1932年生まれ。建築家。クーパー・ユニオン 教授。
(最終更新:2009年11月13日)
[インタヴュー]
...ん。その後に知り合ったアーキグラムやピーター・アイゼンマンを紹介しています。つまり彼らのコン... ...連載は終わっていました。その時までにピーター・アイゼンマンの一番初期の、チョムスキー理論を応...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...を書きました。デリダはラヴィレットでピーター・アイゼンマンと共同して、「コーラの庭」をつくる...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[批評]
...いるグループである。このグループにはピーター・アイゼンマン、ベルナール・チュミ、アンドリュー... ...たフーコーへの関心がうかがえる。 ★三──Peter Eisenman, “En Terror Firma: Intrails of Grotextes”, Pratt Journal o...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[翻訳論文]
...ベルナール・チュミが、ピーター・アイゼンマンとジャック・デリダに、パリのヴィレット公園にある... ...行の草稿による。 ★一四——Jacques Derrida, "Why Peter Eisenman Writes Such Good Books", Threshold 4, Spring 1988, pp. 102-103... .......
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.117-128
[翻訳論文]
...肉も込めないでエッセイの題名を「何故ピーター・アイゼンマンはそのように素晴らしい書物を書くの... ... All Right Researved 註 ★一六──Jacques Derrida, "Why Peter Eisenman Writes Such Good Books," Threshold 4, Spring 1988, pp. 102-103...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.172-184
[キーワード]
...年行なわれてきた。発案者は、磯崎新とピーター・アイゼンマン。もはや建築がその言説の根拠を得る... ...・リベスキンド、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、コープ・ヒンメル...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[論考]
...て位置づけられてきたアメリカの建築家ピーター・アイゼンマンの「コンセプチュアル」建築である。 ... ...るが、同時に、ロウの不肖の弟子であるピーター・アイゼンマンによって、ロウが築き上げようとした...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[批評]
...a for Architecture, Published by Princeton Architectural Press, 1996. Author: Peter Eisenman © 1996 by Peter Eisenman All Rights Reserved ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.191-196
[論考]
...クーパー・ユニオンで教鞭を執っていたピーター・アイゼンマンの住宅プロジェクトにおいてより顕著... ...典=J. Heiduk, Mask of Medusa,Rizzoli, 19855──ピーター・アイゼンマン《HOUSE Ⅹ》 引用出典=http://cat2.mit.edu/arc/...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[現代建築思潮]
...刊行されたこの号には、ハリー・コブ、ピーター・アイゼンマン、フランク・O・ゲーリー、ジェフリー... ...実現の見込みはもはやないようですが、ピーター・アイゼンマンによるスペイン・ガリシアの「文化都...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 2]
...はるかに「ポスト構造主義」に自覚的なピーター・アイゼンマンならば、例えば「時間」に対しても、... ...インテリア・ドローイング註 ★一──ピーター・アイゼンマンとフレドリック・ジェイムソンのやり取...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.21-23
[建築の還元 4]
...われわれにはできない」。 ★一六──ピーター・アイゼンマンは、視覚至上主義に支配されてきた伝統... ...ていることを指摘している。次を参照。ピーター・アイゼンマン「視覚を(が)開く」(丸山洋志訳、...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[都市表象分析 18]
...都市の建築』の中心となる概念である。ピーター・アイゼンマンは、この著作におけるロッシの方法論... ... ★一二──同、一五七頁。 ★一三──ピーター・アイゼンマン「記憶の家──類推のテキスト」(アル...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.2-12
[建築とイマージュ 4]
...n der Rohe: Barcelona Pavilion, Barcelona, 1993.)、ピーター・アイゼンマンが刺激的なテクストを書いてもいる(... ...批評の基底にあることは確実であるし、ピーター・アイゼンマンが言うように、仮にミースにとってド...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.31-34
[翻訳論文]
