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死体と去勢──あるいは「他なる女」の表象 | 松浦寿輝
Corpse and Castration: Or the Symbol of the "Feminine Other" | Matuura Hisaki
掲載『10+1』 No.11 (新しい地理学, 1997年11月10日発行) pp.2-15

ファロスとしての「知」

これは必ずしもわれわれがここで論じている一九世紀西欧という特定の歴史的文化圏に限ったことではなかろうが、「知」の主体としての「人間」と言うとき、その「人間」という言葉がインド=ヨーロッパ系の言語ではしばしば自動的に「男」を意味するという事実それ自体によっても示唆されるように、少なくとも共同体の成員間に共有される通俗的なイメージ現象の水準では、そうした認識論的主体のありかたが男性的な徴の下に表象されてきたことは否定しがたい。カテゴリー的認識を可能にする合理主義的理性は「男」によって担われ、「女」はむしろそうした理性の行使によって探究され解明される客体の側に位置するという性差の構図が、ほとんど無意識的に受け入れられてきたのである。「女」が「無知」(!)だというわけでは必ずしもないにせよ、移動、冒険、論理、人工の側に「男」が、定住、受容、感情、自然の側に「女」が位置するなどとよく言われるのに似た俗論として、透視しようとして「知」のまなざしを向けるのが「男」、そのまなざしの対象となる不透明な肉体の持ち主が「女」といった、漠とした主体/客体の構図が執拗に滞留してきたのである。「知」とはいわば、世界=自然という名の「女」を征服し、その最深部に、蓄積された記憶と未来へ向けての投企という精液を降り注ごうとする男根のごときものとして機能していたと言ってもよい。
そのような硬直した性差の思考を正面切ってイデオロギー的再審に付するという当然の作業はまだ緒についたばかりというのが現況だが、しかし翻って考え直してみるなら、一九世紀の西欧でも文学や芸術の領域では、カテゴリー的思考の整合性や体系性に満足できず、大雑把に男性的と称されうる能動的・攻撃的な世界定位から自分を大きく逸脱させ、これもやはり大雑把に女性的と形容されるであろう受動的自然の豊かさにむしろ積極的に身を溶けこませることによって、思いもかけぬ刺激に満ちみちた知的営みを達成することに成功した傑出した「作者」が、これは生物学的な男女の性とは無関係に何人も出現しているのだから、ここでの男/女の二項対立が、いかなる先験的な価値判断とも無縁な仮初めのものであることは、今さら念を押すにも及ぶまい。たとえばブルターニュ地方への旅を回顧し、世界と素肌で触れ合い自然と一体化した悦びを語りながら、そのとき自分は海になり、空になり、岩になり、岩に滲み入る水になってしまったと述べる小説家フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさを文章行為の現場においても全面化させることで、あの尋常ならざるエクリチュールを実現しえたわけだ。『サランボー』や『ブーヴァールとペキュシェ』の作者は、言葉を主体的に操作し成型すること──すなわちあたかも粘土を捏ねて自分の好きな形を作るように言葉を捏ね上げるといった「能動的」な作業など、うまくやりおおせた試しがない。彼はむしろあたりに瀰漫し自分めがけて蝟集する言葉の群れに全身の皮膚をさらし、それにひたすら犯されつづける途を選んだのであり、作家としての彼の生涯は、言葉のなまなましい抵抗感に犯されることの苦痛が倒錯的な快楽に反転する瞬間を辛抱強く待ちつづけることに捧げられたと言ってよい。こうした作者がすでに一九世紀中葉に出現し、「近代的」な記号体験の基盤を築いているという事実に鑑みた場合、なるほど価値化された「男性性」神話の虚構性が今日改めて白日の下にさらされるべきだというフェミニズムの主張はもちろん正当なものではあるにせよ、「政治的正義」の立場から性差の思考の解体をめざす批判作業が、単に「主体」概念のもっとも貧しい水準を「女性的な知」の内部に繰り入れることをもって事足れりとするなら、それは事態を改善するどころか、むしろ差異を同一性へと回収し世界の風景を平板化する反動的な企てへと堕しかねまいと思われる。
ところで、平板であるところからほど遠い一九世紀西欧の「知」の風景において、女性的イメージがいかなる意味作用を担ってきたかという巨大な主題を細部にわたって扱う余裕はここではもちろんないものの、すでに何度か繰り返し語ってきたように、西欧は一八世紀末から一九世紀初頭にかけての一時期に、「無限」と「崇高」が全方位的に囲繞する巨大円形空間がり上がってきて、その空虚な中心の位置に「知の主体」としての「人間」が登場したのだとする認識論的命題を採用した場合、そこにジェンダーの表象がどのように介入してくるかという問題を考えることは決して無駄ではないだろう。

