ル・コルビュジエ
美術館|1959年
[インタヴュー]
戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだった...ス的空間、すなわち弥生的空間ではなく、ル・コルビュジエの少しねじれた空間のほうが面白いという...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[論考]
...めに用いられる。その手がかりとしては、ル・コルビュジエの有名な定義、「住宅は住むための機械(un... ...築論にもなっており、興味深い。 ★二──ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉坂隆正訳、鹿島出...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[インタヴュー]
...る近代建築史のストーリーとして、例えばル・コルビュジエのアトリエに前川國男さんや坂倉準三さん... ...ッドが浮かんできた理由は、彼の場合は、ル・コルビュジエを通じてモダニストになったにもかかわら...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...少し差をつけた。アーバン・デザインは、ル・コルビュジエなんかの言う「ユルバニスム」の英訳だと...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[生産─技術]
...どゼロに近づけることも可能となった。 《国立西洋美術館》の免震レトロフィットは一九九七年に完了... ...採用されている。そしてその意味において《国立西洋美術館》における免震の、先駆けとしての成果は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.116-119
[鼎談]
...か、という側面があった。ピロティによる《国立西洋美術館》に、免震レトロフィットが採用されたこ... ...では、結局最も自由でなかったんですね。《国立西洋美術館》は免震レトロフィットの国内第一号なわ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
...かも知れない)。 閑話休題……。上野の《国立西洋美術館》──その建設のさらに半世紀ほど前にル・... ...は次号に譲ろう。 1──ル・コルビュジエ《国立西洋美術館》 19世紀ホールのスケッチ2──M博物館増改...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[White Page]
...園内に向き合って立つ「東京文化会館」、「国立西洋美術館」のように、近年大がかりな改修工事が行... ... 上野公園 SRC 3+1 1968 美術館 国立西洋美術館 台東区 上野公園 RC 3+1 ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.144-149
[都市表象分析 25]
1 写真という仮説形成の場 写真家森山大道が新宿を彷徨いながら行なう撮影行為は、さながら狩りに似ていた★一。荒野のような、あるいはアジールとしての森に似た都市空...─アビ・ヴァールブルクのイメージの宝庫』国立西洋美術館、一九九九、二三七─二四五頁)。 ★七─...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.2-13
[会議2日目「福利更正」]
...ィを介して間接的に道路とつながるのだ。ル・コルビュジエがピロティのテーゼとした「地表の解放」... ...市と建築』(法政大学出版局、1992)7──ル・コルビュジエ《ユニテ・ダビタシオン》のピロティ URL=ht...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.108-109
[都市の傷痕とRe=publik 8]
...タイル」のプロモーターでありながら、「ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエが建築と... ...が残る。「美─醜の判定」者としてのPJ。ル・コルビュジエと同じく「唯一の視線」による銃撃★二。キ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を...結び続けてきた。よく知られているようにル・コルビュジエは自らの都市計画を巧妙に田園都市の中に...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[トルコ]
1956年トルコ生まれ。イスタンブル工科大学建築学科修士課程修了。1982年からトルコの老舗新聞『ジュムフリ エット(共和国)』に、日替わり漫画を連載。戯曲《ビ...村の家は造れるか? トルコ、といって、ル・コルビュジエが感動したモスク群やブルーノ・タウトを...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.120-121
[翻訳]
高名だが高齢の科学者が、それは可能であると言えば、彼はほとんど確実に正しいことを言っているが、それは不可能であると言えば、間違っているのはまず確かである。 アー...複数性、流動性、他者性を主張して、私はル・コルビュジエの言葉をこう言い換えたい。「建築とは、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[グローバリズム 5]
...み)でなく時間の函数ともなる。チャンはル・コルビュジエやミースに影響されたという、彼のどの建... ...西欧や日本のプランナーにとって、これはル・コルビュジエも羨むような「ユートピア」なのか、ある...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
...ッパでは、ヒロイックな建築家像を演じたル・コルビュジエが亡くなっていた。 近代の矛盾が一斉に噴... ...ヨーク・ファイブ」の一員とされ、彼らはル・コルビュジエを展開させたようなフォルマリスティック...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[インタヴュー]
...興味のひとつでした。 柄沢──具体的にはル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエが提示し... ...す。それでああ、これだと思って。それがル・コルビュジエのような、なにか大きな意味でのモダニズ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[現代建築思潮]
...印象が余韻として残ったんですね。例えばル・コルビュジエの建築を見たとき、視覚的に建築を見てい... ...ールディング的なものに近づく。反対に、ル・コルビュジエの《ラ・トゥーレット修道院》にもフォー...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[香港]
アーロン・H・H・タン Aaron H. H.Tan:1963年シンガポール生まれ。1994年、レム・コールハースとともにOMAアジアを設立し、翌年より同ディレ...理由こそがOMAアジアのコンセプトである。ル・コルビュジエを分析し尽くし、『デリリアス・ニューヨ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129
[都市とモードのフィールドノート 3]
...式である。マーク・ウィグリーによると、ル・コルビュジエが発表したマニフェスト『建築へ』は旧弊... ...もデザインしたことからも明らかだろう。ル・コルビュジエも流行の黒人ダンサー、ジョセフィン・ベ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 4]
...建築の原理を強力に示しているがゆえに、ル・コルビュジエのドミノを連想させるだろう。しかし、前... ...し、後者は規則正しい幾何学にもとづく。ル・コルビュジエのドミノは、機械が建築のモデルだった時...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[ポストモダニズムと建築 8]
...このテクストのアップデート版といった体裁の"Le Corbusier's Venice Hospital and the Mat Building Revival"★六が二〇... ...り詳細な議論がある。 ★六──Hashim Sarkis ed., Le Corbusier's Venice Hospital and the Mat Building Revival, Prestel, 2001.(...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.41-43
[建築家的読書術]
当たり前のことかも知れないけれど、本を読んだり、展覧会に行ったり、映画を見たりするときに、建築に役立つかどうかということは特に考えない。自分の素朴な好奇心に任せ...んだときに、この向こうにこそ、近代を、ル・コルビュジエを超える何かがあるに違いないと思ったの...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.102-103
[批評]
六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」とい...ジーの住まうことの文化への組み入れは、ル・コルビュジエが行なっていた建築と機械とのアナロジー...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[建築を拓くメディア]
カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、あ...アトリス・コロミーナが指摘したように、ル・コルビュジエは『エスプリ・ヌーヴォー』誌上で、本物...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...構成』と『現在の構成』、宮崎謙三によるル・コルビュジエの『建築芸術へ』の邦訳出版も、小池の示...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[批評]
0エイドスとイデア 「なぜなら、エイドスとは日常の言語では、私たちの感覚的な目に見える物が、提供する容相を意味しているからである。にもかかわらずプラトンは強いて...ェアである。バルセロナ・パヴィリオン、ル・コルビュジエの実現しなかった別荘、教会、神殿そして...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.76-89
[批評]
われわれは激変を予見したか? 読者に対しここで提供される四つの短い断章のうち、三つはアーバン・スタディーズの論文に、ひとつは(そのような分野があるのならばだが)...自治体管理の墓地になっているところや、ル・コルビュジエ的な「自由な空間」に埋葬されていたりす...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.161-177
[インタヴュー構成]
山田脩二 ──建築を撮るようになったきっかけは何でしたか。 山田──もう四〇年も前です。一九五八年から二年間、桑沢デザイン研究所でデザイン全般の基礎教育を受けた...う分野自体に魅力がありますね。たとえばル・コルビュジエの作品やケーススタディハウスって、ほと...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[建築を拓くメディア]
あなたの利き目は右? 左? と訊かれて、迷わず即答できる人はそんなに多くないだろう。近くの物を見ながら片方ずつ目を閉じて、両眼で見ているときと同じ映像が見え...の建築写真については、『X-Knowledge HOME』「ル・コルビュジエ パリ、白の時代」(エクスナレッジ、二...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.140-141
[建築を拓くメディア]
建築ガイドブックのすすめ──総論にかえて 学生であろうとなかろうと、およそ建築を志すすべての人のなかで、建築を訪れ、巡り歩く(そう、まさに巡礼という言葉がふさ...る。今回取り上げたガイドブックのうち、ル・コルビュジエやアルヴァ・アアルトなどの巨匠の作品群...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.136-139
[建築家的読書術]
