中村研一
東京書籍、2008年、155ページ
ISBN=9784487800933
[論考]
序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が誕生したという、『二〇〇一年宇宙の旅』のモノリスを想起させる魅力的な思考。[いたるところで〈それ〉は作動している]これらはロージエの起源論、さらにはサマーソンに...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[1990年代以降の建築・都市 7]
すぐれた作品は時代を超えて、われわれに問いかけるものがある。 二〇〇二年に再制作された磯崎新の《エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)》もそうした作品と言えるだろう。ドイツのメディア・アート系美術館であるZKMの「イコノクラッシュ」展において、三四年ぶりに幻の《エレクトリック・ラビリンス》は復活した。 よく知られてい...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知淑徳大に巡回するにあたって、筆者は講演会の聞き手となり、その住宅を見学する機会に恵まれた。言うまでもなく、住宅は美術館や図書館などの公共施設とは違い、なかなか内...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選んだ。四日目の朝、目覚めると、香港サイドと九龍サイドに挟まれた海の真中に船は漂っていた。朝靄のなかから海に迫る高層ビル群と山が現われる。感動的な風景だった。もとも...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた[図1]。鉄がのたうちまわり、枝や節、そして背骨のような部分がある。さらに光を透過するガラスの屋根がのる。一見して、緑色の異形のオブジェのようだ。有機的な生命体...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[1990年代以降の建築・都市 8]
奇跡──怪物の出現 おそるべき怪物と遭遇した。 キリンアートアワード二〇〇三の審査において、衝撃的な映像が出現した。今年、一四回目を迎えるアワードは、写真だけでなく、ビデオに記録することができれば、原則的に何でも応募可能である。それゆえ、絵画、彫刻、映像、音楽、演劇、建築、インスタレーションなど、あらゆるタイプの作品が...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.219-229
[過防備都市 3]
子供と危険な空間 前回の連載「過防備都市2──戦場としてのストリート」では、路上が危険視され、住民による組織的な治安活動が全国的な規模で展開している状況を確認した。なかでも子供が被害者として注目され、通学路のセキュリティが問題として浮上している。 二〇〇四年四月、大阪の公園における遊具の整備不良によって子供が指を切断し...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.179-189
[一九九〇年代以降の建築・都市12]
八月四日の夜、台風の影響により、大阪を暴風雨が襲った。 キリンプラザ大阪の「ハイ・エナジーフィールド」展に参加するアーティストの高橋匡太は、館の判断により、準備作業の中止を余儀なくされた。徹夜を覚悟で集まったスタッフに解散が告げられる。二日後にオープニングを控え、現場には焦燥感が漂う。だが、なぜ作業が深夜に行なわれ、中...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 10]
排除系のオブジェ ある朝のNHKのニュースだった。半年前程だろうか。広島の地下商店街において、通路のベンチにアーティストがオブジェをつけたことを街の話題として報じていた。平らで長方形のベンチのちょうど対角線上に透明な球体状のオブジェを二つ置くというもの。座ることには何ら支障を来さないが、その上で寝ることを拒絶している。...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.199-207
[1990年代以降の建築・都市 9]
二重の網目をはりめぐらす、セキュリティ・ネットワーク 全国の子持ちの皆さん! 自分の息子や娘が犯罪に巻き込まれたり、逆に犯罪を起こしたりするんじゃないか不安じゃありませんか。あたし、室井佑月は東京の治安をよくし、若者に夢を与えることを約束します。 『東京新聞』一〇月八日 作家の室井佑月は、「バーチャル総選挙」とい...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.217-224
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(一九七七)は、このように第一部の冒頭でミノル・ヤマサキが設計したプルーイット・アイゴー団地が爆破された事件を劇的に紹介する★一[図1]。この団地は犯罪率...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[一九九〇年代以降の建築・都市 14]
最近、東海圏の結婚式教会をまわっている。例えば、五一メートルの高さを誇る豊橋のサン・パトリス大聖堂(二〇〇一)、南フランスのエズ村をイメージした風景に囲まれた岡崎のセント・ソレイユ(一九九九)、名古屋ウエディングビレッジのラ・プラス・ルミエ教会(二〇〇二)などだ。案内してもらうついでに、スタッフにたずねると、ほとんどが...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.25-27
