内田隆三
、1990年、253ページ
ISBN=4061489895
[インタヴュー]
...ってみると、六〇年代は、フランスでは、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダ... ...ところです。それに彼らが出た頃は、今でこそフーコー以下六〇年代の、ポスト・ストラクチュアリス...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[グローバリズム 3]
...。 空間と権力に関するインタビューで、ミシェル・フーコーは「私はあるものが『解放』の秩序に属し... ...。 ★一六──ミシェル・フーコー「空間・知そして権力」(拙訳、『ミシェル・フーコー思考集成 9』...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[批評]
...意味が浮かび上がってくる。 ところで、ミシェル・フーコーは、権力の技術の特殊な転換によって、(... ...田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書、一九九〇年)。亘明志「ミシェル・フーコーの権力...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.187-202
[連載 4]
...文化の理解』は邦訳も出ているが、同時にミシェル・フーコーの研究者でもあり(本人とも親しかった... ...・L・ドレイファス+ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー──構造主義と解釈学を超えて』(筑摩書...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[批評]
...イバーシティ ジル・ドゥルーズは最近、ミシェル・フーコーの言う囲い込みの空間が徐々に滲みだして... ...数の形式の遭遇と相互適応という考えは、ミシェル・フーコーによって示唆された地図やダイアグラム...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[論考]
...《これはパイプではない》を分析しつつ、ミシェル・フーコーはその中に自己破壊に至るまで逆立ちさ... ...び引用されているように、このテクストはミシェル・フーコーによる「これはパイプではない」という...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[政治の空間学 1]
...1 リベラリズムの空間政治学 ミシェル・フーコーはあるインタヴューのなかで次のように発言している... ...訳=ミシェル・フーコー「地理学に関するミシェル・フーコーへの質問」(『ミシェル・フーコー思考...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.205-213
[都市表象分析 27]
...とを学んだからではない」★一七と論じたミシェル・フーコーの歯切れのよい断言は、ブレーデカンプ... ...。 ★一六──同、二五九頁。 ★一七──ミシェル・フーコー『言葉と物』(渡辺一民+佐々木明訳、新...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.2-12
[論考]
...の「スペクタクルの社会」モデルに対してミシェル・フーコーが、ジェレミー・ベンサムが一八世紀末... ...芸術運動としても存在した。 ★一〇──ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(田村俶訳、新潮社、一九...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.73-101
[非都市の存在論 10]
...こから慎重に身を退けた。周知のように、ミシェル・フーコーは『言葉と物』の冒頭に、一七世紀の普... ...y Press, New Haven and London 1993, p.48. ★一五──ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』(渡...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[論考]
...問題について、一つのヒントになるのは、ミシェル・フーコーが『言葉と物』の冒頭で紹介した「シナ... ...空虚によって互いに仕切られているのである。 フーコーはこういう空虚のなかに仕切られながら、異質...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.186-194
[インタヴュー]
...あると思います。それこそ、フランスにはミシェル・フーコーによるアーカイヴに関する考察の文脈が... ...感じられます。 ブレイエ──確かに、一方ではフーコーによる「知の考古学」のような側面があること...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[映像のトポス 3]
...、一九八三)三二─三三頁。 ★一八──ミシェル・フーコー『監獄の誕生──監視と処罰』(田村俶訳... ...転換を語っていた★一三。「規律社会」とは、フーコーが『監獄の誕生──監視と処罰』で分析した、...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.27-39
[グローバリズム 1]
