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九〇年代、メディアのなかの都市 | 松田達
An Introduction to the Urban in the Media of the 90s | Matsuda Tatsu
掲載『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000, 2000年03月発行) pp.116-119

ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたのはつい最近のことだ。また映画やゲーム、写真集といった身近なメディアにも現在の都市の姿は否応なく現われている。いやむしろ、そのようなメディアを通して都市のイメージが構成されていると言ってもいいだろう。ここではさまざまなメディアを概観していくことで、九〇年代の都市や建築のいくつかの特徴や傾向を示すことができないかと試みてみる。メディアのなかの都市、それは現実の都市の一断面でしかないがゆえに、より時代の面影を色濃く残しているだろう。もちろん、現実の都市や建築自体がメディアであるとも考えられるし、メディアは現実の表象であるというより現実そのものでもある、という視点も忘れてはならない。

主に作品写真とその解説および各種情報などから構成される一般的な建築雑誌(もちろんそれぞれに特色があるが)に対し、建築を扱いながらも、より横断的に文化事象や批評的言説を紹介する雑誌が一九九〇年前後に相次いで現われている。例えば『季刊都市』では、社会思想やジェンダー論を含めた幅広い視点から都市や建築を論じた論考が紹介されていた。また、芸術一般から科学まで広く扱う『InterCommunication』でも、都市や建築に関する記事や論文は多い。既存の学問領域を超えようという試みは、建築だけではなく各分野において、
八〇年代後半以降のカルチュラル・スタディーズを始め、ジェンダー論、オリエンタリズム、コロニアリズム、精神分析、表象文化といったさまざまな視点からの分析によって進んでいる。建築学科の大学院生らによって始められた『エディフィカーレ』は、同人誌であったが早くからそういった論文を紹介していた。
また、既存の都市計画/土木/建築といった領域のあいだを緩やかに埋めるように、多くの大学で環境デザインやランドスケープ・デザインといった学科が現われているが、それに対応するようないくつかの雑誌も現われている。まちづくりを中心とした雑誌として『造景』や『BIO City』が、ランドスケープの雑誌は多いが『ランドスケープデザイン』やドイツの『Topos』が挙げられるだろう。また『東京人』や『A』のように、フィールドワーク的な視点を持ちつつ都市を紹介する雑誌も面白い。前者では東京に住む著名な文化人へのインタヴューなど、後者はグラフィカルな都市の記述などが特徴的だ。
毎号何らかの特集を組まざるをえない建築雑誌に対し、一般誌において建築の特集が組まれる機会が多くなってきたことは注目に値するだろう。それは建築家のつくった住宅や建築家自身に対する興味、という需要が見込まれるようになったからではないだろうか。しばしば住宅の特集を行なう『ブルータス』、三回の建築特集を行なった『STUDIO VOICE』(「建築家の欲望」一九九一年一月号、「建築を楽しむ」九八年一月号、「HYPER-ARCHITECTURE」九九年一二月号)、また最近では『Esquire』(「21世紀、住宅進化論」九九年一二月号)などが挙げられるだろう。
都市のアクティヴィティをデータベース的に網羅する『ぴあ』、その簡略版ともいえる『Tokyo Walker』(それに引きずられて『ぴあ』も情報を減らした)は、「イヴェント・シティ」としての都市の諸相を投影するものと見ることができるだろう。情報としての都市。『じゃマール』のように、ほとんど読者からの情報だけによる雑誌が奇妙に都市的に見えてくるのは、都市が空間的拡がりをすでに必要としていないことを示しているようにも思えてくる。

九〇年代には二〇世紀の総括的な大規模な展覧会が行なわれるとともに、小ギャラリーがネットワークを張り、街中に作品を分散させるような展覧会もいくつか行なわれた。前者には「近代都市と芸術展1870-1996」や「建築の20世紀展──終わりから始まりへ」があり、後者としては「水の波紋」展や「アートリンク」(上野・谷中、一九九七─)、中村政人による「秋葉原TV」などが挙げられるだろう。二〇世紀の回顧と回収という美術館の制度に則した大規模な展覧会とともに、一方では美術館の形式を外部へと開放するような動きが現われていたことは、興味深い出来事ではなかっただろうか。
また震災以後、デコン以降の建築の動向に一定の方向性を見つけようとする試みとしては「ライト・コンストラクション」展や「バーチャルアーキテクチャー」展、「ヴェネツィア・ヴィエンナーレ1996」などがあり、前二者は非物質性を、後者は逆に物質性を強調していたと言えよう。インターコミュニケーション・センター(ICC)のオープニング企画であった「海市──もうひとつのユートピア展」では、マスタープラン以後の都市のあり方が示された。

