ル・コルビュジエ
フランス、ロンシャン|礼拝堂|1955年
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...少し差をつけた。アーバン・デザインは、ル・コルビュジエなんかの言う「ユルバニスム」の英訳だと...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[インタヴュー]
...る近代建築史のストーリーとして、例えばル・コルビュジエのアトリエに前川國男さんや坂倉準三さん... ...ッドが浮かんできた理由は、彼の場合は、ル・コルビュジエを通じてモダニストになったにもかかわら...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[論考]
...めに用いられる。その手がかりとしては、ル・コルビュジエの有名な定義、「住宅は住むための機械(un... ...築論にもなっており、興味深い。 ★二──ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉坂隆正訳、鹿島出...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[インタヴュー]
戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだった...ス的空間、すなわち弥生的空間ではなく、ル・コルビュジエの少しねじれた空間のほうが面白いという...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[批評]
アリストテレスもマルクスも、建築術について異口同音に述べている──「建築家は、まず、心のなかに建てる」。 しかし、このような「心のなかの建築」は、けっしてアプリ...六─六○)の構成原理にも認められる。「ロンシャンの礼拝堂」(一九五○─五五)に屹立する「光の...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122
[批評]
...ng, University of Minnesota Press, 1988)。また、《ロンシャンの礼拝堂》の設計に先行する測定とイデオロギー...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118
[素材─構造]
スティーヴン・ホールの設計による《サルファティストラート・オフィス》は、外観を構成する銅板のパンチングメタルと、ところどころに穿たれた、大小さまざまな開口部が印...ューヨーク)では、ル・コルビュジエの《ロンシャンの礼拝堂》から強い影響を受けて、さまざまに穿...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.104-107
[批評]
...ンシャンのこの礼拝堂について言う。 「ロンシャンの礼拝堂、ヴォージュ山脈の末端の支脈に建つこの... ...r, Textes et dessins pour Ronchamp, Association oeuvre de Notre-dame du haut les press de la Coopi à Gene`ve, 1975. ★二──Joseph Savi...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.129-137
[批評]
ル・コルビュジエはその長い経歴をつらぬいて、イスラムの建築と都市形態とに魅了されつづけていた。生涯にわたるこの関心が最初に力強く宣言されるのは、一九一一年、「オ...モスクの彫像群にインスパイアされた、「ロンシャンの礼拝堂」(一九五○─五五)にとどめを刺す。 ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.200-217
[批評]
...・ライトは言うまでもなく、グロピウス、ル・コルビュジエらの年上の巨匠たちによってこの頃設計さ... ...ピウスは穀物サイロについて本を書いた、ル・コルビュジエは飛行機について書いた、そしてシャルロ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[批評]
...としての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュ ジエ』、松畑強訳、鹿島出版会、一九九六)に... ...が主体を生み出す見る機械であったことをル・コルビュジエ とアドルフ・ロースの建築にのっとって、...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[対談]
...言いたい。まず自分の部屋を公開してからル・コルビュジエが云々とか言ってくれって。自分がそうい... ...い(笑)。まあ、たとえ六畳といえども、ル・コルビュジエの椅子が二個だけピッとあったりとかして...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.54-72
[論考]
...ム以降であれば、未来派のドローイング、ル・コルビュジエの《シトロアン住宅》、ミース・ファン・... ...ないが、二〇世紀以降、《サヴォア邸》(ル・コルビュジエ)、《チューゲンハット邸》(ミース・フ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[論考]
...味あふれるシンパシーに満たされる★八。ル・コルビュジエの言う「もの見ない目」を開くには、こう... ...る建築家が興にまかせて撮ったショット(ル・コルビュジエの『東方への旅』の際のスナップを想起さ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[シンポジウム]
...ゃったピュア・モダンに関しては、例えばル・コルビュジエ、あるいはバウハウスは工場、サイロ、自... ...、その態度は継承しているのではないか。ル・コルビュジエが五〇年遅く生まれていれば、アーキグラ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...に支配されていた。モダニズムというのはル・コルビュジエが自由な表層と言いながら、プランからフ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[論考]
...あり、さらに、二〇世紀、近代建築の旗手ル・コルビュジエの最も重要な作品はアルテミス社刊行の「... ...ると言っていいかもしれない。ちなみに、ル・コルビュジエの絶筆となったテクストは「思惟のほかに...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.126-135
[批評]
...まう。 飛行機の文明を謳いあげた建築家、ル・コルビュジエも忘れてはならない。彼は初めて飛行機に... ...─『近代都市と芸術』一九九六年。 13──ル・コルビュジエ『プレシジョン(上)』(鹿島出版会、一...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[論考]
...れる」という、ハイモダニズムを象徴するル・コルビュジエの有名なテ─ゼと比較せよ)、「すべての... ...ィティの発見にはまったく失敗している。ル・コルビュジエのヴォアザン計画からルチオ・コスタとニ...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[千年王国論(四)]
...ARGE BUILDINGS IN EUROPE"と題されていた。かつてル・コルビュジエがニューヨークを初めて訪れた時に言った... ...カテゴリーを提示しているとも思えない。ル・コルビュジエがマンハッタンに関して述べたセリフを借...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175
[論考]
...、ル・コルビュジエ『ユルバニスム』(樋口清訳、SD選書、一九六七)より引用。ル・コルビュジエに対...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125
[批評]
...列として抽象化してしまったのと同様に、ル・コルビュジエは「住む」という身体運動の奔放な「動き... ...もに、一九三〇年代のことである。そう、ル・コルビュジエが住宅を「住む機械」であるといったよう...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.122-131
[論考]
...る。ロシア・アヴァンギャルドの「星」とル・コルビュジエにいわしめたイワン・レオニドフである。... ...ド上の区画にリシツキーやマレヴィッチ、ル・コルビュジエ、RCAビルそしてカリガリ博士やダリが...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
...ワードの《田園都市》に端を発しており、ル・コルビュジエの《輝く都市》もまた「緑地=人間」を仮... ...市」計画の形成においても、E・ハワード/ル・コルビュジエを通して同じことが生じたのだと考えられ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.52-58
[翻訳]
...とつの記号である。槇はドライに記す。「ル・コルビュジエは都市的な建築をつくり出す人間性を『空... ...代後期、シンガポールの建築家たちは──ル・コルビュジエ、スミッソン/チームX、そして槇に由来...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[会議2日目「福利更正」]
...ィを介して間接的に道路とつながるのだ。ル・コルビュジエがピロティのテーゼとした「地表の解放」... ...市と建築』(法政大学出版局、1992)7──ル・コルビュジエ《ユニテ・ダビタシオン》のピロティ URL=ht...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.108-109
[都市の傷痕とRe=publik 8]
...タイル」のプロモーターでありながら、「ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエが建築と... ...が残る。「美─醜の判定」者としてのPJ。ル・コルビュジエと同じく「唯一の視線」による銃撃★二。キ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32
[ポストモダニズムと建築 8]
...このテクストのアップデート版といった体裁の"Le Corbusier's Venice Hospital and the Mat Building Revival"★六が二〇... ...り詳細な議論がある。 ★六──Hashim Sarkis ed., Le Corbusier's Venice Hospital and the Mat Building Revival, Prestel, 2001.(...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.41-43
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を...結び続けてきた。よく知られているようにル・コルビュジエは自らの都市計画を巧妙に田園都市の中に...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[翻訳]
高名だが高齢の科学者が、それは可能であると言えば、彼はほとんど確実に正しいことを言っているが、それは不可能であると言えば、間違っているのはまず確かである。 アー...複数性、流動性、他者性を主張して、私はル・コルビュジエの言葉をこう言い換えたい。「建築とは、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[香港]
アーロン・H・H・タン Aaron H. H.Tan:1963年シンガポール生まれ。1994年、レム・コールハースとともにOMAアジアを設立し、翌年より同ディレ...理由こそがOMAアジアのコンセプトである。ル・コルビュジエを分析し尽くし、『デリリアス・ニューヨ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129
[トルコ]
1956年トルコ生まれ。イスタンブル工科大学建築学科修士課程修了。1982年からトルコの老舗新聞『ジュムフリ エット(共和国)』に、日替わり漫画を連載。戯曲《ビ...村の家は造れるか? トルコ、といって、ル・コルビュジエが感動したモスク群やブルーノ・タウトを...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.120-121
[都市とモードのフィールドノート 3]
...式である。マーク・ウィグリーによると、ル・コルビュジエが発表したマニフェスト『建築へ』は旧弊... ...もデザインしたことからも明らかだろう。ル・コルビュジエも流行の黒人ダンサー、ジョセフィン・ベ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39
[1990年代以降の建築・都市 4]
...建築の原理を強力に示しているがゆえに、ル・コルビュジエのドミノを連想させるだろう。しかし、前... ...し、後者は規則正しい幾何学にもとづく。ル・コルビュジエのドミノは、機械が建築のモデルだった時...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[論考]
...持するという計画。そしてもうひとつは、ル・コルビュジエに代表されるように、反対に、人口集中に... ...団地は、ハワードの田園都市の考え方と、ル・コルビュジエによる高密度都市の考え方を混在させてい...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.146-153
[論考]
...れた都心部タイプの住居棟の配置計画は、ル・コルビュジエのルダン型住居に影響を受けている。その... ...ると書かれている。先年の森美術館での「ル・コルビュジエ展」でも、空爆の危険への対処として、高...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[論考]
...当てられ、焼け野原というタブラ・ラサにル・コルビュジエを模して勝手気侭に引いたお遊戯的都市計... ...たものであった。当時の坂倉は日本で最もル・コルビュジエに触れた近代建築の作家と目され、海軍と...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[インタヴュー]
...興味のひとつでした。 柄沢──具体的にはル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエが提示し... ...す。それでああ、これだと思って。それがル・コルビュジエのような、なにか大きな意味でのモダニズ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
...ッパでは、ヒロイックな建築家像を演じたル・コルビュジエが亡くなっていた。 近代の矛盾が一斉に噴... ...ヨーク・ファイブ」の一員とされ、彼らはル・コルビュジエを展開させたようなフォルマリスティック...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[グローバリズム 5]
...み)でなく時間の函数ともなる。チャンはル・コルビュジエやミースに影響されたという、彼のどの建... ...西欧や日本のプランナーにとって、これはル・コルビュジエも羨むような「ユートピア」なのか、ある...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[現代建築思潮]
