(最終更新:2011年10月26日)
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしました。一方にモダニズムの計画的な手法ではフォローしきれない生々しい現実があり、しかしモダニズムの均質空間の限界を感じつつそれを超える論理が見当たらない状況でもあ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[ワークショップ]
スキャンデータあり、未アップ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.173-186
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 7]
「真」であるということが、我々がおこなう記述とそれによって記述されるものとの間の厳密な一致を意味する、あるいは我々の抽象と演繹の全ネットワークと、外界に関する全理解との厳密な一致を意味するとしよう。そのような意味における真実を、われわれはけっして手にすることができない。 グレゴリー・ベイトソン「誰もが学校で習うこと」...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.12-24
[CONCEPTUAL 日本建築 4]
19 土台 Sill(DODA'I = foot lyer wood): Civilization stage of wooden building 木造建物の「文明」段階 青森の市街南陵に三内丸山遺跡が発掘されたのは一九九四年のことだ。直径一㍍余におよぶ巨大木柱六本の痕跡などもみつかり、C₁₄測定によって縄文...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233
[ブック・レヴュー 4]
ルードルフ・オットー(一八六九─一九三七)の『聖なるもの』の新訳によって、この書物が孕むさまざまな可能性が再び新たに見出されることになるだろう。一九一七年の出版以来、『聖なるもの』は宗教学の分野を越えて大きな反響を呼び起こし、多くの読者を獲得することとなった。たとえばヘーゲル全集の編集者として著名な哲学者ヘルマン・グロ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.43-45
[「悪い場所」にて 11]
ICCで一二月二五日まで開催中の展覧会「アート&テクノロジーの過去と未来」を見て、少なからぬ興味を惹かれた。 と、ここでいうのは、日本で「メディア・アート」とよばれる領域について、この展覧会が、従来は見落とされがちであった、ひとつの明確な視点を提供しているからだ。 メディア・アートは、ともすれば、自身の領域の自律性、独...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.9-23
[Architecture的/Archive的 2]
第一回では建築概念と記憶概念が情報社会の自己組織性や公共性とどのような対応関係にあるか、オンライン・ゲームという概念を召還しながらマッピングを行なうに留まった。今回は具体的な情報空間的建築物の事例を引きながら、そのマップ上の各要素が接続しあうことによって立ち現われるコミュニケーション様式の実体を露出させていこう。 情...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.15-17
[新たなコミュニケーションの座標軸 3]
二〇〇五年の話題のひとつに、「特殊相対性理論誕生一〇〇周年」があった。一九〇五年にアインシュタインによって発表され、その骨子にE=mc²という方程式を持つこの理論は、コペルニクスからニュートンへと至る自然観/自然法則を書き換えたという意味では、第二の科学革命と呼ばれるにふさわしく、この一〇〇年間反証に出会っていないとい...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.20-22
[CONCEPTUAL 日本建築 6]
31 入母屋屋根 IRIMOYA (semi-gabled) ROOF 屋根型の意味作用 日本建築は屋根の建築だとしばしばいわれる。その屋根の代表は入母屋だとも思われてきた。それでは、入母屋は日本に固有の屋根なのだろうか──。 ちがう。仏教とともに朝鮮からもたらされた。その朝鮮には、おそらく仏教以前に中国からもたら...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.188-201
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。 今村──この会の立ち上げに当たって、僕は「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフを持っていましたし、日埜さんは「批評の体力みたいなものを鍛えていきた...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 1]
「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ」と題した本稿が企図しているのは、ローレンス・レッシグが「アーキテクチャ(Architecture)」と呼び(Lessig[1999=2001])、東浩紀がこれをフーコーの権力論と対比することで導き出した「環境管理型権力」の概念(東[二〇〇二─二〇〇三])を継承しつつ、それ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.23-24