「シムシティ」をはじめ、都市のシミュレーションをゲーム化したものも多く現われた。「A列車で行こう」や「ザ・タワー」、「テーマパーク」、「電車でGO!」などいくつか挙げられるが、「ザ!鉄腕!DASH!!」や「電波少年」といったテレビ番組の企画も、ある意味で都市空間をゲーム化した試みと見てもよいのではないだろうか。〈二四時間各駅停車でどこまで行けるか!?〉、〈三〇〇〇歩でタイから日本へ帰れるのか!?〉といった企画、また猿岩石やドロンズ、Rマニアらによる一連の自給自足旅行企画、なすびの懸賞生活など、どこまでが本当かは別として、いずれも厳しい制約条件を負荷することによって、都市そのものをゲーム的な場所に変換させている(同様にテレビ番国「未来日記」などでは恋愛がゲーム化されている)。
「たまごっち」や「アクアゾーン」(OPeNBOOK9003、一九九三)など、育てものゲームが流行るとともに、「ビートマニア」や「Dance Dance Revolution」などDJやダンサーをロールプレイングするゲームも現われた。いずれもシミュレーションであるが、前者はヴァーチュアルなインテリアをつくりだし、後者はゲームセンターを「見られる」風景に変えた。
シュミレーションの延長として、世紀末に相応しく、SFXを利用して都市破壊を行なう映画も多かった。『インデペンデンス・デイ』や『ゴジラ』USA版(監督=ローランド・エメリッヒ、一九九八)、『ボルケーノ』など。カタストロフ的な都市の破壊は、八〇年代のアニメにも多く現われたが、『新世紀エヴァンゲリオン』ではむしろ、破壊後の都市の日常的風景が印象的だった。
写真集では宮本隆司の『九龍城砦』が破壊されたカオスを写していた。一方、焦点の定まらない都市風景に対し、ホンマタカシは『TOKYO SUBURBIA』で写真の対象をあえて不明確にすることで、都築響一は「転景TOKYO STYLE 360。」展で全方位を対象として写真を撮っていたことは対照的である。ただ、どちらも明確な焦点をさける点では共通していた。

都市・建築の脱領域化、フィールドワーク的都市記述、都市の情報化、総括化/分散化、物質性/非物質性という軸、都市空間のゲーム化、擬似的都市破壊、焦点を持たない都市風景、と九〇年代を記述するうえでのいくつかのキーワードが上がりそうだが、もちろん一言で括ることはできない。ただ、メディアには現実の都市が過剰に転写されている。メディアによって増幅される都市、それ自体も九〇年代の都市の特徴ではなかっただろうか。

図版出典
22──http://www.sfc.keio.ac.jp/~kazhiko/Akihabara/
good.html
25──撮影=鳥居斎
27──http://wwwhq.focus.or.jp/shopping/hartland/
nowhere/
29──http://www.taito.co.jp/d3/lineup_c/go_pro2.html
30──http://adinternet.co.jp/gocchi/uwasa.html
31・32・50──撮影=瀬山真樹夫
34──http://www.ntv.co.jp/denpa/chikyu/261.html
35──http://www.ntv.co.jp/dash/past/index.html
36──http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/sfield/index.html
38──http://home.interlink.or.jp/~moch-m/moh1.htm
41──『ぴあシネマクラブ』外国映画編(ぴあ、一九九九)。
42──http://www.toyspress.co.jp/cinefex/preview/matrix/
photo6.html
44──『ぴあシネマクラブ』日本映画編(ぴあ、一九九九)。
48──http://www.and.or.jp/~eith/works/wam/regular/ts/
rooms/19980507_c.html

1 『建築思潮』(学芸出版社、1992─) 建築を真剣に討議することを目的とした分厚い(熱い?)雑誌。世紀末、アジア、震災など90年代的事象を特集。大御所から若手まで多彩な論者が執筆。関西の書き手が多いのも特徴。

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『建築思潮』(学芸出版社、1992─) 建築を真剣に討議することを目的とした分厚い(熱い?)雑誌。世紀末、アジア、震災など90年代的事象を特集。大御所から若手まで多彩な論者が執筆。関西の書き手が多いのも特徴。

2 『季刊都市』(都市デザイン研究所、1989) 2冊出版され、それぞれの特集は「ポスト・ポストモダン都市」と「性的都市」。ニューアカ以降の論者や建築家がデコン以降の都市と建築のあり方を先取りした。『10+1』の前身的雑誌。