...きて、何だと思ったら、随分前に翻訳したミシェル・フーコーのインタヴューである(最近筑摩から出... ...分前に翻訳したミシェル・フーコーのインタヴューである(最近筑摩から出たフーコーの著作集に収め... ...ーだと思ったが、新しい地理学の旗手たちが、フーコーが医師や建築家、造園家などと組んで行なった...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[都市表象分析 10]
...ットの《これはパイプではない》をめぐるミシェル・フーコーの分析を踏まえて、《類推的都市》の下... ...九頁。 ★八──同、四七〇頁。 ★九──ミシェル・フーコー『これはパイプではない』(豊崎光一+清...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10
[ネット公正論──データの逆襲 1]
...沢新一は『森のバロック』★三のなかで、ミシェル・フーコーの『言葉と物』★四に基づきながら、一... ...る──の存在を自然科学者に「気付かせ」た。フーコーは、一七、八世紀において植物の分類学が隆盛...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.30-38
[連載 7]
...。 思想史的には、カンギレームは後輩のミシェル・フーコーに深い影響を与えた人物として知られるが... ...』(岩波書店、二〇〇五)。 ★一三──ミシェル・フーコー『言葉と物』(渡辺一民+佐々木明訳、新...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
...を置くことになった当初考えていたのは、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の有名な冒頭部分のこと... ...は、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の有名な冒頭部分のことである。あいもかわらず、フーコーか...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[建築の還元 4]
...論的布置(エピステーメー)を問い続けたミシェル・フーコーの営為を縮約するならば、それはまさに... ...能性について語っていた、と言うべきだろう。フーコーが博物学的な知の分類に際して、絶えず隠喩と...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[視覚の身体文化学 3]
...w Jersey: Lawrence Erlbaum Associates, 1982. ★三──ミシェル・フーコー『性の歴史──知への意志』(渡辺守章...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.21-23
[論考]
I 現実としての模像 集合住宅の一大展示場である多摩ニュータウンのなかで、もっとも人目をひく場所の一つは、京王堀之内駅前の斜面に並んだ一群の住宅団地である。「...一九七七—八年)を参照せよ。 ★五──ミシェル・フーコー『監獄の誕生──監視と処罰』(田村俶訳...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.116-123
[批評]
...アイデンティティをもつわけではないが、ミシェル・フーコーの「ヘテロトピア」の概念を支持するさ... ...ェリ)』や『カンポ・マルツィオ』なども)、フーコーの「ヘテロトピア」すなわち「他者の空間」と...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[建築を拓くメディア]
...築」、「アウトドア」……。目次を見るとミシェル・フーコーが引用した「シナのある百科事典」★一... ...ちた二冊であると言えよう。 註 ★一──ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』(渡...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.114-115
[知の空間=空間の知 5]
...エドゥアール・ブーバ撮影分類学の廃墟 ミシェル・フーコーは、一七世紀から一八世紀にかけてのいわ... ...rrations, 1957, Ed. Flammarion, 1983, p.122. ★九──ミシェル・フーコー『言葉と物』新潮社、渡辺一民・佐々木...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.2-13
[批評]
...一のものであると思われる。 ★二九──ミシェル・フーコーはまた、〈系譜〉という語の現代的な意味... ...・ボルヘスの「シナのある百科事典」、これはフーコーの『言葉と物』の冒頭に引かれているのだが、...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118
[建築を拓くメディア]
...困難さを示している、とも言えるだろう。ミシェル・フーコーがかつて『言葉と物──人文科学の考古... ...躍台としての発見的な言葉を探り当てることはできるだろうか。 6──ミシェル・フーコー『言葉と物』...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110
[翻訳]
われわれには新公園しかない、と想像してはならない。思考して、周りを見渡してみるんだ。どんな場所も、トンチーが集まり、われわれの場所だと主張できる拠点になりえるの...とホモセクシュアルである自分との関係、ミシェル・フーコー、クロード・レヴィ=ストロースからマ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.130-143