「女」と他者性

ここでわれわれの用いる「主体」という概念が、能動的意志を発動して未来へ自己投企する生産的な個体ではなく、メガロマニアックな全能感とよるべない無力感という両極に引き裂かれ、その結果ほとんど錯乱と境を接した眩暈を耐えつづけているものの謂であるという点は、すでに詳述されている★一。この分裂症的な眩暈は、言うまでもなく、「無限」と「崇高」のいずれもが、古典主義時代のエピステーメーを統べていた「表象」のオペレーションを無効化する異形の過剰として「人間」を脅かすところから由来するものである。「無限」とは、そして「崇高」もまた、ひとことで言えば表象不可能なもののことなのだ★二。その場合、「知の主体」が、「主体」とは言い条、実のところは図書館に収蔵された限界を知らぬ情報量の総体に対して「主体」として働きかけることの不能の実感に打ちのめされているものの謂であるというこの逆説とちょうど相同関係にある命題として、「知の無限」もまた、単に途方もなく肥大した「知」それ自体のことであるというよりはむしろ、認識と表象の営みとしての「知」を逸脱した過剰として、「知」に対立し敵対しその限界を思い知らせる外部として、つまりは「知」をはじき返す「非知」として、「人間」にのしかかってくるのだというもう一つの逆説を想定することができるだろう。同時にまた、「崇高」が、甚しく程度の大きな「美」のことではなく、美しいか美しくないかといった審美的判断の領域そのものの外部に位置する「無限」なるものであり、それがかき立てる絶対的な畏怖の念であるという事実もまたこれと相同の命題だと言える。一八世紀末から一九世紀初頭にかけての一時期に西欧が体験した、「知」が「無限」として、また「美」が「崇高」として立ち現われるという認識論的出来事は、従って、「知」や「美」にとっての絶対的な他者性としての「無限」や「崇高」の出現という言いかたに置き換えてもまったくかまわないわけである。
一九世紀の全体を通じて途方もない加速度で肥大した科学的な「知」は、「通俗化」の言説の水準においては、女神にしてはしためという二重の徴を帯びた「巨大な女」の形象によって擬人化されていたわけだが、そこでの女性的イメージは、大英博物館の巨大円形閲覧室のような「知」の装置が露出させた「無限」を、イマジネールな水準で飼い馴らし、それと直接向かい合わないですむようにして人々を保護するといった精神分析的な機能を果たしていた。女神=婢というこの楽天的なフィギュアは、三六〇度の全方位から人々を囲繞し威圧する「無限」などをいささかも喚起せず、従って畏れや脅えといった感情ももちろん惹起せず、単に「知」と「人間」とをなごやかに取り持つことだけに専心する、和解のファンタスムの生産装置だったのだ。だからこの「女」は、「人間=男」にとっての他者ではなく、むしろ世界から他者性を剥ぎ取り、よるべなさや不安から「男」を救ってくれる慰安の供給者とでも言うべき存在なのである。ここから「慰安婦」といったあのグロテスクな現代的ジャーゴンを思い出してももちろんよいわけで、この「女神」「婢」は、言葉として明示されていたわけではないが共同体的無意識の水準ではもう一つ、「娼婦」としての顔を持っていたと言うこともできる。女神=婢=娼婦のトリアーデが、「他者ならざる女」という、「男」にとっての虚構の理想像の完成された姿なのである。
だが、絶対的な他者として立ち現われてきた世界を身を挺して受けとめ、その他者性を虚構化し低減させつつ「男」へと媒介、中継し、かくしてその世界を「男」が所有するための手助けをしてくれるといった、こうした献身的な「良き女」など、「男」が虚空に投影した身勝手なファンタスムにすぎないことは言うまでもない。ファンタスムとは、現実に直面することを回避するために個人的=集合的無意識が張りめぐらした映写幕であり、そこに投影された映像の戯れのことだ。では、このスクリーンが覆い隠している即物的な現実とはいったい何か。それはごく単純であり、他者性とは実は「女」そのもののことだというひとことに要約できる。
そうではないか。「男」たちの共同体は、「無限」と「崇高」を虚構化すべく機能する「通俗化」の言説の側に君臨する至高の紋章として「巨大な女」の図像を採用したのだが、これほど狡猾な、また虫のいい戦略もない。西欧が馴れ親しんできた古代以来の女神の形象を「女」に反復させ、それによって、あたかも「近代的」な「知」もまたヘレニズムとヘブライズム以来の単純な線的延長でしかないかのような印象を作り出し、共和国内のいたるところに安心感を行き渡らせること。と同時にまた、それによって「女」自身の他者性をも低減させ、あたかもこの世には「良き女」しかいないかのような、そこまでは言わないとしても少なくとも「良き女」こそが「女」の本来あるべき姿であるかのような神話を捏造し、それを広めること。かくして共和国は安定し、慰安に満ちた人生が市民たちに保証されることになる。しかし、いかに幻想的なスクリーンで覆い隠されようと、他者性はそれによって決して抹消されたわけではなく、同一性の地平に溶けこんでしまったわけでもない。フロイトがたぶん女性性器の外観をそのメタファーとして思い描きながら語った「不気味なるもの」は、いかなる心的機制によって抑圧されようと必ず回帰するのであり、市民たちは、教育的な「楽しい科学」の宣伝の見かけ上の成功にとりあえず安堵し、共和国の繁栄を享楽しながらも、実際のところは、いついかなる時途方もなく怪物的な暴力となって炸裂するかもしれない他者性の回帰という名のカタストロフを、無意識の奥底で密かに予感し、懼れおののきつづけている。

