20世紀の終わりから21世紀の始まりにかけて現代美術家の村上隆が提言した、平板で余白が多く、奥行きに欠け遠近法的な知覚を拒むなど、伝統的な日本画とアニメーションのセル画とに共通して見られる造形上の特徴を抽出した概念。
[1990年代以降の建築・都市 3]
...は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの世界には外部がないことや、一部の若手... ...が内向的であることを批判した。ゆえに、スーパーフラット批判の建築論と言えるだろう。このように...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[建築を拓くメディア]
...系。ここでは、「サイバースペース」と「スーパーフラット」という言葉がおぼろげに見えてくる。 第... ...情報と表現〉の系──サイバースペース、スーパーフラット 主として一九九五年以降に、コンピュータ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110
[論考]
...an(土瓜灣) 26. Kimberley St.(金巴利街) 4 スーパーフラットの海に浮かぶ島(シマ) 一九六五年におい... ...また、村上隆や東浩紀から提示されているスーパーフラットというコンセプトも近いと言えるだろう。...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[1990年代以降の建築・都市 5]
...。そして「自由」がある★二一。 これはスーパーフラットのコンセプトを伝える文章だ。藤岡の表現と... ...OUSE SA》は、スーパーフラットの文脈からも十分に解読しうる建築なのだ。スーパーフラットとは、九〇...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[1990年代以降の建築・都市 21]
...るのではないか。 前述のレクチャーでは、スーパーフラットの建築についても触れたのだが、メルボル... ...パメラ・アンダーソン。けれども、日本のスーパーフラットと比較するならば、二次元的なキャラクタ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.39-41
[論考]
...り開いた。 また村上隆と東浩紀が提出したスーパーフラットの概念は、ユニット派の理論的な背景とな... ...態を環境のメディアとしてみなしていた。スーパーフラットとハイパーサーフェイスは、ともに脱三次...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[「悪い場所」にて 10]
...谷川の「アール・ポップ」と、村上隆の「スーパーフラット」までは、もう目と鼻の先だからだ。 かつ... ...野に収めつつ、「日グラ」から村上隆の「スーパーフラット」に至る、もうひとつの美術の連続=非連...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.13-15
[インタヴュー構成]
...。これは現代美術家の村上隆が提唱した「スーパーフラット」の概念にも当てはまる★一七。 ホンマタ... ...、朝日新聞社)。 ★一七──五十嵐太郎「スーパーフラットの建築・都市をめざして」(『終わりの建...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[1990年代以降の建築・都市 4]
...コンビニを想起させるだろう。と同時に、スーパーフラットの社会も。今やコンビニは、夜に出歩く若... ...〇〇〇年五月号「特集=二十一世紀建築、スーパーフラット」(美術出版社)。 ★一二──伊東豊雄「...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[都市表象分析 14]
...りふりかまわずあからさまに媚びを売ったスーパーフラットな「日本的なもの」の捏造であってはなら... ...に島国の境界がなし崩しに壊され、いわばスーパーフラット化する趨勢のなかにあって、その表層から...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.2-11
[レヴュー]
...データタウン〉を、五十嵐太郎は「究極のスーパーフラット理想都市」(『終わりの建築/始まりの建... ...ムの「ノー・ストップ・シティ」など)のスーパーフラットな再版なのである。 ★七──Christine Buci-Gluc...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[論考]
...ピュータのデスクトップのような視界を「スーパーフラット」と呼ぶならば、渋谷の駅前の視界は、す... ...クリーンが平面的に見渡せる状態にあり、スーパーフラット・ランドスケープの典型例である。日本は...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.78-83
[ポストモダニズムと建築 7]
ローマ帝国の崩壊とともに失われた古典建築の伝統、その廃墟を横目に見ながら建築をゼロから始めたロマネスク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあ...か、その程度のことさえあやふやにされ、スーパーフラットに歴史を括弧に括ることが積極的なニュア...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[「悪い場所」にて 15]
旅先のホテルで久しぶりにテレビをつけると、日曜だけあって各局趣向を凝らしたセットを組んではいるのだが、それらが一様に卑俗な秋の日本美をなぞっているようで朝から気...な次元にはない。浅薄といってもいわゆるスーパーフラットのような対米戦略などあるよしもなく、せ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...。論は、具体的なゲームソフトの紹介、「スーパーフラット」に代表される現代日本の芸術情況、つい...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[景観の視学/史学/詩学 5]
「まちづくり」に際して、ことさらコンテクスチュアリズムを標榜せずとも、界隈を表現するために使われてきた言葉を確認するのは必須の作業だ。とはいえ街のイメージは往々...えよう。翻って今日の言葉で言えば、3Dとスーパーフラットとの比較文化でもできようか。 だが、比較...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30
[鼎談]
リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京...。それは基本的には九〇年代末における「スーパーフラット」という文化事象を指す呼称につながるも...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[インタヴュー]
「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出...最近、『広告』二〇〇〇年一+二月号が「スーパーフラット元年」という特集を組んでいます。これは...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの...『TOKYO SUBURBIA』とともに、村上隆の言う「スーパーフラット」という概念とシンクロか。49 『Hiromix ’99...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[論考]
01 この小論は、秋本治に関する論考を軸として構成される。 02 秋本治と聞いて何者かパッと浮かんでこない人のために少し説明をしなくてはならないだろう。秋本治...うちに追い求めてしまっている(昨今の「スーパーフラット」などもそのよい例だろう)。歴史が進歩...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.154-160