2004年生まれ。
(最終更新:2011年2月23日)
[都市の表象分析 16]
ヴェネツィアにほど近いパドヴァの街の中心に、転倒した船の船底のような屋根をもつパラッツォ・デッラ・ラジォーネは建つ。「サローネ(大広間)」と呼ばれる巨大なホールを二階に有するこのパラッツォは、一二一八年から翌年にかけて建造され、幾度もの焼失と破壊をくぐり抜けてきた。サローネのほの暗い空間を囲む壁面は四方びっしりと、占星...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.2-11
[宣言]
まだ見ぬ参加者たちへ 先行デザイン会議開催のお知らせ 世界の混迷はますます深まるばかりです。このような世の中においてもなお信じるに足るべきものがあることは、幸いです。それはすでにできてしまった〈先行物〉の存在です。計画道路を曲げる古墳、タウンプランニングを左右する条里制、これらはいずれも優秀な先行物です。 このたびそ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.65-65
[現代住宅論 1]
この連載では、現代の住宅が抱えているさまざまな課題について考えてみたい。できるだけ広いコンテクストで考えるつもりだが、僕自身、実際の設計に携わっている立場なので、視点の偏向を免れることはできない。しかしあえて特定の視点から出発し、徐々に視点を拡大しながら最終的には自分の視点を相対化する方向へ進むように努力するつもりであ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランといった幾何学的なことに対応し、「物質的想像力」は素材や物質そのものに対応する、という区分をしました。近代建築以降のさまざまな建築理論は、どちらかというと形式的想像...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[都市表象分析 10]
1 類推の魔とノスタルジア 第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥瞰図を描くことを習慣にしていた。彼は連想のおもむくまま、それまで目にしたことのあるあらゆる都市の美しい街路や広場、建物などをそこに集めたという。のちにエジプトの...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealogy of the Practice” 二〇世紀末におけるまったく新しい建築を求める議論からフォールディングは登場...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[モノとマチの向こうに見えるもの 3]
昨年末に岡山の不動産会社から連絡があって、急遽岡山へ飛んだ。なにやら、大規模開発がなされる敷地を見て欲しいとのことだった。早速車で飛行場から現地に直接向かうこととなった。その敷地にはブルドーザーがまだ残っており、広大な敷地の周りには水田が広がり、実に殺風景な光景が目の前に広がっていた。全区画三八戸の宅地開発プロジェクト...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.17-19
[論考]
1 空間とは物質により規定されるものではなく、感覚と情報が連結される可変的な場である。それゆえ空間と視覚と精神は常にダイナミックな流動状態のなかで相互に浸透し、融合し合い、世界の新しい経験の仕方や新しい感じかたを要求し続ける。 ヨーロッパからアメリカへ移動したバウハウス精神の変質を体験し、その地で建築から感覚情報へバウ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.205-216
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間4]
円形競技場はきっちりとした形態を備え、その機能を明確に体現した形となっている。それはもともと、無造作な容れ物として考えられたものではなかったのであって、それどころか綿密に考え尽くされた構造、建築表現、形態を備えていたはずである。しかしそれを取り巻く外的状況変化は、それは人類の歴史上最もドラマチックな瞬間の一つであったの...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.12-23
[都市の表象分析 13]
1 英雄というプレテクスト ニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地利用をめぐっては、選出された七つの建築家チームによる九つの計画案が二〇〇二年一二月一八日に発表された。展覧会や集会を通し市民の意見を広く集めたうえで、翌年の二月四日にローアーマンハッタン開発公団(LMDC)とニューヨーク・ニュージャージー港湾局は、案...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.2-11
[1990年代以降の建築・都市 7]
すぐれた作品は時代を超えて、われわれに問いかけるものがある。 二〇〇二年に再制作された磯崎新の《エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)》もそうした作品と言えるだろう。ドイツのメディア・アート系美術館であるZKMの「イコノクラッシュ」展において、三四年ぶりに幻の《エレクトリック・ラビリンス》は復活した。 よく知られてい...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[モノとマチの向こうに見えるもの 4]
はじめに 最近、身の回りで愛好者が増えているポータブルミュージックプレイヤー「iPod mini」の裏面にある「Designed by Apple in California Assembled in China」という刻印に目が留まった。「Designed by Apple」といった場合、内部の微細な部品の設計図を描...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.29-31
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した回ではローレンス・レッシグの『CODE』を読みましたが、それがインターネットと規制の問題を扱った本であることにもまして、「限られたリソースをどうやって分配するか...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[CONCEPTUAL 日本建築 4]
19 土台 Sill(DODA'I = foot lyer wood): Civilization stage of wooden building 木造建物の「文明」段階 青森の市街南陵に三内丸山遺跡が発掘されたのは一九九四年のことだ。直径一㍍余におよぶ巨大木柱六本の痕跡などもみつかり、C₁₄測定によって縄文...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233
[サウンド+アート+サイエンス 1]
気鋭のアーティスト渋谷慶一郎さんと、第三項音楽という新しいサウンドアートをたちあげたのは去年の一二月である。第三項音楽はコンピュータでつくり出す音の世界である。「現代アート」といわれているものの多くが視覚優位なアートであって、音を使ったアートもあるものの、どちらかというと視覚的なもののオプショナルなものとして添えられて...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.28-29
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[技術と歴史 3]
一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さらに装飾と技術も二律背反である、あるいは二項対立であるという考え方があります。それをもう少し考え直してみたい。それはある意味では近代批判、近代の再検討ということ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワーは武士の鎧をイメージしたのだという。設計者は日本人ではなくアメリカのKPFである。名古屋にもフランクフルトにも、もちろん本拠のシカゴにもタワーを建てているいわ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[連載 4]
