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共異体=共移体としての都市 | 若林幹夫
On the Totalization of the City (Part 2): A Polymorphic = Polydynamic City | Wakabayashi Mikio
掲載『10+1』 No.11 (新しい地理学, 1997年11月10日発行) pp.231-242

1 都市の〈起源〉

ピレンヌがそれを「解放」と呼んだように、ヨーロッパ中世の都市は、当時のヨーロッパを覆っていた封建的な社会関係から解放された「自由」の空間として存在していた。土地を媒介とする保護と臣従を関係の原理とする封建社会において、土地への帰属はそのまま封建的な支配関係への帰属を意味する。そこでは土地とは、臣従と忠誠、保護と支配のメディアとして思考され、形象化されていた。それに対して都市は、そのような関係の「外部」として、市民的な自由と共同性のメディアとして思考され、形象化されたのだ★一。
提唱者であるピレンヌとハンス・プラーニッツの名を取って「ピレンヌ=プラーニッツ説」と呼ばれる古典的な学説が示唆するところによれば、この「解放」は、一〇世紀のヨーロッパにおける人口増加と生産力の向上により生じた、農村の社会構造や生産─消費関係に対して過剰な人口や物財の流動化を直接の契機としている★二。農村経済に対する過剰人口となった人びとは、封建的な諸領の間を彷徨う商人──時にそれは群盗と同様のものだったが──となり、過剰な生産物は商品として流通した。一一世紀以降のヨーロッパにおける「商業の復活」は、土地を臣従と忠誠、保護と支配の形象とする社会の上に、その土地に帰属せず、それを横断する人びとと物財の流れを生み出していった。中世ヨーロッパの都市は、こうした商品と商人の流れの結節、中継点として形成された商人たちの集住地が、法的な「自由」と「自治」を獲得したところに成立した。「都市共同体」という形象は、定住の土地空間を臣従と忠誠、保護と支配のメディアから自由と自治のメディアへと変換し、それを一個の「共同体」として思考することを可能にする「場を占めぬもの(the atopical)」なのである[図1]。
ピレンヌ=プラーニッツ説は同時にまた、この想念上の「共同体」という場を占めぬものに先立って、土地に帰属せず、封建的な属領の間を横断してゆく人びとと物財の流れという、まさに「場を占めぬもの」が、都市の物理的・制度的な成立に先立ち、都市という社会のあり方を本質的に規定するものとしてあったことを示している。都市の「解放」は、これらの人びとと彼らが従事する営みが、特定の土地空間に属さぬがゆえに、いかなる領主法やそれに基づく支配にも従属しないことを、その法理上の〈起源〉★三としている。これらの人びとや物財が特定の場を占めぬことこそが、都市の「解放」の〈起源〉なのだ。その「解放」が都市共同体という定住的な社会の形成(=再土地化)として結実するがゆえに、この〈起源〉は実際の都市の成立に際しては直接に語られぬものとして、「都市共同体」という土地空間に志向する形象の下に覆い隠されるが、同時に、都市という定住のあり方をその後も決定的に規定し続ける。なぜなら都市は、それが商品の流れと移動する商人に代表される「場を占めぬもの」の場であることによって、村落ではなく「都市」として存在し続けることができるからだ。
マックス・ヴェーバーは都市のそのようなあり方を、「市場聚落マルクトオルト」ないし「市 場 定 住 地マルクトアンジーデルング」という言葉で表現している★四。すべての都市に共通していることは、それがともかくも一つのまとまった定住、聚落であることだとする『都市の類型学』冒頭のヴェーバーの指摘に半ば反して、私たちはここで、ヴェーバーのこれらの概念を「聚落」や「定住地」の側にではなく、「市場」の側に重点を置いた意味で理解するべきだろう★五。それは、都市という土地空間に志向する社会が、その土地空間への定住化の前提として、特定の土地空間に帰属せず、それらの間を横断する人びとや物財の交通をもつということ、それゆえ都市は単に社会的な諸交通の結節点や中継点に位置しているだけでなく、定住としての自らの内部にその交通の位相を保持し続けているということである★六。
都市のこのようなあり方は、ヨーロッパ中世の都市共同体のようないわゆる「経済都市」だけに見出しうるのではない。「政治都市」や「宗教都市」と呼ばれて「経済都市」とは時に区別されるような都市にも、またヨーロッパ以外の社会に見出される様々な都市にも、私たちは同様の〈起源〉と、それに由来する社会のあり方を見出すことができる。
政治都市であれ宗教都市であれ、それらが「都市」であるのは、その定住が村落共同体のようなローカルな社会を超える権力関係や信仰の中心ないし結節として存在するからである。この意味で、それらの定住は個々の都市的定住を超えた交通関係へと開かれており、同時にその内部にもそうした広域的な社会的交通を媒介する位相をもち続けていなくてはならない。この時、都市の〈起源〉である「政治」や「宗教」は、個々の定住内部にのみ関係する「政治」や「宗教」ではなく、一個の定住を超えた規模での「政治」や「宗教」として、社会的な諸交通を媒介する位相における関係の原理となっているという点で、「経済都市」における「経済」と同様の位相に位置しているのである。ロバート・レッドフィールドとミルトン・シンガーの概念を用いれば、それらの政治や宗教は、貨幣経済と共に、ローカルな「文化」を普遍的な「文明」へと変換する装置なのだ★七。そうした間─共同体的な交通の回路である「政治」や「宗教」を通じて、異なる地域に出自をもつ人びとが集まり、出会い、集住し、一個の定住となるところに「政治都市」や「宗教都市」が現われるのである。

