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建築論として読むベンヤミン | 鈴木了二
Reading Benjamin's Works as an Architectural Theory | Suzuki Ryoji
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること, 2005年04月発行) pp.92-95

建築のために読書しているということは特にない。だいたい目的をもって読書することが性に合わない。読書は読書、面白そうだと思ったところに手を出してきた。建築に関しても体系的に読んできたとは言い難く、むしろ建築とは直接関係のない書物のなかに建築の問題を見出し、あるいは反対に、建築に関する書物のなかに建築以外の問題を見出す、といった読み方を好んでいる。格好をつければ「横断的な読み」と言ってもよいか。だからそんな脱線や逸脱への期待に応えてくれる書物であればあるほど愛着も沸く。
その点、ヴァルター・ベンヤミンの書いたものは、ほとんどがこちらの期待を満たしてくれる。一般的な意味での建築論ではないのにもかかわらず、私にとってはもっとも刺激的な建築論、または都市論なのである。分析的というのではなく、どう言ったらよいのか、建築・都市の内面を、ベンヤミンが言葉を持たない彼らに成り代わって言葉にしてくれる、といった感じなのである。
なにより内容以前に、文章の組み立て方自体が、すでに極めて建築・都市的であるように思われる。身を挺して建築、都市に成り代わる文体というべきか。それも、言葉を順番に積み上げるいわば積石造のような構造とは違う。むしろ、信じられないようなロングスパンを可能にしている鉄骨造に近い。しかもラーメン構造ではなくトラスだろう。二度と同じパターンを繰り返さず、錯綜し、飛び回り、巨大な空間を縦横に貫きつつ、奇跡のような弾力性によってスリリングに際どく架構されたトラスだ。それぞれの部材はあくまでも細く、しかし繊細でありながら極めて強靱で、響くような張力を漲らせ、一分の緩みもなくピーンと張りつめている。その構築物の支える世界は、空間ばかりではなく時間をも包括してあまりに大きく、果てがどの辺りなのか見えないほどであり、ところが、それほど大きな時空を支える支持材はあまりに細くて、もはや視覚上に像を結ばず、世界のなかに溶け込んでしまうかのようだ。ベンヤミンの文章の風通しのよさ、空間の抜けのよさはおそらくそこからくる。
ベンヤミンの文章の特徴はしたがって飛躍力にあると言ってもよいのだが、その、読み手の予想を遙かに上回る飛躍を可能にしているのは、なによりも比喩の能力ではないかと思う。もっとわかりやすく言えば似ていることへの感受性と言ってもよい。普通なら気にも留めずに見過ごしてしまうような末端の類似を糸口にして思考の中心軸を別の方向に大きく旋回させる力。その力はほとんど魔術的で、ベンヤミンのポケットからさりげなく取り出される、見かけはちっぽけな比喩が、どう考えても結びつきようのない事柄たちを、ジャンルを超え、時代を超え、空間を超え、概念を超えて同じ地平に呼び出し、出会わせ、そしてあっさりと結合してしまうのである。
ベンヤミンのもっとも有名な論文であるにちがいない「複製技術の時代における芸術作品」(『ヴァルター・ベンヤミン著作集2 複製技術時代の芸術作品』[佐々木基一編集解説、晶文社、一九七〇]、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』[浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五]所収)のなかの、今では誰でも知っているアウラこそ、そんな比喩の最たるものではなかろうか。
あの論文になぜアウラという概念が出てきたのか。近代のイデオロギー批判としての役割ならば、複製技術に注目して、その進歩が芸術の一回性を消滅させると言っただけでもう十分だったはずだ。そこを起点にすれば、作品としての芸術の権威が揺らぐことや伝統が破綻することに直ちに向かえただろうし、アウラなど持ち出さずとも芸術の一回性の消滅から直ちに「展示的価値」が「礼拝的価値」を凌駕することを指摘して、「現代の危機」と来たるべき「人間性の革新」について述べていくだけで、十分今日の必読文献の水準になりえていたことは間違いない。

