椹木野衣
新潮社、1998年、393ページ
ISBN=9784104214013
[論考]
... |「黒い太陽」★ーより 《太陽の塔》が昨年、日本万国博覧会(EXPO'70)閉会後、三三年ぶりに内部公... ...と四次元芸術 帰国した太郎は、日本の伝統芸術に眼を向けたが、日本の輸入文化やスノビズムに絶望す...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.145-154
[インタヴュー]
...かがいできればと思います。出来事、あるいは『日本の都市空間』(彰国社、一九六八)では「かいわ... ...まとめられた論文のうち、初出が一番早い論文「現代都市における建築の概念」は「状況1」「状況2」「...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[インタヴュー]
...戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当... ...八年あたりから八田利也の名で共同執筆された『現代建築愚作論』にすでに見られます。「小住宅バン...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
...どうもよくわからないんです。このテクストは『美術手帖』の連載として書かれたわけですが、そもそ... ...う成り行きで始まったのでしょうか。 磯崎──『美術手帖』は五〇年代からありましたがとりわけ六〇...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[論考]
...てはまるだろう★三。これから少しばかり、戦後日本の建築家による幾つか住宅の動向を概観するけれ... ...そこを視線と風景が交錯する舞台としたのだが、現代の舞台はTVであるのでは? という反省を踏まえて...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[インタヴュー]
...への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアー... ...計画の問題に対して切り込んでいく「技法」を、日本というバックグラウンドから探しています。観察...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[万博という問題系2]
...ことにします。その前提として、以前に『日本・現代・美術』という本を出しました。これは戦後の日... ...していたし、近くは美術評論家の菅章が『日本・現代・美術』を批評するなかでこの問題に触れている...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[「悪い場所」にて 15]
...を提供した例外的な批評家であり、僕が『日本・現代・美術』を出したときにも、「日本ゼロ年」展を... ...わけにはいかないものの、僕は、かつて『日本・現代・美術』がそうであったように、この本に対する...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 3]
...だけが攻撃の対象になるのか? 一方、『日本・現代・美術』の序論において、椹木はこう言う。 [大... ...二月号、彰国社)。 ★二六──椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、一九九八)。 ★二七──森達...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[「悪い場所」にて 13]
...重が移っていったから、そうしたことは『日本・現代・美術』や『戦争と万博』といった著作で僕のこ... ...るということだ。 自分でも書いていて驚いたが、美術について書くよりもはるかに情動的になってしま... ...の評論集であった『シミュレーショニズム』は、美術批評をやっていくうえで出発点となった本だけれ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.49-50
[「悪い場所」にて 1]
...、「・(ナカグロ)」によって分断して「日本・現代・美術」とし、それを前提に一冊の非・戦後美術... ...えて行なわれている以上、その極東の同盟国たる日本の平和を享受してきたわたしたち自身に、なによ... ...太郎が単純に「殺すな」などと言うはずがない。美術ならぬ呪術の力をこんにちの世界に取り戻そうと...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.12-13
[1990年代以降の建築・都市 7]
...企画した最大の動機だった。なるほど、『日本・現代・美術』(一九九八)において、前衛が反復する... ...品と言えるだろう。ドイツのメディア・アート系美術館であるZKMの「イコノクラッシュ」展において、... ...るという時間の逆説を提示し、高度経済成長期の日本を揶揄するかのように。さらに三台のプロジェク...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[現代建築思潮]
...の目撃者』(新建築社、1977) 椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998) 予め断っておくが、本書... ...は離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『... ...トモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に海外...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[「悪い場所」にて 11]
...なからぬ興味を惹かれた。 と、ここでいうのは、日本で「メディア・アート」とよばれる領域について... ...未知の可能性を過度に強調することなく、むしろ日本の「戦後」という、地味と云えばこのうえなく地...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.9-23
[「悪い場所」にて 4 ]
...ま、なぜだか「音楽」という戦場に投げ込まれた美術家の集団です。 05・したがって、絶え間なくカー... ...争」になぞらえてプレイすることは、少なくとも日本においては、長くなされて来なかったように思い...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.26-28
[「悪い場所」にて 5]
...五月いっぱいまで、多摩美術大学美術館で、「四批評の交差──いま、現代美術を問う」と題された展... ...おり、この展覧会は多摩美大で教鞭を取る四人の美術評論家が★一、それぞれの立ち位置から作家を招...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.24-26
[「悪い場所」にて 8]
...いま、「美術」の状況はどうなっているのか。たとえば数年前から、かつて八〇年代の「ニューペイン... ...はよいが、実際には、九〇年代なかばくらいから美術の世界をも覆い尽くし始めたグローバル資本主義...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 10]
...ところ、六〇年代末から七〇年代初頭にかけての美術の見直しが進んでいる。先頃も、鎌倉山に所在す... ...た展覧会が開かれたばかりだし、秋には国立国際美術館で、「もの派」の再検討を含めた大型展が開か...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 6]
...がかりに、自由な形式で作家が集った現代美術展である。 日本からの出品作家はヤノベケンジと中ハシ... ...然のように行なわれず、正式な謝罪もないまま、日本全国では、かつてない原水爆反対運動が高まりを...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.26-28
[「悪い場所」にて 14]
...は現代になるほど自由の度合いが増して生き易くなっているということ書いていて、とかく僕らは現代... ...にしても、これらのパフォーマンスが許容され、美術史的な評価を得られた時代とは、いったい何であ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.33-34
[「悪い場所」にて 7]
...「美術評論家連盟」という組織があって、今年で五〇周年を迎えるという。それにあわせて先頃「日本... ...に、いろいろ考えてみたい。 会場は東京国立近代美術館のホール。全体の構成は前半(もの派から冷戦...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.25-26
[「悪い場所」にて 16]
岡本敏子の命日が近づいて来た。なんだか、あれからもう随分時間が経ったように感じるのは、なぜなのだろう。二年前の四月、大学の研究室にいるとき携帯にかかってきた電話で知り、その夜、青山の記念館に駆けつけた。弔問客は断っているせいか、館の周囲は存外に静かで、玄関に入ると、メキシコでの《明日の神話》日本公開のための仕事から帰っ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.33-36
[「悪い場所」にて 9]
以前、この連載でも少しふれた家も建ち、すでに一年半が経過した。 実際にはどうであったか。 いくつかの点で細部にツメのあまさが残るものの、基本的には気に入っている。特に、荒削りだが圧倒的な解放感のある空間は、文句なしにすばらしい。ただ、住みやすく細部を調整するまでには、ゆうに半年は掛かった。通常の引っ越しでも、新しい環境...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.25-27
[「悪い場所」にて 3]
本誌前号で五十嵐太郎氏が「白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.26-27
[「悪い場所」にて 2]
家を建てるというのはいろいろ起こるものだ。 入手した土地は北西の角地で、見つけた時点ではまだ前の持ち主の古屋が建っていた。土地は公道に面していて、そこからいい感じの路地が奥へと延びている。通れるとしても人かせいぜいが自転車くらいで、それが逆に趣を醸している。もっとも、路地に魅せられて買ったわけではない。残念ながらその路...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.22-23
[「悪い場所」にて 12]
まったく、とんでもない法律が決まっていたものである。 この法律、実は僕はおととい(二月六日)、友人から聞いたばかりなのだが、最初は意味がよくわからなかった。それくらい現実離れした内容のように思われたからだ。すぐにネットで調べておおよその実情を知ったのだが、それでもまだ、なぜこんな気分が悪くなるような法律があっさりと可決...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 17]
