都市記号論を超えて
一九六〇年代にK・リンチやR・バルトが都市記号論を準備し、七〇年代にコンテクスチャリズム論が語られ、八〇年代は学際的な都市テクスト論が興隆した★一。これらは近代の都市計画がもっぱら建設者の論理だったのに対し、受容者の解読を多様化する試みといえよう。しかし、結局、読むための方法は作るための手法になりえない。では、九〇年代においていかに作るのか。先に全体計画ありきで一直線に目標に向かって建設する「大きな物語」としてのマスタープランは失効した。そこで例えば、幕張のように、デザインコードと会議のシステムを立ちあげて、都市をつくる方法が挙げられる。風水のように、反近代/反西洋として東洋的なものを対抗させる考えも流行した。また植野糾、若松久男、森徹による『際の都市論』(山海堂、一九九六)は、際をキーワードにして都市の新しい切り口を提示した。そして近年は碁石を打つように小さな一手を積み重ねる「ソフト・アーバニズム」的な戦略も増えている。『パブリックアート都市』(住まいの図書館出版局、一九九四)など、樋口正一郎の一連の著作も、都市に対する現代美術の介入に注目するだろう。そして石山修武の『世界一のまちづくりだ』は、広告代理店が仕切るような町づくりブームを批判し、人間のぶつかりあいを通した実践活動を紹介する。安藤忠雄は被災地へのグリーン・ネットワーク支援を表明した。一方、五十嵐敬喜や西村幸夫は、デザインや人間の力に頼るよりも、法律や制度の改革を通して都市の軌道修正を計ろうとする。
さて、以下に物質的/非物質的とヘテロトピア的/ユートピア的の二つの対立軸を設定し、一九九〇年代に出版、あるいは邦訳された建築/都市計画関係の文献を整理しよう。
物質的/非物質的
物質的なものへの関心は、経済発展による大規模開発と都市機能を麻痺させる災害やゴミ、非物質的なものについては、デジタル・テクノロジーの普及が牽引している。また、これらを浅田彰が整理した九〇年代の二大潮流であるビッグネス(マッチョな男性性?)対ライトネス(スレンダーな中性性?)に読み替えてもいい★二。
かつてはメタボリストが巨大建築を構想したが、前者の新教祖はコールハースである。彼の『錯乱のニューヨーク』、『S,M,L,XL』、『アジアが都市を超える』の三冊に共通するのは、もはや建築家が制御できない、あるいは古いヒューマニズムが対処できない大規模プロジェクトへの憧れだ。これが過去のニューヨークではなく、現在進行しているのが、スーパーモダンとしてのアジアである。『2G: Instant China』 (No.10, 1999)も、世紀末中国の大量建設に注目した。一方、S・ジュムサイはアジアの内部からアジア的な価値を提示した。なお、九〇年代の『The Global City』は集中化を論じたが、『Edge City』は分散化に注目する。リアルな物質性という点では、かつて都市の非物質的なイメージに注目したK・リンチが晩年において、都市のゴミ問題を考えていたことは興味深い。宇野求と岡河貢は、MVRDVに先駆けて、東京湾岸の「確率都市計画」で分別ゴミの山が生むストライプ状のランドスケープを提案した。そして戦災や震災などの生々しい現実は都市の物質性をむき出しにした。L・ウッズの『Radical Reconstruction』は、破壊の記憶を継承しつつポスト・カタストロフへの建築的介入を試みる。
後者の軽さへの志向は、すでに八〇年代末に刊行された伊東豊雄の『風の変様体』(青土社、一九八九)に読みとることができる。九〇年代には隈研吾が建築の消去を唱え、磯崎新は「都市は姿を消す」と語り、群島モデルのネットワークを構想した。そして非物質的な『サイバースペース』(NTT出版、一九九四)の可能性が広く論じられるようになり、いくつかの建築雑誌で特集される。多くの建築家は新技術による仮想空間の表現主義に陥ったが、コールハースの子供たちMVRDVは、『Metacity/ Datatown』において、コンピュータを利用した統計学的な都市シミュレーションを鮮やかに示してみせた。サイバースペース内で完結することなく、いかに現実の都市が変容するかを考察したのが、W・ミッチェルとC・ボイヤーである。ただし、前者は比較的明るい未来像を描くのに対し、後者はネガティヴな側面にも注目して新たな形の権力論も視野に入れた。