...印象が余韻として残ったんですね。例えばル・コルビュジエの建築を見たとき、視覚的に建築を見てい... ...ールディング的なものに近づく。反対に、ル・コルビュジエの《ラ・トゥーレット修道院》にもフォー...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[論考]
...は『マニエリスムと近代建築』において、ル・コルビュジエの建築に代表される近代建築の特質を「虚... ...(=知覚的な透明性)が獲得されるようなル・コルビュジエの建築における知覚体験を「虚の透明性」...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.96-97
[批評]
...た。「グロピウスは穀物サイロについて、ル・コルビュジエは航空機についての本を書いた。……しか... ...ケールと社会的コミュニティの発想の面でル・コルビュジエのハウジング計画の影響を深く受けている...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[論考]
...やり方で達成されつつある。ランブリは、ル・コルビュジエの《チャンディガール》、ジュゼッペ・テ... ...の経験主義とは従って、例えばテラーニとル・コルビュジエのユートピアが分有する類の「政治性」に...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[論考]
...・レジェのアカデミーに師事する。ここでル・コルビュジエとも彼は接触している。三八年頃からはシ... ...かがわれる。芸術家や美学者のラインではル・コルビュジエ、アンドレ・ブルトンらとの関係が深い。...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[論考]
...を詰め込んだユ─トピアの構築体である(ル・コルビュジエのユニテをその系譜に位置づけるならば、... ...多くのピロティをもっており、フ─リエ→ル・コルビュジエの帝冠式と解釈できる)。 24───東右第...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.90-109
[鼎談]
...からル・コルビュジエの身体へのオブセッションもまったく面白いんだね。最近のル・コルビュジエの... ...捉えられない空間を捉えようとし、それをル・コルビュジエを題材にしてやったわけでしょう。それは...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[対談]
...へのアピールを同時に行なったわけです。ル・コルビュジエはそれをうまくやっていた。《サヴォワ邸... ...。 隈──ミース・ファン・デル・ローエもル・コルビュジエもその両方をうまくやっているので一流だ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[翻訳論文]
...景]として反復された。平和が訪れた時、ル・コルビュジエやヒュー・フェリスといった建築家は、月... ...もうひとつの意味が示されている。 ★二七──Le Corbusier and Pierre Jeannerec, Oeuvre Compl師e de 1910-1929 (Zurich: Ed...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171
[論考]
...ルを示唆するものとして、例えばここで、ル・コルビュジエの「一〇万人のスタジアム計画」を想起し... ...る。 2——ル・コルビュジエ 「10万人のスタジアム計画」(1936-37) 出典=『ル・コルビュジエ作品集』...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.109-122
[批評]
...方法論が探究される。 ……に向かって。 ル・コルビュジエの『新たな建築に向かって』は、多くの点... ...rep/index02.wrl ★一三──Saussure, p. 87. ★一四──Le Corbusier, Trans. by Frederick Etchells. Towards a New Architecture. New ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.120-133
[論考]
...は、CIAMや建設の工業化、住宅供給計画からル・コルビュジエなど個別の建築家の作品にいたるまで、西... ...本の建築家の多くは最新の理論を象徴するル・コルビュジエとくらべ、タウトを過去の遺物のようにみ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[日本]
...いたのだった。つまりロウはパラディオとル・コルビュジエの平面に同一の幾何学的形式を見出し反復... ...連続性を体現することにあったとすれば、ル・コルビュジエの《ヴィラ・ガルシュ》では悟性と知覚の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[論考]
...意味がある。アーバニズムという言葉は、ル・コルビュジエが近代精神に見合った都市空間の創造とい... ...性は、オスマンのブルヴァール、あるいはル・コルビュジエの高速道路の明瞭性(ヴォワザン計画を見...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
...にも判然とはしまい。その後の四半世紀をル・コルビュジエが「モデュロール」の措定についやした訳... ...りなのだ。「ドミノ」(一九一四)以来のル・コルビュジエさえ、その例外ではなかった。組積造から...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[生産─技術]
...く思ったことがあるのではないだろうか。ル・コルビュジエは近代建築の原則として「自由」を提唱し... ...は実に大きい。 近代建築の自由を提唱したル・コルビュジエの設計による《国立西洋美術館》は、増築...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.116-119
[建築家的読書術]
...CANTOSル・コルビュジエの『Aircraft』(Trefoil、一九八七)も良い本だと思っている。ル・コルビュジエの... ...出てくる。水面に惹かれる理由は、水≒鏡だからか……。 2──Le Corbusier, Aircraft3──Cecil Balmond, informal...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.100-101
[論考]
...築も変化に富んだものになるはずだった。ル・コルビュジエよりも早く建築と「機械」の親近性を指摘... ...国人建築家はル・コルビュジエ(一八八九─一九六五)だったが、板垣はル・コルビュジエに対してあ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.77-86
[建築を拓くメディア]
...年、建築学会における中部大学の企画で、ル・コルビュジエが一九三〇年に制作したフィルム『今日の... ...上映会を催したことがある。おかげで、『ル・コルビュジエ』全三巻(デルファイ研究所)で断片的に...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[論考]
...トニー・ガルニエ、ボードワン&ロッズ、ル・コルビュジエなどフランス近現代建築史を代表するさま... ...さにこの時期、身体的には打ちひしがれ、ル・コルビュジエが「切られた手」にもたとえた精神状況の...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97
[論考]
...を信じること。 建築場理論とは何か? ●ル・コルビュジエか? ミースか? 語弊を伴うことを承知で... ...ることであるといえるだろう。このことはル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.102-103
[インタビュー]
...まうエレメントだと思うのです。例えば、ル・コルビュジエのドミノのスケッチでも、階段があるがゆ... ...しようとするアイディアですよね。例えばル・コルビュジエのドミノのスケッチであれば二枚のスラブ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[建築を拓くメディア]
...は、ル・コルビュジエへの言及が繰り返されることで、これだけ拾い読みしてもル・コルビュジエのエ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.126-127
[日本]
...に不思議な感覚を送り届ける。私の場合はル・コルビュジエが最初に描いた《暖炉》(一九一八)とい... ...ヨーク・ファイブにとって白い壁は、初期ル・コルビュジエの「透明な言語」に専念する意思表示だっ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.162-163
[批評]
...ものでもない。クンスタルのガラス床は、ル・コルビュジエのメゾン・クラルテ? あるいはヴェンダ... ...に占拠されて建 築学部でさえ「建築家ル・コルビュジエの功罪」をテーマに学生に論文を書かせて...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.80-89
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...、職能としてできないとも思っています。 ル・コルビュジエの「輝ける都市」に対する批判は非常に多...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[論考]
...こまでも建物が続くのではなく、超高密なル・コルビュジエの「輝く都市」★一を見るようであるが・... ...イルとは言えないのである。 註 ★一──ル・コルビュジエ『ユルバニスム』(樋口清訳、鹿島出版会...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.133-143
[対談]
...「復原」するといえば、先日展覧会でみたル・コルビュジエのペサックとレージュの住宅群も徹底して... ...近代で知っているのはガルニエ、ペレー、ル・コルビュジエ、マレ・ステヴァン、後はソヴァージュと...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[スペイン]
...ている。 註 ★一──ダリは二一歳の時にル・コルビュジエと会食し、「あなたは建築の未来について... ...erreros, Areas of Inpunity, Actar Publishers, 1997. ★四──Le Corbusier. Rascacielos, Ayuntamiento de Madrid, 1987. ★五──Tecnica...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.110-111
[インタヴュー]
...わばパラディオがコンセプトをつくった。 ル・コルビュジエの住宅にしてもミースのそれも、みんなパ... ...当化しなければなりませんからね。 南──ル・コルビュジエ同様、ミースについては九〇年代に入って...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...九。なお、ゲーリーは形態はカーン、窓はル・コルビュジエ、灰色はラインハル トから影響を受けたと... ...キントッシュ、ひとつはロッシ、ひとつはル・コルビュジエというふうに)、住宅を複数の建築家が同...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
...一九世紀のヨーロッパ建築界をリードし、ル・コルビュジエが目の敵にしたように、二〇世紀もなおモ... ...り的なものであると考えていたのだから、ル・コルビュジエがサイロや飛行機を参照したように、映画...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[論考]
...は影のように存在感に欠けており、例えばル・コルビュジエのスケッチに多く描かれている逞しい人物... ...政治的な中心のデザインに意欲を燃やしたル・コルビュジエとは対照的に、ミースはその種のもののデ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[建築の還元 2]
...れてきた。その延長で、コーリン・ロウはル・コルビュジエの《シュタイン邸》とパッラーディオの《... ...込んでしまっているのである。私は以前、ル・コルビュジエの「ソヴィエト・パレス」案のCGを見たこと...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[グローバリズム 2]
...を日本建築の伝統には存在していなかったル・コルビュジエ風の全体配置のコンポジションのもとに包... ...て国中に拡がっていった。それらが後期のル・コルビュジエの仕事に極めて大きな影響を受けたという...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[現代建築思潮]
...東大の安藤研究室でやった展覧会「住宅のル・コルビュジエ」(ギャラリー・間、二〇〇一)は、誰で... ...果を挙げた展覧会じゃないかな。同時に『ル・コルビュジエの全住宅』という本も出していました。と...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
...館》──その建設のさらに半世紀ほど前にル・コルビュジエによって構想された「成長する美術館」の... ...ら、こういう名称を与えられたのだろう。ル・コルビュジエの『全集』第六巻には、現在合板に無地の...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[批評]
...だろう★五四。 ボイゴンとクインターは、ル・コルビュジエの建築の五箇条を借用し、五つの道具に変... ...り方ではあるが、「建築か革命か」というル・コルビュジエの主張の記憶は彼らのテキストからは単純...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[建築を拓くメディア]
コンペが現代建築史で果たしてきた重要な役割については、あらためて強調するまでもないだろう。それは勝者だけの歴史ではない。《シカゴ・トリビューン社屋》でのグロピウ...屋》でのグロピウス案や《国際連盟》でのル・コルビュジエ案がそうであったように、むしろ敗者の案...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[現代住宅研究 5-3]
安藤忠雄による《住吉の長屋》は、木造長屋にコンクリート打放しの箱が挿入されたものである。裸の構造体であるコンクリート打放しの壁によって、周辺環境の影響を蒙らない...は、図らずも(?)安藤の平滑でもなく、ル・コルビュジエのブルータルでもないコンクリートの表情...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.39-43
[大島哲蔵追悼]