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『季刊都市』(都市デザイン研究所、1989) 2冊出版され、それぞれの特集は「ポスト・ポストモダン都市」と「性的都市」。ニューアカ以降の論者や建築家がデコン以降の都市と建築のあり方を先取りした。『10+1』の前身的雑誌。

3 『Telescope』(都市・建築ワークショップ、1986─97) 鈴木明と太田佳代子の編集による都市・建築の総合批評雑誌(日英2カ国語)。視点も語り口もユニーク。98年からネット上で「テレスコウェブ」が始まる。

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『Telescope』(都市・建築ワークショップ、1986─97) 鈴木明と太田佳代子の編集による都市・建築の総合批評雑誌(日英2カ国語)。視点も語り口もユニーク。98年からネット上で「テレスコウェブ」が始まる。

4 『InterCommunication』(NTT出版、1992─) 浅田彰らが中心となりインタージャンルの批評や活動を紹介。テクノロジーとアート、メディアとコミュニケーションなど様々な視点から特集を組む。ICCの機関誌。

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『InterCommunication』(NTT出版、1992─) 浅田彰らが中心となりインタージャンルの批評や活動を紹介。テクノロジーとアート、メディアとコミュニケーションなど様々な視点から特集を組む。ICCの機関誌。

5 『エディフィカーレ』(エディフィカーレ同人、1991─1996) 東京大学原広司研究室出身の南泰裕と太田浩史が大学院時代に始めた建築同人誌。最終メンバーは五十嵐太郎、石崎順一、大川信行、槻橋修、奈尾信英、南泰裕、山中新太郎の7人。

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『エディフィカーレ』(エディフィカーレ同人、1991─1996) 東京大学原広司研究室出身の南泰裕と太田浩史が大学院時代に始めた建築同人誌。最終メンバーは五十嵐太郎、石崎順一、大川信行、槻橋修、奈尾信英、南泰裕、山中新太郎の7人。


6 『造景』(建築資料研究所、1996─) 景観とまちづくりをテーマにする雑誌。ランドスケープを重視した都市計画的試みなどが紹介される。共著『美の条例』で知られる弁護士五十嵐敬喜が磯崎新批判をしたのもこの雑誌。

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『造景』(建築資料研究所、1996─) 景観とまちづくりをテーマにする雑誌。ランドスケープを重視した都市計画的試みなどが紹介される。共著『美の条例』で知られる弁護士五十嵐敬喜が磯崎新批判をしたのもこの雑誌。

7 『BIO City』(ビオシティ、1994─) 生物にとっての快適な環境と地域づくりを目指す雑誌。ランドスケープなどの具体的なプロジェクトを取り上げることはそれほど多くないが、行政の試みやビオトープなどが紹介される。

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『BIO City』(ビオシティ、1994─) 生物にとっての快適な環境と地域づくりを目指す雑誌。ランドスケープなどの具体的なプロジェクトを取り上げることはそれほど多くないが、行政の試みやビオトープなどが紹介される。

8 『ランドスケープデザイン』(マルモ・プランニング、1995─)ランドスケープの総合誌。ランドスケープ・アーキテクチャーのプロジェクト紹介も多いが、GIS(地理情報システム)や景観シミュレーションなど興味深い特集も組まれる。

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『ランドスケープデザイン』(マルモ・プランニング、1995─)ランドスケープの総合誌。ランドスケープ・アーキテクチャーのプロジェクト紹介も多いが、GIS(地理情報システム)や景観シミュレーションなど興味深い特集も組まれる。

9 『Topos』(エーエルエス、独=1992─、日=1998─) ドイツから出版されているヨーロッパ全域を対象としたランドスケープ・マガジン。途中から日本語版が出ている。ヨーロッパのランドスケープ・アーキテクチャーの最新情報を知ることができる季刊誌。

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『Topos』(エーエルエス、独=1992─、日=1998─) ドイツから出版されているヨーロッパ全域を対象としたランドスケープ・マガジン。途中から日本語版が出ている。ヨーロッパのランドスケープ・アーキテクチャーの最新情報を知ることができる季刊誌。

10 『東京人』(都市出版、1986) 川本三郎、陣内秀信、森まゆみが編集人をつとめる。東京に関わる文化人へのインタヴューや対談などの他、東京名所案内など、路上観察的な視点も持つ。現代建築特集(99年10月号)も組まれた。

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『東京人』(都市出版、1986) 川本三郎、陣内秀信、森まゆみが編集人をつとめる。東京に関わる文化人へのインタヴューや対談などの他、東京名所案内など、路上観察的な視点も持つ。現代建築特集(99年10月号)も組まれた。


11 『A』(文芸社、1998─) 早稲田大学石山修武研究室出身の馬場正尊が編集長を務める雑誌。都市を新鮮な切り口で表現する。原広司や菊竹清訓へのインタヴューも。テクノ風の文字、DTPを生かした大胆なレイアウトなどはフライヤー的?

