録音技術の普及
都市を音の響く場として捉え、さまざまな界隈で響く音の空間的な分布を、社会学的、経済学的、あるいはメディア論的な視点から分析し、パリを定点観測の軸として、都市や文化生産(消費)への理解の新たなとっかかりを見出そうというのがこのコラムの狙いであった。初回では音を囲い込み、より精度よく聴き手に向けて送り出す技術の発展と、そうした技術がパリという都市空間の変形生成自体と強く結びつき合っていたことを示した。連載二回目の前回は、レコード、発声映画、ラジオなどの近代メディア技術が、前述の都市空間を脱埋め込み化し、都市空間におけるシャンソンとジャズというような象徴対立を、ある種の腹話術を介してメディア空間内における対立に《増幅》していったことを指摘した★一。今回はもう少し時系列を広くとり、ローレンス・レッシグが最近各所で提示しているリードオンリー(RO)文化/リード・ライト(RW)文化というマトリクスを参考にして、音響場のあり方を分析してみたい★二。ただし議論の中心はデジタル技術ではなく、アナログ技術だ。円筒式蓄音器が蓄音起業家の活動を促したように、エンドユーザーによる書き込みが可能な音響技術は、録音技術の黎明期からあったのである。
ロックの世界支配とパリの拡散
言うまでもないが、ロックは一九五〇年代中盤のアメリカで「ロックンロール」として誕生し、六〇年代末期に「ロック」という英米を中心とした進歩的な音楽として世界を席巻し、七〇年代中盤の「パンク」登場とともに求心力を失ったとされるポップ音楽である。英米を中心とした文脈で、ロックは《革命的》音楽とされたが、フランスを含む非英米世界では、逆に抑圧的な音楽として生きられることも多かった。ロックは《革命的》であったかもしれないが、その正典が英語圏にある以上、その革命には聴き手としてしか参加できなかったのである。
この時代、音響技術は急激に発達した。まずはSPレコードよりも高性能かつ大容量のマイクログルーブ技術(LPおよびEP)が五〇年代に一般化する。また、同じ頃ラジオに加えて、テレビ放送が本格化してゆく。フランスでは大戦直後に放送が国営化されたが、ルクセンブルクやモナコなど隣国からフランス国内に向けてフランス語で放送する民放ラジオ局が出現し、数少ないロックの情報源となる。テレビは開局当初番組編成が硬く、大衆受けしなかったが、六四年から国民への娯楽提供を狙った国営第二テレビ局が開局し、盛んにポップ音楽を取り入れるようになる。
前回扱ったシャンソンやジャズに比べると、都市空間自体がマスコミによりさらに徹底的に脱埋め込み化、メディア化されている様子が見て取れるだろう。パリ自体、四〇年代末から七〇年代初頭までの高度経済成長期(よく「栄光の三〇年」と呼ばれる)の間に急速に拡大した。特に高度成長を支える工業地帯としてパリの郊外が急速に成長し、六〇年代にはメトロがパリ市外まで伸びたほか、六九年には首都圏高速鉄道(RER)が開通した。パリ首都圏の人口は一九四五年の四五〇万人から一九七五年には七六〇万人に増えた(同じ時期、パリ市の人口は二九〇万人から二三〇万人に減少している)。拡散した聴衆の耳元にロックを届けるには、テレビ、ラジオなどのマスメディアが不可欠だったのである。
ところで、仏製ポップ(イェイェ)は、ロック言説の英米支配に対するローカルな答だったのではないか、との異論もあるかもしれない。しかし、強力な一方通行の情報伝達力を持つマスメディアを使って散布されたという意味において、両者は共犯であった。ミニョンが指摘するように、当時の音響場は英米ロックと仏版イェイェによって席巻されており、「イェイェに自己投影できないものたちは英米ロックのほうを向く以外なかった」(Mignon 1991: 200)のである。市場は二分され、その狭間で自分たちの表現を行なおうとするアーティストには、全国デビューの道は閉ざされた。世界に響くばかでかい声にローカルな小声はかき消されてしまったのである。
カセット、海賊ラジオ、ワールドミュージック
ミニョンによれば、フランスにおける(英米)ロックの支配体制がゆるみ、再び身近な音楽に関心が集まり始めたのは七〇年代中盤である(前掲書: 201-2)。五月革命にピークを迎えた政治熱や、あまりにも大掛かりで洗練された英米スーパーグループの音作りに醒め始め、大人数によるフェスティヴァルよりはカフェやバーなどの小さな場所で、つまり、都市空間、あるいは僕が本論で何度か《路上》という言葉で示したような場所により深く根付いた音楽の媒介回路が見直されるようになるのだ。
この時期にカセットテープに代表されるエンドユーザー向けの安価な録音技術が普及したことは重要な意味を持っている。これにより、聴き手は作り手としてより積極的に自分の声を伝えることができるようになったのだ。ミニョンが当時のフランスのローカルシーンについて、「芸術家というよりは見習い職人的なイメージが受け入れられ、マネやパクリも許される」(201)ような気運があったと指摘しているのは興味深い。