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放することになった。例えば、人間や物資の運搬技術、身体の規律法、そして量産住宅の工法。マスメディアの普及は戦争で一時的に中断したものの、この期間はコミュニケーション・テク...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[ビルディング・タイプの解剖学 8]
本連載は再び学校の問題を論じ、近代施設の円環を閉じることにする。初回にとりあげたジョセフ・ランカスターによるモニトリアル・システムとは、教師(マスター)が助教生(モニター)を使って段階的な監督法を実施し、全生徒の行動を透明に把握しようとする試みだった。では、そこは具体的にどのような空間なのか。教室はなるべく大きな未分割...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.36-38
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]
見つめていたい 盗撮・盗聴がメディアをにぎわせている。それは小型の映像・録音機器の普及に起因しているのだろうが、最近、公開された映画はこうした状況を如実に反映している。『トゥルーマン・ショー』(一九九八)は、ある男の日常生活を本人に気づかれないよう全世界に生放映する人気テレビ番組を描いていた[図1]。巨大なドームに包ま...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、小雨が降りしきる視界のすぐれない天候だったせいか、なんとも幻想的な第一印象を抱いた[図1]。おそらく山村を背景にして建物の正面に並ぶ、原木さながらの四本の柱が想...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[1990年代以降の建築・都市 16]
過防備・景観法・北朝鮮 二〇〇五年五月、平壌を旅行した。 わずか数日の滞在だったとはいえ、興味深い経験だった。単に建築関係者で北朝鮮を訪れた人が少ないからではない。もともとは、ワールドカップの予選で日本×北朝鮮の試合が平壌で開催されることから企画されたという軽いノリで実現したものだが(結局、試合会場は変更された)、北朝...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.23-25
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
白と灰の融合 一九八九年は東西の冷戦構造が崩壊し、日本では昭和が終わり、時代の変革を象徴づけた年になった。二〇世紀のシステムが終わった年とみることもできよう。この年、アメリカのディズニーワールドでは、マイケル・グレイヴスの設計した《スワン・ホテル》がオープンした★一[図1]。続いて翌年には同じ設計者による《ドルフィン・...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
情報端末としての建築 電飾、看板、ファーストフード、カラオケ、ゲームセンター、カフェ、居酒屋、ドラッグストア、電化製品の量販店、百貨店、金融ビル、JR線の高架、スクランブル交差点。数々の情報と人々が行き交い、数々のストリートにつながる渋谷のターミナル。そして「二〇〇〇年へのカウントダウンを目指して、渋谷にQFRONTが...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[1990年代以降の建築・都市 20]
神殿ではないということ 東京から二時間半ほどのドライブで、過疎化が進む地方の小さな街につく。妹島和世は、世界的に活躍する日本の女性建築家だが、東京にはまだ主要な大型の作品がなく、こうした地方にいくつかの公共施設を手がけている。とくに鬼石町のような山岳部は、空爆を経験せず、また戦後の高度経済成長の影響もあまり受けなかった...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.21-22
[1990年代以降の建築・都市 3]
フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの世界には外部がないことや、一部の若手の建築家を「フラット派」と呼び、彼らが内向的であることを批判した。ゆえに、スーパーフラット批判の建築論と言えるだろう。このよ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を彫琢していったことはよく知られているわけだし、レム・コールハースはもはや存在しない職能の代理=表象者として都市について語るという倒錯した立場を表明していたのだっ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[シンポジウム]
第一部:スーパースタジオ一九六六──一九七三 一九六六──スーパースタジオの源泉 クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア──本日は、スーパースタジオの活動のなかでも、特に一九六六年から七三年頃の活動について紹介していきたいと思います。まずは私たちスーパースタジオの考えの源でもある、卒業設計の話からはじめましょう...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘の《児玉邸》(一九七九)は、家型をもちながら、水平のストライプを外壁にはりめぐらせて、斜めの線を消している。彼はこう述べていた。「家型のイメージは大切にしたい。...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[ゼロ年代の建築・都市 2]