記憶に棲むオブジェ 今日はタイポロジーをめぐって、アルド・ロッシからドナルド・ジャッドまでお話する予定です。まずはオーソドックスな話から始めましょう。 私はか...ですが、いろんな人に影響を与えていて、ル・コルビュジエもモスクワのソビエト宮のコンペの時に採...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.181-191
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選ん...タナティヴが発見される。大野秀敏は「(ル・コルビュジエの)『三〇〇万人のための都市』に代わる...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[トキョー・建築・ライナーノーツ 5]
ニュータウン 九月から筑波大学の専任講師になり東京と筑波を往復する生活を始めた。南北一八キロメートル、東西六キロメートル。山の手線の内側とほぼ同じ大きさの筑波研...は、昔読んだ都市計画の教科書のようだ。ル・コルビュジエの三〇〇万人都市やガルニエの工業都市の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.55-58
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったた...年代のダッチ・モダニズムの時期である。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエのように...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[都市表象分析 18]
1 建築の「情念定型」 アルド・ロッシの『学としての自伝』(邦題『アルド・ロッシ自伝』)は、この建築家の記憶のなかの断片化されたイメージが、夢のメカニズムにも似...、ファシズムばかりでなく、ルドゥーからル・コルビュジエ、あるいはルイス・カーンにいたる「あら...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.2-12
[ポストモダニズムと建築 2]
すくなくとも近代の成熟期にいたるまで、近代主義には一定の規範が存在し、機能していた。しかしあらためて考えてみると、そうした近代主義の規範はおよそ信じがたいほどに...《ヴィラ・ガルシュ》の立面に代表されるル・コルビュジエのトラセ・レギュラトゥール(基準線)の...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.40-42
[都市表象分析 7]
1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都...・フェリスによる摩天楼のドローイング、ル・コルビュジエのヴォワザン計画の模型のほか、世界貿易...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11
[都市とモードのフィールドノート 4]
建築とファッションの境界が揺れ動いている状況を見てきた。 表参道や六本木には有名建築家の手になるブランドの旗艦店が林立し、そこは高価な商品とともに現代建築をも消...くシンプル極まりないデザインはミースやル・コルビュジエを身体化した印象を受けるほどだ。彼女は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.34-36
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...に思えるかもしれない。しかし、古代からル・コルビュジエまで屋上庭園は存在するし、なによりも本...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[建築の解體新書 4]
空間の創出と喪失に関するメモ……中谷礼仁 はじめに 前回の岡崎氏の論旨は、日本語、というか、漢字にからみつくテニヲハのはたらきを、主体的感情(空間)を生み出す...トのカムバック、アアルトの登場、そしてル・コルビュジエの著しい方向転換などが続き、つまりこの...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.13-26
[建築とイマージュ 7]
1 例えば、フランス語のscène(舞台、場面……)という語について情報を得るべく辞書を開いてみるならば、そこに挙げられている様々な用例は、ごく普通に流通してい...体系──より具体的には、その批判であるル・コルビュジエの言説やデッサン──の中で形象化される...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.30-32
[都市の傷痕とRe=Publik 7]
今から七〇年前(一九三〇年)、エルンスト・カッシーラーは「形式と技術」という論文のなかでこう書いている。 技術は「責務を果たさんとする思い」の支配下にあり、労...ーラーからすると、とりわけグロピウスやル・コルビュジエらに対する評価は次のようになる。「彼ら...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.35-36
[1990年代以降の建築・都市 16]
過防備・景観法・北朝鮮 二〇〇五年五月、平壌を旅行した。 わずか数日の滞在だったとはいえ、興味深い経験だった。単に建築関係者で北朝鮮を訪れた人が少ないからではな...とんど同じ場所を訪れている。同誌では、ル・コルビュジエの「輝く都市」やヒルベルザイマーの「垂...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.23-25
[景観の視学/史学/詩学 5]
「まちづくり」に際して、ことさらコンテクスチュアリズムを標榜せずとも、界隈を表現するために使われてきた言葉を確認するのは必須の作業だ。とはいえ街のイメージは往々...動半径もけっして広くなかった。たとえばル・コルビュジエが「ヴォワザン計画」(一九二五)で、老...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30
[CONCEPTUAL 日本建築 5]
25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことが...ストックホルム市庁舎の設計者)やペレ(ル・コルビュジエの師)を論じられたようだが、ある日、そ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319
[ポストモダニズムと建築 5]
建築が計画されるプロセスにおいて「そこで何が起きるか」という想像が止むことはない。どのような建築計画もいささか頼りないこの予測的想像力に基礎付けられている。建築...ヴィラの数学」★二においてパラディオとル・コルビュジエを並べた視点は、驚くべき符合というより...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.43-44
[モノとマチの向こうに見えるもの 4]
はじめに 最近、身の回りで愛好者が増えているポータブルミュージックプレイヤー「iPod mini」の裏面にある「Designed by Apple in Cal...。「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジエのことばも、字面だけを追った解釈は危険...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.29-31
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...続けてきました。 日埜──森ビルの社長がル・コルビュジエのファンだと公言するご時世ですから、「...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[『日本の民家』再訪 7]
島に居ること 伊豆大島を含む伊豆諸島は、フィリピン海プレートと本州との衝突によってうまれた褶曲の峰のひとつである。海面より露出したその島々の姿の直下に、ヒトの想...とU研究室であった。吉阪はフランス帰り、ル・コルビュジエの弟子でありながら、大学内では今和次郎...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.12-27
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代...層が建つという計画です。このグリッドはル・コルビュジエの考えるオープンスペースのなかのタワー...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...方を不思議に思っています。僕はこれは、ル・コルビュジエに心酔している丹下健三に日本浪漫派に関...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[図版構成4]
二〇世紀は発展と膨張の時代でした。一九世紀末に産業革命の技術的成果が出そろい、その果実が一般大衆にも分かち与えられ、人口が増え、生活水準も向上し、市民社会の理念...現実化しました。エベネザー・ハワードやル・コルビュジエなどの建築家は、二〇世紀のために都市の...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.168-171
[福岡]
福岡リビングコンディション 「福岡リビングコンディション(以下FLC)」は、第二回福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇二に招待されたアトリエ・ワンと九州芸術工科大... ブリーズソレイユ(日よけ)がオシャレなル・コルビュジエ風(?)団地 • 那珂川の土手の内側が埋...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.156-171
[会議4日目「国土改造」]
清水──本日のレヴューでは、まずそれぞれのチームのデザイン手法について議論し、その後、最も大きいスケールの問題提起である四日目の会議「国土改造」で提案した「Fu...いなものかと勘違いしてました。 中谷──ル・コルビュジエ《ユニテ・ダビタシオン》のピロティが一...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[CONCEPTUAL 日本建築 2]
07 四帖半 4 1/2 sheets TATAMI ROOM 私性はここで育まれた 『四畳半襖の下張り』という春本(好色文学)が知られている。文豪・永井荷風...これをブルータリズム(野獣派)とよぶ。ル・コルビュジエはガラスブロックを鋳込んで採光にあてた...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.208-221
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ム...です。マテリアルと普遍性という対比は、ル・コルビュジエの時代にもあるので決して新しい問題では...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[部屋の文化研究 4]
この連載は連想ゲームのようにして続く。主題は最初の回の終わりに書いたように、個々人の空間である「部屋と部屋が助け合わなければならないとき、どんな新しい仕掛けが発...さんは「住宅は住むための機械」と言ったル・コルビュジエばりに「住まいは住むための道具」と言い...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.34-36
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した...ちは強く反対しました。「FUNCTION MIXER」はル・コルビュジエや丹下健三などのような都市イメージを、パ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[ミュージアム・テクノロジー随想 4]
四回連載の本コラムも最終回である。毎回、遊歩者のようにとりとめのないことを書き付けてきたが、結論へと線形に展開するテクストを書くことは最初から想定していない。 ...た「メディアとしての建築」展の図録に、ル・コルビュジエの絶筆「思考のほかに伝えうる何ものもな...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.39-41
[技術と歴史 5]
素材と技術革新 安田──今日お話しすることは「ものづくり」の経験から得た素材に関連した話です。これまでさまざまな建築に出会って大きな影響を受けてきましたが、影響...五年生まれで、《リンカーンセンター》やル・コルビュジエやオスカー・ニーマイヤーと共に《国連ビ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[現代住宅研究 6-2]
だれもがそれに制限されざるをえない習慣に心をひかれます。それは、私たちが抗いながら仕事をせざるをえない身体性というものを示している。イメージの記憶を活性化するう...」の持つ避け難さへの抵抗だと言えるし、ル・コルビュジエの水平連続窓から、ミースのガラス壁、そ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...ラブクラブハウス》(一九九七)である。 ル・コルビュジエは直線と直角の美学を唱え、ロバは目的が...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[視覚の身体文化学 2]
1 ジェームズ・J・ギブソン(一九〇四─七九)はけっして〈色の知覚の生態学〉を放棄していなかったこと。それどころか、世界の表面はカラフルであり、色はわれわれが生...する★二。 レジェの構想は「輝く都市」(ル・コルビュジエ)ならぬ、色めく都市と呼べるだろう。そ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.33-34
[非都市の存在論 7]
1 都市と死──記憶のエクリチュール 建築家であり、かつてユーゴスラヴィアの首都ベオグラードの市長も務めたボグダン・ボクダノヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア連邦一...建築の起源としてのパルテノンと遭遇するル・コルビュジエは、この神殿を〈恐るべき機械〉と呼んで...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.16-27
[千年王国論(六)]
これまで、千年王国に関しては、ユートピアとの対比において位置づけてきたつもりである。この場合、ユートピアとは現実の彼方にある別世界として考えられていたのではなく...本主義的な生産手段の位置づけと等しい。ル・コルビュジエのユルバニズムの手法はこの手術の典型的...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[批評]
われわれは激変を予見したか? 読者に対しここで提供される四つの短い断章のうち、三つはアーバン・スタディーズの論文に、ひとつは(そのような分野があるのならばだが)...自治体管理の墓地になっているところや、ル・コルビュジエ的な「自由な空間」に埋葬されていたりす...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.161-177
[インタヴュー構成]
山田脩二 ──建築を撮るようになったきっかけは何でしたか。 山田──もう四〇年も前です。一九五八年から二年間、桑沢デザイン研究所でデザイン全般の基礎教育を受けた...う分野自体に魅力がありますね。たとえばル・コルビュジエの作品やケーススタディハウスって、ほと...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[批評]