ひさしぶりにロンドンにやってきた。この四月からロンドン市内の大学に附属するリサーチセンターの客員研究員として一年間、籍を置く。テート・ブリテンの隣に位置するこの芸術系の大学(University of the Arts London)は、ロンドン市内のアート系カレッジが統合されてユニヴァーシティになったものだが、訪れて...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.37-39
[Urban Tribal Studies 11]
...籍していたことがある。オフィシャルDJとして、日本でも人気の高い二人、マイク・マグアイア(Mike Magu... ...とって「アゲて」いくそのセンスは絶妙であり、日本では古参のレイヴァーたちから若いクラウドにい...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.214-224
[循環する都市 3]
...、日本なんて、どこにもないかもしれないな(…中略…)おれが歩くと、荒野も一緒に歩きだす。日本... ...満州ツアー」などと銘打たれたパックツアーが、日本の大都市だけではなく、地方都市の旅行会社のパ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.138-146
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 3]
...であった。 美術家荒川修作氏は日本においても、《養老天命反転地》や奈義町現代美術館の「偏在の場... ...ざまな論議──もっとも、それは一部の思想界・美術界に限られたことであり、建築プロパーのあいだ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.25-27
[都市表象分析 22]
...れば、湿気の多い日本では天文観測もままならず、海図や羅針盤などもたない古代日本人にとって、危... ...岩であれ、樹木であれ、山であれ、何でもよい。現代でも漁師たちは、日ごろ世話になっているこうし...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.2-12
[建築の解體新書 6]
...ます★三。 一九二一年の発表以来この鏡は、特に日本建築史界においてその価値が、やや魔術的なはた... ...への胎動を認めることができたからです。つまり日本建築固有の記念的建築の黎明がすでにひろく訪れ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.10-18
[アート・レヴュー 1]
...今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの... ...際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセルで行なわれるドクメンタが...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
...新鋭のテクノロジーを駆使した商業ビルとしては日本最大のモニター『QユS EYE』」だろう[図2]。かく... ...いう建築のモデル こうした端末機としての倉庫は現代の都市に遍在している。例えば、無人契約機、カ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[建築の解體新書 8]
...ょう。 ★ 一九四四年、浜口隆一が例の有名な「日本国民建築様式の問題」(『新建築』に連載)で、伊... ...さまざまな論点がほぼ収束された現在、なぜか「美術」としての建築のみが、とっくの昔に葬り去られ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.14-28
[1990年代以降の建築・都市 16]
...ではない。もともとは、ワールドカップの予選で日本×北朝鮮の試合が平壌で開催されることから企画さ... ...ロジーとしてつながっている。 渡航前、ちゃんと日本に帰ってこれるのか? と、多くの知人から冗談...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.23-25
[現代建築思潮]
...誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの... ...いうことで言えば、日本でも一九六三年に浜口隆一さんと村松貞次郎さんが『現代建築をつくる人々─...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[現代建築思潮]
...★二から、ライプニッツのラディカルな解釈と、美術やその他の知的分野における現在の動向を分析す... ...ールディングを複雑で相容れないものが混在する現代の文化的文脈に対する、第三の建築的対応と位置...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[ミュージアム・テクノロジー随想 3]
...思うが、文学から映画への転身が遅かったのか、日本への紹介が遅れたのか、パゾリーニの映画にはな... ...王女メディア』(一九六九)は私が高校生の時の日本公開。いちおう成人指定映画だったのを知らぬ顔...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.28-29
[ポストモダニズムと建築 7]
...スク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあるのではないか。いかにも大げさ... ...る意味では現代を問うことがおろそかにされている現状こそが特殊なのである。例えば現代の建築が近...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[都市ノ民族誌 5]
...んだ非同盟主義運動の始まりの年は、いみじくも日本においては「国内冷戦=五五年体制」の始まりの... ...域の軍事拠点である日本の基地強化を迫られた米国政府は、立川の基地拡張を日本政府に要求。水爆の...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.36-39
[都市表象分析 27]
...多かった。この場合、「クンスト」には「芸術・美術」と「人工・人造」両方の意味が切り離しがたく... ...マーの比較対象となりうるのは、江戸時代後半の日本における博物学の流行である。ただし、「博物学...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.2-12
[集中連載 1]
...ズム」ということばが「罵り言葉に成り下がり、現代の政治運動を分析する道具としてはますます使い... ...議会における互選で選ばれたわけでもなかった(日本の戦前の知事も内務省からの派遣である)。選挙...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[インタヴュー]
...願いします。これまでのインタヴューはみな、森美術館での展覧会についてのものだったかと思います... ...なのか、よくわかっていないところがあります。日本の多くの人も、建築の膨大なコレクションのこと...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[グローバリズム 5]
...二制度というのはそういう意味でもある。だから日本ではとんとお目にかからなくなったメードルーム... ...本来構造技術を学んだ都市計画家といえば戦前の日本の建築界のドンであった佐野利器や内田祥三を思...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[論考]
...を振り返りながら、二一世紀の建築家を取り巻く日本の現実を照射し、戦後社会とは異質の「転形期」... ...研が実践した方法論の指針にほかならず、戦時下日本の喫緊の課題であった総動員(general mobilization)★...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[1990年代以降の建築・都市 2]
...ンシーの小説『合衆国崩壊』(一九九六)でも、日本の旅客機がワシントンの議事堂に激突し、大統領... ...にシアトルで生まれた★七。アメリカに移住した日本人の息子である。しかし、貧しい家だったために...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[大島哲蔵追悼]
...翻訳をする一方で、「コーディネーター」として美術家や建築家と協働してコンペに名を連ねたり、展... ...を大島は述べていた。 作品には、今見ると、当時日本でもすっかり有名になっていた、チュミの《ラ・...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.192-193
[論考]
...二年サロン・ド・トンヌ出品作の「三〇〇万人の現代都市」計画案は、『建築』書編集の時期に着想を... ...る。同様な方式でオザンファン★二との共著の『現代絵画』(一九二五)、ル・コルビュジエ単著の『...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[連載 7]
...あったことはすでに述べたが、とくに都市計画が美術的な側面と同時かそれ以上に重視されざるをえな... ...に猖獗を極め、多くの犠牲者を出した。ちなみに日本には一八二二年(文政五年)に最初の到来があっ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
... 二〇歳近く歳の離れた男女のユニット、D+Sは、現代の建築界においてユニークな活動を展開している... ...ともあって、どうもそのあたりの事情はあまりに日本では伝わってこないようだ。 1──ディラー+スコ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[都市論の系譜学 2]
...応用」する舞台であると言ってもよい。ちょうど日本で言えば、渋谷の街路がかつての「対抗文化」の... ...みに木下氏はシチュアシオニストの実践と思想の現代における応用には一貫して懐疑的な姿勢を打ち出...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[知の空間=空間の知 3]
...、同じ起源から分かれた盤上遊戯がタイや中国や日本に移植されて今日なお有力な娯楽として生きつづ... ...は所有していない。ただ、ここではとりあえず、現代の画家ハインツ・オバインの《王》と題する絵に...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.2-15
[インタヴュー]
...時都市に関係して書かれた論文の多くが基本的に日本の状況を背景としていたわけですが、『みづゑ』... ...1—5、美術出版社)は海外の都市を視野に入れて書かれています。ということは、それまで日本の都市で...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[インタヴュー]
... 例えば『空間へ』に収められた論文を見ると、「現代都市における建築の概念」においてシンボリック... ...なんかを見れば大体理解できますが、地震がある日本では横力が垂直力に加わります。この物理的なス...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205
[インタヴュー]
