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ズーム・バック・イン・トーキョー | 塚本由晴
Zoom Back in Tokyo | Tsukamoto Yoshiharu
掲載『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築, 1998年08月10日発行) pp.92-94

以前渋谷駅に近い明治通り沿いのスパゲティ屋の上に、バッティングセンターの篭が乗り上げたような建物があった。脇の坂を上がると二階部分にあるバッティングセンターの入り口で、敷地奥から明治通りめがけて打つようになっており、奥行き一・八メートルぐらいのスパゲティ屋の客席は、間口いっぱいに広がって路上で食べる臨場感があった。スパゲティ屋とバッティングセンター、あるいは建築と構築物と地形がひとつに組み合わさっている意外さは、こだわりがなくて自由に思えた。これ以外にも、生コンプラントと社員寮、鉄道高架と電気街、高速道路とデパートなど、よく考えてみれば変な組み合わせの建物(?)を見つけては、何か考えるに値する材料だと感じていた。これらの無名の建物は、海外から帰るとしばらく持続する「やっぱり東京は変だ」と思うあの感覚を言い当てていて、「東京」をうまくイメージさせてくれるように思われたからだ。これらの建物を写真にとり、配置図や構成ダイアグラムを描いたサーヴェイが〈メイド・イン・トーキョー〉である★一[図1]。いやサーヴェイというよりは、誰かが作った無名の建物を勝手に自分の作品に仕立て上げるスタディ・プロジェクトといったほうがいい。集められた建物は、どれも東京では当たり前の建物であり、スペースが余ったからあれもこれも詰めこんでしまえという欲張りな実利主義が極端な形で表われているものの、街に埋没していて注意しないと見えてこないような地味な建物である。それらは文化的・芸術的な価値観ではまったく評価できない「ダメ建築」なのだが、鉄道などの土木構築物と一体化してどこまでが建物の全体なのかわからないものや、必要とされる広さや形状の類似だけで何の脈絡もなくスーパーの屋上に自動車教習所を載せたものなどを見ると、改めて東京という都市が具体的にイメージできるような気がする。それらは「ありうべき」とか「理想の」とか「新しい」といった形容詞に要約されることなく、ちょっと常識的でないただひとつの例を示すだけで、建築や都市を自由に考える材料を与えてくれる。しかしこれらの建物は決して何かを表象しようと考えて作られた建物ではない。おそらく意図されてないことが、逆説的に建築が成立するための境界条件をストレートにトレースすることを可能にし、東京を顕在化させることにつながっているようだ。このことは使うために作ることが、同時に何かを表象する行為になってしまうという、建築に仕組まれた二重性に触れている。

1──〈メイド・イン・トーキョー〉 ハイウェイデパート © T.M.I.T

1──〈メイド・イン・トーキョー〉
ハイウェイデパート
© T.M.I.T

環境ユニット/ズームバック

なかでも面白い特徴は、これらの建物はそれを取りまく環境と混ざり合って成立しているために、建物以外の要素との関係を持ち出さないと語ることができないことである。したがって〈メイド・イン・トーキョー〉を観察すること自体、建築を捉える目に大きな変化をもたらす。建築を考えるときの全体が、建物だけでなくそれを取りまく環境にまで拡大されるのである。これがズームバックである。そこに見出されるひとつの有意義な環境のまとまり=「環境ユニット」に注目すれば、建築/土木/造園、あるいは自然/人工といった切り分けが、ただの形式的な切り分けに思えてくる。建築とそれ以外のものの境界は、建築というカテゴリーによって自己言及的に統制されているだけなのだ。もはや「建築は建築である」という近代にある種の熱気を与えた自己言及の呪縛はなくなる。それに代わるのが、「建築は環境に依存すると共に、環境も建築に依存する」という建築と環境の相互依存である。この「環境」を「都市」に置き換えれば、西欧のコンテクスチュアリズムと接続するかもしれない。しかし事はそう簡単ではない。東京の建物は、歴史的建造物や前世紀から続くアパルトマンに隣接して建つのではない。いつ壊されるとも知れない住宅や木賃アパート、バッティングセンターやパーキングタワーが、建築的なスケールを逸脱した高速道路や鉄道の高架に隣接して建つのだ。しかも建物によって街路空間や広場が明確に規定された西欧的な都市からすれば、東京の郊外都市域は、要素だけが決められていてもそれらの配列については無関心の「半都市」といえるかもしれない。こうした流動的な環境においては、建物を作ることは容易でも建物と都市の関係を作ることは困難を極める。だがこの困難が、建物と都市の関係にこれまでとは違った角度から光を当てているように思う。なぜなら、都市環境から一方的に建築が定義されてしまうほど、都市環境の方がはっきりとした輪郭を持たないがために、建築の方からその読み方を示してやらねばならない事態がおこるからだ。

