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3:レンゾ・ピアノ《メゾン・エルメス》──ガラス・ブロックのリマテリアライズ | 今井公太郎
Renzo Piano, "Maison HERMÈS": Re-Materializing Glass Block | Imai Kotaro
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険, 2004年06月発行) pp.120-123

銀座と青山のファッション・ストリートを中心に、世界的な建築家によって、個性的な建築が出現している。おかげでストリートは華やかで活気があるものへと変貌しつつある。その様相はまるで万博のパヴィリオン建築が会場を飛び出して来たかのような賑やかさである。このような状況のなかで、力のあるブティックが店を出し切ってしまったら、楽しいのはそれでおしまいになってしまうのだろうか、と万博の終わりのような状態を危惧し、一過性のものに終わらないで欲しいと願っている。そして、こうした一連の建築に共通する表現のなかに差異も同時に感じていて、共時的で豊かなコミュニケーションの場を形成しているところに、いったい次はどんなものが建つのだろうかと期待してもいる。
メゾン・エルメス》はレンゾ・ピアノが設計し、アラップ・ジャパンの構造により二〇〇一年に実現した。この建物もどうやら一連のブティック建築に共通する点がいくつか認められる。外装に占めるガラスの比率が大きいこと、そのため夜になると美しいこと、材料にこだわっていること、タワーであること、著名な建築家によること、そして高価なこと、そのうえ、外装に執拗なまでに表現とコストが集中していること、である。

1──レンゾ・ピアノ《メゾン・エルメス》外観 (c)Michel Denancé 写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

1──レンゾ・ピアノ《メゾン・エルメス》外観
(c)Michel Denancé
写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

2──同、内観 (c)Michel Denancé 写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

2──同、内観
(c)Michel Denancé
写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

3──同、ガラス・ブロック(45×45cm) (c)Quentin Bertoux 写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

3──同、ガラス・ブロック(45×45cm)
(c)Quentin Bertoux
写真提供=エルメス・ジャポン株式会社

当然、事情はあるだろう。銀座や青山というバブル崩壊後も極度に地価が高いところで、広告塔としての効果を考えれば、タワーとなって、敷地の狭さを補ってあまりある視認性を獲得したうえで、見られることを意識したオートクチュールの外装となるのは当たり前である。そしてオートクチュールは、著名な建築家によってデザインされた高価なものでなければならない。
ところが、これらの条件を満たしつつも、その背後では、それ以上の条件が期待されているのである。《メゾン・エルメス》も例外ではない。むしろその条件を積極的に受け入れたと言えるだろう。建築と洋服の最大の差異は時間である。建築は洋服より長持ちしすぎる。だから建築は飽きられやすいものであってはならない。リニューアルが前提のテナントの内装程度であれば話は別だが、今ここで問題にしているブティック建築はどれも、一年や二年ですぐ解体していいというコストで建ってはいない。もちろんこの前提が違っていることも考えられるが、そうは考えたくはないし、すぐに建て替える発想だとすれば、レンゾ・ピアノのようなサステイナブルなイメージの建築家は自らのイメージを歪めてしまうことになるだろう。
これらの条件のもとで、ピアノは戦前から変わらぬ空間の質を維持するピエール・シャロウのガラスの家《メゾン・ド・ヴェール》(一九三一)をモチーフとして選んだ。「時を超え、時に溶け込み、流されることなく質を保持して欲しい」というエルメスの要求へのうまい回答であると私は思う。

