RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO
>

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」

磯崎新
新潮社、2003年4月1日、332ページ
ISBN=410458701X

> 10+1 DATABASE内「建築における「日本的なもの」」検索結果 (29件)

[インタヴュー]

堀口捨己 モダニズムから「日本的なもの」への転回 | 磯崎新日埜直彦

Sutemi Horiguchi: Turning from Modernism to "Japan Style" | Isozaki Arata, Hino Naohiko

...〇年代に起こったことに関しては『建築における「日本的なもの」』で整理していますが)。それは四... ...されていく。 だけれどそれでも、『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)の桂論の最...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197

[インタヴュー]

五旗会、『現代建築愚作論』、 スターリニズムからの脱却 一九五〇年代における建築運動とその思想性 | 磯崎新日埜直彦

Goki-kai, GENDAI KENCHIKU GUSAKURON, Breaking Away from Stalinism: Architecture Movement and Ideology in the 1950s | Isozaki Arata, Hino Naohiko

戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだったと思いますが、しかしそれにほころびが見え始めるのもまたこの時期でしょう。結局のところモダニズムに対する距離感が醸成されてその果てにポストモダニズムというコンセプ...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176

[インタヴュー]

『建築の解体』へ──六〇年代のムーヴメントをマッピングする試み | 磯崎新日埜直彦

Towards Kenchiku-no-Kaitai: The Effort to Map the Movement of the '60s | Isozaki Arata, Hino Naohiko

『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴するテクストであり、またその後に与えた影響もきわめて大きい。『空間へ』がご自身のお考えを述べているのに対して、このテクストはむしろ当時磯崎さんが見ていた視線の先...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205

[インタヴュー]

『日本の都市空間』の頃──『建築文化』、「間」展、デリダ | 磯崎新日埜直彦

Around "Japanese Urban Space": "Kenchiku Bunka","MA-Espacel Temps auJapon", Festival D'Automne á Paris,Jacques Derrida | Isozaki Arata, Hino Naohiko

1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年代ぐらいまでの時期を先駆けた本で、大きくはそうした問題への関心の高まりにおいて位置づけられる本だろうと思います。しかしながら、のちの宮脇檀を中心としたデザイン・...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199

[インタヴュー]

『空間へ』《お祭り広場》『日本の都市空間』 一九六〇年代における都市論の方法をめぐって | 磯崎新日埜直彦

“KUUKAN E", “OMATSURI HIROBA", “NIHON NO TOSHIKUUKAN": On Urban Theory Methods in the 1960s | Isozaki Arata, Hino Naohiko

...論らしいものを手がかりにしていましたが、建築における記号論はジョージ・ベアードが編集した論集... ...。 七〇年代は結局「間」展にいきつくような日本的なもののなかに「ひ」を捜すといったいくらかスタ...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197

[インタヴュー]

「桂」/タウト──重層的なテクストとしての | 磯崎新日埜直彦

KATSURA/ Taut: As a Multilayered Text | Isozaki Arata, Hino Naohiko

...と思っています。既に磯崎さんの『建築における「日本的なもの」』でも《桂》論とでも言うべきもの... ...いることから作られました。僕の『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)の中に《桂...

『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157

[建築を拓くメディア]

磯崎新における「日本的なもの」 | 日埜直彦

Peculiarity of Japanese Architecture in Arata Isozaki | Hino Naohiko

...共同監修、INAX出版、二〇〇三)、『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)あたりがお... ...の著作の発展形であり、とりわけ『建築における「日本的なもの」』はその集大成と見ることができる...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121

[都市表象分析 14]

帝国と都市──方法の問題 | 田中純

Empire and Cities: Problems of the Method | Tanaka Jun

...出すことが問題なのである★二〇。 建築における「日本的なもの」の言説を仔細にたどった磯崎新の回... ...である。 そして、磯崎自身もまた、建築における「日本的なもの」の問題構制を検討した挙げ句、即物...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.2-11

[現代建築思潮]

[討議/ブックガイド] 建築情報の受容再考 「正統性」から「生産性」へ/文化の受容・翻訳・発信を考察するためのブックガイド20 | 今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

From Orthodoxy to Efficiency/ 20 Book Guides for the Study of Reception, Translation and Transmission of Culture | Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

...モチーフとなっています。 磯崎新『建築における「日本的なもの」』では、日本建築における「異文化... ...ている。 [佐々木一晋] 磯崎新『建築における「日本的なもの」』(新潮社、2003) 本書は、7世紀以...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54

[インタヴュー]

丹下研究室から独立した頃およびル・コルビュジエ受容をめぐって──一九六〇年代の都市計画とプロセス・プランニングへの過程 | 磯崎新日埜直彦

After Independence from the Tange Kenzo Studio, and the Reception of Le Corbusier: Urban Planning in the 1960s and History of Process Planning | Isozaki Arata, Hino Naohiko

