ヘルツォーク&ド・ムーロン
商業施設|2003年
[素材─構造]
...規範によって進められているのか。 《プラダ ブティック青山》は、原宿表参道を延長した通り沿いに... ...はないか。 1──《プラダ ブティック青山》 筆者撮影2──《プラダ ブティック青山》 筆者撮影ここで...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.100-103
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...住宅》 ・ヘルツォーク&ド・ムーロン《プラダ ブティック青山》 ・藤森照信《一夜亭》 ・坂茂《紙の...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[制度─都市]
オーギュスト・ペレはその著書『建築理論への寄与』のなかで、建物を美へと結びつける道標として「特質、スタイル、調和」を挙げている。それは構築的なるものの美に関する...のひとつが、この表参道なのである。《プラダ ブティック青山》は意匠のための免震構造を含め、法的...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.136-139
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...でも日本人は意外と気づいていません。 プラダ ブティック青山店 撮影=増田圭吾TOD’S 表参道店 撮影...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[生産─技術]
日本の建築家なら、だれでも一度くらいは地震のある国で設計しなければならないことを恨めしく思ったことがあるのではないだろうか。ル・コルビュジエは近代建築の原則とし...な条件を除去するための機能であり、《プラダ ブティック青山》ではデザイン着想を実現するための基...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.116-119
[建築を拓くメディア]
...大著のほとんどをテキストで埋め尽くした「Herzog & de Meuron: Archaeology of the Mind」展のカタログ『Natural Histo...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[批評]
《バルセロナ・パヴィリオン》[図1]や《チューゲントハット邸》において用いられた、四本のアングルを組んでクロームメッキのプレートで包まれた十字柱は、ミース・ファ...ているという基準によって安藤忠雄やヘルツォーク&ド・ムーロン、アルヴァロ・シザらの建築群がグ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[制度─都市]
美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時...ォーマンスが行なわれている。また、ヘルツォーク&ド・ムーロンの《シャウラガー美術館》(二〇〇三...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[日本]
「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」とい...ースに始まり、ピーター・ズントー、ヘルツォーク&ド・ムーロン、伊東豊雄、妹島和世、MVRDVといった...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[批評]
あなたは寝室の天井の色を覚えている? 白、だと思う。グレーかもしれない。ベージュかな。紫がかっていたかも……。 写真的記憶という言葉がある。何かの事物を言葉と...ヴェネツィアの建築ビエンナーレでのヘルツォーク&ド・ムーロンとバルタザール・ブルクハルト、ハ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[都市とモードのフィールドノート 3]
現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。 それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する...莫大な資本を投下したコールハースやヘルツォーク&ド・ムーロンによるプラダ・ショップとは良くも...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39
[都市表象分析 31]
1 「非都市」という戦略 前回の論考は、拙著『都市の詩学』に対する趣向を変えたあとがきのようなものとなった。それが本連載を中心として、ここ数年の都市論やイメージ...ァーチュアル・ハウス」においても、ヘルツォーク&ド・ムーロンのように、オープンエンドなコミュ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...家型 一九九〇年代以降、海外でも、ヘルツォーク&ド・ムーロン、ギゴン・アンド・ゴヤー、MVRDVを含...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展を...た施設建設は勢いを止めることなく、ヘルツォーク&ド・ムーロン、MVRDV設計のメイン施設やジャン・ヌ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[論考]
ヨーロッパにとって、二〇世紀最後の二〇年間は混迷の時代であった。東欧の共産政権の崩壊、東西ドイツの再統合、欧州連合(EU)内部での統一の加速、バルカン諸国の戦争...に財政危機に陥ってしまった。一方、ヘルツォーク&ド・ムーロンの《テイト・モダン》は財政的にも...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.74-77