4──ピエール・シャロウ《メゾン・ド・ヴェール》外観 筆者撮影

4──ピエール・シャロウ《メゾン・ド・ヴェール》外観
筆者撮影

5──同、外観 筆者撮影

5──同、外観
筆者撮影

「マジック・ランタン」とピアノが呼ぶ《メゾン・エルメス》と、今もなお、現代的にすら見えてくる歴史的名作の《メゾン・ド・ヴェール》とを比較してみれば、この建築家の創造力の深さとそれをサポートする技術力が背後に見えてくる。時を超える飽きのこないシンプルさはどうやって獲得されるのか。一見、シンプルな外観を実現する技術は、常にシンプルとはほど遠いものである。《メゾン・ド・ヴェール》は、機械設計のような精密さを工芸主義的に表現した。が、《メゾン・エルメス》では精密さは維持しながらも、機械のイメージは脱色され、無重力的な虚の表現へ高めようとする意図が感じられる。そのための技術的・工芸的チャレンジはどのようなものか。
目に見えるチャレンジは、まずガラス・ブロックの使用方法に集中している。一般的にはガラス・ブロックを鉄やコンクリートで作ったフレームの中に積み上げて嵌めこむ方法であった。ただ嵌めこむだけでは面外方向への地震力や風圧に耐えられないので、目地にはフレームを頼りに鉄筋コンクリートのグリッド網状の補強を施し、それにぶら下がるようにブロックは保持される。このことは《メゾン・ド・ヴェール》も同様である。ところが、《メゾン・エルメス》では、この階層的なフレーム・システムを取り払い、グリッド網状の補強がむしろ主役となって、マリオン化してしまうことで四五〇角という大判のガラス・ブロックによるカーテンウォールを可能にしている。その結果、構造的な表現は消去され、ブロックなのに重さを感じない。それはガラス・ブロックという素材が元来抱えるアンビヴァレンスをより理想的な場所へと導いている。
階と階を隔てるスラブの表現を消去することも忘れない。一般のカーテンウォールの層間区画と同様、くさび形の先の細い耐火ガスケットがスラブから持ち出される。層間ではカーテンウォールを後ろから優しく押さえて、見込み方向にリフレクターが収まる寸法を確保したうえに、夜間の表現のことも考え、リフレクターを内側からキセノンランプで明るく照らして、スラブの影を迷彩化してある。これによりフレームの構築の表現は外部からは昼夜を通して完全に消え、ガラス・ブロックであるにもかかわらず、ガラス・カーテンウォールの超高層建築と同様に全体が抽象的な一体のオブジェとなることを可能にした。ただし、内部の空間、特に吹き抜け部は梁との関係で、水平フレームと一部垂直フレームも表現されていて、柱のボルト納まりのディテールなどからは《メゾン・ド・ヴェール》へのオマージュが感じられる。しかし外装からは、《メゾン・ド・ヴェール》のイメージから、ガラス・ブロックをサポートするフレームと付加的な装置類が消失した。工芸的な装置からシンプルなモノリスへ、そしてフレームレスな一枚の「スキン」へ。
その意図は、ほかの細部にも徹底的に、しかもできる限り、飽きのこない控えめな線を狙って実現される。スキンの表現に徹するために出ずみ部分には、曲率を大きくできる割の小さい二二五角のブロックをあてがい、出ずみを曲げて一枚のコンシステントな面として表現している。隣接するビル側や、敷地中央に取られたエントランス部分では、スキンはぐっと曲がって、つかず離れずのところで寸止めされる。敷地端部は地下鉄の入り口へのスリットとなる。上部はペントハウス庭の目隠し柵となり、そして下部はエントランス庇として利用される。スキンの端部が切り離しになることが、プログラムへの対応としてもうまくいっている。庇のような余計な要素が必要ない。これは、端部の納まりの表現にも、より強烈な方法で表示されている。破綻したのかもしれないと思わせるギリギリのデザインだとは思うが、ガラス・ブロックの端部役物は四五度に切断され、断面が露出される。人が比較的接近して、上を見上げたときに目に入るディテールであるため、かなり大胆に、ガラス・ブロックのコンテクストを変換したように感じられる。これらの手厚いディテールが工芸的な装置性を脱色されたあとのスキンの表現を強化し、控えめな工芸性の表現としてガラス・ブロックをデコレーションしているのである。
つまり、ピアノの分析力は、材料としてのガラス・ブロックの断面形状を疑い、ガラス・ブロックが中空で、隣接したブロックとの端部にもうひとつ別の中空部分があり、マリオンがその部分におさまることを発見した。しかもそれを切断することで表現にも活用した。すなわちピアノはガラス・ブロックという質料(ヒュレー)に内在する形相(エイドス)を暴いたのである。あるいは「ガラス・ブロック」と呼ぶことで、中空であることを忘却してしまうのではなく、中空ブロックの因習的な形態を建築デザインに逆利用するということをやってのけたのである。その時にガラスそのものの質料の探求も忘れない。ガラスとは、「高温で溶融状態にあったものが急速に冷却されて、結晶化せずに固化したもの。また、その状態。無定形状態のひとつで、立体的な網目状構造をとる」ものであると定義されている。