1──ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』

1──ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』

ところが、ベンヤミンは突然、ちょっと場違いではないかと思えるような、意外な比喩を持ち出してくる、それが「アウラ」だった。今ではすっかり慣れてしまったが、その強引な導入が、極めて明快に進行するはずの論理をむしろ錯乱させ、混乱させるかのようでさえある。このアイディアがいつ、どうやってベンヤミンの頭に閃いたのか知りたいものだ。ほんとうに驚嘆する。当時流行したキーワードであったとか、ベンヤミンより先に誰かが言っていたんじゃないかとかいった議論はそこで驚かない感性の人に任せておこう。「ここで失われてゆくものをアウラという概念でとらえ、複製技術のすすんだ時代のなかでほろびてゆくものは作品のもつアウラである、といいかえてもよい」というサラリとしたアウラ登場の場面だが、三〇年以上前にはじめて読んだときにはちょっと目眩のするような感じがあった。その比喩の先に決定的な価値転換の場が拡がっているらしいということは予感できるが、しかしまだ全貌が皆目把握できず、どこに掴まってよいのか、だいたい空気があるのかないのかもわからない茫洋とした空間に、なんの準備もなしに、スッと送り出された感じであった。
アウラ導入のお陰でこの論文は面白くなったが、同時に間違いなく難しくもなった。何度も読み返すが、私の頭では今でもわからないところが一杯ある。それが何故なのか考えてみると、どうやら肝心の「アウラ」本体がよくわからないことに気づくのだが、にもかかわらず、この「アウラ」という比喩を組み立てのジョイントとして、極めて短い分量しかない文章のなかに到底つめこみようもないほどかけ離れた異質の事柄が、次から次へと惜しげもなく接続されてゆく。
例えば、まず最初に「歴史」と「自然」の接続だが、この場合の「歴史」とは宗教画の聖人たちの頭上に輝く金色の輪のことであり、もう一方の「自然」とはある夏の日の午後に寝そべったまま眺める遠方の山々や、さんさんと降り注ぐ太陽光のなかで影を投げかけてくれる樹木のこずえのことなのである。どうしてこれらが同一の地平に現われたのか、不思議なマジックというほかない。「隠喩は世界の一元化を詩的に達成する手段である。ベンヤミンについての理解を困難にしているものは、かれが詩人となることなしに、詩的に思考していたこと」である(ハンナ・アレント『暗い時代の人々』、阿部斉訳、河出書房新社、一九九五)。こちらとしては、なぜ「ある夏の日の午後」なのかも気にかかるところだが、もちろんベンヤミンは答えるよりも早くすぐ別の次元に跳び移っており、以後、宗教画と写真、事物と大衆、パーソナリティと商品、無意識と映画、機械装置と俳優、原始時代と歴史の転換期、等々を出会わせ、結びつけてゆくのである。その意味を観客が掴まえるよりも素早く舞台は新たな場面に転換するといった具合だ。
「わかる」という行為のもっとも重要な点は、それが心のアクションであることだろう。しかし「わかった」という瞬間の心の動きは、しかし次の瞬間には「納得」という心の平安に落ち着こうとするものだ、普通は。ベンヤミンはこの心の運動を片時も止めさせようとはしない。ベンヤミンの文脈を、部分的にトリビアルに突き詰めていくと、だんだん繋がりがよく見えなくなるように思われるのもそのためだ。なぜなら、論理上の一貫性だけではなく、そこに一瞬の心の運動を含み込むことによって「わかる」のであり、それを静止した解剖台の上に載せてみても意味を持たないのである。発射される弾丸にではなく、弾倉の滑らかな作動にこそ価値を置く、それがベンヤミンの批評ではなかろうか。それは「複製技術の時代における芸術作品」に限らずベンヤミンの書いたものすべてに共通する。
ところで、実は、このような心の運動は、室内や建築や都市を移動する人の運動と、それこそそっくりなのである。だから、建築をスタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考えようとするならば、ベンヤミンの文章の構造は、建築の考え方にとって極めて示唆的であるように思われてくるのだ。『パサージュ論』(今村仁司ほか訳、岩波書店、一九九三)は、時間と空間を縦横に移動する、タイトルが示す通りの「都市論」であるし、「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」(『ベルリンの幼年時代 ヴァルター・ベンヤミン著作集12』[小寺昭次郎編集解説、晶文社、一九七一]、『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』[浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九七]所収)は、記憶のパッケージとしての都市や建築の空間記述であるし、「シュルレアリスム」(『シュルレアリスム ヴァルター・ベンヤミン著作集8』[針生一郎編集解説、晶文社、一九八一]、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』所収)は、うち捨てられた事物たちが夢見る時間のなかでの、都市における日常と非日常とが浸透し合う空間論だし、また「歴史哲学テーゼ」(『暴力批判論 ヴァルター・ベンヤミン著作集1』[高原宏平+野村修編集解説、晶文社、一九六九]所収)は、建築に方法論というものが今でもなおありうるとするなら、これで十分だ、と思われるほどの建築的実践の方法が盛り込まれたプログラム、あるいは綱領として読めるだろう。

