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ノートルダムの二重側廊──音楽を創発する建築 | 伊東乾
The Double Passage in the "Notre Dame de Paris": An Architecture Which Had Given an "Emergence" to Music History | Ito Ken
掲載『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール, 1998年12月10日発行) pp.40-41

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パリを訪れる人は多いが、毎日曜朝に執り行なわれているノートルダム寺院[図1nのミサはほとんど知られていない。この都市で音と時間、そして空間を考えるなら、ポンピドゥー・センターやブーレーズ肝煎りのシテ・ドゥ・ラ・ミュジックよりも、私はノートルダムの側廊で耳を澄ませることを勧めたい。そこでは今日も、グレゴリオ様式による空間典礼音楽が歌い続けられ、その響きは、多くの重要な課題を示唆しているのだから。

1──ノートルダム大聖堂

1──ノートルダム大聖堂

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かつてイタリアの作曲家ルイジ・ノーノは、私たちの催した小さな会合で、時間と空間の多層性について述べたことがある★一。イタリア・ルネサンス期のポリフォニー音楽が持つ時間の複数性を、彼はフィレンツェの街であちこちの寺院が打つ時鐘に喩えた。同じ一二時、或いは三時を打ちながら、各々の鐘は各々の時間を持つ。それらがずれ、あるいは模倣しあうようにも聴こえ、そこに複数の時間、複数の空間と生命が響く。「一七〇〇─一八〇〇年代の音楽において単一の時間が流れるのとは違って、そこでは複数の音楽的時間がさまざまな可能性、もしくは生きることの多様なあり方の投影として重なりあうのです」★二。生のあり方は都市の存立形態と表裏をなす。実際ノーノの言う通り、時代を下ってもマーラーの多層的な時間構造と一九世紀末期のウィーン、あるいはアイヴズやケージのアナーキーな音のすれ違いと今世紀前半アメリカでのサウンドスケープなど、都市の響きと音の精神生活とは、それと気づかれ、あるいは気づかれぬうちに、実際は同一の「聴こえの行為」として様々な変遷を遂げてきた。私たちはそんな複数の響きへの、ひとつの「気づきの古層」に分け入りたいと思うのだ。
 

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パリ大司教モーリス・ド・シュリーが、シテ島の聖母教会聖堂を再建して、都市としての規模を拡大しつつあったパリにふさわしい大聖堂の建築を決定したのは、第二回と第三回の十字軍派遣のあいだに当たる一一六〇年のことである。工期中つねに礼拝を絶やさぬように、作業の進展に伴って旧大聖堂は少しずつ取り壊され、現在の内陣へと準連続的に変化していった。新しい大聖堂の側廊は当時としては珍しい海老の身にも譬えられる二重側廊で[図2]、それが祭壇付近を取りまく周歩廊につながっている[図3]。詳細は金澤正剛の精緻な考察に譲るが★三、私たちは新聖堂の工事が進行中の過渡期的な聖堂で、つねにミサが行なわれ、聖歌隊も歌い続けていたことに注目したい。というのもこの時期、一一六三年から八二年にかけての時期こそ、レオニヌス編、ペロティヌス改訂と伝えられる『オルガヌム大全(Magnus Liber Organi)』が編纂されて西欧世界におけるポリフォニー音楽が誕生した、ノートルダム楽派の活動、変遷の時期にほかならないからである。工事の初期、レオニヌス様式のオルガヌムは先唱者と対旋律の歌い手二人による「二声のオルガヌム」が中心だった。聖歌隊はグレゴリアンの単旋律を唱う。新しい内陣が完成した八二年の祭壇聖別時にはペロティヌスが活躍していた。彼の様式はレオニヌスより遙かに複雑な対位法である。またそれは定位置で歌われるのみならず、聖堂の空間内を歩きながら歌われる「行進歌」コンドゥクトゥスも含んでいた。そのようなコンドゥクトゥスを私たちは現在も、その同じ空間で耳にすることができる。

2──二重側廊 曲線部分にはゴシック建築最大のヴォリュームが与えられている

2──二重側廊
曲線部分にはゴシック建築最大のヴォリュームが与えられている

3──側廊延長部の内側周歩廊内部 各々の梁間が独立した響きを支えることができる

3──側廊延長部の内側周歩廊内部
各々の梁間が独立した響きを支えることができる

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アンリ・フォションはノートルダム大聖堂の落成をもって巨大建築時代の幕開けとしたが、実際、同時代の教会堂の身廊が平均二四メートル程度の高さだったのに対し、ノートルダムでは三二メートル五〇センチという頭抜けた高さに到達している★四。同時に注目しておかねばならないのは、二重に拡大された側廊である[図4]。ロマネスクの教会堂では、単一の響きが空間に充溢するグレゴリアンの単旋聖歌が歌われていた[図5]。だがノートルダムの側廊部、およびそれと接続する周回廊部の曲線部分には、創建当初の建築家によってゴシック建築最大のヴォリューム、最大の共鳴容積が与えられ、ひとつの梁間が十分にひとつの響きを確保するに至ったのである。これは祭壇を囲む周回部もしくは側廊部に、ロマネスク教会の身廊にも匹敵する規模の共鳴胴が幾つも付加されたようなもので、各々の梁間の共鳴は一定以上の独立性が確保されている。この未曾有の複合的な響きの空間が、突然現われたのではなく、同じ場所で旧聖堂時代から継続して聖餐式が執り行なわれ続けていたことは重要である。工事の最初期、礼拝は極めて不安的な音響共鳴条件の下で行なわれただろう。その間も人々は半即興的なオルガヌムを歌い続けた。前代未聞の複合共鳴装置としての新聖堂が建設される傍ら、共鳴の物理的境界条件が日に日に変化する只事ではない状況のもとで、「気づき」以前にも礼拝は続けられ、そこで確かに気づかれ、読み替えられた身体の営為があったのである。