研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場...のがあった。丹下健三と川合の関係に私はル・コルビュジエとクセナキスの関係をダブらせて見ている...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...るテクストはおもしろくないなと思った。ル・コルビュジエの『建築をめざして』や、篠原一男の『住...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[翻訳]
...とつの記号である。槇はドライに記す。「ル・コルビュジエは都市的な建築をつくり出す人間性を『空... ...代後期、シンガポールの建築家たちは──ル・コルビュジエ、スミッソン/チームX、そして槇に由来...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[建築を拓くメディア]
コンペが現代建築史で果たしてきた重要な役割については、あらためて強調するまでもないだろう。それは勝者だけの歴史ではない。《シカゴ・トリビューン社屋》でのグロピウ...屋》でのグロピウス案や《国際連盟》でのル・コルビュジエ案がそうであったように、むしろ敗者の案...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[建築を拓くメディア]
森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の...ーエに範をとったスカイスクレーパーや、ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》を範型とする...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.132-133
[素材─構造]
スティーヴン・ホールの設計による《サルファティストラート・オフィス》は、外観を構成する銅板のパンチングメタルと、ところどころに穿たれた、大小さまざまな開口部が印...ィス》(一九九一、ニューヨーク)では、ル・コルビュジエの《ロンシャンの礼拝堂》から強い影響を...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.104-107
[論考]
...、ル・コルビュジエ『ユルバニスム』(樋口清訳、SD選書、一九六七)より引用。ル・コルビュジエに対...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125
[批評]
...だろう★五四。 ボイゴンとクインターは、ル・コルビュジエの建築の五箇条を借用し、五つの道具に変... ...り方ではあるが、「建築か革命か」というル・コルビュジエの主張の記憶は彼らのテキストからは単純...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[論考]
...こまでも建物が続くのではなく、超高密なル・コルビュジエの「輝く都市」★一を見るようであるが・... ...イルとは言えないのである。 註 ★一──ル・コルビュジエ『ユルバニスム』(樋口清訳、鹿島出版会...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.133-143
[論考]
...持するという計画。そしてもうひとつは、ル・コルビュジエに代表されるように、反対に、人口集中に... ...団地は、ハワードの田園都市の考え方と、ル・コルビュジエによる高密度都市の考え方を混在させてい...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.146-153
[論考]
...れる」という、ハイモダニズムを象徴するル・コルビュジエの有名なテ─ゼと比較せよ)、「すべての... ...ィティの発見にはまったく失敗している。ル・コルビュジエのヴォアザン計画からルチオ・コスタとニ...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[千年王国論(四)]
...ARGE BUILDINGS IN EUROPE"と題されていた。かつてル・コルビュジエがニューヨークを初めて訪れた時に言った... ...カテゴリーを提示しているとも思えない。ル・コルビュジエがマンハッタンに関して述べたセリフを借...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175
[批評]
...まう。 飛行機の文明を謳いあげた建築家、ル・コルビュジエも忘れてはならない。彼は初めて飛行機に... ...─『近代都市と芸術』一九九六年。 13──ル・コルビュジエ『プレシジョン(上)』(鹿島出版会、一...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[対談]
...「復原」するといえば、先日展覧会でみたル・コルビュジエのペサックとレージュの住宅群も徹底して... ...近代で知っているのはガルニエ、ペレー、ル・コルビュジエ、マレ・ステヴァン、後はソヴァージュと...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[批評]
...た。「グロピウスは穀物サイロについて、ル・コルビュジエは航空機についての本を書いた。……しか... ...ケールと社会的コミュニティの発想の面でル・コルビュジエのハウジング計画の影響を深く受けている...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[日本]
...に不思議な感覚を送り届ける。私の場合はル・コルビュジエが最初に描いた《暖炉》(一九一八)とい... ...ヨーク・ファイブにとって白い壁は、初期ル・コルビュジエの「透明な言語」に専念する意思表示だっ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.162-163
[スペイン]
...ている。 註 ★一──ダリは二一歳の時にル・コルビュジエと会食し、「あなたは建築の未来について... ...erreros, Areas of Inpunity, Actar Publishers, 1997. ★四──Le Corbusier. Rascacielos, Ayuntamiento de Madrid, 1987. ★五──Tecnica...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.110-111
[建築を拓くメディア]
...は、ル・コルビュジエへの言及が繰り返されることで、これだけ拾い読みしてもル・コルビュジエのエ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.126-127
[インタビュー]
...まうエレメントだと思うのです。例えば、ル・コルビュジエのドミノのスケッチでも、階段があるがゆ... ...しようとするアイディアですよね。例えばル・コルビュジエのドミノのスケッチであれば二枚のスラブ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[批評]
...ものでもない。クンスタルのガラス床は、ル・コルビュジエのメゾン・クラルテ? あるいはヴェンダ... ...に占拠されて建 築学部でさえ「建築家ル・コルビュジエの功罪」をテーマに学生に論文を書かせて...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.80-89
[論考]
...る。ロシア・アヴァンギャルドの「星」とル・コルビュジエにいわしめたイワン・レオニドフである。... ...ド上の区画にリシツキーやマレヴィッチ、ル・コルビュジエ、RCAビルそしてカリガリ博士やダリが...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
...あり、さらに、二〇世紀、近代建築の旗手ル・コルビュジエの最も重要な作品はアルテミス社刊行の「... ...ると言っていいかもしれない。ちなみに、ル・コルビュジエの絶筆となったテクストは「思惟のほかに...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.126-135
[論考]
...ム以降であれば、未来派のドローイング、ル・コルビュジエの《シトロアン住宅》、ミース・ファン・... ...ないが、二〇世紀以降、《サヴォア邸》(ル・コルビュジエ)、《チューゲンハット邸》(ミース・フ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[シンポジウム]
...ゃったピュア・モダンに関しては、例えばル・コルビュジエ、あるいはバウハウスは工場、サイロ、自... ...、その態度は継承しているのではないか。ル・コルビュジエが五〇年遅く生まれていれば、アーキグラ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...に支配されていた。モダニズムというのはル・コルビュジエが自由な表層と言いながら、プランからフ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...、ヴィトゲンシュタインの論理実証主義やル・コルビュジエ、グロピウスが行なった近代建築や都市計...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[論考]
...当てられ、焼け野原というタブラ・ラサにル・コルビュジエを模して勝手気侭に引いたお遊戯的都市計... ...たものであった。当時の坂倉は日本で最もル・コルビュジエに触れた近代建築の作家と目され、海軍と...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[論考]
...は『マニエリスムと近代建築』において、ル・コルビュジエの建築に代表される近代建築の特質を「虚... ...(=知覚的な透明性)が獲得されるようなル・コルビュジエの建築における知覚体験を「虚の透明性」...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.96-97
[対談]
...言いたい。まず自分の部屋を公開してからル・コルビュジエが云々とか言ってくれって。自分がそうい... ...い(笑)。まあ、たとえ六畳といえども、ル・コルビュジエの椅子が二個だけピッとあったりとかして...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.54-72
[批評]
...・ライトは言うまでもなく、グロピウス、ル・コルビュジエらの年上の巨匠たちによってこの頃設計さ... ...ピウスは穀物サイロについて本を書いた、ル・コルビュジエは飛行機について書いた、そしてシャルロ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[批評]
...列として抽象化してしまったのと同様に、ル・コルビュジエは「住む」という身体運動の奔放な「動き... ...もに、一九三〇年代のことである。そう、ル・コルビュジエが住宅を「住む機械」であるといったよう...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.122-131
[論考]
...い。おそらくカウフマンの『ルドゥーからル・コルビュジエまで』★二が端的に示すように、彼は近代... ...。 ★二──E・カウフマン『ルドゥーからル・コルビュジエまで』(白井秀和訳、中央口論美術出版、一...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.172-184
[論考]
...ワードの《田園都市》に端を発しており、ル・コルビュジエの《輝く都市》もまた「緑地=人間」を仮... ...市」計画の形成においても、E・ハワード/ル・コルビュジエを通して同じことが生じたのだと考えられ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.52-58
[論考]
...味あふれるシンパシーに満たされる★八。ル・コルビュジエの言う「もの見ない目」を開くには、こう... ...る建築家が興にまかせて撮ったショット(ル・コルビュジエの『東方への旅』の際のスナップを想起さ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[批評]
...としての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュ ジエ』、松畑強訳、鹿島出版会、一九九六)に... ...が主体を生み出す見る機械であったことをル・コルビュジエ とアドルフ・ロースの建築にのっとって、...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[論考]
