隈研吾
美術館|2000年
[対談]
隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてきた頃ですね。さらに、歩道や電車の中、人前で平気で御飯を食べられるようになるなど、都市のインテリア化が顕在化してきた。僕にとってそれらは、八○年代の建築に対する一...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってきているようです。また昨年、景観法が施行されましたが、今日はそうした都市の景観をめぐるさまざまな動きについて、建築家隈研吾さんのお考えを伺いたいと思います。 例え...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[論考]
郊外住宅の周辺から 芹沢──僕は現在茨城県の牛久に住んでいますが、今度別のところに住もうと思っているんです。三人の子供のうち二人が家を出たものですから、なるべく自分の生まれた所に近づきたいと漠然と考えて家探しをしています。でもこれがうまくいかないんですね。 引っ越しを考えている理由としては子供が家を出たからという他に、...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.40-55
[対談]
集合住宅という思想 大野秀敏──集合住宅というのは、モダニズム建築の二面性を象徴的に表わしている特別なビルディング・タイプだと思います。モダニズムの二面性というのはひとつは個人のアーティストとしての建築家という概念と、それと全く相反する貧者のための社会制度としての住宅供給という概念です。集合住宅はそういう意味では作家性...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物と親和性の高い人々はいないのではないか。これはちょっと異様なことだと思います。もちろん文芸は別ですが。ただ、建築家が書いた本があまりにも多いので、われわれはその...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[批評]
...構築のなかの豊饒さが引き起こしたものなのだ。隈研吾は「建築」から排除され続けてきた洞窟の特質... ...口裕弘訳、二見書房、一九七八年)。 ★八──隈研吾『新・建築入門』(筑摩書房、一九九四年)。 ★...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.88-99
[鼎談]
...延長上にいる、むしろより隠したくなっている。隈研吾さんのルーバーの話も今回書きましたが、ルー... ...としての力を持ちうるのではないか。 作品例 ・隈研吾《ONE表参道》 ・妹島和世+西沢立衛/SANAA《ディ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[論考]
...築には、外部と交流する内部空間が存在する。 隈研吾は、建築における「窓は主体が対象を見るための... ...遠藤知巳訳、十月社、一九九七)。 ★一〇──隈研吾『新・建築入門』(ちくま新書、一九九四)。 ★...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[都市/テクスト]
...九八九)に読みとることができる。九〇年代には隈研吾が建築の消去を唱え、磯崎新は「都市は姿を消... ...的な動きを予告していたことを再確認できる。27 隈研吾『建築的欲望の終焉』(新曜社、1994) 80年代...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[論考]
...」(シーザー・ペリ) ◆「愛知万国博覧会」(隈研吾建築都市設計事務所ほか) ◆「福岡空港新第2タ... ...河貢・都市居住研究共同体) *「海/都市」(隈研吾建築都市設計事務所) ◆「東京港フェリーターミ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[現代住宅研究 5-3]
...にも波及するわけで、例えば《森/スラット》(隈研吾、一九九五)[図6]などは、鈍く光を反射する... ... 《松山桑原の住宅》 平面図 縮尺1/4006──隈研吾《森/スラット》 平面図 縮尺1/400このように...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.39-43
[論考]
...的なオブジェになることが多い。 岡田哲史は、隈研吾や阿部仁史が形態は重要でないと述べたことを契... ...的に建築を思考している。ユニットではないが、隈研吾も同じ立場だ。実際、飯島は隈の『反オブジェ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[1990年代以降の建築・都市 2]
世界貿易センタービルの崩壊──二〇世紀建築の終わり 僕たちは下に降りて、外に出たんだ。それはアポカリプスの風景だった。原爆がどんなものかは知らないけれど、きっとあんな感じだと思う。 ビルの中にいた男の証言★一 巨人の鼻をへし折った。 テロ当日、パレスチナのある男性のコメント★二 世界貿易セ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなかでも、六本木ヒルズの森美術館、乃木坂の国立新美術館、それに東京ミッドタウンのサントリー美術館の三館を結んだネットワークのことだよ。それぞれ運営母胎が違うので、今...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの...鵜沢隆研究室が制作したCGが見られる。『SD』の隈研吾特集のように、今後CD-ROMが付属された建築雑誌が...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[現代建築思潮]
...が、槇文彦さんも安藤忠雄さんも伊東豊雄さんも隈研吾さんも、《代々木国立屋内総合競技場》を丹下... ...きく膨らませるものであった」と答えているのは隈研吾さんです。また、万博直後の高校生の進路調査...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[制度─都市]