...スの観点から解釈されていたということですね。現代でも生物学ではマトゥラーナ&ヴァレラのオート... ...起こって、全世界が不況になりました。ところが日本には田中角栄という超アナクロな人が現われた。...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[論考]
...国際ビエンナーレは、こうした都市的状況を、現代美術の力によって、人々に問題として投げかけよう... ...する点にある。 ハンルーは、現代美術は近代化の産物であると同時に現代的なもので、ヨーロッパで始...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.126-127
[論考]
...てしまった。 二つの展覧会企画につき合った。《日本の夏一九六〇─六四》(水戸芸術館)と《磯崎新... ...プラザ)である。前者は一九六〇年から五年間の日本全国での新しい芸術運動を展望するもので、ここ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[Urban Tribal Studies 15]
...による分析を読んで最初に思ったことは、早晩、日本にも神社や古墳でパーティをやる輩が出てくると... ...がその刺激的な作業で明らかにしてきたように、日本の中世期以来の神仏習合(シンクレティスム)は...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.182-190
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]
...ながら、各空間の映像をギャラリーで再構成し、美術館における古典的な視覚のメカニズムを寄生体の... ...気味の白人の割合が驚くほど多くなっていたが、日本のディズニーランドに入っても、これほど明白に...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207
[Urban Tribal Studies 5]
...ランスのレイヴ・パーティに参加したある女性(日本人、研究者)は次のように語った。 「みんなが同... ...クノと演歌の合の子」といった紋切り型の批判が日本でも若年層を中心にごく一般的である。しかし、...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[建築の解體新書 5]
...躾と添削……岡崎乾二郎1 わが国の学者は日本語で中華の書を読み、和訓と称している。訓詁(くんこ)... ...たが、これは中華の人が読書するとき、ちょうど日本人が仏教の経文や陀羅尼(だらに)を読むのと同...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.13-28
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 1]
...容してもらうのではない。そこでは「作曲」は、現代音楽の作曲言語などに全く無知な老人たちが、障... ...を作曲、インドネシアと日本で上演した。そのほか、水戸芸術館、パリ国立美術学校などでも意想外の...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.31-33
[論考]
... A──祝祭性って点ではそうかもね。普通の美術展なら美術館で見ればいいわけだし。ただし、世界最古... ...目的で開催されたの? A──横浜は人口で言えば日本第二位の大都市だけど、今までこれといって大きな...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.128-129
[建築の解體新書 4]
...……中谷礼仁 はじめに 前回の岡崎氏の論旨は、日本語、というか、漢字にからみつくテニヲハのはた... ...のテニヲハを類比的にあてはめることによって、日本建築の特性をつかみだそうとする試みでした[註...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.13-26
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
...の爆発を象徴的に指し示している」と言い★四、日本でも磯崎新が、この年の出来事を神話的に語って... ...域へと抽象的に整備する独断的決定が、明らかに現代の建設条件の中心にある」ことを糾弾する。そし...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...「日本」の阪神大震災が「世界」建築の流れを変えるかのような印象をあたえる(議論の対象を日本に... ...果的に「日本」を特殊化する言説になっていよう。しかし、言うまでもなく、今でも震災は日本以外の...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[建築の還元 1]
...が文化の表象や権力の象徴、あるいは科学技術の現代的表現であるといった記述が、すでに言葉の実効... ...りも、説明できなかったのである。また、戦後の日本においては浜口隆一が建築の機能主義を社会制度...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[論考]
...きな美術館が開館したじゃない? そのなかでも、六本木ヒルズの森美術館、乃木坂の国立新美術館、... ...それに東京ミッドタウンのサントリー美術館の三館を結んだネットワークのことだよ。それぞれ運営母...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[インタヴュー]
...い状態です。ただ、あのような状態であっても、現代においてはある種の秩序と呼んでいいのではない... ...グラムをどう秩序化するか 柄沢──「武蔵野美術大学美術資料図書館」に関して『新建築』二〇〇七年...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[グローバリズム 2]
...1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で... ...ではなく日本の都市についてのものだった。コールハースはそれを「カオス」と形容した日本人建築家...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[現代建築思潮]
...『Natural History』の読書会を開き、建築と素材と現代美術の関係性について読み解いてきました。 田中─... ...ました[図2]。例えば、ジャン・ヌーヴェルは「現代的な建築家とは、鋭敏な意識をもって現実を直視...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
...六七)で語ったものである。またダイナミックな現代都市では、建築を柱、梁、壁という既成概念から... ...と美術を検証する連続シンポジウムがスタートしたのだが、菊竹清訓が紹介されたこともあり、美術側...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 21]
...の景観 今秋、「rapt!」という日本とオーストラリアの交流年にあわせた美術系のイヴェントの一環で、... ...初めてオーストラリアを訪れた。日本国内ではいつも睡眠が不規則のため、普段から時差ぼけ状態で日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.39-41
[連載 8]
...外観だけにこだわり、ライトの《グッゲンハイム美術館》を先取りするように、あるいはゲデスの《ア... ...物館=美術館のアイディアを、ムンダネウム構想が頓挫した直後、一九三一年の「パリ現代美術館」の...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[1990年代以降の建築・都市 22]
...物である。その二つの顔なのだ。 キッチュの語を日本に知らしめたのは、ブルーノ・タウトである。彼... ...なものの流入をけなし、日本古来のものは簡素で美しいという。彼の言説は日本らしさをめぐる政治に...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.36-38
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間6]
... 出典=西山卯三『日本のすまい』2──ある電車住宅の内観 出典=西山卯三『日本のすまい』3──ある... ...=西山卯三『日本のすまい』4──ある電車住宅における家族の変遷 出典=西山卯三『日本のすまい』 ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.13-24
[現代住宅研究 6-2]
...窓によって眺めを得るという当たり前なことが、日本の密集した居住地域においては困難である。好例... ...ンス、インタヴューに答えて(『美術手帖』二〇〇一年一月号、美術出版社)。 ★二──『20世紀建築...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[連載 4]
...えるが、日本の明治期の博物館もそうであったように、組織名称である★三。ただしこれも日本と同じ... ...バックアップすべく恒久的につくられた組織で、日本のものは役所の部局だが、民間の団体であるフラ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[『日本の民家』再訪 1]
...を同じくする人々と、日本国内をまわり歩くことにした。すくなくとも現在の日本のさまざまな場所の... ...うすぐ九〇年に届きつつある今和次郎の処女作『日本の民家』★一である。 今和次郎(一八八八─一九...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.14-24
[技術と歴史 5]
...のでさえ、現代の視点から見ても新鮮に映るものが多いのです。素材は近代建築初期から現代まで、ひ... ...ミリ以上はある真鍮の無垢板で覆われています。現代では通常一・二ミリから一・六ミリの薄い鉄板を...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
... あたかも東京オリンピックの前年、破竹の勢いの日本は、戦後第一次ともいうべきナショナリズムの動... ...エロ前派(ロセッティからビアズリーまでの英国美術)、クリムトからムンクまでのウィーンの作風な...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[インタヴュー]
...程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えますが、僕はそれをアメリカ現代建... ...具合に受け入れられたかを比較してみるといい。日本はル・コルビュジエを、アメリカ(USA)はミース...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[現代住宅論 5]
...検討しようとしているように思える。それでは、現代の建築家にとってモデュロールはもはや積極的な... ...いのだろうか。今回はモデュロールに関連して、現代建築における寸法の問題について考えてみたい。 ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.226-233