...れた都心部タイプの住居棟の配置計画は、ル・コルビュジエのルダン型住居に影響を受けている。その... ...ると書かれている。先年の森美術館での「ル・コルビュジエ展」でも、空爆の危険への対処として、高...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現...画に結びつけ、そのキュービズム的平面はル・コルビュジエのガルシュ邸で建築に翻訳された。だが、...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[ポストモダニズムと建築 2]
すくなくとも近代の成熟期にいたるまで、近代主義には一定の規範が存在し、機能していた。しかしあらためて考えてみると、そうした近代主義の規範はおよそ信じがたいほどに...《ヴィラ・ガルシュ》の立面に代表されるル・コルビュジエのトラセ・レギュラトゥール(基準線)の...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.40-42
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったた...年代のダッチ・モダニズムの時期である。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエのように...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[都市表象分析 18]
1 建築の「情念定型」 アルド・ロッシの『学としての自伝』(邦題『アルド・ロッシ自伝』)は、この建築家の記憶のなかの断片化されたイメージが、夢のメカニズムにも似...、ファシズムばかりでなく、ルドゥーからル・コルビュジエ、あるいはルイス・カーンにいたる「あら...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.2-12
[ポストモダニズムと建築 5]
建築が計画されるプロセスにおいて「そこで何が起きるか」という想像が止むことはない。どのような建築計画もいささか頼りないこの予測的想像力に基礎付けられている。建築...ヴィラの数学」★二においてパラディオとル・コルビュジエを並べた視点は、驚くべき符合というより...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.43-44
[ミュージアム・テクノロジー随想 4]
四回連載の本コラムも最終回である。毎回、遊歩者のようにとりとめのないことを書き付けてきたが、結論へと線形に展開するテクストを書くことは最初から想定していない。 ...た「メディアとしての建築」展の図録に、ル・コルビュジエの絶筆「思考のほかに伝えうる何ものもな...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.39-41
[モノとマチの向こうに見えるもの 4]
はじめに 最近、身の回りで愛好者が増えているポータブルミュージックプレイヤー「iPod mini」の裏面にある「Designed by Apple in Cal...。「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジエのことばも、字面だけを追った解釈は危険...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.29-31
[トキョー・建築・ライナーノーツ 5]
ニュータウン 九月から筑波大学の専任講師になり東京と筑波を往復する生活を始めた。南北一八キロメートル、東西六キロメートル。山の手線の内側とほぼ同じ大きさの筑波研...は、昔読んだ都市計画の教科書のようだ。ル・コルビュジエの三〇〇万人都市やガルニエの工業都市の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.55-58
[現代住宅研究 5-3]
安藤忠雄による《住吉の長屋》は、木造長屋にコンクリート打放しの箱が挿入されたものである。裸の構造体であるコンクリート打放しの壁によって、周辺環境の影響を蒙らない...は、図らずも(?)安藤の平滑でもなく、ル・コルビュジエのブルータルでもないコンクリートの表情...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.39-43
[都市とモードのフィールドノート 4]
建築とファッションの境界が揺れ動いている状況を見てきた。 表参道や六本木には有名建築家の手になるブランドの旗艦店が林立し、そこは高価な商品とともに現代建築をも消...くシンプル極まりないデザインはミースやル・コルビュジエを身体化した印象を受けるほどだ。彼女は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.34-36
[景観の視学/史学/詩学 5]
「まちづくり」に際して、ことさらコンテクスチュアリズムを標榜せずとも、界隈を表現するために使われてきた言葉を確認するのは必須の作業だ。とはいえ街のイメージは往々...動半径もけっして広くなかった。たとえばル・コルビュジエが「ヴォワザン計画」(一九二五)で、老...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30
[都市表象分析 7]
1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都...・フェリスによる摩天楼のドローイング、ル・コルビュジエのヴォワザン計画の模型のほか、世界貿易...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選ん...タナティヴが発見される。大野秀敏は「(ル・コルビュジエの)『三〇〇万人のための都市』に代わる...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[大島哲蔵追悼]
記憶に棲むオブジェ 今日はタイポロジーをめぐって、アルド・ロッシからドナルド・ジャッドまでお話する予定です。まずはオーソドックスな話から始めましょう。 私はか...ですが、いろんな人に影響を与えていて、ル・コルビュジエもモスクワのソビエト宮のコンペの時に採...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.181-191
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した...ちは強く反対しました。「FUNCTION MIXER」はル・コルビュジエや丹下健三などのような都市イメージを、パ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[部屋の文化研究 4]
この連載は連想ゲームのようにして続く。主題は最初の回の終わりに書いたように、個々人の空間である「部屋と部屋が助け合わなければならないとき、どんな新しい仕掛けが発...さんは「住宅は住むための機械」と言ったル・コルビュジエばりに「住まいは住むための道具」と言い...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.34-36
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...続けてきました。 日埜──森ビルの社長がル・コルビュジエのファンだと公言するご時世ですから、「...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[『日本の民家』再訪 7]
島に居ること 伊豆大島を含む伊豆諸島は、フィリピン海プレートと本州との衝突によってうまれた褶曲の峰のひとつである。海面より露出したその島々の姿の直下に、ヒトの想...とU研究室であった。吉阪はフランス帰り、ル・コルビュジエの弟子でありながら、大学内では今和次郎...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.12-27
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...方を不思議に思っています。僕はこれは、ル・コルビュジエに心酔している丹下健三に日本浪漫派に関...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[図版構成4]
二〇世紀は発展と膨張の時代でした。一九世紀末に産業革命の技術的成果が出そろい、その果実が一般大衆にも分かち与えられ、人口が増え、生活水準も向上し、市民社会の理念...現実化しました。エベネザー・ハワードやル・コルビュジエなどの建築家は、二〇世紀のために都市の...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.168-171
[福岡]
福岡リビングコンディション 「福岡リビングコンディション(以下FLC)」は、第二回福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇二に招待されたアトリエ・ワンと九州芸術工科大... ブリーズソレイユ(日よけ)がオシャレなル・コルビュジエ風(?)団地 • 那珂川の土手の内側が埋...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.156-171
[会議4日目「国土改造」]
清水──本日のレヴューでは、まずそれぞれのチームのデザイン手法について議論し、その後、最も大きいスケールの問題提起である四日目の会議「国土改造」で提案した「Fu...いなものかと勘違いしてました。 中谷──ル・コルビュジエ《ユニテ・ダビタシオン》のピロティが一...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代...層が建つという計画です。このグリッドはル・コルビュジエの考えるオープンスペースのなかのタワー...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[CONCEPTUAL 日本建築 2]
07 四帖半 4 1/2 sheets TATAMI ROOM 私性はここで育まれた 『四畳半襖の下張り』という春本(好色文学)が知られている。文豪・永井荷風...これをブルータリズム(野獣派)とよぶ。ル・コルビュジエはガラスブロックを鋳込んで採光にあてた...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.208-221
[現代住宅研究 6-2]
だれもがそれに制限されざるをえない習慣に心をひかれます。それは、私たちが抗いながら仕事をせざるをえない身体性というものを示している。イメージの記憶を活性化するう...」の持つ避け難さへの抵抗だと言えるし、ル・コルビュジエの水平連続窓から、ミースのガラス壁、そ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[技術と歴史 5]
素材と技術革新 安田──今日お話しすることは「ものづくり」の経験から得た素材に関連した話です。これまでさまざまな建築に出会って大きな影響を受けてきましたが、影響...五年生まれで、《リンカーンセンター》やル・コルビュジエやオスカー・ニーマイヤーと共に《国連ビ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[視覚の身体文化学 2]
1 ジェームズ・J・ギブソン(一九〇四─七九)はけっして〈色の知覚の生態学〉を放棄していなかったこと。それどころか、世界の表面はカラフルであり、色はわれわれが生...する★二。 レジェの構想は「輝く都市」(ル・コルビュジエ)ならぬ、色めく都市と呼べるだろう。そ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.33-34
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...ラブクラブハウス》(一九九七)である。 ル・コルビュジエは直線と直角の美学を唱え、ロバは目的が...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ム...です。マテリアルと普遍性という対比は、ル・コルビュジエの時代にもあるので決して新しい問題では...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[CONCEPTUAL 日本建築 5]
25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことが...ストックホルム市庁舎の設計者)やペレ(ル・コルビュジエの師)を論じられたようだが、ある日、そ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319
[1990年代以降の建築・都市 16]
