鈴木了二
、397ページ
ISBN=4902539071
[論考]
私の指の上には彼の指がのっていた。 私の手はざらざらとした紙の上を動き回った。 それは生まれてこのかた味わったことのない気持ちだった。 ──R・カーヴァー「大聖堂(カテドラル)」(村上春樹訳) 斜めに回転した直交座標の原点の近傍に、絡まるように大小四つの円が見える[図1]。われわれがこれまで得たうちでかなり典型的な、...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.18-31
[鼎談]
均質空間の崩壊 鈴木了二──「美術」と「建築」というテーマが設定されているようですが、建築には実は、どこからどこまでが建築っていうような枠組みはないんじゃないか。今度出した『建築零年』でもちょっと書いたけれど、建築は出来事であって、一種の専門的な職能分野とは違うと思ったほうがいい。なぜなら、職能化し分化した建築が建築に...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[建築家的読書術]
建築のために読書しているということは特にない。だいたい目的をもって読書することが性に合わない。読書は読書、面白そうだと思ったところに手を出してきた。建築に関しても体系的に読んできたとは言い難く、むしろ建築とは直接関係のない書物のなかに建築の問題を見出し、あるいは反対に、建築に関する書物のなかに建築以外の問題を見出す、と...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.92-95
[対談]
マラパルテ邸 あるいはスタジオ・マラパルテの謀略? 小林── 今日のテーマは「海洋性」ということですが、この企画全体が建築と映画との接点を見出すという主旨になっていますので、映画と建築とのあいだに海をおいて、そこでいったいどんな接線が結ばれるのか、ということを二人で話してみたいと思っています。われわれはあらかじめ打ち合...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.211-219
[インタヴュー]
理論/歴史、実践 松畑強(以下MT)──コロミーナさん、『アッサンブラージュ』誌の三〇号を拝読いたしました。あなたはそこで、いくつか面白い問題を提起されていたと思います。たとえば理論/歴史と実践の違いとか、スペインとアメリカの違いとかです。これらの問題について議論するまえに、まずは『カレール・ド・ラ・シウタ』誌のことを...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチメタファーの形でこそ存在する。最も直接的にそれが示すのはハプスブルク帝国終焉の年月と戦争、そしてその余波のうちの社会状況であり、これは騒然とした崩壊過程であって...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[書物 2]
その本を手に取ると、今もその奔放な情念の輪郭がくっきりと蘇ってくるほどに、「書を捨てよ、町へ出よう」、というフレーズはひどく魅惑的だった。家を下着のように脱ぎ捨て、ホームドラマを唾棄すべき対象として切り捨て、ただただひたすら、速さに憧れる。寺山修司のこの本を、たしか高校生のときに初めて読んだのだが、そのとき、「書」は現...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.50-52
[インタヴュー]
...上梓された『計算不可能性を設計する──ITアーキテクトの未来への挑戦』(ウェイツ)で対談されてい... ...に準拠した社会システムの提案が、われわれアーキテクトの役割です。それが、社会に新しい刺激を生...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.126-135
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄...したロックスターのごときランドスケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエ。ポストモダン以降、乖...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[翻訳]
風水:もとの場所に居つづける限り地主の繁栄はつづくという古い中国信仰。 シンガポールのグリーンプラン:われわれはブルドーザを適正な場所に導きたい。 リー・クァンユー:シンガポールは多様で変化に富むものすごく大きな世界のなかのちっぽけな場所だから、機敏でなかったり、調整がすみやかにできなければ、消えるしかないだろうし、人...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]
見つめていたい 盗撮・盗聴がメディアをにぎわせている。それは小型の映像・録音機器の普及に起因しているのだろうが、最近、公開された映画はこうした状況を如実に反映している。『トゥルーマン・ショー』(一九九八)は、ある男の日常生活を本人に気づかれないよう全世界に生放映する人気テレビ番組を描いていた[図1]。巨大なドームに包ま...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207
[作品構成]
アルゴリズム的思考を用いると従来の建築とどう変わるのだろうか? 僕自身これまで、「関数空間/Algorithmic Space」と題していくつかプロジェクトを発表したり、非常勤講師をしている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで同名の設計課題を出したりしているので、学生や同世代の建築家から上述のような質問をよく受けることがあ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160
[論考]
『10+1』No.49の拙論「アルゴリズム的思考とは何か」のなかで、「アルゴリズム的思考」とは「建築に限らず、あらゆる事象の表層的な現象にとらわれずにその背後に潜む構造的な法則性を見る目をもつという世界観であり、その根源まで遡った原理から構造を築こうとする意思のことである」と定義したうえで、建築設計プロセスを進化論的に...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.102-103
