1949年生まれ。日本近代建築史研究。東京工業大学大学院教授。
(最終更新:2009年3月31日)
[1990年代以降の建築・都市 5]
...にあたる建築家だからだ[図13]。建築史家の藤岡洋保との対談において、坂本は以下のように発言して... ...で可動している多焦点の「建築」といえよう。藤岡洋保は、この住宅の狙いを的確に分析している。 そ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[論考]
...」という問題を立てているが★五、近年では、藤岡洋保がこうした問題設定を、国民国家論というかた... ...あり、優れて『近代的』な行為なのである」(藤岡洋保)という理解でまとめることもできる。ただ、...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.107-118
[論考]
...ト造校舎を建設した東京市立小学校の数 出典=藤岡洋保「東京市立小学校鉄筋コンクリート造校舎の設... ...都市公園の近代化と学校教育」(一九九六)。 藤岡洋保「東京市立小学校鉄筋コンクリート造校舎の設...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.153-167
[論考]
...風建築の伝来」が追加されている。 ★二九──藤岡洋保+小笠達也「戦前の日本建築史の叙述形式に見... ...また、戦前期の「近代建築」の用法の相違は、藤岡洋保・藤川明日香「一九五〇年前後の『近代建築論...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[年表]
日本の建築の近代について、これまでにどんな歴史的視点が生まれ、拡がり、変わっていったのだろうか。建築をきちんと考えよう、つまり歴史的に考えようとしたとき、否応な...特集=「近代日本都市計画史」(鹿島出版会) 藤岡洋保「日本近代建築史」『建築史学』1984年3月号、...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165
[論考]
一 「建築評論家」の登場 建築批評家(または評論家)という存在は、数は多くないものの、現代においてはひとつの職能として認知されている。「批評家」(「評論家」)をどう定義するかにもよるが、ここではそれを近代になって誕生した職能のひとつと見なして、初期の建築批評家(評論家)たちを中心に、この職能が成立した背景や、彼らがより...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.77-86
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...「構成」という視点が出始めていた。ですから藤岡洋保は、堀口捨己は「構成」をやり抜いた人だと書...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹...─184頁) [図1,2,5,8,20,26]藤森照信+初田亨+藤岡洋保『幻景の東京──大正・昭和の街と住い』(柏書...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
博覧会と観光 一九七〇年の大阪万博は開催期間中に六四〇〇万人を超える入場者を数えたが、その数は国内の観光量にも反映された。七〇年に国民が一泊以上の観光旅行に出か...三年四月二七日号)。 ★二三──水漉あまな・藤岡洋保「古社寺保存法成立に果たした京都の役割」(...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.164-177
[建築の解體新書 6]
正確な絵本……中谷礼仁 0 約一年前、関西に越して最初のころ、どうにも馴染めなかったのは、住まいのまわりのいたるところに古墳が点在していることでした。 下宿先...入れ替えている。 ★七──たとえば建築史家・藤岡洋保氏の一連の「日本的なるもの」に関する分析研...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.10-18
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...時の日本の建築界の特徴を逆照射しようとする藤岡洋保の視点である。欧米と伝統の間で揺れ動く建築...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54