...コンクリートがそうであるとも言えるし、近年の隈研吾の建築におけるルーバーもそれにあたろう。ル... ...には、高度なバランス感覚が必要なのである。 隈研吾は、その作風の変遷も含め、実にバランス感覚に...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.136-139
[論考]
...ではないか。当初、中沢が建築家として竹山聖、隈研吾、團紀彦を推薦し、一九九六年に三人がスケッ... ...くちゃにする、正しく「戦後初」の万博なのだ。隈研吾は一九九七年から会場計画のリーダーになり、...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.155-163
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知...そして半透明のFRPの緑色と自然の緑が共振する。隈研吾の《PLASTIC HOUSE》(二〇〇二)にも通じる手法で...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...ないものを用意しました。これは、一九九六年に隈研吾さんと再建中の《アルミネア》と《ウィチタハ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[建築の言説、都市の言説 8]
多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背を向けてから、かれこれ一〇年が経過している。それでも本誌のバックナン...イズ」に落ちついているが、こうしたステージは隈研吾氏の『新・建築入門』程度の論旨と狙い(ここ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.30-31
[都市とモードのフィールドノート 1]
いつか大学の同僚との会話のなかで、建築とファッションには共通するところが多いのだから、両方とも同じコースで教育すればいい、と利いた風な意見を述べたことがある。す...妹島和世+西澤立衛(SANAA)の「ディオール」、隈研吾の《ONE表参道》(LVMHグループの店舗が入る)が...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.30-32
[中国]
1956年北京生まれ。南京工学院建築系卒業。84年渡米して、建築を学ぶ。ライス大学で教鞭をとっていたが、中国の変化に魅力を感じ96年帰国。妻とともに93年、「非...表現されている。 二〇〇〇年九月から、ぼくは隈研吾さん、張永和さんとともに、彼が経営する北京大...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.124-125
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。...い軸が生まれてきているように見えるんですね。隈研吾さんも『負ける建築』とおっしゃっているよう...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...(一九九〇)や、非対称性を強調する篠原聡子+隈研吾の《DE町屋》(一九九〇)が挙げられるだろう。...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[論考]
このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ば...ている。例えば《サントリー・ミュージアム》(隈研吾)[図3]では、アルミパイプに桐の突板が練付...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.76-84
[インタヴュー]
「アーキラボ」について 今村創平──マリ=アンジュさんは「アーキラボ」展に関連して多くのインタヴューを受けられ、すでに質問されることにはうんざりされていることと...家は非常に実験的だからです。長谷川逸子さんや隈研吾さん、伊東豊雄さんなどは自然と建築との一体...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[鼎談]
リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京...決めるのは日建設計のような組織設計事務所で、隈研吾さんや青木淳さんのようないわゆるアトリエ派...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...な側面があります。これまた自己批判ですが。 隈研吾さんの「住宅エンジン論」ではありませんが、郊...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[中国]
紅石 潘石屹(Pam Shichi)と張欣(Zhang Xin)が1995年北京で創設した土地開発会社。デザインを重視した果敢な住宅開発を行ない、21世紀の中国...ャーシリーズの第一回は、山本理顕さんだった。隈研吾さんは一日遅れてやってきたから、最初に張欣...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.126-127
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...本太郎」をテーマにした建築のシンポジウムで、隈研吾さんや浅田彰さんとご一緒に愛知博について発...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離...。スタルクの《アサヒスーパードライホール》や隈研吾さんの《M2》が登場して、なんだかすごいことに...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹...イデル [実行委員長]磯崎新 [会場デザイン]隈研吾 [協力]東京大学工学部建築学科/群馬県立歴...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