11 建築か革命か 「建築か革命か」、いうまでもなく、『建築をめざして』の最後の文章である。この真ん中の「か」は、フランス語の「ou」つまり英語の「or」であり、そこだけだと「すなわち」という意味にもなりえる。「建築すなわち革命」、ロシア・アヴァンギャルドの文章であったら、そう訳さねばならないが、ル・コルビュジエはそれ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、小雨が降りしきる視界のすぐれない天候だったせいか、なんとも幻想的な第一印象を抱いた[図1]。おそらく山村を背景にして建物の正面に並ぶ、原木さながらの四本の柱が想...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[作品構成]
アルゴリズム的思考を用いると従来の建築とどう変わるのだろうか? 僕自身これまで、「関数空間/Algorithmic Space」と題していくつかプロジェクトを発表したり、非常勤講師をしている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで同名の設計課題を出したりしているので、学生や同世代の建築家から上述のような質問をよく受けることがあ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職能に強い関心を抱いておられた時期ということになるかと思います。当時都市に関係して書かれた論文の多くが基本的に日本の状況を背景としていたわけですが、『みづゑ』に連...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[論考]
現代社会におけるひとつの特性として、デザインによって表わされてきた現象のようなものがある。それは、デザインの力あるいはデザインによって築かれてきた人間の感性的欲望の総称のようなものである。それらは、幾世代もの人間の進化と経験の過程により蓄積され変化したものであるのだが、デザインという現象を作り出すデザイン自身も、同様の...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.11-16
[翻訳]
他の諸問題と融合し、より悪化の方向を辿るような連鎖した問題群は、われわれの気力をくじくものであるが、訳のわからないものではない。過ちをおかしたとか、不運であったことの一目瞭然の帰結なのである。北アメリカの都市におけるホームレス問題や手頃価格(アフォーダブル)住宅の不足、そしてそこから波及していくさまざまな問題は、明らか...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.155-166
[作品構成]
自然/コンピュテーション/コンピュータ 「Computing」あるいは「Computation」という思考法は、筆者がこの原稿をタイプしている物理的実体としての「コンピュータ(計算装置)」を超えて、自然界/生態系や社会★一、ヒト★二の現象や運動の総体を、「計算」という観点から捉え返そうとするものであるといえる。そのメタ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.149-154
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなかでも、六本木ヒルズの森美術館、乃木坂の国立新美術館、それに東京ミッドタウンのサントリー美術館の三館を結んだネットワークのことだよ。それぞれ運営母胎が違うので、今...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[論考]
0 メガロポリスとオーガニゼーション・マン 一九四二年、鉄道でアメリカ北東部を旅していたフランスの地理学者ジャン・ゴットマンは、ヨーロッパには見られないような数多くの大都市がそこに列をなして展開されていることに気がついた。彼はその後五一年にアメリカへ活動拠点を移し、北東部の湾岸沿いに広がるその巨大な帯状の都市化地帯の本...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[論考]
このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ばれる一連の政策によって、東京都心では二〇〇〇年以降の七年間で二〇〇棟もの超高層建築物が建設されたという★一。かつてはランドマークとして機能していた東京タワーも、...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.76-84
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチメタファーの形でこそ存在する。最も直接的にそれが示すのはハプスブルク帝国終焉の年月と戦争、そしてその余波のうちの社会状況であり、これは騒然とした崩壊過程であって...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[ビルディング・タイプの解剖学 5]
病室と監房、隔離と監禁。病院と監獄がその初源において同根であることは様々に指摘されている。本稿でも連載の二回目「呼吸する機械 : 病院」で監獄と病院の衛生観をパラレルに論じているが、今回は監獄、特に重罪犯に関わる施設を取り上げ、身体と装置の極限を見る。 植民の世紀を通じて、海外への流刑は身体刑と同様ごく一般的な行刑法で...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.32-35
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放することになった。例えば、人間や物資の運搬技術、身体の規律法、そして量産住宅の工法。マスメディアの普及は戦争で一時的に中断したものの、この期間はコミュニケーション・テク...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、さらにそれを発展させたものとしてのCIAMの格子を取り上げた。そしてル・コルビュジエの思想のなかに存在する二重性について、それぞれの系譜をトレースしていこうとい...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[1990年代以降の建築・都市 2]
世界貿易センタービルの崩壊──二〇世紀建築の終わり 僕たちは下に降りて、外に出たんだ。それはアポカリプスの風景だった。原爆がどんなものかは知らないけれど、きっとあんな感じだと思う。 ビルの中にいた男の証言★一 巨人の鼻をへし折った。 テロ当日、パレスチナのある男性のコメント★二 世界貿易セ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[ビルディング・タイプの解剖学 7]
私は建物はバラックでも良いから幾何ら金が掛っても良い完全な製作の出来る一通りの機械を買入れる事に努力しました トヨタ自工の祖とも言うべき豊田喜一郎の言葉である。住宅と共に近代建築の黎明期では華々しく取り上げられた工場だが、技術の進歩に伴い、建築家が建築的な手法でその本質にまで食い込むことが難しい時代となった。既にトヨ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.33-36
[CONCEPTUAL 日本建築 6]
31 入母屋屋根 IRIMOYA (semi-gabled) ROOF 屋根型の意味作用 日本建築は屋根の建築だとしばしばいわれる。その屋根の代表は入母屋だとも思われてきた。それでは、入母屋は日本に固有の屋根なのだろうか──。 ちがう。仏教とともに朝鮮からもたらされた。その朝鮮には、おそらく仏教以前に中国からもたら...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.188-201
[CONCEPTUAL 日本建築 7]
37 犬走り──屋内外を媒介することの実相 INU-BASHIRI (Eaves’ dropper’s lane): To be interflowed between in-side & out-side 縁側は、近世までは動線としても便利に使われたが、主として屋内と屋外とを媒介する役割を負うものだと説いてきた。し...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.186-200
[会議4日目「国土改造」]
先行デザイン会議 第4日目 国土改造 都市基盤整備、都市建築の耐火・耐震・永続化、ニュータウン構想。繰り返し提示されてきた国土への計画の意志であるが、それらが幻想か、あるいは限界をはらんだものであることはもう誰の目にも明らかである。永久建築やニュータウンといったかつての未来像は、今日のわれわれにとってはデザインされ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.131-131
[会議4日目「国土改造」]