過防備・景観法・北朝鮮 二〇〇五年五月、平壌を旅行した。 わずか数日の滞在だったとはいえ、興味深い経験だった。単に建築関係者で北朝鮮を訪れた人が少ないからではな...とんど同じ場所を訪れている。同誌では、ル・コルビュジエの「輝く都市」やヒルベルザイマーの「垂...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.23-25
[論考]
「Vertigo(眩暈)」の展覧会テーマに合う、現代の日本建築を教えてくれないか? と尋ねる英国人建築家へ返信のメール。 君もよく知っている妹島和世さんの集合住...後時代は下り、国は異なっても同じこと。 ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンや英国の数々の低...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115
[Yellow Page1]
アトリエ・ワン&リサイクル・エクスプロージョンズ Atelier Bow-Wow & Recycle Explosions 塚本由晴、貝島桃代 ───── 山本...の提案。(SN)17:屋上天国 かつて建築家ル・コルビュジエは近代建築5つの要点のひとつに「屋上庭園...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.65-79
[論考]
「私」の複数性 ここ近年の、メディア・テクノロジーの進展と変容によって、わたしたちのコミニュケーションのかたちは大きく変わったように見える。あまりにも手垢にまみ...に、単位についての考察が不可欠である。ル・コルビュジエが、自ら考案した住居集合モデルをユニテ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.145-157
[論考]
近年都市の再生(リストラクチャリング)が、国家政策の観点から重要な項目へと浮上している。しかしそれを巡っては必ずしも従来型の官主導の公共投資を中心とした都市開発...てみるに近代都市のヴィジョンは、例えばル・コルビュジエの都市計画に端的にあ らわされているよう...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.153-157
[翻訳論文]
...ラストレーション、no.14, n. d. 1922−23) 出典=Le Corbusier et Pierre Jeanneret, OEuvre Complète 1910-1929.2——藤井博...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[column]
二〇〇〇年九月に東京へ来たとき、わたしは二つの場所のうちのどちらかに住みたいと思っていた。黒川紀章の設計した《中銀カプセルタワービル》か、渡辺洋治の設計した《第...。 実際のところ、このデザインのルーツはル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》、船に対する...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.130-134
[批評]
第一次大戦に関連して特別な交通形態が構築される際──アウトバーン、それは自己躍動する軌道上の冷静な走行──、血管のような網の目状のものが繰り広げられ、そのなかで...を継承している。《移動のための機械》。ル・コルビュジエの描いたリオデジャネイロを「貫く」アウ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.128-139
[批評]
一九世紀のあいだ、そして二〇世紀になってからもしばらく、ヨーロッパの有力者たちは、人類は生物学的衰退に向かって(あるいはすでに入って)いるという懸念を表明してい...のほとんどはこのテクストに求めている。ル・コルビュジエやミースが平らな表面をむきだしにし、つ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.155-160
[論考]
アルビンに初めて会ったときのことをお話ししたいと思います。その時彼はシカゴについてのレクチャーをしていました。彼は、詩人のように理想的にシカゴのスカイラインにつ...ンによれば、フランク・ロイド・ライトとル・コルビュジエの両方によって霊感が与えられたものだそ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.224-230
[論考]
ルネ・マグリットの一連のデッサン《これはパイプではない》を分析しつつ、ミシェル・フーコーはその中に自己破壊に至るまで逆立ちさせられた一種の〈カリグラム〉を認めて...てでなくては克服しえない。それは後年のル・コルビュジエがはっきり気づくことになったように、綱...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[都市史/歴史]
...在クロアチアのドゥブロヴニクは、1956年にル・コルビュジエらによるCIAM(近代建築国際会議)が最後に... ...モアのユートピア、ガルニエの工業都市、ル・コルビュジエの垂直都市。そしてアーキグラムやジャン...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[風景の修辞学 1]
1 風景が都市を生む すべての都市は見る人からおのれのかたちを受け取る。ひとつの都市のかたちは無数にある、といってもよかろう。そのかたちは表象として想像力にしみ...き残っていた。見かけはともかく、やがてル・コルビュジエの神経を苛立たせた不健康な街、パリは決...
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政...ものであった。言うまでもないことだが、ル・コルビュジエやミースによって代表されるモダニズムの...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[インタヴュー]
1 伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作...ある。例えばCIAMでのハンネス・マイヤーとル・コルビュジエの違いのようなことは古くからあり、いま...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[翻訳]
...る不安の反映がある」。Emil Kaufmann, Von Ledoux bis Le Corbusier. Ursprung und Entwicklung der autonomen Architektur, Vienna an...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.80-99
[非都市の存在論 7]
1 都市と死──記憶のエクリチュール 建築家であり、かつてユーゴスラヴィアの首都ベオグラードの市長も務めたボグダン・ボクダノヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア連邦一...建築の起源としてのパルテノンと遭遇するル・コルビュジエは、この神殿を〈恐るべき機械〉と呼んで...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.16-27
[千年王国論(六)]
これまで、千年王国に関しては、ユートピアとの対比において位置づけてきたつもりである。この場合、ユートピアとは現実の彼方にある別世界として考えられていたのではなく...本主義的な生産手段の位置づけと等しい。ル・コルビュジエのユルバニズムの手法はこの手術の典型的...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[建築とイマージュ 7]
1 例えば、フランス語のscène(舞台、場面……)という語について情報を得るべく辞書を開いてみるならば、そこに挙げられている様々な用例は、ごく普通に流通してい...体系──より具体的には、その批判であるル・コルビュジエの言説やデッサン──の中で形象化される...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.30-32
[建築の解體新書 4]
空間の創出と喪失に関するメモ……中谷礼仁 はじめに 前回の岡崎氏の論旨は、日本語、というか、漢字にからみつくテニヲハのはたらきを、主体的感情(空間)を生み出す...トのカムバック、アアルトの登場、そしてル・コルビュジエの著しい方向転換などが続き、つまりこの...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.13-26
[都市の傷痕とRe=Publik 7]
今から七〇年前(一九三〇年)、エルンスト・カッシーラーは「形式と技術」という論文のなかでこう書いている。 技術は「責務を果たさんとする思い」の支配下にあり、労...ーラーからすると、とりわけグロピウスやル・コルビュジエらに対する評価は次のようになる。「彼ら...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.35-36
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...に思えるかもしれない。しかし、古代からル・コルビュジエまで屋上庭園は存在するし、なによりも本...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[建築とイマージュ 2]
建築をその二次元的な画 像(イマージユ)の形に還元した上でそこからさまざまな 隠 喩 (メタフオール)を読みとる、建築に対するそうした理解の仕方には可能な限り禁...かち持っていたのであるし、グロピウスやル・コルビュジエは厳密に機能主義的な建築を根拠づけるた...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.31-33
[建築の言説、都市の言説 1]
建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとか...的で全体性のあるものに押し上げて行く。 ル・コルビュジエは一九二三年に『Vers une architecture』を出版...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...ーマのコロッセウムといった古典建築からル・コルビュジエやルイス・カーンの住宅といった現代建築...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[対談]
実験住宅と社会的大儀 中谷──「実験住宅」という特集の企画趣旨を聞いたときに、「実験」なんて誰でもしているじゃないかと思ったんですね。町場の大工のみならず日曜大...社会改良的な関心からきていますねよね。ル・コルビュジエのドミノもそうだし、トロッケンバウなん...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなか...事業としての側面があるんだ。それこそ、ル・コルビュジエのムンダネウム計画を思い出してみればい...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[論考]
0 メガロポリスとオーガニゼーション・マン 一九四二年、鉄道でアメリカ北東部を旅していたフランスの地理学者ジャン・ゴットマンは、ヨーロッパには見られないような数...第六回CIAMに参加して以降、ギーディオン、ル・コルビュジエ、セルト、グロピウスとともに「committee of ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[リード]
「アルゴリズム的思考と建築」という特集を組むにあたって、まず建築におけるアルゴリズムとは何かを正確に定義しなくてはいけないだろう。アルゴリズムとは言葉の正確な定...理主義、人間的な価値を限りなく称揚するル・コルビュジエの建築論に見て取ることができる。一方で...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.70-71
[論考]
I スナップショット 「郊外」を語ることは、ポストモダニティの文化のなかにおかれた「観光」を語ることに似ている。いうまでもなく、すでに観光と呼ばれる行為じたい... が外部の都市と自らを切断するやり方は、ル・コルビュジエに代表されるようなユートピックな動機を...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.148-156
[建築の還元 2]
...れてきた。その延長で、コーリン・ロウはル・コルビュジエの《シュタイン邸》とパッラーディオの《... ...込んでしまっているのである。私は以前、ル・コルビュジエの「ソヴィエト・パレス」案のCGを見たこと...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[技術と歴史 1]