[CONCEPTUAL 日本建築 5]
25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことがある。 どうしてそんなことができるのか、真剣に考えこんだ建築家や工人は多いのではないか。内法高さは前章でみたように、全国的な統一があろう。だから襖や障子は可能か...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319
[CONCEPTUAL 日本建築 3]
13 一堂一室 Plan was the plot: 'ARCHITECTURE' was brought within proselytism 布教を鍵に文明はもたらされる 面積で世界最大といわれる仁徳陵は、おそらく五世紀はじめにできた。九州政権にすぎなかった天孫族勢力(倭(わ))が瀬戸内海を渡って難波(なに...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.194-207
[作品構成]
「建築におけるセクション(断面図)の役割は死んだ」──米国、ペンシルヴァニア大学で教鞭をとる構造家セシル・バルモンドの言葉である。同大学建築学部は、二〇〇二年にミース研究で著名であるデトレフ・マーティンを学長に迎えて以来、その教育方針が大幅に変わることとなった。それまで同大の歴史を形づくってきたルイス・カーン時代の教授...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.177-180
[作品構成]
アルゴリズム的思考を用いると従来の建築とどう変わるのだろうか? 僕自身これまで、「関数空間/Algorithmic Space」と題していくつかプロジェクトを発表したり、非常勤講師をしている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで同名の設計課題を出したりしているので、学生や同世代の建築家から上述のような質問をよく受けることがあ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160
[Architecture的/Archive的 3 ]
用語の整理から始めよう。 MMO現実感(Massive Multi-Layered Online)という言葉は、常にネットワークに接続し、大規模多数の不可視の他者の存在が実世界環境内における現実感生成に多層的に影響を及ぼす状態を想定している。そこで最も直接的に実世界環境に作用する位相として情報技術によって可塑性を与えら...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.19-20
[都市表象分析 22]
1 無意識都市のダイビング ジョージ・キューブラーは著書『時のかたち』で、通常では単体と見なされる事物の各構成要素がそれぞれ異なる年代に属している場合がありうることに注意をうながしている。長い年月にわたって建造された建築物などがそれにあたる。キューブラーは、あらゆる事物は異なる「系統年代(systematic age)...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.2-12
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展をし、どのように計画されてきたかを概観する必要性を感じたことから、オリンピックと関連するひとつの都市を取り上げ、研究することになりました。 そこで、今回はバルセロ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[新たなコミュニケーションの座標軸 1]
この書評欄は、時季ごとに数冊の近刊書(とそれに接続される限りでの古典的な著作)を評しながら、「新たなコミュニケーションの座標軸」についての問題やヒントを見出すことを目的とします。私と読者の皆さんのあいだの「コミュニケーション」でもあるこの場で、それが果たされることを願ってやみません。 * ではなぜ初回の表題からかくも訝...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.21-23
[インタヴュー]
「アーキラボ」について 今村創平──マリ=アンジュさんは「アーキラボ」展に関連して多くのインタヴューを受けられ、すでに質問されることにはうんざりされていることとは思いますが、よろしくお願いします。これまでのインタヴューはみな、森美術館での展覧会についてのものだったかと思います。今日はそうではなく、「アーキラボ」という活...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[技術と歴史 5]
素材と技術革新 安田──今日お話しすることは「ものづくり」の経験から得た素材に関連した話です。これまでさまざまな建築に出会って大きな影響を受けてきましたが、影響を受けてきた建築には共通点があります。もちろん建築構成の斬新さや形態そのものにも魅力を感じますが、特に私が惹かれるのは挑戦的な素材の使い方をしているものからであ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[図版構成]