課題:不要な機能の埋立地を取り壊すことによって海岸線の「復元」を行なう 条件:同一エリア内における廃棄物の再利用 何十年かぶりで助松に行ってみた。白砂青松の海辺も工場地帯に変わり、家も跡形もなくなっているのに涙がでそうになった。 山本富士子「海の思い出」(「私の履歴書」第三回、日本経済新聞、二〇〇二年一二月三日)...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.132-137
[会議4日目「国土改造」]
清水──本日のレヴューでは、まずそれぞれのチームのデザイン手法について議論し、その後、最も大きいスケールの問題提起である四日目の会議「国土改造」で提案した「Fujiko」と「近つ飛鳥宮」の二つのプロジェクトを軸に議論を展開していきたいと思います。 欲望とコンゲン 岡崎──コンゲンカードはこの六個で全部ですか? 中谷─...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[会議3日目「都市基盤」]
課題:線状形態の都市への帰還 条件:都市の巨大遺物を利用せよ ひたすら延びる長大な空き地。廃線跡がほぼそのままの形で残っているのだ。 当初の機能を失ったその廃線跡は、いまや長い範囲に渡って人間の土地を分断するただの境界線でしかない。ヒューマンスケールを超えた遺物は、その変更困難な大きさゆえ、かえって人々の心の中で抑圧...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.118-123
[会議3日目「都市基盤」]
先行デザイン会議 第3日目 都市基盤 都市の背後においてその骨格を支える都市基盤は、都市の公共性を保証する、本質的なファクターである。けれども、ひとたびその構造物が都市のなかに露出すると、それは他人行儀な容貌を見せはじめる。例えば鉄道。それは都市とその外部を繋ぐためのベーシックな都市要素であるにもかかわらず、目に見...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.117-117
[会議2日目「福利更正」]
課題:既存の街に溶解するミニ開発を提案せよ 条件:小さくとも豊かな環境を作ること 問題・方針 ミニ開発とは、大都市やその近郊に見られる小規模な戸建て住宅群開発のことである。 細分化された敷地に建ち並ぶ小住宅は、その一つひとつが個性を強く主張しようとする。だが、その主張が行き過ぎるとかえって均質な街並みを作ってしまう。...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.102-105
[会議1日目「市区改正」]
先行デザイン会議 第1日目 市区改正 まず目の前に広がる都市から始めなければならない。今日、都市計画はもはや抽象的な平面に自在に線を引くといった行為ではありえない。それは、計画される場にすでに存在する先行条件を、いかに新たな秩序へと再編成するかという問題としてのみある。 市区改正という都市計画手法が明治期の日本にあ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.87-87
[会議2日目「福利更正」]
先行デザイン会議 第2日目 福利更正 ミクロな視点からすれば、都市は私有された土地の集積としてある。そこでは土地の私有と公共性とが拮抗することで、場が成立している。 土地の私有は、時間経過とともに都市のエントロピーを増大させ、都市をいびつに変形させる。変形した都市は、私性とは別の次元にある、計画という名の上から与え...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.101-101
[福岡]
福岡リビングコンディション 「福岡リビングコンディション(以下FLC)」は、第二回福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇二に招待されたアトリエ・ワンと九州芸術工科大学石田研究室とのコラボレーションプロジェクトのタイトルである[図1─10]。プロジェクトは「GAO:ゴースト・アーキテクト・オフィスのための展示コレクション」と...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.156-171
[神戸]
プログラム・デザイン・プロジェクト(pdp)は、神戸芸術工科大学大学院のプログラム★一。学科間を横断してインターディシプリナリーなテーマに対して、モノやプログラムを作成するプロジェクトとするもの。現在「変形地図(talking maps)」をテーマに研究活動を進めている★二。プロジェクトにはゲストリサーチャーとして内外...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.172-183
[フィールドワーク]
スキャンデータあり...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.153-161
[フィールドワーク]
スキャンデータあり 未アップ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.159-168
[構成]
スキャンデータあり 未アップ ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.115-129
[特別掲載]
福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48
[フィールドワーク]
「LINK TOKYO MADRID」(以下LINK)は都市公共空間とそこに展開される生活様式に関する共同研究を目的として、東京とマドリッド(スペイン)の複数の若手建築家と建築を学ぶ学生たちによって行なわれたワークショップである。LINKはまた、都市の在り方を問う調査と提案という一面のほかに、東京と、いま注目を浴びるマ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.161-168
[図版構成]
PREVI──リマ・プロジェクト 南米ペルーの首都、リマにおける1960年代後半に行なわれた最も野心的な建築計画は、長い建築史ではもはや誰も知らない、忘れられてしまった幻の計画と化している。それは人間が初の月面着陸に成功した時代に実現した。国連からの資金提供によって実行に移されたこの計画には当時最も注目されていた建築家...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.193-204
[宇宙建築年表]
宇宙建築構想史① Stillborn Concept 日の目を見ることなく埋もれてしまっている優れたコンセプトたち 「Good artists copy, Great artists steal.」(優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は単に真似をするだけでなく、それを自分のものとして取り入れ、より優れた...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.141-148
[会議1日目「市区改正」]
課題:人間の道と車の道共存の根本的解決 条件:必ずすべての住戸が、道に面する+路地に面する+駐車場をもつこと 問題・方針 近世以前の集落をもとに発展した場所は、狭い路地が複雑に入り組み、裏長屋が目立つ。それは近代性の欠如と解釈され、つねに区画整理の対象とされてきた。区画整理はそれまでの都市構造を消し去り、快適な車環境...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.88-93
[イントロダクション]
連鎖式都市の建築を読む 都市連鎖研究体による[都市の書物の読み方]を紹介します。 方法 1. 書物内の挿図の大部分を抽出する。 2. 挿図の説明文を短いセンテンスで抜粋する。 3. 挿図、説明文ごとにカード化する。 4. それらを隣接して配置しセットとする。 5. それらセットを基本とし、連鎖的に関係づけられるセット...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.77-82
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代や地域を超えて生み出され、いまなおもっとも一般的な都市のかたちということができます。しかし近代以降、グリッドは批判の的にされ続けてきました。カミッロ・ジッテの『...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[連載 9]