1──都市コミューンの印章 (河原温『中世ヨーロッパの都市世界』山川出版社)

1──都市コミューンの印章
(河原温『中世ヨーロッパの都市世界』山川出版社)

2 土地と貨幣

したがって都市とは、土地を経済的な生産力基盤とする村落的な定住社会とは異なり、互いに見知っているような隣人間の関係も、それを共同の生産力基盤とする土地空間への帰属も、人びとの集団を捉える関係の第一次的な原理とはなりえないような定住社会である。
村落的な定住においては、特定の閉じた成員を要素とする親族や氏族、一族の連合等によって形成された閉じた社会組織が、生産力の基盤である土地空間に対する共同の労働と、そこに付属する土地への居住に結び付けられることによって、社会は特定の土地空間上の閉じた領域を全域としてもつものとして現われる。この時、定住の土地空間を社会的なものとしているのは、土地を労働の対象とし、生活の場として日々繰り返される人びとの共同=協働の営みと、そうした関係の集合的な表現である土地神への信仰や自然崇拝等の営みである。農村的な定住は、その定住としての同一性の根拠を、労働の対象であり共同体の生産力の基盤である土地や自然環境、親族や氏族を結びつける紐帯としての「血」といった〈自然〉の中にもっている。それらの〈自然〉が共同体の基盤として機能するためには、それを対象化し、観念として言説化する人びとの社会的な営みが必要だとしても、そこには土地や血などの〈自然〉という根底がある。
それに対して都市は、こうした〈自然〉の外部に成立する、反─自然的な社会である。都市では人びとの集合体の生きる経済的な基盤は土地ではなく、商業交易や市場での売買を前提とする工業生産である。土地ではなくこうした交通を経済的な原理としてもつがゆえに、土地空間の有限な生産力にもっぱら経済基盤を置く村落的な社会が限定された数の成員しかもちえないのとは異なり、都市ではより不特定多数の人びとが集住・往来することが可能になる★八。都市という社会の存立を根底において支えているのは、土地空間への帰属や隣人間の関係に先立って存在する、脱共同体的・間共同体的な交通なのであり、土地空間の共有や共用は、この交通に対していわば事後的であり、二次的である。そこでは社会は顕在的にであれ潜在的にであれ、つねに不特定の他者に向けて開かれており、共にあることを本質的な自然ないし必然として了解する関係の原理ではなく、それを一定の選択に基づいた人為的で偶有的なものとして了解する関係の原理が、人びとの集合体を捉えている。経験的な事実としてしばしば指摘されうるように、都市の内部に血縁的な集団や地縁的な共同体が存在しても、それは都市という交通空間の内部の局所におけるローカルな事態なのであって、都市の全域はそうした〈血〉や〈土地〉を原理とする秩序を超えた交通の場として存在している。また、古典古代のポリスやヨーロッパ中世の都市共同体のように、都市がその現象形態において共同体としての様相を呈する場合にも、それは一次的には間共同体的な交通の空間として存在しており、そうした空間における人びとの集合体が「市民」や「都市共同体」といった社会的な想念=形象を通じて、二次的に共同体化するのである★九。「都市という社会」を特徴づけるのは、それが「定住」でありながら、その〈起源〉に非定住的な交通の位相をもつというこの両義性であり、それが「定住」であることの二次性である。
これらのことは、『都市の類型学』の冒頭におけるヴェーバーの考察によっても裏付けられるだろう。ヴェーバーによれば、都市では「都市以外の隣  人  団  体ナハバールフェアバントに特徴的な・住民相互間の人的な相識関係が、欠けている」★一〇。また「定住の場所における単に臨機的ではなく恒常的な財貨の交換が、定住者たちの営利および需要充足の本質的な要素として存在して」おり★一一、土地所有制度に関して言えば、土地の所有が重要である農村とは異なり、都市では「家屋の所有が重要であり、その土地は単なる付属物にすぎな」いという★一二。これらの標識が示しているのは、都市では村落的な社会とは異なり、社会関係が住民相互の人的な相識関係にではなく、市場における交換のような匿名的な関係に基礎を置いていること、またそこでの社会生活が土地を労働の対象とし、生産力の基盤とするのではなく、市場における交換経済及びそれを前提とする工業的な生産労働を基盤としているということである。