篠原一男の家型 この連載は、現代の日本建築における家型の流行というべき現象を位置づけるために、モダニズム以降の歴史をたどりながら、ゼロ年代の意味を考察することが目的である。前回は、二〇世紀前半のせざるをえない家型、すなわち機能が導く形態と、ナショナリズムと連動する家型を確認しつつ、一九五〇年における清家清と白井晟一を分...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.57-58
[日本]
1951年北海道生まれ。83年、コロンビア大学修士課程修了。83−89年、アイゼンマン・アーキテクツに勤務。91年、丸山アトリエ設立。芝浦工業大学、東京家政学院大学非常勤講師。共訳書に、デニス・シャープ『合理主義の建築家たち——モダニズムの理論とデザイン』(彰国社、1985)、A・ツォニス+R・ルフェーブル『古典主義建...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[批評]
《バルセロナ・パヴィリオン》[図1]や《チューゲントハット邸》において用いられた、四本のアングルを組んでクロームメッキのプレートで包まれた十字柱は、ミース・ファン・デル・ローエの署名とでもいえるものだ。ミースのディテール思考が集約されたようにも見えるこの十字柱は、しばしば荷重を支える柱の物質感をカルテジアン・グリッド上...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[批評]
ポール・ド・マンはあるときアメリカ近代語協会から「文学の理論、その目的と方法」という主題の文章を求められたが、彼はそこでひとつの理論の目的と方法を要約し概括する文章の代わりに、理論を定義する際に理論そのものが生み出してしまう抵抗をめぐる文章を書いてしまう。この文章は結局掲載を拒否され、のちに「理論への抵抗」と題されて別...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.82-83
[批評]
建築は社会的な芸術の最たるものであり、社会の変化に対応しなければならない。ある社会の文化と洗練の度合いは、しばしばその社会の器である建物によって判断される。情報革命の今日でもそれは変わらない。サイバースペースは、メディアの想像力を虜にし、コンピュータはテクノロジーの進展と経済の成長とともにハイパー化に対応してきた。しか...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.70-75
[論考]
だからともかくも、私にとってそう見えるのかもしれないが、ミースを通して、ミースの多くを拒絶することを通して、しかしそれでもミースを通して、《イームズ自邸》は生まれた。それはまったくオリジナルで、まったくアメリカ的だ。 ピーター・スミッソン★一 出版された最も古いその住宅の写真には、トラックが一台写っている。トラックは...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[ゼロ年代の建築・都市 1]
家形が増えている 最近、卒業設計やアイディア・コンペを審査する機会が多いのだが、印象深いのは家型のデザインが明らかに増えていることだ。いわゆる三角屋根をもつ建築である。もちろん、九坪ハウスのコンペのように、家型を誘導する規定を含むケースもなくはないのだが、なんの規定がなくても、こうしたアイディアが目立つ。学生の設計は、...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.45-46
[1990年代以降の建築・都市 23]
教会のイメージ 日本人にとって教会とはなにか。これまでにも幾度か結婚式教会について考察してきたが、あえてフェイクに見慣れた目から、もう一度、本物の教会を考えてみたい。 漫画やドラマなど、サブカルチャーのシリーズ物における宗教ネタは、ほとんど例外なく、悪の組織として登場する。キリスト教系と思われるものも少なくない。ドラゴ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.39-41
[1990年代以降の建築・都市 18]
美しいものと醜いもの 今年の初め、小泉首相は、日本橋の上に架かる首都高を移設するプロジェクトに取り組むよう指示を出した。景観法が制定された頃から、この計画に関連したコンペが実施されるなど、首都高の地下化が噂されたが、いよいよ本格的にお墨付きが与えられたわけである。以前、筆者は「景観を笑う」というテキストにおいて、こうし...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.22-24
[1990年代以降の建築・都市 17]
巨大なスケールと精巧なディテール 谷口吉生は特異な日本人建築家である。経歴を調べると、以下の二点が指摘できる。 第一に、ほとんど住宅作品がない。通常、日本の建築家は、自邸や狭小住宅を手がけてから、公共施設にステップアップしていく。だが、谷口は、アメリカで建築教育を受けた後、丹下事務所において海外の都市的な規模の仕事を担...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.20-21
[一九九〇年代以降の建築・都市 15]
前回の「日本人と結婚式教会」において、筆者は、ここ数年、各地で増加している結婚式専用の教会について論じた。これは新宗教建築研究の延長として位置づけているテーマだが、気になっている問題がある。はたして結婚式神社というものが存在するかどうかだ。少なくとも東海エリアの結婚式場をまわったときは、発見していない。なぜだろうか。 ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 19]
