石山修武
住宅|1986年
[インタヴュー]
...、六角鬼丈、毛綱毅曠、あるいはちょっと下の石山修武、鈴木博之くらいまでは、おそらく「解体」を... ...ず、よくわかった人ですね。 日埜──さきほど石山修武さんや鈴木博之さんの名前が出ましたが、彼ら...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[論考]
...勝彦〉らの工業派も同時に動いていたが、特に石山修武は『「秋葉原感覚」で住宅を考える』(一九八... ...加えて犬六匹が暮らす拡大家族の住宅。そして石山修武の《アライグマ・ギンとの家》(一九九五)[...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[技術と歴史 4]
...た鉄板曲げものでつくった建築の七番目で、《開拓者の家》が八番目です。これは川合さんの家のイン... ...た。僕はそうしようと思ったんです。それで《開拓者の家》をつくりました。川合さんは自分の家は自...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...ですよね(笑)。少し前に会ったときも、「《開拓者の家》は失敗だった」という話をしていて、それ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...もあるのだが、《世田谷村》は、《幻庵》や《開拓者の家》といった最小の部材で最大の効果を生み出...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました...石堂威さんから住宅特集の連載で石山修武の《開拓者の家》をやりなさいと言われて、石山さんは憧れ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[特別掲載]
福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48
[建築家的読書術]
研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場である。教育と言っても、セルフビルドとは何か、クロード・レヴィ=ストロースの言うブリコラージュとの関連は、とか、ヘンリー・デヴィッド・ソーローの『森の生活──ウ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[グローバリズム 3]
1 ロンドン 一九九一 浅田彰は西欧での現代日本文化の見方に関しては二つのオリエンタリズムの危険があるという。一つは安藤忠雄の建築に日本を見出すという古いタイプ...テーマ毎にインスタレーションを受け持った。石山修武(クリシェ)、石井和宏(キッチュ)、伊東豊...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[現代住宅研究 2-2]
今回のテーマは増改築である★一。さしあたってここでは、新築以外の形態をとって生み出された建物──増築・改築・移築などの建物──のうち、新築において見逃されやすい...な住居を生み出しつつあるのは《世田谷村》(石山修武、一九九七─)である。この未だに全体像を見...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.15-18
[CONCEPTUAL 日本建築 5]
25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことが...品性をもたらす。「品性」といえば(たとえば石山修武のような立場からは)攻撃にさらされることも...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319
[住居の視点、住居の死角 5]
東京・渋谷の代官山地区で進行中の再開発事業に伴い取り壊された同潤会代官山アパートが、研究者グループなどの尽力で八王子市の住宅・都市整備公団建築技術試験場に移設・...ている建築家がいることにもふれておきたい。石山修武である。 自邸四〇〇平米ほどの敷地に地下一階...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.43-46
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...。そのときに、今でも印象に残っているのは、石山修武さんが卒論生二〇、三〇人を前にして、「テー...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワ...本人では私以外に同校と姉妹校である早稲田の石山修武さんが参加している。私の発表は最終日だった...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[技術と歴史 6]
悠久の古代エジプトにおけるピラミッド 中川武──三〇年前に初めてエジプトに行き、それから調査・研究を進めています。古代エジプトでは古王国にピラミッドがたくさんつ...に槇文彦さんが安藤忠雄さんや毛綱毅曠さん、石山修武さんたちを「野武士の世代」と言われましたが...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.191-199
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...派(原、伊東豊雄ら)と実在性の赤派(藤森、石山修武ら)の両極に位置するはずだ。 次に藤森氏の自...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[1990年代以降の建築・都市 6]
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた...いうソフトからシステムを変えること。かつて石山修武のセルフビルド的な活動が不透明な住宅生産を...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[技術と歴史 8]
建築物の大規模化 嘉納成男──今日お話するのは建築物の規模を大きくしようというニーズにどう対応してきたかということです。一九六三年に高さ制限がはずれ、一挙に超高...加をさらに抑えることができます。 質疑応答 石山修武──大変興味深く聞いたのですけれども、例え...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.200-208
[技術と歴史 12]
山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって...て実現しようと試みていますが、それに対して石山修武さんからは、何度となく警告を受けました。そ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[年表]
日本の建築の近代について、これまでにどんな歴史的視点が生まれ、拡がり、変わっていったのだろうか。建築をきちんと考えよう、つまり歴史的に考えようとしたとき、否応な...考現学——今和次郎集』(ドメス出版、1971) 石山修武+毛綱モン太「異形の建築」『建築』(甲外出版...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション...があることが何となくわかってくる。例えば、石山修武の《世田谷村》や、西沢立衛の《森山邸》は、...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代...。それが最後は均一の貨幣で均質空間という。 石山修武──ヨーロッパの都市は基本的にはグリッドが...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[現代建築思潮]
10+1──現代建築思潮研究会では、オリンピック招致によって都市改造が一気に巻き起こることを想像の視野に入れながら、この会独自の計画案を組み立てようとしています...の『10+1』(No.43)に掲載された磯崎新さん、石山修武さんの「二一世紀型オリンピックのための博多湾...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.37-44
[技術と歴史 3]
