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妄想の海──メルヴィルの『白鯨』 | 多木浩二
Sea of Delusions: Melville's Moby Dick | Taki Kouji
掲載『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ, 1995年05月20日発行) pp.2-13

1    「海」の登場

はじめてこの小説を読んだ二〇代の日のことをいまだに覚えている。われになく血が騒ぎ、かつて海に憧れたことのある若者としていささか心穏やかならぬ思いに呆然、なにも手につかぬ状態になってしまったのである。読みはじめるやいなや、ニュー・ベッドフォードのひどいオンボロ宿屋、ナンタケットの港での出港準備に大わらわの騒然たる様子からして、なんとも男くさく、潮の匂いが漂い、正常なものはなにひとつとしてないといった印象は、壮大な悲劇の序幕であった。読みおえたときを思い出して見ると、私はたんなるひとりの狂人船長に取り憑かれたのでもなく、手向かってくる巨鯨の恐怖におののいたのでもない。私のなかに浮かびあがってくるのは、メルヴィルが描いた「海」の姿をとった世界、あるいは人類を超えた人類の歴史であったような気がした。漠然として説明はつかないがなにか壮大なものが、自分の内部に闖入してきたのを思い出すのである。こうした深い印象はいつか捉えなおす時期がくる──そんな気がしていたのである。多分、その当時の私はメルヴィルの言葉の絶えざる嵐に吹きさらされ、心情にそそりたつ高い帆舩檣を振幅一杯に揺り動かされていたのに違いない。どんな勝手放題の逸脱も、大工仕事や鍛冶屋仕事など、どんな細部の描写も、私は海の息吹のひとつとして感じていた。陸は、もはやそうして世界を繋ぎ、流れつつ、牙をむきだして荒れ狂いもし、うっとりと優しくも人びとを抱きもする気まぐれな海の波頭が、その白い牙のあいだから吐き出した残滓のごとくにしか感じられなくなっていたのである。四〇年近く経って、自分の生きている世界、あるいはそのなかで生きなければならない歴史についてのある種の見通しがほの見えてきたときに、不思議にもメルヴィルが心に蘇ってきたのだ。あえていうなれば狂人文学、あるいは形而上文学とでもいうべき、その怖ろしい、しかし真実の言葉の動きは、自分のなかで四〇年間眠っていたのか。そうではない。その鼓動は自分のなかでひそかにあらゆる自分の言説の背後に存在していたのだ。こんな世界の歴史把握に比すれば、さかしらな文化論、社会論、都市論、はては芸術論さえも、ものの数ではない。堂々と悲劇の精神が生きていたときにしか躍り出してこない、嵐のような言葉の世界なのである。
もちろんメルヴィルの小説『白 鯨モービイ・デイツク』が海景を描くためだけにこれほどの言語を費やしたなどと言おうとしているのではない。この小説はピークォド号なる古ぼけた怪異な一隻の捕鯨船が、ニュー・イングランドの寒風吹きすさぶナンタケットを船出し、三年の捕鯨航海に乗り出すが、出港して何日か経ったある日、それまで姿も見せなかった船長エイハブが船上にあらわれ、おのが目的をあきらかにし、日頃、冷静沈着なはずの一等航海士スターバックまでが、その狂乱に抗しがたくなって雄叫びをあげる。そのとき実はこの航海はモービィ・ディックなる憎むべき白鯨を追跡することを目的とすることがあきらかになり、最後についにめぐりあったこの凶暴なる鯨に船もろとも敗北するまでの顛末に他ならない。この小説の主題は、かつて彼の脚を喰いちぎった白い巨大な抹香鯨にたいする復讐に燃え上がった船長エイハブの狂気とその末路であろうし、あるいは最後に、物語の語り手たるイシュメールただひとりを残してボートのみならず本船も人も全てを奈落の海底に引きずり込んでしまった怪物、白鯨がこの悲劇を最後まで推進させ展開させた真の主人公だとも言えよう。もちろんかかる白鯨なる怪物が実在したかどうかなどは、まったく顧慮するにはおよばない。鯨が凶暴かどうかも、鯨についての一片の知識もない私が判断する必要もない。しかもその航海の物語の間にメルヴィルは、平然と小説的構成を無視して、まことか嘘かは分からないが、ほとんど論文といってもいい形式で議論を展開していくのである。その典型的な例が「鯨学」の章であり、捕鯨業の細かな説明であろう。その蘊蓄がたとえ真実であったにせよ、まったくの空想の産物であったにせよ、そんなことはどうでもいいのだ。退屈など覚えている暇もない。