経済─空間単位としてのメガリージョン グローバル・シティを経済的なメガリージョンとして考えるべきだ。 東京都のGDPは8361億ドル。韓国に次いで15位。オーストラリアやオランダを抜いている。つまり、経済規模は一国と同程度。もはや、都市をその国家の枠組みにおいて考えるのではなく経済的規模で捉える必要があることを示してい...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.210-218
[地上にて 3]
地形図──都市への考古学的接近 以前、本誌のNo.42で紹介したことがあるのだが、国土地理院が発行する「数値地図五メートルメッシュ標高データ」というものがある。航空機からのレーザー測量データをもとに、地上構築物や樹木などを除去した地表面の標高データで、現在、「埼玉県南部」「東京都区部」「名古屋」「京都・大阪」および「福...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.240-251
[地上にて 1]
防災のデザイン 今年(二〇〇七)五月、六本木のAXISギャラリーにおいて、「Exit to Safety─デザインにできること」と題した展覧会が開催された。都市型大地震を想定した「防災」をデザインする、というテーマのもと、分野の異なるデザイナー七組が参加し、シェルターやシートとして使える衣服や、飲料水のペットボトルが格...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.206-214
[筑波]
ツクバヒストリー 01 MONEY STREAM 筑波研究学園都市は国主導で建設された人工的な都市である。高度経済成長期を背景とし、その建設過程には、様々な人々の夢とともに、莫大な費用が掛けられていた。こうしたつくば建設の背景を、当時の新聞記事と予算記録から建設費の流れに沿って捉えてみた。 伊藤麻依子 研究学園都市構...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127
[宇宙建築年表]
宇宙建築構想史① Stillborn Concept 日の目を見ることなく埋もれてしまっている優れたコンセプトたち 「Good artists copy, Great artists steal.」(優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は単に真似をするだけでなく、それを自分のものとして取り入れ、より優れた...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.141-148
[フィールドワーク]
スキャンデータ有り 未アップ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.187-192
[特別掲載]
福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48
[フィールドワーク]
「LINK TOKYO MADRID」(以下LINK)は都市公共空間とそこに展開される生活様式に関する共同研究を目的として、東京とマドリッド(スペイン)の複数の若手建築家と建築を学ぶ学生たちによって行なわれたワークショップである。LINKはまた、都市の在り方を問う調査と提案という一面のほかに、東京と、いま注目を浴びるマ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.161-168
[テクノロジーロマン 4]
不思議なキッチンを見かけた。英国で一九世紀に製造されたというアンティーク・テーブルに、落ち着いた輝きを放つステンレス製の最新式のガス・テーブルとシンクが載せてある。しゃれた水栓が添えてある。その異質な組み合わせがまず目を引いた。謳い文句は、「世界にたったひとつしかない究極のパーソナル」。一流キッチン・メーカーのセミオー...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.39-44
[ネット公正論──データの逆襲 1]
最終結果だけでなく、そこへの過程も同時に示すような作品。バラバラのカードに記されたノートや、かべにうつされる図や公式とともに上演される。 過程と結果を区別することにどんな意味があるのか? ニューヨーク州バッファロー、一九六八・二・四 集団的創作は、具体的なモデルの上に作曲家・演奏家・聴衆の三つのちがう機能が結合され...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.30-38
[テクノロジーロマン 3]
身の回りにある「住設」(住宅設備)を見てみると、自分たちの意思とは関係なく勝手に動き出す機械が増えていることに気づく。人の動きや照度などに反応する照明器具、人のいる位置を目指して調和された空気を吹きかけるエアコン、室温に反応して作動する暖房機、便座を立つと吸気をはじめる脱臭器、浴槽の水温を感知して湯を沸かす給湯器、気温...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.31-36
[ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 3]
本連載では、第一回でP2P(Winny)を、第二回でSNS(mixi)を扱ってきた。そして今回は、二〇〇六年に最も注目を集めたソーシャルウェア、動画共有サイト「YouTube」をケースに扱う。YouTubeは、二〇〇五年のローンチ以来、きわめて短期間のうちに大量のユーザーを獲得し、二〇〇六年一〇月にはGoogleへの約...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.44-46