土地の共有や隣人関係が人びとが共にあることの本質的かつ必然的な根拠として現われず、人びとの共在が選択による人為的で偶有的なものとして現われるという「都市という社会」のあり方は、フェルディナン・テンニースの古典的な概念を用いて言えばゲゼルシャフト的(gesellschaftlich)である。テンニースによれば、ゲマインシャフトにおいて本来的に人びとに所有されている根源的な財(Ursache)は、土地(Grund und Boden)であり、ゲゼルシャフトでそれに対応するのは「財として把握される選択意志領域一般」としての貨幣である★一三。こうした指標によってテンニースが述べているのは、ゲマインシャフト的な社会では土地の共有や共用が社会を有限な成員と資源からなる閉じた全体として構成する基底となっているのに対して、ゲマインシャフト的な社会では「財として把握される選択意志領域一般」である貨幣が根源的な財であることによって、社会の全域が不特定多数が選択可能な多様な関係へと開かれているということである。ゲマインシャフトとゲゼルシャフト、土地と貨幣についてのこの理解は、これまで私たちが都市的な定住と村落的なそれとをめぐって考察してきたことと符合する[図2・3]。
「都市という社会」のあり方に対応する社会関係の第一義的な媒体は「土地」ではなく、不特定多数の人びとの間で恒常的な財貨の交換を可能にし、土地空間上の有限の住民相互の関係に対する異和と開放性をそこに生きる人びとの集合体に常に帯びさせ続ける関係の媒体である「貨幣」である。それはマックス・ヴェーバーが言うように、経験的な事実として、都市においては市場における財貨の恒常的な交換が一般的に見出されるということなのではない。政治都市における「政治」であれ、宗教都市における「宗教」であれ、都市の存在の基底にある交通の位相が共同体的な閉じた同一性をもつ社会ではなく、不特定多数の間の開かれた場としての社会を可能にする関係の媒体であるという意味で貨幣的なのである。
貨幣の本質は第一に、それが共同体の内部にだけ通有するものではなく、一定の交換比率をもって別の共同体へと越境していくという「越境性」にある★一四。古代以来、貨幣の価値や流通可能性を支えるのがしばしば国家のようなローカルな共同体を超えた社会を統治する政治権力であったこと。あるいはまた古代や中世において、市場がしばしば神々の支配する聖なる空間として考えられてきたこと★一五。これらは市場経済や国家、宗教がローカルな共同体に対してもつ共同のトポスとしての「外部」とそこでの交通を示している。都市において貨幣を媒体とする市場経済が一般的であるという経験的な事実は、都市が交通の領域に存在する越境的な社会であることの「結果」、あるいはその表現型なのである。
第二に貨幣は、土地のように人びとを同一の場に結び付けるのではなく、支払い=決済という形で人びとを結び付けると同時に切り離す。「財として把握される選択意志領域一般」である貨幣が媒介する関係は「本質的」なものではなく「選択的」なものであり、常にそれ以外の他者や他の物財の選択へと開かれた、他者性や異和性を保持している。都市では、こうした貨幣のような一般化されたメディアが、そこでの社会関係を規範し媒介する根源的な形象として、人びとを有限な関係の同一性へと回収する血や土地といった〈自然〉に取って代わっているのである。
都市が土地ではなく貨幣(あるいは貨幣的なるもの)を関係の第一義的な媒体とするということは、都市では人びとが自らをその内部に見出す社会の全域は、都市という定住空間を超えて、新たな財貨を都市にもたらすであろう不特定多数の他者たちと、彼らが横断し交通する広域的な空間の広がりへと拡張されているということを意味している。都市における「隣人」とは、広域的な交通空間を行き来する不特定多数の他者の中から任意に現われた者なのであり、「都市という社会」と「都市空間」とは、そうした任意の他者たちの広域的なネットワークを特定の土地空間に集約し、より広い土地からもたらされた財貨やそれを持ち来った人びとが相互に現前し、関係を結ぶことが可能であるように設定された場所なのだ★一六。都市は、場を占めず語りえぬその〈起源〉に交通の位相をもつがゆえに、それが場を占める具体的な土地空間や、そこに居住する成員の共同性に完全には閉じることのない社会、その土地空間や成員の外部との関係に開かれた社会として現われる。それは、ボルヘスの作品のなかで、地下室の階段に置かれていながら世界の全てをそこに映し出す特異な球体アレフのように、定住空間の内側に、その空間を超えた関係性を集約させ、潜在させる「外部としての内部」なのである。数学においてアレフ数とは無限集合の濃度を意味するが、都市とは、有限の土地空間上の有限の住民からなる「隣人集団」であろうとも、それを超えた不特定の土地や他者との関係を前提としており、また、都市という領域自体がそうした不特定の土地や他者との関係の触媒となるという意味でアレフ的な場所である。

2──ヨーロッパ中世の貨幣製造所 (阿部謹也『中世の窓から』朝日新聞社)

2──ヨーロッパ中世の貨幣製造所
(阿部謹也『中世の窓から』朝日新聞社)

3──ヨーロッパ中世の貨幣 (阿部謹也『中世の窓から』朝日新聞社)

3──ヨーロッパ中世の貨幣
(阿部謹也『中世の窓から』朝日新聞社)