ユマニスムを越えて

女神=婢というかたちでの「科学」の擬人化は、もちろん学芸の女神アテーナといった古代神話の意図的なレプリカである。しかしここで注意すべきは、古典古代期における学芸とは、精神を自由に行使することの悦びと誇りの結晶としての知識の蓄積であり、従ってそれは一九世紀において「知」がまとうことになった過剰な「無限」性とは決定的に隔たったものであるという点だろう。知性のもっとも秀れた行使によって作り出されるものがギリシャ・ローマ文化において学芸だったわけで、それは「人間」の達しうる射程をはるかに逸脱した絶対的外部を誇示していたわけではない。優雅な立ち姿を見せるほっそりした女神アテーナの図像が表象するものは、果てしなく増大しつづける「量」ではなく、もっとも高度な「質」だったわけで、この文化的な「質」がそのまま彼女の姿形の芸術的な「美」と正確に対応しているのである。実際それは、芸術作品の造型性のうちに容易に回収されうる種類の「美」なのであり、だからカントが芸術によっては表象不可能なものとして野生の自然の側に置いた「崇高」とは、本性的に異なるものなのだ。
人体を象った古典古代期の彫刻像などを見る場合、われわれが感受するのは、単に男は男らしく、女は女らしく、いわばそれぞれ違った仕方で同じように美しいといった種類の「理想美」であって、古代ギリシャのポリスが男性中心主義の社会であったかどうかはともかくとして、いずれにせよここにおいては「女」の他者性という問題機制は浮上しない。むろん明瞭な性差の刻印がこの「美」の重要な構成要素の一つであることは言うまでもないが、「女」の表象に絶対的な他者性のイメージが託されているわけではないのである。そこでは、すべてが男も女もひっくるめた素朴な人間主義の側にあるのであり、このユマニスムの限界を徴づけ、古典古代の文化が決して知ることのなかった「近代的」な「主体」としての「人間」が登場するのが一九世紀の西欧なのだ。
一九世紀初頭以後、図書館に収蔵された人文的な「知」が眼の眩むような巨大なマッスとして立ち現われ、また他方、産業革命期以後の技術的「知」の加速度的な増大が薔薇色の近未来を予感させるに至る。そのとき、「人間」の等身大をはるかに凌駕する「無限」と「崇高」に貼り付けられるべき紋章は、本来ならば、こうした高度な「質」を誇示する「美」的な女性表象とはまったく別のものであるべきだったろう。だが、それでは「無限」と「崇高」にもっともふさわしい表象的な図像はいったい何かと自問しはじめたとたん、われわれはたちどころにデッド・ロックに逢着する。「無限」も「崇高」も表象不可能なものの謂であり、従って、表象された「無限」や「崇高」とはいかなる場合であれ語義矛盾でしかありえないからである。何らかの図像を貼り付けるという身振りそれ自体が「無限」や「崇高」に対して裏切りを働くことにほかならず、だからカスパール・ダヴィッド・フリードリッヒによって描かれた凍りついた広大な風景のタブローに「崇高」が感得されるなどと譬喩的に言うことはできても、それは結局は近似的な紛い物の譬喩たることを免れまい。
では、「美」的な女神のようなかたちでの「良き女」のファンタスムが隠蔽してしまった現実、すなわち「女」とは絶対的な他者だというなまの現実が、仮にもしあからさまに可視化しえたならば、それこそが「無限」や「崇高」にふさわしい形象たりうるのだろうか。だが、事態はそこでも変わりはしまい。たとえ徹底的に「他なる女」の表象といったものがありえても、「無限」や「崇高」はそれさえもみずからの紋章として引き受けることを拒むに決まっているからである。ここで改めて問うべきは、しかしそもそも「他なる女」の表象などというものがいったい存在しうるのかという問題である。周知の通り、一九世紀西欧のイコノロジー文化の領域で多種多様の主題と形式において変奏されてきた「女」の表象の中には、「美」的な「良き女」としての女神=婢=娼婦などとは根本的に異なった系列があり、それは「宿命の女」だったり「去勢する女」だったりするわけで、「男」を危険と死に巻きこむそうした不吉な女性表象の実例を文学や芸術から拾い出してきて、負の「女性性」の顕現態として論じることは容易であり、その手の一九世紀文化論も実際すでに少なからず書かれている。しかし、他者性とはここで、単に「男」の理解や共感を弾き返す謎めいた存在といった心理主義的な異質性の同義語であるにとどまらず、表象=認識能力としての「知」が決して追いつくことのできない還元不可能なトポスを意味しているはずであり、もしそうだとすれば、この他者性もまたそれ自体表象不可能なもののはずなのである。「無限」や「崇高」が「知」や「美」にとっての他者であるように、「女」もまた「男」にとってというよりはむしろ「主体」にとっての他者なのであり、この決定的な他者性が表象する/されるの関係の成立を原理的に阻害することになる。何ものも表象せず、また何ものによっても表象されえないものが「女」なのだ。

