1965年生まれ。歴史学、社会学。明治学院大学、玉川大学非常勤講師。
(最終更新:2010年8月12日)
[明治期「近代交通業発達」余話 4]
明治期初頭における輸送・通信網としての交通網の近代化は、電信や鉄道といった移植技術に立脚した物理的基盤の整備を進める一方で、他方においては在来交通基盤である宿駅...三郎編『鴻爪痕』一九二〇、所収)。 ★二──山根伸洋「工部省の廃省と逓信省の設立──明治前期通...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.45-47
[明治期「近代交通業発達」余話 2]
明治期初頭における電信線路網整備が凄まじい速度をもって進められたことはよく知られるところである★一。例えば東京と長崎とを結ぶ通信は、電信線路整備が郵便線路の整備に先行し、その後、東京と長崎とを結ぶ電信線路を背後から支えることも重要な目的として「官営独占・全国一律料金」体制成立以前の東京と大阪を結ぶ東海道郵便線路を長崎ま...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.40-41
[明治期「近代交通業発達」余話 3]
日本における交通網の近代化を考える際に、これまで注目されてきたものは「鉄道」であり軌道上の輸送経路の整備・拡充であった。この点については、多数の鉄道史研究、そして都市内交通網整備とあわせて都市における電化・電力供給事業の歴史に随伴する馬車鉄道・電気鉄道の整備事業史からみてもよくわかる★一。交通網の近代化という問題設定が...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.34-36
[明治期「近代交通業発達」余話 1]
日本近代を思考の対象とする際、近代の端緒を「黒船来航」の一八五三年(嘉永六)とする時期区分は、東アジア、とりわけ日本にとっての近代が欧米文明との出会いによって特徴づけられているからに違いない。ペリー提督が浦賀沖から江戸湾内に立ち入り、その後久里浜へ上陸して米国大統領の親書を手渡して後、琉球へと向かう。その翌一八五四年(...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.39-40