カセットテープは、VCRとともに、高度経済成長期におけるパリ郊外の産業化(とパリ市内の脱産業化)にともなって労働力として流入した移民にとっても、同じかあるいはおそらくそれ以上に重要な技術であった。ハーグリーヴスによれば、VCRは八〇年代を通じて、移民世帯での普及率が人口全体での普及率をつねに上回った、数少ない家電製品のひとつであり続けた(Hargreaves 1997: 93)。安価な録音・録画技術の普及は、パリおよびパリ首都圏における移民コミュニティ(と、そこから漏れ聴こえる音)の形成も媒介したのである。
一方、ラジオ放送ではFM帯を使った海賊ラジオが急増し、パリの音響場に新しい声を伝えた。先述のように戦後フランスのラジオは国有化されており、また国外からの民放も電波到達距離の関係からAM帯のみを利用していた。これに対しFM帯は電波到達距離が比較的短く、都市、あるいはそのなかの特定のコミュニティに向けて声を伝えるには適していたのである。局の入れ替わりは激しく、正確な数字を把握するのは不可能だが、一九七八年にはパリだけで少なくとも五〇局の海賊ラジオ局が存在していた(Hare 1992: 29)。
海賊ラジオはまた、移民コミュニティにとっても重要な役割を持っていた。仏社会党のフランソワ・ミッテラン候補が八一年の大統領選で海賊ラジオの合法化を公約し、勝利を収めたが、当時公認された元海賊局のなかには、マグレブ系移民の声を伝えるラジオ局が多数含まれていた。新しいメディアを獲得した移民コミュニティは、アルジェリアのライやアンティーユ諸島のズークなど、フランスの旧植民地や海外領からの新しい音──やがて「ワールドミュージック」という都合のよいマーケティング用語に抱き込まれてしまう音──をパリの音響場に挿入してゆくことになるのである。
RW文化の脆さ
ローレンス・レッシグは、最近の活動のなかで、受け手が受け手としてしか活動できないRO文化と、受け手が作り手としても活動できるRW文化を対比させ、後者が文化的創造性を促進することを指摘し、そうした文化を可能にする制度作りの重要性を主張している。本稿では、そうした対比が、デジタル技術の普及する前の段階からあったことを例示するとともに、RW的な技術により媒介されるオルタナティヴな音楽も、主流的な政治力学あるいは経済力学に回収されてしまう可能性を孕んでいることを仄めかした。結局のところ、海賊ラジオ合法化はミッテランの票稼ぎに過ぎなかったのかもしれないし、ワールドミュージックに至っては、八〇年代を通じていつの間にか「フランス」が発祥の地とされ、世界の音楽市場におけるフランス発音楽の市場開拓に寄与することになった。インターネット技術を扱っていない点で、あるいはこれはレッシグの議論とはすれ違うものなのかもしれない。ただ、五月に大統領選の予定されるフランスにおいて、社会党のロワイヤル候補がP2Pファイル交換の合法化を公約していることからも、当時と今と、どのように違いがあるのか、きちんと比較分析してみなければならないだろう。最終回の次回は、時計を現在に戻し、もう少しアクチュアルにパリの音響場について考えてみたい。
RO/RWのマトリクス
引用出典=http://www.lessig.org/blog/archives/003666.shtml
記
★一──ここで言う「腹話術」というのは、音響技術群を利用して、作り手が自分の声を目の前にいない聴き手に届けようとするさまざまなテクニックである。ジェイソン・トインビー(2000=2004: 196-205)の論考を参照。
★二──http://www.lessig.org/blog/archives
/003666.shtml、http://www.lessig.org/blog/archives/003671.shtml#003671(あるいはhttp:
//blog.japan.cnet.com/lessig/archives/003488.html、http://blog.japan.cnet.com/lessig/archives/003500.html)参照。
参考文献
●Hare, G. E. "The Law of the Jingle, or a Decade of Change in French Radio" in R. Chapman and N. Hewitt eds., Popular Culture and Mass Communication in Twentieth-Century France, Dyfed: The Edwin Mellen Press, Ltd., 1992.
●Hargreaves, A. G. "Gatekeepers and Gateways: Post-colonial Minorities and French Television" in A. G. Hargreaves and M. McKinney eds., Post-Colonial Cultures in France, London: Routledge, 1997.
●Mignon, P. "Paris/Givors: le rock local" in Mignon, P. & A. Hennion dir., Rock: de l'histoire au mythe, Paris: Anthropos, 1991.
●ジェイソン・トインビー『ポピュラー音楽をつくる──ミュージシャン・創造性・制度』(拙訳、みすず書房、二〇〇四)。