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動物(園)の幾何学──分類と権力 | 五十嵐太郎+大川信行
Geometry of Animals and Zoos: Classification and Power | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki
掲載『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) pp.37-40

神はノアにかく語った。「糸杉の木で一隻の方舟を作り、中に個々の部屋を作り、内外を土瀝青で塗りなさい。そして次の寸法で方舟を作るがよい。長さは三〇〇キュービット(一キュービットは四三〜五三センチ)、幅は五〇キュービット、高さは三〇キュービット。屋根は上に一キュービットで仕上げ、方舟の戸口は一、二、三階の側面につけなさい」、と(『創世記』第六章)。いささか小さすぎるのは気になるが、神がこの世を終わらせるにあたって、すべての動物の雄雌を収容したノアの方舟は、おそらく文学的想像力が生みだした最も初期の動物園と呼ぶべきものだ。
後に、知の巨人であるA・キルヒャーは、大洪水がキリストの誕生する二三九六年前に起きたものと計算し、さらに当時の科学的+絵画的想像力を接ぎ木し、これの復元図を『ノアの方舟』(一六七五年)に描いている[図1]。彼の図像によれば、船の各階は中央に廊下が走り、上層は人間(真中に置く)と鳥類がいて、中層は食料や物資の倉庫、下層は四足獣(重量順に配列)、船底は蛇にあてがわれた。全体は三層×二列×六ブロックの、三六カ所に仕切られた動物園(各ブロックはさらに細分化)。つまり、各動物は実に整然とした矩形のマトリクスによって分類され、連続する部屋は博物館に陳列された標本箱のようだ。ここにキルヒャーの博物学的な態度あるいは一目で全体を見通す「タブロー」の形式が認められよう。それはフーコーが一七世紀の中頃に設定した知の転換点とも、ほぼ符合する。動物たちは「見世物」のような行列をなして、ぞろぞろとノアの方舟に乗る。けれども、一七世紀を生きるキルヒャーが想像した船の中では、まさに「タブロー」の展示様式に置き換えられるのだ。
ところで、蛇は当然、罪深いから最下層に置かれたわけだが、動物の差別はこれだけではない。潔い動物は雄雌七匹ずつ、潔くない動物は雄雌二匹ずつの乗船が許可されたし、ノアの家族は善良ゆえに生き残ることが許されたのではないか。また一説によると、混血や雑種動物の類いは排除されたという(こうしたキメラは分類の思想に反する存在だからか)。ともあれ、J・バーンズが『10½章で書かれた世界の歴史』(一九八九年)で、「密航者」キクイムシの視点で描いたように、ノアの方舟に欺瞞を読むことは可能だ。このメタフィクションでは、健康診断や美人コンテストの選考会などで最良のペアが選ばれる一方、失われた種も多かったことになっているから、優生思想の先駆けを指摘することができるかもしれない。厳格な規律をもつ、「あの方舟は……むしろ監獄船に似ていた」と、キクイムシは語る(現代の動物園もそうではないか?)。でも、それは神に選ばれしものだけが入れる、逆転した監獄だ。余談だが、前回に紹介した牢獄船は、刑務所の過密を緩和するために、一九世紀のヴィクトリア朝以来、再びイギリスで使用されるらしい(『朝日新聞』一九九七年三月一五日)[図2]。
古代中国では、垣に囲まれた囿(禽獣を養うところ)が動物園の起源か。成公(BC五九〇─五七三)の頃、王侯の遊観する囿は森や池があって、動物を飼育する大きな庭だったようだ。こうした傾向は皇帝の庭園に極まる。秦の始皇帝は長安の西郊外に上林苑をつくり、天下の奇獣と異草を集めた。続いて、漢の武帝は上林苑を拡張し、東西約四〇キロメートル、南北約二〇キロメートルの苑内に、各地から花樹三千余種を移植し、百獣を飼育したという。ときに皇帝は狩猟も楽しむ。おそらく現在から見れば、庭園、動物園、植物園は未分化だったと思われる。興味深いのは、駱駝やロバなど北方の動物は北に、サイなど南方の動物は南に配し、ここに世界の縮図を試みたことだ。すなわち、これは皇帝が世界の動物を支配し、世界を魔術的に所有することにほかならない。古代中国の庭園は、いずれも文献記録しか残っていないことが多いようで、詳しい造形はわからないが、天下の動物を集めることはそのまま権力の表現であったはずだ(ヨーロッパもその例外ではない)。また時代は下るが、マルコ・ポーロの旅行記でも、北京の宮殿に、動物でいっぱいの庭園のあったことが報告されている。