[翻訳]
...評はつねに相互に重複して関係している。ミシェル・フーコーの『言葉と物』に触発されて、マンフレ... ...をもたないとしても。 こうして見ると、ミシェル・フーコーのかつての学生にしてドゥルーズ研究者で...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148
[論考]
...」に切りさいなまれた屍体である★四。 ミシェル・フーコーによれば、一八世紀は屍体解剖学という身... ...四──同書、二四──二五頁。 ★五──ミシェル・フーコー「第八章 屍体解剖」(『臨床医学の誕生...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.218-224
[東京カタログ]
武蔵府中は家康が江戸に来る頃までは、武蔵国の中心であったという。昔から馬に縁があり、大国魂神社の例大祭でも、競馬(こまくらべ)式が行なわれる。例大祭の案内によれば、府中周辺には牧(まき)が多くあり、そこでは多くの馬が育てられていた。国司が馬を朝廷に献上するにあたり、優良な馬を府中に集め、その選定のために競馬がはじまった...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.122-123
[東京カタログ]
東京にも外資系ホテルが多く立ち並ぶようになり、ラグジュアリーといわれるクラスでは、日本のホテルはむしろ苦戦している。外資系ホテルのマネージャーと話をしていると、ホテルで嫌われる人があるという。たとえば同窓会やゼミの集まりである。学生たちが内輪で必要以上にはしゃぎ、傍若無人だからである。あるいは、他の客を怖がらせるような...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.124-125
[東京カタログ]
東京都の多くはもと武蔵国であった。武蔵国の国府は都下府中市にあり、大國魂神社が武野国の総社である。大國魂神社はいま、眼前を東西に走る旧甲州街道に面して鎮座している。大鳥居を出ると欅並木の参道が続き、国分寺街道となって北に向かい一直線に伸びている。この街道は三キロメートルほどでJRの中央線に至るが、その西側あたりに国分寺...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.120-121
[東京カタログ]
郊外生活の多くは自動車への依存によって成り立っている。郊外ニュータウンは都市の平面的な膨張の断面をなしている。人々は、比較的安価であることと同時に、健康や快適性を求めて郊外の拡張に同調したのだろう。しかしいつのまにか、持続可能性(sustainability)ということが言われはじめた。資源配分の効率の問題、ゴミやエネ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.116-117
[東京カタログ]
ここには六〇年代末の新宿のように、猥雑な賑わいのある町が生まれている。米軍の基地が近く、また沖縄や韓国の文化も混じりあうところである。米軍とアジアと日本の交叉する町田は、かつて東京がめざした欧風の国際化とは別の種類の国際性を帯びている。それは猥雑性を充たすような国際性である。町田の急速な変貌ぶりを見ていると、都心の盛り...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.114-115
[東京カタログ]
銀座はかつて西欧文化の流入口であり、近代化や都市文化の象徴のような場所であった。だが、銀座をはじめて訪れた人は、よくあるデパートや名店が並んでいるが、ただそれだけのことで、何か飛びぬけた華やかさがないのにがっかりしたことだろう。しかし、東京の他の繁華街に比べると、行き来する人に熟年や壮年層が多く、若者が少ないという特徴...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.126-127
[東京カタログ]
新宿、横浜、町田をはじめ、ルミネは首都圏で一一店舗を構え、駅ビルにしつらえられたファッション中心の空間として「Y世代」(一六―二五歳)にも好評だという。好調を支えているのは「徹底した顧客主義」であるとされる。本社と店頭の全スタッフが手を携えて、「お客さまのために」、デパートにも負けない「顧客満足」(CS=Custome...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.118-119
[東京カタログ]
六本木ヒルズでは、一一・六ヘクタールの土地に、約七六ヘクタールの延床面積をもつビル群が建っており、中心にある森タワーは地上五四階、地下六階の巨大な円筒状の建物である。そこにはいま世間の注目を浴びる勝ち組のIT企業が集まり、レジデンス棟は若いIT長者や有名人が住んでいることで話題になった。だが、それは六本木ヒルズの一面に...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.130-131
[東京カタログ]
隅田川を南へ下っていけば、やがて永代橋をくぐり、海へ入ることになる。だが、海には埋め立ての島が続いており、隅田川はそのあいだを運河のように続いていく恰好になる。隅田川の右側の地には日本橋や銀座の繁華街があり、岸辺近くには聖路加病院の超高層タワー、築地本願寺、中央卸売市場、浜離宮恩賜庭園などが続いている。これらの対岸にあ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.136-137