ピアノはインタヴューでもこのような流体が瞬間冷凍されたような本来のガラスの状態が、好きだと答えている。その表現はブルーノ・タウトの「氷山建築」のようなシャイニング・ボディとしての建築に見られるガラスと、ピーター・ズントーによる《ブレゲンツ美術館》(一九九七)のようなルミネッセント・ボディとしての建築に見られるガラスのどちらの単純化にも回収できない「動き」としてのガラスの表現なのである。それは、マリオンがおさまる中空部、すなわちガラス・ブロックの木口にシールされたアルミテープによって、波打ったキャスト・ガラス・ブロックを透かしながら、町の表情を間接的に反射させるという微妙さのなかに、しかしより効果的に表現されているのである。ここに見られるように、ガラスはミクロな世界のテクスチャーの表現、いわゆるマイクロコンプレクシティへの志向をもっていることが表われているのであろう。
表面的に読むことができるガラス・ブロック技術のコンセプトは以上のようなことであるが、見えないところの技術として驚くべきは、このガラス・ブロックのカーテンウォールがつり込まれた建物の高さ方向に細長いプロポーションを実現した技術である。最大の技術的な変革はガラス・ブロックのこれだけの反復が、アラップ・ジャパンの新しい免震技術によって実現されたということかもしれない。水平方向の免震ではなく、垂直方向の免震へ。すなわちヤジロベエの片側端部を、ピンで支え、反対側を粘り強く引っ張ったような複雑な構造を採用することで、非常に縦長のプロポーションの建物を実現しながら、構造的な開放度をガラス・ブロック側に寄せられたことである。
アラップ・ジャパンの金田充弘氏によれば、柱の引き抜き時の変位はレヴェル二の地震時でも二五ミリ程度だそうである。これは水平免震とした場合の数十センチオーダーの変位に比べれば圧倒的に小さく、一般的な層間変位に毛が生えた程度に抑えられる。なぜなら、地震力に対抗するように建物自重が変形を小さくしてくれるからである。そのような小さな変位であるからこそ、同時にガラス・ブロックに絡むピン柱付近の梁を、日常の床の振動が気にならない程度に柔らかくすることによって、柱への軸力の入力は非常に小さく抑えることが可能なのである。
《メゾン・ド・ヴェール》とエルメスの間のスケールはかなり開きがある。しかしむしろ、《メゾン・エルメス》のほうが、この構造によってガラス・ブロックの無重力感を高めるようなスレンダーさを実現している。そしてもしも《メゾン・ド・ヴェール》のような二〇〇角の小さなガラス・ブロックでこれが実現されれば、おびただしいブロックの反復が表現されたかもしれないと想像する。しかし、そのような小さなガラス・ブロックでは、マリオンが中空部には収まらず、法的にも開口部として認められなかったかもしれない。そればかりか、ブティック建築としての高級感も失われたであろう。
こちら側の世界と向こう側の世界があるとして、その間のフィルターを設計するという方法。つまりひとつの外装主義建築においては、建築のプランがあまり重要ではなく、二つの世界を隔てるスキンに表現が集中する。そのことの美はミース・ファン・デル・ローエが描いた「フリードリッヒ・シュトラッセのオフィスビル」以降、実体から虚体への移ろいを表現する建築の幻想的な不透明感のなかに見出されてきた。レンゾ・ピアノはこれへ向かってどこまでも、正直に、そしてヒュレーの分析に基づいて、一体のインテグレートされた塊のなかに潜むミクロの創造性を発掘する。その行為は、たとえワイングラスのように伝統的に完成したデザインであっても、対象として、もう一度ラディカルにデザインし直すような冒険を、確実にやってのける力業であり、現代においてなお、アイロニカルでない、建築の王道なのである。

参考文献
・『新建築』二〇〇一年八月号(新建築社)六八─八七頁。
槻橋修「ルミネセント・ボディとしての建築」(『二〇世紀建築研究』[INAX出版、一九九八]六六─六七頁)。

>今井公太郎(イマイ・コウタロウ)

1967年生
キュービック・ステーション一級建築士事務所と協働。東京大学生産技術研究所准教授。建築家。

>『10+1』 No.35

特集=建築の技法──19の建築的冒険

>メゾン・エルメス

東京都中央区 商業施設 2001年

>レンゾ・ピアノ

1937年 -
建築家。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ主宰。

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...

>ブルーノ・タウト

1880年 - 1938年
建築家、都市計画家。シャルロッテンブルグ工科大学教授。

>ピーター・ズントー

1943年 -
建築家。自身のアトリエ主宰。

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>槻橋修(ツキハシ・オサム)

1968年 -
建築家。神戸大学准教授。