卒業設計に関しては、空前の事態を迎えていると言っていいだろう。 以前から鉱脈はあったのだが、それが二〇〇三年に始まったせんだいメディアテークの卒業設計日本一決定...の傾向と対策というべきか。その射程の短さは、隈研吾であれば、卒計の「カラオケ」化と呼ぶだろう...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.82-83
[写真のシアトリカリティ 1]
1 スペクタクルは、視線の権力を行使することをわれわれに教育する、政治的かつ時間制約的なイヴェントの謂いにほかならない。しかしスペクタクルには、見る者と見られる者の安定的な視線の構図を突き崩す趣向が絶えず盛り込まれる。写真家が、向こう側から「見つめ返す」視線の持ち主を典型的に擁する、例えば「動物園」のような場に歴史的に...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.33-35
[論考]
リゾームは、………地図であって複写ではない。複写ではなく、地図を作ること。………地図が複写に対立するのは、それがすべて、現実とじかにつながった実験の方へ向いているからである。地図は自己に閉じこもった無意識を複製するのではなく、無意識を構築するのだ。地図は諸分野の接続に向かい、器官なき身体の封鎖解除に、それら器官なき身体...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.173-180
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた[図1]。鉄がのたうちまわり、枝や節、そして背骨のような部分がある。さらに光を透過するガラスの屋根がのる。一見して、緑色の異形のオブジェのようだ。有機的な生命体...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[写真のシアトリカリティ 3]
1 空(そら)の写真は、たいてい雲や陽光や手前に配される樹木の写真であって、純粋な空の写真なるものは実際、存立しがたい。ここに、写真的なミニマリズムを想定することの「虚しさ」がある。写真は、いつも何物かの写真であり、指示対象を欠いた写真は、ほとんどただの薄い平面的な物質であるにすぎない。しかしこの虚しさの中に可能性を見...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.35-37
[ミュージアム・テクノロジー随想 3]
前回も少し映画のことを書いたが、一九五〇年代前半生まれの私はジャン=リュック・ゴダールほかのヌーヴェルヴァーグ映画には間に合っていない世代に属する。つまりロードショー時にではなく後年、名画座で『気狂いピエロ』(一九六五)などを観た。ゴダールより年長だったと思うが、文学から映画への転身が遅かったのか、日本への紹介が遅れた...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.28-29
[都市表象分析 27]
カメルーンの熱帯雨林に棲息し、トメンテラ属菌類に寄生されて額から釘のような突起物を生やした「異臭蟻」メガロポネラ・フォエテンス、あるいは、イグアスの滝近くの保養地で神経生理学者ジェフリー・ソナベントが着想したという記憶理論のモデル、あるいは、分厚い鉛の仕切り壁という罠に捕らえられた特殊な鼻翼をもつコウモリ、「小さな悪魔...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.2-12
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランといった幾何学的なことに対応し、「物質的想像力」は素材や物質そのものに対応する、という区分をしました。近代建築以降のさまざまな建築理論は、どちらかというと形式的想像...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[論考]
0 非生産都市=香港 香港という都市は、如何にして成立しているのか。例えば、香港における農業・漁業のGDP(国内総生産)に占める割合はわずか〇・一パーセントにすぎない★一。基本的なことであるが、食料を都市の外に、それもかなりの割合で依存しているのである。これは香港が元来、香港島という島(シマ)であり、中国に返還された今...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[連載 6]
15 分類すること(名付けること)と配置すること 15-3 バベルの塔としてのCIAM 近代都市計画の原点ないし聖典のようにいわれてきた『アテネ憲章』が会議から一〇年を経て出版されたものであることは前回に述べたが、それは本当にアテネ会議あるいはそれ以前のCIAMの議論を要約し、合意された憲章であったかのような印象を事...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealogy of the Practice” 二〇世紀末におけるまったく新しい建築を求める議論からフォールディングは登場...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[Urban Tribal Studies 14]
ここにはドイツ青年運動の奇妙な、独特の体質がある。青春を、やがて成熟へと吸収される人生の一段階と見ることを断固として拒否し、青春に固有の文化的、認識論的権利を、その制度的保証とともに彼らは要求した。今のことばで言えば、独自のヤング・カルチャーがもつ変革のパワーに固執した。他方で、そうしたパワーの根拠を、青春の生命と宇宙...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.176-186
[写真のシアトリカリティ 2]
1 水戸芸術館で先頃開催された「川俣正──デイリーニュース」は、出色の展観だった。一五〇トンの新聞紙(水戸市で一週間に消費される相当量という)を展示室に持ち込むというプランは、ホワイト・キュービック空間に対する直示的な異化と、日常一般に対する隠喩的な異化とを充分に果たしていた。この二重の衝撃的な異化は、川俣の造形的なメ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.31-34