キリスト教と日本の結婚式 以前、この連載において結婚式教会を通じて、神社の問題を考察したように、今回は本物の教会と比較しつつ、その関係を論じよう★一。 最初にキリスト教が日本にもたらされたのは、一五四九年、ザビエルが来日したときである。一時は数十万まで信者が増えたものの、厳しい弾圧のもと、やがて地下に潜っていく。一九世...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.59-60
[1990年代以降の建築・都市 6]
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた住宅事業「九坪ハウス」により、八人の建築家・デザイナーがそれぞれにデザインした九坪ハウスを発表し、同時にそのシンポジウムを行なうイヴェントである。筆者は、このシ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[1990年代以降の建築・都市 22]
キッチュの誕生 拙著の『美しい都市・醜い都市』(中央公論新社、二〇〇六)と『新宗教と巨大建築』(講談社、二〇〇一)は、それぞれ美醜をめぐる判断と近代以降の保守的なデザインの系譜を論じたものだが、共通するテーマをもつ。キッチュの問題である。それは現在、進行中の結婚式教会論とも密接に関わるはずだ。 キッチュという言葉が現在...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.36-38
[1990年代以降の建築・都市 21]
アジア的なシドニーの景観 今秋、「rapt!」という日本とオーストラリアの交流年にあわせた美術系のイヴェントの一環で、初めてオーストラリアを訪れた。日本国内ではいつも睡眠が不規則のため、普段から時差ぼけ状態で日々過ごしている身にとっては、長い空の旅にもかかわらず、ほとんど時差がなく現地に到着するのは、なんとも奇妙な感覚...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.39-41
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『行動建築論』(彰国社、一九六七)で語ったものである。またダイナミックな現代都市では、建築を柱、梁、壁という既成概念から組み立てるのではなく、エネルギーの流れを反...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[ビルディング・タイプの解剖学 7]
私は建物はバラックでも良いから幾何ら金が掛っても良い完全な製作の出来る一通りの機械を買入れる事に努力しました トヨタ自工の祖とも言うべき豊田喜一郎の言葉である。住宅と共に近代建築の黎明期では華々しく取り上げられた工場だが、技術の進歩に伴い、建築家が建築的な手法でその本質にまで食い込むことが難しい時代となった。既にトヨ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.33-36
[1990年代以降の建築・都市 2]
世界貿易センタービルの崩壊──二〇世紀建築の終わり 僕たちは下に降りて、外に出たんだ。それはアポカリプスの風景だった。原爆がどんなものかは知らないけれど、きっとあんな感じだと思う。 ビルの中にいた男の証言★一 巨人の鼻をへし折った。 テロ当日、パレスチナのある男性のコメント★二 世界貿易セ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[論考]
世界軸1──一八七五年 宗教的人間にとって 空間は均質ではない。 ──M・エリア─デ★一 その日、あらかじめ屋敷は入念に掃除されていたのだが、教祖(おやさま)がまず先に庭の中を歩いたところ、ある一点において足がぴたりと地面にくっついて動かなくなる。教祖がその地点にしるしを付け、続いて、信者たちは目隠しをしながら歩...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.90-109
[批評]
プロローグ──ある空中散歩 一八五八年の冬、ナダールは飛んだ。操縦士のゴダールと気球に乗って。雨まじりの空を八〇メートルほど上昇し、すぐに降下したのだったが。これがただの飛行であれば、気球は一八世紀から実験されていたのだし、すでにブランシャールがドーバー海峡を横断していたのだから、さして特筆すべきことはない。だが、ここ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[批評]
0エイドスとイデア 「なぜなら、エイドスとは日常の言語では、私たちの感覚的な目に見える物が、提供する容相を意味しているからである。にもかかわらずプラトンは強いてこの語に、感覚的な目には全く且つ決して把えることのできない、そのものを命名するというごとき、全然非日常的なものを、需めているのである。ところがその程度で、その非...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.76-89
[論考]
ことによると、夢の連鎖は尽きないかもしれない。 ──J・L・ボルヘス『コウルリッジの夢』 しみ──不可視の連続体 一八二五年、晩年を失意のうちに過ごしたある男は、自らの描きためたドローイングをパリの王立図書館に寄贈し、一切の消息を絶った。それからちょうど一〇〇年後、ひげと帽子と眼鏡とコウモリ傘を愛した第二の男は、バレ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.172-184
[批評]
down, down, down... 「もうどれだけ落ちたのかしら?」 兎を追っかけて、大地の穴に飛び込んだアリスは言いました。 母胎の亀裂 アルファベットの第一八番目の文字、Rを挿入してみること。その単語の六番目の文字と七番目の文字のあいだを切り裂きながら。すなわちランドスケープ landscape を、ランドス...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.88-99