[シンポジウム]
...い、建築そのものの再構築を試みることこそが、現代を生きるわれわれ建築従事者が行なうべき中心的... ...波打っています[図6]。また、美術館の中には、二〇世紀最大の現代作曲家である武満徹さんのポップ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[年表]
...日本の建築の近代について、これまでにどんな歴史的視点が生まれ、拡がり、変わっていったのだろう... ...い。そこで、日本近代建築の年表ではなく、日本近代建築史の年表を作成した。 「日本近代建築史」は...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165
[論文]
...機能不全に陥った既存の空間を保存・再生して、現代社会に再適応させていく作業である。歴史的中心... ...を同時に行なうことで、古代ローマ植民都市から現代に至る都市空間の変遷を緻密に描き出すことに成...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.162-170
[福岡]
...ンディション(以下FLC)」は、第二回福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇二に招待されたアトリエ・... ...C」としてカタログ化したものである。福岡アジア美術館内のメザニンフロアに、どこかにありそうで、...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.156-171
[フィールドワーク]
...の喪失に向かうという矛盾を引き起こすように、現代の都市空間あるいは都市生活も、国際標準化によ... ...レンマに苛まれている。こうした状況をふまえ、現代都市に潜み無意識化した諸空間の成立背景を国際...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.161-168
[図版構成3]
...ていることがわかります。人類史上で考えれば、現代の成長時期は時間的には非常に限られた、三〇〇... ...ハレ/ライプツィヒ(ドイツ)です。また先頃、日本の函館が人口動態による縮小の例として本プロジ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.164-167
[技術と歴史 12]
...ルーヴェの仕事を構法的に捉えようという動きが日本にも一九七〇年代にあったわけですが、今日は、... ...けたかということですが、ナンシーにもいわゆる美術学校がありましたし、あるいはパリに行けば、ボ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[ネット公正論──データの逆襲 2]
...いうものは存在しないという見地に立っている。現代のサイバネティクスの議論のなかでは、その情報... ...きているという主張が横たわっている。そして、現代における情報生産と共有の様式が、法や経済の慣...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.28-34
[都市表象分析 32]
...る古典的な写真論や、ロザリンド・クラウスが現代美術論で駆使したC・S・パースの記号論における写真... ...たちの撮影行為が示しているのは、都市、それも現代の東京を異化してとらえる実践の可能性である。...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.2-10
[ネット公正論──データの逆襲 3]
...の発生構造(中沢=フーコー、ラッシュ)とその現代における情報ネットワークへの適用、そして芸術... ...を踏襲すれば、こうした過渡期的状況のなかに、現代における生気論的な認知の契機があるといえる。 ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.25-32
[インタヴュ―]
...きだったかもしれない。岸田日出刀や丹下健三に日本浪漫派的な傾向があったことはしばしば言われま... ...ム状の指向性となってこの時期を牽引しました。日本浪漫派的な傾向についていたずらに戦犯的なイメ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[現代住宅研究 4-1]
...なアルコーブやニッチ=「へこみ」も、ひとたび日本の住宅事情に投げ込まれると、微妙な変質を遂げ... ...居と壁の取り合いにも欠き込みがあるし、一冊の美術本のためだけの穴も見られる。こうした穴の大き...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.21-25
[CONCEPTUAL 日本建築 4]
...か。周囲に巨大な仮設足場を組むのであろうか、現代のビル工事場に面する歩道上部の仮囲いのような... ...で、富山の朝日町産のヒスイが出土するという。日本海交易は当時から盛んだったのである。当然、出...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233
[都市とモードのフィールドノート 1]
...う、ときっぱり応えたのであった。そのとき私は現代において流行と無関係にものを言ったりつくった... ...の《日本看護協会ビル》にも商業スペースが設けられているので、表参道はさながらブランドと現代建...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.30-32
[景観の視学/史学/詩学 2]
...ンス・ストアやカフェが入り、ガラスを多用した現代建築は結果としていずこもチェーン店の規格化さ... ...われる。ただし、外国人映画人や、団塊の世代の日本人写真家が好んでカメラに収めるパチンコ屋やカ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.25-27
[1990年代以降の建築・都市 8]
...。これは二〇〇三年の日本に、ある種の必然性をもって降臨した作品だろう。日本人なら誰でも知って... ...を増して歪む。それはこの番組を身体化している日本人ではなく、言語を理解しないエイリアンの視点...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.219-229
[論考]
...現代の建築保存は実に多様なあり方を示している。厳格に現状を維持しようとする保存修理から、移築... ...態度、過去をかつてあったように復元する方法、現代的な表現で過去を生かす手法……見解はいまだ一...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.112-113
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]
...うな保存概念の本質=アナスチローシスはまた、現代建築においても奇妙な歪みをもって現われる。 二... ...カプセルタワー》(一九七二)[図5]のように、日本初の塔状カプセル住居として記念碑的に立ち止ま...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25
[グローバリズム 1]
...に出ることはひどく少ない。今まとめている本も日本が主題である(そうなるといくらでも対象と素材... ...などというにせよ、私もまた明治以降終戦までの日本近代などというテーマにここ数年もかかりきりだ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[現代建築思潮]
...必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を... ...たいということですね。 今村──ただ、一般的に日本の建築界には批評がないとよく言われますが、磯...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[大島哲蔵追悼]
...ではなかったが、日本でこれが見られるとは思わなかったし、T書店はもっぱら美術やデザイン関係の新... ...と取り合おうとはしなかった。それでいながら、現代もののソースで私を巻き込むことができないのを...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.168-171
[論考]
...々もけっして周縁化されるべきではない。通常の美術展やコンサートのように、アーティスト、演者、... ...アートプロジェクトに見えるが、狭い意味での「美術」のプロジェクトに回収されることを拒絶してい...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.173-180
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...ル」はあくまでも西洋の技術を巧みに咀嚼した「日本経由の西洋モデル」であったのだが。 この一八九... ...〇年間の建築における「日本経由の西洋モデル」の学習政策は、教育制度を日本に倣って導入し(たと...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.212-224
[東アジア建築世界の二〇〇年 1]
...るためのウルトラCとしてぼくが考えついたのが、日本と韓国の中堅建築史研究者が膝つきあわせて、古... ...ィジョンを共有したい。 イラン行きは、イスラム現代建築家のインタヴューに名を借りて、この国の建...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.189-200
[循環する都市 1]
...三七年以降の日中戦争を担う日本の「暴力」を暗示するのか、あるいは日本に抗う中国の「抵抗」を暗... ...がある。 ところで、江戸から帝都への転換とは、日本の近代化の端緒をマークするよりも前に、何より...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.201-209
[景観の視学/史学/詩学 4]
...、 一九二二) 西村の考え方は、大正期初めから日本の文化人の間で広まったウィリアム・モリスやラ... ...を単位とせず、個人の個性を発揮するという点で現代的である。共同作業のほかに教養を高めるための...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.31-33
[Waiting for Art 2]
...されてしまっていると、考えたくなる。 東京都現代美術館での「MOTアニュアル──フィクション?」展... ...要な繊細さをそなえている。 けれど彼女の論が、現代社会学に近づけば近づくほど、その繊細さが彼女...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.26-29
[連載 5]