しかし驚くべきことに、わがイシュメールがそうしたお喋りに夢中になっている間も、ピークォド号がときには穏やかな暖かい海、ときには荒れ狂う海を進み、どのあたりを航海しているかを読者は不思議にも感じとっているのである。もちろん多少の航海史と海洋の知識は必要だが、幸い私はコロンブス以来、一八世紀にいたるまでの航海記を他人よりはいくらか余計に読んでいるので、船の浮かんでいるさまざまな海洋の息吹、その感じは掴めるのである。エイハブが、白鯨の位置を探し出すために、みずから正確と思い込んでいる計算によって進路をとりつつ、彩りの異なるいくつかの海を超えて航海しつつあることが理解できるのだ。ここでは、この異常なまでに人びとの心に食い込む言語の世界からあらわれてはくるが、必ずしも見える光景とはかぎらず、見えない想念のもつれをその芯に含んだ「海」をひとつの壮大な風景のように眺めてみたいのだ。どうして? と人は問うだろう。なぜ鯨でなく、エイハブでなく、「海」なんだ、と。
この「海」が、メルヴィルのなかにあらわれるには理由がある、と私は推測している。長い間に蓄積された文学批評あるいは研究の成果に異を唱えるつもりも毛頭ないが、文学のみが接近しうる、しかし文学を超えた世界を感じ取るには、作品にたいして格別に文学的態度をとっていなくても十分なのだ。かえってたとえばノースロップ・フライのような厳格な方法を適用しようと大まじめに向き合った批評家には、どうも扱いにくい対象であったようである★一。メルヴィルが、このいささか常軌を逸した文学のなかで、渋紙のごとく老いた隻脚の捕鯨船長エイハブの異様な情熱を描こうとか、鯨を追う無数の鮫のような男たちが世界中の海を駆けめぐっていた、ひとつの時代のめざましき産業活動を説き明かそうとか、あるいはまた捕鯨業についての研究にもとづいた百科全書的な言説をものして見せようとしたとか、さまざまな解釈があろうと、それは読む人の勝手だから否定しない。しかしメルヴィル自身も経験したことのある、勇ましくも血なまぐさい捕鯨の死闘を、想像力の許すかぎり、劇的でもあれば叙情的でもある文学にしてみようといった単純な理由から「海」が舞台装置として登場したのではない。この「海」は、決して気まぐれに選ばれた場面ではない。次章で述べるようなオランダ派の月並みな海洋画とはまったく異なるイメージとして「海」はあらわれる。とりあえずメルヴィルにおける「海」の設定の理由だけを推察しておくに止めよう。あきらかにこの作品におけるメルヴィルにとって海は陸にまさる世界であった。しかしそれは怖ろしい世界であることもまちがいないのだ。ピークォド号の最期を予感するように、メルヴィルは絶えず海の怖ろしさに触れている。そこに待ち構えているのは生易しい陸の歴史の比ではない。
いろいろな理由──そのひとつは、語り手の名が〈イシュメール〉なる旧約聖書の人物であること、したがってメルヴィルが描こうとしたのはキリスト教的西欧からははみだしたものであることだが──からみても、私は、こう考えるのが妥当だと思っている。メルヴィルは神話的歴史の時間において人間世界を捉えようとしていたのだが、その壮大な意図、その測りえないほど宏大な時間は、もしわれわれ人間が住む陸地を舞台に歴史を描こうとするとすりぬけてしまう。そこでの詰まらぬ世俗の出来事、政治的、軍事的、経済的な出来事の連鎖を取り上げないわけにはいかない。国々の興亡、栄華と没落、覇権の移動から始まって、些細な人事、男女の絡みのくさぐさまで描かねばならない。それは真の歴史の巨大な流れから遠ざかることではないのか。それならいっそのこと、陸地は見棄てて「海」を歴史の場にしたらどうか。「海」ならば、それこそ何億、何千万年もの時間を湛えるに足りる。かつて「海」には、縄張り境界のたぐいはなかった。しかもその深みにはいかなるすさまじき神秘、いかなる狡猾な知恵が潜んでいるのか、知れたものではないのだ。歴史とは、終わった出来事の記述だという考えはことごとく砕かれる。