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『A』(文芸社、1998─) 早稲田大学石山修武研究室出身の馬場正尊が編集長を務める雑誌。都市を新鮮な切り口で表現する。原広司や菊竹清訓へのインタヴューも。テクノ風の文字、DTPを生かした大胆なレイアウトなどはフライヤー的?

12 『CONFORT』(建築資料研究社、1990─) インテリア系の雑誌は多いが、素材、建材の説明も充実している。99年夏から巻末のデータベース的付録(ガラス、椅子、タイルなど)がなくなったのは残念だが、季刊から隔月刊へと刊行数が増えた。

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『CONFORT』(建築資料研究社、1990─) インテリア系の雑誌は多いが、素材、建材の説明も充実している。99年夏から巻末のデータベース的付録(ガラス、椅子、タイルなど)がなくなったのは残念だが、季刊から隔月刊へと刊行数が増えた。

13 『ブルータス』(マガジンハウス、1980─) ときどき建築の特集を。「東京23区に家を建てられますか?」特集(1999年12/1号)では若手建築家が勢揃い。季刊の『ブルータス・カーサ』も面白い。カーサはハウスでなくホームの意らしい。

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『ブルータス』(マガジンハウス、1980─) ときどき建築の特集を。「東京23区に家を建てられますか?」特集(1999年12/1号)では若手建築家が勢揃い。季刊の『ブルータス・カーサ』も面白い。カーサはハウスでなくホームの意らしい。

14 『Studio Voice』(インファス、1977─) ハイエンド・サブカルチャー総合誌と言えるか。音楽、ファッション、映画など特集も多岐に渡る。同様の判型の『Cut』『H』などと微妙に棲み分けをしている。今後の建築の特集も期待される。

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『Studio Voice』(インファス、1977─) ハイエンド・サブカルチャー総合誌と言えるか。音楽、ファッション、映画など特集も多岐に渡る。同様の判型の『Cut』『H』などと微妙に棲み分けをしている。今後の建築の特集も期待される。

15 『Esquire』(エスクァイア・マガジン・ジャパン、1988─) Art of Livingがテーマ。ファッション、インテリア、ガイコクなどを紹介する高級デザイン・アンテナ・マガジン。99年12月号「21世紀、住宅進化論。」特集は買い!

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『Esquire』(エスクァイア・マガジン・ジャパン、1988─) Art of Livingがテーマ。ファッション、インテリア、ガイコクなどを紹介する高級デザイン・アンテナ・マガジン。99年12月号「21世紀、住宅進化論。」特集は買い!


16 『Tokyo Walker』(角川書店、1990─) 『ぴあ』に対して情報量は少ないが、毎回の特集に力が入る。本家の『ぴあ』もつられて情報を削ったことは、1冊の雑誌が都市全体を把握することが不可能なことを示しているのか。

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『Tokyo Walker』(角川書店、1990─) 『ぴあ』に対して情報量は少ないが、毎回の特集に力が入る。本家の『ぴあ』もつられて情報を削ったことは、1冊の雑誌が都市全体を把握することが不可能なことを示しているのか。

17 『じゃマール』(リクルート、1998─) 売ります買います情報、あるいは人探しなどの情報だけで出来上がった雑誌。実際には同誌のネット版の方がやりとりが早くて便利。いつの間にか、出会い情報が増えてきた。

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『じゃマール』(リクルート、1998─) 売ります買います情報、あるいは人探しなどの情報だけで出来上がった雑誌。実際には同誌のネット版の方がやりとりが早くて便利。いつの間にか、出会い情報が増えてきた。

18 『Quick Japan』(太田出版、1994─) ヴィジュアルよりも、ルポやインタビューが特徴的な文字の多いサブカル誌。アニメから爆笑問題、ゴアトランスなど守備範囲も広い。ライターも20歳前後と極端に若い。J文学ともシンクロ?

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『Quick Japan』(太田出版、1994─) ヴィジュアルよりも、ルポやインタビューが特徴的な文字の多いサブカル誌。アニメから爆笑問題、ゴアトランスなど守備範囲も広い。ライターも20歳前後と極端に若い。J文学ともシンクロ?