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に関心をもっていて、それを建築で展開できない かと考えていました。簡単に整理すると、まず六〇年代の異議申し立ての時代には女性運動を含むいろいろな革命が起こり、当然...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[ビルディング・タイプの解剖学 6]
神はノアにかく語った。「糸杉の木で一隻の方舟を作り、中に個々の部屋を作り、内外を土瀝青で塗りなさい。そして次の寸法で方舟を作るがよい。長さは三〇〇キュービット(一キュービットは四三〜五三センチ)、幅は五〇キュービット、高さは三〇キュービット。屋根は上に一キュービットで仕上げ、方舟の戸口は一、二、三階の側面につけなさい」...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.37-40
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始ま...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[論考]
焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学教授の岸田日出刀はこうした感想を抱いた。彼にしてみれば、戦前の「街の姿のあまりの醜さを毎日みせつけられてウンザリしていた」し、防空の観点から木造都市の危うさをさ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[対談]
1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り上げようと思います。いろいろと「日本近代建築史」に関するテクストを読んでいると、当り前のことですが、それらもまた歴史の一部であるということを改めて感じないではい...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[都市/テクスト]
都市記号論を超えて 一九六〇年代にK・リンチやR・バルトが都市記号論を準備し、七〇年代にコンテクスチャリズム論が語られ、八〇年代は学際的な都市テクスト論が興隆した★一。これらは近代の都市計画がもっぱら建設者の論理だったのに対し、受容者の解読を多様化する試みといえよう。しかし、結局、読むための方法は作るための手法になりえ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[インタヴュー]
「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出発点としては、磯崎さんが伊藤ていじさんたちと『建築文化』一九六三年一二月号で特集した「日本の都市空間」の問題設定を挙げたいと思います。あの特集企画は、六〇年代が...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[建築を拓くメディア]
コンペが現代建築史で果たしてきた重要な役割については、あらためて強調するまでもないだろう。それは勝者だけの歴史ではない。《シカゴ・トリビューン社屋》でのグロピウス案や《国際連盟》でのル・コルビュジエ案がそうであったように、むしろ敗者の案、実現されなかった案が後世に残り歴史をつくってきた。多くの建築家が認めているように、...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指導者であるのに対し、ユニット派では複数の若手建築家がゆるやかな組織をつくる。しかも、一九六〇年代生まれがどうやら多い。こうした傾向が建築の雑誌で最初に注目された...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物と親和性の高い人々はいないのではないか。これはちょっと異様なことだと思います。もちろん文芸は別ですが。ただ、建築家が書いた本があまりにも多いので、われわれはその...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[批評]
カオダイ教とは何か 一九九八年の夏、ヴェトナムを訪れる機会があった。主な目的はカオダイ教という新宗教の聖地を訪れることだった。一九九〇年代に入り、ドイモイ(刷新)政策の追い風を受けて、ヴェトナムの建築・都市研究は過熱し、近代建築や保存すべき古建築の調査は確実に蓄積され、ある程度知られるようになった★一。しかし、二〇世紀...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.155-163
[建築を拓くメディア]
建築系の映像といえば、デルファイ研究所からリリースされた「現代建築家シリーズ」が基本的なビデオといえるだろう。ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンの夫妻が、サンマルコ広場で発見したことを語ったり、「ディコンストラクティヴィズム・アーキテクチャー」展の会場風景やシンポジウムの様子が見られるなど、ポストモダ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[図版構成+論考]
