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スキマ学のはじまり | 中村政人
Begining of Sukima Study | Masato Nakamura
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) pp.52-53

私の家の窓から右隣の家の窓が見える。窓は微妙に半分くらいずれて、右に開けたときは壁が見え、左に開けたときは窓が見える。窓と窓の距離は手をさしのべて隣の窓を開け挨拶することもできるくらいの隙間である。お互いの窓を家の中が見えるように開けることも、お互いの壁を見えるように開けることも可能だ。前者のように開けるということは、私はあなたに心を開いているのですよと言わんばかりでなかなか勇気がいる。ベランダもほぼ同じ高さに並列している。以前、隣のおばさんが雨が降りそうだったためベランダをのりこえてきて洗濯物を勝手に取り込んでくれていたということもあったそうだ。反対側の隣はアパートなのだがその階段の途中に我が家の二階の寝室の窓がある。わが家の階段は狭いため、大きいものを二階に上げるときは隣のアパートの階段から荷物を寝室の窓越しで上げる。裏側正面の隣家とはベランダ越しに大きな窓が向かい合っている。隣家の窓はくもりガラスになっていて、絶えず厚手のカーテンが閉まっている。私のほうは寝室なのだが薄手のすけすけのカーテンである。時々向こうのカーテンが開いているときがあるがそれだけでどうも恥ずかしく思えてしまう。くもりガラスだから大丈夫だと思っているのだが、隣家の人は舞台の幕を開け閉めするようにカーテンを開け閉めしているようにも思える。よって私の家は、公道に向いている面以外の三面は隣家に囲まれている状況である。右隣の家から入ってベランダを通り我が家の寝室に入り、裏正面隣家に舞台挨拶をして左隣のアパートの階段から出てくることが容易にできる。
このようなことができる奇異な都市に住んでいるということを、自己と社会のアイデンティティの生成にとって可能性として捉えていくことはできないのだろうか? ウサギ小屋をウサギのパラダイスと捉えることはできないのだろうか? 
そこで道の正面から考えるのではなく、スキマから社会を考えてみたらどうだろう? 
たとえば建築自体を考えるのではなく建築と建築のスキマから都市を考えること。握手をしたときの手のひらと手のひらのスキマを感じること。過去と未来のスキマをつかむこと。そんなスキマを考えることはスキマを形成する両者の新たなインターフェイスを考えることであり、あらゆる社会現象の価値基準を逆転できる視線といえる。

スキマを考えることをスキマ学として捉えてみてはどうだろう。スキマ学の研究活動は始まったばかりである★一。


★一──スキマ・プロジェクトはコマンドNのホームページ上(http://webs.to/command-N)で参加作家のプロジェクトが公開されています。スキマプ・ロジェクトに興味のある方はメールでご連絡ください。
e-mail: lucy-mm@fa2.so-net.ne.jp(中村)
 

「スキマとは?」(敬称略。順不同)


山田深(建築家)

関係の不在。とはいえ、機能的関係から見たエアポケットのような空間としてのスキマと、例えば満員電車内での互いの距離のような空間、つまり斥力から生じるスキマとは区別しておくほうがよいでしょう。ちなみに建物と建物との微妙なスキマなどには、この両側面が含まれているように見えます。

植田曉(建築家)

現代のアレゴリーとして、思考の境界と思考の境界の間に立ち現われるもの。複数の思考を結ぶインターフェイスと言い換えることもできます。スキマには多様な側面がありますが、共通するのは、日常のなかに何気なく存在していたものごとが、見向きされなくなり、見捨てられているということでしょう。また、その発生を加速させている要因として、近代化という思考のグローバリゼーションが介在していることも指摘したい点です。

石井大五(建築家)

広義に捉えればいろいろに解釈できるのでしょうが、自分にとって関心のあるスキマは、都市空間の無意識の部分です。通風や採光など機能的には都市を支えている面もありながら、一般の人にとっては無自覚で、曖昧な場所としてのスキマです。特に、東京は、そういうスキマが都市景観や都市の雰囲気を支えているまちだと思いますが、最近の再開発や景観づくりでは、スキマのような曖昧な場所を極力減らそうとし、どうしてもスキマができる場合は、意味や機能で埋めたり、美的な処置を施そうとする傾向を感じます。都市の中から、きれいとは言い難く、かつ、ぼんやりとした無自覚な場所が消えていくことが、東京のような都市にとってよいことなのかどうか。そのあたりのことを考えていくなかに、スキマとはなにか、という問いに対する深い解答があるような気もします。

飯田紀子(美術家)

人と人、物と物、制度と制度など、存在する両者を結ぶ距離。

吉田誠(環境美術家)