3 都市の形象化

別の言い方をすれば、都市においてはその社会の全域は、城壁や制度的な境界線で画された市域と、都市を結節とする広域的な交通の空間とに二重化している。このように都市が交通を〈起源〉としてもち、土地空間や共同体的な同一性に対する異和をもちながらも、特定の土地空間上の社会として存在してきたのは、社会的な交通にとっては、財貨や情報の担い手である人びとが実際にそれらを持ち寄って出会う場所が必要とされてきたからである。土地空間上の特定の場所を共有することによってしか出会うことができないという人間の身体と世界の物質性と空間性とが、交通の空間を定住空間へと変換する。
交通とは、なるほど身体や物財、情報の移動である。だが、それはけっして止まることのない移動なのではない。交通とは、送り手と受け手という異なる主体によって占められる始点と終点をもつ移動である(ある移動の終点が次なる移動の始点となる時、その終点=始点は「中継点」と呼ばれる)。そして、様々な身体・物財・情報の移動の始点や終点が、土地空間上の特定の場に恒常的に集約される時、多数の身体や物財、情報の恒常的な移動が効率的かつ安定して行なわれることになる。カール・ポランニーが述べる沈黙交易や交易港の事例や、多くの社会に今日まで見られる定期市などが示しているように、市場的な交易が必ずしも一般的でない社会においても、交通が確実になされるために、特定の場所が設定されてきた★一七。諸共同体の間で恒常的な交通が組織され、あるいはまたそうした交通が共同体を解体して、社会の全域が一個の〈交通空間〉として組織される時、そこでは社会的諸交通を集約する恒常的な場が現われる。交通の要衝に成立した交易都市は、多くの場合こうした起源をもっている★一八。また、国家的な統治の中心であるような「政治都市」や、広域的な空間にわたる信仰の中心であるような「宗教都市」は、諸共同体を通約する交通としての「政治」や「宗教」、先に用いた言葉を使えば貨幣的なものとしての「政治」や「宗教」のネットワークの端点であるということができる★一九。このような大域的な社会的交通を媒介する位相にある場所に、そうした交通に関わる人びとが恒常的に居住するようになった時、そこに「都市的定住」の萌芽が現われる。
時を限定して機会的に設けられ、あるいは使用される市や会合場所、祝祭などから都市を隔てるのは、都市がそうした交換や会合のための「結節機関」(鈴木栄太郎)★二〇を中心として、交通に直接・間接に関わる大量の人口集団が常時居住する恒常的な街区を擁しているということである。その結果、広場や城、宮殿、神殿、市庁舎、市場などの「結節機関」が機会的な交換や会合のための場所ではなく常設的な交通の場として機能すると同時に、その周囲に居住する人びとの集合体全体が社会的な交通の場を恒常的に生きることになる。それは、この恒常的な交通の場を共有して生きる人びとの集合体に、そうした場に〈共に在ること〉を契機とするなにがしかの同一性や共同性を生み出すことになるだろう。都市が交通を集約し媒介する位相への人びとの恒常的な集住として現われる社会であるということは、都市という場が交通を前提としながらも、その社会としてのあり方は交通の機能に還元・限定して理解することができないということである。
都市が定住として存在するとは、貨幣的なるものを媒体として社会性を帯びた人びとの集まりが、右に述べたような位相にある場所に〈共に在ること〉を新たな契機として捉え直すことを通じて、一個の閉じた全域性をもつ定住として組織されるということ、貨幣的なものを社会的な関係の媒体としてもちながら、同時に──二次的に──土地をも社会的な関係の媒体としてもつということである。それによって、貨幣を媒体とする開放的で非限定的な関係の広がりに、土地空間を媒体とする同一性と全域性が与えられる。都市を生活の場として共有する人びとの集合体は、日常的な実践を通じて恒常的な関係を遂行的に作り上げ、それは街区組織や同業組織、それらの連合体や共同体などの組織と観念を形成してゆく。そのような関係性や集合性は、都市創建の神話や歴史として物語化され、都市祭礼などによって演劇化され、コスモロジーや地図等によって図像化され、都市空間の建築的な造形とその解釈を通じて物質的かつ記号論的に表現され、都市を「世代の交替にかかわりなく存続する一つの持続体」(テンニース)へと作り上げてゆくのである。こうした都市の創建の神話や、都市空間の底に隠されたコスモロジー、都市内の様々な場所や建物に刻まれた歴史的な出来事の記憶等が、その土地を共有する人びとの日常的な実践や意識と共に、「都市という社会」を一個の空間的な同一性をもつものとして作り成す。「都市空間」とは、そうした人びとの実践、行為と関係、記憶と想像といった「場を占めぬもの」によって意味付けられ、場を与えられると同時に、それらに再度場を与え、縁取り、意味付ける枠取りとしての、土地とその上に築き上げられた建造物の広がりなのだ。先に述べたように、「都市という社会」は原理的には狭義の都市空間を超えた交通の広がりを前提とするが、そのような広がりの焦点における人びとの集合体を土地空間上に秩序づけるところに、私たちが経験的事実として見出す「都市」ないし「都市という社会」は存在してきたのである[図4]。
形象的=想念的フィギュアドな都市とは、こうした機制によって、交通を媒介する位相に居住する人びとの集合体に社会の全域を、土地空間上の特定の領域として与えるような都市である。そこでは都市空間──すなわち土地空間の特定の領域とその上に作り成された建造物──は、交通の結節に集まる人びとの集合体に一個の社会としての全域を、可視的で物質的な場として形象化する。このような都市にとって、都市が解読可能で想像可能であるとは、都市が物質的にこうした形象をもつというだけでなく、そのような形象が社会の全域の像として解読され、想像されるということ、「都市という社会」が土地空間上のそのような場として形象化され、集合的に了解されているということだ。