...博巳《牛窓国際芸術祭事務局》19843——ピーター・アイゼンマン《ロメオ・アンド・ジュリエットの城》... ...・リベスキンド、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、コープ・ヒンメル...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[対談]
...に惹かれたからだと思いますが、それをピーター・アイゼンマンに見せたら、ビルディングを撮ったら... ...それを他人に見せたところ好評でした。ピーター・アイゼンマンやジョン・ヘイダックがなぜ褒めてく...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.17-23
[日本]
...洋志の仕事は、つねにコーリン・ロウとピーター・アイゼンマンの仕事を読むことから始まり、彼らの... ...そしてつねにカント、コーリン・ロウ、ピーター・アイゼンマンへと回帰し、反復、冗長さ、飛躍を伴...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[グローバリズム 5]
1 中国(珠江デルタ):スーパーバブル=一九七八以降 PART 2 前回に引き続いてハーヴァードの「珠江デルタ」のリサーチ・レポート。彼らのパラフレーズ...結論に極めて似通った表象の断絶論が、ピーター・アイゼンマンによる広島とアウシュヴィッツ以降ヒ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[ブック・レヴュー]
「コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それもたんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んでい...いわば副産物ではあるが、本書は建築家ピーター・アイゼンマンとの共同作業を生み出した。デリダ自...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.44-46
[レヴュー]
磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊...レンスは、建築の自律性と質に回帰するピーター・アイゼンマンと、それを破壊してゆく都市の量的ダ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[建築の還元 3]
1 純粋さ、または他者という与件 おそらく多くの建築家や建築をなす者が問うてきたのと同じように、私もまた、「建築にとって何がもっとも重要か」ということを繰り返...文化』1999年5月号4 反復における差異 ピーター・アイゼンマンやベルナール・チュミといった建築家が...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 3]
前回は、建築空間の「観念性」といったテーマのもとに、命題化どころか単なる迷走をそのまま記述してしまう結果になってしまったが別段反省もしていない。述べたかったのは...設定──私なりといっても、その多くはピーター・アイゼンマンを経由してコーリン・ロウから引き継...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.25-27
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
白と灰の融合 一九八九年は東西の冷戦構造が崩壊し、日本では昭和が終わり、時代の変革を象徴づけた年になった。二〇世紀のシステムが終わった年とみることもできよう。こ...序文とともに、五人の建築家、すなわちピーター・アイゼンマン、グレイヴス、チャールズ・グワスミ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 4]
最近、大学の設計・製図を教えていてもどかしさを覚えることがしばしばある。設計課題のエスキースとして三次元曲面らしきものを使ったプロジェクトを提出してくる学生に対...属しながら三次元曲面を建築に導入するピーター・アイゼンマンなどは後者の立場にあるだろう。一見...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.37-38
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...ですね。別な例で言うと、僕は個人的にピーター・アイゼンマンと付き合いがあるし、レム・コールハ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく...とに違和感を持っている。確かに、他のピーター・アイゼンマン、ダニエル・リベスキンド、ザハ・ハ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...況が生まれてしまいます。計画過程でもピーター・アイゼンマンの「ガリシア文化都市」計画などを例...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 5]
三次曲面を流用した建築(角がとれて、分析的というよりも感応的な形質)に対する、人々の反応は興味深い。もっとも大方の人にとっては、その形質を成り立たせている幾何学... 「二〇世紀的形式主義」を出自とするピーター・アイゼンマンは、同じようにコンピュータによる抽象...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.37-40
[都市表象分析 12]
一、「アメリカのイコン」 二〇〇一年九月の同時多発テロによって崩壊したニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地では、二〇二年五月三〇日に犠牲者の遺体捜索と瓦...パートナーズ リチャード・マイヤー、ピーター・アイゼンマン、チャールズ・グワスメイ、スティーヴ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 1]
とは言ってみたけれど、ポスト構造主義そのものに関する定義・状況説明などは書店の思想・哲学の書棚にあふれているであろうし、その手のディスクールがしかけてくるレトリ...末まで建築界をリードしてきた張本人がピーター・アイゼンマンであろう。その彼が、一九九九年に開...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.24-26