一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さ...筆者16──ルアーブル市役所 撮影筆者質疑応答 石山修武──鈴木先生の二〇代の著作『建築の世紀末』...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[イントロダクション]
1 渡辺保忠の『工業化への道』 残念ながら絶版になってしまったが、私の最初の著作に『工業化住宅・考』(学芸出版社、一九八七)という単行本がある。日本のプレハブ住...時折に触れ私をしごいて下さっていた建築家の石山修武さんである。「オマエ、ただボーとしてるだけ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.66-67
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...図ですね。七〇年代後半からは毛綱毅曠さんや石山修武さんなどのポストモダニズム世代が活躍し、海...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[インタヴュー]
アトリエ・ワンと私──最初の出会い 永江朗──私の場合もそうでしたが、施主は設計を依頼するにあたってまず手紙を書くというアプローチが多いと思います。受け取ったと...人たちになってしまっている。『STUDIO VOICE』で石山修武さんが連載をやっていますが、三─四〇年前に...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.74-85
[都市/テクスト]
...する現代美術の介入に注目するだろう。そして石山修武の『世界一のまちづくりだ』は、広告代理店が... ...と都市造形家の生む新しい都市環境を探る。11 石山修武『世界一のまちづくりだ』(晶文社、1994) 均...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[論考]
...え、融合し、自己流のモニュメントに変えた。 石山修武は、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」... ...保夫訳、みすず書房、一九七六)。 ★三〇──石山修武『バラック浄土』(相模書房、一九八二)。 ★...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.161-168
[現代住宅研究 3-3]
...結果的に居間と寝室になっている。《幻庵》(石山修武、一九七五)[図11]も、平面図を見ればほぼ正... ...《北山・住宅》断面図、平面図 縮尺1/40011──石山修武《幻庵》断面図、平面図 縮尺1/4006 余白とし...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.25-33
[技術と歴史 1]
...これは二〇年ぐらい前から研究してきました。石山修武先生から「脱工業化の時代になんで工業化なん... ...取り上げたわけです。 難波──二〇〇三年末に石山修武さんと一緒に上海に行ったんですが、上海の状...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[キーワード]
...ドラム缶住居(六〇年代)、その影響下にある石山修武の《幻庵》(一九七五)、などの作品を挙げる... ...ァイア マガジン ジャパン、2000年6月号)2──石山修武《幻庵》 出典=『Esquire 日本版』(エスクァイア...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-119
[対談]
...というのは造船の技術だったんですが、これを石山修武さんが建築に入れたわけです。彼が最初に《リ... ...あり実験住宅ですね。 藤森──そうです。僕と石山修武は同志とも言えるし、《幻庵》は凄いと思った...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[プロジェクト]
...住宅と農村計画│石山修武 自宅《世田谷村》はいまだに未完である。個人住宅の設計は自宅で打ち止め... ...るような気がする。 そんなある日、わが旧友、石山修武が私の農園にやってきた。久しぶりの再会だっ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.64-72
[現代住宅研究 7-4]
...シュタルトを十分に受けとめると、《幻庵》(石山修武、一九七五)[図2]のような住宅が生まれる。... ...起こらない。後の《ランドシップ/イリス》(石山修武、一九八三)[図3]になると、さらに複雑な住...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.24-29
[現代住宅研究 5-1]
...いけないことを告げている。《卵形ドーム》(石山修武、一九八一)[図2]は同じような斜面の林につ... ...も、この風景の雑色性は際だっている。 2──石山修武 《卵形ドーム》 パース 平面図 縮尺1/400風景...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.29-32
[現代住宅研究 13-2]
...いる。 さらに壁が薄い例をひとつ。《幻庵》(石山修武、一九七五)[図4]は外壁の厚さが〇・四ミリ... ...まで行くことがある。 [この稿未完] 4── 石山修武《幻庵》 2階平面図 1階平面図 縮尺1/400*この...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.18-21
[論考]
はじめに 今回の特集もその一環なのかもしれないが、近年、日本の「近代建築」、「モダニズム」に関する議論が盛んだ。例えば、個人を対象とした実証的な取り組みがある。...時代まで客観的に判断できるのですか」という石山修武の問いに、一九五〇年代の「現代建築史研究会...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...が写真家として活躍した時代に登場したのが、石山修武、伊東豊雄ら〈野武士〉と呼ばれた建築家たち...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...どと称された渡辺豊和・安藤忠雄・毛綱毅曠、石山修武・石井和絋・毛綱毅曠・六角鬼丈の「婆娑羅の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[日本]
1961年兵庫県生まれ。1987年東京大学大学院修士過程修了。1988年アトリエ第5建築界設立。現在、大阪芸術大学助教授。作品=《Open-Air Kinder...ち込み、時節柄もあって他の作家(宮本隆司、石山修武)ともども〈金獅子賞〉をかっさらった。 もち...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.172-173
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの...れた。 11 『A』(文芸社、1998─) 早稲田大学石山修武研究室出身の馬場正尊が編集長を務める雑誌。...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[現代住宅研究 6-2]
...である。 窓がない 《ドラキュラの家》(石山修武、一九九五)[図1]は、そのオウム真理教が話... ...要素として発見され、排除されたのだ。 1──石山修武《ドラキュラの家》 パース象徴的な穴 窓のな...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[現代住宅研究 6-3]
...屋根を両脇に立て掛けたような《神官の間》(石山修武、一九八七)[図4]は、なぜか切ない建物であ... ...ろう。 3──高橋公子《管の家》 パース4──石山修武《神官の間》 平面図 縮尺1/400 5──高松伸《P...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.28-31
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...ンズ・オブ・ジャパン」というのを伊東豊雄、石山修武、石井和紘の三人にやってもらった。ロンドン...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111