...クトだった。既に一般的な都市の造形について「現代の感情は、幾何学的精神、構成と統合の精神であ... ...まうなどがそれだが、彼女はこれをバタイユの「美術館Musee」と題されたもうひとつのテクストにつない...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...」による「植民都市」化であったともみなせる。日本建築の帝国主義化を本章で語るにあたって、江戸... ...区分できないとの仮説からである。官軍政府が、日本をひとつの国家として、国民に見える形で統治し...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.162-175
[都市表象分析 21]
...画館での身体の気ままさや無聊さに、バルトは「現代のエロティシズム」、それも「広告やストリップ... ...に残る映画のイメージについてはどうだろうか。美術作家・批評家のヴィクター・バーギンは、映画の...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.2-11
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...・モダニズム建築とは何か」という特集を組み、日本の建築関係者によるジェンクスへのさまざまなコ... ...年の祝賀パーティにおけるスピーチで景観を乱す現代建築への批判を展開して以来、建築界に対して保...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[建築の解體新書 3]
... たとえば時枝誠記は、詞と辞に対立させて国語(日本語)を考えることの先駆を、鎌倉時代に書かれた... ...字によって記されるほかなかった言葉(詞)が、日本と呼ばれるこの地に、そしてこの地が本来、胚胎...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.206-225
[1990年代以降の建築・都市 10]
...レス排除アート」あるいは「ギザギザハートの現代美術」と命名している★一。例えば、大森駅近くの... ...が行きとどくことの重要性を唱えていた。現在の日本でも、わずかな犯罪のほころびも許さないという...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.199-207
[グローバリズム 4]
...は武士の鎧をイメージしたのだという。設計者は日本人ではなくアメリカのKPFである。名古屋にもフラ... ...う見えなくもないという程度のものだが、これが日本人設計者だったらハナからそんなことは考えなか...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[一九九〇年代以降の建築・都市12]
...だ。 高橋は、一九九〇年代の後半から光を扱う現代美術を手がけている。だが、光を自律させるわけで... ...ゆえに、高松伸の代表作であり、一九八〇年代の日本ポストモダン建築のメルクマールとなったキリン...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.37-39
[インタヴュー]
...て日本におけるモダニズム受容の最初期の状況について話していただいたのですが、当時と今では日本... ...思っています。既に磯崎さんの『建築における「日本的なもの」』でも《桂》論とでも言うべきものを...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 8]
...芸術」を手放しで信仰できるのか。 いわゆる「現代美術」業界の人々(アーティストも含め)と語り合... ...。『これは現代美術です』などと言って、他の美術との住み分けをはっきりさせ、現代の美術というこ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.22-23
[論考]
...る。 もちろん、景観という言葉はずっと以前から日本語の語彙のなかに存在したし、「美しい景観」と... ...問題の日常化は、「都市再生事業」に代表される現代の都市開発や国土開発のなかで「美しい景観」や...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.126-135
[論考]
...回の特集もその一環なのかもしれないが、近年、日本の「近代建築」、「モダニズム」に関する議論が... ...にもなろう。それに伴って、「近代=戦前」/「現代=戦後」という区切りも自明のものでなくなりつ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[論考]
...日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわら... ...べたものである★一。日本の都市空間を理解せずに西洋の理論を押し付け、日本の都市環境を「改善」...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[論考]
...取りの組み合わせで家族を表象するという極めて日本的な方法を過剰なほど増幅させて用いた。そして... ...るのである。 この提案には「nLDK」という極めて日本的な住宅形式の延長線上にありながら、いままでの...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[批評]
...る「桐文金箔押軒丸瓦」がある[図2]。これは日本美術工芸品のコレクターである前田維氏から大阪市... ...ていたかはわからない。 伝来というキーワードは美術品、特に茶道の世界では重視されている。茶道具...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.175-177
[論考]
...めた民家調査に基づいて一九二二年に刊行した『日本の民家』で、「都会に住み慣れている人たちは田... ...のなかでの固有の事態として存在している。近・現代の都会やその周辺の住居を今和次郎のような視点...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.56-66
[論考]
...一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派... ...ナル)な理念としての「モダニズム」を超えて、日本という固有性も視野に入れた表現(デザイン)の...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[論考]
...る彼は「欧米の整然とした都市」と比較して、「日本の都市の混乱ぶりとあるまじき猥雑さを何よりも... ...ー・ワグナー』2──ル・コルビュジエの構想した現代都市 出典=ル・コルビュジエ『ユルバニスム』ル...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[批評]
...同市のバウハウス大学ワイマール及びバウハウス美術館、デッサウ市のバウハウス・デッサウ財団、ベ... ...六月から来年一月にかけてバウハウス八〇年史と現代文化史を再考する「神話とモダニズム──バウハ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[批評]
...の記憶と、それに属する機械/器具の保存という美術館的コンセプトである。第二に、娯楽産業とそれ... ...九頁)。 ★九──『第二の近代(Zweite Moderne)、現代芸術の診断』(ハインリッヒ・クロッツ編、ミュ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.90-102
[対談]
...タイプを取り上げようと思います。いろいろと「日本近代建築史」に関するテクストを読んでいると、... ...っと広い「日本建築史」一般にまで拡げてみたい。これまた当然至極のこととして、「日本建築史」も...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[論考]
...は評論家)という存在は、数は多くないものの、現代においてはひとつの職能として認知されている。... ...ならば、黒田がその最初(彼は美術全般を扱ったから、厳密には「美術評論家」と言うべきだろうが)...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.77-86
[論考]
...り上がらないはずはないものだった。そこには「日本趣味」(佐野利器の発言中に出てくることば)を... ...は信じて居る」と言うのだが、これは当然「日本には日本の〈スタイル〉が無ければならぬと云ふこと...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.99-106
[批評]
...性というイデオロギーは、あらゆる傾向の思想を現代のディスクール空間に統合するが(ガダマーの解... ...ツは、受刑者を永久に懲罰の環境に置くものだ。現代のダンテは詩を書かず、諸々の矯正のエンジニア...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.109-124
[批評]
...要なのではないだろうか。そして、最近になって日本でも全貌が紹介されつつあるCCCSの活動の一貫とし... ...ギーの国家装置=ISAs(Ideological State Apparatuses)が現代社会において重要な役割を果たしていることを指...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.141-153
[論考]
...普通に見慣れているのは、マリオネットである。日本の文楽は世界的にも優れた人形芝居の例であるが... ...なんでも見せ物になりえた。それと比較すると、現代では、いかに死がタブーになっているかが分かる...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244
[批評]
...構成される)というような室のタイプによって、現代の(核)家族形態が制度化されている。水回りの... ...の日本の市庁舎とでは全く異なったビルディング・タイプといってよいくらい機能が違う。近年の日本...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[対談]
...的、経済的に捉えて、ランドスケープ、あるいは日本語における風致、景観、風景というものは国家と... ...ュという言葉は日本語では風土と風景という言葉に対応すると思うのですが、戦前の日本の風景論は、...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[批評]
...ィックな裂け目のように?[図2])。 本来、現代美術におけるアースワークの実験も、その幾つかは大... ...さの天空である男性神ウラノスを生む(ちなみに日本の『古事記』では、伊邪那美命が次々と国土を生...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.88-99
[批評]
...な抽象概念やグリーンバーグ、クラウスらが近現代美術の分析において用いるフォーム、フォーマリズ... ...はなく、それ自体独立した「細胞」なのだ。彼が日本の漢字について、「口」と「犬」という文字の〈...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[論考]
...ハルト・カルコシュカの『現代音楽の記譜』★三などを眺めていると、現代音楽の作曲家達が、記譜法... ...う意味で、両者は対立関係にあるわけではない。日本の伝統音楽における唱歌のようなものは、音声記...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.162-171
