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映画における建築的美学──構図論 | 奥村賢
The Architectural Aesthetics of Cinema: On Composition | Okumura Masaru
掲載『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール, 1998年12月10日発行) pp.46-47

映画において建築的美学ともっとも近しい関係にあるのは、おそらく画面内の空間設計であろう。ただし、われわれが映画をみるとき、空間設計そのものを目にすることはない。二次元の平面スクリーンにつねに投影されているのは、厳密にいえば、空間設計の結果、すなわち〈構図〉でしかないからだ。ここでは映画を創作する側ではなく、受容する側の視点に立って述べたいので、後者の表現を用いることにしよう。
いかなる対象(セットや人物など)を被写体として採用するのか、採択された被写体はどのように配置するのか、撮影はどのショット・サイズを用い、いかなる角度、ポジションから行なうのか。一コマの構図は、こうしたいくつかの選択過程を経て決定される。構図は映画美学を構成するもっとも重要な要素のひとつだが、歴史的にみれば、現在よりもむしろ戦前のほうが、構図に意を注いでいる者が多かったように感じられる。もちろん、個々の作品や作家によっても異なるが、全体として、過去の映画のほうが、構図というものに敏感だったといえるのではなかろうか。
撮影技術が飛躍的に進歩し、キャメラ移動が意のままになった現代の映画では、ひと続きのアクションも途切れることなく撮影できる。持続時間の長いショットのなかで、眼前の光景が次々と変転していく映画の場合、構図は列車からみる流れ去る一瞬の風景に等しい。この種の映画においては、構図に対する創り手のこだわりも受け手の集中力も弱まりこそすれ、強まることはあまりないだろう。これに反して無声期は、移動を含めたキャメラ操作がいまほど楽ではなく、撮影位置を変えたいときなどは、一度、撮影を中断してからふたたび撮り始めねばならない場合が少なくなかった。また、音声が欠落していたため、その代替手段のひとつとして字幕が使用され、アクションの途中で字幕ショットが再三再四、挿入されることも珍しくなかった。撮影の度重なる中断や、字幕の頻繁な介入はアクションの分断化を促し、短時間ショットの増加をまねく主因となった。構図はやはり、ショットが相対的に短く、画面の光景が安定化しやすい無声期のような映画においてこそ、もっとも威力を発揮できると考えられる。だとすれば、当時の人々がいま以上に構図を意識していたとしても何ら不思議ではない。
また、無声期は映像表現の可能性がさまざまな観点から模索され、映画の基本文法が確立されていった時代でもあったということも、考慮に入れる必要があろう。当時の映画に発声能力がなかったことは、現代からみれば欠陥のようにみえるかもしれないが、その不全さがかえって、映画の本来的な要素、視覚的側面の探究へと人々を駆り立てることとなった。限定された基本的要素を十全に活用し、映画独自の表現を確立しようとするこうした運動のなかで、純粋な映像表現の一翼を担う構図の力はひときわ注目されたにちがいない。
画面構成を周到緻密に行なえば、そこで生起している事象とは別に、いわば言外の意味や雰囲気を伝達することも可能である。一九二〇年代の旧ソ連のモンタージュ理論派は、映像における意味伝達のあらたな可能性を追究するのにとりわけ熱心だった。彼らはショットとショットとの関係を重要視したことで有名だが、ショット内の構図についても疎かにすることはなかった。たとえば、フセヴォロド・プドフキンの革命一〇周年記念作品『聖ペテルブルグの最後』(一九二七)における冬宮広場のシーン。ここでは支配階級の銅像をとらえた短いショットがいくつか連続して提示される。銅像の多くは仰角ショットで撮られ、銅像の下を歩く農民は俯瞰ショットで撮られている(あたかも逃げまどう蟻のように小さくとらえられている)。これらのショットは、民衆に君臨する権力の性格を、そして貴族階級と下層階級の主従関係をみごとに伝えているものだといえよう。