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
本連載のシリーズ題名にある「ミュージアム・テクノロジー」というのは、二〇〇二年一〇月に東京大学総合研究博物館に開設された寄付研究部門に付けられた部門名である(産学連携が奨励される時節柄、この奇特な寄付を行なったのはディスプレイ業界日本最大手の丹青社であると名前を記させてもらおう)。ゴッドファーザー(名親)は同博物館の西...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[連載 5]
知の宮殿「ムンダネウム」14 14-4 クライアントと建築家:奇妙なチャートあるいは機能主義 ムンダネウム─世界都市のプロジェクトの敷地は、国際連盟本部の敷地にほぼ隣接している。もともとオトレの構想は国際連盟のそれと連動していたし、彼はその方面にも有力な関わりがあったから、敷地の選択がこうであったのは偶然ではない★一...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[都市の表象分析 13]
1 英雄というプレテクスト ニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地利用をめぐっては、選出された七つの建築家チームによる九つの計画案が二〇〇二年一二月一八日に発表された。展覧会や集会を通し市民の意見を広く集めたうえで、翌年の二月四日にローアーマンハッタン開発公団(LMDC)とニューヨーク・ニュージャージー港湾局は、案...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.2-11
[脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 7]
今年の一月、初めてキューバに行った。なぜ、キューバなどに行ったのか。 四年前、フランスのグルノーブルで、文化省主催の、フランスの文化政策を学ぶ(学ばせられる?)セミナーがあった。東欧、北欧、北アフリカ、中南米、アジアなどから文化行政やアート・マネージメントに携わる人々が二〇名近く参加したが、そこでキューバの文化省に勤め...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.31-32
[論考]
だからともかくも、私にとってそう見えるのかもしれないが、ミースを通して、ミースの多くを拒絶することを通して、しかしそれでもミースを通して、《イームズ自邸》は生まれた。それはまったくオリジナルで、まったくアメリカ的だ。 ピーター・スミッソン★一 出版された最も古いその住宅の写真には、トラックが一台写っている。トラックは...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[論考]
アメリカ議会図書館は、アメリカ建国以来の自国の文化を築き上げてきた証としての広範な資料の収蔵・研究を行なっているが、本展覧会は同館が所蔵するイームズ資料を中心にヴィトラ・デザイン・ミュージアムの家具コレクションほかを加え、イームズの仕事をアメリカの二〇世紀をドライブした重要なファクターとして、広く国民に紹介しようとする...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.182-183
[論考]
日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわらず、全体的に美しくデザインされていないと感じるはずだ。 これは最近の意見ではなく、早くも一九三六年にブルーノ・タウトが述べたものである★一。日本の都市空間を理解せずに西洋の理論を押し付け、日本の都市環境を「改善」しようと試み...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[批評]
「現在最も熱狂的に受け入れられている建築理論と言えば、「他者」と「他者性」というコンセプトである。『Assemblage』、『ANY』などの出版物や、プリンストン、コロンビア、SCI-Arc、AAスクールといった建築教育機関と関わりをもつことの多い、いわゆるネオ・アヴァンギャルドと呼ばれる建築家と批評家は、何らかのかた...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[批評]
カオダイ教とは何か 一九九八年の夏、ヴェトナムを訪れる機会があった。主な目的はカオダイ教という新宗教の聖地を訪れることだった。一九九〇年代に入り、ドイモイ(刷新)政策の追い風を受けて、ヴェトナムの建築・都市研究は過熱し、近代建築や保存すべき古建築の調査は確実に蓄積され、ある程度知られるようになった★一。しかし、二〇世紀...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.155-163
[批評]
痙攣を司る僧侶の死 現時代は、長引く没楽、おそらくは終了不能な没楽の時代である。われわれは禁欲的な僧侶と目を見張らせる驚嘆すべき者とを(決して終わらぬかもしれぬ)終わりに見出すだろうと言ったニーチェの予言は的中したが、後者に限っては、結局緊張下で悪性へと転じてファシストになってしまった。禁欲的な僧侶は、しかし決して変わ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.109-124
[フィールドワーク]
不可視の領域である皇居と、それを円環状に取り巻く都市域によって、長らく「空虚の中心」(ロラン・バルト)としてイメージされてきた東京の都心。この特異な領域をめぐって、ヨーロッパの国際建築展において与えられた“urban voids”なる概念をスプリングボードとしつつ、ここで都市イメージの更新を試みる。すなわち、広大で不可...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.181-192
[批評]