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...同じスイスのチーリッヒ工科大学でのヘルツォーク&ド・ムーロンを中心としたリサーチ・プロジェク...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[対談]
神経系都市論の問題設定 田中──今回の特集は「神経系都市論」という耳慣れないタイトルをつけていますが、どういう発想で考えたかについて話したいと思います。キーワー...す。 建築にからめて言えば、最近、ヘルツォーク&ド・ムーロンの《プラダブティック・青山》、伊東...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[論考]
...れた土地」であることが多い★一六。ヘルツォーク&ド・ムーロン《SBBスイス連邦鉄道バーゼル機関車車... ...国土地理院、1/1万地形図、品川32──ヘルツォーク&ド・ムーロン 《SBBスイス連邦鉄道バーゼル機関車車...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.73-84
[キーワード]
...フォーラム》のガラスのキャノピー、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる《シグナル・ボックス》での銅... ...主にスイス系の建築家によるもので、ヘルツォーク&ド・ムーロンやピーター・ズントー等の作品に代...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[現代建築思潮]
...ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材の... ...コンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[批評]
...ーヴェル、ピーター・アイゼンマン、ヘルツォーク&ド・ムーロン、そして、ダニエル・リベスキンド... ...ュアル・ハウスを開始させる」というヘルツォーク&ド・ムーロンや、〈用地〉そのものとして家を建...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[論考]
...なかに垣間見ることができる。例えばヘルツォーク&ド・ムーロンは一九八九年に行なわれた「バルセ... ...ていたのは住宅地開発だったのだが、ヘルツォーク&ド・ムーロンが実際に行なったのは、セルダ地区...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[論考]
...であった★二。ここ何年ものあいだ、ヘルツォーク&ド・ムーロンは、自らの仕事をドレスアップする... ...なかった★一二。この観点に立てば、ヘルツォーク&ド・ムーロンの作品──正確を期すならば、《フ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[論考]
...(=強度/分布/不均質)である。 ヘルツォーク&ド・ムーロン「バーゼル都市再整備計画」 (スイス... ...再整備計画」(バーゼル[スイス]、ヘルツォーク&ド・ムーロン) ◆「長崎港(元船地区)旅客ター...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[翻訳]
...レム・コールハース/OMA、伊東豊雄、ヘルツォーク&ド・ムーロンなど、登場する建築家たちも同じで... ...リア、1991─96 ⒸChristian Richters, Munsterヘルツォーク&ド・ムーロン 《セントラル・シグナル・ボックス4...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[都市とモードのフィールドノート 1]
...道ビル》[図1]、今年六月にできたヘルツォーク&ド・ムーロンの《プラダ青山ビル》[図2]は建築デ... ...──ルイ・ヴィトンの建築」ルイ・ヴィトン ジャパン Prada Aoyama Tokyo Herzog & de Meuron, Fondazione Prada, 2003... .......
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.30-32
[現代建築思潮]
...そこがブランド建築の新しさです。 ヘルツォーク&ド・ムーロンが作ったプラダ青山店なども、初めて... ...向にあると思います。例えばプラダがヘルツォーク&ド・ムーロン、TOD’Sが伊東さんであること、ある...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[論考]
...大学図書館(Eberswalde、ドイツ、2000)出典=Herzog & de Meuron, Eberswalde Library註 ★一──Paris et le Daguerréotype... ...& Meuron, Lars Müller, 1991. ★一八──Architecture of Herzog & de Meuron, Peter Blum, 1995. ★一九──Judith Turner Photographs ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[建築を拓くメディア]
...マテリアルが建築を誘導する。 ヘルツォーク&ド・ムーロンやピーター・ズントーらの建築を通して、... ...成させるマテリアルの可能性である。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築が提示する表層性とは、環境...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.116-117
[現代建築思潮]
...傾向は垣間見ることができる(北京のヘルツォーク&ド・ムーロンやロンドンのfoaなど)。 とはいうもの... ...年の北京オリンピックがありますね。ヘルツォーク&ド・ムーロンがメイン・スタジアムを設計しまし...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32