...一八八三年生まれですからグロピウスとかル・コルビュジエなんかよりも五、六歳上ですね。僕はシャ... ...クだと思いますが現在は売っていません。ル・コルビュジエなんかも同時期に使っています。このガラ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[論考]
... ル・コルビュジエも、植民地を自身の活動の場と捉えていた建築家のひとりである。ル・コルビュジエ... ...一。 5──ウエ・ウーシャイアの住宅 出典=Le Corbusier, Œuvres Complète, t. IV6──カルサのブリーズ・ソ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.195-204
[批評]
...今回の特集において、ル・コルビュジエの階段にどのような位置づけが期待されているのかは不明だが... ...ビュジェ《ラ・ロッシュ─ジャンヌレ邸》1923 Le Corbusier, Euvre Complete 1910-29, Les Editionsこのような経路を描...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.112-114
[論考]
...・スタディ・ハウスの歴史的な参照源は、ル・コルビュジエが第一次世界大戦中に開発されたテクノロ... ...畑強訳、鹿島出版会、一九九六)。 ★二二──Le Corbusier-Saugnier, “Les maisons ‘Voisin’”, L’Esprit nouveau 2,...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[インタヴュー]
...の戻ってくるところが、論文「MICHELANGELO頌──Le Corbusier論への序説として」(『現代建築』一九三九年... ...。丹下さんは一九三七年にはバウハウスとル・コルビュジエは一緒ではないという問題に気付くんです...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
...もよく表わしているのがその立面である。ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》(マルセイユ... ...住宅」計画 立面 出典=W.Boesiger and H. Girsberger, Le Corbusier 1910-65, Artemis Verlags-AG, Züich, 1967.2 解体 近代住...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[批評]
...ピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アウトを始めとする約四〇人の建築家達... ...ピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アルヴァ・アアルトの最も成功した作品...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[インタヴュー]
... もうひとつはちょうどその頃に出版されたル・コルビュジエの本を持ち帰ったことです。そして『今日... ...の参考にさせたようです。この本の最後にル・コルビュジエは若い頃の建築への思いを日記のように書...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[批評]
...できないものであろう。 ここでの試みは、ル・コルビュジエ(以下「LC」と略記)によって構想された... ...も同時に表現されるのである。 参考文献 1──Le Corbusier und Pierre Jeanneret, Ihr Gesamtes Werk von 1910-1929, Verlag D...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.171-180
[翻訳論文]
...オスマンの功績の上に成り立っている。 (Le Corbusier,[1935]1967: 209) 序論 第二帝政期パリの再建... ...1958: 4)。ジークフリート・ギーディオンとル・コルビュジエはオスマンの業績を認めているが、二人に...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136
[技術と歴史 12]
...リ万国装飾美術博覧会)」が開かれます。ル・コルビュジエがエスプリ・ヌーヴォー館を発表したのも... ...ような博覧会だったわけです。そのなかでル・コルビュジエはどちらかというとちょっと外れているよ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[論考]
...年時代にジッテの著作を愛読書にしていたル・コルビュジエも その例外ではなかった。 日本の都市計画... ...=ド=フォン時代のほぼすべての出来事は、「Le Corbusier」というペンネームによって、長い間覆い隠さ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.160-168
[インタヴュー]
...確な輪郭のいい篠原論を書いてくれた。 ル・コルビュジエ《ロンシャンの教会》の影響 篠原──話の... ...への私の批判は、この言説は五〇年半ばにル・コルビュジエの《ロンシャンの教会》が発表されたこと...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[インタヴュー]
...でしたが、ついでに現代建築も見ました。ル・コルビュジエの作品はインドから始まって、《ラ・トゥ... ...。 磯崎新氏日埜直彦氏迷路と秩序の対立/ル・コルビュジエの回心 日埜──都市を視覚的に見る、とい...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[論考]
...た。ここで彼はル・コルビュジエの「パリ改造計画」を参照している。ル・コルビュジエの計画は、密... ...称えるのだ。 22──ル・コルビュジエ『建築をめざして』から鉄の構成 Le Corbusier, Towards a New Architecture... .......
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[批評]
...『ラ・ロッシュのアルバム』は、ル・コルビュジエの『全作品集』の一部であるともいわれている★一... ...取り上げられるものとしては、やはり画家ル・コルビュジエ(はじめは本名ジャンヌレの他幾つかのペ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.123-128
[論考]
...いる何かというものも感じさせる。それはル・コルビュジエ的な造形言語かもしれないし、プランニン... ...71)視点の問題 吉阪はル・コルビュジエの弟子であるが、同じくル・コルビュジエに強く影響を受けた...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.120-128
[キーワード]
...見られるそうした雑多な乱脈さは、例えばル・コルビュジエのクリーンな輝くモダニズムの都市との対... ...うしたバロック的発想に立つ建物として、ル・コルビュジエの《ラ・トゥーレット》の修道院を挙げて...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[スタディ]
...であり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ロー... ...は「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジエのテーゼに共感して文字通り機械のような...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
...んル・コルビュジエもまた空間が実体化することに徹底して抵抗した建築家だった。ル・コルビュジエ... ...には空間という要素は抜け落ちてしまう。ル・コルビュジエにとって構成要素が「集合」している状態...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.82-83
[インタヴュー]
...フ・ロースの「被服の法則」へ、さらにはル・コルビュジエの「リポリン則」へいたる線は、一九世紀... ...ているの。たとえばル・コルビュジエの件では、わたしは最初、ル・コルビュジエとメディアについて...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[論考]
...タルト比較に言及していく。彼は、実際、ル・コルビュジエのサン・ディエ計画案[図1]を引き合いに... ...リス!]ということになる★六。 ロウはル・コルビュジエのこの大戦後の計画案——このような計画所...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[現代住宅論 2]
...とも明確に展開したのは、いうまでもなくル・コルビュジエである。『建築をめざして』はその代表的... ... ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉阪隆正訳、SD選書、一九六七) とはいえル・コルビュジエは...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233
[論考]
...ン&ピーター・スミッソンの空中住宅街(ル・コルビュジエの内 側 の 道(リュー・アンテリウー... ...物用エレベータや地中海の名もなき建物をル・コルビュジエが参照したことが、無名の建物を特集した...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[現代住宅研究 2-4]
...建設された《エスプリ・ヌーヴォー館》(ル・コルビュジエ、一九二五)[図1]は、集合住宅の一住居... ...よう。 1──ル・コルビュジエ《エスプリ・ヌーヴォー館》 全景、内観(出典=Le Corbusier OEuvre Compléte)...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.21-25
[批評]
...近代建築国際会議)と、当然のことながらル・コルビュジエによって提唱されたアーバニズムのひとつ... ...〇年)においてすでに示されている。 ★五──Le Corbusier, Towards a New Architecture, Trans. Frederick Etchells, Archite...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[インタヴュー]
...論文があって、そして最後にグロピウスがル・コルビュジエに京都から送った絵葉書が収録されていま... ...ニズムを輸入し始めたのは前川國男さんがル・コルビュジエを学んで日本に持ちかえったときです。フ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[批評]
...年にパリで開かれた「デ・ステイル展」はル・コルビュジエ等に大きな影響を与えた[図13]★二〇。一... ...テレンによる「芸術家の家」(1923)13──ル・コルビュジエ「クック邸」軸測図(1926)14──エル・リ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.185-195
[図版構成]
...し、そして創造する。この18世紀の熱狂はル・コルビュジエのベルリン計画(1961)において再び見出す... ...探究の行為のようでもある。図版出典 ■書籍 Le Corbusier, Œuvre Complète 1938-1946, Les Éditions d'Architecture Zurich...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.214-225
[批評]
...モンジー」(以下スタイン邸と省略)は、ル・コルビュジエがキャリアの初期の段階で、自身のスタイ... ...前川國男=コスモスと方法』より)註 ★一──Le Corbusier, OEuvre Complète: 1910-29, Zürich: les Editions d'Architectur...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.198-199