I had to open the bruise blood come out to show them. 黒人暴動を契機に作曲されたスティーヴ・ライヒ「カム・アウト」(一九六六) Ice cube wishes to acknowledge America's cops for thier systematic a...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[論考]
一九世紀フランスの建築写真からアーカイヴの爆発へ 一八五一年、五人の写真家が重大な使命を抱えて、国内に散らばった。ギュスターヴ・ル・グレイとその弟子メストラルは、トゥーレーヌとアキテーヌへ。アンリ・ル・セックはロレーヌとアルザスへ。エドゥアール・バルデュスは、ブルゴーニュへ。イポリット・バヤールはノルマンディへ。この年...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[図版構成+論考]
黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…中略…)炉の中に松脂が置かれる。火力がこれを燃やすことによって煤を孔からラコーニクム(熱気室)の中に押し込む。それが壁と円筒天井のまわりにくっつく。そこから集め...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[論考]
卒業設計に関しては、空前の事態を迎えていると言っていいだろう。 以前から鉱脈はあったのだが、それが二〇〇三年に始まったせんだいメディアテークの卒業設計日本一決定戦によって一気にブレイクし、マグマとなって噴きだしたような感じである。実際、それまでにも京都六大学の合同卒計展、九州の学生デザインレビュー、横浜赤煉瓦倉庫の卒計...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.82-83
[論考]
日本橋と首都高 今年(二〇〇六)の二月、江戸東京博物館を久しぶりに訪れた。水の都市として東京を再考するリサーチとプロジェクトの集大成となる「東京エコシティ──新たなる水の都市へ」展を見るためである。歴史的な資料から建築家による未来的なプロジェクトまで、内容は多岐にわたるが、水辺空間の魅力を再発見し、その可能性を引きだす...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.94-103
[ビルディング・タイプの解剖学 2]
グロピウスに至る近代建築の軌跡を描く、N・ペヴスナーの『モダン・デザインの展開』(一九三六年)を、その弟子のバンハムは厳しく批判している。ベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院(一九〇三年)がきわめて斬新な環境のマシーンとして設計されたにもかかわらず、おそらくそれがヴィクトリア朝の流行遅れの外観を持っていたために、ま...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.34-37
[ビルディング・タイプの解剖学 3]
立地条件が倉庫計画の主要な関心事であることに今も昔も変わりはない。水運の時代では倉庫が港湾や運河沿いに計画されるのは必然的であり、ハードウィックのセント・キャサリン(一八二七)やシンケルのパックホフ(一八二九─三二)のような一九世紀の倉庫に水辺の景色がよくあうのは、必然性からくる心象である。しかしモータリゼーションは立...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.35-38
[ビルディング・タイプの解剖学 5]
病室と監房、隔離と監禁。病院と監獄がその初源において同根であることは様々に指摘されている。本稿でも連載の二回目「呼吸する機械 : 病院」で監獄と病院の衛生観をパラレルに論じているが、今回は監獄、特に重罪犯に関わる施設を取り上げ、身体と装置の極限を見る。 植民の世紀を通じて、海外への流刑は身体刑と同様ごく一般的な行刑法で...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.32-35
[ビルディング・タイプの解剖学 4]
聖なる建築はどのように発生したのだろうか? これを哲学的な思索によらず、ビルディング・タイプの問題として考えてみたい。建築史の教科書をひもといて見れば、最初にヒトの住まう家が登場する。次に貧富の差が生まれ、階級が芽ばえ、住居から諸機能が分節を始める。例えば、モノが住まう倉庫(前回のテーマだ)。ここに余剰な資産が収蔵され...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.34-38
[シンポジウム]
アーキグラムとカウンターカルチャー 五十嵐──「アーキグラムの実験建築一九六一─一九七四」展は、展示の構成を巡回しながら少しずつ変えていくもので、アーキグラムの手法や雰囲気がすごくよく出ていると思います。これは、このシンポジウムに先だって行なわれたアーキグラムのメンバーによるレクチャーと似ているという気がしました。つま...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[ビルディング・タイプの解剖学 1]
何も様式や意匠だけが建築史のすべてではない。ビルディング・タイプに絡めて、建物という箱を外側からではなく、内側から論じること。つまり、あるビルディング・タイプに付随する特定の家具、装置、あるいはマニュアル(作法)に注目し、それらがいかに人間の身体を規律化しているのか。そして建築的な操作は他の諸学問といかなる横断的な連結...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.33-35
[批評]