他者が同一者に先行する

「女」は表象不可能だというこの命題から引き出せるもっとも重要な系は、およそ見れば見えてしまう図像群が提示している「女」とは、実はことごとく「女」ではないというものだ。たとえば一方に、人為に汚染されていないおおらかな官能的自然の化身とも言うべきオーギュスト・ルノワールの裸婦があり、それに対しては、「男」の身勝手なファンタスムの産物にすぎないこんなイメージは「女」とは無縁だと断定することは容易である。だが他方、現代の戦闘的なフェミニストが、女=母=自然という等式に苛立ってむしろその対極の人工的なプログラム性を身体に帯びたいと願い、妊娠や出産をも「主体的」に統御したいと欲して、「私は女神であるよりはサイボーグでありたい」★三と挑戦的に言い放つとき、そこに提起されたサイボーグ的身体のイメージもまた、見れば見えてしまう表象イメージであるかぎりにおいてそこにはいささかの他者性も充填されてはおらず、従ってここにもまた──フェミニスト自身にとってはそれこそわが意を得たりというところなのかもしれないが──「女」はいない
断っておくべきだろうが、われわれの意図は、他者性の概念を秘教的に祀り上げ「女」の概念を過剰に神秘化しようとするところにあるわけではない。「女」とは、ここにもおらずあそこにもおらず、結局はどこにもいないといった究極の不在者であるわけではなく、ファンタスムの覆いを引き剥がしてみさえすればいたるところに遍在しているなまなましい現実である。ただ、その特異ななまなましさとは、まさにそれが表象を持ちえないところから来るものなのだ。「女」に向かい合う「男」が、一方ではこの魂と肉体を自分は今こそ完全に所有しうるという全能幻想に酔い痴れ、他方では結局この魂と肉体にはまったく手を触れることができないという無力感に打ちのめされる、そんな二律背反的な実感は、一九世紀西欧の表象文化にとってはあまりにも馴染み深い他者体験であり、それをめぐる物語は文学や芸術の数多のジャンルで果てしなく反復されている。ただし、それは表象的な「知」それ自身にとっての他者であるために、「女」をめぐって旋回する二次的な物語は語りえても、「女」それ自体のポジティヴな表象を可視的に提出し何らかの基底材の上に定着することは不可能なのである。これは明らかに歴史の刻印を帯びた体験だ。単に女体──その「本性ほんしょう」──に対する恐怖や嫌悪ということで言えば、初期のキリスト教の教父たちから現代のホラー映画に至るまで西欧文化史のありとあらゆる場所に再認されるので、そこに特有の「近代性」を見るのは難しいが、「男」を全能感と無力感との間で引き裂きつつ、そのはざまでみずからを空虚化してしまう「女」をめぐるこうした神経症的体験を、フランス革命以前の西欧は恐らくまったくと言ってもいいほど知るところがなかった★四。われわれは「女」を否定神学もどきに秘教化しようとしているわけではなく、この歴史体験の現実を即物的に読み解こうとしているだけのことなのだ。
「無限」と「女」と──両者はどちらがどちらの表象として機能するわけでもない。これらはむしろともども表象作用の機能不全に陥る特異点を徴づけている二つのトポスであり、或る内在的な絆で結ばれつつ並行的に出現した歴史現象というべきものだ。その絆とは、ここでの他者が、後から現われて既存の同一者を脅かす奇形的な変異というわけではなく、同一者に先立って登場し、その空虚な中心に事後的に同一者を招来する装置としてあるという点に求められるかもしれない。同一者は、他者が抱えこんでいる円形空間に召喚され、その空虚な中心の座に位置を占めるべく歩み出ることで初めて自分を発見し、自分が過不足なく定義される瞬間を体験するのであり、ただし彼は、そのことに充足的な幸福を味わうゆとりもないまま、その円形空間の中心にそのまま神経症的な引き裂かれの状態で、よるべなく取り残されざるをえない。「知の主体」が「無限」のただなかに取り残されるように、「人間=男」もまた途方に暮れながら「女」のただなかに取り残される。だが、「女」の甘美な誘惑と残酷な脅威とをともども受けとめ、その両者の間で引き裂かれることを通じて、「男」は初めてみずからを知り、「男」と仮に名づけられたとりあえずの「主体」が遡行的に定義される瞬間を体験するのである。
「無限」の中心に喚び入れられた「知の主体」は、こうして自分があくまで男根的な志向性において世界と相対しており、そうでしかありえないという事実を改めて思い知らされる。「知」にとってのファリックな「主体化」の契機はこの召喚以外にないのだが、ただし、「主体」を「主体」たらしめる当の条件たるこの「無限」そのものは、あくまで表象作用の外部にあるほかない。表象的な「知」は、自分自身を可能にしてくれる唯一必須の根拠としてのこの絶対的な他者性に向かい合っても、それに対する強いられた盲目を苛立ちとともに耐えつづけるしかないわけで、このねじれた事態から一九世紀西欧に特徴的な神経症の多種多様な症候群のすべてが発生することになったとさえ言ってもいささかも過言ではない。ここに至って「主体」に可能なのは、結局このフラストレーションを束の間なりとも解消すべく、容易に表象しうるものだけを手当たり次第に「客体化」してゆくことだけであり、かくして女神=婢=娼婦の安易なイメージが想像界の映写幕の上を次から次へと果てしなく横切りつづけることとなろう。そうした従順な「客体」たちが「女」でないことは言うまでもない。「主体」でもなく「客体」でもないものが「女」だからである。