[テクノロジーロマン 2]
少年が巨大ロボットや空飛ぶ車をリモコンで操り、世界征服を企む悪の秘密結社を相手に活躍するというTVアニメーションが、一九六〇─七〇年代に子供たちの心をとらえた。鉄人28号、スーパージェッター、ジャイアントロボ……、自身を遙かに超える超越的な力を自在に操れることに興奮を覚えた。私にとって初めてのリモコンのイメージは、疑う...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.27-32
[音響場試論 4]
音楽制作・配信技術の陳腐化と個人の表現可能性 三回にわたり続けて来た本試論も今回で最終回となる。これまでの三回で大雑把に、一九世紀末から二〇世紀末までのパリの音響場の生成・変形を、都市開発、録音・再生技術、情報・通信技術の発展を軸にして俯瞰してきた。図式的な整理を行なうなら、最初に演奏者と聴衆の分離と(ブルジョワ的・合...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.41-43
[リアリティについて 8]
おそらく建築と文学は人類の技芸として最も古い伝統をもつ分野だろう。長い時間をかけて系統だった建築的思考が形成された。それがいかなるものかつねに明示的であるわけではないにしても、多かれ少なかれわれわれはそれを暗黙の了解としている。例えばなんらかの幾何学により空間に秩序をもたらすこと。工学的知によってそれに必要な性能を与え...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.45-47
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 4]
本連載ではこれまで、P2P(Winny)・SNS(mixi)・動画共有サイト(YouTube)といったソーシャルウェアのケーススタディを通じて、「アーキテクチャ」(Lessig[1999=2001])あるいは「環境管理型権力」(東[2002-2003])が果たしてどのように設計され、社会的に普及・定着し、いかなる社会秩...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.49-51
[作品構成]
自然/コンピュテーション/コンピュータ 「Computing」あるいは「Computation」という思考法は、筆者がこの原稿をタイプしている物理的実体としての「コンピュータ(計算装置)」を超えて、自然界/生態系や社会★一、ヒト★二の現象や運動の総体を、「計算」という観点から捉え返そうとするものであるといえる。そのメタ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.149-154
[論考]
このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ばれる一連の政策によって、東京都心では二〇〇〇年以降の七年間で二〇〇棟もの超高層建築物が建設されたという★一。かつてはランドマークとして機能していた東京タワーも、...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.76-84
[インタヴュー]
1 伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作った後にはユーザーに見せるといったスパイラル的な作り方をされている。山本さんがユーザーという言葉を使われていることを興味深く思っています。 今回の特集「建築と情...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[フィールドワーク]
頭上には六車線道路、左右は工事現場という膨大なノイズで満たされた空間──この写真から、この場の轟音が聴こえるであろうか。 可視領域と不可視領域のズレ、隠れた接合部、線的ではない多次元的な移動。音を通して都市に立ち会うとき、視覚・聴覚・身体的なノイズで覆われていた都市の構造が顕わになる。ここでは、その音による都市の読み取...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.56-69
[White Page]
東京では、ゴミが出しにくい。消費する物質量の削減が求められているからだろう。近頃では資源を再び回収するための「東京ルール」などというものが特別に定められているほどである。つまり、都市の流通システムの組み直しが行なわれているわけだが、それはまた都市を構成する要素に再生可能なものが望まれている、ということでもある。 それは...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.140-143
[万博という問題系1]
《タカラビューティリオン》《東芝IHI館》 五十嵐——黒川先生のお仕事は多岐に渡っていますが、今日は「万博」をめぐっていくつかおうかがいしたいと思います。 まず、七〇年の大阪万博において、黒川先生は一九六〇年代に提案された実験的なアイディアを試みる場として、二つのパヴィリオンと空中展示のカプセル住居を手がけられています...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[論考]
序 東京にクラブとよばれる空間が、都市に穿たれた穴のように点在している。 一九八九年、現在に直接つながるクラブ、芝浦GOLDが出現した。九〇年代前半、バブル最後の仮象をはなったジュリアナ東京などの大型ディスコと入れ替わるようにして、クラブは増殖していく。その後、ハウス、テクノ、ヒップ・ホップ、トランス、レゲエなどへ細分...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.92-99
