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モダニズム建築の保存はなぜ難しいのか? | 倉方俊輔
Why is It Difficult to Conserve Modern Architecture? | Kurakata Shunsuke
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) pp.114-115

《都城市民会館》(一九六六)[図1]は、ぎりぎりのタイミングで残されることになった。菊竹清訓の構想力の大きさを印象づけたこの建築も、新たな市の総合文化ホールの建設を機に、解体に向けた動きが着々と進行していた。二〇〇七年二月に市長が取り壊しを正式に発表、九月に議会で解体予算が採択されて、あとは解体工事を待つばかり。そんな状況にあった同年一〇月、市にキャンパスの移転を予定している南九州大学が市民会館の二〇年間無償貸与の要請を行ない、市がこれを基本的に受け入れた。
解体の方針が明るみに出て以来、市民グループが再検討を呼びかけ、日本建築学会九州支部やDOCOMOMO Japanが保存活用の要望書を出していた。さまざまな声が土壇場でキーパーソンを動かしたのだ。こうして《都城市民会館》の危機は遠のいたが、一連の動きは、いわゆる「モダニズム建築」を保存し、活用することの「難しさ」を象徴的に照らし出しているように思う。

近年、モダニズム建築の保存が話題になることが多い。思いつくものから挙げても、昭和戦前期のモダニズムを牽引した逓信省経理局営繕課・吉田鉄郎の代表作である《東京中央郵便局》(一九三一)、《大阪中央郵便局》(一九三九)、設計者の黒川紀章自身が取り壊し反対を先導した《中銀カプセルタワービル》(一九七二)、大学側の解体計画に卒業生有志が再考を求めたアントニン・レーモンドの《東京女子大学東寮》(一九二二)と《同体育館》(一九二四)、「民都」大阪を象徴する村野藤吾の《大阪新歌舞伎座》(一九五八)や《新ダイビル》(一九五八・六三増築)の取り壊し計画などがある。少しさかのぼれば、当初の建て替え方針を撤回して日本建築学会のリノベーション案を受け入れた《国際文化会館》(一九五五)や、存続が懸念されながらも市の文化財指定にまで至った松村正恒の《日土小学校》(一九五八)といった好例にも行き当たる。
転機となったのは、前川國男の《神奈川県立音楽堂・図書館》(一九五四)の保存運動だろう。一九九二年に県が一帯の再開発構想を打ち出したことで、その価値をめぐる議論が巻き起こった。その後財政難もあって再開発構想はお蔵入りとなり、隣接する前川國男の《神奈川県立青少年センター》(一九六二)のように、県はリノベーションによる活用に方向を転換した。それから一五年、バブル崩壊後のモダニズム回帰や「建築家」ブーム、「洋館」などの戦前期日本建築を鑑賞の対象とする趣味人の増加と対象の飽和にも後押しされて、モダニズム建築への愛着を口にする人も珍しくなくなった。
しかし、全般的な状況はけっしてたやすいものでない。古い建築もいまや「ブランド」の一環として「伝統」や「記憶の継承」といった美しい言葉で商業的価値に参入できるわけだが、その時の「歴史的建築」とは戦前期の、様式的なものだけを指すことが多い。戦後のモダニズム建築はあまり古くないし、明快なコントラストでデザインの最新モードを引き立ててくれるわけでもない。ディヴェロッパーや自治体にとって、モダニズム建築はさほど「売り」にならないというのが現状だろう。

