1959年生まれ。フランス文学、現代美術、現代思想。慶應義塾大学理工学部教授。
(最終更新:2010年11月26日)
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 8]
なぜ、未だに、これほどまでに「芸術」という言説に対して無自覚でいられるのか。しかも、「芸術」を手放しで信仰できるのか。 いわゆる「現代美術」業界の人々(アーティストも含め)と語り合うとき、しばしば感じる疑問である。あたかもデュシャンによる「芸術」の根源的メタ言語化などなかったかのように、あたかも前世紀初頭のアヴァンギャ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.22-23
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 5]
七月一七日午後一時半、豊島区立豊成小学校図工室。暑い、とにかく暑い。しかし、その暑さは単に気温だけではない。この狭い、小学校の教室の壁際に、溢れんばかりに犇めき合っている一〇〇人以上もの教師たちの異常な熱気でもあるのだ。 教室の中央には、(この連載の初回で紹介した)音楽家野村誠と赤いコンガ。そこに、生徒たちが入室してく...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.45-47
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 4]
ヴォッヘンクラウズール(WochenKlausur)。「閉鎖週間」とでも訳すのだろうか。そんな風変わりな名前を冠したオーストリアのアーティスト集団が、福岡に昨年の一一月から二カ月間滞在し、現地の教育に──彼らの言葉を使えば──「介入」(intervention)するプロジェクトを行なった。 私は、ちょうどその頃、ニュー...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.33-34
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 7]
今年の一月、初めてキューバに行った。なぜ、キューバなどに行ったのか。 四年前、フランスのグルノーブルで、文化省主催の、フランスの文化政策を学ぶ(学ばせられる?)セミナーがあった。東欧、北欧、北アフリカ、中南米、アジアなどから文化行政やアート・マネージメントに携わる人々が二〇名近く参加したが、そこでキューバの文化省に勤め...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.31-32
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 6]
慶應大学三田キャンパス。冬の透き通った青空のもと、タキシード姿で、スキンヘッドに黒い眼帯をした男が、校舎の屋根に仁王立つ。過剰な仕草で服の埃を払ったかと思うと、静止し、キャンパス中を睨めまわす。と突然、天空を指すポーズを二、三発決める。すると今度は、しなやかな手さばき足さばきとともに優雅に踊り出す……。 いったい何が起...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.38-38
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 2]
投機家そして慈善家として世界的に有名なジョージ・ソロスが、一九九八年、『グローバル資本主義の危機』★一という本を出した。一九九七年のアジア経済危機から翌年のロシア経済破綻に至るまでの歴史的状況を背景に、グローバル資本主義システムの本源的不安定性・脆弱性を分析しつつ、彼の唱える「開かれた社会」への展望を述べた本である。そ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.28-30
[脱芸術脱資本主義をめぐるノート 3]
今回は、今までの懸案であった〈脱芸術/脱資本主義〉という概念そのものを(私が今了解している限りにおいて)説明しよう★一。 前回のソロスの分析にもあったように、世界の金融資本は一九八〇年代から九〇年代にかけて急速に膨張し、グローバル化した。近代の古典的な資本主義は(例えばマルクスが分析したように)産業と金融の間を資本が絶...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.36-38
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 1]
私は、五月のとある日、相鉄線三ツ境駅にほど近い、さくら苑という特別養護老人ホームに行った。「作曲家」──わざわざ「」をつけるには訳がある──野村誠のある「作曲」プロジェクトを見学するためである。 彼はそこでどんな「作曲」をしているのか。──ホームのロビーのテーブルの上には、さまざまな楽器が雑然と置かれている。タンバリン...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.31-33