1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望する少女は、フリーターの不良少年に「何かに自分をぶつけてないと、生きてる気がしないものね。ただ、いまが一番いい時代だって気がするだけ」と語る。まったく社会は満たさ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[論考]
戦争と万博の類似に気づいたのは、愛知万博の仕事を引き受けたときだった。 通産省(当時)が日本政府館の基本理念を作成するにあたり、河合隼雄や川勝平太など、二〇人の委員を選定したのだが、多忙な著名人が全員出席する会議を繰り返すのは難しい。そこで筆者がヒヤリングを行ない、意見をもとにテキストを書くというものである。二〇〇〇年...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.155-163
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離感がこのところ曖昧にされ、場合によってはネガティヴな評価を前提とした、ある種の踏み絵になっているような感じさえある。そしてそうした意識において想定されている八〇...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[論考]
読み替えというリサイクル 東京という名称が生まれ、一三〇年近くが経過した。しかし、当初の明治政府はすぐに壮大な都市計画を実行したわけではない。鈴木博之が指摘するように、「明治の東京は、江戸の読み替え作業からはじまった」★一。例えば、江戸城は皇居になった。大名屋敷は新しい官庁になった。官軍は好き勝手に武家の屋敷を占拠し、...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.161-168
[万博という問題系1]
《タカラビューティリオン》《東芝IHI館》 五十嵐——黒川先生のお仕事は多岐に渡っていますが、今日は「万博」をめぐっていくつかおうかがいしたいと思います。 まず、七〇年の大阪万博において、黒川先生は一九六〇年代に提案された実験的なアイディアを試みる場として、二つのパヴィリオンと空中展示のカプセル住居を手がけられています...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を続け、一九六〇年代の重要な証言者になっていますね。国際博としては、つくば科学博(一九八五)そのものには参加されていませんが、直前にポストモダンを象徴するつくばセ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[万博という問題系2]
第二の戦争画としての「万博芸術」 椹木──この秋に『戦争と万博』という本を出すことになっているので、まずそのあたりから話を始めてみることにします。その前提として、以前に『日本・現代・美術』という本を出しました。これは戦後の日本の美術を、九〇年代から戦中まで遡るという形をとって記述しているのですが、戦後美術にはひじょうに...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[対談]
...ズム建築の二面性を象徴的に表わしている特別なビルディング・タイプだと思います。モダニズムの二... ...強くて、モスクワに建つギンスブルグのナルコムフィンやコルのマルセイユに建つユニテダビタシオン...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[批評]
...ネールI』 「フロイトの技法論」一九五三─五四 《サヴォワ邸》[図1]のエントランス・ホールのは... ...「では、この神殿にして住宅のエントランス・ホールへと入って行くとして」、とコーリン・ロウは思...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[論考]
...1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった... ...一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR)」をめぐる議論が交わされてい...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[現代建築思潮]
...。この例のように、明治の早い時期から民間レヴェルではどん欲に西洋建築を取り入れ、キッチュとも... ...は明治も四〇年近く経っていた。しかし現場レヴェルでは西洋建築の導入は先んじてどんどんやってい...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[批評]
...F・ド・ピエールフウは「五分間に一人の割合で、フランス人は結核のために死亡している」と一九四二... ...の家』で報告している。共同執筆者であるル・コルビュジエは、この本の挿絵として、小学生──彼ら...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190
[技術と歴史 1]
...プリントのうち一枚目は、《ガラスの家》と 《アルミネア》という二つの住宅をセットにしてあります... ...のです──とピエール・コーニッグがやった《ケーススタディハウスno.22 スタール邸》という非常に有...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[非都市の存在論 11]
...年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマン... ...シカゴから移設されたものであった。ザンクト・ペルテンは一九八六年にウィーンに代わってニーダー...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26