4──祭礼による都市の演劇空間化 (Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

4──祭礼による都市の演劇空間化
(Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

4 都市化する都市

社会とは、〈共に在ること〉の一定の様式によって何らかの同一性を与えられた、複数の人びとの集合体である。
形象的=想念的な都市は、貨幣的なものに媒介される交通空間という広域的な社会の広がりを前提としつつ、その交通の要衝に集まった人びとによる居住空間の共有を、「都市という社会」において人びとが〈共に在ること〉の空間的な基盤としていた。貨幣的なものを媒介とする限りで開放的で非限定的な社会の広がりが、土地を二次的な媒介とすることで、居住空間を共有する人びとの集団という限定された同一性を与えられるのである。形象的=想念的な都市の存在の基底には、貨幣のような一般的な関係の媒体によって不特定多数の他者との関係へと開かれながらも、土地空間上の特定の領域に共に在ることによってしかそうした他者と共に在ることができないという、人間の身体と世界の物質性と空間性が存在している。伝統的な都市空間が地理的には徒歩によって日常的に往来可能な程度の広がりを超えることがなく、したがって「都市という社会」が場所論的にはそうした広がりを外延としてもっていたのはそのためである。
だが、近代以降の大都市では、「都市空間」と「都市という社会」の広がりは、無媒介な身体を前提とする土地空間上の共在の様式とは異なる形態を取りはじめる。シカゴ学派の都市社会学者であるアーネスト・バージェスは、それを次のように記述している。

欧米では、大都市の拡大の傾向は、〈都市のメトロポリタン・エリア〉という用語によって認識されてきているが、これは都市の政治的境界線をはるかにこえ、ニューヨークやシカゴでは州のラインをも越すものである。メトロポリタン・エリアは地理的に接続した都市領地をも含むが、それは、ビジネスマンがシカゴの郊外に住み、都心地区で働くことが、また、かれの妻がマーシャル・フィールドで買い物をし、公会堂でグランド・オペラを観劇することができるという、交通機関の発達によって、規定されてきている[図5]★二一。