動物園は世界を表象する。それもすべてを「円環サイクルの中へ」取り込むことを意図する、エンサイクロペディア(百科全書)的に。だから動物園の幾何学は、円形との親和性が強いのかもしれない。そもそも干支とは、鼠、牛、虎……など一二種の動物を、一二の柵に入れた円形の宇宙動物園ではなかったか。おそらく、それは動物園のイデアとでも呼ぶべきものだ。さて、古代ローマのヴァロの動物園は、復元図において、中心に位置する観察者がまわりの檻に入れられた動物を見るような建物として描かれている。もっとも、これには後世の新古典主義的な想像力が介入しているので、必ずしも正確なものとはいえないが、いずれにしろ、そうした構造が動物園に結びつけられたことは注意すべき事実である。最も美しいものは、ユートピアにて見出すことができよう。カンパネッラの『太陽の都』(一六〇二)は、中央に円形神殿が建つ、七重の円環に囲まれた都市であるが、その周壁には全知識が描かれている。その第四の環状地区では、内側の周壁にあらゆる種類の鳥類、外側の周壁にはあらゆる種類の爬虫類と虫類、また第五地区では、内側と外側の両方にあらゆる動物が、すべて解説つきで本物そっくりの絵に描かれているのだ。つまり、生きていない「生物」の動物園は、ユートピアの完全な円形で構成される。ちなみにユートピアも連想させる「パラダイス」という言葉は、もとをたどると、古代のバビロニア帝国などにあった「動物園」を意味する語らしい。
一六六三年、幾何学の庭園ヴェルサイユにて、ルイ一四世が建造した異国趣味の動物園は、もうひとつの驚異的なるもの、すなわち中国を想起させる陶製の館(一六七〇年)と大運河を介して対称的な位置を占めることになる施設だが、中央にドームをもつ八角形の建物を置き、それにしたがってまわりの空間が仕切られている[図3]。言うまでもなく、中央建物の上階には国王が立って、各面の窓から分類された動物を見渡す(ヒョウ、ライオン、ワニなどがいた)。フーコーは『監獄の誕生』で、有名なベンサムのパノプティコンが、「個別化を行なう観察、特徴表示と分類、種の分析的な計画配置など」において、ヴェルサイユの動物園と類似性をもつことを指摘していた。確かに空間の図式は同型であり、国王を看守に、動物を囚人に置き換えれば、そのまま監獄となろう。他にも同じ構造の動物園をあげてみる。トルコ軍を破りライオンを奪ったオーストリアのウジェーヌ公が、一七一六年に新設した動物園は放射状の平面だった。これに憧れ、どこよりも美しい動物園をつくる夢をもっていた、マリア・テレジアによるシェーンブルン動物園(一七五三)は、円形の平面をもち、中央の建物から放射状に配された一三の動物舎を眺めることができた。また生きてはいないが、一八世紀末のロンドン、アシュトン・レバーの博物館は最も奥にロトンダの部屋を置き、その円形の空間に膨大な鳥類のコレクション(たぶん剥製)を並べ尽くす[図4]。
しかし、渡辺守雄によれば、フランス革命後の動物園は、王の場所が解体され、市民が主体となったために、特定の中心を持たない遊歩路のめぐる構造に変化する(むろん、これ以前から、トルコなどに公開動物園はあった)。美学的には、ピクチャレスクの導入で説明されることかもしれない。一八二七年、民間人も入園できる近代的な公共施設として、リージェント・パークにロンドン動物園が創設された。その際、「ノアの方舟協会」と命名された動物学協会が立て役者となるのだが、聖なる日曜日は(神に選ばれし?)会員だけが入園できる特権をもち、入会にはある程度の経済条件を満たしていなければならなかった。しかも協会設立の趣意書には、こう書かれている。「動物学こそは、単に興味深い知的な学問であるだけではなく、創造主の偉大な知恵と力を、われわれに教える自然神学の、最も重要な部門である」。また「古今に例をみない生きた動物の一大コレクション」をそろえ、パリの植物園をしのぐものを目指した。そしてロンドン動物園は、植民地を拡大した大英帝国の力を背景に、世界中から動物を集めた。ロンドン動物園の発案者が、東インド会社に勤め、シンガポール開港に寄与したラッフルズ卿だったのは偶然ではない。
とはいえ、円形が完全に消えたわけではなかった。それは一九世紀の後半にも認められるので、ちょっとマイナーだが、ここではブリュッセルの事例を見ていこう。現在、レオポルド公園と呼ばれる一角を舞台として、一八七〇年代に提案された動物園施設の改造計画である[図5・6]。一八七〇年のデ・ジェーヌ案は、全体が円形であり、中央には鳥類の檻、周回ギャラリーには幾つかに仕切られた爬虫類の檻が配され、そのあいだの一メートルの狭い通路をぐるりとまわって、見学者は生きるパノラマを半ば強制的に体験しなければならない。やはり特権的な中心はないが、パノラマ的に囲まれた構造は興味深い。発想は世界を記述する前述の『太陽の都』に近いだろう。そして実現された一八七五年のA・ウィリアムズ案は、全体が円形であり、公園のミニチュアを模す。これもいわば鉄とガラスに囲まれた自然のパノラマにして、世界の表象としての円形が反復した結果なのだろう。ところで、この公園の一九世紀における写真や図版を眺めていて、気づいた点をひとつ。どうやら、当時、気球にのって、広い園内をめぐる催しが、ときおりあったようだ(少なくとも一八五六年には行なわれていた)。とすれば、失われた特権的な中心は、空のそれへと移行したということか。    (I)