《都城市民会館》の場合は市民に「解体か保存か」を問い、解体八三パーセント、保存一六パーセントというアンケート結果を受けて市長が解体を決定した。誘導的な設問だったことが、こうした結果の一因だが、「モダニズム建築は無装飾で冷たく、一般市民が愛着を感じる対象ではない」という解体推進派から時々聞く言葉もまったく根拠がないとは言えない。「景観」という言葉の通俗的な使用が、この場合、より好都合かもしれない。モダニズム建築すべてに当てはまるわけではないが、《都城市民会館》に関して言えば、その形態を町並みとの関係で説明づけるのは難しい。
さらなる困難として、モダニズム建築の技術・構法の性格が挙げられる。竣工当初から《都城市民会館》は屋根の雨漏りなどに悩まされた。形骸化した過去のあり方を抜け出して、人類の新たな局面を切り開こうという当時の挑戦がリスクなしに済むとは考えづらい。現在からみれば、中途的な技術や手作業に頼っているので、構法を再現することの困難さはともすれば様式建築以上である。しかも、その技術が現代の環境性能より劣っていたりもする。技術や構法に建築の要点がある場合には、外形だけ保存すればよいというわけにもいかない。

「伝統」「民意」「景観」「環境」……こうして見ていくと、モダニズム建築はこのところの流行語のすべてに逆らっているような存在でもある。そんな隙だらけの建築に「都市再生」や「ビジネスチャンス」の波は容赦なく襲いかかる。そして、《東京駅》や《三菱一号館》は復元され、《東京中央郵便局》は壊されゆく。
しかし、モダニズム建築の保存の真の難しさは、そんなところにあるのだろうか? 一九七〇年代に《東京駅》の保存運動が巻き起こった時の前川國男の言葉を、当時の秘書が次のように伝えている。

東京駅の前を前川先生と通ったのです。私が「歴史屋さんが今日本の近代建築を残そう、あの東京駅を保存しようと思っているんです」といったんです。(…中略…)そしたら、「とんでもない。僕はあれはいい建築だと思わないから、あんなものは壊せばいいんだよ」と、非常に強い言い方でおっしゃった★一。


《都城市民会館》の保存を求めるシンポジウムに、菊竹清訓は賛同の意を込めて一枚のスケッチを贈った。それは大屋根を技術的に進歩したガラスで架け替えるという構想だった[図2]。
そんなモダニズム建築家の毅然とした態度と、「安易な保存に走るな」という建築評論家・馬場璋造の主張は、そう異なるものではない。氏は「近代建築」は「更新を続ける社会」の「耐久消費財」としてつくられたのだから、様式建築の保存とは筋が違う。「耐用年数を過ぎ社会的機能を失った近代建築を保存する意味はどこにあるのか」と、明快な論理で「社会機能を停滞させるような近代建築保存」に警鐘を鳴らす★二。
モダニズム建築の保存において、当事者はつねに「味方」ではないし、その意味は様式建築保存の単純な延長で終わらない。それは様式建築保存とは別の「保存」の意義を前景化させる。技術性や地方性、リノベーション、景観、使い手が創出する価値、モダニズムとポストモダンの関係、「保存」の概念や価値といった事柄を再考させるのだ。モダニズム建築の保存は、そのいずれとも関係しているし、どれもモダニズム建築の保存というテーマを避けては通れない。明快にはいかないのは当然だろう。保存運動の個別の難しさにはその都度、全力で当たるとして、そんな前向きな意味での「難しさ」にこそ、モダニズム建築の保存を考える最大の価値があるはずだ。

1──菊竹清訓《都城市民会館》(1966) 筆者撮影

1──菊竹清訓《都城市民会館》(1966)
筆者撮影

2──菊竹清訓による《都城市民会館》スケッチ(2007) 提供=菊竹清訓建築設計事務所

2──菊竹清訓による《都城市民会館》スケッチ(2007)
提供=菊竹清訓建築設計事務所


★一──「座談会 前川國男の世界」での佐藤由巳子の発言(『Glass & Archi-tecture』一九八八年六月号、旭硝子)。
★二──馬場璋造「安易な保存に走るな」(『毎日新聞』二〇〇七年九月二一日)。

>倉方俊輔(クラカタ・シュンスケ)

1971年生
西日本工業大学准教授。建築史家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>黒川紀章(クロカワ・キショウ)

1934年 - 2007年
建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。

>村野藤吾(ムラノ・トウゴ)

1891年 - 1984年
建築家。

>前川國男(マエカワ・クニオ)

1905年 - 1986年
建築家。前川國男建築設計事務所設立。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...