17─4 アパルトヘイト都市? 近代都市計画の最も基本的な構成要素を、面と線、つまりゾーニングの画定とそれらをつなぐ近代的インフラの整備とすれば、それが最も体系的に実践されたのは、ヨーロッパにおいてよりは植民地においてであったのではないか? 少なくともフランスにおいては(あるいは日本においても)これは該当している。近...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002.)という著作と本年度から〈10+1web〉...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[モノとマチの向こうに見えるもの 2]
水平・垂直移動 東京メトロのホームページ★一にある見慣れた東京の地下鉄路線図で駅名をクリックすると「駅構内立体図」「駅構内のりかえ立体図」「駅出入口地図(出入口からの風景が三六〇度見渡せるムーヴィー付き)」を見ることができる。なかでも「駅構内のりかえ立体図」は面白い。地下鉄を利用する際には構内や通路に掲げられたサインを...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.29-30
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展をし、どのように計画されてきたかを概観する必要性を感じたことから、オリンピックと関連するひとつの都市を取り上げ、研究することになりました。 そこで、今回はバルセロ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western society had to discover 高階秀爾の若き日の著作に『世紀末芸術』(紀伊國屋新書、一九六三)がある。 あたかも東京オリンピックの前年、破竹の勢い...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[サウンド+アート+サイエンス 4]
1 物理と化学における形 同じように見える砂粒も、一つひとつとってみるとそれぞれに異なる形をしている。貝もまたそうである。しかしそれがたくさん集まった時に起きることは、一つひとつの形とは関係ないだろう。そうでないと少なくとも自然科学の問題としてはやっかいなことになる。なぜなら要素の形を考慮に入れるのは一般に難しく、アル...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.43-45
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[技術と歴史 12]
山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって生み出されたものであります。しかし、プルーヴェに対する私の興味はそこだけに留まらず、彼の制作態度が二〇世紀という時代においていかに実験的であったかというところま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[図版構成3]
この二〇〇年来、グローバルな規模で急速に都市化が進んでいます。一八〇〇年頃は全世界の一〇億人の人口のうち二パーセントが都市に暮らしていましたが、二〇〇〇年には約六五億人にのぼる全人口のうち五〇パーセント近い数字になりました。さらに二〇五〇年には、全人口約八五億人のうち約七五パーセントが都市に暮らしているだろうとされてい...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.164-167
[図版構成]
design & research: MVRDV, Winy Maas, Jacob van Rijs and Nathalie de Vries with Arjan Harbes, Gertjan Koolen, Penelope Dean, Bas van Neijenhof, Kersten Nebielek...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.181-188
[オルタナティヴ・ダンシング 3]
すべてがリアクションであるようなダンス これまで「タスク」「ゲーム」と、一般にひとがダンスなるものについて抱くイメージからはほど遠いキーワードをとりあげて、今日的な「もうひとつのダンス」の在処を探ってきた。言い換えればそれは、米国のジャドソン教会派を中心とする一九六〇年代のアヴァンギャルドなダンスのムーブメントへと立ち...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.37-39
[技術と歴史 11]
省エネルギーの多様化 建築においても、「持続可能性(サステイナビリティ)」が重要な概念となってきましたが、サステイナブルという言葉の定義が必ずしも明確なわけではありません。ワールドウオッチ研究所の所長をしていたレスター・ブラウンが一九八一年に『持続可能な社会の構築』という本を著し、「われわれの住んでいる環境は先祖からの...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.180-189
[地上にて 1]
防災のデザイン 今年(二〇〇七)五月、六本木のAXISギャラリーにおいて、「Exit to Safety─デザインにできること」と題した展覧会が開催された。都市型大地震を想定した「防災」をデザインする、というテーマのもと、分野の異なるデザイナー七組が参加し、シェルターやシートとして使える衣服や、飲料水のペットボトルが格...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.206-214
[技術と歴史 10]
シミュレーション技術の向上と設計の変化 野沢正光──一九七〇年代、第一次、第二次と立て続けに「オイルショック」という問題が起きました。一九七二年には、ローマクラブが「成長の限界」というレポートで資源の枯渇についての深刻な予測を発表しています。この頃から資源と環境の問題がたいへん大きなものになっていくのです。人類は生き延...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.215-225
[論考]
1 ヒューリスティクス セシル・バルモンドが革新的である点は、建築の形態決定プロセスに「ヒューリスティクス(発見的手法)」の概念を持ち込んだことにある。「ヒューリスティクス」とは自然科学や工学において、ある複雑な問題に対し近似解や知識を発見的に求める手法である。原理や理論から演繹的に解を求める方法とは異なり、乱数や確...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.104-105
[論考]
卒業設計に関しては、空前の事態を迎えていると言っていいだろう。 以前から鉱脈はあったのだが、それが二〇〇三年に始まったせんだいメディアテークの卒業設計日本一決定戦によって一気にブレイクし、マグマとなって噴きだしたような感じである。実際、それまでにも京都六大学の合同卒計展、九州の学生デザインレビュー、横浜赤煉瓦倉庫の卒計...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.82-83
[批評]
私たちは誤ってサイバースペースに落ちた。ロンドンのアーキテクチュラル・アソシエーション・ギャラリーで自著『進化論的建築(An Evolutionary Architecture)』についての展示を準備している最中に。私たちはこの展示と本★一によってアーツ・カウンシルの助成金を与えられていたが、あとになって、これを授与さ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.90-99
[批評]
私たちはまず自分の個人的目的のためにサイバースペースをつくりだし、それから他の人びとを招きいれて、その空間を共有する。サイバースペースの本質をどう理解するかについては見解の分かれるところであるし、私のアプローチが特別にすぐれていると主張する気もない。私自身はある目的のための手段としてサイバースペースを利用しだしたが、そ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.100-103
[批評]
本稿では、本質的に異なると思われるような三つのテーマをとりあげる——すなわち、社会的に目覚めつつあるエコロジカルな意識、複 合 性(コンプレクシテイ)に関するニューサイエンスがきりひらいた新空間、そして、コンピュータ・テクノロジーという環境が社会と文化にもたらす影響。本稿は、この三つのテーマを収束させることにより、応用...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.104-119
[論考]