[建築の還元 4]
1 判断と知覚、およびその審級 二〇世紀の終わりを締めくくる最後の一〇年は、建築が、レイト・モダンの波をも受けてミニマルなものへの志向を発現させ、ひとつの表現の磁場を作ってきたように見える。それらの多くは、形態上の新しさという可能性を自ら断念し、プライマリーな立体のみを空間の母胎(マトリクス)として抽出し、皮膜としての...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002.)という著作と本年度から〈10+1web〉...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[福岡]
...図1─10]。プロジェクトは「GAO:ゴースト・アーキテクト・オフィスのための展示コレクション」と銘... ...うで、どこにもない設計事務所:ゴースト・アーキテクト・オフィスの一室として図面や模型を中心に...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.156-171
[宇宙建築年表]
宇宙建築構想史① Stillborn Concept 日の目を見ることなく埋もれてしまっている優れたコンセプトたち 「Good artists copy, Great artists steal.」(優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は単に真似をするだけでなく、それを自分のものとして取り入れ、より優れた...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.141-148
[ピクトリアリズムの現在 2]
一九一七年のポール・ストランドの言葉を見よう。「写真家の問題とは、己のメディアの限界と同時に潜在的クオリティを、明確に見極めることである。というのも、生き生きとした表現のためには、撮影されたヴィジョンの強度に勝るとも劣らず、誠実さというものがまさにそこで前提となるからだ。つまり、写真家の前にキアロスクーロで表現されてい...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 9]
以前、この連載でも少しふれた家も建ち、すでに一年半が経過した。 実際にはどうであったか。 いくつかの点で細部にツメのあまさが残るものの、基本的には気に入っている。特に、荒削りだが圧倒的な解放感のある空間は、文句なしにすばらしい。ただ、住みやすく細部を調整するまでには、ゆうに半年は掛かった。通常の引っ越しでも、新しい環境...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.25-27
[ピクトリアリズムの現在 1]
写真は、言葉に対して無防備である。だがその写真をめがけて投げかけられる言葉はたいてい二つに割れて落ちる。写真を論じる仕方はかなり以前から二極化している。だから写真批評、すなわち写真そのものを見て語ることは、あいもかわらず困難である。写真の無防備とは、われわれの視線と言葉を逸らす力であるかのようだ。 写真論のひとつは、ジ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.17-18
[設計思想・教育]
建築家ラルフ・アースキンは、北極圏や極地帯などの厳しい環境条件における住宅設計によって、非常に著名な人物である。それらの地域では、厳しい気候から建築物を守る技術が必要であり、そうした気候条件が建築手法に影響を与える。そのための多くのアイディアを、彼は北欧に伝わる知恵から得ることができた。私が彼から学んだこととは、極限環...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.158-160
[都市ノ民族誌 3]
今後、この映像は、 繰り返し使われるだろう 「ヒゲとボイン。国会と雷」 平成一五年九月三日の夕刻、東京・永田町の〈国会議事堂〉におおきな雷が落ちた。議事堂の段状の屋根を直撃したその雷の激しい衝撃で、尖搭の外壁の御影石がはじけとび、バケツにたっぷり一杯分もの石の破弾が、激しい雨とともに、衆議院側の中庭の地面の上にふり...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.38-40
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワーは武士の鎧をイメージしたのだという。設計者は日本人ではなくアメリカのKPFである。名古屋にもフランクフルトにも、もちろん本拠のシカゴにもタワーを建てているいわ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[ピクトリアリズムの現在 3]
鈴木理策の《サント・ヴィクトワール山》連作が問題としているのは、対象に「見入る」こと、すなわち「奥行き」という空間性の創出についてであった。言うまでもなくこれは遠近法的な消失点をもった奥行きではなく、『知覚の現象学』におけるようなそれである。「感官というものはすべて、それらがわれわれを存在の何らかの形式に到達させるはず...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.17-18
[構造・材料]
ジュール・ヴェルヌは、歴史的にサイエンス・フィクションのパイオニアと言える人物である。そして刊行から一世紀以上が経過した後、彼の空想小説は航空宇宙の歴史と驚くほど一致することが明らかになった。有名な作品のひとつである『月世界旅行(De la Terre à la Lune)』と、それに続く『月世界へ行く(Autour ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.104-108
[論考]
一九七六年の論文「ガレージの家庭内化」のなかで、J・B・ジャクソンは、アメリカにおける自動車の収容のヴァナキュラーな伝統の概略を描いた。彼はガレージの歴史を独立...は、まだもう少しかかった。『アメリカン・アーキテクト』の一九三六年のある号に掲載された、三つ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.184-193
[批評]