[東京カタログ]
東京大空襲があったのは一九四五年三月一〇日未明のことである。二時間半の無差別爆撃が行なわれたが、風速二〇―三〇メートルに及ぶ強風のもと、黄燐焼夷弾が降りそそぎ、当時の浅草区、深川区、城東区、江戸川区などが火災に巻き込まれた。警視庁の資料では、このときの死者は約八万人、罹災者は一〇〇万人に及んだ。永井荷風は日録(『断腸亭...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.138-139
[東京カタログ]
皇居を中心にして「同心円」状にいくつもの道路が走っている。山手線のすぐ外側には「山手通り」という環状道路が走っている。その外側には「環状七号線」が走っており、通称「環七」と呼ばれている。環七の周辺は、東京に大地震が起こったとき、火災などの災害にもっとも弱い地域のひとつである。火災だけでなく、竜巻のような火災旋風が発生し...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.112-113
[東京カタログ]
青山霊園は港区の南青山にあり、徳川の譜代、郡上藩・青山家の屋敷地だったところにある。旧幕時代、死者の埋葬は寺院が管理していたが、一八七四年、この地に寺院・神社などの管理に属さない公共の墓地が開設され、青山墓地と呼ばれた。そこには二重の意味がある。ひとつは、明治新政府が「神仏分離」を押し進め、死者が仏教の専管から離れてい...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.134-135
[東京カタログ]
山手線と総武線の交わるところに秋葉原がある。超高層のハイグレード・マンションが立ち、巨大なITセンターができるが、その下に電気街が広がっている。電気街が漫画同人誌やアニメ、コスプレ、フィギュアなどを求めるオタクの街と呼ばれるようになったのは、一九九〇年代半ば以降のことである。一九五五―七三年の高度経済成長の時代には、秋...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.132-133
[東京カタログ]
東京にいると「芸能人」(タレント)に会えるでしょうといわれるが、そんなことはない。東京は広いし、住んでいる世界も違う。学園祭や、催し物、あるいは映画やテレビのロケで芸能人を見かけるのは、たしかに東京の特権かもしれない。だが、芸能人のこうした人前へのプレザンスは「仕事」の上でのことである。彼らがその日常の姿を現わすのに遭...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.128-129
[東京カタログ]
およそ江戸二里四方を江戸町中といい、四里四方を御府内といった。大きな街道の出口には「四宿」と呼ばれた宿場町があり、遊女の類もいる飯盛旅籠屋なども大いに繁盛していた。東海道は品川、甲州街道は内藤新宿、中山道は板橋、そして日光街道の千住である。三代将軍家光のとき、駅制が改められ、千住は日光道中の初宿と定められた。千住宿は江...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.140-141
[都市の断層線/切断線 1]
1 構造閉塞の時代 東京という都市は戦後数十年のあいだに大きな変化を見せたが、その最たるものは、そこで動いている資本のスケールではないだろうか。戦後も、東京が政治的な意味で首都であることに変わりはなかったし、また東京という地理的な範域が日本のなかで変わったわけでもない。問題はむしろ、そこに投入され、動いていく資本のスケ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.2-11
[東京カタログ]
ホームレスの自立支援のために、二〇〇三年一月から二月にかけてホームレスの実態に関する全国調査が行なわれた。前年に公布・施行された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」にもとづき、調査対象であるホームレスは「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場として日常生活を営んでいる者」というふうに規定された...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.142-143
[都市の断層線/切断線 2]
1 都市の表象 東京という都市の現在について、その全域の境界をはっきり確定することが困難であり、またその中心がどこにあるのかもはっきりしないという問題が残っている。それは東京という都市の全域を何らかの象徴的なメタファーによって語ることが困難だということである。また、全域をその部分や断片で表象させること、つまりメトニミー...
[都市の断層線/切断線 3]
1 性愛の問題 性愛という視角からすると、東京の郊外やペリフェリーに散種された無数の小さな家庭のことがまず問題になるだろう。そこでは性愛という審級が小さな家庭の「求心力」になっているようにみえるからである。だが、この求心力は自律したものではない。性愛が求心力として結晶してくる背景を考えると、産業社会における資本のエコノ...
[都市の断層線/切断線 4]
1 都市の座標系 今日の都市・東京に起こっている現実の多くは農村と都市というような対比の図式では理解しがたいものだろう。たしかに都市には古い地層が幾筋も堆積しているが、現在の表層に広がる東京を考えるとき、あるいは現在の東京にアクチュアルな像を与えようとするとき、都市化という概念は有効ではない。「三全総」(一九七七年策定...