19 「近代都市と芸術展1870─1996」(東京都現代美術館、1996) ポンピドゥ・センターで行なわれた同テーマの展覧会を再構成したもの。芸術家と建築家が描いた都市を1870年から10年ごとに分けて展示。「都市」の大規模な回顧展。

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「近代都市と芸術展1870─1996」(東京都現代美術館、1996) ポンピドゥ・センターで行なわれた同テーマの展覧会を再構成したもの。芸術家と建築家が描いた都市を1870年から10年ごとに分けて展示。「都市」の大規模な回顧展。

20 「建築の20世紀展──終わりから始まりへ」東京都現代美術館ほか、1998─1999) MOCA企画の世界巡回展であり、東京から出発した。「建築の20世紀」を21の視点から描く。包括的展覧会ではあるが、近年の研究成果を生かした新しい視点も提示した。

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「建築の20世紀展──終わりから始まりへ」東京都現代美術館ほか、1998─1999) MOCA企画の世界巡回展であり、東京から出発した。「建築の20世紀」を21の視点から描く。包括的展覧会ではあるが、近年の研究成果を生かした新しい視点も提示した。


21 「水の波紋」展(ヤン・フート、ワタリウム美術館) ワタリウム美術館がある青山周辺に現代美術作品を散りばめた参加型の展覧会。同時にゴミ拾いなど10本の関連企画も(参加者約2000人)。外に出た美術館。

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「水の波紋」展(ヤン・フート、ワタリウム美術館) ワタリウム美術館がある青山周辺に現代美術作品を散りばめた参加型の展覧会。同時にゴミ拾いなど10本の関連企画も(参加者約2000人)。外に出た美術館。

22 「秋葉原TV」(Command N、1999) 秋葉原電気街全域を会場としたヴィデオアート展。商店のモニターをそのまま利用して11カ国25作家の作品を上映。秋葉原がすでにナム・ジュン・パイク的マルチヴィジョン都市であることを再発見。

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「秋葉原TV」(Command N、1999) 秋葉原電気街全域を会場としたヴィデオアート展。商店のモニターをそのまま利用して11カ国25作家の作品を上映。秋葉原がすでにナム・ジュン・パイク的マルチヴィジョン都市であることを再発見。

23 「ライト・コンストラクション」展(MoMA、1995) ライトには光と軽さがかけられている。伊東豊雄、妹島和世が入っているのはわかるが、実際にはコールハースやベルケルなど、主流の建築家がほぼ出展していた。

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「ライト・コンストラクション」展(MoMA、1995) ライトには光と軽さがかけられている。伊東豊雄、妹島和世が入っているのはわかるが、実際にはコールハースやベルケルなど、主流の建築家がほぼ出展していた。

24 「バーチャルアーキテクチャー」展(東京大学総合研究博物館、1997) 「建築における可能と不可能の差」をキーワードにコンピュータと建築の関わりを考える。国内外の建築家が多数出展。「差」を消そうとするもの、「差」を積極的に生かそうとするものの差が現われた。

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「バーチャルアーキテクチャー」展(東京大学総合研究博物館、1997) 「建築における可能と不可能の差」をキーワードにコンピュータと建築の関わりを考える。国内外の建築家が多数出展。「差」を消そうとするもの、「差」を積極的に生かそうとするものの差が現われた。

25 「ヴェネツィア・ビエンナーレ1996」 震災現場から瓦礫を運んで展示した日本館は金獅子賞を受賞。デコンの終焉を印象づける。建築の非物質的傾向を示すいくつかの展覧会とは対照的に物質的側面を強調。

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「ヴェネツィア・ビエンナーレ1996」 震災現場から瓦礫を運んで展示した日本館は金獅子賞を受賞。デコンの終焉を印象づける。建築の非物質的傾向を示すいくつかの展覧会とは対照的に物質的側面を強調。

26 「海市──もうひとつのユートピア」展(ICC、1997) 磯崎新がマスタープランに支配されない都市計画を示そうとした展覧会。海市=Mirage Cityの4つの模型が設置され、プロトタイプ以外の3つは会期中の変化・成長が期待されていた。

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「海市──もうひとつのユートピア」展(ICC、1997) 磯崎新がマスタープランに支配されない都市計画を示そうとした展覧会。海市=Mirage Cityの4つの模型が設置され、プロトタイプ以外の3つは会期中の変化・成長が期待されていた。

27 『NOWHERE』 (ハートランド、1996、「未来都市の考古学展」より) 東京都現代美術館ほかでの展覧会で、鵜沢隆研究室が制作したCGが見られる。『SD』の隈研吾特集のように、今後CD-ROMが付属された建築雑誌が増えてもおかしくない。