非形象的=非想念的ディスフィギュアドな都市を生み出した都市のこの拡大の過程を、バージェスは「都市の成長(the growth of the city)」と呼んでいる。だが、それは「成長(growth)」というよりも、むしろ「都市という社会」において人びとが土地空間との関係で〈共に在る〉在り方の構造的な形態変容(structural metamorphosis)とでも呼ぶべきものだ。私たちはそれを、次の二点から理解することができるだろう。
第一に、ここでは人びとの活動の協働連関が、鉄道や自動車道路等の機械的な交通機関を組み込むことによって、かつてであれば徒歩交通によって日常的に行き来できる範囲に限られていた「都市空間」と「都市という社会」の広がりが、機械的な交通機関を媒介として日常的に行き来できる範囲へと拡張されている。それは、身体と社会の物質性と空間性が、機械的な交通メディアによって拡張され、距離化されることにより、無媒介な身体にとっては複数の「異和的な場(hétérotopie)」の集合である空間からなる広がりが、全域としてはメディアを媒介として膨大な数の人びとが共に在る巨大な「同一の場(isotopie)」として現われるということだ。あるいは、無媒介な身体の共在によって「同一の場(isotopie)」として与えられる諸々の場が、機械的な交通メディアに相互に媒介されることによって、総体としては巨大な「異和的な場(hétérotopie)」の全域を構成しているのである★二二。前世紀末にテンニースが用いた表現を借りれば、大都市(Großstadt)の内部には複数の町(Stadt)が存在している★二三。ここで「町(Stadt)」とは無媒介な身体の共在によって同一の場となるような関係の広がりであり、「大都市(Großstadt)」とはそうした無媒介な身体性によって与えられる個々の「町」を超えて、複数の「町」をその内部に含んだ巨大な関係の広がりである。この時、「大都市」の全体は、個々の「町」の総和として与えられるが、人びとの経験においては、無媒介な身体を通じて局所的に経験される「町」と、メディアに媒介された巨大な全域としての「都市」とは不連続で、異なる経験の位相と実定性をもつものとして現われるだろう★二四。
第二に、このような都市ではそこで〈共に在る〉人びとの内部の他者性・異和性が、これまで以上に増大され、増幅された形で現われる。ここで他者性や異和性とは、ワースのアーバニズム論で言う人口の異質性──階層やエスニシティなどの異質性──のことではない。ここで他者性や異和性というのは、たとえ同じ階層やエスニシティに属していても、人びとが互いに「見知らぬ他者」として現われ、そうした他者として互いに、時には顔を合わせることすらなく関係するということだ。近代以前の形象的=想念的な都市では、無媒介な身体によって日常的に経験可能な土地空間上の広がりの上での日常的な実践と、街区組織や職業団体、市民権や共同体などの形象=想念を通じて、交通の領域にある人びとの集合体に、土地空間を共有する人びとの集団としての一定の同一性や共同性が与えられてきた。だが、近代の大都市の全域は、そうした局域的な同一性や共同性を超えた場所論的な異和をもつ空間と、そこに生きる膨大な人口の集積からなる協働連関の広がりとして現われる。この広がりの内部で、個々の人びとは依然として自らの居住地や職場等の近傍に無媒介な身体の隣接に基づく同一性や共同性を見出しえたとしても、都市の全域はそうした局域的な同一性や共同性を超えた、他者性と異和性を帯びた場所として現われる。そこでは、互いに見知らぬ他者であるような人びとが、都心空間を活動の核として共有し、交通メディアによって結ばれた巨大な広がりのなかを日常的に行き来しながら〈共に在る〉。メディアに媒介された協働連関の広がりに関わる人口群の巨大さと、そこでの人びとの日常的な移動によって、人びとは潜在的にも顕在的にも、人的相識関係を欠いた他者たちのただなかに不断に置かれつづけるのである[図6・7・8]★二五。
以上二つの変容の背景にあるのは、都市をその部分に含んだより大域的な社会そのものの構造的な変容、具体的には資本制経済と国民国家の成立・展開である★二六。資本制経済による国内市場の形成は、労働力と購買力としての人びと、原料や商品としての物財や情報の社会的な交通をかつてない規模で展開させ、土地や建物をも不動産市場で流通する商品とし、都市を従来そうであった以上の労働力と購買力、商品と情報が集中する場所とする。土地・建物の不動産商品化とは、都市空間をこれまでの伝統的な規範や文化的なコードによってよりも、価格と面積、立地条件という単一化された基準によって売買や操作の対象とすることである。国内市場での身体や物財、情報の移動や土地・建物の商品化を制度的に保障するのが、国土規模で空間を均質で巨大な市場・主権の範域・市民社会として組織する国民国家である。国民国家による国土空間の均質化と資本制経済による土地・建物の商品化を通じて、都市空間は社会的な厚みと伝統的な意味を脱色化され、都市の内外の土地・建物の経済的な利害と行政的な効率に基づく開発・集積が可能になり、都市が新たに内蔵した交通メディアを基軸として、工場や近代的オフィス、商店街や労働者住宅、郊外住宅地などの新しい形態をもった都市空間が作られてゆく。しかも、都市に新たに流入した人びとは、従来の都市に場所的な同一性を与えていた伝統的な規範や文化的なコードを共有していない。