[批評]
...ァサードは不可避的に危険にさらされた。ル・コルビュジエの《ドミノ住宅》のプロトタイプに表わさ... ...hitectural Press2──ル・コルビュジエ《世界博物館》地上階のプラン Artemis Verlag, Le Corbusier 1910-65Artemis Verlag...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[連載 8]
...17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわ... ...brard, Otlet, Le Corbusier, Marsilio, 1982.2──「パリ現代美術館」の計画 出典=『ル・コルビュジエ全作品集』...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[連載 3]
...ムと合理主義的モダニズムの対立という、ル・コルビュジエにも典型的に備わっている構図が当てはま... ...─自然のヒエラルキーのピラミッド 引用出典=Le Corbusier, La Ville Radieuse, Boulogne (Seine), 1993.3──都市の循...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305
[批評]
...化を試みた著作『ユルバニスム』の中で、ル・コルビュジエは自らの都市計画の主眼を、都市を現代の... ...しての都市のあり方なのである。 註 ★一──Le Corbusier, Urbanisme, Flammarion, 1994, p.257.[邦訳=『ユルバニ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.119-127
[批評]
...ったのか。そしてそもそも、まず第一に、ル・コルビュジエがここで何をしていたのか。この孤絶した... ...ed by von Moos in "Le Corbusier as Painter", Oppositions 19-20 (1980), p.93. ★三──James Thrall Soby, "Le Corbusier, Muralist", Interi...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226
[批評]
...の家』で報告している。共同執筆者であるル・コルビュジエは、この本の挿絵として、小学生──彼ら... ...ouveau Paris, 1798を編集抄訳したもの)。 ★三──Le Corbusier, Vers une architecture, Les Éditions G.Crès et Cie, Paris, 19...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190
[批評]
...画家ル・コルビュジエ 「オトゥーユの(忍耐強い研究にあてた)私の私的なアトリエは誰にも開かなか... ...Le Corbusier peintre, éitions beyeler bâle, Switzerland 1971.より)「詩的反応を起こすオブジェ」ル・コルビュジエ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.129-137
[連載 5]
...偶然ではない★一。コンペに参加していたル・コルビュジエは既にその状況を知悉していたわけだ。の... ...たのではないか? 1──ル・コルビュジエ「ムンダネウム」 引用出典=Le Corbusier et Pierre Jeanneret, Œuvre co...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[批評]
...ル・コルビュジエはその長い経歴をつらぬいて、イスラムの建築と都市形態とに魅了されつづけていた... ...スケッチ21、22──ル・コルビュジエ、 アルジェの女性たちのスケッチTitle: "Le Corbusier, Orientalism, Colonialis...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.200-217
[批評]
...代間闘争だったと言えるのかもしれない。 ル・コルビュジエは当然ながら、新古典主義に転向する以前... ...一二──ル・コルビュジエも若いころミケランジェロに傾倒していた。H. Allen Brooks, Le Corbusier's, Formative Y...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[論考]
...同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」... ...ture by Le Corbusier-Saugnier, I am deeply grateful to two persons; Mme. Hory Laveloarisoa, ex-librarian at La Fondation Le Corbusier in P...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[批評]
...ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである... ...eret (Le Corbusier), 1973. ハーヴァード大学でのph.D.請求論文(New York: Garland Publishing, 1977) ★四──Le Corbusier, OEu...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[対談]
...ル・コルビュジエというテーマ 米田──今日は、ル・コルビュジエを建築そのものというよりも建築を... ...ら広く捉えることによって、「近代建築=ル・コルビュジエ」という局面から抜け落ちている部分を洗...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.64-76
[連載 9]
...いう事態をつくったことは否定できない。ル・コルビュジエがラバトに赴いた際に、メジナがあまりに... ...ル・コルビュジエ「1937年博覧会A案」(段階計画) 引用出典=Le Corbusier Archive 136──ル・コルビュジエ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[連載 6]
...語圏の(主に左翼的な)建築家/計画家とル・コルビュジエたちとの間の綱引きがあった。全般的な傾... ...築』(INAX出版、一九九三)を参照。 ★七──Le Corbusier, The Radiant City, The Orion Press, 1967. 一九三五に出版...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[連載 10]
...コトミー(二分法)のマトリックスなら、ル・コルビュジエにも、そして、セリクが引用しているリヨ... ...カルチエ・ド・ラ・マリーヌとなった」。ル・コルビュジエのオビュ計画で公共施設が計画されたのは...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[論考]
...の病的に昂進した傾向を示すためにロウはル・コルビュジエの「サン・ディエ計画」の平面図を伝統的... ...ル・コルビュジエと都市計画の成立」(『10+1』No.15、INAX 出版、一九九八)を参照。 ★六──Le Corbusier...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.100-107
[インタヴュー]
...ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受... ...なると思うのです。その手がかりとして、ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエがそれぞ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[批評]
...ラル・レビュー』誌一九四七年三月号で、ル・コルビュジエの「スタイン─ド・モンジー邸」(一九二... ...の発展を示す[左より右へ] (Max Risselada et al, Le Corbusier as Pierre Jeanneret, Ontwerpen voor de woning 1919-1929.より...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.191-197
[批評]
...主体も、歴史的に形成されるものである。ル・コルビュジエの制作世界も、西欧の歴史に深く投錨され... ...のル・コルビュジエも、その圏内に係留されていたのである。 参考文献 Centre George Pompidou, LE CORBUSIER-une ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122
[論考]
...建築文化』一九九九年九月号、彰国社) ル・コルビュジエと写真家たち──ルネ・ブッリを中心に 一... ...典=Le Corbusier, René Burri, Magnum Photos3──ルネ・ブッリ撮影、アトリエで作業するル・コルビュジエ 出典...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[現代住宅論 5]
...展覧会「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」において、ル・コルビュジエの《パリ... ...・マルタン》と《ユニテ》の住戸単位は、ル・コルビュジエが考案した寸法体系「モデュロール」に基...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.226-233
[批評]
...りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインを... ...er et de proportionner’ ‘L'architecture ne s'ajoute pas.’ Le Corbusier, Almanach de l'architecture moderne (Paris: Cre´s, 1926). pp11...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[集中連載 1]
...っていたのだ。 ル・コルビュジエ 0 国際主義 上に引用したル・コルビュジエの一節が述べて... ...──Jean-Louis Cohen, "Droite-gauche:〈invite l'action〉", "Le Corbusier une encyclopédie," Centre Georges Pompidou, 1987. ★九──...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[連載 7]
...章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かった... ...ある──に問題を戻しておこう。ウェブ上で〈Le Corbusier racism〉で検索をかけるとヒットする項目の多さ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[連載 4]
...章であったら、そう訳さねばならないが、ル・コルビュジエはそれに「革命は避けられる」と付して文... ...=Calro Palazzolo and Riccardo Vio eds., In the Footsteps of Le Corbusier.10──ハンス・アンデルセン&エルネスト・エブ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[批評]
...とを言ったのとは別のろばである)。 ──ル・コルビュジエ 本書のタイトル、もしくはその一部を説... ...社、一九七六)二〇八─二八〇頁]。 ★五──Le Corbusier, “The Pack-Donkeyユs Way and Man’s Way”, in The Cityof T...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118
[集中連載 2]