アメリカ議会図書館は、アメリカ建国以来の自国の文化を築き上げてきた証としての広範な資料の収蔵・研究を行なっているが、本展覧会は同館が所蔵するイームズ資料を中心にヴィトラ・デザイン・ミュージアムの家具コレクションほかを加え、イームズの仕事をアメリカの二〇世紀をドライブした重要なファクターとして、広く国民に紹介しようとする...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.182-183
[論考]
だからともかくも、私にとってそう見えるのかもしれないが、ミースを通して、ミースの多くを拒絶することを通して、しかしそれでもミースを通して、《イームズ自邸》は生まれた。それはまったくオリジナルで、まったくアメリカ的だ。 ピーター・スミッソン★一 出版された最も古いその住宅の写真には、トラックが一台写っている。トラックは...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[批評]
「現在最も熱狂的に受け入れられている建築理論と言えば、「他者」と「他者性」というコンセプトである。『Assemblage』、『ANY』などの出版物や、プリンストン、コロンビア、SCI-Arc、AAスクールといった建築教育機関と関わりをもつことの多い、いわゆるネオ・アヴァンギャルドと呼ばれる建築家と批評家は、何らかのかた...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[批評]
バウハウス設立八〇周年記念祭行事──バウハウス・デッサウ財団 一九一九年四月のグロピウスによる「ワイマール国立バウハウス」開校八〇周年を記念し、本年ワイマール市と同市のバウハウス大学ワイマール及びバウハウス美術館、デッサウ市のバウハウス・デッサウ財団、ベルリン市のベルリン・バウハウス資料館では、数々の記念行事が盛大に開...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[論考]
明治建築史を語る際に必ず言及されないではおかないほどに良く知られたイヴェントに建築学会でのシンポジウム「我国将来の建築様式を如何にすべきや」、いわゆる「様式論争」があるが、この背後には、日露戦争後のナショナリズムの高揚があることは言うを俟たない。ナショナル・スタイルの希求は、「洋才」を追及したとしても「和魂」を保持しよ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.99-106
[批評]
三次元仮想空間とインターネット 一九六○年代のIBMに代表される大型(汎用)コンピュータの出現以来、コンピュータは高速化及び適用分野の拡大に伴って、単なる数値計算以外の極めて幅広い分野にまで導入されるに至っている。したがって、その社会インフラ的な側面を考えると、コンピュータは現代の社会生活と切っても切れない存在となって...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.141-151
[スタディ]
リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)より少し若いが、彼らとほとんど同時代を生き抜いた。アメリカで生まれ育ったフラーは、ヨーロッパ生まれのモ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
ル・コルビュジエはその長い経歴をつらぬいて、イスラムの建築と都市形態とに魅了されつづけていた。生涯にわたるこの関心が最初に力強く宣言されるのは、一九一一年、「オリエント」での旅行ノートとスケッチにおいてである。「オリエント」とは一九世紀から二○世紀初頭にかけてのディスクールにあっては曖昧な場で、中東から北アフリカにかけ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.200-217
[批評]
個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ アイリーン・グレイ、一九四二年 「E1027」。一軒のモダンな白い家が、フランスのカップ・マルタン[マルタン岬]のロクブルンヌという人里離れた場所で、地中海か...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226
[批評]
ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影響である。彼女は第二次世界大戦の初めにコルビュジエのアトリエを離れたが、そのままアトリエと緊密な関係を続けていた。その家具は今日再び生産されているが、現代の工業...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[批評]
コーリン・ロウは、『アーキテクチュラル・レビュー』誌一九四七年三月号で、ル・コルビュジエの「スタイン─ド・モンジー邸」(一九二六─二七)の平面とパラディオのヴィラ・マルコンテンタのそれを比較し、世界中の注目を集めた。そのことに刺激され、このル・コルビュジエのヴィラは数多くの研究者の研究対象となったのである★一。しかし、...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.191-197
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めたが、これは色彩をファッショナブルに使うことを批判し始めたのとちょうど同じ箇所においてである。この書は第一○章の「建築の時」が宣言されるまでゆっくりと、しかしだん...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[翻訳]
主流へと参入するエスニック・ビジネス 新宿区歌舞伎町二丁目と大久保一丁目の境界に位置する職安通りには、一九八○年代後半から姿を現わし、ハングル文字の看板が掲げられたコリアンタウンが広がっている。そこにはレストランや小さな工場があり、食料品店では韓国の食材だけでなく種類豊富な韓国語の新聞や雑誌も販売している。それは戦前...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.119-133
[批評]
建築の参照能力と美的能力はピクチャレスクにおいて切り開かれた部分があり、これらの持つ不確かさを建築はまだ克服していない。建築はわれわれに喜びを与えるものであろうか、それとも教え導くものであろうか。社会形態と生産にまつわる世界からは自由で平行的な位置にあるものであろうか、それともこの社会の秩序(エコノミー)の物質的なあ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.170-181
[批評]
カオダイ教とは何か 一九九八年の夏、ヴェトナムを訪れる機会があった。主な目的はカオダイ教という新宗教の聖地を訪れることだった。一九九〇年代に入り、ドイモイ(刷新)政策の追い風を受けて、ヴェトナムの建築・都市研究は過熱し、近代建築や保存すべき古建築の調査は確実に蓄積され、ある程度知られるようになった★一。しかし、二〇世紀...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.155-163
[批評]
現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向づけようとする歴史。そうした試行の政策や方法を考案しようとした知識人たちの歴史。完全で明確な言葉へと辿り着くことを断念した、新しい言語についての歴史。これらの歴...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[香港]
アーロン・H・H・タン Aaron H. H.Tan:1963年シンガポール生まれ。1994年、レム・コールハースとともにOMAアジアを設立し、翌年より同ディレクターを務める。主なコンペ受賞=「広州国際コンヴェンション+エクシビジョン・センター」、「オーチャード・マスタープラン」、「北京国際金融センター」など。主な作品...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指導者であるのに対し、ユニット派では複数の若手建築家がゆるやかな組織をつくる。しかも、一九六〇年代生まれがどうやら多い。こうした傾向が建築の雑誌で最初に注目された...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[日本]