1 風景の使用法 ランドスケープとは「風景」を示すが、そこには習慣的に「自然環境」あるいは単に「自然」との観念的な結びつきが前提とされている。「自然」への耽美的な感情からなのか、公園や庭園をデザインする行為としてランドスケープ・デザインは、「人々の眼を楽しませる贅沢なしつらえ」という以外にその社会的な役割や意味が問わ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[論考]
地図をつくるまなざし 生命とはなにか、という科学的な問いに答えることが問題ではない。ここで問うのは、生命が身体の活動を通してどのように自らの世界を構成してきたかである。ここでの生命とは、社会文化的な活動なのである。人類は気の遠くなるほどの年月、なんらかの表象記号を媒介にして自らの生命を記述する努力をしてきた。洞窟の岩...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244
[論考]
創造活動に携わるいかなる者にもまして、建築家は、未来を予測するよう心せねばならない。たとえ一軒なりと責任を持って家を建てるからには、建築家は差し迫った未来に起こりうる技術的な変化のみならず、生活様式★一に係わる変化を考慮するべきなのだ。まして大規模な住宅計画、さらには一個の街の全部分に係わるプロジェクトに際しては、いっ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125
[論考]
I はじめてアスガー・ヨルンの《コペンハーゲンの終わり》[図1・2]を見たときのことは忘れない。『スペクタクルの社会』の著者であるギィ・ドゥボールとの協働で作られたその作品はポップ・アートの出現に先立つことおよそ五年、様々な商品や広告、タイポグラフィとアクション・ペインティングばりのドロッピングで構成されたものである...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[批評]
六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」というロバート・ヴェンチューリのモットー、ミシガン湖に沈みゆくクラウン・ホールを描いたスタンリー・タイガーマンのフォトモンタージユ、それらによって示されるのは、ミー...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[論考]
情報環境の遍在は人間の活動に新たな流動性と多様性をもたらした。それは建築や都市のあり方や記述形式を変化させるだろう。これまで個別の建築の内側に閉じられていたさまざまなプログラムを外在化し、それらを有機的に連携させることが可能になる。建築の変化には二つの方向性が考えられる。ひとつは、情報技術と連動した大きなユニヴァーサル...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.136-139
[スペイン]
©actar©actar arquitecturaactar:1993年にRamon Pratらによって結成された出版社。もとは『Quaderns』の編集を中心として活動していたが、1994年以降、建築書を中心とする多くのグラフィック本を出版している。2000年、『verb』を刊行(予定)。 actar arquite...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.112-113
[フィンランド]
1966年フィンランドヘルシンキ生まれ。93年ヘルシンキ工科大学卒業。90─92年モナークに参加。91年サナクセンアホ建築事務所設立。現在は妻のピルヨと共同で設計活動を行なう。 マッティ・サナクセンアホは、在学中にモナークというグループでセビリア万博パヴィリオンのコンペ(一九九〇)に勝ちそのキャリアをスタートさせたフ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.100-101
[論考]
二〇〇〇年夏、アメリカ各地のデジタル系建築家、建築や空間にアプローチする情報系研究者の取材を行なった。コンピュータによって作り出される情報空間(この論では広い意味で捉えてサイバースペースと呼ぶ)を形態生成シミュレーションの場とする試みではなく、いかにして現実空間にサイバースペースを組み込み、その相互連動によって新しい機...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.78-83
[翻訳]
一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスムの展覧会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの建築展はすべて重要なサインとして、そこで扱われた建築運動や潮流の意義を保証し、公認するものと見なされてきた。また「近代建築」展で最初の成功をおさめたフィリップ・...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[生産─技術]
日本の建築家なら、だれでも一度くらいは地震のある国で設計しなければならないことを恨めしく思ったことがあるのではないだろうか。ル・コルビュジエは近代建築の原則として「自由」を提唱し、新しい技術と思想がもたらす自由は近代建築の基本概念のひとつとなったが、もちろん建築にはまだまだ多くの制約がある。構築物としての建築が地球上で...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.116-119
[生産─技術]
フランク・O・ゲーリーのこれまでの作品を通じてのいわばターニングポイントとも言える《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(一九九七)[図1]と時をラップさせていたプロジェクトの《ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール》[図2]が二〇〇三年一〇月にオープンした。このプロジェクトは一九八八年にコンペで地元建築家であるゲーリーが...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.128-131