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『NOWHERE』 (ハートランド、1996、「未来都市の考古学展」より) 東京都現代美術館ほかでの展覧会で、鵜沢隆研究室が制作したCGが見られる。『SD』の隈研吾特集のように、今後CD-ROMが付属された建築雑誌が増えてもおかしくない。

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28 「ザ・タワー」(OPeNBOOK9003、1994) 住居、オフィス、店舗などを組み上げることによって巨大な都市=タワーをつくるゲーム。住人のストレスがすぐに増えるので100階に到達するのは至難。「シムシティ」の類似ゲームは多し。

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「ザ・タワー」(OPeNBOOK9003、1994) 住居、オフィス、店舗などを組み上げることによって巨大な都市=タワーをつくるゲーム。住人のストレスがすぐに増えるので100階に到達するのは至難。「シムシティ」の類似ゲームは多し。


29 「電車でGO!」(タイトー、1996) 駅の所定の位置に時間通りに止まることが目標とされるゲーム。実際、運転士の仕事はこんなに難しいのだろうか? 電車の先頭からの都市風景は、見慣れないだけに新鮮。

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「電車でGO!」(タイトー、1996) 駅の所定の位置に時間通りに止まることが目標とされるゲーム。実際、運転士の仕事はこんなに難しいのだろうか? 電車の先頭からの都市風景は、見慣れないだけに新鮮。

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30 「たまごっち」(バンダイ、1996)携帯型の仮想のペットを育てるゲーム。世話の仕方によって、成長の方向が変わったり死んだりする。ゲームとしては単純だが一時期大流行。人工生命とは言えないが、ペットとしては役目を果たした?

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「たまごっち」(バンダイ、1996)携帯型の仮想のペットを育てるゲーム。世話の仕方によって、成長の方向が変わったり死んだりする。ゲームとしては単純だが一時期大流行。人工生命とは言えないが、ペットとしては役目を果たした?

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31 「ビートマニア」(コナミ、1997) 5つの鍵盤とターンテーブルを音楽に合わせて操作するゲーム。本当にうまい人がやっていると人だかりができる。ヒットの背景にはクラブカルチャーの普及が。最近ではVJの人気も高まりつつある。

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「ビートマニア」(コナミ、1997) 5つの鍵盤とターンテーブルを音楽に合わせて操作するゲーム。本当にうまい人がやっていると人だかりができる。ヒットの背景にはクラブカルチャーの普及が。最近ではVJの人気も高まりつつある。

32 「Dance Dance Revolution」(コナミ、1998)「ドラムマニア」など類似のゲームのなかでは最もヒット。2人でやっていると自然と動きが揃うのが面白い。蓮實重彦も東大大学院の卒業式講演で言及!

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「Dance Dance Revolution」(コナミ、1998)「ドラムマニア」など類似のゲームのなかでは最もヒット。2人でやっていると自然と動きが揃うのが面白い。蓮實重彦も東大大学院の卒業式講演で言及!

33 「ファイナル・ファンタジーVII」(スクウェア、1997) CD-ROM3枚組の長編RPG。シリーズ初のプレステ版。リアルな映像は、ライヴァル「ドラクエ」を圧倒。CGをつくったスタッフには建築学科出身者が多かったとか。

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「ファイナル・ファンタジーVII」(スクウェア、1997) CD-ROM3枚組の長編RPG。シリーズ初のプレステ版。リアルな映像は、ライヴァル「ドラクエ」を圧倒。CGをつくったスタッフには建築学科出身者が多かったとか。

34 「電波少年」(日本テレビ、1994─) 現在は「進ぬ!電波少年」と「雷波少年」で別々の企画が進行。当初のアポなし取材系から大陸横断ヒッチハイクなど旅もの企画が多くなったが、依然として人々の善意に頼る点には倫理的問題もなくはない。

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「電波少年」(日本テレビ、1994─) 現在は「進ぬ!電波少年」と「雷波少年」で別々の企画が進行。当初のアポなし取材系から大陸横断ヒッチハイクなど旅もの企画が多くなったが、依然として人々の善意に頼る点には倫理的問題もなくはない。

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35 「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ、1995─) TOKIOのメンバー5人が、毎週〈富士山はどこまで見えるか?〉〈タクシーメーター1万円でどこまで行けるか!?〉といった企画に挑戦。都市そのもののゲーム化の好例。

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「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ、1995─) TOKIOのメンバー5人が、毎週〈富士山はどこまで見えるか?〉〈タクシーメーター1万円でどこまで行けるか!?〉といった企画に挑戦。都市そのもののゲーム化の好例。