ヌード、この「不気味なるもの」

伝統的に言うならば、カントが『判断力批判』で提起した「崇高」と「美」という二範疇がジェンダー化される場合、一八世紀においてはここでのわれわれの議論と逆に、「崇高」を「男」に、「美」を「女」に割り当てることが一般的であった。カントの同時代人でやはり「崇高」概念の理論化を試みたエドマンド・バークは「美」を女性に固有のものとしており★五、またカントの場合、必ずしも両範疇それぞれを男女どちらか一方に排他的に振り分けているわけでは必ずしもないにせよ、「女性の長所の数々は一致協力して、美──これこそ適切な参照項である──の性格を増大させるという唯一の目的に献身する。他方、男性的美質の中で、男性という種族の基準をなすものは明らかに崇高である」云々★六と明言しているくだりも見出される。だが、こうした箇所でのカントやバークのジェンダー観はやはりアンシャン・レジーム的な限界に縛られていると言うほかない。こうした一八世紀的思考の内部では、「女」とはあの女神=婢=娼婦のそれにも似た抽象的なカテゴリーでしかなく、「崇高」「美」といった美学概念に拮抗しうるような現実感さえ持ってはいなかったのである。
全体としてはきわめて啓発的なカルチュラル・スタディーズの一成果と言ってよい『女性のヌード──芸術・猥褻・性』において、リンダ・ニードは、「猥褻(obscene)」という単語はもともとラテン語の「場面(scena)」から派生したもので、「場面」の外にあるもの、視界から隠された「オフ」の空間にあるものを意味するというやや異論の余地を残した語源説に着想を得つつ、「芸術/猥褻」の対を「提示しうるもの/提示しえないもの」の対として把握し直したうえで、女性の裸体の表象がこの両領域に相渉り、「芸術の内的限界と猥褻の外的限界ともども徴づけている」とする。それは「芸術と猥褻を連結させる内的かつ構造的なリンクであり、両者が合体して意味を発生させる全体的システム」★七なのだと彼女は定義し、さらにこの定義の思弁的展開として、芸術のステージに乗せることを禁じられた領域としての「猥褻」に、ポストモダン的な「崇高」概念を接ぎ木するという理論的作業を試みている。
なるほど「猥褻」と「崇高」が表裏一体のものとなるという逆説はそれなりにチャーミングでないこともない。しかし、もしこの語源説と徹底して真剣な戯れを演じるつもりならば、猥褻にして崇高なる女体などといった通俗的に特権化された心理主義的女性観に堕する危険からは身を遠ざけ、むしろ西欧の表象文化そのものの外部をなす「オフ」空間に抑圧されつづけ、かつて一度たりとも視線の舞台で上演された試しのなかったものに思いを致すべきではなかっただろうか。女性的な「美」と男性的な「崇高」というカント=バーク的なジェンダー的範疇化はもちろん恣意的なものに決まっているが、それを批判して、そうではなくむしろ女性の裸体イメージこそが「崇高」のカテゴリーを体現しうるのだと断言するだけでは不十分なのである。表象不可能性のカテゴリーを徹底化した場合、いかがわしいポルノグラフィーを飾り立てているような女性ヌードの類など、なるほど共同体の秩序意識を多少撹乱する程度のスキャンダル性を備えているにはしても、見れば見えてしまう表象イメージにすぎないという意味では、かつて一度たりとも十分に「猥褻」でも「崇高」でもあった試しがないと言うべきなのである。
もちろん、見れば見えてしまう女性ヌードのイメージならば、古代ギリシャの彫刻以来、「ヘアー」を露わにした『プレイボーイ』のグラビアに至るまで西欧の長大な文化史には数多満ちみちており、インドのヒンドゥー教文化圏における彫像やアフリカの一部の原始的彫像を除けば、「裸の女」の表象へのこうしたほとんど偏執的な愛好は、これまで人類が所有してきた図像文化においてきわめて他に類例を見ない突出した現象であるとさえ言ってよい★八。だが、西欧の男根的なまなざしが「女」を裸にすることにかくも執着してきたのは、実のところはそれが、剥いても剥いても実体が露わにならず、よそよそしい他者であることをやめない永遠の「不気味なるもの」だからこそなのではなかったか。理想化された人体像を追求した古典古代の彫像群やルネッサンスにおけるその再現はともかくとして、「近代」とりわけ一九世紀以後の女性ヌードが示しているものは、多くの場合、単なる「美」であるよりはむしろ、この他者性を前にした「男」の脅えとおののきであり、また剥いても剥いても裸にできないものに対する苛立ちであるように思われる。
つまり、こういうことだ。二種類の女性表象があるのであり、一つは、本来のところは還元不可能であるはずの他者性を、とりあえずイメージの水準で安定と既知の側に回収するために制作され流通するものであり、もう一つは「無限」や「崇高」のそれにも似た「女」の他者性に、イメージそれ自身が脅えおののいているものである。男根的に馴致された「女」のシミュラクルを表象することに甘んじているものが一方にあり、他方、表象作用ははなから諦め、馴致しがたいものとの間に口を開けている深淵を恐る恐る指さすだけで満足しているものがある。女性の身体から衣服を剥ぎとるという身振りは、これら両者のどちらの場合においてもそれぞれのイメージの力をいっそう強化することに貢献していると言ってよい。前者における裸体は、あたかも「女」が「男」による所有へと向けて唯々諾々と身を差し出しているかのごとく見せることに役立っており、たとえば──これはもっとも「上等」なハイ・アートに属する例であるが──ドラクロワの描いた《民衆を導く自由の女神》(一八三〇)の場合でも、乳房を露わにしたこの「半裸」の女性像が提示しているエロティシズムとヒロイズムとの混淆は、「共和国」という名の女性表象を「男」たちに受容させやすくする機能を果たしていると言える。また他方、後者の女性表象における裸体は、剥いても剥いても露わにならず、「オフ」シーンに抑圧されつづける「不気味なるもの」の脅威を、なおいっそう誇張する役割を演じるだろう。
たとえばエドゥワール・マネの手になるヌードの場合、《草上の昼食》(一八六三)と《オランピア》(一八六五)という二作が惹起した喧々囂々のスキャンダルは、あえて意識的に肉付きを欠いた平板な色面を選んだという描法上の伝統に対する侵犯に加えて、ニンフやヴィーナスやオダリスクといった神話的・異国的世界の裸婦にモチーフを借りるという口実を用いることなく、粗暴にも同時代のパリの高 級 娼 婦ドウミ・モンデーヌをあっけらかんと登場させて大作に仕立て上げてしまったことに由来すると言われる。マネは抽象的な女神=婢=娼婦のファンタスムではなく、現実世界に生きる「女」のなまなましい現存を提示してしまったわけで、しかも「男」の好色心をくすぐるような媚態を示すことを拒絶し、われわれの瞳を真っ直ぐに見つめ返してくるこの「女」たちの正面からのまなざしには、「男」たちとはまったく異なった仕方で「主体」たらんとしているかのような、奇妙に頑なな意志のようなものが感じられる。だが、それはそれでいいとしても、実のところこのことはマネのタブローが他者性の深淵を恐る恐る指さしており、それが第二帝政期のブルジョワのみならず今日のわれわれの視線さえをも震撼させるという事実を物語っているにすぎず、ここに他者としての「女」それ自体が現前しているかと言えば、もちろんそれは不在のままなのである。それは、美術史家や視覚芸術の理論家に今日なお多くのインクを流させつづけているあのきわめて「問題的」な最後の大作《フォリー・ベルジェールの酒場》(一八八二)に描かれた、若い女給の場合においても依然として変わることがない。