人類が活動するなかで、自然空間に作り出したさまざまな建造物や構造物のなかで生み出された非自然空間としての場所。人類が生きるなかで、発達させた言語としての思考と現実空間とのズレ。

磯崎道佳(美術家)

視点を変えれば、どんなものでもスキマになりえる。視点をずらせば、どこにでもスキマは立ち上がる。  

塚本由晴(建築家、東京工業大学大学院助教授)

ひとまず、(1)建物と建物のすき間。(2)異なる都市システムのすき間。(3)それら実際に存在する事象に反映された社会性のすき間。(4)それを許容することで獲得される質が無視できないという意味で東京を読みとく鍵。

馬場正尊(『A』編集長)

誰にも所有されない空間。何処にも属さない空間。それは、意識化しない限り、ただの空間。なにもない。
何かと何かの間の、なにもない、意味のない空間に、あえて名前をつけるとしたら、それがスキマと呼ばれているのではないだろうか。とても自由な感じがする。でもあやうい感じがする。実体を持ってしまったら、そこをスキマとは呼べなくなる。なんか、そういう、つかめないとこが好きで、このプロジェクトに参加した。『パリ空港の人々』っていう映画があった。スキマの映画だと思う。

中山ジロー(美術家)

芸術とはそもそもスキマです。ありとあらゆる効率というものから逃げて、効率だけを求めるものがあったらそれを批判し、危ない状態になってきたら、それと闘いながら逃げる。ある時には退廃と呼ばれてもがんばり、ある時にはファッショナブルにもてはやされてきたら、歯を食いしばって遠くに離れる。スキマに使い途などあってはいけない。スキマに唯一、利用できることがあるとしたら、それは、何の役にもたたないということだけだ。何の役にもたたないことが誇らしげに存在できるということが、多くの人々をどんなに勇気づけることだろう。それにしても最近はなんとスキマモドキの多いことか。だれも本当のスキマを探さなくなったら、その時、スキマと共に人間は死んでしまうのに。

木村稔(美術家)

透き間であり、空き間でもあり、隙間とも書ける。物理的なものの間もあれば、時間的な物事の絶え間もあり、気の緩んだ瞬間でもある。スキマとはそれだけで自立しているのではなく、様々な要因(事柄)から派生して、それら(要因)に依存しながら存在している。

牛嶋均(美術家)

一〇年ぐらい前に書いた文章を思い出したのですが、それには、目に見えないスキマをまず埋めてから、その上に何か形を落としてゆく、そんなことを書いていました。次元とか時間とかに非常に興味があったので、物理の本や数学の解説本などを読んでは悦に入っていたように思います。私はヨーロッパの路上で実際にスキマを埋めて、その上に時間を載せて定着するというようなことをパフォーマンスとして行なっていました。ヨーロッパでパフォーマンスを自分でやる、ということを始めたのですが、いま思えば、日本人+不法滞在+居候暮らし、という私のそのころの生活そのものがスキマに在ったんだと思います。帰国してからはそれが、スキマにではなく、スキマの上に辛うじて居るような状態に変わりました。そのころ、私の住んでいる地方都市のデパートで行なわれた美術展に参加したのですが、そのときのことをよく覚えています。繁華街のデパートの外側歩道部分、秋の夕暮れ五時すぎ薄暗くなり始め。人通りは多いが、誰も見向きもしませんでした。私はパフォーマンスをするという目的でそこにいたのですが、そのときの私は、パフォーマンスをするというより、ただスキマに居たんだと思います。

鈴木真吾(美術家)

私が興味をもつスキマとは、スキマ自身がもつ機能ではなく、何かと何かを関係づける媒介の役目としてのスキマである。またスキマとは、何かの狭間を見つめることによって大きな摂理を見出せる可能性を秘めた都市のヒントではないでしょうか?

相沢奈美(美術家)

まず私が考えるスキマとは「人と人とがつくる心のスキマ」、人=生きる物たちの観念的な心のスキマです。人と人との関係がとかく希薄になっている現代に、その繋ぎ所としての隙間を考えます。

飯田都之麿(建築家)

都市を浸すネットワーク空間。小さいころ、近所の建物の隙間に入ると、そこからあちこち別の場所に出ることができる空間を発見したことを思い出す。誰の所有物でもなく、様々な空間に繋がっていて、その中を動き回ることによってのみ発見できる、目に見えない空間ではないだろうか。想起されるキーワード……流動、ネットワーク、非所有、透明。

申明銀(美術家)

まんまんまんま、うーえーうーえーうー。

中村政人(美術家)

ひとつは、「共有」から生まれる相互の視線。

>中村政人(ナカムラマサト)

1963年生
ノンプロフィット・アートスペース「コマンドN」主宰。美術家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

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