1 新たな空間表現 バウハウスの建築の図的表現を特徴づけるもののひとつとして軸測投象(axonometric projection)★一の使用を挙げることができる。 軸測投象の使用は後述するように二〇世紀初頭のモダニスム建築の台頭と並行関係にあるが、バウハウスもその例外ではなかった。一九二三年のバウハウス展に際して公...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.185-195
[批評]
ひとつのアイディアを具体的なかたちで表現すること——私たちはそれを、毎日、話をするたびに行なっている。私たちが話しはじめるときは、すでにアイディアを抱いている。脳はこうしたアイディアを音に変換する——話言葉(スピーチ)という音に。話言葉は単語とセンテンスからなり、この両者もまたデザインされなければならない。私たちが、話...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.120-133
[批評]
1ベルリン──〈零年〉の都市 「場所の諸問題」をテーマとした一九九四年のAnyコンファレンス〈Anyplace〉において、イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオーは「テラン・ヴァーグ」という発表を行なっている★一。〈テラン・ヴァーグ〉とは都市内部における、空虚で占有されていない、不安定で曖昧な性格をもつ場所をさす。ソラ=...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[スタディ]
リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-19...の解を求め理想型の探求に没頭した。ここにアーキテクトではなくエンジニアとしての思考が強く見ら...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
「現在最も熱狂的に受け入れられている建築理論と言えば、「他者」と「他者性」というコンセプトである。『Assemblage』、『ANY』などの出版物や、プリンストン、コロンビア、SCI-Arc、AAスクールといった建築教育機関と関わりをもつことの多い、いわゆるネオ・アヴァンギャルドと呼ばれる建築家と批評家は、何らかのかた...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[建築家的読書術]
これまで読んできた本のなかで深く感銘を覚えた建築書のひとつに、ピラネージの『建築に関する所感(Parere su l’Architettura)』がある。この書は知る人ぞ知る名著で、これまで邦訳されてこなかったのが不思議なくらいであったが、ようやく昨年、中谷礼仁氏の企画により『ピラネージ建築論 対話』(アセテート、二...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.104-105
[素材─構造]
「素材」と「物質」はよく似ているし、普段はあまり区別されずに使用されているが、実はその根本で微妙に違うように思う。その違いはマターとサブスタンスとマテリアルの違いともまたニュアンスが大分異なるように思われる。その違いをいうなら第一に、「物質」のほうは人間の理性や感覚では計りかねる「得体の知れなさ」がどこかにあり、いっぽ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.96-99
[インタヴュー]
アトリエ・ワンと私──最初の出会い 永江朗──私の場合もそうでしたが、施主は設計を依頼するにあたってまず手紙を書くというアプローチが多いと思います。受け取ったとき、まずどう考えられますか? 塚本由晴──それは「やった!」ですよ。内容を見るより先にとりあえずトキメキます。中学生の頃、思ってもみなかった女の子に告白されたと...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.74-85
[生産─技術]
...良三の住宅兼アトリエである。建築の設計はアーキテクト・ファイブが、構造の設計はもちろん梅沢氏... ...Partners 提供=アーキテクト・ファイブ2──配置図兼1階平面図 S=1/300 提供=アーキテクト・ファイブ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.112-115
[生産─技術]
フランク・O・ゲーリーのこれまでの作品を通じてのいわばターニングポイントとも言える《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(一九九七)[図1]と時をラップさせていたプロジェクトの《ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール》[図2]が二〇〇三年一〇月にオープンした。このプロジェクトは一九八八年にコンペで地元建築家であるゲーリーが...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.128-131
[制度─都市]
オーギュスト・ペレはその著書『建築理論への寄与』のなかで、建物を美へと結びつける道標として「特質、スタイル、調和」を挙げている。それは構築的なるものの美に関する記述であるが、鉄筋コンクリートという新素材と建築の伝統の意匠様式が融合する地平を切り開いていったペレならではのバランス感覚がそこにはあると思う。同時代の多くのコ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.136-139
[批評]
...影響を及ぼしたと思われるランドスケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエの作品を追うことからは... ...参加することになる。彼はランドスケープ・アーキテクトとしてアムステルダムの再開発計画 Bijlmermeer ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始ま...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[街路への視座]