4──ノートルダム大聖堂の断面図  この建物がゴシック建築の巨大様式時代の幕を切っておとした。 側廊部には各々独立したロマネスクの身廊が 複数付加された以上の空間容積が与えられる。 アンリ・フォション『西欧の芸術2 ゴシック(上)』

4──ノートルダム大聖堂の断面図 
この建物がゴシック建築の巨大様式時代の幕を切っておとした。
側廊部には各々独立したロマネスクの身廊が
複数付加された以上の空間容積が与えられる。
アンリ・フォション『西欧の芸術2 ゴシック(上)』

5──ロマネスク聖堂の例 ショーヴィニーのサン・ピエール聖堂 後年のゴシック様式と比べ コンパクトな設計。 空間はグレゴリアンの単旋律によって 満たされる。 図4と5とは同一縮尺であることに注意。 アンリ・フォション『ロマネスク』

5──ロマネスク聖堂の例
ショーヴィニーのサン・ピエール聖堂
後年のゴシック様式と比べ
コンパクトな設計。
空間はグレゴリアンの単旋律によって
満たされる。
図4と5とは同一縮尺であることに注意。
アンリ・フォション『ロマネスク』

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特定の時間と空間の中で、人間の間身体的な関わりの中に気づきが走り、新たな響きの関係が見出されていく。吟遊詩人を示す「トルヴァドール」の語も「見出す人」の意を持つが、人々は日々新たな響きの空間の中に未だ知られざる神の福音、恩寵の顕現としての新たな調和を聴きだそうとした★五。J・J・ギブソンに従って行為の科学の用語を用いるなら、筆記されざる段階で響きは日々鍛えられ、その手応えが「アフォード」され確認されていったに違いない★六。その新たなる恩寵の碑文として『オルガヌム大全』が記されたのである。複数の響きを許容する新たな空間と、発声/聴取という身体の行為の関わりの中から、ポリフォニー音楽は創発した。工事の初期、絶えず物理的条件が変化する状況、とりわけ石造りの境界壁面が暫時取り壊された直後には、単旋聖歌は響きの貧困に苦しんだに違いない。物理的に与えられていた豊かな環境を補うために、認知レヴェルでの充溢、すなわちオルガヌムの精緻化、響きを潤沢にする改良が促された。境界条件の困難な状況が「書法」の厳しさを問う。その結果がレオニヌスによって書き留められた初期の聖務日課、いわば『オルガヌム大全』の原型に相当すると考えられる。また一一八二年近辺を境として、今度は未曾有の規模で安定した共鳴条件の場、すなわち新大聖堂というかつてない高さの天井と複数の時間を許容する複雑な共鳴空間装置が得られる。その空間がレオニヌスの書き留めたものをさらに芳醇化し、ペロティヌスの『大全』改訂がなされた。側廊というパサージュの共鳴空間が、新たなエクリチュールを許容したのだ。やがて、教会権威の相対化と共にポリフォニーを聴き出した耳は聖堂の空間から自由になって、都市の全体を聴くようになるだろう。その延長に、先にノーノが指摘した、ルネサンス以降の音楽展望が広がるのである。

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いま此処で一群の空気の振動が沸き起こり、それが空間を伝搬して人々の身体を揺さぶり、やがて消えてゆく。〈音〉は常に儚いもの、常に絶え入りつつある過渡的な出来事だ。そんな音を聴く行為も、また儚い。不断に死滅し続ける〈音〉をいかに救うことができるか、時間と生の網目から零れ落ちてゆく〈音〉たちを掬うことは可能かと問うとき、人は〈音楽〉に気づき始める。そんな意識と無関係に、空気の振動としての音は常に響きの空間、その境界条件に、音と聴き手の身体とを含めた〈場〉の形に切り取られている★七。音の場の切り出し、時間と空間の分節としての「音の技」は音楽と建築の思考を越境するだろう。時間と空間を扱う「第一の技術」アルキ・テクトンは、ときに「建築」と訳されるのみならず「音楽」と訳される権利も留保しているに違いない。


★一──一九八七年一二月、創設初期の東京大学教養学部・表象文化論教室を訪れた折りに。公開で行なわれたレクチャーは邦訳、出版されている。小林康夫編『現代音楽のポリティクス』(白馬書房、一九九〇)。
★二──前掲書、八六頁。
★三──金澤正剛『中世音楽の精神史』(講談社、一九九八)一〇四頁─。
★四──アンリ・フォション『西欧の芸術2 ゴシック(上)』(神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、一九七六)ほかを参照。
★五──教会は神の家、福音が証明されるべき場で、新たに作られた聖堂で実現しうる響きの秘蹟はすべて恩寵の証として新たに見出され(=アフォードされ)るべきものだ
った。
★六──響きのアフォーダンスに関する平易で優れた解説として『知性はどこに生まれるか』(佐々木正人、講談社、一九九六、七一頁─)を挙げておきたい。
★七──響きのヴァーチュアリティ・テクノロジーはキルヒホッフの積分則などを梃子にして、そんな実環境、物理的境界条件の枷を読み替え、曖昧なものにしてゆく戦略を
とる。

>伊東乾(イトウ・ケン)

1965年生
作曲家、指揮者。

>『10+1』 No.15

特集=交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>小林康夫(コバヤシ・ヤスオ)

1950年 -
表象文化論、現代哲学、フランス現代文学。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>佐々木正人(ササキ・マサト)

1952年 -
心理学者、東京大学大学院教育学研究科教授。東京大学大学院教育学研究科。