...かを指しているのです。詳しくは『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)を見てくだ... ...リスティックなことをやってきた人だから、日本的なものとも関連があると思います。しかし東大の建... ...んかを指しているのです。詳しくは『建築における日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)を見てく...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181

[建築家的読書術]

建築の現場・歴史・技術 | 石山修武

Site, History and Technology of Architecture | Ishiyama Osamu

...了済みであった。近年、磯崎新の『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)に接し、特... ...読了済みであった。近年、磯崎新の『建築における日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)に接し、...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97

[万博論]

紀元二千六百年の空間──万博・オリンピック/神社・宮城 | 青井哲人

Space in Imperial Year 2600: Exposition, Olympic, Shrine, Palace | Aoi Akihito

...れていた」と述べている(磯崎新『建築における「日本的なもの」』新潮社、二〇〇三年)。しかし、... ...られていた」と述べている(磯崎新『建築における日本的なもの」』新潮社、二〇〇三年)。しかし...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.171-186

[ポストモダニズムと建築 4]

古典性の零落 | 日埜直彦

Degradation of Classics | Hino Naohiko

過去半世紀に現われた「建築的統辞法」の揺らぎを検討するため、それ以前の文脈を振り返ってきた。比喩的に言うならば、嵐の波間から嵐の全貌を見ることができないならば、...もしれない。この点に関しては磯崎新『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)参照。...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.39-41

[作品構成]

アルゴリズム的思考とは何か | 松川昌平

What is Algorithmic Thinking? | Shohei Matsukawa

...崎新「イセ──始源のもどき」(『建築における「日本的なもの」』新潮社、二〇〇三)を参照。 ★六... ...磯崎新「イセ──始源のもどき」(『建築における日本的なもの」』新潮社、二〇〇三)を参照。 ★...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160

[インタヴュー]

アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって | 磯崎新柄沢祐輔

In the Footsteps of Algorithmic Thinking | Isozaki Arata, Yuusuke Karasawa

コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案をされていました。そこでまずお伺いしたいのですが、なぜコンピュータに興味をもたれたのでしょうか。 磯崎新──まず六〇年代に僕が一番関心をもっていたのは、生物学か...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81

[インタヴュー]

岸田日出刀/前川國男/丹下健三──日本における建築のモダニズム受容をめぐって | 磯崎新日埜直彦

Hideto Kishida, Kunio Maekawa and Kenzo Tange: On Adoption of Modernism-Architecture in Japan | Isozaki Arata, Hino Naohiko

一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多少書かれていますが、それを読んでいてもなかなか見えてこないのが岸田日出刀の特異な存在です。彼は戦中戦後の近代建築をリードし、その後の展開に大きな影響を与えたわけ...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158

[論考]

メタボリズムとの関係を聞かれるので、 その頃を想い出してみた。──日本の建築アヴァンギャルド私註 | 磯崎新

I am often asked about my relation to the Metabolism Group, so I have tried to recall that period.: Personal Note on the Japanese Architectural Avant-Garde | Isozaki Arata

私は年齢的には一九六〇年世代だけど、建築家としての思考の仕方は一九六八年に属している、とこれまでに折りにふれて語ってきた。そして、一九六八年から一九八九年の二〇年間、つまり文化革命からベルリンの壁の崩壊した間を歴史の宙吊りと呼ぼうとした。核の崇高の下に二極対立したまま、世界が動かず、そのなかで世界金融資本だけが異様に膨...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32

[インタヴュー]

ターニングポイント、空間から環境へ | 磯崎新日埜直彦

Turnig Point, From Space to Environment | Isozaki Arata, Hino Naohiko

切断という決定論 日埜直彦──これまで数回にわたり都市を中心とした磯崎さんの六〇年代の関心についてお伺いしてきましたが、今回はその都市への関心が建築へ折り返されて行く過程についてお聞きしたいと思っております。 例えば『空間へ』に収められた論文を見ると、「現代都市における建築の概念」においてシンボリックなものと不定形なも...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205

[インタヴュー]

エーゲ海の都市/見えない都市/霧状のモナド──都市構造とアーバンデザインの方法をめぐって | 磯崎新日埜直彦

Aegean City/ Invisible Cities/ Misty Monad: On Urban Structure and Urban Design Methodology | Isozaki Arata, Hino Naohiko

世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職能に強い関心を抱いておられた時期ということになるかと思います。当時都市に関係して書かれた論文の多くが基本的に日本の状況を背景としていたわけですが、『みづゑ』に連...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175

[インタヴュー]