[翻訳]
メディア・ハウスは、マサチューセッツ工科大学メディアラボ・コンソーシアム(思考するモノ)とバルセロナのメタポリス・グループ、カタルーニャ・ポリテクニカ財団がI2CATコンソーシアムとエリサヴァ・デザイン・スクールとのコラボレーションにより作り上げた戦略協定(strategic alliance)の成果である。この戦略協...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.113-124
[論考]
1 人間の不在/マネキンの現前 士郎正宗の『攻殻機動隊』、あるいは押井守の『イノセンス』における義体─義手や義足のように人間身体を人工物で代置したもの─は、普通の人間身体よりも多くの「穴」を持つ。すなわちそれは、首の後ろにある四つのジャックである[図1]。義体はこのジャックを持つことにより、都市のいたるところでネットワ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.208-217
[論考]
1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR)」をめぐる議論が交わされていたことは記憶に新しい。もちろん厳密に考えるならば、ウェブの普及と、諸感覚のシミュレーションをめざす狭義のVR技術が直接関係を持つわ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[フィールドワーク]
不可視の領域である皇居と、それを円環状に取り巻く都市域によって、長らく「空虚の中心」(ロラン・バルト)としてイメージされてきた東京の都心。この特異な領域をめぐって、ヨーロッパの国際建築展において与えられた“urban voids”なる概念をスプリングボードとしつつ、ここで都市イメージの更新を試みる。すなわち、広大で不可...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.181-192
[スタディ]
リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)より少し若いが、彼らとほとんど同時代を生き抜いた。アメリカで生まれ育ったフラーは、ヨーロッパ生まれのモ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[論考]
東京の凹凸を観察し、体験するグラウンディング集団 「東京スリバチ学会」が、 フィールドワークを通して発見した、 新たな地べたのレイヤーを紹介します。 東京スリバチ学会とは 東京スリバチ学会とは、東京都心部のスリバチを観察・記録する目的で、二〇〇四年の春にいきなり設立されたグループです。われわれが「スリバチ」と呼ぶのは、...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.58-61
[建築を拓くメディア]
本稿が活字になる頃にはすでに開幕しているはずなのだが、「愛・地球博」(以下愛知万博)が一向に盛り上がる気配を見せない。スタジオジブリが「トトロ」の民家を再現するといった散発的なニュースこそ聞かれるものの、景気のいい話はほぼ皆無、会期が近づいていると実感するのは、時折NHKでイメージキャラクターのモリゾーとキッコロを起用...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145
[建築を拓くメディア]
まずは、この一冊。Alex Hartley, LA Climbs, Black Dog Publishing, 2003.を紹介することで、拙稿に勢いをつけたい[図1]。若者文化総合雑誌『STUDIO VOICE』二〇〇五年一月号(「特集「最終ブックリスト三二〇」、INFAS)でも紹介したのだけれど、建築プロパーがより...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.142-143
[論考]
「冬になると雪山へ足を運び、スキー板を両足に装着して雪斜面を滑り降りる」[図1]。都心部では経験することのできないこの貴重な体験の何が人々を惹きつけているのだろうか。滑る雪質や斜度、天候、気温、湿度、風、重力、景色、友人と一緒に滑る楽しみなど、さまざまな要因が考えられるが、スキーの醍醐味といえば、やはり雪山を滑降する際...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.70-72
[論考]
1──マラソンから見る「地形」について 「東京国際マラソン」は、日本のマラソンコースの中でも「最も難しいコース」と言われている。それもそのはずである。マクロに見れば大きな台地のスタート地点から低地のゴール地点へ大きく駆け下りていくのだが、さらにその過程でいくつものミクロなアップダウンを複雑に通過していく。折り返し地点を...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.73-75
[資料]
●関連図書 宮脇昭『植物と人間──生物社会のバランス』NHKブックス、1970 貝塚爽平『東京の自然史』紀伊國屋書店、1976 ロラン・バルト『エッフェル塔』(宗左近+諸田和治訳)審美社、1979 槇文彦『見えがくれする都市』鹿島出版会、1980 坂誥秀一『日本の古代遺跡(32)東京23区』保育社、1987 貝塚爽平『...
