1913年生まれ。エネルギープランナー、設備設計家。
(最終更新:2009年3月31日)
[技術と歴史 4]
...の設備のパートナーだった川合健二の自邸です[図14]。丹下健三に川合健二を紹介したのは浅田孝で、... ...作った人です。この浅田孝の甥が浅田彰です。川合健二に僕は二五、六歳ぐらいの時に会ったのですが...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[対談]
...引き出して使えば、良いものできますよ。 《川合健二邸》の衝撃 藤森──コルゲートの起源であるト... ...ゲート鉄板を使ったその第一号が、やっぱり《川合健二邸》ですか。そういう意味から言えば、あれが...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[現代住宅研究 9-2]
...的なオルタナティヴに到達したのは《川合健二自宅》(川合健二、一九六五)である。巨大な楕円柱を... ...に構想したマイホームの例である。 5──川合健二《川合健二自宅》 パース*この原稿は加筆訂正を施...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.13-17
[建築家的読書術]
...に私は歴史から度々逃走した。そして野の天才川合健二と遭遇した。当時川合は丹下健三のエンジニア... ...彼の存在自体が壮大な現代読解の書であった。 川合健二を私は東洋のバッキー・フラーとして眺めるよ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[住居の視点、住居の死角 5]
東京・渋谷の代官山地区で進行中の再開発事業に伴い取り壊された同潤会代官山アパートが、研究者グループなどの尽力で八王子市の住宅・都市整備公団建築技術試験場に移設・...うもので、その住宅イメージはドラム缶住宅(川合健二自邸)とバックミンスター・フラーの「フラー...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.43-46
[論考]
都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会を...して浅田のほか、武基雄(幹事)、井上宇市、川合健二、内藤多仲、武藤清、吉阪隆正らが名を連ねる...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103