磯崎新インタヴュー 破壊と救済のメトロポリス | 磯崎新五十嵐太郎南泰裕

An Interview with Arata Isozaki: The Destructive and Restorative Metropolis | Isozaki Arata, Igarashi Taro, Minami Yasuhiro

「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出発点としては、磯崎さんが伊藤ていじさんたちと『建築文化』一九六三年一二月号で特集した「日本の都市空間」の問題設定を挙げたいと思います。あの特集企画は、六〇年代が...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67

[対談]

ポストモダン一九六八─八九──近代批判としての | 磯崎新五十嵐太郎日埜直彦

Post-Modern 1968-89: As Criticism of Modernism | Isozaki Arata, Igarashi Taro, Hino Naohiko

...語訳では、ほとんど意味不明で、これこそが建築におけるポストモダンの最良のものだったのにもかか... ...味なものができればそれでいい。何しろ、「日本的なもの」を消却することが最大の目標でしたから。 ...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77

[特別掲載]

21世紀型オリンピックのための博多湾モデル | 福岡オリンピック制作総指揮室磯崎新石山修武早稲田大学石山修武研究室原田大三郎ドロップイン辛美沙Misa Shin & Co.

The Hakata Bay Model for 21st Century Olympics | Isozaki Arata, Ishiyama Osamu, Ishiyama Lab. (Waseda Univercity), Harada Daizaburo, Drop in, Shin Misa, Misa Shin & Co.

福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48

[インタヴュ―]

廃墟、空白、生成──一九五〇─七〇を俯瞰する | 磯崎新日埜直彦

Ruin, Vacuum, and Genesis: Looking Back over the 1950s to 1970 | Isozaki Arata, Hino Naohiko

はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇年代から七〇年代初頭までを俯瞰できるような視点をつくりたいと思っています。 そういう目でこれまでの記録を読み返してみると、最初期の文脈をもう少し丁寧に押さえてお...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276

[批評]

テーマ・パーク | 磯崎新

Theme Parks | Isozaki Arata

〈資本〉が越境し、その過剰流動が、各国の固有経済システムに強い影響を与えはじめている。文化としてのディズニーも同様の越境を開始したとはいえないか。既に東京とパリにマジック・キングダムのシミュラークルを完成した。その模像は、ときにアナハイムの実像(それもまた虚像の集合体だ)をはるかにうわまわる吸引力を発揮する。これは明ら...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.132-137

[万博という問題系 3]

年代記的に──浅田孝、瀧口修造、六〇年代 | 磯崎新五十嵐太郎小田マサノリ

Arata Isozaki ×Taro Igarashi and Masanori Oda | Isozaki Arata, Igarashi Taro, ODAMASANORI

丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を続け、一九六〇年代の重要な証言者になっていますね。国際博としては、つくば科学博(一九八五)そのものには参加されていませんが、直前にポストモダンを象徴するつくばセ...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111

[シンポジウム]

カウンターカルチャーと建築──アーキグラムの一九六〇─七〇年代 | ピーター・クックデニス・クロンプトンデヴィッド・グリーンマイケル・ウェブ磯崎新五十嵐太郎

Counterculture and Architecture: Archigram's 1960-70s | Peter Cook, Dennis Crompton, David Green, Mike Webb, Isozaki Arata, Igarashi Taro

アーキグラムとカウンターカルチャー 五十嵐──「アーキグラムの実験建築一九六一─一九七四」展は、展示の構成を巡回しながら少しずつ変えていくもので、アーキグラムの手法や雰囲気がすごくよく出ていると思います。これは、このシンポジウムに先だって行なわれたアーキグラムのメンバーによるレクチャーと似ているという気がしました。つま...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184

[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 7]

クリティカル・パス──桂の案内人 | 中谷礼仁

Critical Path: Guide of KATSURA | Nakatani Norihito

...社、一九五二)。 ★ 八──磯崎は『建築における日本的なもの』(新潮社、二〇〇三)において、自論...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.12-24

[論考]

直線か、曲線か──伊東忠太と岸田日出刀を中心に | 五十嵐太郎

A Straight or Curved Line?: With a Focus on Chuta Ito and Hideto Kishida | Igarashi Taro

...はない。しかし、後に神社は別のレヴェルの日本的なものを設定することにより、自然的なものとして... ...。が、昭和期に建築史家の藤島亥治郎は、古建築における曲線を重視していた★二六。「日本建築は本...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129

[グローバリズム 2]

ナショナリズムとその美学化 | 八束はじめ

Nationalism and Its Idealization | Yatsuka Hajime

...ない。僅かにその施工やディテールの精度に日本的なものが見られるとは言えるが、コールハースが言... ...に影をひそめたとつけ加えている)。これは建築におけるモダニスト的な見地からいっても矛盾である...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238