[批評]
わたしは一匹のろばである。しかし目をもったろばだ。感覚を受容することのできるろばの目だ。わたしはプロポーションへの本能をもったろばだ。わたしは頑として視覚主義者...・ヴィレット公園プロジェクトにおけるピーター・アイゼンマンとジャック・デリダのコラボレーショ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118
[批評]
1:例外状態の建築家たち 一九九七年三月にベルリンでAnyone Corporationの主催により、「ヴァーチュアル・ハウス」をめぐるフォーラムと設計競技が開...・ザエラ=ポロ、ジャン・ヌーヴェル、ピーター・アイゼンマン、ヘルツォーク&ド・ムーロン、そし...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[批評]
自覚的に、というよりは自意識的に、と記述する方が正確なのだが、批評という形式のもつ危うさと困難さを最もきわだった形で素描し続けたのは言うまでもなく小林秀雄である...していつでも即座に呼び寄せる。例えばピーター・アイゼンマンは、建築家の立場からこのヴィトゲン...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.88-89
[千年王国論(五)]
中心vsペリフェリー 千年王国は歴史的時間の喪失感の上に成り立っている。つまり、停滞感とパースペクティヴの無化の上に。しかし、この喪失は如何にも唐突に行なわれた...の場合のように)ないし知性主義過多(ピーター・アイゼンマンの場合のように)な性格のために──...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.224-231
[批評]
都市社会学者ヴァルター・プリッゲは、ヴァーチュアル・シティが約束する新たな都市性を探究している。ラディカルな変化の可能性は、今やヴァーチュアルな空間に開示され、...ークショップ)にレム・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ポール・ヴィリリオと共に参加して...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.81-89
[論考]
ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修...レブストック計画」(フランクフルト、ピーター・アイゼンマン) ★「ネクサス・ワールド」(福岡、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[翻訳]
高名だが高齢の科学者が、それは可能であると言えば、彼はほとんど確実に正しいことを言っているが、それは不可能であると言えば、間違っているのはまず確かである。 アー...て、世界全体とはなんら関わりがない。ピーター・アイゼンマンが最近の講義でしぶしぶ認めているよ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...スト論や脱構築の議論に対応するようなピーター・アイゼンマンらの試みは、もちろん建築であるかぎ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[翻訳論文]
ここまで、このコラボレーションに対する期待を概説し、その期待が必然的に遭遇したゆがみや留保を指摘してきた。これによって多くのことが得られているだろうか。あるいは...ト、そして、まだ出版されていないが、ピーター・アイゼンマンのテクストである。興味深いことに、...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.171-185
[インタヴュー]
理論/歴史、実践 松畑強(以下MT)──コロミーナさん、『アッサンブラージュ』誌の三〇号を拝読いたしました。あなたはそこで、いくつか面白い問題を提起されていたと...たとえばル・コルビュジエのものとか、ピーター・アイゼンマンのものとか、レム・コールハースのも...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放すること...イダック 一九七〇年代にヘイダックはピーター・アイゼンマンやマイケル・グレイブスらとともに「ニ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[論考]
その問いに取りかかる前に、次の問いについて考えてみて欲しい。「バブル建築」の横行した二〇年前と現在とでは、はたしてどちらがマトモな建築の時代といえるだろうか? ...的ポテンシャルの中核をなすと主張するピーター・アイゼンマンに対して、資本主義のダイナミクスの...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.150-151
[論考]
つい先日のことである。筆者の自宅近くで電線を地中埋設する工事が始まった。広い公園の脇を通る道の景観を全面的に改修しようというものだ。ほどなくして、電柱のない「美...を同じくして、ベルリンの中心部では、ピーター・アイゼンマンによる《ホロコースト記念碑》が落成...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.104-111
[論考]
1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR...命を辿ったのだ。ベルナール・チュミやピーター・アイゼンマンなどに代表される建築のディコンスト...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[論考]
私は年齢的には一九六〇年世代だけど、建築家としての思考の仕方は一九六八年に属している、とこれまでに折りにふれて語ってきた。そして、一九六八年から一九八九年の二〇...年代の終わりに、ベルナール・チュミ、ピーター・アイゼンマンを介して、ジャック・デリダの思考が...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32