女たちの喪

ところで、他者性の深淵を表象不可能なままにただ指さしているイメージの系列の中で、ほとんどまるまる一つの下位ジャンルさえをかたちづくるに至っているのは、「死んだ女」の表象であろう。
究極の他者性それ自体とも言うべき「死」の主題が「女」のそれと結合するとき、そこに、「知」の外部をめぐる一九世紀的な西欧体験の特異点が露出する。文学テクストに重点を置いてこの主題を論じたジェイン・トッドの『ジェンダー・芸術・死』、また特に、対象を視覚芸術の領域に広げつつラカン、デリダ、クリステヴァなどフランスのポスト構造主義的諸概念の絢爛たる織物を編み上げたエリザベス・ブロンフェンの大著『彼女の死体の上に──死・フェミニティ・美学』など、この問題に関してはすでに先行研究の蓄積があるが★九、われわれのここまでの記述との関連で強調されるべきは、「死」と「女」とが結合して他者性が冪乗化されたとき、あたかも墓の彼方にあるものが人を喚ぶように、表象の彼方にあるものが「男」を誘惑し、不可能性の空間へと誘い込もうとするという一点だろう。表象する「主体」として誘い込まれたその当の場所こそ、まさに表象を禁じる「無限」と「崇高」のトポスの極限であり、「男」はそこでみずからの不能を思い知ってうなだれるしかないのだから、文学や芸術における「死んだ女」の主題は当然或る種の神経症的な風土と切り離しえないものとなる。
この主題に関して必ず引き合いに出されるのは、詩篇「大  鴉おおがらす」の成立過程を克明に自己解説したエッセー「構成の哲学」の中にエドガー・アラン・ポーがふと書きつけた、「美しい女の死は、疑問の余地なく、世界でもっとも詩的な主題である」という一行である★一〇。ポー一流の大風呂敷とも見える、しかし鮮烈そのものの断言であることは間違いないこの一行が、上記のような神経症的風土の凝縮された表現になっていることは言うまでもない★一一。しかしこの一文は、直後に続くもう一つのセンテンス、「──そして、そのような主題を語るのにもっともふさわしい唇が、後に残された恋人の唇であることもまた、同様に疑いを容れない事実である」とセットにして読まれるべきであるのに、こちらの方は比較的注目を集めていないようだ。「死美人」のトピックは単にそれだけ独立して取り出して「もっとも詩的」と頌め讃えられているわけではなく、この世に残された恋人たる「男」が語りの「主体」となって死者を悼む喪と嘆きの言葉を発するとき、その発語こそが最高の詩作品として結実するのだという文脈を伴って言及されているのである。従って「男」にとっての「喪の作業」たるナラティヴな身振りはどうあるべきかというのがここでの最重要の問いなのであり、その作業を通じて「主体」となることを「男」に唆すのは「死んだ女」という特権的トポスの及ぼす魅惑以外のものではないという命題が、ポーの簡潔な断言の核心をかたちづくっているということなのである。ただしそれが挫折を運命づけられた「主体化」であることは言うまでもなく、表象されることを待ち受けているはずの「喪の作業」対象はあのアッシャー家の壮麗な屋敷のように沼に呑みこまれ、後にはさざ波一つ立たない淀んだ黒い水がとろりと広がっているばかりだ。「男」は全能感と無力感との間で引き裂かれつつ石のような静寂の中に取り残されるほかないのである。
ここで「男」の「唇」を誘って──あるいは、そそって──いるのは、天空高く昂然と君臨し、共和国の共同体と文明そのものを優しく抱擁し、と同時にその至高の紋章となることを快く受け入れている晴れやかな「女」ではなく、凝固したオブジェとなって地に斃れ伏し、「男」の視線を受けとめることしかできなくなった暗い「女」である。それは不能と不動の究極の化身であるが、しかしこの否定性のアウラの暗い輝きこそ、「死んだ女」の形象にもっとも強力なイメージの力を充填する当のものなのだ。かくして、表象的な「知」の外部にあるものに脅かされつつそれに魅了されてもいる「芸術家」たちは、この引き裂かれによって惹起される神経症の症候群こそ「主体」たらんとする者の支払う代償であり、またその誇らしい証しだとでも言いたげな無邪気さで、こぞってこの主題に熱狂するのだが、ジロデ=トリオゾンの《アタラの埋葬》(一八〇八)にせよ、ドラクロワの《サルダナパールの死》(一八二七)にせよ、ジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》(一八五二)[図1]にせよ、ガブリエル・フォン・マックスの《解剖》(一八六九)にせよ、なるほど見れば見えてしまう表象イメージとしての「死んだ女」は描かれているものの、その事実そのものが、ここには現実の「死」もなく現実の「女」もいないことを物語っている。クレサンジュの彫刻《蛇に噛まれた女》(一八四七)や、ヘンリー・ピーチ・ロビンソンの写真《臨終》(一八五八)といった絵画以外のジャンルの表象の場合も事態は変わるところがない。ジャンルの相違、様式の相違、主題的口実の相違、イコノロジー的文脈の相違、時代の思潮や風俗の相違、制作者の国籍や才能や趣味の相違、等々を横断して、西欧美術史のアーカイヴにはおよそ多種多様の「死んだ女」たちが横たわっているのだが、それらはことごとく、たとえ「死」と「女」の結合によって冪乗化された極限的な他者性に、イメージそれ自身が脅えおののき、その他者との間に開いた「無限」の深淵を指さしている場合がありはしても、「死」それ自体、「女」それ自体は表象作用の外に取り逃がしつづけるほかないのである。「死」も「女」もその「不気味」なプレザンスによって「主体」を脅かしつつ、画面の「オフ」に身を潜めつづけるばかりだ。

