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資本主義と社会主義の狭間で喘ぐキューバ | 熊倉敬聡
Cuba: Gasping between Capitalism and Socialism | Kumakura Takaaki
掲載『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線, 2001年06月発行) pp.31-32

今年の一月、初めてキューバに行った。なぜ、キューバなどに行ったのか。
四年前、フランスのグルノーブルで、文化省主催の、フランスの文化政策を学ぶ(学ばせられる?)セミナーがあった。東欧、北欧、北アフリカ、中南米、アジアなどから文化行政やアート・マネージメントに携わる人々が二〇名近く参加したが、そこでキューバの文化省に勤める女性に出会った。二週間、毎日顔を合わせていたので、個人的に親しくなった。その後、彼女に頼まれ、その年のリヨン・ビエンナーレの取材記事を、キューバの雑誌のために書いたが、通信事情が著しく悪いために、原稿がなかなか届かず(最終的に彼女の手元に届いたのは一年後だった)、結局掲載は見送られた。
そうこうするうちに、九八年の四月から、私はニューヨークに住むようになった。そういえば、キューバは近いではないかと気づき、彼女に会いに行こうかと、旅行代理店に問い合わせたが、もちろんアメリカ合衆国は、キューバと国交がないので、キューバ行きのチケットが買えない。カナダか、メキシコにいったん出て、現地で改めて買わなくてはならないと聞き、なんとなく面倒になり、そのままにしたのだった。
ところが、ヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が封切られる。そこに描かれたハバナの町並み、人々の表情、時間の流れ方に魅了され、またキューバへの思いが募る。
その後、日本に帰ると、なぜか日本は「キューバ」ブーム。急に、日本人がサルサを踊りだし、日本航空は直行便まで出す始末。その、相も変らぬ「ブーム」の表層性に嫌気が差し、キューバなど行くものかと、ひとり粋がっていたものの、突然ハバナ・ビエンナーレの取材の話があり、あっさり行くことにしてしまった★一。
そんなこんなで、四年がかりの紆余曲折の後、一月三日、ハバナに着いたのだった。
しかし、そこは、予想以上に、日本のメディアが作り上げた記号的「キューバ」とは似ても似つかぬものであった。廃墟のような旧市街に棲みつく人々の荒んだ表情、廃車寸前のような車やトラックが撒き散らす猛烈な排気ガス、物資の不足でスカスカの商店の棚、馬や自転車が「追越車線」を逆走してくる穴だらけの「高速道路」などなど。
だが、キューバは単に貧しいだけではない。それは、資本主義と社会主義という、近代が作り出した二大システムの狭間で喘ぎ苦しんでいた。
キューバは現在、(皮肉にも)完全に二重経済である。「人民」の通貨ペソとツーリストの通貨米ドル。しかも、米ドルの脅威はいまやツーリズムから溢れだし、民衆の日常生活にも浸透しつつある。生存に必要な最低限の物資は配給され、教育や医療は無料だが、スーパーや小売店での支払いはドルが主流になりつつある。生命の再生産に必須なもの以外の「奢侈品」(といっても、肉、チーズ、アルコールといったわれわれにとっての日常品だが)はドルでしか手に入らなくなりつつあるので、皆ドルを得ようと躍起になる。当然、ドル札は不足する。
ハバナには、カリブでは珍しい「チャイナ・タウン」がある。しかし、今は、その「チャイナ・タウン」に中国人はほとんどいない。キューバ人たちが「チャイナドレス」もどきを身につけ、「中華料理」もどき、というか文字通りの「無国籍料理」を作っている。その味は、友人の日本人アーティストいわく「戦慄すべき」不味さだ。その不味さを味わうため、ランチをした。勘定のおつり四ドルの中に「一ペソ」札が一枚混じっている。さては、観光客だと思い馬鹿にされたか、と憮然としながら、その「一ペソ」札を一ドル札に交換してもらった(ちなみに通常のレートは一ドル=約二〇ペソである)。店の人は、解せない顔をしている。