「陸地なきところにのみ、最高の真理、神のような無辺無限定な真理が在るのだとすれば──風下の陸地に逐い上げられる屈辱を忍ぶよりは、むしろこの怒濤どとうさかまく無窮の底に滅びたほうがましではないか、たといその岸は安全の地であろうとも! 地にすがり地をうもの、おお、つまりそれは虫けらではないか! ああこの絶海の恐怖!」★二。


しかし残念なことに歴史は人間が現実に活動しないところにはあらわれない。歴史とはともかくも人間の生命活動の歴史なのだ。だからこの海のただなかに、現在の人間の不思議なほど激烈でありかつ孤独でもある生命をひとつ、投げ込んで、それがいかなる神話的歴史を、なま身で生きるかを試してみようではないか。さてどんな活動があるのか。捕鯨という、それ自体が神話じみた、しかし世界を自在に駆けめぐる事業としての活動が、この一九世紀のアメリカ人の眼前にあるではないか。その船上では、キリスト教はおろか、白人なんてものもたかが知れたもの、多少の階級が船内にあろうと、優越していられるわけはない。異常なまでの人種の平等がある。メルヴィルが経験し、目撃してきたように南洋の島に住む食人種も、黒人も、アジア系の黄色人も、甲板の上でも、鯨を追うボートのなかでも、まったく渾然としているではないか。彼らが一体、どんな時間のなかに生きているのか、分かったものではない。そこをはるか彼方から吹きわたってくる風も、一体、どんな時代から動いてきた空気なのか、知れたものではない。プラトンの鼻をくすぐり、クック船長の頬をいたぶった嵐の名残りかもしれない。一九世紀に生きているからといって、一九世紀の空気だけを吸っているのではない。メルヴィルの卓越した構想力は、この神話的歴史の現実を描いてみる場として「海」を選んだのである。このとき「風景」という言葉がたんなる眼前の絵であることをとっくに辞めているのである。「風景」とはここでは真に歴史的な世界を表象するために設定された虚構の場面をいうのである。たまたまそれが自然と人間にかかわるから、わざわざ「風景」と言ってみるだけのことである。この風景が優しい両の腕で、エイハブの憤怒の心を抱きしめるのをわれわれは見ることになろう。こうして「海」が、歴史の場としてあらわれてくるのだ。
「海」は概念としては最初から設定されているが、その全貌は、さまざまな言葉の果てに出現するものである。したがってここで問題にすべきは、一見して海についての描写と知れる言葉ばかりではなく、むしろ些細な船上の仕事、水夫どうしの会話、船の操り方、決して寄港することなく、世界周航を試みる一艘の船の船腹の痛ましき軋み、鮫のような人間たち、鯨捕る人びとの熟練した仕種等々が要素となって、壮大な「海」を形成していく比喩のメカニズムなのである。こうした比喩の世界を通して、メルヴィルは驚くべき世界を語り、歴史を語っているのである。メルヴィルの想像力は、途方もない古い時代から未来永劫まで自在に駆け抜ける。そこに絶えず死と生が絡み合うさまが仄めかされているのだが、それでも捕鯨船員たちは一九世紀の人間であり、すでに世界が探検航海者たちの眼にほぼ探索されたあとにきた人間たちである。したがってこの「海」は、人間の歴史を、その波浪の襞のなかに深く刻んだ海であり、たんに太古に地球を覆った水ではない。メルヴィルがこの点を強調しているのを忘れてはならない。さもないと、白鯨の凶暴さなどで人を驚かして楽しんでいる、ただ荒唐無稽な狂人の戯言にみえかねない。メルヴィルは捕鯨業の英雄的な行為のみならず、現実の歴史にもたらした重要さについても語っている。捕鯨ほど「全世界に平和を推し及ぼすにあづかって力あったものが一つ」でもあるかというのである。捕鯨船は前人未踏の島々を探検していたし、なによりも「植民地を支配する排他的なスペイン王室の政策を、最初に打破したものは捕鯨船であった」し、「これら捕鯨船の力によって、古きスペインの桎梏しつこくからペルー、チリ、ボリヴィアの解放が成就されたか」もあきらかにできると考えていたし、日本の鎖国が解かれる日がくるとするとそれは捕鯨船の力によるだろうなどとも語っているのである。修辞学者としての私は、こうした現実から、神話的歴史を表象する「海」が浮上してくる経緯を知ることに強い関心をそそられるのである。こんなことを考えるのも、かつて若い日に忍び込んだ言葉が、私自身が現実を潜り損ねる失敗の年月を重ねてはじめて浮かびあがってきたときに起こることなのであろうか。
おもしろいことだが、メルヴィルが直接「海」の風景を描写するのは、全体から見るとほんの僅かである。しかし風景とは表面に浮かび、眼に見えるものの様相ではない。風景とは、眼前に展開する一枚の絵ではない。ちいさな庭園でも、それを遠くから絵のように眺めているのと、そのなかに一歩足を踏み入れたのとでは大変な違いがある。たちまちにして絵は消失し、それにかわって経巡る旅があらわれ、ひとつひとつの節目が象徴的な意味をもってあらわれてくる。風景とはこの両方の経験がひとつになって生まれてくる世界に他ならない。

