槇文彦によって「野武士」と呼ばれた日本のポストモダン世代。1970年代、住宅建築を試みる中から台頭した、石山修武、伊東豊雄、長谷川逸子、毛綱毅曠、室伏次郎など。
[論考]
...と状況はなだれ込んでいく。 3 八〇年代 「野武士」の時代——多様性の発散 国内が曖昧な和解ム... ...塞していくなかで、槇文彦が論文「平和な時代の野武士たち」を『新建築』に発表する。当時既に近代...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[技術と歴史 6]
...な流れの中で見るとわかりやすい。 戦後建築と野武士の世代 もうひとつは、日本の現代建築の中で七... ...忠雄さんや毛綱毅曠さん、石山修武さんたちを「野武士の世代」と言われましたが、この人たちは強烈...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.191-199
[インタヴュー構成]
...た時代に登場したのが、石山修武、伊東豊雄ら〈野武士〉と呼ばれた建築家たちである。モダニズムの... ...ビルの設計を担当した日建設計の林昌二こそ、〈野武士〉たちが担った七〇年代ポストモダニズムの最...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せ...丹下健三やメタボリズムの時代から、都市住宅、野武士の時代への移行が行なわれるわけだが、それが...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.152-153
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...題にした。 かつて石山は、槇文彦が名づけた「野武士」というレーベルのもとで、同じ世代の建築家と...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[インタヴュー]
アトリエ・ワンと私──最初の出会い 永江朗──私の場合もそうでしたが、施主は設計を依頼するにあたってまず手紙を書くというアプローチが多いと思います。受け取ったと...ひとつは規範を個人化していくという道です。「野武士」と呼ばれた建築家たちは規範を徹底的に個人...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.74-85