1──キルヒャーの復元したノアの方舟

1──キルヒャーの復元したノアの方舟

2──イギリスの浮かぶ監獄(480人収容) (『朝日新聞』1997年3月15日)

2──イギリスの浮かぶ監獄(480人収容)
(『朝日新聞』1997年3月15日)

3──ヴェルサイユの動物飼育場(フーコー『監獄の誕生』)

3──ヴェルサイユの動物飼育場(フーコー『監獄の誕生』)

4──ジェームス・バートン設計による鳥類のロトンダ (1788年)

4──ジェームス・バートン設計による鳥類のロトンダ
(1788年)

5──1870年のデ・ ジューヌ案

5──1870年のデ・
ジューヌ案

6──1875年のA・ウィリアムズ案

6──1875年のA・ウィリアムズ案

「神は恐竜を創り、恐竜を滅ぼし、神は人間を創り、人間は神を殺し、人間が恐竜を創る」。『ジュラシック・パーク』の心臓部、DNAの保冷庫もまた円形なのは偶然か。「創る」動物園。その多くはランドスケープ・イマージョンという今日最も進んだ動物園の展示手法に依っている。動物をその生息地の景観の中で展示するこの手法がそれ以前の展示方法、つまりモート(堀割、英国式庭園におけるハハァの技法の応用)によるパノラマ技法と大きく違うのは、ロマン主義的な風景を造り出すのではなく、神に代わって生態系そのものを園内に収容することにある。確かにこの方が、方舟としては精度が高い。
グリーナウェイの『ZOO』は、死骸の腐敗の記録によって動物園の博物学的趣味を完結する物語だ。一方で動物の身体に潜むシンメトリカルな古典性は、「ZOO」の文字から「Z」を抹消しこれを「OO」とすることを要請するが、今度は言葉の博物学から「Zebra」が欠けてしまい方舟は未完となる。主人公である双子の動物学者は自らの腐敗によって記録の完成を試みるが、結局これも主体不在でカメラの回し手がいなくなり、不毛さと共に物語は終わってしまう。
動物園は完成しない。神に近づくこと以外に残された余地は、このテーマに対してはあまりにも直截的な一つのメタファーである。
「(彼は彼自身の)心臓を切り開く。中に、とても小さなゲレヌクの頭と、首の大半が眠っていた……肺を開き、そこに見つけた──大人の虎の足。──胃を開いて見つけた──チンパンジーの足。虎の足やゲレヌクの頭部同様、……ほとんど目に見えぬくらい微かに動いていた。アビーは今や気づいていた。切り開きさえすれば、どの器官からも生き物の眠っている一部が現われるのだということを。不思議なものだ、おれの体が動物たちの方舟になったとは! それに、何という方舟だ。動物の体の一部だけを集めた舟なんて。次は頭蓋を開ける番だ」。(マイケル・ヴェンチュラ『動物園──世界の終る場所』)    (O)


J・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(川島昭夫訳、工作舎、一九八七年)。
杉村勇造『中国の庭』(求龍堂、一九六六年)。
J. Rykwert, The First Moderns, The MIT Press, 1980.
渡辺守雄「『動物園』の象徴政治学的諸相」(『現代思想』一九九六年四月号)。
G・ヴェヴァーズ『ロンドン動物園150年』(羽田節子訳、築地書館、一九七九年)。
A. Brauman-M. Demanet, Le Zoo, La Cite Scientifique et la Ville, AAM EDITIONS, 1985.

*この原稿は加筆訂正を施し、『ビルディングタイプの解剖学』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>大川信行(オオカワ・ノブユキ)

1968年生
建築家。

>『10+1』 No.10

特集=ル・コルビュジエを発見する