1960年生まれ。86年、京都市立芸術大学大学院修了。88年、石井修/美建設計事務所を経て、遠藤秀平建築研究所設立。98年より神戸芸術工科大学非常勤講師。主な作品=《Cycle station 米原》(94)、《Transtation 大関》(97)、《Springtecture 播磨》(98)、《R//A》《R//B...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.154-157
[スペイン]
©actar©actar arquitecturaactar:1993年にRamon Pratらによって結成された出版社。もとは『Quaderns』の編集を中心として活動していたが、1994年以降、建築書を中心とする多くのグラフィック本を出版している。2000年、『verb』を刊行(予定)。 actar arquite...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.112-113
[イタリア]
1964年シチリア生まれ。89年ローマ大学建築学部卒業後、渡米。アイゼンマン事務所に勤務し、コロンビア大学マスターコースに通う。現在はローマで自分の事務所をかまえ、設計を行なっている。 史跡財産の保存と新しい建築 ファッション雑誌のグラビアでもお馴染みのようにイタリアといえばデザインの宝庫と思われがちである。実際ア...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.108-109
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登場であり、二つめは建築における都市「公共性」論の確立、三つめは八〇年代から培われた場所論の展開、四つめは景観・風景論の萌芽、最後の五つめは学際的研究の深化による...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
OMA(Office for Metropolitan Architecture)は、著作・建築・都市などジャンルを超えた創造活動を行なう建築家組織だ。彼らは、一九七八年のデビュー以来、複数の建築家が対等な立場でプロジェクトを計画する都市的な新鮮さを持ち続けてきた。彼らの新しさは、都市的なパラダイムが原動力である。ここ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[翻訳]
高名だが高齢の科学者が、それは可能であると言えば、彼はほとんど確実に正しいことを言っているが、それは不可能であると言えば、間違っているのはまず確かである。 アーサー・C・クラーク★一 イデアは、否定を知らない。 ジル・ドゥルーズ★二 ニュースペースへむけての公 理(アキシオム) <箇条書き>10 アートとは、道...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[論考]
二〇世紀の前提 住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇世紀ほど住宅が脚光を浴びたことはなかった。共通の命題は、いかに住宅を供給するかということであった。「万人のための住宅」、「Houses like Fords(住...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[素材─構造]
ヘルツォーク&ド・ムーロンは変わったのだろうか。 彼らが世界中から注目を浴びるようになった初期の頃、彼らの作品は、スイス・ミニマリズムといったグループとして認識されるような、シンプルで静謐なものだと理解されていた。例えば、初期の作品群のなかからいくつか見てみると、《ストーン・ハウス》(一九八八)、《ゲーツ・コレクション...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.100-103
[インタビュー]
〈もの〉ではなく、その効果 槻橋修──今回のインタビューにあたり、伊東さんの作品を言説を含め改めて見直したのですが、一九八四年の《シルバーハット》[図1]の頃から「建築を消したい」という発言が頻出するようになってきます。僕たちがこの「建築を消す」という言葉で想起するのはやはり「透明性」という概念です。これは伊東さんが翻...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[批評]
六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」というロバート・ヴェンチューリのモットー、ミシガン湖に沈みゆくクラウン・ホールを描いたスタンリー・タイガーマンのフォトモンタージユ、それらによって示されるのは、ミー...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[批評]
細部に神は宿るか? 誤解を恐れずに言えば、建築のディテールとは物同士のジョイント部分に過ぎない。もし、こうした言い方が勇まし過ぎるとすれば、技術上の課題となるディテールはジョイント部分に集約される、と言い換えてもよいであろう。いずれにしても神が宿る余地など残されていない直接的な見方かもしれない。しかし、「工業化」という...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.114-116
[建築を拓くメディア]
マテリアルが建築を誘導する。 ヘルツォーク&ド・ムーロンやピーター・ズントーらの建築を通して、私たちはその事実を目撃した。彼らの作業がもたらした建築におけるマテリアルの可能性とは、ひとつには建築における表層の復権であり、もうひとつは建築の組成を再編成させるマテリアルの可能性である。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築が提示...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.116-117
[建築家的読書術]
スティーヴン・ジェイ・グールド『ワンダフル・ライフ』──生物を設計すること 生物一般を「設計された」ものと思ってみると、その「設計者」はどうみてもただものではない。例えば蚊のような数ミリの極小パッケージに、飛翔機能を与え、赤外線とCO2センサに分子アンテナを載せ、吸引ポンプと内燃機関、燃料タンクを装備し、CPUを積み、...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.98-99
[制度─都市]
美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時代とともにアースワーク、インスタレーション、メディア・アートなどへと領域を拡大し、今では漫画やアニメまでが美術館での展覧会の対象となっている。こうなると美術館で...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[自然─環境]
風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design」という単語を苦し紛れに「風景設計」と訳したのを覚えている。つまり当時はまだいまのようにカタカナを使った「ランドスケープ・デザイン」という言葉がそれほど社会的に...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[批評]
街路の歴史は文明と同じくらい古く、ありとあらゆる人の接触、摩擦、寛大さとともに、人間のつくりだしたほかのもの以上に、公的な生活というものを象徴してきた。だから、誰も街路が影響を受け易く、脆いものだと考えはしなかったであろう。だが北アメリカ全土にわたって、ダウンタウンの道路は、今やゆっくりと、静かに、しかしながら効果的に...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[論考]
I 現実としての模像 集合住宅の一大展示場である多摩ニュータウンのなかで、もっとも人目をひく場所の一つは、京王堀之内駅前の斜面に並んだ一群の住宅団地である。「ライブ長池」という名の全体計画に基づいて一九九○年に「街開き」が行なわれたというこの地域に立ち並ぶ、エミネンス長池、コリナス長池、コープタウン長池、ヴェルデ秋葉...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.116-123
[論考]
一 まなざしの送り返し 一九六〇年代前半から勃興しはじめたデザイン・サーヴェイが、保存の問題や設計リソースの収集という「有効性=有能性」を保持していたのに対して、六〇年代後半、雑誌『都市住宅』に連載されていたコンペイトウ★一や遺留品研究所★二などの活動は、前期のデザイン・サーヴェイがもつ「有効性=有能性」に対する批判と...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.108-119
[論考]