ヘテロトピア的/ユートピア的
次にヘテロトピア、あるいはカオス的な状況に注目した都市論を見よう。ともすれば、P・ポパムの『東京の肖像』のように、これはエキゾティシズムになる可能性も十分にある。A・ベツキィも『ヴァイオレイティッド・パーフェクション』(岡田哲史ほか訳、エー・アンド・ユー、一九九二)のデザインが東京の無秩序な環境に馴染むと考えているようだ。篠原一男、坂本一成、塚本由晴+貝島桃代らの東京工業大学の系譜は、消費社会を加速させる東京のカオスに関心を示し、構成やプログラムなどの建築的な問題を抽出している。「メイド・イン・トーキョー」のガイドブックや『スズキ不動産 集合住宅編』(ギャップ出版、一九九九)、そして凡庸な批判に終わったものの建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』(洋泉社、一九九七)は、カタログ的に「作品」を記述する『建築MAP東京』と違う都市認識を目指す。B・チュミも『建築と断絶』において、単純な機能主義から逸脱したプログラムのズレを現代都市の特性と考え、建築論に展開させた。山本理顕は、集落調査の経験から一見無秩序に思われるイスラム都市をモデルとしながら、抜け道や通り道を発生させるジャンクション・シティをつくろうと試みる。
M・フーコーの語る「ヘテロトピア(混在郷)」とは、病院や監獄など、現実に存在する他者の空間を意味していた。A・ヴィドラーは、他者を包括するポスト・アーバニズムを考察したが、こうした流れには都市部のマイノリティの歴史に注目するD・ハイデン、九〇年代のジェンダー論が注意をうながした女性や同性愛者の空間、黒人や移民の居住問題などが含まれるだろう。ヘテロトピアの首都としては、未曾有の「一〇〇マイル・シティ」に膨張したロサンゼルスが注目される。C・ジェンクスは『ヘテロポリス』と名付け、奇妙な建築が発生していると同時に人種問題から暴動が起きる状況を考察した。これを詳細に調査したのが、M・デイヴィスの『City of Quartz』や『Ecology of Fear』(Metropolitan, 1998)である。世紀末的な恐怖の都市ロサンゼルスは監視体制を強化し、階層別の空間のゲットー化を進める。
危険な外界から隔離された空間は安全な場所となり、均質なユートピアに転換する。M・ソーキン編の『Variations on a Theme Park』が指摘するように、これはテーマパークの人工環境をモデルにした都市にほかならない。彼は他者を排除したテーマパーク都市が公共空間の終わりを示すという。互いに見知らぬ遊歩者(ベンヤミン)が成立させたメトロポリスは孤立した島々に分断される。ジェントリフィケーションやゲーティッド・コミュニティなど、無数のディズニーランドが現われる。だが、九〇年代にディズニーランドはもうひとつのモデルを提出した。中川理の『偽装するニッポン』は、日本全国で増加する公共空間のキッチュ化を「ディズニーランダゼイション」と呼ぶ。彼によれば、これは単に建築のポストモダニズムが普及したというよりは、公共施設に対するデザインの根拠が喪失したことを意味する。
ディズニーランド化は、どちらに転んでも、公共性の衰弱ぶりを露呈させてしまう。ただ、これに逆らって、公共性を復権すればよいのではあるまい。二一世紀の都市論は、新しい公共性をめぐる議論から始まるのではないか。そして二一世紀最初の一〇年間、日本は首都機能移転、万博、(実現すれば)オリンピックという大きな都市的な問題を考えなければならない。当然、それはもはや一九六〇年代の単純な反復ではありえないはずだ。
註
★一──拙稿「Weaving the City as Inter-Text──都市=テクスト論から都市テクスト=論へ」(『建築文化』一九九六年二月号)。
★二──磯崎新+浅田彰「デミウルゴモルフィズムの輪郭」(『Anybody』、NTT出版、一九九九)。
1
『建築文化』1995年10月号/96年2月号(彰国社) エディフィカーレ同人が企画した都市特集。前編は「世界の都市プロジェクト 1960─1995」、後編は「都市を巡る書物・人物・キーワード」。
2
Nan Ellin,postmodern Urbanism,Blackwell,
1996.