住宅地の中での住宅の「建ち方」

そういう考え方の中で作られたのが《アニ・ハウス》(一九九七)である。隣地と壁を共有することのない日本の建物の隙間に生じるデッド・スペースは、窓の開け方などを経由して内部空間の構成にまで大きな制約を加えている。あまり大きいとは言えない《アニ・ハウス》の敷地やその周辺の住宅地もその例外ではない[図2]。また敷地周囲に塀を巡らしたり、周囲からの視線の存在が分かるように遮ったり、北側斜線に対応して形を決定したりする戸建て住宅の常套手段は、この周辺環境の現実を過度に定義付けてしまうことになる。こういうことを、戸建て住宅を考える材料としてフレームアップし、デッド・スペースをなくして住宅内部の構成により大きな自由度をもたせたい。敷地境界や地面に対する建物の配置を様々に検討した結果、境界から二〜三メートル引きを取った敷地中央に建物を小さく建てる「建ち方」が導かれた。この敷地境界との関係がそのまま内部の各層=各室の性格を決定するように、北側斜線を避けて半階分地下に沈められた一辺六メートル四方のキューブは、内部を二枚の床で断面方向に三等分されただけの立体的なワンルームとなった。このように敷地境界線、地盤面、隣地の建物、前面道路などとの構成関係によって内部空間の性格を決定することは、逆に言えば内部空間の性格を決定する目的のために、これらの既存の環境要素をひとつの構成関係に組み入れ、改めて配列しなおすことだといえる。つまり内部空間を差異化し、特徴付けていくスキーマは、同時に周辺環境を読む形式スキーマを含んでいるのである。

2──《アニ・ハウス》 photo=塚本由晴

2──《アニ・ハウス》 photo=塚本由晴

建築と環境のインタラクション

東京のような都市では、建築のデザインを決定する際に建築と関係付けられることによってはじめて環境としてフレームアップされる要素や事柄との関係によって建築のデザインが決定されるという、高度なインタラクションを掴む必要がある。このインタラクションに軸足をおかない限り、デザインの結果と、それに関係付けられる項目との間の相関関係をコントロールすることはできない。環境というものは、常にこちらが投げ入れる形式スキーマによって変形されるものであるし、こちらが投げ入れるスキーマも環境によって変形される。この双方向性は、自律性でも他律性でもない、第三の建築のあり方を示している。環境と建築のそのどちらかに軸足をおくのではなく、両者のインタラクションに軸足をおくのである。これは建築と都市、建築と環境の関係に限らず、現代の表現行為にとってひとつの批評的なポジションである。
建築と都市環境の相対的な関係から建築を語るやり方は、建築のアカウンタビリティを高めてくれる。建築は都市との関係から観察されることによって、より語りやすいものになる。しかし、その線で建築を作ることは必ずしもリーズナブルなことではない。それはひとつの建築を通して都市を語る、荒唐無稽な試みに繋がるからである。そういう容易には埋めることができない溝を抱え込むことが、建築にある種の過剰さを与える。が故に「建築」と「都市」という組み合わせは常に魅力的なのだと思う。


★一──〈メイド・イン・トーキョー〉は貝島桃代を中心に、黒田潤三、塚本由晴ほかが行なっている、東京の都市建築のスタディ・プロジェクトである。一九九六年度の《アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー》における貝島桃代の展示を皮切りに、一九九七年にはチューリッヒでも展覧会が開かれた。一九九七年度の東京工業大学大学院での塚本担当授業における学生の調査によって幾つかの物件が追加され、一九九八年七月一日から以下のURLにて、アート・プロジェクトとしての〈メイド・イン・トーキョー〉が公開されている。
URL=http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/madeintokyo/

>塚本由晴(ツカモト・ヨシハル)

1965年生
アトリエ・ワン共同主宰、東京工業大学大学院准教授、UCLA客員准教授。建築家。

>『10+1』 No.14

特集=現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築

>アニ・ハウス

神奈川県茅ケ崎市 住宅 1998年

>貝島桃代(カイジマ・モモヨ)

1969年 -
建築家。筑波大学芸術学専任講師。塚本由晴とアトリエ・ワンを共同主宰。

>黒田潤三(クロダ・ジュンゾウ)

1968年 -
建築家、アーティスト。東京テクニカルカレッジ講師。