こうして現われる巨大な全域の存立を可能にしているのは、都市の全域の関係を有意味化する共同の形象や想念や、祭礼や祝祭などのようなそれに関わる実践ではない。それは巨大な人口群の日常的な実践の動態化された協働連関を支える交通・通信メディアを始めとする都市工学的な下  部  構  造インフラストラクチュアと、相互に他者である人びとの集合体内の関係を媒介する資本制経済というもう一つの「下  部  構  造インフラストラクチュア」であり、それらを通じて不断の異和と交通の場に置かれる人びとの日常的な実践が織りなす巨大な協働連関の総体であり、そうした巨大な連関を都市を超えた規模で支える国民国家である。これらは人びとの巨大な集合体の活動の場としての「都市という社会」と「都市空間」を事実として生み出しながらも、国民国家や資本制はそのシステムの都市レヴェルを超えた普遍性・超空間性によって、交通メディアはその機能的なシステムとしての意味論的な沈黙と透明性によって、都市という社会と都市空間の広がりの全域を有意味化する形象や想念を生み出さない、都市の「無意識」としてとどまりつづける★二七。それらは、現代都市というこの巨大な広がりを、土地空間上に同一性を与えられる形象=想念としては「語られぬもの(the atopical)」として生み出すのである。
こうして近代以降の都市は、都市を超える広がりでの社会の構造変容のなかで、その全域を統一的な形象として可視化し、言説化する場所論的な形象や言説を欠きながら、それ以前の都市が場所論的な同一性の下に置いてきた以上の異和と他者性を内包した、巨大な人口群からなる協働連関の全域として現われる。「都市という社会」のこのような在り方を、「共同体」に対して「共異体」あるいは「共移体」という言葉で表現することもできるだろう。それは人びとの集合体が共に在りながら異和的で在りつづける社会、巨大な人びとの集合体が移動することを通じて共に在る社会である。伝統的な「都市という社会」の同一性を基準とすればこの「共異体=共移体」は、歴史的な連続体を「『アッチを切り取り、コッチを毀わし』しながら進んでいる『人工的な解体工事の集合体』」であり、社会が「その構造体から抜け出していずこへとも知れず雲散霧消し」てしまった「社会の行方不明」であるように見える★二八。前回述べた「都市社会学の危機」やその「空間論的展開」の背景にあったのも、都市におけるこの「社会の行方不明」である。だが、実際にはそれは社会の「行方不明」なのではない。人びとが〈共に在ること〉の在り方が場所論的に変容し、旧来の都市をめぐる空間や言説、形象や想念の編制の外部へと、「都市という社会」が広がっているのである。そこでは都市は、一つの巨大な全域(=大都市圏)として現われると同時に、複数のより小規模な社会の全域(=内部の諸地域や街区)を内包する不連続体のようにも現われる。無媒介な身体の共在に基礎を置く共同体的な同一性の側から見れば、拡張された身体群の動態が生み出すこの都市の、内部に移動と異和を孕んだ同一性は社会の過剰であり、空間の過剰であるようにも見えるだろう。近代における都市論の隆盛や、社会学の主題としての都市の特権的な位置は、近代都市というこの「語りえぬもの」の場に言葉を与え、その社会を可視化し、近代をめぐる言説の内部に場を与えようとする試みだったのである。
近代化する社会の中で都市のこのような変容が、「都市化(urbanization)」という言葉によって言いならわされてきたことを、最後に思い出しておいてもよいかもしれない。近代においてこの言葉は、多くの場合、都市でなかった場所が都市になる過程をではなく、かつてからあった都市がその近代的な在り方へと変化してゆく過程を意味してきた。都市ではなかった場所が都市になるのではない。都市が都市化するのである。「都市が都市化する」というトートロジカルな過程を通じて、これまで二次的な同一性や共同性の下に置かれてきた「都市という社会」の〈起源〉が、人びとによって生きられる巨大な現実として姿を現わす。「都市化」という言葉は、そもそも「都市という社会」の〈起源〉にあってその存在を支えてきた交通というあの「場を占めぬもの」が、一九・二〇世紀の社会の構造的な形態変容の中で顕在化し、「都市という社会」と「都市空間」の在り方を変えていったことに対する、無意識の陳述であったのかもしれない。