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36 「S-FIELD」(フジテレビ、1999─) 見知らぬ素人カップルがスポーツをしながら1週間の旅をして、「愛」と100万円の獲得を目指す。都市のゲーム化に恋愛要素を加味。「ガサ入れ」もそうだが、「ねるとん」系より恋愛心理に焦点をあてている。

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「S-FIELD」(フジテレビ、1999─) 見知らぬ素人カップルがスポーツをしながら1週間の旅をして、「愛」と100万円の獲得を目指す。都市のゲーム化に恋愛要素を加味。「ガサ入れ」もそうだが、「ねるとん」系より恋愛心理に焦点をあてている。

37 「渡辺篤史の建もの探訪」(テレビ朝日、1989─) 渡辺篤史が良質な住宅をレポート。建築をテーマとした唯一の長寿番組。これを見て建築家に憧れた人は多いのでは。テーマソングが小田和正(早稲田大学建築学部修了)なのは意図的?

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「渡辺篤史の建もの探訪」(テレビ朝日、1989─) 渡辺篤史が良質な住宅をレポート。建築をテーマとした唯一の長寿番組。これを見て建築家に憧れた人は多いのでは。テーマソングが小田和正(早稲田大学建築学部修了)なのは意図的?


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38 「協奏曲」(TBS、1996) 田村正和が扮する建築家海老沢耕介は、独学で建築を学んだという設定のため安藤忠雄をモデルにしたのではと言われる。木村拓哉、宮沢りえの出演で期待されたが、ドラマとしての評価は高くない。

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「協奏曲」(TBS、1996) 田村正和が扮する建築家海老沢耕介は、独学で建築を学んだという設定のため安藤忠雄をモデルにしたのではと言われる。木村拓哉、宮沢りえの出演で期待されたが、ドラマとしての評価は高くない。

39 「ETVカルチャースペシャル『若手建築家バトル』」 (NHK教育テレビ、1999年11月6日放送)みかんぐみ、アトリエ・ワン、遠藤秀平が同じ条件下でエコロジー・ハウスの設計を競う。審査員は伊東豊雄とエコロジスト2人。順位はなし。

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「ETVカルチャースペシャル『若手建築家バトル』」 (NHK教育テレビ、1999年11月6日放送)みかんぐみ、アトリエ・ワン、遠藤秀平が同じ条件下でエコロジー・ハウスの設計を競う。審査員は伊東豊雄とエコロジスト2人。順位はなし。

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40 『インデペンデンス・デイ』(監督=ローランド・エメリッヒ、1996) 直径24キロメートルの超巨大宇宙船で来襲したエイリアンが主要都市を次々に破壊。都市の上に浮かぶもうひとつの飛行船=都市は圧巻。都市破壊のCGも凄い。

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『インデペンデンス・デイ』(監督=ローランド・エメリッヒ、1996) 直径24キロメートルの超巨大宇宙船で来襲したエイリアンが主要都市を次々に破壊。都市の上に浮かぶもうひとつの飛行船=都市は圧巻。都市破壊のCGも凄い。

41 『ボルケーノ』(監督=ミック・ジャクソン、1997) ロサンゼルスの地下で火山が爆発し、吹き出すマグマが都市を破壊。物語はロスの都市構造を利用して展開する。これに限らずロサンゼルスは小説、映画などで何度も繰り返し破壊される都市だ。

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『ボルケーノ』(監督=ミック・ジャクソン、1997) ロサンゼルスの地下で火山が爆発し、吹き出すマグマが都市を破壊。物語はロスの都市構造を利用して展開する。これに限らずロサンゼルスは小説、映画などで何度も繰り返し破壊される都市だ。

42 『マトリックス』(監督=ウォシャウスキー兄弟、1998) 「マシンガン撮影」による斬新な視覚効果など、ヴァーチュアルとリアルの境界を消そうとする映像表現に注目した建築関係者も多いはず。監督は日本のアニメから着想を得て絵コンテに利用した。

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『マトリックス』(監督=ウォシャウスキー兄弟、1998) 「マシンガン撮影」による斬新な視覚効果など、ヴァーチュアルとリアルの境界を消そうとする映像表現に注目した建築関係者も多いはず。監督は日本のアニメから着想を得て絵コンテに利用した。

43 『甲殻機動隊』 (監督=押井守、原作=士郎正宗、1995)世界的に注目を浴びたジャパニメーションの代表格。サイボーグの身体と電脳空間を21世紀のアジアの都市に描く。アジアに未来が重ね合わされる、典型的テクノ・オリエンタリズム。