...4 人文地理学的空間 前回にル・コルビュジエが「フランスの植民地事業への支持を隠さなかった」とい... ...論社、一九九二]所収)。 ★一〇──H. Allen, "Le Corbusier's Formative Years", The University of Chicago Press, 1997. ★...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[批評]
...ものたちが保存したのは、実際のところ、ル・コルビュジエの〈精神の構築(construction spirituelle)〉★... ...したビデの写真を再掲載している。次を参照。 Le Corbusier, The Decorative Art of Today, trans. James I. Dunnet, MIT Press...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[現代住宅論 1]
...交流を目的として創立され、その先導者はル・コルビュジエだった。CIAMの第四回会議は一九三二年にマ... ...づけたのは、この「アテネ憲章」である。ル・コルビュジエは「アテネ憲章」の起草に決定的な役割を...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[ポストモダニズムと建築 3]
...けル・コルビュジエのヴァレリーに対する意識は特筆に値する。東秀紀の『荷風とル・コルビュジエの... ...パリ』★三が述べるように、ル・コルビュジエはしばしばヴァレリーを引用し、著書をまめにヴァレリ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44
[建築を拓くメディア]
...年、建築学会における中部大学の企画で、ル・コルビュジエが一九三〇年に制作したフィルム『今日の... ...上映会を催したことがある。おかげで、『ル・コルビュジエ』全三巻(デルファイ研究所)で断片的に...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[建築家的読書術]
...CANTOSル・コルビュジエの『Aircraft』(Trefoil、一九八七)も良い本だと思っている。ル・コルビュジエの... ...出てくる。水面に惹かれる理由は、水≒鏡だからか……。 2──Le Corbusier, Aircraft3──Cecil Balmond, informal...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.100-101
[批評]
...、という主張があるかもしれない。また、ル・コルビュジエが一九二三年の『建築をめざして』におい... ...try in Modern Art, Princeton University Press, 1983 ★五──Le Corbusier, Towards a New Architecture, John Rodker, 1931. 邦訳=...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[論考]
...築も変化に富んだものになるはずだった。ル・コルビュジエよりも早く建築と「機械」の親近性を指摘... ...国人建築家はル・コルビュジエ(一八八九─一九六五)だったが、板垣はル・コルビュジエに対してあ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.77-86
[批評]
...方法論が探究される。 ……に向かって。 ル・コルビュジエの『新たな建築に向かって』は、多くの点... ...rep/index02.wrl ★一三──Saussure, p. 87. ★一四──Le Corbusier, Trans. by Frederick Etchells. Towards a New Architecture. New ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.120-133
[論考]
...は、CIAMや建設の工業化、住宅供給計画からル・コルビュジエなど個別の建築家の作品にいたるまで、西... ...本の建築家の多くは最新の理論を象徴するル・コルビュジエとくらべ、タウトを過去の遺物のようにみ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[日本]
...いたのだった。つまりロウはパラディオとル・コルビュジエの平面に同一の幾何学的形式を見出し反復... ...連続性を体現することにあったとすれば、ル・コルビュジエの《ヴィラ・ガルシュ》では悟性と知覚の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[論考]
...意味がある。アーバニズムという言葉は、ル・コルビュジエが近代精神に見合った都市空間の創造とい... ...性は、オスマンのブルヴァール、あるいはル・コルビュジエの高速道路の明瞭性(ヴォワザン計画を見...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...AAスクールの記号論セミナーで描かれた、ル・コルビュジエのロンシャン教会のメタファー 『ポスト・... ...多様な対応を目指すものだった。ほかにもル・コルビュジエの二面性を描いたり、意味作用をもつ風変...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[現代建築思潮]
...会学における都市論ではしばしば、例えばル・コルビュジエや丹下健三はテクノクラートの代表で、人... ...ージを問う必要があると考えていました。ル・コルビュジエに代表される欧米における建築家の社会的...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[技術と歴史 4]
...ったとき、ル・コルビュジエの建築の光とはまったく違うと思いました。ル・コルビュジエの作品では... ...けれども──はル・コルビュジエとは全然違う。これを体験すると、ル・コルビュジエはちょっと古い...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[技術と歴史 2]
...のカスティリオーニもそうです。 石山──ル・コルビュジエとクセナキスの関係は面白いんだよ。数学... ...セナキスがやったところはル・コルビュジエの形じゃない。ル・コルビュジエはクセナキスが自分より...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.208-219
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
...にも判然とはしまい。その後の四半世紀をル・コルビュジエが「モデュロール」の措定についやした訳... ...りなのだ。「ドミノ」(一九一四)以来のル・コルビュジエさえ、その例外ではなかった。組積造から...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[現代建築思潮]
...e Promotion of Contemporary Architecture)が生まれ、ル・コルビュジエの弟子、ルイ・セルトが中心となって、バ... ...都市モデルを提案しました。その過程で、ル・コルビュジエも積極的にバルセロナへと関わっていきま...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[論考]
...を詰め込んだユ─トピアの構築体である(ル・コルビュジエのユニテをその系譜に位置づけるならば、... ...多くのピロティをもっており、フ─リエ→ル・コルビュジエの帝冠式と解釈できる)。 24───東右第...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.90-109
[論考]
...・レジェのアカデミーに師事する。ここでル・コルビュジエとも彼は接触している。三八年頃からはシ... ...かがわれる。芸術家や美学者のラインではル・コルビュジエ、アンドレ・ブルトンらとの関係が深い。...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[論考]
...は影のように存在感に欠けており、例えばル・コルビュジエのスケッチに多く描かれている逞しい人物... ...政治的な中心のデザインに意欲を燃やしたル・コルビュジエとは対照的に、ミースはその種のもののデ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[論考]
...を信じること。 建築場理論とは何か? ●ル・コルビュジエか? ミースか? 語弊を伴うことを承知で... ...ることであるといえるだろう。このことはル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.102-103
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
...一九世紀のヨーロッパ建築界をリードし、ル・コルビュジエが目の敵にしたように、二〇世紀もなおモ... ...り的なものであると考えていたのだから、ル・コルビュジエがサイロや飛行機を参照したように、映画...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...九。なお、ゲーリーは形態はカーン、窓はル・コルビュジエ、灰色はラインハル トから影響を受けたと... ...キントッシュ、ひとつはロッシ、ひとつはル・コルビュジエというふうに)、住宅を複数の建築家が同...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[現代建築思潮]
...東大の安藤研究室でやった展覧会「住宅のル・コルビュジエ」(ギャラリー・間、二〇〇一)は、誰で... ...果を挙げた展覧会じゃないかな。同時に『ル・コルビュジエの全住宅』という本も出していました。と...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[グローバリズム 2]
...を日本建築の伝統には存在していなかったル・コルビュジエ風の全体配置のコンポジションのもとに包... ...て国中に拡がっていった。それらが後期のル・コルビュジエの仕事に極めて大きな影響を受けたという...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[論考]
...トニー・ガルニエ、ボードワン&ロッズ、ル・コルビュジエなどフランス近現代建築史を代表するさま... ...さにこの時期、身体的には打ちひしがれ、ル・コルビュジエが「切られた手」にもたとえた精神状況の...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97
[翻訳論文]
...景]として反復された。平和が訪れた時、ル・コルビュジエやヒュー・フェリスといった建築家は、月... ...もうひとつの意味が示されている。 ★二七──Le Corbusier and Pierre Jeannerec, Oeuvre Compl師e de 1910-1929 (Zurich: Ed...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171
[論考]
...やり方で達成されつつある。ランブリは、ル・コルビュジエの《チャンディガール》、ジュゼッペ・テ... ...の経験主義とは従って、例えばテラーニとル・コルビュジエのユートピアが分有する類の「政治性」に...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[論考]
...ような反モニュメンタリティの支持者は、ル・コルビュジエからバックミンスター・フラーに至るまで... ...によって構成された社会(未来派に続いてル・コルビュジエが思い描いたようなそれ)のライトモティ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.67-73
[鼎談]
...からル・コルビュジエの身体へのオブセッションもまったく面白いんだね。最近のル・コルビュジエの... ...捉えられない空間を捉えようとし、それをル・コルビュジエを題材にしてやったわけでしょう。それは...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[対談]
...へのアピールを同時に行なったわけです。ル・コルビュジエはそれをうまくやっていた。《サヴォワ邸... ...。 隈──ミース・ファン・デル・ローエもル・コルビュジエもその両方をうまくやっているので一流だ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[論考]
