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ジャズあるいはジャンゲールの挑発──統治者を模倣するバリ人 | 永渕康之
Jazz or Djanger as Provocation: The Balinese Simulation of the Colonialists | Nagafuchi Yasuyuki
掲載『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999, 1999年06月発行) pp.29-31

一九二〇年代バリ島に荒唐無稽のパフォーマンスが忽然と現われた。ジャンゲール(あるいはジャゲル)と呼ばれたこの集団パフォーマンスは、踊りと演劇と音楽が一体化した若者たちの爆発するエネルギーの創造物であった。若い男女がお互いに分かれて列をつくって向かい合い、正方形になるような陣形をととのえて太鼓、笛、銅鑼の音とともに踊るのが基本形である。マンハッタンでイラストレーターとして活躍していたメキシコ人ミゲル・コバルビアスは、三〇年代初期にバリを訪れた際それを目撃し、その「狂気」をこう報告している★一。
まずは衣装。「少女たちはぴっちりしたシフォンのブラウスを着て、おしろいを濃くはたいた顔は花冠がふちどっている。少年たちは西洋風のシャツ、ネクタイ、半ズボン、ゴルフソックス、それにサッカーシューズを身につけている。そして肩には黒いヴェルヴェットに金モールとスパングルを縫いつけ、金房の肩章のついた司祭服のようなものをはおっている。頭には赤い花をつけ、真っ白に塗った顔に不似合いなつけ口髭をつけている。踊りの主役だけが錦織でできたふつうの舞台衣装を着ていたが、それも上にシャツとボウタイをつけてなのである。ほかの人と同様、彼も大きな口髭をつけている」。コバルビアスはさらに「衝撃的」なジャンゲールも紹介している。少女が半ズボンをはいたのである。これは羞恥心の関心がバストを中心とした上半身ではなく、足首にいたる下半身にあったバリ社会のなかではまさに衝撃的な出来事であり、いわば完全なストリップショーとなっていた。
そして、「衣装の狂気を上まわっていた」演技。「花や米粉菓子などについてのばかばかしい歌」を少女たちは歌い踊る。少年たちはケチャからはじまり、「学生の応援のような」しぐさにかわり、テンポが早くなり、「主役は驚き怒る身振りをしながら、四方八方に猛々しく視線を走らせ、狂った自動人形のように」動く。そして、全体は「全力疾走している機関車のようなリズム」へと加速し、少年たちがアクロバットを演じ、「体操のピラミッド隊形」を組み立て、最後に「ダーグ」のひと声で瞬時に終わる。日本語と同じく駄洒落のような音遊びの多いバリ語では、少女たちの歌もコバルビアスが言うように無意味な音のつながりではなく、聞いている観客は笑いをこらえきれなかったとも想像できる。こうして、伝統的なバリの演劇様式とはかけはなれた、いかがわしいともいえる狂気の沙汰がジャンゲールの場で演じられたのであった。しかも、ぎっしりと観客がつめかけ、「子どもたちは塀や木に登り、足元をはいまわる」ほどそれはバリ人たちに人気があった。
ジャンゲールは二重の権力関係を挑発している。ひとつは植民地統治という支配の形式、もうひとつは例えばマンハッタンがそうであるようなバリ外部の世界にバリが伝えられる表象の形式における力関係である。しかも両者の権力関係は、一九二〇年代から三〇年代のバリをめぐって深く絡みあっていた。
実際、ジャンゲールがその狂気の衣装と演技のなかで戯画的に挑発しているのは、植民地支配者であったオランダ人である。主役の衣装や女性の頭飾りにわずかにバリ的なものの断片が認められるものの、西洋服で身をかため口髭までつけた踊り子たちの身体にオランダ人が再現されている。しかも、金モールや肩章がわざと衣装にくわえられていることによって、彼らの権威が正確に対象化されている。「ダーグ」という最後の文句はオランダ人が日常的に交わす挨拶であり、アクロバットや人間ピラミッドはオランダ政府が導入した学校の授業や軍隊の訓練を喚起している。支配とともにもたらされたオランダ的=西洋的なものをジャンゲールは模倣し、笑い飛ばす対象として取り込んでいるのである。統治者の権威は、こうして無残にも笑いのなかで四散したのであった。
表象上の権力関係を示すのが、ジャンゲールをめぐる記述の二面性である。パフォーマンスの狂気を真摯に観察したコバルビアスの記述が一方にはあった。他方では、コバルビアスに言わせれば「ねぼけたような」ジャンゲールを賞賛する数々の記述が存在した。こうして二つの傾向に記述が分かれるのは、たんなる踊りだけのジャンゲールとスタンブルと呼ばれ、バリのみならず旧蘭領東インドつまり現在のインドネシアに広がったコメディを取り入れた二つのタイプのジャンゲールが存在していたためである。バリ研究者アドリアン・ヴィッカーズが指摘しているように★二、スタンブルこそ当時隆盛を迎えた反植民地闘争の拡大と並行して広がったモダニズム文化のひとつであった。
表象において勝利をおさめたのは、むしろ喜劇を欠いたジャンゲールだった。植民地政府の後ろ盾で一九二〇年代に始まったバリ観光において、ジャンゲールは芸術を愛する素朴なバリ人を印象づける格好の素材となった。事実、観光客用のジャンゲールに狂気は微塵もなく、隊形を組んだ男性と女性は美しいバリの伝統衣装に身をつつみ、ゆるやかな音楽とともに歌い踊るのみである。女性が頭につけた孔雀の羽根のように広がる花飾りが特に注目を浴び、並んだ彼女たちの姿が写真におさめられた。コバルビアスのような挑発的な喜劇的側面を扱った記述はきわめて例外的な少数派であった。
こうして統治者の権威を揶揄するパロディは表象のなかで抑圧された。バリ人たちの挑発にむけた想像力は表象のための場所が与えられず、いっさいの狂気は除去され、美しき伝統のかげで隠蔽されたのである。コバルビアスにしても最終的にはジャンゲールの狂気をあたらし物好きのバリ人を語る事例として解決してしまっている。つまり、新奇なものを「同化」して自らの伝統的形式に取り入れ、「文化のバリらしさをけっして失わない」バリ人たちの芸術への態度を物語っているのがジャンゲールだというのである。伝統と呼ばれる象徴体系に勝利を与え、未開の文化に文明の失った精神性の可能性を求める当時勃興期にあった民族誌というジャンルに参入したコバルビアスにとって、この最後の解決はやむをえなかったのかもしれない。それでもなお、バリ人用と観光客用の二つのジャンゲールの存在を認め、バリ人用の喜劇に重心をおき、ズボンをはき口髭をつけた少年たちが踊る風景を描いたイラストまで挿入した彼の記述は、ジャンゲールをめぐる表象上の権力関係をあらためて浮かびあがらせている点できわめて刺激的である。バリに行く以前、ハーレムの黒人による文化運動の内部に身を置き、黒人たちに一冊のイラスト集を捧げた彼は、権力関係における表象ないしは芸術による交渉の可能性にきわめて敏感な人間であった★三。ジャンゲールを「バリのジャズなのだ」と断定した彼の見識に反響しているハーレムの運動精神をわれわれははっきりと認めなければならない。
正統な文化を確立することによって統治の正当性を証明すること、詳細は別にゆずるとして★四、これがオランダ植民地政府が一九二〇年代から三〇年代にかけてバリ社会に行使した支配の実践であった。そのために、植民地統治と表象による文化の実体化は密接に結びついていたのである。そして、観光こそ植民地政府が正統な文化を対外的に宣伝する巧妙な装置だったのであり、観光雑誌によって賞賛されたジャンゲールはあくまで政府がお墨付きを与えた正統文化の代表であった。だからこそ衣装と演技を媒介として、支配者であるオランダ的なるものの裏をかき、それを笑い飛ばしたバリ側のジャンゲールの存在と、その狂気に表象上の権利を与えたコバルビアスの記述の意味は大きいのである。
統治権力が文化に正統性を求める傾向は植民地時代が過ぎ去った以後も変わっていない。それが、伝統文化ないしは土着性擁護のイデオロギーの生産地として世界規模でバリという記号が機能する背景となっている。ハーレムから見た視線のなかで蘇る少年少女たちが爆発させたジャンゲールの挑発は、その可能性をまだ失っていない。

「バリ的な」正統ジャンゲール(写真)と それを裏切るコバルビアスのイラスト 上──Beryl de Zoete and Walter Spies, Dance and Drama in Bali, 1973

「バリ的な」正統ジャンゲール(写真)と
それを裏切るコバルビアスのイラスト
上──Beryl de Zoete and Walter Spies, Dance and Drama in Bali, 1973

下──『バリ島』

下──『バリ島』


★一──ミゲル・コバルビアスによるジャンゲールの記述は、ミゲル・コバルビアス『バリ島』(関本紀美子訳、平凡社、一九九一)二七三─二七六頁。
★二──Adrian Vickers, ed., Being Modern in Bali: Image and Change, Yale University Southeast Asia Studies, 1996, p.19-20.
★三──永渕康之「『ニグロ・ドローイングス』から見たハーレム」(『現代思想』一九九七年一〇月号、青土社)。
★四──永渕康之『バリ島』(講談社現代新書、一九九八)。

>永渕康之(ナガフチ・ヤスユキ)

1959年生
名古屋工業大学教授。文化人類学。

>『10+1』 No.17

特集=バウハウス 1919-1999

>永渕康之(ナガフチ・ヤスユキ)

1959年 -
文化人類学。名古屋工業大学教授。