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『甲殻機動隊』 (監督=押井守、原作=士郎正宗、1995)世界的に注目を浴びたジャパニメーションの代表格。サイボーグの身体と電脳空間を21世紀のアジアの都市に描く。アジアに未来が重ね合わされる、典型的テクノ・オリエンタリズム。

44 『新世紀エヴァンゲリオン』(監督=庵野秀明、EVA製作委員会、1997) 最終2話で物語が崩壊していくメタフィクション的アニメ。さまざまな引用や謎などが多くの論議を呼び「エヴァ本」も多数出版。舞台は「セカンド・インパクト」という大破局後の第3新東京市。

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『新世紀エヴァンゲリオン』(監督=庵野秀明、EVA製作委員会、1997) 最終2話で物語が崩壊していくメタフィクション的アニメ。さまざまな引用や謎などが多くの論議を呼び「エヴァ本」も多数出版。舞台は「セカンド・インパクト」という大破局後の第3新東京市。

45 『ドラゴンヘッド』(望月峯太郎、講談社、1994─) 物語は修学旅行帰りの新幹線に乗った中学生がトンネル内で突如大異変に襲われる場面から始まる。生き残った主人公らは終わりのない災厄に遭う。外部を欠いた出口のない都市。

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『ドラゴンヘッド』(望月峯太郎、講談社、1994─) 物語は修学旅行帰りの新幹線に乗った中学生がトンネル内で突如大異変に襲われる場面から始まる。生き残った主人公らは終わりのない災厄に遭う。外部を欠いた出口のない都市。

46 『九龍城砦』(宮本隆司、平凡社、1997) 香港の九龍城が取り壊されたのは93年。宮本は解体前から解体後までを丹念に追う。九龍城は、アパート同士が互いの壁を外壁としながら複雑に成長した。アジアへの注目も90年代的か。

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『九龍城砦』(宮本隆司、平凡社、1997) 香港の九龍城が取り壊されたのは93年。宮本は解体前から解体後までを丹念に追う。九龍城は、アパート同士が互いの壁を外壁としながら複雑に成長した。アジアへの注目も90年代的か。

47 『TOKYO SUBURBIA』(ホンマタカシ、光琳社出版、1998)フレーム内の全てに焦点が合うことで、逆に写真の対象物が判然としない。それが対象のはっきりしない「郊外」。同タイトルの展覧会はアトリエ・ワンが会場構成をした。

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『TOKYO SUBURBIA』(ホンマタカシ、光琳社出版、1998)フレーム内の全てに焦点が合うことで、逆に写真の対象物が判然としない。それが対象のはっきりしない「郊外」。同タイトルの展覧会はアトリエ・ワンが会場構成をした。

48 「転景TOKYO STYLE 360。」展(都築響一、エプサイト、1999) IPIXという技術によって360度全てを見ることができる。カメラ・アイがないという点では、『TOKYO SUBURBIA』とともに、村上隆の言う「スーパーフラット」という概念とシンクロか。

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「転景TOKYO STYLE 360。」展(都築響一、エプサイト、1999) IPIXという技術によって360度全てを見ることができる。カメラ・アイがないという点では、『TOKYO SUBURBIA』とともに、村上隆の言う「スーパーフラット」という概念とシンクロか。

49 『Hiromix ’99』(Hiromix、Trattoria、1999) 19歳にしてアラーキーに認められたヒロミックス(1976生)はビッグミニのシャッターを切るように作詞し歌うミュージシャン兼カメラマン。もはや存在と生き方そのものが90年代的。

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『Hiromix ’99』(Hiromix、Trattoria、1999) 19歳にしてアラーキーに認められたヒロミックス(1976生)はビッグミニのシャッターを切るように作詞し歌うミュージシャン兼カメラマン。もはや存在と生き方そのものが90年代的。

50 プリクラ(ATLUS/SEGA、1995)プリント倶楽部の略。ゲームセンターに登場して以来爆発的にヒット。東浩紀はそこに写真と文字と絵の境界がないことを指摘し、ラカン的なメディアの差異がなく、デリダ的な声と文字の結合状態により近いことを示唆。

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プリクラ(ATLUS/SEGA、1995)プリント倶楽部の略。ゲームセンターに登場して以来爆発的にヒット。東浩紀はそこに写真と文字と絵の境界がないことを指摘し、ラカン的なメディアの差異がなく、デリダ的な声と文字の結合状態により近いことを示唆。

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>松田達(マツダ・タツ)

1975年生
松田達建築設計事務所主宰、建築系ラジオ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.19

特集=都市/建築クロニクル 1990-2000