2    絵画と文学

われわれは海の変化に富む風景を知っている。たまたま海の近くに住む私は、飛び去るように速い灰色の雲の下で、強風に吹き煽られて逆まく波も、泡立つ飛沫となって砕け散る白波も、岸辺をほんの僅か撫でるようにしか動かない油のような水面も、ときおりは眺めて知っている。そこをかつては無数の船が往来し、いまも往来している。かつて遠くに煙をあげている船影が見えると、それまで空虚この上なかった水平線が、たしかに感情をそそる風景のていをなしてくる。運ばれる荷は昔より今の方が多いかもしれないが、今、海上を往来する船は、ただ通行するのみで、ほとんどなんの感興も引き起こさなくなったのである。旅人は一切、船に乗らなくなったし、動いているのは陸上の産業のための資源か製品だけである。海は描かれるものとしての物語性を失ってしまった。
しかしかつてはこの海は、独立した画題のひとつであった。われわれはこれまでに海景専門の画家たちによって描かれた絵画の数々を知っている。そのジャンルが史上もっとも盛んであったのは一七世紀のオランダであることは先刻ご承知のとおりである。船を精密に描いた先駆的な画家としては、ピーテル・ブリューゲル(父)がいた。彼には荒天に翻弄される三角帆の船を描いた絵もある。海を描いたというより、海の上での記念すべき出来事を描いた例として、海戦や難破の模様が描かれた。そのひとつに見事なチントレットのレパンテの海戦図がある。しかしその絵では数えきれないほどの戦闘艦と百足のような舷側の櫂に覆われて海面はほとんど見えないのだ。敵味方も入り乱れて、わずかに檣頭の旗で見分けるのがやっとである。いやもっと遡れば、古代にも中世にも「海景」の例をひろうことができよう。しかしそんなところまで遡ったところで、絵を見る者が海そのものの深い意味を少しでも知ることはないし、ましてや世界としての海、歴史を表象するのに都合のいい場としての海などを知覚することもない。海洋画では、実は船が主題であって、海は、それらしき高波や穏やかな海として描かれはするが、ほとんど凡庸な姿しかあらわさないのである。どうしてだろうか。それは描く目的がつねに陸上での権力、資力に華を添えることにあるからであった。
さすが海洋国だけあって、海洋画という絵画ジャンルは、一七世紀のオランダでは随分流行した。考えてみると海は初期のモンドリアンにまで繋がっている画題なのであった。それらは自発的に描かれたというより、ほとんどの場合、注文主からの依頼であった。メルヴィルの海のように、それは画家の歴史的想像力のなかから湧いてきた世界ではなかったのである。それくらい海洋の事業に従事する人間が多かったし、この海洋を越えて富がアムステルダムやデン・ハーグなどに集まってきたことを示しているのである。数年前に日本でオランダ海洋画の展覧会があった。たしかに巧みに当時の船と海を描いた絵画の数々を眼にできた。そのときのカタログにアーントン・エルフトメイエルが書いているように、主な依頼主は、海軍総督、市参事会員、政府、富裕な市民、造船所、船主などであり、みずからの船や港を、演劇的に誇張した宣伝色が強くなる★三。この海洋画にも時期ごとの流行があり、画風があった。われわれはそこに何人かの熟練した画家を発見できるが、なによりもこの時代のオランダ海洋画は、その数多き全体として、時代の国家の活力をあらわしているのが面白いのである。記録かそうでないかは問題にならない。たしかに達者である。ほとんどモノクロームの時期の場合も含めて、船についての観察やそれらの醸しだす雰囲気を捉えるにはさすが熟達している。船、船、船が、舷をすりあわせんばかりに犇めく風景は、世界に進出する経済力、市民の活動などの表現であり、しかもそれは危難を恐れず、いかに陸上の領土が小さかろうと、地球まるごとがみずからの活動領域であった一時代の社会を表象していたのである。