[インタヴュー]
石川初──「Living World」★一の活動や作品には、僕らが「グラウンディング」と呼んでいるような視点に共通するものを感じますし、啓発されています。今回は、あらためてその「テーマ」をお聞きしたいと思いました。去年(二〇〇五)の夏に、「窓」というタイトルで個展をされました★二。 1──LW with 下村義弘(SD...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.98-99
[論考]
旅はデザインとテクノロジーによって制御されている。ロサンゼルスからロンドンへのフライトにおいて、ネバダのはるか上空で眠り、スコットランド上空で目覚めるということが起こりうる。かつては英雄的なものだった旅物語も、クルーズコントロールとエアーコンディショニングそしてカップホルダーといった快適なしつらえのなかに失われてしまっ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.94-97
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました。あらゆるジャンルでもそうですが、そこには必ず先達者がいる。特に建築史研究では彼らの行なっていたことは引用、ときには批判という形で最大限尊重します。その対象のな...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
一 ヒロシマの無縁仏/ナムサンの住宅地 丹下健三との共著というかたちをとった藤森照信の『丹下健三』(新建築社、二〇〇二)に、丹下自身が撮影したという建設中の広島ピースセンターの写真が載っている[図1]。荒々しく型枠の痕跡を刻むコンクリートの塊が、かぼそく頼りなげな足場に囲われて屹立する、その前面に焼け焦げた墓石群が横た...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.90-99
[論考]
「計画」という呪縛 長い間「都市計画」について疑問を持っていた。なぜ「都市」「計画」であるのだろうか? 例えば建築と同水準で語られるときに、「建築と都市計画」というように、なぜ「都市」にだけ「計画」という語がつくのだろうか。本来「建築と都市」あるいは「建築計画と都市計画」と併置されるべきではないのだろうか。日本の現在...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.160-168
[設計思想・教育]
アメリカ合衆国南部、テキサス州ヒューストンといえば、NASA。そのNASAとも関連深い、笹川国際宇宙建築センター(通称SICSA=Sasakawa International Center for Space Architecture)がヒューストン大学にある。私は、SICSAに二〇〇五年夏までの約一年間、客員研究員と...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.156-157
[設計思想・教育]
はじめに 宇宙における建築デザインを追求していくと、極地環境下における生産・建設・管理の問題やデザイン上の規制の壁にぶつかることとなる。キット・オブ・パーツ・システムは、こうした極地におけるデザインを考える上での手助けとなるだろう。 キット・オブ・パーツ・システムとは、ジョイント構法、パネル構法、モジュール構法、展開構...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.149-151
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹介してくれた人物として知られる。だが、そうした「日本文化礼賛者」としての側面に光が当てられてきた一方で、タウトが同時代の「東京」をどのように見ていたか、について...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
世界中にデコン建築の亜流が建ち始めた。日本も例外ではない。近所の工事現場で龍が天にも昇るような完成予想パースを見た。銀座の一画で津波のようなビルに出くわし、原宿に氷山が崩壊したようなガラスのビルを見た。こうしたモンスターのような建物を見ながら、一体これらの意味するものは何か考えみた。 モダニズムは視覚の時代だった モ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.106-107
[建築を拓くメディア]
筆者は〈情報と建築〉をめぐる書物を、次の四つのカテゴリに分類して本棚に収めてきた。 1. コンピュータ上の立体造形がパラメトリック・デザイン→アルゴリズミック・デザイン→ジェネレイティヴ・デザインといった方法論へ展開し、進化的構造計算手法と結びついた〈形態生成の系〉。 2. 情報時代と環境時代の融合を象徴するイコンと...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.128-129
[論考]
0 メガロポリスとオーガニゼーション・マン 一九四二年、鉄道でアメリカ北東部を旅していたフランスの地理学者ジャン・ゴットマンは、ヨーロッパには見られないような数多くの大都市がそこに列をなして展開されていることに気がついた。彼はその後五一年にアメリカへ活動拠点を移し、北東部の湾岸沿いに広がるその巨大な帯状の都市化地帯の本...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[論考]