[論考]
...カルコシュカの古典的な記譜法に関する著書、『現代音楽の記譜』は次のような書き出しで始まってい... ...助手段としてのそれである、ということである。現代の〈図形楽譜〉ははじめて、音響として生ずる結...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.136-145
[スタディ]
... Fuller」は、フラーの多面的な活動の現代的な可能性を抽出し、現代都市への適用可能性を発見しようと... ...半は研究を継続しつつ、フラーの示した可能性を現代の東京への応用するデザインの提案を試みた。こ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
...八七〇年を起点に近代都市を概観する(この頃は日本の明治維新という意味でも興味深い)。先に論じ... ...して描かれたものだ(しかも後者は富士山という日本的な構図であり、神の視線と解釈できなくもない...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[鼎談]
...なテクストという意味ではないことは当然です。現代のトラヴェローグが不可避に映しだす「旅」とい... ...間的な)ローカリゼーションの方法論から離れ、現代社会においてトライバルな文化ネッ トワークを発...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.80-93
[論考]
...は、ダイアグラムやチャートであり、他の場合は現代音楽のグラフィック・スコアにも近い。われわれ... ...市」と名づけた★一。この論文が書かれた時期の日本の建築界はあげて都市デザイン・ブームで、磯崎...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
...すための最初のステップにもなっているだろう。 日本の読者のために簡単にアスガー・ヨルンの来歴を... ...して知られている。現代美術のコレクションには定評のあるアムステルダム市立美術館にはカレル・ア...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[批評]
...」という、より政治的な概念と関連付けて論じる現代建築の批評家もいる★八。ここでの「他者」の概... ...る。そして特定の珍しい場所、非日常的な場所(美術館、監獄、病院、墓地、劇場、教会、カーニヴァ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[批評]
...時から優等生だった彼女は、ウィーン美術工芸学校(現・応用美術アカデミー)でオスカー・シュトル... ...ルト・キッチンは一九九〇年以来、ウィーン応用美術館に実寸大で常設展示されている。これはリホツ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.180-187
[スペイン]
...として知られている。そのなかでも、数年前より日本にも紹介されるようになった建築雑誌『クアデル... ...写真集★二、MACBA★三の展覧会カタログなどの現代美術本が含まれているが、それは彼らが建築「専門」...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.112-113
[アメリカ]
...た虹色に生き生きと輝いて波打つ表面からなる、現代的な美と官能的美学に対しての逃げも隠れもしな... ...から言葉を借りるなら──美術監督である。ゲーリーとジャーディーが現代LAにおいて鍵となる建築家だ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.84-88
[日本]
...洋志の試みの中心がある。その態度は、多くの現代日本の建築家、例えば塚本由晴のようにデザイン・... ...性』の内部」(『モダニズムのハードコア——現代美術の地平』批評空間臨時増刊号、太田出版、一九...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[インタヴュー]
...ないかな。たしかにログキャビンというのは、日本の現代の木造住宅を見慣れた目からすると、吹き出... ...ていく時代だったんでしょうね。今からみると、日本の社会が消費社会化してどんどん細分化されてい...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.74-85
[論考]
...ていくのだが、こうしたポストモダン的な状況と現代の状況が決定的に異なるのは、機能やプログラム... ...解体、あるいはリビングルームの変質、あるいは日本独自のnLDKという表記法に対するオルタナティヴを...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[翻訳]
...一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスム... ...のテーマは現代建築の軽さである。ガラスを多用した透明や半透明の建築が、にわかに日本やアメリカ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[論考]
...に、中国古来の「瀟々八景」やそこから派生した日本における「近江八景」や「金沢八景」、また、太... ...京が地理行政的境界を越えて周辺都市、ひいては日本全国の日常をも「東京」化しつつある過程の象徴...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.147-155
[キーワード]
...るだろう。 〈非在化〉:第一に、1980年代後半の日本を覆った、全国的な経済的高揚の反作用として、... ...るにしろ、ほとんどその姿を消そうとしている。日本で主流なCADソフトはAutoCAD、JW-CAD、MiniCAD(VectorWorks...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[インタヴュー]
...と『建築文化』一九六三年一二月号で特集した「日本の都市空間」の問題設定を挙げたいと思います。... ...がちょうど三〇年前に磯崎さんたちがなされた「日本の都市空間」という仕事だったんですね。南君の...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[都市/テクスト]
...ど、樋口正一郎の一連の著作も、都市に対する現代美術の介入に注目するだろう。そして石山修武の『... ...て凡庸な批判に終わったものの建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』(洋泉社、一九九七)は、カタロ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[都市/メディア]
...の回顧と回収という美術館の制度に則した大規模な展覧会とともに、一方では美術館の形式を外部へと... ...どこまで行けるか!?〉、〈三〇〇〇歩でタイから日本へ帰れるのか!?〉といった企画、また猿岩石やドロ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[都市史/歴史]
...や日本以外の地域への研究領域の広がりである。ここでは、この五つの潮流のそれぞれについて日本語... ...『日本近代都市論──東京一八六八─一九二三』(東京大学出版会、一九九一)、小路田泰直『日本近...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[鼎談]
...たことではありません。むしろ世界的に見ても、日本ではそれらはかなり流通しています。しかし、建... ...いう二つの立場の間で揺れるわけです。 山本──現代の技術からは切り離されたいという考え方ですよ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[制度─都市]
...美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のも... ...では漫画やアニメまでが美術館での展覧会の対象となっている。こうなると美術館で展示されたものが...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[建築を拓くメディア]
...の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、ある性質において、それは美術展... ...ア、そして日本へと影響を及ぼしたのである。さらに重要なことは、そのムーヴメントが美術・工芸・...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[建築を拓くメディア]
...万博というフィルターを経由することで、今日の美術や建築の動向についても見えてくるものがある。 ... ...水晶宮(クリスタルパレス)にまで遡るが、こと日本においては、たいがいの者は大阪万博が開催され...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145
[批評]
...のの捉え方がいままでの建築家と違うのだろう。現代芸術に深い影響を受けているようにも見えるし、... ...いうところがあって、近代建築とか都市文化や現代美術などからいろいろなアイテムを引いてくるけど...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.80-89
[批評]
...現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人... ...いものを生み出すに至ったのかという視点から、現代建築全体の経緯を辿ってみることだろう。 マンフ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[批評]
...ばなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によって美術史に新たな地平を... ...う不思議な美術は、存在と存在を分節する(ための)「名前」を持つことを拒否し、どの美術的中心に...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[建築を拓くメディア]
...怖症にはさまれた極度の不安において、建築と現代美術を論じた評論である。 これぞ「名は体を表わす... ...(Vietnam Veterans Memorial)」のことは、最近では日本の美術や建築の授業でも普通に扱われるようになった...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.142-143
[建築を拓くメディア]
...本稿は近年日本で出された西洋建築史関連書のレヴューとして依頼されたものであるが、限られた誌面... ...の性格を加味したうえで、「西洋建築史関連書が現代的な関心にどの程度迫れるのか」という無謀な問...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.122-123
[鼎談]