0エイドスとイデア 「なぜなら、エイドスとは日常の言語では、私たちの感覚的な目に見える物が、提供する容相を意味しているからである。にもかかわらずプラトンは強いて...ェアである。バルセロナ・パヴィリオン、ル・コルビュジエの実現しなかった別荘、教会、神殿そして...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.76-89
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...、ヴィトゲンシュタインの論理実証主義やル・コルビュジエ、グロピウスが行なった近代建築や都市計...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[論考]
I スナップショット 「郊外」を語ることは、ポストモダニティの文化のなかにおかれた「観光」を語ることに似ている。いうまでもなく、すでに観光と呼ばれる行為じたい... が外部の都市と自らを切断するやり方は、ル・コルビュジエに代表されるようなユートピックな動機を...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.148-156
[論考]
アルビンに初めて会ったときのことをお話ししたいと思います。その時彼はシカゴについてのレクチャーをしていました。彼は、詩人のように理想的にシカゴのスカイラインにつ...ンによれば、フランク・ロイド・ライトとル・コルビュジエの両方によって霊感が与えられたものだそ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.224-230
[論考]
ルネ・マグリットの一連のデッサン《これはパイプではない》を分析しつつ、ミシェル・フーコーはその中に自己破壊に至るまで逆立ちさせられた一種の〈カリグラム〉を認めて...てでなくては克服しえない。それは後年のル・コルビュジエがはっきり気づくことになったように、綱...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...構成』と『現在の構成』、宮崎謙三によるル・コルビュジエの『建築芸術へ』の邦訳出版も、小池の示...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[批評]
六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」とい...ジーの住まうことの文化への組み入れは、ル・コルビュジエが行なっていた建築と機械とのアナロジー...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[現代建築思潮]
...e Promotion of Contemporary Architecture)が生まれ、ル・コルビュジエの弟子、ルイ・セルトが中心となって、バ... ...都市モデルを提案しました。その過程で、ル・コルビュジエも積極的にバルセロナへと関わっていきま...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[建築家的読書術]
当たり前のことかも知れないけれど、本を読んだり、展覧会に行ったり、映画を見たりするときに、建築に役立つかどうかということは特に考えない。自分の素朴な好奇心に任せ...んだときに、この向こうにこそ、近代を、ル・コルビュジエを超える何かがあるに違いないと思ったの...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.102-103
[建築家的読書術]
研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場...のがあった。丹下健三と川合の関係に私はル・コルビュジエとクセナキスの関係をダブらせて見ている...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[建築を拓くメディア]
森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の...ーエに範をとったスカイスクレーパーや、ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》を範型とする...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.132-133
[建築を拓くメディア]
建築ガイドブックのすすめ──総論にかえて 学生であろうとなかろうと、およそ建築を志すすべての人のなかで、建築を訪れ、巡り歩く(そう、まさに巡礼という言葉がふさ...る。今回取り上げたガイドブックのうち、ル・コルビュジエやアルヴァ・アアルトなどの巨匠の作品群...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.136-139
[建築を拓くメディア]
カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、あ...アトリス・コロミーナが指摘したように、ル・コルビュジエは『エスプリ・ヌーヴォー』誌上で、本物...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[建築を拓くメディア]
あなたの利き目は右? 左? と訊かれて、迷わず即答できる人はそんなに多くないだろう。近くの物を見ながら片方ずつ目を閉じて、両眼で見ているときと同じ映像が見え...の建築写真については、『X-Knowledge HOME』「ル・コルビュジエ パリ、白の時代」(エクスナレッジ、二...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.140-141
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現...画に結びつけ、そのキュービズム的平面はル・コルビュジエのガルシュ邸で建築に翻訳された。だが、...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政...ものであった。言うまでもないことだが、ル・コルビュジエやミースによって代表されるモダニズムの...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなか...事業としての側面があるんだ。それこそ、ル・コルビュジエのムンダネウム計画を思い出してみればい...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...ーマのコロッセウムといった古典建築からル・コルビュジエやルイス・カーンの住宅といった現代建築...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[対談]
実験住宅と社会的大儀 中谷──「実験住宅」という特集の企画趣旨を聞いたときに、「実験」なんて誰でもしているじゃないかと思ったんですね。町場の大工のみならず日曜大...社会改良的な関心からきていますねよね。ル・コルビュジエのドミノもそうだし、トロッケンバウなん...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[論考]
0 メガロポリスとオーガニゼーション・マン 一九四二年、鉄道でアメリカ北東部を旅していたフランスの地理学者ジャン・ゴットマンは、ヨーロッパには見られないような数...第六回CIAMに参加して以降、ギーディオン、ル・コルビュジエ、セルト、グロピウスとともに「committee of ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[リード]
「アルゴリズム的思考と建築」という特集を組むにあたって、まず建築におけるアルゴリズムとは何かを正確に定義しなくてはいけないだろう。アルゴリズムとは言葉の正確な定...理主義、人間的な価値を限りなく称揚するル・コルビュジエの建築論に見て取ることができる。一方で...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.70-71
[建築とイマージュ 2]
建築をその二次元的な画 像(イマージユ)の形に還元した上でそこからさまざまな 隠 喩 (メタフオール)を読みとる、建築に対するそうした理解の仕方には可能な限り禁...かち持っていたのであるし、グロピウスやル・コルビュジエは厳密に機能主義的な建築を根拠づけるた...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.31-33
[建築の言説、都市の言説 1]
建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとか...的で全体性のあるものに押し上げて行く。 ル・コルビュジエは一九二三年に『Vers une architecture』を出版...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29
[インタヴュー]
1 伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作...ある。例えばCIAMでのハンネス・マイヤーとル・コルビュジエの違いのようなことは古くからあり、いま...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[翻訳論文]
...ラストレーション、no.14, n. d. 1922−23) 出典=Le Corbusier et Pierre Jeanneret, OEuvre Complète 1910-1929.2——藤井博...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[Yellow Page1]
アトリエ・ワン&リサイクル・エクスプロージョンズ Atelier Bow-Wow & Recycle Explosions 塚本由晴、貝島桃代 ───── 山本...の提案。(SN)17:屋上天国 かつて建築家ル・コルビュジエは近代建築5つの要点のひとつに「屋上庭園...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.65-79
[批評]
第一次大戦に関連して特別な交通形態が構築される際──アウトバーン、それは自己躍動する軌道上の冷静な走行──、血管のような網の目状のものが繰り広げられ、そのなかで...を継承している。《移動のための機械》。ル・コルビュジエの描いたリオデジャネイロを「貫く」アウ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.128-139
[批評]
一九世紀のあいだ、そして二〇世紀になってからもしばらく、ヨーロッパの有力者たちは、人類は生物学的衰退に向かって(あるいはすでに入って)いるという懸念を表明してい...のほとんどはこのテクストに求めている。ル・コルビュジエやミースが平らな表面をむきだしにし、つ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.155-160
[論考]
「Vertigo(眩暈)」の展覧会テーマに合う、現代の日本建築を教えてくれないか? と尋ねる英国人建築家へ返信のメール。 君もよく知っている妹島和世さんの集合住...後時代は下り、国は異なっても同じこと。 ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンや英国の数々の低...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115
[論考]
「私」の複数性 ここ近年の、メディア・テクノロジーの進展と変容によって、わたしたちのコミニュケーションのかたちは大きく変わったように見える。あまりにも手垢にまみ...に、単位についての考察が不可欠である。ル・コルビュジエが、自ら考案した住居集合モデルをユニテ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.145-157
[column]
二〇〇〇年九月に東京へ来たとき、わたしは二つの場所のうちのどちらかに住みたいと思っていた。黒川紀章の設計した《中銀カプセルタワービル》か、渡辺洋治の設計した《第...。 実際のところ、このデザインのルーツはル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》、船に対する...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.130-134
[論考]
近年都市の再生(リストラクチャリング)が、国家政策の観点から重要な項目へと浮上している。しかしそれを巡っては必ずしも従来型の官主導の公共投資を中心とした都市開発...てみるに近代都市のヴィジョンは、例えばル・コルビュジエの都市計画に端的にあ らわされているよう...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.153-157
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...るテクストはおもしろくないなと思った。ル・コルビュジエの『建築をめざして』や、篠原一男の『住...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[現代建築思潮]
...会学における都市論ではしばしば、例えばル・コルビュジエや丹下健三はテクノクラートの代表で、人... ...ージを問う必要があると考えていました。ル・コルビュジエに代表される欧米における建築家の社会的...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[集中連載 1]
...っていたのだ。 ル・コルビュジエ 0 国際主義 上に引用したル・コルビュジエの一節が述べて... ...──Jean-Louis Cohen, "Droite-gauche:〈invite l'action〉", "Le Corbusier une encyclopédie," Centre Georges Pompidou, 1987. ★九──...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[批評]
...ものたちが保存したのは、実際のところ、ル・コルビュジエの〈精神の構築(construction spirituelle)〉★... ...したビデの写真を再掲載している。次を参照。 Le Corbusier, The Decorative Art of Today, trans. James I. Dunnet, MIT Press...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[インタヴュー]
...ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受... ...なると思うのです。その手がかりとして、ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエがそれぞ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[論考]
...の病的に昂進した傾向を示すためにロウはル・コルビュジエの「サン・ディエ計画」の平面図を伝統的... ...ル・コルビュジエと都市計画の成立」(『10+1』No.15、INAX 出版、一九九八)を参照。 ★六──Le Corbusier...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.100-107