したがって海はここではあきらかに陸の付属物であり、陸の栄枯盛衰が延長されていった場に他ならなかったし、港から港への交通路であり、帰るべき港、辿り着くべき港のあいだにひろがる広漠とした距離であった。たしかに航海が日常のものになった海洋国家の面目を示してはいる。だがこの国家は海に属しているのか。それとも海がこの国家に属しているのか。船をつくる絵、荒海に翻弄される船、難破した船等々、海洋国民らしい船と海への熱望が表現されているのを見ていくと、海はどうしても日常時間の水準から超越してはいないのである。それらの絵も、政府官庁や、商人ブルジョワの部屋に飾る装飾画であった。だからどうしても人間を打ち負かす怖ろしさ、宏大さ、気まぐれや狂乱にも欠けているし、ましてや時間を超えた世界はなく、まさに海をその時代の陸の世俗の歴史に従属させてしまっていたのである。オランダの海洋絵画とメルヴィルの海の世界とは全くかけ離れたものであることを感じないではいられないのである。
練達の度合いはともかく、氷海の光景に恐れを抱き、行く手に不安を感じ、あるいはまだ経験したことのない南海の眩いほどの光りに呆然としてしまったのは、ジェームズ・クックに同行した画家たちであった。とくに第二回航海のときに参加したウィリアム・ホッジズ、第三回目のジョン・ウエバーであった。彼らは嵐に翻弄され、竜巻に戦き、あまりに明るい光に戸惑いつつ穏やかな島の海辺に感嘆の声をあげていたのである。たしかに彼らは、超一流の画家ではなかった。だがホッジズが描いたタヒチの光景には、それまでの画家のパレットにはない色彩がある。彼らは海を描いたが、それとて感覚の高揚以上ではなかった。こうした彼らの限界は、故国に帰って描いたときには、その感動をヨーロッパ絵画の慣習的アレゴリーのなかで描いたことのなかに歴然とあらわれていた。情景の意味を考えようとすると、古典の知識以上にはなれなかったのである。それでも彼らは海と空しかない光景をどう描けばいいかに悩みもした。海の視覚的風景について書くなら、普通はこうした画家たちの修辞法について論じることになろうが、メルヴィルにおける「海」を先述のように理解すると、絵画がなんと限界のある表象であるかに思い至らざるをえない。クックの画家たちにしても、海を描くことは、到達した島々の男女の肖像や慣習の記録として描く以上に深い意味はもっていなかったのである。すでにオランダの海洋画で述べたように、そこでも海はたんに陸上の人間活動の延長としてしか考慮されていない。
メルヴィルの示す「海」は、これらの絵画をはるかに凌駕する。それは絵画的想像力と文学的想像力の差異であろうか。そこまで速断するのは僣越であるとしても、メルヴィルが「海」を、世界の神話的歴史の場として設定した意図の壮大さに比べうる海洋画を私が知らないことを承知の上でいうなら、われわれが海に異様な興奮をかき立てられるのは、絵画的想像力ではないといっても差し支えないだろう。無知を罵る者がいるなら、罵るがいい。海のもつ非情さ、海の気まぐれ、海の凶暴さ、海の優しさと暖かさ、そして決して掴むことのできない底しれない恐怖……を、思うと、そもそも海をたんなる水を湛えた地球の鉢のように考えたり、世界を繋ぐ航路と考えはしなかったメルヴィルに戻ってきてしまうのである。眼に見えるもの、そこから理解できるものの振幅を最大限にするには、ごく普通のリアリズムの手法を使いながら多少ともロマン主義的な光景を描こうと、それはせいぜい芝居の緞帳のようなものであり、商人や軍人が狭い都市で競い合う自負心を、多少とも満足させる以上のものになりうるとは最初から思えないのである。だがメルヴィルは海にでる危険をよく承知していた。これは捕鯨が危険だというのではなく、そもそも海に歴史を託する妄想の危険を語っていたのである。