2──同『パサージュ論』

2──同『パサージュ論』

3──同『ベルリンの幼年時代』

3──同『ベルリンの幼年時代』

そして再び「複製技術の時代における芸術作品」である。というのもこの論文は、周知のように、歴史の転換期における知覚と精神の変貌について書かれたものだが、しかし最後の章でベンヤミンが、建築を映画と対比的に取り上げたことによって、現代のなかに置かれた建築を考えるうえでは避けて通ることのできない「建築論」の様相を帯びたからだ。ここでは「集中型」の姿勢を要求したかつての芸術作品に対して、複製技術時代特有の「気散じ型」の姿勢がクローズ・アップされ、芸術と大衆との新しい可能性としての「映画」が「知覚の深刻な変化の兆候」をテストする実験機関として注目されている。
まあ、ここでも、これで終わってくれたほうがよっぽどわかりやすかったのである。ところが、今日一般化しつつある受容スタイルである映画的な「気散じ型」を古来から前提としてきた典型が、なんと建築であったというところから、この論文は急に折れ曲がり、難しくなるのだ。ベンヤミンによれば「原始時代以来、およそ建築は人類の歴史からかたときも離れたことはない」のだが、そのように長い歴史的時間に浸された建築の体質と、つい最近生まれたばかりの映画の体質とには、実は極めてよく似た成分がある、と言うのである。正直、私にはこの部分はまだよくわかったとは言えない。しかし、精神の緊張を強いる集中型の記憶として組み立てられてきた歴史に対して、なんでもないふとした印象の集積を対峙させて、歴史というものを、その付け根から配置替えしようとするベンヤミンの壮大な意図と野心は伝わってくる。その折れ曲がりのモーメントに建築がかかっていることが重要だ。
おそらく、この後にまだ書き加えることがある。というか、ここに来て、遂に必要になってきたと言うべきだろう。なぜなら、ここでベンヤミンが「アウラ」を武器にして立ち向かったのは「人間自身の破滅を最高級の美的享楽として味わうまでになった」、あるいは「人類が自分自身の全滅を第一級の美的享楽として体験するほどになっている」ファシズムによる「政治の耽美主義化」であったけれども、この文章の書かれた一九三六年という段階、すなわち収容所も難民もそれ以後の悲惨に比べれば少しはましであったはずの段階では、ブラックではあるけれども、ユーモアの余地も残されていたこの警句の部分が、今となっては警句どころかあまりに自明のもの、つまり、なんの比喩にもならなくなったのだ。今読むと、三〇年前に比べてもこの部分だけがあまりにも「非ベンヤミン的」になってしまったように思われる。
現代の状況とベンヤミンの指摘とを比較すれば、「ファシズム」はとりあえずおくとして、「政治の耽美主義化」の傾向はなくなるどころか、主義、国、民族、人種などの枠組みを超えてますます加速しているのが実情だろう。破滅を「美的享楽」とする現代的特質の中心にはいったい何があるのか。それがベンヤミン以後における問いだ。その問題に取り組んだのは、たとえばギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会──情報資本主義批判』(木下誠訳、平凡社、一九九三)ではなかったかと思う。メディア批判を政治の中核に据えたことの意義は大きかった。しかしその激烈なマス・メディア批判も、今読むと現実がさらに進んだように思え、少しまだるっこしい感じがないわけではない。ドゥボール自身も二〇年後の一九八八年に『スペクタクルの社会についての注解』(木下誠訳、現代思潮新社、二〇〇〇)を書き加えた。それを踏まえたうえで、私見では、喪失されたアウラがかつて存在した場所に、現代においてはメディア独特の生理が密かに流れ込み、寄生し、繁茂しているように思われる。したがって、社会の業界化、ブランド化は、まさにベンヤミンの指摘した「政治の耽美主義化」の現代版にほかならないが、その中心を言い当てるためには、アウラに匹敵するような跳躍力のある、新たな比喩が必要だろう。

4──ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』

4──ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』

ベンヤミンにばかり多くの誌面を費やしてしまったが、マンフレッド・タフーリやコーリン・ロウの仕事などは、それぞれ別の角度からベンヤミンの「建築論」を補強するものとして位置づけることもできるのではないかと思う。たとえば、タフーリの『建築神話の崩壊──資本主義社会の発展と計画の思想』(藤井博巳+峰尾雅彦共訳、彰国社、一九八一)は「歴史哲学テーゼ」の延長線上にある「イデオロギー批判」としての歴史的側面として。またロウの『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄+松永安光訳、彰国社、一九八一)は、比喩性を建築言語のなかでさらに拡張しつつ、美術と都市と建築とを繋げようとする横断的側面として。
それにしてもベンヤミンの著作は、その大部分が、今もって誰も到達していない建築論として私には読める。

5──マンフレッド・タフーリ『建築神話の崩壊』

5──マンフレッド・タフーリ『建築神話の崩壊』

6──コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』

6──コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』

>鈴木了二(スズキ・リョウジ)

1944年生
早稲田大学教授(芸術学校校長)。鈴木了二建築計画事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>複製技術時代の芸術

1965年11月1日

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。