[批評]
...ラル・レビュー』誌一九四七年三月号で、ル・コルビュジエの「スタイン─ド・モンジー邸」(一九二... ...の発展を示す[左より右へ] (Max Risselada et al, Le Corbusier as Pierre Jeanneret, Ontwerpen voor de woning 1919-1929.より...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.191-197
[連載 7]
...章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かった... ...ある──に問題を戻しておこう。ウェブ上で〈Le Corbusier racism〉で検索をかけるとヒットする項目の多さ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[連載 4]
...章であったら、そう訳さねばならないが、ル・コルビュジエはそれに「革命は避けられる」と付して文... ...=Calro Palazzolo and Riccardo Vio eds., In the Footsteps of Le Corbusier.10──ハンス・アンデルセン&エルネスト・エブ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[技術と歴史 2]
...のカスティリオーニもそうです。 石山──ル・コルビュジエとクセナキスの関係は面白いんだよ。数学... ...セナキスがやったところはル・コルビュジエの形じゃない。ル・コルビュジエはクセナキスが自分より...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.208-219
[批評]
...化を試みた著作『ユルバニスム』の中で、ル・コルビュジエは自らの都市計画の主眼を、都市を現代の... ...しての都市のあり方なのである。 註 ★一──Le Corbusier, Urbanisme, Flammarion, 1994, p.257.[邦訳=『ユルバニ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.119-127
[批評]
...の家』で報告している。共同執筆者であるル・コルビュジエは、この本の挿絵として、小学生──彼ら... ...ouveau Paris, 1798を編集抄訳したもの)。 ★三──Le Corbusier, Vers une architecture, Les Éditions G.Crès et Cie, Paris, 19...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190
[連載 6]
...語圏の(主に左翼的な)建築家/計画家とル・コルビュジエたちとの間の綱引きがあった。全般的な傾... ...築』(INAX出版、一九九三)を参照。 ★七──Le Corbusier, The Radiant City, The Orion Press, 1967. 一九三五に出版...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[現代住宅論 5]
...展覧会「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」において、ル・コルビュジエの《パリ... ...・マルタン》と《ユニテ》の住戸単位は、ル・コルビュジエが考案した寸法体系「モデュロール」に基...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.226-233
[論考]
...建築文化』一九九九年九月号、彰国社) ル・コルビュジエと写真家たち──ルネ・ブッリを中心に 一... ...典=Le Corbusier, René Burri, Magnum Photos3──ルネ・ブッリ撮影、アトリエで作業するル・コルビュジエ 出典...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[インタヴュー]
...確な輪郭のいい篠原論を書いてくれた。 ル・コルビュジエ《ロンシャンの教会》の影響 篠原──話の... ...への私の批判は、この言説は五〇年半ばにル・コルビュジエの《ロンシャンの教会》が発表されたこと...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[インタヴュー]
... もうひとつはちょうどその頃に出版されたル・コルビュジエの本を持ち帰ったことです。そして『今日... ...の参考にさせたようです。この本の最後にル・コルビュジエは若い頃の建築への思いを日記のように書...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[批評]
...ピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アウトを始めとする約四〇人の建築家達... ...ピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アルヴァ・アアルトの最も成功した作品...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[技術と歴史 1]
...一八八三年生まれですからグロピウスとかル・コルビュジエなんかよりも五、六歳上ですね。僕はシャ... ...クだと思いますが現在は売っていません。ル・コルビュジエなんかも同時期に使っています。このガラ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[インタヴュー]
...でしたが、ついでに現代建築も見ました。ル・コルビュジエの作品はインドから始まって、《ラ・トゥ... ...。 磯崎新氏日埜直彦氏迷路と秩序の対立/ル・コルビュジエの回心 日埜──都市を視覚的に見る、とい...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[論考]
...年時代にジッテの著作を愛読書にしていたル・コルビュジエも その例外ではなかった。 日本の都市計画... ...=ド=フォン時代のほぼすべての出来事は、「Le Corbusier」というペンネームによって、長い間覆い隠さ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.160-168
[批評]
...ァサードは不可避的に危険にさらされた。ル・コルビュジエの《ドミノ住宅》のプロトタイプに表わさ... ...hitectural Press2──ル・コルビュジエ《世界博物館》地上階のプラン Artemis Verlag, Le Corbusier 1910-65Artemis Verlag...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[批評]
...モンジー」(以下スタイン邸と省略)は、ル・コルビュジエがキャリアの初期の段階で、自身のスタイ... ...前川國男=コスモスと方法』より)註 ★一──Le Corbusier, OEuvre Complète: 1910-29, Zürich: les Editions d'Architectur...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.198-199
[翻訳論文]
...オスマンの功績の上に成り立っている。 (Le Corbusier,[1935]1967: 209) 序論 第二帝政期パリの再建... ...1958: 4)。ジークフリート・ギーディオンとル・コルビュジエはオスマンの業績を認めているが、二人に...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136
[批評]
...できないものであろう。 ここでの試みは、ル・コルビュジエ(以下「LC」と略記)によって構想された... ...も同時に表現されるのである。 参考文献 1──Le Corbusier und Pierre Jeanneret, Ihr Gesamtes Werk von 1910-1929, Verlag D...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.171-180
[連載 3]
...ムと合理主義的モダニズムの対立という、ル・コルビュジエにも典型的に備わっている構図が当てはま... ...─自然のヒエラルキーのピラミッド 引用出典=Le Corbusier, La Ville Radieuse, Boulogne (Seine), 1993.3──都市の循...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305
[連載 9]
...いう事態をつくったことは否定できない。ル・コルビュジエがラバトに赴いた際に、メジナがあまりに... ...ル・コルビュジエ「1937年博覧会A案」(段階計画) 引用出典=Le Corbusier Archive 136──ル・コルビュジエ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[批評]
個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ アイリーン・グレイ、一九四二年 「E1027」。一軒のモダンな白い家が、フランスのカップ・マルタン[マルタン岬]のロクブルンヌという人里離れた場所で、地中海か...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226
[批評]
ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影響である。彼女は第二次世界大戦の初めにコルビュジエのアトリエを離れたが、そのままアトリエと緊密な関係を続けていた。その家具は今日再び生産されているが、現代の工業...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[風景の修辞学 1]
1 風景が都市を生む すべての都市は見る人からおのれのかたちを受け取る。ひとつの都市のかたちは無数にある、といってもよかろう。そのかたちは表象として想像力にしみとおる力をもつようになる。もしかすると都市など、砂漠をふきわたる風のまきあげる砂塵のように、どこにも存在していなくて、ただ人びとがあたえた表象だけが、人びと自身...
[図版構成]
1499年、ヴェネツィアで出版された作者不詳(フランチェスコ・コロンナ修道士?、1433─1527)の物語『ポリフィリア(Poliphilo)の夢』は瞬く間にヨーロッパ中を席巻し、その後のさまざまな建築像の源泉のひとつとなった。というのも、主人公ポリフィリアによるヒロインを求める道程を描いたこの物語が、その途上で出会う...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.214-225
[論考]
ことによると、夢の連鎖は尽きないかもしれない。 ──J・L・ボルヘス『コウルリッジの夢』 しみ──不可視の連続体 一八二五年、晩年を失意のうちに過ごしたある男は、自らの描きためたドローイングをパリの王立図書館に寄贈し、一切の消息を絶った。それからちょうど一〇〇年後、ひげと帽子と眼鏡とコウモリ傘を愛した第二の男は、バレ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.172-184
[論考]
創造活動に携わるいかなる者にもまして、建築家は、未来を予測するよう心せねばならない。たとえ一軒なりと責任を持って家を建てるからには、建築家は差し迫った未来に起こりうる技術的な変化のみならず、生活様式★一に係わる変化を考慮するべきなのだ。まして大規模な住宅計画、さらには一個の街の全部分に係わるプロジェクトに際しては、いっ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わったのだ」、とわれわれは言うことができるだろうか。ミシェル・フーコーにならってエピステーメーの変容を、あるいはトーマス・クーンを想起してパラダイム・シフトの痕跡...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登場であり、二つめは建築における都市「公共性」論の確立、三つめは八〇年代から培われた場所論の展開、四つめは景観・風景論の萌芽、最後の五つめは学際的研究の深化による...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[批評]
現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向づけようとする歴史。そうした試行の政策や方法を考案しようとした知識人たちの歴史。完全で明確な言葉へと辿り着くことを断念した、新しい言語についての歴史。これらの歴...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[論考]
放浪生活を、また、ボヘミアニスムとも呼ぶべきものを讃えること。 ──ボードレール、『赤裸の心』☆一 最近出版されたリガとウラジオストックへの旅の記録において、ジョン・ヘイダックはまたもや、あの建築動物の部族を呼び覚ましてみせた──しかもその形態は大きく変化し、高度に進化している。この部族、すなわちこの十年を通じて少し...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.67-73
[翻訳]
空間の知覚と使用 感覚や知覚、あるいは運動といった次元を通じてであるにしろ、空間の身体的な大きさを考察の中に取り入れている建築家たちもいる。つまり空間の知覚に対する知が根底にはあり、それはこの複合的な問題について次のように書くCh・ド・ポルツァンパルクにおいてのみ明確に示されるようなものである。「建てられたものは、物体...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144
[翻訳]
一九世紀末にヨーロッパの大都市が急成長し、伝統的な都市は 大 都 市 (グロース・シュタット)あるいはメトロポリスとして知られる都市形態に変わった。この変容によって、モダニズムと前衛というきわめて重要な文化が生み出されただけでなく、社会学、心理学、政治地理学、精神分析といった新しい学問分野に基づいた、新しい都市...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.80-99
[技術と歴史 12]
山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって生み出されたものであります。しかし、プルーヴェに対する私の興味はそこだけに留まらず、彼の制作態度が二〇世紀という時代においていかに実験的であったかというところま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[批評]
...代間闘争だったと言えるのかもしれない。 ル・コルビュジエは当然ながら、新古典主義に転向する以前... ...一二──ル・コルビュジエも若いころミケランジェロに傾倒していた。H. Allen Brooks, Le Corbusier's, Formative Y...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[批評]
...ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである... ...eret (Le Corbusier), 1973. ハーヴァード大学でのph.D.請求論文(New York: Garland Publishing, 1977) ★四──Le Corbusier, OEu...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[対談]
...ル・コルビュジエというテーマ 米田──今日は、ル・コルビュジエを建築そのものというよりも建築を... ...ら広く捉えることによって、「近代建築=ル・コルビュジエ」という局面から抜け落ちている部分を洗...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.64-76
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[集中連載 2]
4 人文地理学的空間 前回にル・コルビュジエが「フランスの植民地事業への支持を隠さなかった」というコーエンのことばを引いたが、フランスの地理学も植民地事業と切り離せない形で発展した★一。地域への関心と対外進出は文字通り裏腹の関係にあったのである。パリに地理学会ができたのは古く一八二一年で、これは身分制護持を行なおうとす...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[非都市の存在論 11]
1 二つの扉 一九八八年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマンの仮設建築作品「二分割可能(Divisible by 2)」が何者かによって爆破された★一。この作品は首都の誕生」展開催に合わせてシカゴから移設されたものであった。ザンクト・ペルテンは一九八六年にウィーンに...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26
[論考]
熱帯型の建築 今の世の中から植民地主義の時代を顧みるとき、またその枠組みのなかでの建築家の活動をみるとき、植民地主義は、まさに、建築家が本国とは異なった環境と出逢う契機を与えたと言える。 ヨーロッパを出て、植民地の開発のために建築家が出向く先は、アフリカ、アジアの熱帯地域がそのほとんどを占めた。地中海の向こうに広がる、...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.195-204
[連載 5]
知の宮殿「ムンダネウム」14 14-4 クライアントと建築家:奇妙なチャートあるいは機能主義 ムンダネウム─世界都市のプロジェクトの敷地は、国際連盟本部の敷地にほぼ隣接している。もともとオトレの構想は国際連盟のそれと連動していたし、彼はその方面にも有力な関わりがあったから、敷地の選択がこうであったのは偶然ではない★一...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[批評]
...今回の特集において、ル・コルビュジエの階段にどのような位置づけが期待されているのかは不明だが... ...ビュジェ《ラ・ロッシュ─ジャンヌレ邸》1923 Le Corbusier, Euvre Complete 1910-29, Les Editionsこのような経路を描...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.112-114
[連載 8]
...17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわ... ...brard, Otlet, Le Corbusier, Marsilio, 1982.2──「パリ現代美術館」の計画 出典=『ル・コルビュジエ全作品集』...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[批評]
...無条件に美しくあるべきだったのである。ル・コルビュジエはそうであった。それ以降の建築家や都市... ...115. ★二◯──ibid., p.174. 図版出典一覧 図1──Le Corbusier Vol.5 de l'æuvre complète, Artemis, 1953, p181. 図2──Rem...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[循環する都市 2]
...の補助線を引くと、例えば一九二〇年代のル・コルビュジエによるパリ再開発にしても、帝国フランス... ...図するものであったということが言える。ル・コルビュジエの一方の意識としては、古典的な帝国的編...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.193-200
[都市観測者の手帖 7]
...た道が嫌いだ。ル・コルビュジエがまずそういう思想の持ち主だった。ル・コルビュジエは書いている... ...のはろば的なのだ。私はろばです。 さらにル・コルビュジエは書く。「直線は、都市の魂にとっても健...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.37-39
[大島哲蔵追悼]
...前者はグジャラードの州都で、この地域はル・コルビュジエのパトロンでもあったサラバイ家に象徴さ... ...都の計画(イスラマバード)に乗り出し、ル・コルビュジエと同じくモダニズムの立場に属するギリシ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.172-180
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...AAスクールの記号論セミナーで描かれた、ル・コルビュジエのロンシャン教会のメタファー 『ポスト・... ...多様な対応を目指すものだった。ほかにもル・コルビュジエの二面性を描いたり、意味作用をもつ風変...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[技術と歴史 4]
...ったとき、ル・コルビュジエの建築の光とはまったく違うと思いました。ル・コルビュジエの作品では... ...けれども──はル・コルビュジエとは全然違う。これを体験すると、ル・コルビュジエはちょっと古い...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[ディスカッション]
...ていたさまざまな問題に対する批判から、ル・コルビュジエのようなユートピックな都市の像が生まれ... ...でしょうか。見えなくなったところで、昔ル・コルビュジエたちが述べていた教育概念のようなものが...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.76-103
[批評]
...最終章において、怠慢と欺瞞に満ちた主流ル・コルビュジエの《サヴォア邸》[図5・6](白)と、傍流... ...相応しいかもしれない。宇宙開発技術は、ル・コルビュジエがパルテノンに比し★一一、後に、バンハ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248
[鼎談]
...ます。 柄沢──新宿の都市計画というのはル・コルビュジエのパリ改造計画案と同じで、極めて整然と... ...・ダリとル・コルビュジエの対峙にやや近い。『錯乱のニューヨーク』では、ル・コルビュジエが提案...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[都市の傷痕とRe=publik 4]
...趣味の問題なんだから」とやり過ごす術。 ル・コルビュジエの憤懣。それはこのスタイルの増殖に向け... ...足りない過去」の擁護などもってのほか。ル・コルビュジエの批判の矢面に立っていたのは、カミロ・...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.28-29
[建築の還元 3]
...のひとりが、ル・コルビュジエであったことは言うまでもない。事実、ル・コルビュジエはピュリズム... ...(純粋主義)を唱えていたのだから。ル・コルビュジエとオザンファンとの協同によって進められたこ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[建築の還元 1]
...ることができなくなったのである。例えばル・コルビュジエは、こうした差異のねじれに最も自覚的な... ...主義という言葉を選ばせたのはほかならぬル・コルビュジエだった。この本は初め、『合理的建築』と...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[論考]
...じめとした、「住むための機械」の発明家ル・コルビュジエの《サヴォワ邸》における水平窓による屋... ...83-94.(ロースと装飾について)、 pp.23-29.(ル・コルビュジエの五原則について)。また、ビアトリス・...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[鼎談]
...ったんだけれども、ロースは、ミースとかル・コルビュジエが出てくるちょっと前の──WTC的なものの... ...タイプの建築家なんです。ロースと較べてル・コルビュジエの建築は、面をいくつか重ね合わせ、構成...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[論考]
...建築五項」(『国際建築』一九二九年六月号:Le Corbusier, メles cinq points dユune Architecture Moderneモ, 1927)な... ...交換可能な文脈でしか用いられていない。ル・コルビュジエの「近代建築の五原則」は初訳で「現代建...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[批評]
...れるわけである。 1──ル・コルビュジエ、La Cheminé、19182──ル・コルビュジエ、Nature morte avec verre, livr... ...生み出しさえしたのである★二二。 8──ル・コルビュジエ「ローマの教訓」『レスプリ・ヌーヴォー』...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.77-94
[インタヴュー]
...てまとめると必ずつぶれました。この辺はル・コルビュジエの「輝ける都市」が文化的集積のうえにた... ...輝ける都市(ラディアント・シティ)」(ル・コルビュジエ)から九〇年代の「無印都市(ジェネリッ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[現代住宅論 3]
...ス》(一九三一)[図6]である。フライはル・コルビュジエの弟子でアメリカの先進的な工業技術に憧... ...ミニウム製モデル住宅を開発した。これはル・コルビュジエが唱えたドミノシステムと「近代建築の五...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.209-221
[都市の傷痕とRe=publik 3]
...スムという、視線による銃撃を行なう男。ル・コルビュジエ(『ユルバニスム』、一九二四)。彼はそ... ...危ないことを見ていない」点である。そうル・コルビュジエは言う。 三〇年来のモダニズム建築批判が...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.32-33
[翻訳]
...、組織の問題である。 MVRDVは、基本的に、ル・コルビュジエと「三〇〇万人の現代都市」という伝統、... ...野邦一訳、河出文庫、二〇〇六]。 ★一七──Le Corbusier, Des Canons? Des munitions? Merci, des logis S.V.P., Boulogne: ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148
[1990年代以降の建築・都市 6]
...族を説得し、急いで敷地を探す。つまり、ル・コルビュジエの母の家のように、先に家があって、後か... ...)比率、内外の一体化 いうまでもなく、ル・コルビュジエの近代建築の五原則にならったものだが、...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[論考]
...・スタディ・ハウスの歴史的な参照源は、ル・コルビュジエが第一次世界大戦中に開発されたテクノロ... ...畑強訳、鹿島出版会、一九九六)。 ★二二──Le Corbusier-Saugnier, “Les maisons ‘Voisin’”, L’Esprit nouveau 2,...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[CONCEPTUAL 日本建築 7]
...とは、ことほど左様にやっかいな存在だ。ル・コルビュジエは、日本でおそらくはこれを見たのだろう... ...にだが、「モデュロール」模様[★二──ル・コルビュジエと「モデュロール」]の目地を切り、洗い...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.186-200
[オルタナティヴ・スペース 3]
...問題。テラーニやル・コルビュジエにあって、ミースに無いものなんだ? ……答えは屋上。 九八年水... ...物理的な格闘がみてとれる。 彼と同時代のル・コルビュジエの建築でも、彼の近代建築五原則に「屋上...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.32-34
[現代住宅論 2]
...とも明確に展開したのは、いうまでもなくル・コルビュジエである。『建築をめざして』はその代表的... ... ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉阪隆正訳、SD選書、一九六七) とはいえル・コルビュジエは...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233
[論考]
...ン&ピーター・スミッソンの空中住宅街(ル・コルビュジエの内 側 の 道(リュー・アンテリウー... ...物用エレベータや地中海の名もなき建物をル・コルビュジエが参照したことが、無名の建物を特集した...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[論考]
...いる何かというものも感じさせる。それはル・コルビュジエ的な造形言語かもしれないし、プランニン... ...71)視点の問題 吉阪はル・コルビュジエの弟子であるが、同じくル・コルビュジエに強く影響を受けた...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.120-128
[スタディ]
...であり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ロー... ...は「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジエのテーゼに共感して文字通り機械のような...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[論考]
...た。ここで彼はル・コルビュジエの「パリ改造計画」を参照している。ル・コルビュジエの計画は、密... ...称えるのだ。 22──ル・コルビュジエ『建築をめざして』から鉄の構成 Le Corbusier, Towards a New Architecture... .......