都市への想像力 先日、建築学科の学生と話をしていたら、ひとつ驚かされたことがあった。東京でいちばん好きなのは表参道だという話だったので、ホコ天がなくなったから僕にはつまんないねと言ってみたら、そんな話は聞いたことがないという。彼女はどうやら現代建築が並ぶ今の様子が気に入っていたらしく、八〇年代の竹の子族、九〇年代のバン...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.162-172
[資料]
柏の葉アーバンデザインセンター/UDCKは、新しく開通したつくばエクスプレス線、柏の葉キャンパス駅周辺の地域を中心に、まちづくりの提案と議論を行なうための場として構想され、2006年11月20日オープンした。ここでは、街づくりやアート関連のさまざまな展示やイヴェントが行なわれる予定であり、地域と大学、民間企業や関係機関...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.77-77
[論考]
建築の保存には理論など不要である。ただ実践あるのみ。折に触れて、藤森照信はこう語っている。確かに、藤森が正面から保存について語った論考を目にすることはほとんどない。 筆者は、日本で建築保存の概念が生まれた明治期の様相について研究をしている。これまで何度か藤森の指導と助言を受けてきたが、藤森が問う内容はいつも、保存の概念...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.120-125
[翻訳論文]
各時代の指導精神は、サント・シャペルからリヴォリ街に至る、その時代を記念するような建造物のなかに具象化されている。しかし、この素晴らしい遺産は混乱しきった街中に置かれ、記念碑的な建造物も錯綜した街路に囲繞されて、孤立させられていた。ナポレオン三世のもとでセーヌ県の知事を務めたジョルジュ・ユジェーヌ・オスマン(一八○九—...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136
[論考]
コミュニティウェアへの期待 R・M・マッキーバーが著書『コミュニティ』で、コミュニティの概念規定を社会学において初めて登場させたのは一九一七年で、今から約九〇年前のことである★一。この時期は、経済不況から第一次世界大戦が勃発しており、社会は不安のなかにある。マッキーバーは、当時の一元的で、中央集権的な国家観を批判して、...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.130-134
[翻訳論文]
建築は死んだ。わたしはその死亡記事を読んだのである。ひとりの文化分析者が「建築─彫塑の時代を経て、今やわたしたちは映写的な作為性の時代にいる……これからの建築は単なる映画にすぎない」と書いているのだ★一。あるいは、建築を「見世物の半電子的な視覚標識」と呼ぶ者たちもいる。しっかりと場所に固定されて不活発であるため、エーテ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171
[プロジェクト・論考]
「軒切り」という言葉を耳にして、どういうイメージを抱かれるだろうか。筆者自身の場合は、近代大阪の都市計画事業を調べているときに初めて知った言葉なのであった。それはどうやら、市電の敷設や道路の拡幅事業に伴う家屋正面の削減や後退のことを意味していたらしい。それら事業の激しかった大正時代に、街中から自然に生まれた言葉であった...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.113-118
[事例]
横浜寿町 神奈川県横浜市。日本で第二位の人口を抱えているこの都市は、東京湾に面した西区、中区に主な機能が集中しており、湾岸には、みなとみらい21地区、関内、中華街、元町と、横浜を代表する観光地が連なっている。 現在の湾岸高速線上に、かつて堀と関所が存在しており、その内部という意味で関内と呼ばれたのに対して、堀の外側の部...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.95-101
[構造・材料]
一九五二年、建築家リチャード・バックミンスター・フラーは、線材による折りたたみ可能な「ジオデシック・ドーム」を完成させた。[図1]は展開されたドームとその構成部材の図である。 アメリカ・コーネルに建てられたこの二〇フィートの構造物は、紛れもなく既存の構造概念を超え、当時のアメリカ人たちの驚嘆の声を誘うに十分であった。彼...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.96-99
[設計思想・教育]
アメリカ合衆国南部、テキサス州ヒューストンといえば、NASA。そのNASAとも関連深い、笹川国際宇宙建築センター(通称SICSA=Sasakawa International Center for Space Architecture)がヒューストン大学にある。私は、SICSAに二〇〇五年夏までの約一年間、客員研究員と...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.156-157
[設計思想・教育]
建築家ラルフ・アースキンは、北極圏や極地帯などの厳しい環境条件における住宅設計によって、非常に著名な人物である。それらの地域では、厳しい気候から建築物を守る技術が必要であり、そうした気候条件が建築手法に影響を与える。そのための多くのアイディアを、彼は北欧に伝わる知恵から得ることができた。私が彼から学んだこととは、極限環...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.158-160
[作品構成]
1 あえて線形的に設計する OMAの《Casa da Musica》案の骨格は、住宅プロジェクト《Y2K》のために検討された案の流用によってもたらされたことが知られている。コールハースのこのいたずら心に満ちたパフォーマンスが意味をもつのは、建築家による設計プロセスが、そのような論理的飛躍の連続でなく、論理の積み重ねに...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.161-166
[設計思想・教育]
運搬・組み立てシステムとデザイン 極環境の建築では建設地への建築資材の運搬形式と現地での建設作業の簡易性が通常の建築に比べると圧倒的に重要な課題となる。過酷な極環境は資材運搬や建設作業にも困難をともなう。地球周回軌道上の宇宙ステーションを考えてみよう。 宇宙空間へロケットで打ち上げの膨大なコストを考え、可能なかぎり重量...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.152-155
[設計思想・教育]
はじめに 宇宙における建築デザインを追求していくと、極地環境下における生産・建設・管理の問題やデザイン上の規制の壁にぶつかることとなる。キット・オブ・パーツ・システムは、こうした極地におけるデザインを考える上での手助けとなるだろう。 キット・オブ・パーツ・システムとは、ジョイント構法、パネル構法、モジュール構法、展開構...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.149-151
[構造・材料]
ジュール・ヴェルヌは、歴史的にサイエンス・フィクションのパイオニアと言える人物である。そして刊行から一世紀以上が経過した後、彼の空想小説は航空宇宙の歴史と驚くほど一致することが明らかになった。有名な作品のひとつである『月世界旅行(De la Terre à la Lune)』と、それに続く『月世界へ行く(Autour ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.104-108
[身体・心理研究]
太陽系最大の火山、高度二万七千メートル、アリゾナ州の面積に匹敵する裾野面積を有する火星のオリンポス山[図1─3]の頂上に人類が立つことを登山家で医学者の今井通子さんは、登山家の夢として、『ザ・スペース・エイジ』という本で語っている。快適とはまだ言えない長期にわたる火星飛行の後に、太陽系最大の火山登頂があり、その後には、...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.128-131
[構成]
現代の日本と都市には、近代において懸命に構築がすすめられてきた社会インフラとしての「ネットワーク」が幾重にも重なりあっている。鉄道網、道路網、上下水道網、エネルギー供給網、放送網、有線電話網、無線電話網、光ファイバー網……今やインフラ・ネットワークの整備は、ある程度の達成をみたといえる段階にあるのかもしれない。しかし、...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.103-114