[論考]
歌川広重による浮世絵シリーズの傑作「名所江戸百景」。この一二〇枚ほどの浮世絵は、安政三(一八五六)年から五年にかけて出版された。つまりそこに描かれているのは江戸といっても明治の世からわずか一〇年ほど前の風景ということになる。名所と銘打たれてはいるが、いわゆる名所図会のような単なる有名スポット紹介の絵はあまりなく、どちら...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.76-77
[自然─環境]
風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design」という単語を苦し紛れに「風景設計」と訳したのを覚えている。つまり当時はまだいまのようにカタカナを使った「ランドスケープ・デザイン」という言葉がそれほど社会的に...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[制度─都市]
美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時代とともにアースワーク、インスタレーション、メディア・アートなどへと領域を拡大し、今では漫画やアニメまでが美術館での展覧会の対象となっている。こうなると美術館で...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[制度─都市]
アトリエ・ワンの二人は笑みが絶えない。彼らに論文指導を受けた、とある人曰く「彼らは何にでも笑える人。フツウのできごとでも周りの事柄を取り込んでオモシロク見てしまう人」だそうだ。鉛筆が転がっても笑える女子高校生とはちょっと違う。つまり彼らは、建築環境はもとより、日常生活にいたるまで、ひとつの対象を単独に見るだけではなくそ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始ま...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現したためしはないし、その社会的目標もどれひとつとして達成されていない。現実にぼかされてしまった理想は再開発の悪夢と化し、目標は官僚政策に変わった。社会的現実とユ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチメタファーの形でこそ存在する。最も直接的にそれが示すのはハプスブルク帝国終焉の年月と戦争、そしてその余波のうちの社会状況であり、これは騒然とした崩壊過程であって...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[ビルディング・タイプの解剖学 1]
何も様式や意匠だけが建築史のすべてではない。ビルディング・タイプに絡めて、建物という箱を外側からではなく、内側から論じること。つまり、あるビルディング・タイプに付随する特定の家具、装置、あるいはマニュアル(作法)に注目し、それらがいかに人間の身体を規律化しているのか。そして建築的な操作は他の諸学問といかなる横断的な連結...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.33-35
[論考]
「レム・コールハースは、この先どこへ向かうのか?」この質問の答えを探すのは容易でない。予測不能な彼の内面と、気まぐれな世界経済の動向を計るのは至難の業だからだ。ほとんど不可能といってもよいであろう。しかし、今日彼がどこにいるのか? そして何と格闘しているのか(あるいは何と戯れているのか)?を考察することは、この先の彼...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.90-93
[論考]
一八七〇年代半ばから一八八〇年代前半。本稿では、この時期にパリを舞台に活動した前衛的な画家たちによる、都市を表象した油彩画を主な考察の対象として論を進める。 一八七〇年から七一年にかけて勃発し、第二帝政に終止符を打ったパリ・コミューンと普仏戦争によって破壊された首都、その再建が急ピッチで進行しつつあった一八七四年に、後...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.233-241
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわれてきた。ロザリンド・クラウスによると、古典的なミニマリズム理解とは無時間的で不変の幾何学、つまり「プラトニック・ソリッド」をそこに見ようとするものである★一。それに対してクラウスは、自分を含む、むしろ時間とともに変化する要...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わったのだ」、とわれわれは言うことができるだろうか。ミシェル・フーコーにならってエピステーメーの変容を、あるいはトーマス・クーンを想起してパラダイム・シフトの痕跡...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[アート・レヴュー 1]
今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセルで行なわれるドクメンタがあるが、ドクメンタでは基本的にひとりの総合コミッショナーが作品を決定するのに対し、ヴェネツィア・ビエンナーレは国別の参加となっており、...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[オルタナティヴ・スペース 3]
問題。テラーニやル・コルビュジエにあって、ミースに無いものなんだ? ……答えは屋上。 九八年水戸芸術館において行なわれた「ジュゼッペ・テラーニ」展★一で、彼の建築にはどれを見ても屋上があるのに気が付いた。例えば《ノヴォコムン集合住宅》には、小さなコンクリートブロックでイモ貼りにペイブされたテラス、外壁に連続するパラペッ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.32-34
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[論考]