スコットランドの首都エディンバラの中心部に、オールドタウンとニュータウンと呼ばれるなんだか人を食ったような俗称をもつ地区がある。前者はエディンバラ城下に発達した中世からの歴史をもち、後者は一八世紀末以降の都市計画による★一。言ってみれば、中世都市と一九世紀初頭の計画都市とが極めて狭い区域の中で対峙しているのだ。ここには...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.82-83
[翻訳論文]
建築は死んだ。わたしはその死亡記事を読んだのである。ひとりの文化分析者が「建築─彫塑の時代を経て、今やわたしたちは映写的な作為性の時代にいる……これからの建築は単なる映画にすぎない」と書いているのだ★一。あるいは、建築を「見世物の半電子的な視覚標識」と呼ぶ者たちもいる。しっかりと場所に固定されて不活発であるため、エーテ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171
[翻訳論文]
各時代の指導精神は、サント・シャペルからリヴォリ街に至る、その時代を記念するような建造物のなかに具象化されている。しかし、この素晴らしい遺産は混乱しきった街中に置かれ、記念碑的な建造物も錯綜した街路に囲繞されて、孤立させられていた。ナポレオン三世のもとでセーヌ県の知事を務めたジョルジュ・ユジェーヌ・オスマン(一八○九—...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136
[対談]
住宅における構造の現在 町田敦──技術、エンジニアリングの領野についての関心が最近、ますます高くなってきているようです。そういう時期なのですが、建築という分野において構造的なアイディアはすでに飽和しているかのように見えることがあります。構造設計者はその限界を感じているからこそ、自らの職能を開拓しているかのように思えるの...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.73-79
[事例]
潮待ちの港・鞆の浦 広島県福山市の沼隈半島に位置する鞆の浦は、瀬戸内海に面した小さな港町である。眼前の瀬戸内海には仙酔島・弁天島をはじめとする数々の美しい島々が浮かぶ。鞆の浦から眺める一体は「鞆公園」として国の名勝に指定されている★一[図1]。この景勝は万葉の時代から知られていたが、一方で天然の良港にも恵まれ、瀬戸内航...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.107-112
[論考]
「Vertigo(眩暈)」の展覧会テーマに合う、現代の日本建築を教えてくれないか? と尋ねる英国人建築家へ返信のメール。 君もよく知っている妹島和世さんの集合住宅はどうかな? ついこの間、彼女が設計した《岐阜県営住宅ハイタウン北方》[図1]に行ってきたので、そのときの話を送ろうと思う。 ところで、彼女の建築的戦略がもっ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115
[フィールドワーク]
頭上には六車線道路、左右は工事現場という膨大なノイズで満たされた空間──この写真から、この場の轟音が聴こえるであろうか。 可視領域と不可視領域のズレ、隠れた接合部、線的ではない多次元的な移動。音を通して都市に立ち会うとき、視覚・聴覚・身体的なノイズで覆われていた都市の構造が顕わになる。ここでは、その音による都市の読み取...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.56-69
[批評]
個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ アイリーン・グレイ、一九四二年 「E1027」。一軒のモダンな白い家が、フランスのカップ・マルタン[マルタン岬]のロクブルンヌという人里離れた場所で、地中海か...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めたが、これは色彩をファッショナブルに使うことを批判し始めたのとちょうど同じ箇所においてである。この書は第一○章の「建築の時」が宣言されるまでゆっくりと、しかしだん...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[論考]
建築は基礎(基壇)でしっかり地面にインプラントされて身動きできない存在だから、何らかの手だてで代理的イメージを制作して流通させないことには、より広い世界を獲得す...終わりにジュディス・ターナーがファイヴ・アーキテクト展の写真を担当した際にあらまし予見されて...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[論考]
一九世紀フランスの建築写真からアーカイヴの爆発へ 一八五一年、五人の写真家が重大な使命を抱えて、国内に散らばった。ギュスターヴ・ル・グレイとその弟子メストラルは、トゥーレーヌとアキテーヌへ。アンリ・ル・セックはロレーヌとアルザスへ。エドゥアール・バルデュスは、ブルゴーニュへ。イポリット・バヤールはノルマンディへ。この年...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[批評]
「クローゼット」という言葉には、別々の、しかし関連しあう二つの意味がある。ひとつには、クローゼットとはものが収納される空間のことである。「あなたの服はクローゼットのなかにあります」と言ったりするのはこの意味においてである。だが「ジョーは何年もクローゼットのなかにいた」という発言は、彼がズボンとネクタイを合わせようとして...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.120-129
[翻訳]
一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスムの展覧会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの建築展はすべて重要なサインとして、そこで扱われた建築運動や潮流の意義を保証し、公認するものと見なされてきた。また「近代建築」展で最初の成功をおさめたフィリップ・...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191