ポストモダンの時代における西欧・アメリカのアーバニズムの思想と動向を包括的に整理した便利な研究書。
3
アルド・ロッシ『都市の建築』(大島哲蔵+福田晴虔訳、大龍堂書店、1991) 西欧都市の発展を類型学的に分析しつつ、都市を集団的な記憶の場と考え、建築のコンテクストを問題にした。
4
コーリン・ロウほか『コラ−ジュ・シティ』(渡辺真理訳、鹿島出版会、1992) 1999年に他界したロウの野心的著作。ブリコラージュを導入した「衝突する都市」とは何かを考察する。
5
「幕張ベイタウン 都市デザインへの挑戦」(『造景』7号、建築資料研究社、1997) デザインガイドラインを導入し、賛否の分かれた幕張の試みをルポや関係者のレポートから立体的に再構成する。
6
黄永融『風水都市』(学芸出版、1999) 90年代はインテリア風水に至るまで世界中で風水がブームになったが、本書は風水師でもある著者がその思想を学術的に整理したもの。
7
黒川紀章『黒川紀章ノート』(同文書院、1994) 30年以上にわたる活動を571ページに詰め込む。仏教の唯識思想から中間領域論を導き、西洋中心主義と普遍主義への対抗概念として共生の思想を唱える。これらが新都市の方針になるという。
8
『ソフト・アーバニズム』(INAX出版、1996) 近代的なマスタープランを拒否する、くまもとアートポリスなど、建築・美術が共同した世界の新しいアーバニズムを紹介。
9
ジョナサン・ラバン『住むための都市』(高島平吾訳、晶文社、1991) 原題は「ソフト・シティ」。ハード/作る側ではなく、ソフト/住む側から考察した都市論。D・ハーヴェイがポストモダン的な態度として評価した。
10
樋口正一郎『都市景観と造形の未来』(鹿島出版会、1997)
パブリックアート研究者が最新の事例を紹介したもの。アート的建築と都市造形家の生む新しい都市環境を探る。
11
石山修武『世界一のまちづくりだ』(晶文社、1994) 均質的な町づくりを批判しつつ、気仙沼や松崎町を舞台に個性的な人々との交流から実践的な故郷づくりを展開する。
12
安藤忠雄『建築を語る』(東京大学出版会、1999) 実作の設計過程を講義しながら、自らの建築思想を伝える。終章は阪神大震災後のグリーン・ネットワーク活動と美術館の構想を紹介。
13
五十嵐敬喜他『都市計画』(岩波新書、1993) 戦後の法律が規制緩和ばかりに動いたために、地上げやバブルの諸問題が派生したと批判。ただ、望むべき都市のヴィジョンが見えてこない。
14
西村幸夫『歴史を生かしたまちづくり』(古今書院、1993) 制度を通した都市保全を研究する著者が、イギリスのシビック・デザイン運動の組織と方法論を紹介する。
15
菊竹清訓編著『メガストラクチャー』(早稲田大学出版会、1995) 若き日から夢を追い続けた建築家によるメガストラクチャーと海上都市への飽くことなき探求の記録。
16
レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、筑摩書房、1995) 内部と外部の断絶など、ポストモダン的な手法を指摘しつつ、欲望の資本主義がマンハッタンの建築を自動生成させたシナリオを記述。
17
Rem Koolhaas & Bruce Mau, S,M,L,XL, The Monacelli Press, 1995.