[構成]
1 はじめに──いまなぜ環境情報デザインなのか 現在、社会における情報化の普及・浸透、建築業界の市場縮小、地球環境への負荷軽減など、建築デザインを取り巻く環境が大きく変化している。これからは、新しく建築を建設するだけでなく、既存の建築物を利用したリノベーションや、建築後の利用・管理・運営など、人間の活動と環境に関...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.90-102
[批評]
要旨 ヨーロッパには、都市に適用されるいくつかの規範的な原則、すなわち「都市の倫理」がある。それによって、ある都市が存在し、そうでない都市が存在しないのはなぜか、という理由を説明できるのである。原則の主なものは次の三つである。都市の近代性としての「脱都市化」。国民国家によって一律に覆われているヨーロッパにおいて、都市が...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.185-199
[批評]
「クローゼット」という言葉には、別々の、しかし関連しあう二つの意味がある。ひとつには、クローゼットとはものが収納される空間のことである。「あなたの服はクローゼットのなかにあります」と言ったりするのはこの意味においてである。だが「ジョーは何年もクローゼットのなかにいた」という発言は、彼がズボンとネクタイを合わせようとして...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.120-129
[批評]
二つのよく知られたイメージが、第二次世界大戦後の初めの一〇年期におけるアメリカ建築を定義すると言ってよいのではないだろうか。ひとつは、インターナショナル・スタイル・モダニズムのイコンであり、アメリカの企業資本主義の顔である、《レヴァー・ハウス》[図1]。もうひとつは郊外の核家族家庭の、社会的には伝統的で美的感覚としては...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[批評]
われわれは自宅でさまざまな形でエネルギーを享受しているが、それに支配されていると考えたことなどない。同じように、将来さらに速く変化し変容するこうしたエネルギーを享受し、それらを知覚し統合するわれわれの感覚器官が、それらからわれわれが知りうるすべてを成し遂げることも当然のことのように考えている。果たしてこれまで哲学者たち...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.78-87
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえているのはヴァーチュアリティにほかならない! ロバート・ヴェンチューリの小屋の装飾★一は、たとえその形態が変容を蒙っているのだとしても、情報建築として終末論的な...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現したためしはないし、その社会的目標もどれひとつとして達成されていない。現実にぼかされてしまった理想は再開発の悪夢と化し、目標は官僚政策に変わった。社会的現実とユ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[論考]
砂丘(デューン) 北海の南岸地域に、低い砂丘地帯がある。その地形は途切れることなく四つの国々の海岸線として拡がっているが、これはライン、マース、シェルデ、レクの四河川の合流する北方デルタが生じさせたものだ。このフランスとオランダの砂丘の吹きさらしの空白の間に挟まれた地域に、奇妙な異物が存在している。瞬時にベルギーと識...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.203-216
[批評]
美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自らを委ねる。 ──ジョルジュ・バタイユ「美術館(ミュゼ)」 ジェームス・スターリングの建築に関する最近の論文で、コーリン・ロウは、シュトゥットガルトの新しい《...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[批評]
「二〇〇一年宇宙への旅」に抽選で五名様を御優待! それは空想ではなく、現実の体験です。本物の宇宙旅行です。二〇〇一年より出発予定の人類最初の民間宇宙航行プログラムに、抽選で五名様をご優待いたします。 ──一九九八年サントリー・ペプシ社広告より[図1] 1──サントリー・ペプシ社広告(テレビCFより)地球を飛びたつのはこ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248
[論考]
1 二つのサステイナビリティ 二〇〇二年の九月、ノルウェーのオスロで開かれた「Sustainable Building 2002」という国際会議★一において、ひとつ、象徴的な場面があった。基調講演を行なった国連人間居住センター(UN-HABITAT、以下HABITATとする)の事務局長、アンナ・カジュムル・ティバ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.123-128
[資料]
古典 「EKISTICS - Science of Human Settle-ments」を主体とするドクシアディスの都市論をまとめたもの。体系的な科学としてのエキスティックスや、メガロポリスを超える全地球的な世界都市としてのエキュメノポリスの出現を説く彼の言説からは、現在のグローバリゼーション化した世界に対する鋭い先...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.165-168
[インタヴュー]
1 プライヴェートは携帯に、パブリックは環境に 中西──今回の特集は「建築と情報の新しいかたち」というもので、情報技術の拡充によって都市空間での人と人のつながり方が変わるなかで、建築がどういうことをやっていけばよいのかということを具体的に実践している方たちの活動をまとめています。暦本さんには情報環境の拡大がもたら...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.83-89
[対談]
1 コンパクトシティ論の背景 南——最初に、なぜメガロポリスやメトロポリスという大都市ではなく、コンパクトシティやスモール・シティといった中小規模の都市を取り上げるのか、ということから話を始めたいと思います。 僕と太田さんがコンパクトシティについて考え始めたのは、ほぼ三年ぐらい前まで遡ります。その議論も含めて、太...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72
[論考]
客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そうして彼は対象に対する自分の関係をその対象へと転嫁し、認識のみを目的とした全体としてこれを把握するのだが、そこにおいてはすべてのインタラクションは象徴交換へと還...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[批評]
わたしは一匹のろばである。しかし目をもったろばだ。感覚を受容することのできるろばの目だ。わたしはプロポーションへの本能をもったろばだ。わたしは頑として視覚主義者なのであり、これからも常にそうあるだろう。美しいものは美しい。しかし、それこそモデュロールなのだ。(…中略…)モデュロールはろばの耳を長くのばす(ここでわたしが...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118
[White Page]
インフラストラクチャーといえば、電気、ガス、電話、水道、道路、鉄道……などが頭に浮かぶ。モノとしてひとつながりで、私達の生活の細部にまで行き渡っており、日々の生活を支えているもの。私達はこうしたものをインフラストラクチャー(インフラ)と呼んでいる。ここでモノとしてひとつながりであることは、インフラを成立させるための十分...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.120-123
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わったのだ」、とわれわれは言うことができるだろうか。ミシェル・フーコーにならってエピステーメーの変容を、あるいはトーマス・クーンを想起してパラダイム・シフトの痕跡...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87