...念の成立が結びついている。 永江──それは造形美術のなかでは異様なことですよね。彫刻家はそんな... ...誌が成立しているのも、建築系だからでしょう。美術批評だけの雑誌はもっと部数が少ない。建築系の...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[建築家的読書術]
...年ごとに、その描かれ方は大きく変化している。日本団地映画の黎明期とも言える一九六〇年代の作品... ...ウテイル』(岩井俊二監督、美術=種田陽平、日本ヘラルド、1996)の美術セットは東洋のどこにもない...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.89-91
[建築家的読書術]
...たたかれたりもした。 先生の博士論文であった「日本建築生産組織に関する研究」(私家版、一九五九... ...に残った。又、当時先生は『伊勢と出雲』(『日本の美術』第三、平凡社、一九六四)を執筆中であり...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[建築を拓くメディア]
...、ほとんどのそうした試みは失敗する。建築が、現代思想の言葉を借りて新しいイメージを掘り込んで... ...に、こうした情報環境の構築に呼応して、日本においては美術の世界を発信源としたスーパーフラット...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110
[図版構成]
...ー派 「地獄に落ちた人を見る天使」 キリスト教美術では地獄は巨大な海獣の口の中に描かれた。口の中... ...荼羅 立山への信仰と参詣を勧める布教を目的に、日本における山岳霊場の中でもとりわけ地獄が強調さ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[批評]
...勃興したというその筋書きとともに、この問題を美術史的に扱うにあたっての、今なお基本的な参照点... ...考えもされなかったのだ」★六。マルクス主義の美術史家たちは、やや領域を狭めてイギリスの風景画...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.149-169
[対談]
...、そんな形として捉えられた都市の身体性を、現代日本の歴史家である中谷氏が「血と肉」という生々... ...、もうひとつの補助線が、美術史、美学の分野での神経系美学、神経系美術史、神経系イメージ論など...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[論考]
...大阪万博を二〇世紀、愛知万博を二一世紀として日本万国博覧会の三五年の軌跡を検証、予測したトー... ...成した「妄想未来都市」を、跡地にある国立国際美術館に移植し、そこでは、多くの人々がヤノベ氏の...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.125-144
[論考]
...八九九年に日本美術を論じたエルンスト・シュールは、「頭脳の芸術」であるヨーロッパ美術に、「神... ...経の芸術」である日本美術を対置している。このとき日本美術は、何よりもまず、アラベスク的な線描...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.70-79
[論考]
...フを楽しんでいる直也の部屋は『ハッシュ!』の美術を担当した小川富美夫が、「ちょっとポップでレ... ...ってきたという設定になっている部屋に関して、美術担当の小川は「お互いに持ってきたものが合わさ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.118-129
[論考]
...1 背景 日本では、九〇年前後から横浜市中区、旧東急東横線の桜木町駅─高島町駅間約一・四キロメ... ...て自治体による駆除対象となっている一方で、現代美術や服飾デザインなどに幅広く適用されるという...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.144-155
[論考]
...の根本原理である国民国家に囚われない、自由な美術展を創造することにある。 万博と国民国家 アメ... ...ー族が、アルゼンチンからパタゴニアの巨人が、日本からはアイヌが、さらにはジェロニモ周辺のネイ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.116-124
[万博という問題系 3]
...考を『美術手帖』に発表され、その論考では、大阪万博の影のキーパーソンのひとりとして、美術批評... ...という話が僕は印象に残っています。その頃まで日本で唐辛子やニンニクはほとんど食べなかったです...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[構成]
...研究されることが望ましい。 こうした背景から、日本建築学会情報社会ビジョン小委員会内、環境情報... ...化され知能を持った機器が次から次へと出てくる現代では、人間しか持ちえない(と思われる)クリエ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.90-102
[コラム]
...沈殿している。それらは総じて良質で、いまでは現代思想随一の層をなしている。しかし、一度沈んだ... ...社会構造は七〇年以降進行し、世界では八九年、日本では九五年を境に変質しているという。その分析...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[構成]
...現代の日本と都市には、近代において懸命に構築がすすめられてきた社会インフラとしての「ネットワ... ...ニコトリエンナーレを開催。近隣住民、各大学の美術・建築関係者、通りすがりの人など、さまざまな...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.103-114
[論考]
...暗示的な仕方で、つまり青いアディダスバッグ(現代社会の商品)から出した道具で魔法(前近代の「... ...えておけば、八○年代後半から九○年代初頭の現代美術におけるシミュレーショニズムを先取りするよ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.97-105
[論考]
...は、最近翻訳された『マルチチュードの文法——現代的な生活形式を分析するために』(広瀬純訳、月... ...かでポストフォーディズム的な生産様式における現代生活の条件に、やはりセキュリティが中心的な概...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.106-112
[翻訳]
...一方で驚くべきなのは、オーストリアとドイツの美術史が一九〇〇年に抽象形態への強い関心を証して... ...のパッセージにおいて、だがとりわけ『ゴシック美術形式論』において、「芸術意志」の二つの大いな...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.192-207
[論考]
...うものの、この義体というサイボーグ的な身体を現代の人間身体へとそのまま当てはめることは不可能... ...人間だと確信することはできないにちがいない。日本では実際、一九二〇年代にショウ・ウィンドウの...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.208-217
[論考]
...て物を都市と置き換えてみればメアリーの問いは現代都市に対して同様の問題を投げかけてくる。「都... ...影響力を及ぼした初期のケースである。 1──『日本経済新聞』2005年11月8日朝刊1 法的制御 景観法は二...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.112-119
[論考]
...り景観法が新たに導入され、電線の問題も含めた日本の都市風景についての議論が活発化していること... ...なっている。アカデミー自体も一七世紀から続く美術・建築・音楽の名門であり、戦後は、あのハンス...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.104-111
[論考]
...な話は聞いたことがないという。彼女はどうやら現代建築が並ぶ今の様子が気に入っていたらしく、八... ...ように、首都高ができてから育った私の世代は、日本橋川を空間として体験したことがない。だからと...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.162-172
[フィールドワーク]
...えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてく... ...てくれた人物として知られる。だが、そうした「日本文化礼賛者」としての側面に光が当てられてきた...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
...に生まれる床面積の総量は一億三千万人、つまり日本の総人口を吸収するに足りるというのだ。つまり... ...出発している。 1──『日経ビジネス』1月8日号(日本経済新聞社)2──「FAR20」から想起されたイメー...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[インタヴュー]
...になっていきました。戦後の建築運動ではNAU(新日本建築家集団。一九四七年創立)があって、建築運... ...のがNAUの主張と考えられます。戦前地下に潜った日本共産党がひきおこした川崎第百銀行大森支店襲撃...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[論考]
...)。もっとイメージ的にいえば、国土のライン、日本という国家の国境を越えて世界に迫(せ)り出し... ...川添登らの日本生活学会や、桑原武夫、鶴見俊輔、多田道太郎、井上章一、井上俊らの現代風俗研究会...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.108-119
[ルポルタージュ]
...。まさに白眉中の白眉と言えよう」(西沢文隆『日本名建築の美─その心と形』講談社、一九九〇)。... ...をしている。まず住宅の設計をするにあたって、美術品のコレクターでもあるお施主さんは、篠田桃紅...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[論考]
...りのばらつきがあった、ということはこれまでの美術史研究のなかで確認されている★一。 そして、彼... ...=アトキンズ美術館)のどちらかが第一回印象派展に出品された。それを見た当時の美術批評家ルイ・...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.233-241
[論考]
...ワン&ロッズ、ル・コルビュジエなどフランス近現代建築史を代表するさまざまな建築家とコラボレー... ...ナーとしての理解からだけのものでもない。 近現代建築史におけるプルーヴェの評価 彼が二〇世紀建...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97
[インタヴュー]