「海と、陸と、二つを並べて考えてみよ。諸君は何ごとか、諸君の内部にこれに類した奇異な対比を見出さぬであろうか? ほかでもない、あたかもこのすさまじき海洋が緑の柔肌やわはだの陸地を取りかこむように、そのごとく人間の霊魂のうちにも平和と歓喜にみちた一のタヒチ島が横たわるが、しかもそれは半ば知られざる人生のあらゆる怖ろしさにひしと包まれているのだ。神よ、ひとびとを守りたまえ! ひとびとよ、その島から飛び出てはならぬ、二度と帰ることはできないのだから」。


このように海が世界の歴史を展開するほどの凄い容量をもちうるのは、実は文学においてであり、縺つれ合う言葉の大波がそれを可能にする、と考えてよかろう。画家たちも見えるものを賛嘆しつつ、見えないものに恐れを抱いているかもしれない。しかし絵とは表面での闘いである。そうした直接視覚的な世界が、ほとんど形而上的な深さをもつのはごく稀な出来事である。本当の海とは、なんだろうか。メルヴィルの「海」は、海以上のなにものかである。もっと目に見えない世界へ、時間へ、歴史へ、あらゆる物質も人間も比喩的な作用を一斉にはじめるのである。メルヴィルの言葉の嵐のなかに見えてくる海の姿は、決してでたらめに吐き出されている戯言ではない。ここでの私の目論見は、この途方もない小説、あるいはあえて狂人文学と呼んではばかりない言語の怒濤のなかに、われわれは歴史を発見し、世界を発見し、人間の卑小ではあるが、それなくして世界はない生命を発見する。歴史が悲劇として展開していく「海」を、うっかりすると人間の劇の「舞台」と見たくなる誘惑を抑えて、この荒れ狂う言語のすべてがその比喩であるような根源的な場と考えようとしているのである。あとで述べるように、この小説は、戯言どころか、いたるところに伏線をおいて、緊密に構成された驚くべき想像力の産物なのである。その密かな糸については、例をあげてあとで述べよう。ここではこの作品がでたらめに吐き散らした言葉の糞溜でないこと、いたるところに伏線が潜んでいる作品であることだけを指摘しておけばいいのである。
とはいえ私はノースロップ・フライのような、象徴的なフォルマリストが、このメルヴィルの物語をどんなに扱ったかを見てみたい意地悪な気になった。案の定、彼は困惑していたのだった。この偉大さは否定できないのだが、彼の厳格な規範によっては裁断できないものが潜んでいるのに気づいてはいる。その点で私はフライを信頼するのである。しかもその規範の厳格さがなによりもそこからはみだしていくメルヴィルの狂乱を正確に見せているのである。たとえば彼は「原型批評」の項目で、原型的意味の要素にロマンス様式、高次模倣様式、低次模倣様式というカテゴリーを設けているが、低次模倣のひとつの例としてメルヴィルをあげ、それがコンラッドによって「破壊的要素としての海」にいたること、そのひとつとしてメルヴィルの白鯨をレヴィアタンになぞらえている。これは象徴的読解としてはまちがっていないだろう。しかしメルヴィルの意図を了解してはいないのである。あるいはフライはメルヴィルの偉大さを十分承知の上で、彼の(あるいはイシュメールのと言うべきか)の長口舌を、あるいはもっと端的にありそうもない巨鯨の逆襲を、法螺話のひとつになぞらえていく。ここにいたって私はフライをむしろ称賛したい気分になる。ラブレーらと同じく、これはまさしく法螺話にちがいない。これは批評としては正確無比である。たしかにイシュメールが額に皺のある白鯨という怪物を語るのも、エイハブとか、クィークェグとかを語る語り口も、大法螺吹きのひとつの例には違いない。だがそういうならば、もともと神話ないしは旧約の世界などというものは、法螺話の世界ではないか。ノアの洪水が法螺でなかったと言えるだろうか。ヨナ記にしても、バベルの塔の話にしても、法螺以上のものであったと言えるだろうか。つまり想像力がほとんど勝手気儘に無限に飛翔する世界とは、フォルマリストとして眺めれば、すべて法螺の世界なのだ。ここで絵画的な海が文学的な海に比して矮小だといったのも、海洋画の手法でいかに手柄話を法螺にしようとて、それはせいぜいあることないことを織りまぜた手柄程度の誇張に止まるからである。神話とは法螺の程度がちがうのである。

