1961年生まれ。医学博士、精神科医。
(最終更新:2010年9月6日)
[ダイアローグ]
...うと全体性に対する欲求が強いでしょう。また、斎藤環さんも書かれているように、男の子のほうが虚... ...いるかもしれないですね。 香山──精神科医の斎藤環さんは「戦闘美少女」と表現していますが、女の...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.48-61
[ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 4]
...分の日記を読むかもしれないという密かな期待、斎藤環の言葉を使えば「投瓶通信 message in a bottle」的な... ...『電子メディア論』(新曜社、一九九五)。 ●斎藤環+東浩紀+大澤真幸「シニシズムと動物化を超え...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.49-51
[都市の病理、心理学化する社会 1]
顔とは何か 本連載は、私が最初の著書である『文脈病』(青土社、一九九八)で展開した議論のうち、「主体の二重性」にまつわるテーマをさらに深化させ、諸方向に分散展開...本連載における私のささやかな目論見である。 斎藤環『文脈病── ラカン・ベイトソン・マトゥラー...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.35-36
[論考]
...スチュームを着けて闘いを繰り広げるのである。斎藤環が「戦闘美少女」と名付けつつ指摘したように... ...onics Center) 1445-3, Seocho-Dong, Seocho-Gu, Seoul ★五──斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(太田出版、二〇〇...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.129-137
[都市の病理、心理学化する社会 6]
量子論から汎心論まで 前回私は、ジェラルド・M・エーデルマンの著書『脳は空より広いか』を批判的に検討した。ただしこれは、ひとりエーデルマンを批判することが目的でないことは言うまでもない。むしろエーデルマンの議論を端緒として、科学者が意識を論ずる時に陥りがちな限界一般について検討したつもりである。 どういうことだろうか。...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.71-72
[都市の病理、心理学化する社会 7]
モジュール仮説から価値の科学へ ラカンは「無意識はひとつの言語(ランガージュ)として構成されている」と述べたように、言語に先立つ心というものを想定していない。無意識≒象徴界、すなわち「大文字の他者」は、シニフィアンの場として安定した精神の基盤を提供することができる。 ここにはひとつの逆説があると考えてよい。 いかなる人...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.49-51
[都市の病理、心理学化する社会 5]
ダイナミック・コア仮説 脳科学とは、いまだきわめて学際的な領域とみるべきなのだろうか。 脳と意識の謎は、着実な業績を上げるにはこころもとないが、そのぶん知的な好奇心を喚起するとみえて、ある意味「功成り名遂げた」学者たちを魅了するようだ。 遺伝子工学的手法で免疫グロブリンの構造を解明し、日本人でただ一人のノーベル生理学・...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.58-60
[都市の病理、心理学化する社会 2]
ヒステリー記述の二重性 前回私は、私による「主体の二重性」という発想について簡単に解説した。念のため注意を促しておくならば、これは二重の主体が存在する、という意味ではいささかもない。そうではなくて、主体の記述可能性には、まったく対極的で相容れない記述方法が、少なくとも二つある、という意味だ。すなわち学習する文脈的主体と...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.51-52
[都市の病理、心理学化する社会 3]
類似と滑稽 前回、私は「顔の類似」について触れた。すなわち、顔の類似がもたらす滑稽さは、その無意味さゆえに根源的な笑いと関わりを持つ、と。 『機知──その無意識との関係』においてフロイトは、笑いの意味を目的論的な装いのもとで展開している。笑いを通じてわれわれが到達しようとしているところの上機嫌(オイフォリー)とは、ごく...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.46-48
[都市の病理、心理学化する社会 4]
化石化した笑い フロイトによる「いない─いた」遊びにしても、ラカンによる鏡像段階の指摘にしても、そこには幼い子供たちの「笑い」が満ちている。極言するなら、私たちは「笑い」とともに「語る存在」としての人間になったのではないか。さらに言えば、言語の根源にあるものが「笑い」であるという可能性もある。 前回検討したように、「笑...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.51-52