[対談]
多木…神戸の地震についてはすでに多くの言説が飛び交いました。しかし今日はもう少し違った方向で考察できないだろうか。これまでの言説では語られていないものがありはしないか、そんなところから非常に語りにくいことであるということは重々承知の上なんですが、実際に被災された内田さんと神戸の地震について何事か語ってみたいと思ってきま...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.204-227
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作ってきたことから考えると、ビルディング・タイプは社会学や歴史学の言説のなかにも入り込んでいる筈のものであろうと思われます。簡単な例ですが、例えばわれわれは博物館...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[東京カタログ]
東京はもと徳川氏の城下町であった。それは他の城下町と同じように、軍事上の防衛という観点から、敵の部隊の直進を防ぐために「曲輪(くるわ)」という渦巻状の構造をもっていた。「御城」はこの渦巻きの中心に存在する。それは町の「深い」中心にある。渦巻きを直線になおすと、それは到達するのにもっとも時間のかかる、遠隔の場所となるから...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.106-107
[東京カタログ]
丸の内という街区は東京駅の皇居側に位置するビジネス街である。その土地の由来は明治のはじめに遡る。明治政府は幕府の中枢を担う譜代大名の屋敷が並ぶ土地を召し上げ、兵舎や錬兵場などに用いたりしていたが、一八九○年に、土佐出身の商人・岩崎彌太郎の実弟、彌之助が社長を務める三菱社に、神田三崎町から大手町、丸の内、有楽町にいたる土...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.108-109
[対談]
「生きられる東京」という問題設定 内田──今回の特集を機に「生きられる東京」ということを考えてみました。都市の社会学的研究や文化の研究が持っている枠組みがあります。また、その枠組みの根底には明示的に意識化されなくてもそれなりの社会概念があります。その社会概念というのは、都市社会学や都市の文化的研究がはっきり言わないとし...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.66-81
[論考]
1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international exhibition)、世界博(world fair)等々──は「進歩の時代」を象徴するイヴェントとして幾度となく開催され続けてきた。この進歩の時代を眺めると、万博...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[対談]
湾岸の風景 若林──今日のテーマは、いま都市あるいは東京を語るとはどういうことか、さらにはまた東京をどのように語ることが可能なのか──言い方を換えれば、「東京論」論あるいは、メタ東京論について考えるということになるかと思います。まず、これに先行して、先日内田さんと東京湾岸を歩き、またフェリーで日の出桟橋から横浜まで行っ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[東京カタログ]
東京に坂が多いことはよく知られている。谷が多く、東京の土地はやたらと起伏がある。歩いていると、すぐに「~坂」という地名に出会うことになる。江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』は千駄木の団子坂を思い出させる。樋口一葉なら本郷の菊坂を思い出すだろうか。マンション販売の会社が宣伝のために囃した夏目坂というのもある。新宿区喜久井町あ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.110-111
[批評]
...外形を有することになる。「権力の眼」でミシェル・フーコーが論じているところでは、一八世紀終わ... ...ン的な)支配に服する」★七〇。 このように、フーコーにとって監視の眼差しは衛生的なものでもある...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[批評]
...くの成果と反応を生んだ。例えばミシェル・ド・セルトーはフーコーの「ディシプリン・テクノロジー... ...「空間の実践」のあり方について語っている。フーコーがパノプティコンを通して明らかにしていた、...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.74-85
[鼎談]
...でしょうね。 上野──「ざわめき」というのはミシェル・セールも言ってますよね。たしかにセールも... ...業を考えなくてはならないでしょう。 上野──フーコーの『言葉と物』における有名な「人間」の消滅...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.80-93
[論考]
...として位置設定される両者は、まったくもってフーコー流の相互に逆倒(さかしま)な都市であるが、... ...め」の特権化に多大な影響をおよぼしたのは、ミシェル・ド・セルトーの研究であり、なかでも『日常...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.151-168
[連載 8]
...レアリスムの小説家、批評家としても知られるミシェル・レリスがいわゆるジプチ・ツァーの調査旅行... ...をして"French Modern"を書いたわけだが、そこからフーコーの権力論の福祉概念への応用を骨子として一九...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[連載 10]
...てしまうとして、植民地の権力をさらに深く(フーコー的に)読み取る必要性を強調しているが、それ... ...民俗学にのめりこんだことで、その一例としてミシェル・レリスが三一年博と同じ年にダカール=ジプ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192