3    シネクドック

こうして考えていると、ここでメルヴィルにおける「海」として語ってきた世界、風景としての海は、現実の海ばかりではなく、無数の比喩から生成して、神話的歴史を表象しうるまでに成長した巨大な比喩に他ならないことが分かってきたのだ。正直なところわれわれはこれほど大きな比喩=神話的歴史の場としての比喩の形成にめぐりあったことはない。われわれはどんなつもりで旧約を読んできたのだろうか。あるいは人間の歴史を、いわゆる歴史学の範囲を越えて考察してみるとき、こんな大きな比喩の世界に入り込んでいないだろうか。全編これ海のうねりのごとしといわれてきたメルヴィルの『白鯨』が、神話的歴史を表象しうる比喩としての能力を備えているのである。とりあえずわれわれにとっての関心の的は、こうした「海」が形成される過程に他ならないのである。ピークォド号も、エイハブも、スターバックも、クィークェグもあるいは三本のマストも、さまざまな索も、帆も、キャプスタンも、死せる鯨から汲み上げる芳香馥郁たる油も、究極には「海」に収斂する比喩に他ならないのではないのか。そうなると「海」とは、かかる無数の要素、地球の三分の二を占める海に棲む鮫や鳥どもから、壊れかけた船を操って数年もその上を漂う人びとの勇気や恐怖、その道具や知恵など、一切の要素を幾重にも重ねては連合する、無数の散乱した要素の統辞論的歩みの果てにしか浮かびあがってこないものではないのか。つまりニュー・ベッドフォードの傾いだ旅籠屋も、ピークォド号の前檣部の狭い穴蔵のような水夫部屋も、エイハブの怒りも、盛り上がってくる海面から姿を見せる巨鯨も、ありとあらゆる要素は「海」を形成する比喩、それ自体は卑小な現実に他ならないのである。この比喩こそ提喩(シネクドック)ではないのか。われわれは無数の出来事や物を、シネクドックとして読みつつ、そこに直接あらわれていないものについて語りつつある作者の真意を空想してみるのである。
シネクドックなる比喩について、多少説明する必要があろう。この比喩の定義はともかくとして、直接は部分でしか語らないがゆえにあらかじめ全体を想定していると考えるのは誤りである。語られない多くのものを従えているのがシネクドックである。語られない宏大な部分が暗黒のままで動き迫ってくる。そのために私はこの比喩こそ、情熱的な言説の形態だと考えているのである。パッションとはこの見えない暗黒に他ならない。あるいは到底、関連しないように見える無数の細部に可能な統辞論が入り乱れた海流のように作用しているのが聞こえる。こうした言説のありようを修辞学的にいうとシネクドックである。このような意味での修辞学は、言語の本質なのである。シネクドックの修辞的重要さを最初に指摘したのは、ツヴェタン・トドロフであった★四。トドロフによれば、シネクドックとは「ある語を、その語の他の意味の一部をなす意味において使用すること、なんらかの方向に向けた、解体のあれこれのタイプにおいて、使用することである」。
しかしトドロフの意図は、シネクドックがある文体において深い意味を生産する、見えないものへの情熱のメカニズムであることをあきらかにするのではなく、もっとも一般に知られている、そしてヤーコブソンによって言語の比喩的な働きをほとんどそれだけに切り詰められた感のあるメタフォール、メトニミーは、シネクドックのそれぞれ方向のちがう二重化から生じていることをあきらかにすることにあったのである。いかにもトドロフらしい分析である。しかしここではシネクドックの旺盛で混沌とした意味生産に注目する方が適切であろう。ここで論じようとしているメルヴィルの『白鯨』は、そこにあらわれる最大のイメージとしての鯨、捕鯨船の色とりどりの奇怪な乗組員たち、海の上をすべり行き、ときにはばらばらに砕けそうになる怪異なピークォド号それ自体も、実に豊かな意味をもった言葉で語られるが、それらがシネクドックとして異様な激しさをもつのは、すでに述べたようにそこには見えないが流氷のように冷たい絶望か、火のような渇きが作用しているからであろう。メルヴィルはこんなことも述べている。