...ンについておうかがいしたい。問題作かつ名著『日本の近代建築 上・下』(岩波新書、一九九三)を... ...ないと思った。近代以前を含めて日本の建築史全体の課題です。日本建築はすばらしいにもかかわらず...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
...育つ」★一一。 (2)ホッタテへの思い 「掘立柱を現代に復活できないもんかと考えている」「根本だけ... ...続いて約二〇〇年前に消滅したホッタテを、再び現代によみがえらせた。 (3)巨木柱と信仰 なぜ、柱を...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.78-83
[論考]
...九〇年代初頭にかけて、日本を普通の近代国家と見る認識を「見直し」、日本の社会をどこか異質なも... ...った議論だが、ジャパン・リヴィジョニズムは「日本異質論」としてアカデミズムから経済界に至るさ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[論考]
...おいて、かなりの精度で予測されていた。例えば現代のメガロポリスについての予測は、パトリック・... ...optimizationに関する考察である。例えば吉村弘は、日本の市町村の財政と都市人口規模の関係を調査し、...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.109-122
[論考]
...が、一九九九年に東京国立博物館において初の現代美術プロジェクトとして実現された《パワー・オブ... ...日本初の帝冠様式建築である本館・第一展示室(日本陶磁)をレディメイドと見なし、展示ケースの上...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.73-101
[鼎談]
...均質空間の崩壊 鈴木了二──「美術」と「建築」というテーマが設定されているようですが、建築には... ...にするという、いまの超高層のスタイルですね。日本の場合だとやっぱり地震力が大きいから周りの籠...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[論考]
...パトロンであり、一九六八年以降の「拡張された美術」が発展するために、とても重要な役割を担って... ...一年にポルトガル現代美術館を皮切りにパリ市立現代美術館、クレラー・ミュラー美術館、キアスマを...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.112-118
[論考]
...に企画されたはずであり、またその意図に対して美術の側からアプローチしてほしいというのが、ここ... ...れている昨今、美術や建築もけっしてその例外ではありえず、街のそこかしこに「美術っぽい建築」や...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[批評]
...そ、ベルリン計画において奉じられている価値の美術史的ヒエラルキーは依拠しているのです。古いヨ... ...建物における内部と外部の有機的連関の欠如は、現代の都市建築の典型であり、そこには他の領域との...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.115-122
[論考]
...集したり、過去の記録に用いたことは興味深い。日本でも、文化財の保存と写真の撮影は早い段階から... ...典=『写真の黎明』展パンフレット(東京都写真美術館)3──アンリ・ル・セック撮影、ランの大聖堂...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[論考]
...という新しいオペレーターの生誕を告知した。日本の現代写真の実験精神にとっても、この起源神話は... ...代までにエジプト、パレスチナはもとより極東の日本に至る土着の建築物・遺跡は、帝国主義的な侵略...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[批評]
...室、19322一九三九年、日本 一九三七年七月七日、いわゆる廬溝橋事件を契機に日本と中国は実質的な全... ...面戦争へと突入していく。日本軍の戦い方はすさまじく、わずか一年あまりで中国の主要部分を占領し...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[批評]
...ュの自動車に結合されるのであった。 ここには、現代でもなお、建築と哲学の根源的な課題が示されて... ...ンの本質的な意味といえる。 その視線は、郷里の美術学校で森の木立を描いていた彼の視覚と重なって...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122
[対談]
...いプログラムに変容させていくといったことが、現代都市には大きな部分としてある。これは社会学的... ...か。美術館というものを完全に排除してアートを語ることができるのかというと、どうもやはり美術館...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.103-121
[翻訳]
...コンセプチュアル・アーティストの草分けたちが美術市場とその疎外効果を拒絶したように、建築家の... ...r/November 1975)も読まれたい。 ★二──ヘーゲル『美術哲学』第一巻(Hegel, The Philosophy of Fine Art, Vol.1, Lo...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[論考]
...から発言を迫られたであろう。一九六六年三月に日本橋の白木屋(後に東急百貨店本店)で、同計画の... ...6──拠点ネットワークの多層構造。栗田勇編『現代日本建築家全集19 菊竹清訓 槙文彦』(三一書房...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.59-66
[鼎談]
...題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に関心をもっていて... ...は女性運動を含むいろいろな革命が起こり、当然美術に影響を及ぼした。それを受けて七一年にリンダ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
...れて趨勢を得ているものは、八〇年代のアメリカ美術界において「ニュー・アース・ヒストリー」が遭... ...なる概念はかつて美術作品において分析対象となった「形式(form)」ではなく、美術作品と世界を結び...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[プロジェクト・スタディ]
...構」、この二つの領域を「システム」と呼称し、現代社会の直面している問題をその肥大化傾向とそれ... ...の分離の構図が崩れ、相互浸透を激しく繰り返す現代社会においては、経済市場の拡張(グローバリゼ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.73-89
[フィールドワーク]
...場所は、けっして麗しい音名所でもなければ、「日本の音風景一〇〇選」のような誇らし気なものでも... ...となる。──庄野泰子+office shono 《東京都府中市美術館》 雨が地面に還る音が、地中から立ちのぼって...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.56-69
[論考]
...、「おまわり大好き」というような皮肉な標語、日本のアニメ、エッシャーのだまし絵のような模様、... ...はさまざまである。これらのグラフィックスは、現代・過去・未来が入り交じり、近いものと遠いもの...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.115-121
[論考]
...界の保証人となってしまった★二。 ところで、現代のわれわれを取り囲む社会が、「シームレス」なも... ...と協調の精神」そのものである。「和の精神は、日本という織り目のないつるっとした社会へと、なん...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.132-141
[対談]
...よ。「こんな狭い汚い部屋に住んでいる可哀想な日本人の僕達」っていう心が、その撮り方に出ちゃう... ...うのが僕の写真です。部屋だけじゃなくて、『珍日本紀行』でも、僕がどう歩いたとか、ロードムーヴ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.54-72
[批評]
...七年の文章で、今はつぎのように書いている。 現代文化人の生活ぶり、その集団の表面に現れる世相風... ...があればこそ、われわれと現代人とは水と油との関係に立ってわれわれは現代人のそれを客観すること...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.164-170
[対談]
...のですが、まず脱構築をめぐって、特にデリダや現代思想と建築に関わる領域で生産された言説として... ...てはイスラエル政府も、アメリカのホロコースト美術館も情熱を燃やしており、またアウシュビッツ強...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[批評]
...の不在」そのものをテーマとした論考は、範囲を日本の戦後建築ジャーナリズムに絞ってもすでに数多... ...館コンペの著作権問題、五期会問題など、戦後の日本の建築界を代表するさまざまな論争が『新建築』...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.95-97
[対談]
...したら、そういう門、囲いは「建築」以外にも「美術」やら「音楽」やら、たくさんあったはずです。... ...る個々の事物、事例が、求心的に「建築」やら「美術」と大書された門に向いて焦点を結んでいるなら...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.197-210
[図版構成+論考]
...く、以下にとりあげる問題は、現地はもとより、日本における建築の言説という文脈ではなおさらのこ... ...にさっそうと登場し、ともに若くして亡くなった美術界のバスキア、あるいはロック界のジミ・ヘンド...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[批評]
...呼ぶことはできない。マスコミが垂れ流す美しき日本空間のイメージで外国人を騙すのはもうやめにし... ...ていたのに間違いはないのだが、ただ二つの点で現代の建築写真にも受け継がれている、一種の様式と...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[論考]
...世界中にデコン建築の亜流が建ち始めた。日本も例外ではない。近所の工事現場で龍が天にも昇るよう... ...に立脚した空間の重要性が謳われた★一。そして美術史上ではアロイス・リーグル、ハインリッヒ・ヴ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.106-107