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[インタヴュー]
...を、彼の著書『informal』の序文において「ル・コルビュジエに匹敵する構成の論理」だと絶大な評価をさ... ...ル・コルビュジエとミースに代表されるといってもいいと思いますが、とりわけそのル・コルビュジエ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[批評]
...年にパリで開かれた「デ・ステイル展」はル・コルビュジエ等に大きな影響を与えた[図13]★二〇。一... ...テレンによる「芸術家の家」(1923)13──ル・コルビュジエ「クック邸」軸測図(1926)14──エル・リ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.185-195
[批評]
...『ラ・ロッシュのアルバム』は、ル・コルビュジエの『全作品集』の一部であるともいわれている★一... ...取り上げられるものとしては、やはり画家ル・コルビュジエ(はじめは本名ジャンヌレの他幾つかのペ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.123-128
[批評]
...近代建築国際会議)と、当然のことながらル・コルビュジエによって提唱されたアーバニズムのひとつ... ...〇年)においてすでに示されている。 ★五──Le Corbusier, Towards a New Architecture, Trans. Frederick Etchells, Archite...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[現代住宅研究 2-4]
...建設された《エスプリ・ヌーヴォー館》(ル・コルビュジエ、一九二五)[図1]は、集合住宅の一住居... ...よう。 1──ル・コルビュジエ《エスプリ・ヌーヴォー館》 全景、内観(出典=Le Corbusier OEuvre Compléte)...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.21-25
[インタヴュー]
...論文があって、そして最後にグロピウスがル・コルビュジエに京都から送った絵葉書が収録されていま... ...ニズムを輸入し始めたのは前川國男さんがル・コルビュジエを学んで日本に持ちかえったときです。フ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[インタヴュー]
...の戻ってくるところが、論文「MICHELANGELO頌──Le Corbusier論への序説として」(『現代建築』一九三九年... ...。丹下さんは一九三七年にはバウハウスとル・コルビュジエは一緒ではないという問題に気付くんです...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[批評]
...んル・コルビュジエもまた空間が実体化することに徹底して抵抗した建築家だった。ル・コルビュジエ... ...には空間という要素は抜け落ちてしまう。ル・コルビュジエにとって構成要素が「集合」している状態...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.82-83
[現代住宅論 7]
...揺り動かした時代である。二〇世紀初頭にル・コルビュジエがいったように、一九世紀は「技師(エン... ...『建築をめざして』(一九二四)のなかでル・コルビュジエは一九世紀の建築を、技術が一方的に形態...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[対談]
...ど、今の状況は二〇世紀前半のハワードやル・コルビュジエたちが見ていた状況とはまるで違います。... ...の区分自体が違うのかも知れない。例えばル・コルビュジエ的に言うと、交通・勤労・居住・余暇とい...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72
[翻訳論文]
...、彼は、パリを拠点としたスイス人建築家ル・コルビュジエに動機を与えた臆面もない人間中心主義を... ...の合理的なデザイン・プロセスを尊んだ。ル・コルビュジエの「モデュロール」はそのプロセスの基盤...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.171-185
[対談]
...のル・コルビュジエの連載に繋がっています。そこでは、近代的アーバニズムは、ル・コルビュジエに... ...らない段階に来ている」という発言です。ル・コルビュジエは『伽藍が白かったとき』の有名な言葉で...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[論考]
...もよく表わしているのがその立面である。ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》(マルセイユ... ...住宅」計画 立面 出典=W.Boesiger and H. Girsberger, Le Corbusier 1910-65, Artemis Verlags-AG, Züich, 1967.2 解体 近代住...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[現代建築思潮]
...同時代のオランダ建築を紹介しています。ル・コルビュジエの「シトロワン住宅案」が二二年、グロピ... ...ない。 [本間健太郎] 高階秀爾ほか編『ル・コルビュジエと日本』(鹿島出版会、1999) 本書は、1997年...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[論考]
...タルト比較に言及していく。彼は、実際、ル・コルビュジエのサン・ディエ計画案[図1]を引き合いに... ...リス!]ということになる★六。 ロウはル・コルビュジエのこの大戦後の計画案——このような計画所...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[インタヴュー]
...フ・ロースの「被服の法則」へ、さらにはル・コルビュジエの「リポリン則」へいたる線は、一九世紀... ...ているの。たとえばル・コルビュジエの件では、わたしは最初、ル・コルビュジエとメディアについて...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[現代住宅論 1]
...交流を目的として創立され、その先導者はル・コルビュジエだった。CIAMの第四回会議は一九三二年にマ... ...づけたのは、この「アテネ憲章」である。ル・コルビュジエは「アテネ憲章」の起草に決定的な役割を...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[ポストモダニズムと建築 3]
...けル・コルビュジエのヴァレリーに対する意識は特筆に値する。東秀紀の『荷風とル・コルビュジエの... ...パリ』★三が述べるように、ル・コルビュジエはしばしばヴァレリーを引用し、著書をまめにヴァレリ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44
[都市論の系譜学 1]
1 批判の都市論、あるいは都市論批判の系譜をさかのぼってみたい。それによって都市論の臨界を見きわめることができるはずである。社会科学において「批判理論」や「疎外論」がはたした役割についてはすでに一定の評価ならびにその限界の指摘がなされている。同じような意味において、狭義の「都市論」を超える方向で都市や建築を語る言説のス...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.317-329
[論考]
一九五七年、シチュアショニスト・インターナショナル創設の前夜、ギー・ドゥボールは二つの異色なパリの地図を制作した。彼の友人でもあったデンマーク人画家のアスガー・ヨルンの助力を得て作られた『恋愛の情熱についてのディスクール』は独特の折り畳み地図であり[図1]、一方の『ネイキッド・シティ』[図2]はヨルンの一九五八年のパン...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.85-92
[批評]
「クローゼット」という言葉には、別々の、しかし関連しあう二つの意味がある。ひとつには、クローゼットとはものが収納される空間のことである。「あなたの服はクローゼットのなかにあります」と言ったりするのはこの意味においてである。だが「ジョーは何年もクローゼットのなかにいた」という発言は、彼がズボンとネクタイを合わせようとして...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.120-129
[批評]
「純粋な」視線に到達することは困難なのではない。それは不可能なのである。 ヴァルター・ベンヤミン★一 都市、すなわち現在の大都会は、現代世界において人々が体験するさまざまなことの隠喩となっている。そこにおける日常生活の細部において、その歴史、言語、文化の複雑性において、その世界化の傾向と地方的な特徴の諸相において、都...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.105-120
[図版構成]
身体劇場──形式と空間 演劇やダンス、パフォーマンスを総合して〈舞台芸術〉、あるいは〈パフォーミング・アーツ〉と呼ぶとき、それらの共通項として主題化されるのは、『身体と空間」であると言えるだろう。逆に言えば「身体と空間」について思考しようとするとき、くパフォーミング・アーツ〉は建築と並ぶ重要な領域を占めており、かつ「身...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.143-154
[批評]
あなたは寝室の天井の色を覚えている? 白、だと思う。グレーかもしれない。ベージュかな。紫がかっていたかも……。 写真的記憶という言葉がある。何かの事物を言葉としては思い出すことができなくとも、場面を思い浮かべ、その映像の一部分を拡大していくことによって、細部を思い出すことができるというようなものだ。しかし多くの場合、...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[批評]
われわれは自宅でさまざまな形でエネルギーを享受しているが、それに支配されていると考えたことなどない。同じように、将来さらに速く変化し変容するこうしたエネルギーを享受し、それらを知覚し統合するわれわれの感覚器官が、それらからわれわれが知りうるすべてを成し遂げることも当然のことのように考えている。果たしてこれまで哲学者たち...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.78-87
[批評]
1 英語の「ランドスケープ」という言葉と日本語の「風景」という言葉には、相似とともに相違があるだろう。オギュスタン・ベルクによれば、日本語の「風景」という言葉が中国から導入されたのは平安時代のことで、ひとそろいの美的図式とともに当時の日本の上層階級に「風景」を成立させたのだという★一。ベルクの指摘は興味深いものだが、と...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.68-87
[批評]
アメリカ人は私によくこう尋ねる。なぜキューバ人は、亡命している者も国内にいる者も、キューバのことだとすぐに感情的になってしまい、議論はそんなに分裂してしまうのか、そしてなぜ私たちの感情は三三年もたっているのに当時のままなのか、と。私はそれにはこう答えることにしている。「私たちはいつも、もっとも愛している人々を相手に戦っ...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.111-127
[批評]
1語り得ぬ都市へのまなざし 〈すでに明らかな前提として深く了解されているのにもかかわらず、その全体性を不確かな手触りにおいてしか問えないでいる〉──都市の現在性へのまなざしは、何よりもまずこのような認識のもとで開かれるより他ないだろう。都市を、今のわれわれはもはや違和の環境として対他的に読み下すことはできない。都市とい...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.74-85
[論考]
ネイション・ステートを懐疑的に見なくてはいけない今日の状況下では、もはや首都という存在すらユートピアになりかねない。幸田露伴が「一国の首都」で説いたモラルたっぷりの「自覚」★一を、昨今の東京で見つけるのは不可能であろう。かつて日本でも「国家的デザイン」が議論されたことはあった。これからもその議論が行なわれる契機はあるだ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.210-220
[論考]
ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修復国際研究センター:ローマにあるユネスコの機関)に行っていたのだが、私はそこで二度、90年代のアーバニズムに特有な状況を体験した。最初は、新東京国際空港から旅客...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[論考]
地図をつくるまなざし 生命とはなにか、という科学的な問いに答えることが問題ではない。ここで問うのは、生命が身体の活動を通してどのように自らの世界を構成してきたかである。ここでの生命とは、社会文化的な活動なのである。人類は気の遠くなるほどの年月、なんらかの表象記号を媒介にして自らの生命を記述する努力をしてきた。洞窟の岩...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始ま...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[都市の全域性をめぐって(上)]
1 空間論的転回 都市をめぐる社会科学的な議論のなかで、今日しばしば、社会理論や都市の社会学における「空間論的転回」と呼ばれる事態が語られてい る★一。アンリ・ルフェーヴルの都市論、マニュエル・カステルの新都市社会学、デヴィッド・ハーヴェイの社会地理学、アンソニー・ギデンスの構造化理論などに典型的に見出されるとされるこ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.246-254
[批評]
1『東京─大都会の顔─』 一九五二年に岩波写真文庫の一冊として刊行された『東京─大都会の顔─』の冒頭には、「この本の読みかた」として次の文章が掲げられている。 東京に関して、その歴史的懐古、首都的性格、或いは戦災の報告は、また別の課題になるであろう。ここでは大都会のもつ一般的な容貌を、東京に代表させて説明する。読者は...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.196-206
[批評]
チェス盤という装置 中世以来西欧の芸術文化において、チェス盤あるいはチェッカー・ボードと呼ばれる装置が地図、タブローといった異なる装置との間で取り結ぶ(奇妙な?)関係について、幾つかの大まかな観察を試みようと思う。それらの観察は、その予備的な作業として「考古学(アルケオロジー)」の範疇に属する探求を必要とするであろう。...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.182-195
[論考]