...ルを示唆するものとして、例えばここで、ル・コルビュジエの「一〇万人のスタジアム計画」を想起し... ...る。 2——ル・コルビュジエ 「10万人のスタジアム計画」(1936-37) 出典=『ル・コルビュジエ作品集』...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.109-122
[循環する都市 2]
...の補助線を引くと、例えば一九二〇年代のル・コルビュジエによるパリ再開発にしても、帝国フランス... ...図するものであったということが言える。ル・コルビュジエの一方の意識としては、古典的な帝国的編...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.193-200
[建築の還元 3]
...のひとりが、ル・コルビュジエであったことは言うまでもない。事実、ル・コルビュジエはピュリズム... ...(純粋主義)を唱えていたのだから。ル・コルビュジエとオザンファンとの協同によって進められたこ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[ディスカッション]
...ていたさまざまな問題に対する批判から、ル・コルビュジエのようなユートピックな都市の像が生まれ... ...でしょうか。見えなくなったところで、昔ル・コルビュジエたちが述べていた教育概念のようなものが...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.76-103
[CONCEPTUAL 日本建築 7]
...とは、ことほど左様にやっかいな存在だ。ル・コルビュジエは、日本でおそらくはこれを見たのだろう... ...にだが、「モデュロール」模様[★二──ル・コルビュジエと「モデュロール」]の目地を切り、洗い...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.186-200
[批評]
...最終章において、怠慢と欺瞞に満ちた主流ル・コルビュジエの《サヴォア邸》[図5・6](白)と、傍流... ...相応しいかもしれない。宇宙開発技術は、ル・コルビュジエがパルテノンに比し★一一、後に、バンハ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248
[鼎談]
...ます。 柄沢──新宿の都市計画というのはル・コルビュジエのパリ改造計画案と同じで、極めて整然と... ...・ダリとル・コルビュジエの対峙にやや近い。『錯乱のニューヨーク』では、ル・コルビュジエが提案...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[オルタナティヴ・スペース 3]
...問題。テラーニやル・コルビュジエにあって、ミースに無いものなんだ? ……答えは屋上。 九八年水... ...物理的な格闘がみてとれる。 彼と同時代のル・コルビュジエの建築でも、彼の近代建築五原則に「屋上...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.32-34
[都市の傷痕とRe=publik 4]
...趣味の問題なんだから」とやり過ごす術。 ル・コルビュジエの憤懣。それはこのスタイルの増殖に向け... ...足りない過去」の擁護などもってのほか。ル・コルビュジエの批判の矢面に立っていたのは、カミロ・...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.28-29
[インタヴュー]
...を、彼の著書『informal』の序文において「ル・コルビュジエに匹敵する構成の論理」だと絶大な評価をさ... ...ル・コルビュジエとミースに代表されるといってもいいと思いますが、とりわけそのル・コルビュジエ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[対談]
...のル・コルビュジエの連載に繋がっています。そこでは、近代的アーバニズムは、ル・コルビュジエに... ...らない段階に来ている」という発言です。ル・コルビュジエは『伽藍が白かったとき』の有名な言葉で...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[現代住宅論 7]
...揺り動かした時代である。二〇世紀初頭にル・コルビュジエがいったように、一九世紀は「技師(エン... ...『建築をめざして』(一九二四)のなかでル・コルビュジエは一九世紀の建築を、技術が一方的に形態...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[現代建築思潮]
...同時代のオランダ建築を紹介しています。ル・コルビュジエの「シトロワン住宅案」が二二年、グロピ... ...ない。 [本間健太郎] 高階秀爾ほか編『ル・コルビュジエと日本』(鹿島出版会、1999) 本書は、1997年...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[翻訳]
...ンの蹄鉄、アンドレ・デュ・ブシェの詩、ル・コルビュジエの作品、ジョットの大理石、モンドリアン... ...opération. ★三五──このル・コルビュジエの表現については次を参照。Le Corbusier, les Œuvres complètes. 1952-1...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144
[対談]
...ど、今の状況は二〇世紀前半のハワードやル・コルビュジエたちが見ていた状況とはまるで違います。... ...の区分自体が違うのかも知れない。例えばル・コルビュジエ的に言うと、交通・勤労・居住・余暇とい...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72
[翻訳論文]
...、彼は、パリを拠点としたスイス人建築家ル・コルビュジエに動機を与えた臆面もない人間中心主義を... ...の合理的なデザイン・プロセスを尊んだ。ル・コルビュジエの「モデュロール」はそのプロセスの基盤...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.171-185
[都市観測者の手帖 7]
...た道が嫌いだ。ル・コルビュジエがまずそういう思想の持ち主だった。ル・コルビュジエは書いている... ...のはろば的なのだ。私はろばです。 さらにル・コルビュジエは書く。「直線は、都市の魂にとっても健...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.37-39
[大島哲蔵追悼]
...前者はグジャラードの州都で、この地域はル・コルビュジエのパトロンでもあったサラバイ家に象徴さ... ...都の計画(イスラマバード)に乗り出し、ル・コルビュジエと同じくモダニズムの立場に属するギリシ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.172-180
[論考]
...じめとした、「住むための機械」の発明家ル・コルビュジエの《サヴォワ邸》における水平窓による屋... ...83-94.(ロースと装飾について)、 pp.23-29.(ル・コルビュジエの五原則について)。また、ビアトリス・...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[鼎談]
...ったんだけれども、ロースは、ミースとかル・コルビュジエが出てくるちょっと前の──WTC的なものの... ...タイプの建築家なんです。ロースと較べてル・コルビュジエの建築は、面をいくつか重ね合わせ、構成...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[インタヴュー]
...てまとめると必ずつぶれました。この辺はル・コルビュジエの「輝ける都市」が文化的集積のうえにた... ...輝ける都市(ラディアント・シティ)」(ル・コルビュジエ)から九〇年代の「無印都市(ジェネリッ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[翻訳]
...、組織の問題である。 MVRDVは、基本的に、ル・コルビュジエと「三〇〇万人の現代都市」という伝統、... ...野邦一訳、河出文庫、二〇〇六]。 ★一七──Le Corbusier, Des Canons? Des munitions? Merci, des logis S.V.P., Boulogne: ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148
[建築の還元 1]
...ることができなくなったのである。例えばル・コルビュジエは、こうした差異のねじれに最も自覚的な... ...主義という言葉を選ばせたのはほかならぬル・コルビュジエだった。この本は初め、『合理的建築』と...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[非都市の存在論 11]
...というオブジェを鍵となる形象としつつ、ル・コルビュジエをはじめとする近代建築における超自我的... ...の二項が重ね合わされ、こうした関係性はル・コルビュジエおよびロース/ダリおよびバタイユという...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26
[批評]
...れるわけである。 1──ル・コルビュジエ、La Cheminé、19182──ル・コルビュジエ、Nature morte avec verre, livr... ...生み出しさえしたのである★二二。 8──ル・コルビュジエ「ローマの教訓」『レスプリ・ヌーヴォー』...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.77-94
[批評]
...無条件に美しくあるべきだったのである。ル・コルビュジエはそうであった。それ以降の建築家や都市... ...115. ★二◯──ibid., p.174. 図版出典一覧 図1──Le Corbusier Vol.5 de l'æuvre complète, Artemis, 1953, p181. 図2──Rem...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[1990年代以降の建築・都市 6]
...族を説得し、急いで敷地を探す。つまり、ル・コルビュジエの母の家のように、先に家があって、後か... ...)比率、内外の一体化 いうまでもなく、ル・コルビュジエの近代建築の五原則にならったものだが、...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[都市の傷痕とRe=publik 3]
...スムという、視線による銃撃を行なう男。ル・コルビュジエ(『ユルバニスム』、一九二四)。彼はそ... ...危ないことを見ていない」点である。そうル・コルビュジエは言う。 三〇年来のモダニズム建築批判が...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.32-33
[現代住宅論 3]
...ス》(一九三一)[図6]である。フライはル・コルビュジエの弟子でアメリカの先進的な工業技術に憧... ...ミニウム製モデル住宅を開発した。これはル・コルビュジエが唱えたドミノシステムと「近代建築の五...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.209-221
[論考]
...建築五項」(『国際建築』一九二九年六月号:Le Corbusier, メles cinq points dユune Architecture Moderneモ, 1927)な... ...交換可能な文脈でしか用いられていない。ル・コルビュジエの「近代建築の五原則」は初訳で「現代建...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[論考]
...ツの建築家たちはそうであったし、また、ル・コルビュジエがアスコラル・グループとともに一九四〇... ...の関心が濃厚である。この点に関しては、ル・コルビュジエが直截に、また繰り返して、都市計画家は...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125
[インタヴュー]
...わばパラディオがコンセプトをつくった。 ル・コルビュジエの住宅にしてもミースのそれも、みんなパ... ...当化しなければなりませんからね。 南──ル・コルビュジエ同様、ミースについては九〇年代に入って...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67