールなどの単純で編まれていない物は分離しやすくリサイクル可能でしたが、インテグレーションによって分離不可能にされた素材は、壊して捨てるときには全部産業廃棄物になってしまいます。そういう意味からするとインテグレーションは正しく時代に逆行するものなのですね(笑)。だけどインテグレーションされ、分離不可能になっていくほど、便利になる。これは事実です。
今村──でもパソコンはリサイクル法の対象になって、メーカーはどうリサイクルするかを考えながらつくっているわけですよね。
今井──それも技術の問題なのです。インテグレートされたものをいかに分離するかということをセットにして開発しようとしている。BMWでは車のバンパーなどの非常にインテグレートされた部品をどうやって分離するかということも一緒に研究しています。このような姿勢が示すように、インテグレーションはある意味で反エコロジカルと見なされるところがあります。もっと身近なところで言えば、牛乳パックや菓子袋の表面にはプラスチックが付着しているので分離できず、チップに断裁して全部ゴミ、という事態になっています。現代社会は複合材料だらけですから、処理問題をどう解決できるかが課題ですが、それによってインテグレーションが全面否定されてしまうということでは進歩がない。分離技術と複合技術をセットで一緒に開発してほしいですね。

会場B──神の秩序に支えられた世界観という話がありましたが、安定した感覚が変わっていくことへの違和感は未だあると思うんですよね。ただ、新素材の探究が進み、身の回りの物質世界が変化していくとともに、確かに感受性も変わっていきます。そのときに「良い素材は良い世界をつくる」という保証のようなものがあれば抵抗感は軽減すると思うのですが。
今井──それはアンドロイドが生み出されたときに人間はどうするのか、という命題と似ていると思います。例えば現時点で、移植治療のための人間の耳を、ネズミの背中で育てるということをやっていて、その過程ではネズミの背中からドーンと耳が生えているという不気味な生体ができているわけです。これについては世界中で議論されているものの、そこに是非を支える倫理があるわけではありません。医学的に必要であれば、反神学的なことであっても人間はやるのではないか、というのが私の感覚です。神を考えたのも人間だから、それは超えてもいいのではないかという感じでしょうか。
日埜──極端な話、ウランが発見されることで原子爆弾ができたことを考えてみてはどうでしょう。原子爆弾が非人道的だといっても、ウランを精製すること自体が問題なのではない。ともあれ原子爆弾を持ってしまったときにそれをどう扱うか考えるしかないわけです。こうなるとそれは倫理の問題というより政治の問題でしょうが、少なくともウラン精製の是非という問題設定はやはりナンセンスです。それと同様に新素材はどんどん開発されるだろうけど、そのこと自体はつべこべ言ってもしょうがなくて、それをどう使うのか、それによってなにが実現できるのか、あるいは大げさに言えばそれに人間が耐えられるのか、そういうことが問題なのだろうと思います。
[二〇〇五年二月三日]

素材開発史年表  作成=今井公太郎

この年表は、人類が手にした新しい素材、それに関する事件など重要なものを羅列したものである。
これは人類の素材開発が決して順調に進んできたことを示すものではない。中世の錬金術の時代には、化学は潜在的に進歩してきたと思われるが、爆発的な進歩が開始されたのはメンデレーエフが周期律表を見出してからである。最近の150年程度の浅い歴史において、人類は未曾有の大マテリアルワールドを突如体験しはじめたといえる。

>今井公太郎(イマイ・コウタロウ)

1967年生
キュービック・ステーション一級建築士事務所と協働。東京大学生産技術研究所准教授。建築家。

>今村創平(イマムラ・ソウヘイ)

1966年生
atelier imamu主宰、ブリティッシュ・コロンビア大学大学院非常勤講師、芝浦工業大学非常勤講師、工学院大学非常勤講師、桑沢デザイン研究所非常勤講師。建築家。

>日埜直彦(ヒノ・ナオヒコ)

1971年生
日埜建築設計事務所主宰。建築家。

>吉村靖孝(ヨシムラ・ヤスタカ)

1972年生
吉村靖孝建築設計事務所主宰。早稲田大学芸術学校非常勤講師、関東学院大学非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>レンゾ・ピアノ

1937年 -
建築家。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ主宰。

>ジャン・ヌーヴェル

1945年 -
建築家。ジャン・ヌーヴェル・アトリエ主宰。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>リチャード・ロジャース

1933年 -
建築家。リチャード・ロジャース・パートーナーシップ主宰。