われわれはおそらく、ルフェーヴルによる空間の政治学に対する要求と、つまるところ、まさしくグラムシ的な建築の探求を擁護するためになにかを語らなければならないことになるだろう。 ──フレデリック・ジェイムソン「建築とイデオロギー批判」 I 多摩ニュータウンを移動していると、奇妙な空間感覚に陥いることがしばしばある。駅や...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136
[映像のトポス 1]
映画、都市、ベンヤミン 映画と都市の関係を探究することがモダニティの理解にとって有効な戦略であろうということ、これは、ベンヤミンが晩年にその萌芽を示しながら自分では発展させる時間がなかった直感的洞察のひとつである。「複製技術時代の芸術作品」(一九三五─三九)や「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(一九三...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.33-44
[都市表象分析 11]
一、大虐殺の「イメージ」 「一九世紀の首都」パリを舞台に、近代の原史を回想過程で立ち現われるイメージに結晶化させようとした試みがヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』であったとすれば、都市表象分析が想起すべき「二〇世紀の首都」とはどこだろうか。いや、そもそも都市の記憶を通して歴史のイメージを浮かび上がらせようとするア...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.2-12
[映画とニューメディアの文法 1]
映画は、一一〇年になろうとするその歴史において、いくたびも危機にさらされてきた。まずは、三〇年代にトーキーの普及によってサイレント期の視覚的洗練を失い、五〇年代にテレビの大衆化によって最初の大きな凋落期を迎える。六〇年代のヌーヴェル・ヴァーグは、映画史に自己反省的な視線を向けることで、映画を再生する試みだったと言えるが...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.31-33
[レヴュー]
磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊からなる充実した書物(タイトルにもかかわらず現代建築史の資料としてもきわめて価値が高い)も出版された[図1]。そのインパクトは、実現された建築群に勝るとも劣らな...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[都市表象分析 1]
1 墓地という劇場 インターネット上に建立された墓、「サイバーストーン」と呼ばれるプロジェクトがある。発案者である松島如戒によれば、その発想の原点には、ヒトを除くすべての生命体は、生を終えたのち、生態系に還元されてゆくのに、ヒトだけが死後、墓というスペースを占有しつづけることが許されるのだろうかという疑問があった。発...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.2-11
[論考]
地理学は帰ってきたのではない。やってくるのは新しい地理学だからだ。 地理学は今日、基礎学においても、専門技術の分野においても、エンジニアリングにおいても、よりよく理解され、ますます期待をかけられている。しかも相変わらず学校教育の遺物という重苦しいハンディをかかえながらである。これは地理学が本質的に変わったからである。以...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.178-190
[音 2]
0 パリを訪れる人は多いが、毎日曜朝に執り行なわれているノートルダム寺院[図1nのミサはほとんど知られていない。この都市で音と時間、そして空間を考えるなら、ポンピドゥー・センターやブーレーズ肝煎りのシテ・ドゥ・ラ・ミュジックよりも、私はノートルダムの側廊で耳を澄ませることを勧めたい。そこでは今日も、グレゴリオ様式による...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.40-41
[音響場試論 1]
序に代えて 〈音響場〉あるいはアクースティック・フィールドという言葉は本来、録音スタジオやコンサート会場、あるいは個人のリスニングシステムにおける音の定位に関する術語である。音源、あるいはその代役であるスピーカーに対する耳、あるいはその代役であるマイクロフォンの位置取り。つまり、どこでどの音がどう聴こえるか(あるいは聴...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.25-26
[Urban Tribal Studies 14]
ここにはドイツ青年運動の奇妙な、独特の体質がある。青春を、やがて成熟へと吸収される人生の一段階と見ることを断固として拒否し、青春に固有の文化的、認識論的権利を、その制度的保証とともに彼らは要求した。今のことばで言えば、独自のヤング・カルチャーがもつ変革のパワーに固執した。他方で、そうしたパワーの根拠を、青春の生命と宇宙...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.176-186
[ネット公正論──データの逆襲 2]
「死は生よりも尊とい」 こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。 しかし現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曾祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。 夏目...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.28-34
[ネット公正論──データの逆襲 3]
自己とは何であり、石や水たまりのように自己をもたないものからいかにして自己が生まれるのか。「私」とは何なのか。 ダグラス・R・ホフスタッター「GEB二〇周年記念版のために」 (『ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環 二〇周年記念版』 野崎昭弘+はやしはじめ+柳瀬尚紀訳、白揚社、二〇〇五、四頁) この問いに...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.25-32
[ネット公正論──データの逆襲 1]
最終結果だけでなく、そこへの過程も同時に示すような作品。バラバラのカードに記されたノートや、かべにうつされる図や公式とともに上演される。 過程と結果を区別することにどんな意味があるのか? ニューヨーク州バッファロー、一九六八・二・四 集団的創作は、具体的なモデルの上に作曲家・演奏家・聴衆の三つのちがう機能が結合され...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.30-38
[音響場試論 2]
近代メディアと社会関係の脱埋め込み化 前回はオスマンのパリ改造に象徴される都市空間の近代化が、パリをブルジョワ的な西部と庶民的な東部に分化し、同時にそこで響く音にもトポロジカルな棲み分けを産み出したことを確認した。今回は、都市空間におけるトポロジカルな音の棲み分けが、メディア技術による媒介を受けながら拡大再生産されてい...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.41-43
[Urban Tribal Studies 17]
トライブは重なり合う。ひとりのサブカルチャー的主体(個人)は複数のトライブに帰属することができる。音楽ジャンルをとってみても、ヒップホップを愛する「Bボーイ」である者が同時にテクノやトランスのトライブに属していることは珍しくない。トライブを横断する主体はそれぞれのトライブの空間(なわばり=テリトリー)の文脈に合わせて微...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.202-210
[知の空間=空間の知 8]
けだものが脱走する 一八五〇年三月二〇日の夜更け、パリ植物園附設の動物園(La Ménagerie)の檻から、一頭の巨大な狼が脱走する。鎖を引きちぎり庭園の暗がりの中に駆けこんだ獰猛な野獣を捕獲すべく、銃で武装した捜索隊がただちに編成される。だが、現在のように至るところ庭園灯で煌々と照明されているわけではない時代のこと...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.2-17
[都市の全域性をめぐって(下)]
1 都市の〈起源〉 ピレンヌがそれを「解放」と呼んだように、ヨーロッパ中世の都市は、当時のヨーロッパを覆っていた封建的な社会関係から解放された「自由」の空間として存在していた。土地を媒介とする保護と臣従を関係の原理とする封建社会において、土地への帰属はそのまま封建的な支配関係への帰属を意味する。そこでは土地とは、臣従と...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.231-242
[論考]
1 人間の不在/マネキンの現前 士郎正宗の『攻殻機動隊』、あるいは押井守の『イノセンス』における義体─義手や義足のように人間身体を人工物で代置したもの─は、普通の人間身体よりも多くの「穴」を持つ。すなわちそれは、首の後ろにある四つのジャックである[図1]。義体はこのジャックを持つことにより、都市のいたるところでネットワ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.208-217
[翻訳]
移動はわれわれの社会の力学(ダイナミクス)の中心にある。社会的、経済的、都市計画的に言ってそうなのである。それほど大仰な言葉を用いなくても、ただ生活の中心に移動があると言うこともできよう。停滞とは、死あるいは生気を失った事物を意味している。さらに言えば、物質はそれ自体が移動[=運動]であるのだから。 すべてのものがつね...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.169-178
[翻訳]
屈折は、変異する曲率を持つ表面を記述する記号である。だが、非存立[inconsistance]と移行存立[transistance]の間にあるこれらの表面を、ほかの記号によってうまく指示することができるかもしれない。こうしてオジーブと螺旋が同様に、曲率の変異にとっての可能な形象を提供することになる。ただし屈折は、線ある...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.192-207
[論考]
1|悲しい母親たち 空き家を利用した地域の老人集会所から、豪華ホテルのような介護付高齢者住宅まで、高齢者向け施設は着実に増加しつつある。団塊の世代が高齢期を迎えようとしており、高齢者人口の急激な増加が見込まれることがその背景にあると信じられている★一。かつて「老人ホーム」といえば、それほど響きのよいものとはされなかった...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.100-105
[論考]
1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international exhibition)、世界博(world fair)等々──は「進歩の時代」を象徴するイヴェントとして幾度となく開催され続けてきた。この進歩の時代を眺めると、万博...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[論考]
一〇〇都市めの中間報告 『10+1』No.31「特集=コンパクトシティ・スタディ」のリサーチで、タイの一〇万人都市ナコン・パトム(Nakhon Pathom=最初の街)を訪れてから五年が経った。その間、日本の三八都市、海外の六二都市を見て回り、それぞれの都市における課題と、そこで要請されている建築の役割を調べてきた。費...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.122-123
[論考]
建築的複合体は改変可能になる。その外容は住民の意思に沿って時には部分的に、時には全体的に変貌するだろう。 その住民たちの基本的な活動は連続的な漂流となる。刻一刻と変化していく風景は、完全な異化作用をもたらすだろう。 その後に、回避不可能である身振りの飽和によって、この漂流は生態的な次元から表象の領域へとシフトしていくだ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.129-135
[知の空間=空間の知 4]
炎に包まれるオルセー パリを燃やしてしまえ。日に日に「現代化」しつつある一八八〇年代末のフランスの首都に、「現在」への屈折した憎悪を抱えこみつつ暮らしていた奇矯な作家が、文化状況を論じた時評的なエッセーの一節に、ふとこんな呪詛を書きつける。「証券取引所も、マドレーヌ寺院も、戦争省も、サン=グザヴィエ教会も、オペラ座も、...
[知の空間=空間の知 6]
選別と階級 周囲三六〇度の全方位から迫(せ)り上がってくる「無限」の脅威と正面から向かい合ったとき、「知の主体」は、「中心」という特権的な一視点から「全体」を一望の下に所有しうるという「パノプティック」な全能感を享受する一方、同時にまた、生の有限性に拘束されている者ゆえの無力感にうちのめされざるをえない。「肉は悲しい、...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.2-17
[知の空間=空間の知 2]
バシュラールの樹木 一九世紀西欧の巨大円形閲覧室の中心点に登場した、二律背反的な「知の主体」としての「人間」。彼の運命は、全能と無力、無限と虚無という両極の間で引き裂かれてあるほかないというその存在様態のゆえに、必然的にある悲劇的な相貌を帯びざるをえない。むろんそれは、ロマン主義的とも形容されえよう勇壮なパトスの昂揚と...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.2-15
[都市論の系譜学 3]
1 ここに都市と建築についてのいくつかのテーゼの断片がある。 「SIの最小限綱領は、完全な生の舞台装置(デコール)を実験すること──(…中略…)」。 「統一的都市計画とは、すべての領域で、最も進化した概念にしたがって、意識的に、人間の環境を創造しなおす、複合的で、永続的な活動として定義される」。 「居住、流通、およびリ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.263-274
[都市論の系譜学 2]
「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市について考え、あるいは語るさいにその形式として機能する。この言葉が明確な定義なしでも機能しうるのは、それじたいが「都市」の概念を生産し、使用させるフレームでもあ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[翻訳論文]
ベルナール・チュミが、ピーター・アイゼンマンとジャック・デリダに、パリのヴィレット公園にあるプロムナード・シネマティック沿いの庭園のひとつを一緒にデザインしてみないかと誘いをかけると、二人ともすぐさま同意した。実際、彼らのコラボレーションは大変目立つものだったので、奇妙なことにその遅れも、まるではじめから準備されていな...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.117-128