1──ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》(1852)

1──ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》(1852)

男根切断とマゾヒズム

そうした存在論的脅威の端的な形象化が、「去勢する女」の図像だろう。一八六五年に《オルフェウスの首を抱くトラキアの娘》[図2]を描き、「男」の首に執着する若い娘の主題にすでに彼なりのアプローチを示していたギュスターヴ・モローは、一八七六年の一連の《サロメ》作品でパリに集まった国際的な芸術家たちに大きな影響を与える。以後、ルドン、ビアズリー、シュトゥック、クリムト、ムンクなどが、不吉な魅力によって「男」を破滅に追いやる「宿命の女」の主題に挑戦し、その極まりの形象としての「男を斬首する女」の図像が増殖してゆくこととなろう。一方、文学の領域でもハイネは長篇叙事詩『アッタ・トロル』(一八四三)で、マラルメは劇詩『エロディアッド』(一八六八)で、フローベールは短篇「エロディアス」(一八七七)で、「男」を滅ぼす魔性の女というこの同じ主題にそれぞれ個性的なアプローチを試みており、この延長線上にラフォルグの短篇「サロメ」(一八八二)とワイルドの戯曲『サロメ』(一八九三)が位置することは言うまでもない★一二。
いわゆる「世紀末デカダンス」の思潮において、「サロメ」の主題が国境を越えて持て囃されたのは、言うまでもなく踊り子サロメが洗礼者ヨハネの首をはね、血の滴るその生首を盆に載せて差し出す衝撃的な場面に仕込まれたスキャンダル性によるものであるが、このスキャンダルの精神分析的な深層には、男根的な「知」がそれに去勢を施そうとする「オフ」の力に対して抱く、暗い脅えとないまぜになったマゾヒスティックな快楽への期待があったことを見逃してはなるまい。たとえ西欧の近代的な「知」がいかに根深くファロサントリックなものであったにせよ、ではその男根的な権力は、みずからの全能性の上にただ安穏と居座り、猛々しい勃起のさまをひけらかしながら弱者たる女性の上にひたすら傲然と君臨し、専横な暴力を振るってきたのか。そうではあるまい。一見したところ傲然と肩をそびやかしているような体裁を取り繕っていても、実はこの男根的シニフィアンは、表象的な「知」の外部に抑圧された「不気味なるもの」が回帰して、自分の首を切りにくるであろう瞬間の到来に脅えつづけ、またそれを密かに欲しつづけてもきたのである。性の「主体」としての「男」を決定的に不能化しにやって来るその「もの」が、同時に「男」のもっとも激しい欲望の対象それ自体でもあることは言うまでもあるまい。彼は身を灼くような肉欲によって引きつけられ、それに対して「主体」として振る舞いたいと欲するその当の対象から裏切られ、「主体化」の運動を司るファロスを切断されなければならないのだ。
一九世紀西欧の「知」は、なるほど能動的攻撃性としてのファロサントリスムを否定しがたく身に帯びながらも、その埒内に必ずしも安穏と自足していたわけではない。官能的な若い女の白い裸身をくねらせながらの舞いを見つめる禁欲的な聖者がそうであったように、「女」というこの「不気味なるもの」の現前に、脅えながらも抗い難い誘引を感じ、最終的にはみずからの「知」のファロスが彼女の手で切断されてしまう瞬間、自分に訪れるはずの激甚な快楽を、密かに期待してもいたはずなのだ。それは、意識の上では決して容認し難い、しかし無意識の奥底に重く淀んで彼の行動を縛っていたマゾヒスティックな期待──「主体」であれと自分に命じる屹立するシニフィアンから最終的には解放され、いっそ徹底的に「無=意味」なる不能者と化してしまいたいという期待である。
かくして西欧の「人間=男」は、決して口にできないのはもとより、そもそもそんなものが自分の内部にあるなどとは彼自身意識しようのないこの倒錯的な欲動の命ずるまま、みずからがまったき無に帰す瞬間の訪れに密かに憧れつつ、表象不可能なもの──それはいまや「女の死」ではなく「女の手にかかっての、自分の死」だ──を表象するという矛盾した試みと、そのあらかじめ運命づけられた失敗を、飽きもせず反復しつづける。今さらながらのようではあるが、本章で言及した一九世紀の女性表象の制作者がすべて男性であるという事実に──ついでながら同時に、今日この主題にジェンダー論の立場からアプローチしようとしている論者がすべて女性であるというもう一つの事実にも──改めて注意を促しておくことにしよう。これらの「男」たちを神経症的に拘束していたこの欲動が、やがてウィーンの精神分析医が一九二〇年に発表する論文『快楽原則の彼岸』の中で、何という名前で命名されることになるかは周知の通りだ。西欧の表象文化史の無意識的な層を対象としてフロイトが行なった考古学的な発掘の身振りが、翻って西欧的な「知」にどのように働きかけ、それをどのように震撼させたか誰もが知る通りであり、しかもそれは基本的に本稿の記述の範囲を越えた二〇世紀の問題系に属する物語であるので、ここで事改めて辿り返すことはしまい。たしかなことは、犯行現場に転がる死体に扮装した自分自身の姿を写真に撮って発表し、かくして「死んだ女」の偽のイメージと批評的に戯れるシンディ・シャーマン[図3]のような「女性芸術家」は、一九世紀には出現しようのなかった「主体」だという一点ばかりである★一三。