Q──次回の横浜トリエンナーレ(浜トリ)の開催が近づいてきたね。 A──うん。二〇〇八年九月一三日開幕だからもう一年もない。今回は二〇〇一年、二〇〇五年に続く三度目の開催で、総合ディレクターに水沢勉を迎えて、「タイムクレヴァス」(時の裂け目)というテーマを掲げているそうだ。参加アーティストの選考にはハンス=ウルヒッリ・...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.128-129
[構造・材料]
ジュール・ヴェルヌは、歴史的にサイエンス・フィクションのパイオニアと言える人物である。そして刊行から一世紀以上が経過した後、彼の空想小説は航空宇宙の歴史と驚くほど一致することが明らかになった。有名な作品のひとつである『月世界旅行(De la Terre à la Lune)』と、それに続く『月世界へ行く(Autour ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.104-108
[翻訳]
工場も仕事場も仕事もなく、さらに上司もいないプロレタリアートは、雑多な職のごたまぜの只中にいる。彼らは生き残るのに必死で、余燼を通る小道のような生活をいとなんでいる★一。 パトリック・シャモワゾー 一九七八年以来のネオリベラルグローバリゼーションによる構築術の残忍さは、後期ヴィクトリア朝の帝国主義の時代(一八七〇─...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.121-137
[論考]
ここでは、アンビルトの実験住宅について見ていくのだが、そもそも実体を持つ建築というジャンルにおいては、アンビルトというあり方そのものが、きわめて矛盾をはらんだものであり、それだけで実験的であると言えてしまう。そこで、まずは住宅に限らず、建築全般におけるアンビルトについて考えてみる。 計画が頓挫してしまい実現しないという...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[論考]
一 まなざしの送り返し 一九六〇年代前半から勃興しはじめたデザイン・サーヴェイが、保存の問題や設計リソースの収集という「有効性=有能性」を保持していたのに対して、六〇年代後半、雑誌『都市住宅』に連載されていたコンペイトウ★一や遺留品研究所★二などの活動は、前期のデザイン・サーヴェイがもつ「有効性=有能性」に対する批判と...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.108-119
[論考]
一 近代アジア調査術の誕生 一九八五年、『東アジアの近代建築』という一冊の本が刊行された★一。これは、村松貞次郎退官記念として、藤森照信の主催で行なわれた同名の国際シンポジウムにあわせてのことであった。 巻末に付された近代建築のリストを見るならば、この本は、一九八七年以降、藤森を代表として展開していく「近代アジア都市遺...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[論考]
「物はなぜゴチャマゼになるのか」というグレゴリー・ベイトソンと娘メアリーの会話がある★一。自分の部屋が直ぐ「ゴチャマゼ」になるのはどうしてか? と問うメアリーに父親ベイトソンは「片付いた」状態より「ゴチャマゼ」状態の場合のほうがはるかに多いからだと答えるのだが、そこへ至る過程で見逃せないのは、片付いた状態というのは誰...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.112-119
[論考]
都市への想像力 先日、建築学科の学生と話をしていたら、ひとつ驚かされたことがあった。東京でいちばん好きなのは表参道だという話だったので、ホコ天がなくなったから僕にはつまんないねと言ってみたら、そんな話は聞いたことがないという。彼女はどうやら現代建築が並ぶ今の様子が気に入っていたらしく、八〇年代の竹の子族、九〇年代のバン...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.162-172
[事例]
潮待ちの港・鞆の浦 広島県福山市の沼隈半島に位置する鞆の浦は、瀬戸内海に面した小さな港町である。眼前の瀬戸内海には仙酔島・弁天島をはじめとする数々の美しい島々が浮かぶ。鞆の浦から眺める一体は「鞆公園」として国の名勝に指定されている★一[図1]。この景勝は万葉の時代から知られていたが、一方で天然の良港にも恵まれ、瀬戸内航...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.107-112
[論考]
前書き 二〇〇六年九月二一日、中国・広州東方ホテルに全国を代表して約千名の都市計画家たちが一堂に会し、「二〇〇六年中国都市計画年会・中国都市計画協会成立五〇周年祝典大会」が開催された。 この大会の目的は、都市計画家が中国の都市の発展と展開における基本的な立場を示したうえで、社会に都市計画の専門性と価値観を広報し、政府と...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.87-94
[論考]
歴史・メディア編では、一九七〇年代のロバート・ヴェンチューリらの「ラスベガス」、八〇年代のケネス・フランプトンの「批判的地域主義」とリアンヌ・ルフェーヴルの「ダーティ・リアリズム」、九〇年代から二〇〇〇年代のチャールズ・ジェンクスの「アイコニック・ビルディング」をめぐる議論を比較参照しながら、それらと異なる「批判的工学...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.98-99