5──バージェスによる「都市の成長」 (バージェス「都市の発展──調査計画序説」)

5──バージェスによる「都市の成長」
(バージェス「都市の発展──調査計画序説」)

6──工場・労働者住宅・鉄道路線 (Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

6──工場・労働者住宅・鉄道路線
(Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

7──ハイウェイと郊外住宅地 (Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

7──ハイウェイと郊外住宅地
(Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

8──都心空間:マンハッタン (Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)

8──都心空間:マンハッタン
(Lewis Mumford, The City in History, Penguin Books)


★一──このことについては、若林幹夫『熱い都市  冷たい都市』(弘文堂、一九九二)第三章第一節でかつて論じたことがある。
★二──Pirenne, H. Les villes du moyen âge: Essai d'histoire économique et sociale, Bruxelles, 1927.=佐々木克巳訳『中世都市』(創文社、一九七〇)。Planizt, H. "Frühgeschichte der deutschen Stadt (IX.-XI. Jahrhundert)", Zeitschrift der Savigny-Stifftung für Rechtsgeshcichte, Bd. 63, 1943. & "Die deutsche Stadtgemeinde", ebenda, Bd. 64, 1944.=林毅訳『中世ドイツの自治都市』(創文社、一九八三)。
★三──それが歴史的な意味での起源なのではなく、存在論的な根源であることを意味するために、ここでは〈起源〉という括弧付きの表記を用いることにする。
★四──Weber, M. Wirtshcaft und Gesellschaft, 1956.=世良晃志郎訳『都市の類型学』(創文社、一九六四)六頁。また、若林前掲書、第二章第三節も参照。
★五──ヴェーバー前掲書、三頁。
★六──都市のこのようなあり方を、私は「二次的定住(secondary settlement)」という概念で考察してきた。若林前掲書等を参照。
★七──Redfield, R. & Singer, M. "The Cultural Role of Cities", Economic Development and Cultural Change, vol. 3, 1954. ただし、レッドフィールドとシンガーは、宗教や神聖政治による変換であるorthogenetic transformationと、貨幣経済や合理的な官僚制などに基づく変換であるheterogenetic transformationを区別している。この点については、若林前掲書、第一章も参照。
★八──都市を、大量・高密度・高異質性の人口からなる集落であるとするワースによる都市の「社会学的定義」は、以上のことから導かれる都市の人口学的な特徴である。
★九──テンニースは、都市をゲゼルシャフト的であるという本稿の以下の議論に一見すると反するかのように、都市を「ゲマインシャフト的な生命を有する有機体」、「その言語、慣習、信仰、およびその土地、建築物、財貨とともに、世代の交替にかかわりなく存続する一つの持続体」、「本質的に同一の性質と同一のものの考え方を、一部はみずからの手によって、一部は遺伝や市民の教育を通じて、つねにあたらしく生み出してゆく」ものだと述べている[Tönnies, F. Gemeinschaft und Gesellschaft: Grundbegriff der reiner Soziologie, 1887.=杉之原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』上巻(岩波文庫、一九五七)八五─八六頁]。ここでテンニースが想定しているのは、古典古代のポリスやヨーロッパ中世の都市共同体である。比較都市史的に見れば、古典古代のポリスや中世都市共同体のような「市民の共同体ゲマインシャフト」としての構成をもつ都市はむしろ例外的である。中国や中東、日本等では、ヨーロッパ的な意味での市民の共同体としての都市は存在していない。だが、よりゆるやかな意味で、都市が「その言語、慣習、信仰、およびその土地、建築物、財貨とともに、世代の交替にかかわりなく存続する一つの持続体」として、なにがしかの共同性とそれを統治管理する一定の機構と、その物質的な容器としての都市空間をもった定住社会をつくり上げてきたということは、中国や中東、日本等の「都市共同体」をもたなかったすべての社会の都市に妥当する。
★一〇──ヴェーバー前掲書、四頁。
★一一──同、五頁。
★一二──同、二六頁。
★一三──テンニース前掲書下巻、一〇二─一〇六頁。
★一四──内田隆三「探偵小説と貨幣──社会とは何だろうか」『大航海』No.16(一九九七年、新書館)一三九頁。
★一五──この点については、たとえば若林前掲書の第二章一・二節における古代・中世の日本の都市と社会的交通に関する考察や、同書第三章一節における中世都市共同体に関する考察を参照。このような理解は、古代社会の交通をめぐる西郷信綱の考察や、中世社会をめぐる網野善彦の考察と軌を一にする。
★一六──したがって、「都市社会」の調査研究は、都市域の住民のみを対象とするのではなく、都市に来訪する買い物客、旅行者、訪問者などをも対象とした時に、初めて十全なものとなるだろう。無論このことは、居住者をベースとする調査研究の意味を否定するものではない。
★一七──Polanyi, K. "Ports of Trade in Early Societies", The Journal of Economic History, 23-1, 1963.=玉野井芳郎・中野忠訳「原初的社会における交易港」玉野井・中野訳『人間の経済II』(岩波書店、一九八〇)。
★一八──この点については、たとえば若林前掲書、第二章二節や第三章一節における日本とヨーロッパの中世都市の成立に関する考察を参照。
★一九──ポランニーの概念を用いれば、交易都市は「交換」を集約する交易港として、政治都市や経済都市は財や情報の「再分配」の中心として捉えることができる。これは、私がかつて「境界」と「中心」という概念で捉えたものと同一である(若林前掲書、第一章)。
★二〇──鈴木栄太郎『都市社会学原理』(有斐閣、一九五七年)。
★二一──Burgess, E. W. "The Growth of the City", Park, R. E. & Burgess, E. W. (eds), The City, University of Chicago Press, 1925. =奥田道大訳「都市の発展」鈴木廣編『都市化の社会学〈増補〉』(誠信書房、一九七八年)一一六頁。交通機関の発達に規定された都市内部での人びとのこうした移動をバージェスは「日常型動態性(routine movement)」と呼んでおり、またこの動態性の変化(change of movement)を「移動性(movility)」と呼んでいる(一二二頁)。
★二二──isotopieとhétérotopie については、Lefebvre, H. La révolution urbaine, Gallimard, 1970.=今井成美訳『都市革命』(晶文社、一九七四)五一頁を参照。
★二三──テンニース前掲書下巻、一九九頁。
★二四──内田隆三「都市のトポロジー序説──メディアのなかの都市」『現代思想』10-9(青土社、一九八二)。
★二五──現代都市論における群集論や盛り場論の位置は、このことによって与えられる。群集論としての都市論としては、例えば中筋直哉「群衆の居場所──近代都市空間の形成と民衆の『都市の体験』」[吉見俊哉編『都市の空間 都市の身体』 21世紀の都市社会学4(勁草書房、一九九六)]等を、盛り場論としての都市論については吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂、一九八七)等を参照。
★二六──このことについては、若林前掲書、第三章一・二節、同「都市・空間・近代──日本における〈近代空間〉の誕生」[吉見俊哉編『都市の空間 都市の身体』21世紀の都市社会学4(勁草書房、一九九六年)]等を参照。
★二七──内田隆三「都市の現在」[大澤真幸編『社会学のすすめ』(筑摩書房、一九九六年)]一三一─一三七頁。
★二八──藤田省三『「写真と社会」小史』藤田省三著作集9(みすず書房、一九九七)iii頁、二九頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市のアレゴリー』として単行本化されています。

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年生
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。社会学。

>『10+1』 No.11

特集=新しい地理学

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年 -
社会学。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。

>内田隆三(ウチダ・リュウゾウ)

1949年 -
社会理論、現代社会論、マスコミ論。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>中筋直哉(ナカスジナオヤ)

1966年 -
法政大学社会学部教授/都市社会学、歴史社会学。法政大学社会学部。

>吉見俊哉(ヨシミ・シュンヤ)

1957年 -
都市論、文化社会学。東京大学大学院学際情報学府学際情報学教授。

>大澤真幸(オオサワ・マサチ)

1958年 -
社会学。京都大学大学院人間・環境学研究科。