翌日、ホテルの枕銭として、財布に入っていた「二〇ペソ」札をおいた。その晩、上記の友人のアレンジで、ある大学教授宅のパーティに招かれた。現地のアーティストや俳優や評論家など一〇数名のこぢんまりとしたホーム・パーティだった。スープに、サラダに、ラザーニヤに、デザートという、ヨーロッパなどではごく当たり前のメニューだった。家がハバナの大分郊外だったので、帰りはタクシーを呼んでもらったが、待てど暮らせどやってこない。結局、二時間後にタクシーはやってきたが(キューバでは驚くに当たらない)、その間その教授と世間話をしていた。片言の英語ながら、彼は真摯に私のいろいろな質問に答えてくれたが、最大の驚きのひとつは彼の月給(ペソ払い)が、ドルに換算して二〇ドルだということだった。しかも、今日のパーティの食費は、二〇ドルかかったという。つまり、この「ごく当たり前」と見えた一晩の食事(もちろんキャビアやフォワグラなどの高級食材など一切使われていない。大体そんなものはこの国では手に入らない)に彼は月給を丸ごと投じたことになる。それは、特別な「大ご馳走」だったのだ。そして、話がキューバ経済に及んだとき、彼は妙なことを言い始めた。キューバには、通貨が三種類あると言うのだ。でも、ペソとドルだけでは、と私が言うと、いやもう一種類「ドルペソ」というものがあるのだ、と言う。片言の英語なので、彼の説明はわかりにくかったが、要するにキューバには、キューバ政府が発行する、通常のペソとは異なる、ドルと等価のもうひとつ別な「ペソ」があるということらしいのだ。えっ、そういえば思い当たる節がある。あのチャイナ・タウンのおつりの中に混じっていた「ペソ」は、それではこの「ドルペソ」だったのか。ということは、もしかすると、今朝枕銭としておいた「二〇ペソ」ももしかすると「二〇ドルペソ」だったのではないか。ということは、「二〇ドル」のチップを上げたことになる。二〇ドルと言ったら、この教授の月給と同じではないか。今ごろ、メイドさんは感極まっているだろう……。といった、様々な思いが走馬灯にように頭の中を駆け巡った。
タクシーを待ちながら、タクシーの話になる。キューバの移動手段は不思議だ。皆、お金がないので、移動するのになるべくお金を使いたくない。だから、キューバの主な移動手段は(ハバナ市内においても)オートストップだ。角角には、自分を乗せてくれる車を気長に待つ人々が立っている(だから、キューバ人と待ち合わせをする場合、パンクチュアルであるのは原理的に不可能だ)。でも、必ずしも自分が行きたい場所に行く車が見つかるとは限らない。そうした時、(ペソ払いの)バスか種々の乗合タクシーを利用する。「タクシー」と一言で言うけれど、この国には実に多様なランクのタクシーが走っている。庶民が使う乗合タクシーにも三種類あり、観光客用には(ドル払いの)タクシーがやはり(少なくともハバナには)三種類ある。自転車でこぐ「ビシタクシー」、バイクにココナッツ型の可愛らしい座席をつけたその名も「ココタクシー」、そして最も高級な日本や欧米の新しい車を使った「ツーリストタクシー」。ツーリストタクシーの料金は、東京の半分ぐらいだろうか。つまり、このタクシーの運転手は、うまくすれば大学教授の月給以上のドルを一日で稼げてしまうのだ。それで、くだんの教授の話によると、最近、ハバナ大学では大学教授からこのタクシーの運転手に「転職」するケースが急増していると言う。こんな「頭脳流出」があっていいのだろうか。
今回会った知識人の多くは、カストロの現政権、そして社会主義システムに部分的にも批判的であった。ソビエト連邦が崩壊し、北朝鮮も資本主義体制への歩み寄りを模索する中、「社会主義国」キューバは、国際的な孤立をますます深めている。しかも、経済と情報のグローバリゼーションの猛威に、キューバと言えど抗しきれず、米ドルを通じて資本主義が(最近ついにベネトンまでオープンした)、衛星放送やインターネットを通じて「西側」の情報・文化が流入する(といっても、コンピュータにアクセスできる人口はほんの一握りに過ぎないが)。いまや、断末魔にある「社会主義」と、傍若無人な「資本主義」との狭間で、キューバ社会は懊悩している。この社会主義の最後の砦も、近々(おそらくカストロの死とともに)落城していくのだろうか。


★一──ビエンナーレについては、「ハバナ・リポート」、『Artscape』、二〇〇一年二月一五日号(http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape)を参照されたい。

*この原稿は加筆訂正を施し、『美学特殊C』として単行本化されています。

>熊倉敬聡(クマクラ・タカアキ)

1959年生
慶應義塾大学理工学部教授。フランス文学、現代美術、現代思想。

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