超巨大建築論を含む、エッセイ+作品集。書物が紙という物質で構成されていることを再認識させたデカイ本。
18
レム・コールハースほか『アジアが都市を超える』(山田和子他訳、TNプローブ、1997) 90年代に顕著となったアジアの急激なメガシティ化を西洋の建築家らが分析する。
19
スメート・ジュムサイ『水の神ナーガ──アジアの水辺空間と文化』(西村幸夫訳、鹿島出版会、1992) バンコクの建築家が西欧的な陸の文明に対し、アジア的なものとして水の文明を位置づけ、「水上都市」論を展開する。
20
Saskia Sassen, The Global City: New York, London, Tokyo, Princeton Architectural Press, 1991.
経済的グローバル化と同時進行する、ニューヨーク、ロンドン、東京の都市一極集中を比較分析。
21
Joel Garreau, Edge City: Life on the New Frontier, Anchor Books, 1992. アメリカの都市郊外の快適なエッジ・シティで、仕事も生活も完結する大きな変革が進行しつつあることを考察。
22
ケヴィン・リンチ『廃棄の文化誌──ゴミと資源のあいだ』(有岡孝ほか訳、工作舎、1994) 都市記号論を開拓した研究者の遺作。「都市のイメージ」から出発し、結局、リアルなゴミ問題に回帰した。
23
片木篤『テクノスケープ──都市基盤の技術とデザイン』(鹿島出版会、1995) 電気やガス、そして地下鉄など、現代の都市生活を可能にしたチューブのネットワーク化とインフラフトラクチャーの歴史をたどる。
24
宇野求+岡河貢「TOKYO計画1997」(『新建築』1997年に連載)/「確率都市計画」(『広告』1997年11・12月号) 「マルチモデュロールハウジング」や「パーソナル・インフラシティ」など、新しいテクノロジーが可能にした東京の都市計画を提案。
25
Lebbeus Woods, Radical Reconstruction, Princeton Architectural Press, 1997.
記憶を消去する復興計画を否定しつつ、サラエボや震災後の都市における建築を大胆に構想する。
26
伊東豊雄『シミュレイテッド・シティの建築』(INAX出版、1992) 80年代後半からの仕事を紹介するが、すでにライト・コンストラクション的な動きを予告していたことを再確認できる。
27
隈研吾『建築的欲望の終焉』(新曜社、1994) 80年代以降のエッセイ集。没入への欲望が増加する一方、その装置だった建築の機能不全を指摘し、今後の建築は自己否定のなかからのみしぼりだされると言う。
28
磯崎新『磯崎新の仕事術』(王国社、1998) 主に90年代の都市論を収録。「見えない都市」から「都市は姿を消す」への予言的な言葉、あるいはヴァーチュアルとアクチュアルの分裂が語られる。
29
Archi Lab, Ville DユOrleans, 1999. 1999年に行なわれた展覧会と国際会議に際して、主にコンピュータを利用した建築・都市への提案を行なう世界の若手建築家をカタログ的に紹介。
30
MVRDV, Metacity/ Datatown, 010Publishers, 1999. 同名の展覧会にもとづく本。世界各都市のデータを検証した後、自給自足する超高密度都市のシミュレーションを行なう。
31
W・J・ミッチェル『シティ・オブ・ビット』(掛井秀一ほか訳、彰国社、1996) デジタル革命がいかに建築と都市を変えるかを予言的に考察。やや楽観的な未来像である。
32
M. Christine Boyerr, Cyber Cities, Princeton Architectural Press, 1996 都市史研究家がサイバーテクノロジーと現実の都市の関係を批判的に分析し、その暴力性にも一瞥を与える。
33
ピーター・ポパム『東京の肖像』(高橋和久訳、朝日新聞社、1991) 異国の眼を通した東京論。ラブホテルや歌舞伎町に関心を示し、カオス的な魔法の国に驚く典型的なオリエンタリズムが興味深い。
34
ギャラリー・間編『建築MAP東京』(TOTO出版、1994) 「ぴあMap」的な見やすい記述形式により、500件以上の東京の現代建築をプロットし、建築書としては異例の売れ行きを記録。