2──ギュスターヴ・モロー 《オルフェウスの首を抱くトラキアの娘》(1865)

2──ギュスターヴ・モロー
《オルフェウスの首を抱くトラキアの娘》(1865)

3──シンディ・シャーマン《無題No.153》(1985)

3──シンディ・シャーマン《無題No.153》(1985)

★一──本連載①、『10+1』No.5(INAX出版、一九九六)、一二─一四頁。
★二──「崇高」の概念は「ポストモダン」言説が好んで玩弄してきたジャーゴンであるが、もちろんこの流行はカントの『判断力批判』の読解に基づいてこの概念の現代的再編成を試みたジャン=フランソワ・リオタールのジャーナリスティックな才能に負うところが大きい。
★三──Donna Haraway, Simians, Cyborgs and Women: The Reinvention of Nature, Free Association Books, 1991, p.181.
★四──ただし、Genevieve Fraisse and Michelle Perrot(ed. by), A History of Women in the West. IV. Emerging Feminism from Revolution to World War , The Belknap Press of Harvard University Press, 1993. や、Camille Paglia, Sexual Personae. Art and Decadence from Nefertiti to Emily Dickinson, Vintage Books, 1991. などではこうした視点からの深層心理学的視点は試みられていない。むしろ後述のエリザベス・ブロンフェンの大著を参照。
★五──「女性の美は、彼女たちの弱さに、あるいは繊細さに負うところが大きいのであり、それに相同の心的特質である臆病さによってさらにいっそう高められるのである」(『崇高と美に関してわれわれが抱く観念の起源をめぐる哲学的探究』初出一七五七年、Edmund Burke, A philosophical Enquiry into the Origine of Our Ideas of the Sublime and Beautiful, Routledge & Kegan Paul, 1958, Part II, Section XVI, p.116.)。
★六──イマニュエル・カント「美と崇高の感情に関する所見」。なお、後述のリンダ・ニードの著書の二九頁を参照。
★七──Lynda Nead, Art, Obscenity and Sexuality, Routledge, 1992, p.25.
★八──この問題に関しては多くの文献があるが、さしあたっては、Thomas B. Hess and Linda Nochlin(ed. by), Woman as Sex Object. Studies in Erotic Art, 1730-1970, Newsweek, 1972; Susan Rubin Suleiman(ed. by), The Female Body in Western Culture. Contemporary Perspectives, Harvard University Press,1985; Rosemary Betterton, An Intimate Distance. Women, Artists and the Body, Routledge, 1996. ──などを参照すれば一通りの概観を得ることができる。なお、Gen Doy, Seeing and Consciousness. Woman, Class and Representation, Berg, 1995. はマルクス主義の立場からの階級史観を表象文化論に接合しようとした試みとしてやや異色である。
★九──Janet Todd, Gender, Art and Death, Continum, 1993; Elisabeth Bronfen, Over Her Dead Body. Death, Feminity and  the Aesthetic, Routledge, 1992.
★一〇──Edgar Allan Poe, "The Philosophy of Composition", 1846, Selected Prose, Poetry, and Eureka, Holt, Rinehart and Winston, 1950, p.425. Cf. E. Bronfen, Op. cit., p.59 sq.
★一一──とはいえ、あまりにも理知的な口調で自分の詩の生成過程を解説してゆくこの真面目くさった文章は、実はポーの大いなる自己韜晦の産物であるはずなので、この一行も実のところはフローベールの『紋切型辞典』に収録されるのにふさわしいアイロニカルなフレーズとして読まれるべきかもしれない。拙著『口唇論──記号と官能のトポス』(青土社、一九八五、新装版、一九九七)、二〇三─二〇四頁参照。
★一二──「宿命の女」が大きな位置を占めるこの時期の女性表象をめぐる研究としては、註★八及び★九に挙げた文献以外には、ラファエロ前派に対象を絞って図像とテクストの相互浸透のさまを探ったLynne Pearce, Woman / Image / Text. Readings in Pre-Raphaelite Art and Literature, University of Toronto Press, 1991. が興味深い。
★一三──二〇世紀のマス・カルチャー(B級犯罪活劇、パルプ・フィクション)は、他の様々なイメージと同様に、「死んだ女」のイメージもまたおびただしい反復を通じて磨耗させ、凡庸化させてきた。シンディ・シャーマンの実践は、この反復的磨耗の鋭利なパロディ化にあるとも見え、またこの凡庸化をラディカルに批判して「死んだ女」のイメージが孕む原初的な衝撃を回復させることをもくろんでいるとも見える。たぶんシャーマンの写真の魅力の核心は 、このどちらともつかぬ両義性に存するのだろう。

>松浦寿輝(マツウラ・ヒサキ)

1954年生
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論コース)・教養学部超域文化科学科教授。フランス文学者/詩人/映画批評家/小説家。

>『10+1』 No.11

特集=新しい地理学

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...