1 皮を剥がれた建築 建築物をひとつの身体に喩えるならば、皮膚にあたるのは外壁である。建築物が時間の手に晒され続ける限り、傷や病、あるいは老いは、不断にその皮膚を脅かし続けることとなる。しかし、この建築の外皮へ、あるいは内部と外部との境界を巡る病理へととりわけ執拗な眼差しが注がれたのが、一八世紀の「紙上建築」という分野...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.218-224
[翻訳論文]
建築は常に、とりわけその安定性と秩序の供給のために価値づけられた中心的な文化制度である。これらの質は、その形態の構成上の幾何学的純粋性から生じるように思われる。 建築家は常に、純粋形態、そしてすべての不安定と無秩序が除かれたものから物質をつくることを夢見てきた。建築物は、キューブ、シリンダー、球、コーン、ピラミッド等と...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である。 ハンナ・アレント「公的領域と私的領域」 単なる建築の域にとどまらない超建築的、アート的な都市プロジェクト...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[論考]
* ダン・グレアムは、一九八九年から九一年にかけて、DIAセンター・フォー・ジ・アーツのビルの屋上を作り変えた。それが、有名な《Roof Top Urban Park Project / Two-Way Mirror Cylinder Inside Cube》である。 ギリシア語で「through」を意味する名を冠した...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.112-118
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえているのはヴァーチュアリティにほかならない! ロバート・ヴェンチューリの小屋の装飾★一は、たとえその形態が変容を蒙っているのだとしても、情報建築として終末論的な...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[論考]
1 一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初期の写真を想起しよう。ニエプスによる窓から見える納屋と鳩舎の眺め[図1]、タルボットによる格子窓の映像は[図2]、写真の起源として長く記憶されてきた。そのいささ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[批評]
本稿は、M・クリスティーヌ・ボイヤーのCybercities最終章にあたる“Electronic Disruptions and Black Holes of the City”の中のテキスト「暴力のテクノロジー“Technology of Violence”」と題された末尾部分と、そのあとに続く本書全体の結論部分とを...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.123-136
[批評]
以前渋谷駅に近い明治通り沿いのスパゲティ屋の上に、バッティングセンターの篭が乗り上げたような建物があった。脇の坂を上がると二階部分にあるバッティングセンターの入り口で、敷地奥から明治通りめがけて打つようになっており、奥行き一・八メートルぐらいのスパゲティ屋の客席は、間口いっぱいに広がって路上で食べる臨場感があった。スパ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.92-94
[翻訳論文]
基本の仮説 図が示すように、はっきり「公園」と呼べるものを作るにはラ・ヴィレットの敷地は小さすぎ、逆に今回のプログラムは大きすぎる。公園というのは、公園としての楽しみを満たすのに最低限必要な施設を設けた、自然のレプリカになっているのが普通だ。ところがこの「ラ・ヴィレット公園計画」では、さまざまな社会機能が鬱蒼とした森の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.105-116
[論考]
客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そうして彼は対象に対する自分の関係をその対象へと転嫁し、認識のみを目的とした全体としてこれを把握するのだが、そこにおいてはすべてのインタラクションは象徴交換へと還...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[論考]
一九五七年、シチュアショニスト・インターナショナル創設の前夜、ギー・ドゥボールは二つの異色なパリの地図を制作した。彼の友人でもあったデンマーク人画家のアスガー・ヨルンの助力を得て作られた『恋愛の情熱についてのディスクール』は独特の折り畳み地図であり[図1]、一方の『ネイキッド・シティ』[図2]はヨルンの一九五八年のパン...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.85-92
[批評]
美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自らを委ねる。 ──ジョルジュ・バタイユ「美術館(ミュゼ)」 ジェームス・スターリングの建築に関する最近の論文で、コーリン・ロウは、シュトゥットガルトの新しい《...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[都市表象分析 20]
1 「都市とその起源」 写真家畠山直哉には、石灰石鉱山を扱った連作《ライム・ヒルズ》(一九八六─九〇)、《ライム・ワークス》(一九九一─九四)、《ブラスト》(一九九七─九九)がある。《ライム・ヒルズ》は採掘場、《ライム・ワークス》は石灰精製工場およびセメント工場を被写体とし、《ブラスト》は石灰岩の山をダイナマイトで爆破...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.2-12