アトリエ・ワン
TOTO出版、2007年3月、156ページ
ISBN=9784887062788
[論考]
1 皮を剥がれた建築 建築物をひとつの身体に喩えるならば、皮膚にあたるのは外壁である。建築物が時間の手に晒され続ける限り、傷や病、あるいは老いは、不断にその皮膚を脅かし続けることとなる。しかし、この建築の外皮へ、あるいは内部と外部との境界を巡る病理へととりわけ執拗な眼差しが注がれたのが、一八世紀の「紙上建築」という分野...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.218-224
[翻訳論文]
ここまで、このコラボレーションに対する期待を概説し、その期待が必然的に遭遇したゆがみや留保を指摘してきた。これによって多くのことが得られているだろうか。あるいは、このイヴェントを通じて最も険しい道をたどることによって、最も楽な道をとったのだろうか。会合の記録とデザインを調べれば、速やかかつ正確に、これまで議論してきた以...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.171-185
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
熱帯型の建築 今の世の中から植民地主義の時代を顧みるとき、またその枠組みのなかでの建築家の活動をみるとき、植民地主義は、まさに、建築家が本国とは異なった環境と出逢う契機を与えたと言える。 ヨーロッパを出て、植民地の開発のために建築家が出向く先は、アフリカ、アジアの熱帯地域がそのほとんどを占めた。地中海の向こうに広がる、...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.195-204
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[一九九〇年代以降の建築・都市12]
八月四日の夜、台風の影響により、大阪を暴風雨が襲った。 キリンプラザ大阪の「ハイ・エナジーフィールド」展に参加するアーティストの高橋匡太は、館の判断により、準備作業の中止を余儀なくされた。徹夜を覚悟で集まったスタッフに解散が告げられる。二日後にオープニングを控え、現場には焦燥感が漂う。だが、なぜ作業が深夜に行なわれ、中...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.37-39
[翻訳]
空間の知覚と使用 感覚や知覚、あるいは運動といった次元を通じてであるにしろ、空間の身体的な大きさを考察の中に取り入れている建築家たちもいる。つまり空間の知覚に対する知が根底にはあり、それはこの複合的な問題について次のように書くCh・ド・ポルツァンパルクにおいてのみ明確に示されるようなものである。「建てられたものは、物体...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144
[プロジェクト・スタディ]
2001年9月11日 「テロ」の理由はアメリカ合衆国への敵意、もしくはそこを中心としたグローバリゼーションに対するカウンターであると説明されている。テロリストを擁護するつもりは全くない。しかしながら、われわれのすむ社会が姿の見えないグローバルな拡張論理によって覆われつつあるというのは、世界の多くの人々が漠然と抱いている...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.73-89
[制度─都市]
...アトリエ・ワンの二人は笑みが絶えない。彼らに論文指導を受けた、とある人曰く「彼らは何にでも笑... ...ボールとルールの場 フレーミングは、アトリエ・ワンの都市観察眼であると同時に彼等の制作論の骨子...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135
[日本]
...大学大学院助教授。92年、貝島桃代とアトリエ・ワンを共同設立。 貝島桃代 Momoyo Kaijima:1969年生まれ... ...トリエ・ワンの住宅 一九九二年、塚本由晴と貝島桃代によって活動を開始したアトリエ・ワンは、こう...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.150-151
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めたが、これは色彩をファッショナブルに使うことを批判し始めたのとちょうど同じ箇所においてである。この書は第一○章の「建築の時」が宣言されるまでゆっくりと、しかしだん...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[論考]
移り変わるパリの市壁 都市をどのように定義しようと、人間が密集して住む場所という意味は失われることはなかった。少なくとも今まではそうであった。その場合は当然、都市とそれに対立する地域とのあいだに境界が生じる。かつて人類学は、この境界の意義を強調し、そこに通過儀礼的な意味合いをもたせた。それを超えることは異界へ踏み出す...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.264-270
[Yellow Page1]
...アトリエ・ワン&リサイクル・エクスプロージョンズ Atelier Bow-Wow & Recycle Explosions 塚本由晴、貝島桃代 ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.65-79
[批評]
未来について嘘をつかずにいるのは不可能である.これについては白由に嘘が言えるのだ。ナウム・ガボ★一 ダムが決壊するとき…… 二〇世紀も終わりにあたり、長く予期されていたメディア、コンピュータ、テレコミュニケーションのハイパーメディアヘの一極集中化が、ついに起こりつつある★二。人間の労働の創造力を容赦なく多角化と増大化...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.153-166
[オランダ]
ヨープ・ファン・リースハウト Joep van Lieshout:1963年生まれ。 主な作品=《本棚ユニット》(1989)、《「天窓」ダッチ・ハウス》(OMAと協働)(1993)、《「ラージ・バー」リール》(OMAと協働、1994)、《主人と奴隷のユニット》(1995)、《良い、悪い、醜い》(1998)など。 「ア...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.94-95