これに対し、同時代のドイツ映画の構図への処し方はかなり趣を異にしていた。画面設計にあたって力点をおいていたのが、言語的意味の伝達よりも、装飾的な効果や幻想的雰囲気の醸成であったからである。けれども、〈建築的〉という言葉がよく似合うのは、むしろこのドイツ映画の構図のほうであるかもしれない。ひとつには、当時のドイツ映画界ではスタジオ中心の映画制作が行なわれ、そこでは意匠を凝らしたきわめて人工的な世界が次々と造形されていたからである。このことはたとえば、ドイツ映画黄金時代の幕開けを告げた『カリガリ博士』(一九一九)を観れば、たちどころに了解できよう。この表現主義映画では、街路は曲がりくねり、家屋はよじれ、塀は傾いている。演技を含め、すべてが誇張され、歪められ、整然的秩序というものが一切ない。ここにあるのはもちろん現実世界の再現ではない。画面構成を神経を逆撫でするようなものにしていったのは、あきらかに人間の内面に潜む不安や狂気を表象化するため、また不安や恐怖心を喚起するためであった。
ところがもう一方で、戦前のドイツ映画には、こういった無秩序性とは正反対の構図が現われる作品も少なからずある。代表的なのは名匠フリッツ・ラングの作品で、建築学を学んだ彼の映画には、均整のとれた対称的な構図が頻出する。もっとも顕著なのは、北欧神話を映画化した『ニーベルンゲン』二部作(一九二四)だ。たとえば、英雄ジークフリードがクリームヒルトに結婚を申し込みにグンデル王の宮殿を訪れるシーン。城門が左右に開き、画面中央からジークフリードが家来を引き連れ、入城してくる。彼は大広間に入っても中央線上を前に進み、家来たちは三列縦隊になってうしろに従っている。王の面前にたどり着いたとき、ショットが変わる。この俯瞰ショットでは、グンデル王、ジークフリード、中列の家来たちが中軸線を形成し、ほかの二列の家来たちと壁際の貴族たちが両脇を固めている。完全なシンメトリーの構図である。
トーキー期に入り、こうした調和志向を引き継いだのは、古典的理想美を生涯、追い求めることになるレニ・リーフェンシュタールである。彼女の映画はもちろん、発声映画であり、移動撮影もきわめて多い。けれどもリーフェンシュタール映画もまた、秩序をこのうえなく重視する。統一のとれた構図への固執は、ラング映画に勝るとも劣らない。ナチス党大会の記録映画『意志の勝利』(一九三五)では、キャメラが党員たちの整列する姿や整然とした行進をとらえていく。このなかで、群集は画面を彩るただの幾何学的紋様と化していくが、見落としてならないのは、こうした構図の多くが古典的建築美と相通じるものを生み出していることである。
当時のドイツ映画において、秩序と混沌という相反する形式が混在していたのは、一見、矛盾する現象のようにみえるかもしれない。が、じつは両者は底流ではつながっていたのである。すなわち、反現実主義の抽象的産物という点では、まったく変わらなかったのである。
映画が音声や色彩など、新しい表現手段を獲得していくにつれ、また撮影技術が向上していくにつれ、構図の占める位置がしだいに低くなってきたのはまちがいなかろう。けれども、現代映画には現代映画なりのふさわしい活用法があるはずなのに、いまだにそれが見出せていないように思えてならない。構図の力をもっと生かすにはどうすればいいか、もう一度、再検討すべき時がきているのではなかろうか。

1───『ニーベルンゲン』2部作より 第1部『ジークフリード』の入城場面

1───『ニーベルンゲン』2部作より
第1部『ジークフリード』の入城場面

2──同上 王に謁見するジークフリード

2──同上
王に謁見するジークフリード

>奥村賢(オクムラ・マサル)

1953年生
早稲田大学・日本大学非常勤講師。映画学。

>『10+1』 No.15

特集=交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール