1957年生まれ。批評家。京都造形芸術大学大学院長。
(最終更新:2010年11月26日)
[万博という問題系2]
...とんどそれだけなんですね。浅田孝の甥にあたる浅田彰さんがメディアに登場してきたのがちょうどそ... ...に代わって牽引してきた後見人のうちのひとりが浅田彰さんではないかと思うんです。先ほどつくば博...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[非都市の存在論 1]
...による。 ★五──ジャック・デリダ・磯崎新・浅田彰「ジャック・デリダ氏を囲んで──ディコンスト... ...UPU、一九八六年)一五六─一五七頁。 ★九──浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館、...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.16-27
[キーワード]
...ニス等。また、建築プロパー外からは、デリダ、浅田彰、柄谷行人、ジェイムソン、ハーヴェイ、ライ... ...与っているとして東が批判的にその活動を評する浅田彰は、磯崎の「海市」のプロジェクトにコミット...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[都市表象分析 12]
...画案「哀悼=朝(Mo(u)rning)」模型 出典=磯崎新┼浅田彰監修『Anyway』NTT出版、19958──古殿地から見る伊... ...ンド「哀悼=朝 Mo(u)rning」(田中純訳、磯崎新┼浅田彰監修『Anyway』、NTT出版、一九九五)一六九─一七...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[グローバリズム 3]
...1 ロンドン 一九九一 浅田彰は西欧での現代日本文化の見方に関しては二つのオリエンタリズムの危険... ...いのか? それが次の課題である。 註 ★一──浅田彰「旅の日記から」(『InterComminucation』No.24、NTT出...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[グローバリズム 5]
...うもなく立ち戻らされる。 したがって私には、浅田彰のようにアイゼンマンやリベスキンドのプロジェ... ...み」ウェブからのダウンロード)。 ★二二──浅田彰「ベルリン──記憶の政治学」(『波』一九九九...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[都市/テクスト]
...ノロジーの普及が牽引している。また、これらを浅田彰が整理した九〇年代の二大潮流であるビッグネ... ...文化』一九九六年二月号)。 ★二──磯崎新+浅田彰「デミウルゴモルフィズムの輪郭」(『Anybody』、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[批評]
...の問題であった。ツェランをめぐるある座談会で浅田彰や小林は、ツェランの詩の表面を走っている傷... ...同、二二一─二二二頁。 ★二九──次を参照。浅田彰+小林康夫+平野嘉彦「カーネーションに捧げら...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.92-103
[Urban Tribal Studies 5]
...的な基盤として見ているのだ。日本の八〇年代に浅田彰が述べた「逃走」の戦略、つまり消費と差異化... ...はかぎりなく近く、そしてまたかぎりなく遠い。浅田彰は六〇年代や七〇年代の対抗文化と完全に切断...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[非都市の存在論 2]
...Anyplace. Anyone Corporation, New York 1995, p.120.[磯崎新+浅田彰監修『Anyplace』(NTT出版、一九九六年)、一三〇...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.16-27
[知の空間=空間の知 1]
メソポタミアから近代まで 一九世紀中葉、「近代」という名で呼ばれる未曾有の記号の布置を準備しつつあった西欧の大都市に、或る「知の装置」が出現する。ロンドンの大英...美を見せる中央ロトンダを参照せよ。 ★三──浅田彰「空間の爆発」(樋口謹一編『空間の世紀』筑摩...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.2-15
[論考]
その問いに取りかかる前に、次の問いについて考えてみて欲しい。「バブル建築」の横行した二〇年前と現在とでは、はたしてどちらがマトモな建築の時代といえるだろうか? ...対極にあり、そこから一歩引いて超然と磯崎新と浅田彰が毎回掘り下げた問いを提起する。この三つの...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.150-151
[ビルディング・タイプの解剖学 8]
本連載は再び学校の問題を論じ、近代施設の円環を閉じることにする。初回にとりあげたジョセフ・ランカスターによるモニトリアル・システムとは、教師(マスター)が助教生...えだったことは言うまでもない。ここで、かつて浅田彰が比較した二つの教室が思い出される。ひとつ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.36-38
[都市論の系譜学 2]
「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市...ればならない(ジェイムソンはその一例として、浅田彰による「老年=ヨーロッパ、壮年=アメリカ、...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...。ある意味で言えば分裂を抱え込んでいた。後に浅田彰が「スキゾキッズ」ということを言いはじめま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...ーマにした建築のシンポジウムで、隈研吾さんや浅田彰さんとご一緒に愛知博について発言されていた...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[レヴュー]
磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊からなる充実した書物(タイトルにもかかわらず現代建築史の資料としてもきわめて価値が高い)も出版された[図1]。そのインパクトは、実現された建築群に勝るとも劣らな...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[技術と歴史 4]
石山──今日は前半で設計などの考え方のべース、後半では開放系技術を実際にどのように表現しているかについて話したいと思います。 初めに、ロケット開発の歴史について...を日本で初めて作った人です。この浅田孝の甥が浅田彰です。川合健二に僕は二五、六歳ぐらいの時に...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[1990年代以降の建築・都市 7]
すぐれた作品は時代を超えて、われわれに問いかけるものがある。 二〇〇二年に再制作された磯崎新の《エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)》もそうした作品と言える...れたのではないだろうか。オープニングを訪れた浅田彰は、KPOヴァージョンを「地獄のパッサージュ」...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[都市表象分析 4]
1 蜂起機械と暴力の神 一九九九年に刊行された福田和也による奇妙な書物『日本クーデター計画』には、「自由の擁護者たちに捧げる」という献辞につづけて、クルツィオ・... ★四六──蓮實重彦「署名と空間」(磯崎新+浅田彰編『Anywhere』、NTT出版、一九九四所収、一五八頁...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.2-13
[建築の還元 2]
1 社会的歪像としての建築 建築が、例えば社会といった言葉で代称されるようなシステム(あるいはシステム化された活動の集合形態)をその背後で認識するとき、ほぼ例外...なアレゴリー」(末廣幹訳、『Anywhere』磯崎新+浅田彰編、NTT出版、一九九四)二〇四─二〇五頁。 ★...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政...は「芸術と客体性」(川田都樹子+藤枝晃雄訳、浅田彰ほか編『モダニズムのハードコア』、太田出版...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[建築を拓くメディア]
跳躍台としての言葉 建築は、言葉では建たない。 千言万語を華麗に費やしてみても、建築が現実につくられゆく情況のなかで、言葉はモノの具体性に対して塵ほどの力も持ち...一九九九)が挙げられる。サッセンは、磯崎新と浅田彰をディレクターとする、建築と思想の国際的な...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指...ット、二〇〇〇)。 ★一一──筆者と磯崎新・浅田彰・隈研吾らによる座談会「『建築の解体』あるい...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を...木英明訳、『Anyway──方法の諸問題』、磯崎新+浅田彰監修、NTT出版、一九九五)。 ★五──ヘルツォ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの...始まる。4 『InterCommunication』(NTT出版、1992─) 浅田彰らが中心となりインタージャンルの批評や活動...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[批評]
建築にとって装飾とは何か? 現在の装飾論ということであれば、まず鶴岡真弓の仕事に触れなければなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によっ...九という言葉が、八〇年代初頭に一世を風靡した浅田彰『構造と力』(一九八三、初出一九八一)の冒...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[批評]
...rk: Rizzoli, 1991, pp.198-99. 邦訳=『Anyone』(磯崎新+浅田彰監修、NTT出版、一九九七)。Anyoneの編集者シンシ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[批評]
1 路上という〈驚異の部屋(ヴンダカンマー)〉 松山巖は著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会における建...──磯崎新ほか「情報・空間・建築」、磯崎新+浅田彰監修『Anyplace』(NTT出版、一九九六)所収、三〇...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.133-143
[鼎談]
...ういう調子で書いている。その端緒になったのは浅田彰の『構造と力』(勁草書房、一九八三)で、主... ...ようで、驚きました。僕は建築が解体したのちのアキラのような心情でやってきましたが、この場所に...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
1:例外状態の建築家たち 一九九七年三月にベルリンでAnyone Corporationの主催により、「ヴァーチュアル・ハウス」をめぐるフォーラムと設計競技が開...・リベスキンドであり、カート・フォースター、浅田彰、レベッカ・ホーンが審査にあたった。五十嵐...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[批評]
1ベルリン──〈零年〉の都市 「場所の諸問題」をテーマとした一九九四年のAnyコンファレンス〈Anyplace〉において、イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオー...ビオー(拙訳)「テラン・ヴァーグ」、磯崎新・浅田彰監修『Anyplace』(NTT出版、一九九六年)所収...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...かったし、ニューアカデミズムの寵児と呼ばれた浅田彰や中沢新一などの著書も相当読まれていたはず...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92