35
「篠原一男経由〈東京発の東京論〉」(『GA JAPAN』33─38号、1998─1999) 東京のカオスに注目する巨匠が、日本、アメリカ、アジアの各地から若手建築家にカオス論を展開させる。
36
坂本一成+多木浩二『対話・建築の思考』(住まいの図書館出版局、1996) 60年代以降の軌跡をたどり、消費社会における建築イメージ調査や建築の構成を通して資本主義との対決を議論する。
37
貝島桃代ほか「メイド・イン・トーキョー」(『磯崎新の革命遊戯』、TOTO出版、1996) 東京の超機能主義的なハイブリッド建物を探索し、ガイドブック化する。海外からも注目された。
38
ベルナール・チュミ『建築と断絶』(山形浩生訳、鹿島出版会、1996) プログラム論を含む、エッセイ集。後半は現代都市における形態と機能の断絶した状況を指摘し、創作原理を導く。
39
山本理顕『細胞都市』(INAX出版、1993) アドリブ的なイスラム都市を反近代都市計画のモデルとし、細胞のような都市を実現する試みとして緑園都市のシステムを提案する。
40
アンソニー・ヴィドラー『不気味な建築』(大島哲蔵ほか訳、鹿島出版会、1998) 排他的な近代のアーバニズムに対し、包括的な「ポスト・アーバニズム」は好ましくない他者のシェルターになると指摘。
41
Dolores Hayden, The Power of Place: Urban Landscapes as Public History, The MIT Press, 1995. フェミニズム的な空間史の研究者が試みた、都市におけるマイノリティの記憶を再生させる研究とプログラムを紹介。
42
Diana Agrest, et al., eds., The Sex of Architecture, Harry N. Abrams, 1996. 女性執筆者陣による建築・都市のジェンダー論集。フィルム・ノワール、広場恐怖症の問題などを考察。
43
Hilton Judin, et Al., eds., Blank: Architecture, Apartheid and After, NAi Publishers, 1998. アパルトヘイト後の南アフリカにおけるポストコロニアル的な建築・都市リーディング。NAiからの出版は旧植民地つながり。
44
ディヤン・スジック『新世紀末都市』(植野糾訳、鹿島出版会、1994) 原題は「100マイル・シティ」。ロサンゼルスや東京など、脱中心化する超巨大都市の状況を論じる。
45
Charles Jencks, Heteropolis, Academy Edns, 1993. ポストモダンの宣伝者である著者が、ロサンゼルスをヘテロポリスとみなし、その奇妙な建築と危険な都市を分析する。
46
Mike Davis, City of Quartz: Excavating the Future in Los Angeles, Vintage Books, 1992. ハイテクな要塞都市化など、ロサンゼルスの近未来的な側面をノンフィクションとして描く。
47
Diane Ghirardo, ed., Out of Site: A Social Criticism of Architecture, Bay Press, 1991. K・フランプトン、M・クロフォード、M・ディヴィスらが寄稿した、社会派批評の論文集。
48
Michael Sorkin, Variations on a Theme Park: The New American City and the End of Public Space, Hill and Wng, 1992. テーマパークをモデルとした、アメリカの新都市を概観する論文集。
49
中川理『偽装するニッポン──公共施設のディズニーランダゼイション』(彰国社、1996) 全国の公共施設に導入されたキッチュなデザイン感覚を分析し、デザインの根拠が喪失した状況を指摘する。
50
堺屋太一『「新都」建設』(文藝春秋、1990) 東京一極集中を回避すべく21世紀型新都の建設を提言。バブル期には土地の高騰から、阪神大震災後は防災上の観点から、首都機能移転論は続く。