「……海上人の生活では、少しでもかれらに信じられそうなまことしやかなところがあれば、そこから妄誕もうたんな風説はいくらでも生えはびこってくる。またそうした点で海は陸よりもはなはだしいが、海上生活のなかでは、怪異や驚異にみちた物語を流布させる点で、捕鯨業はあらゆる他のものを立ち超えている」。


つまりわれわれを取り巻いている神話的な歴史とは事実ではなく、こうした怪異にみちた妄想の物語をも包み込んでいるものなのである。だがこの妄想こそ人間の生命を語るにふさわしい言葉ではないのか? もちろんそこにもすでにメタフォール、メトニミーとして作用する比喩が数えられる。メルヴィルが海について描写するときの、ときにはうっとりするほど美しい言葉はこうしたメタフォールのひとつであろう。しかしそれ以上に、シネクドックが、言葉が進むにつれて、水漏れするピークォド号の船底から絶えず水を汲みだすポンプのように休みなく動いているとき、それだけでおそらくもっとも手を拡げた統辞論的に作動する仕掛けになっているのである。それらの言語が、もっとも巨大なる怪物としての歴史を表象すべく機能しているのである。
こうしたシネクドックを数え上げようとすると、『白鯨』を編んでいるどんな言説も拾いあげねばならなくなるだろう。そんな必要はない。イシュメールがそもそも捕鯨船に乗り込もうとして、ニュー・ベッドフォードへ行き、さらにナンタケットに渡るまでのあいだに、われわれはすでにメルヴィルのシネクドック的言葉の暴風に煽られているのである。陸上の家々は、ほとんど破船のように描かれていくことや、ニュー・ベッドフォードの捕鯨者の教会で、元船乗りの牧師の説教を描くときには、もうほとんど読者は、イシュメールとともに海の上に連れだされているのである。船長エイハブ以下の士官たち、ニュー・ベッドフォードで知り合い、以後、無二の親友となるクィークェグなる食人種をはじめとするいかがわしい銛打ちたち、このイシュメールが語る形式の小説の人物たちは、なんとも荒々しく、熱情的で、海の妖気のように異常にならないわけにはいかないのである。こうした個々の人物も、たんに壮大な修辞学的世界である海の一部に他ならないのである。繰り返すようだが、この小説の唯一の主題は海に他ならないのである。あるいは海がイシュメールの口を借りて、視覚には把握不可能な世界として、本当の姿をあらわすときであるというべきであろう。すべてのもの、ぼろぼろの衣服はいうにおよばす、道具類にいたるまでが「海」の色に染みている。海が語られることがなくても「海」が滲みだすのである。すでに述べたように、この小説はすべての出来事や人物を介して「海」を感じさせ、そこに「世界」を感じさせようとしていると言ってもいいかもしれない。われわれの探究すべきものは、メルヴィルの気違い染みた語りを綴る「海」の修辞学の底知れない深淵をさぐることではないのか。それこそがわれわれが歴史感覚という、ほとんどすべての歴史家にたいする悪意を込めた言葉で示しているものではないのだろうか。

4    生と死

メルヴィルが海を語るのは、エイハブの怒りのように、なにもかも引きちぎるような嵐の日についてばかりではない。ピークォド号が沈みはしないかと思われるような怒濤が押し寄せる時刻ばかりではないのである。私は、あらためて読みながら、あのうっとりするような優しさに満ち、眠りにひきこむような穏やかさ、あるいは銀色の月光に静まりかえったような海が、意外にも随所にあらわれるのに気づいていた。これこそ幸福の瞬間、ナンタケットの宿の強気な女将を除いてはひとりの女性も登場しないこの小説のなかに、女性の快き抱擁があらわれるのではないのかと錯覚しかねない瞬間なのである。この風景はなんの誘いか。人が狂うのは決して狂乱怒濤の日ではないのだ。嵐の日には狂っている暇などない。しかしこの優しい時間こそ、死の顎を逃れえない捕鯨船員が朦朧と死の眠りに落ち込むときなのかもしれない。海はいつもは男性的で、鮫の禍々しさが駆けめぐるところなのだ。メルヴィルはピークォド号を大いなる南海、太平洋に乗り込ませたときに、ひとしきり感慨深い言葉を連ねるのである。

「いかなる甘美な神秘の数々がこの海にまつわっているか誰も知らぬ。その優しくも怖ろしい潮騒しおさいは、水底に隠れた何かの妖霊あやかしについて物語るかと見え、福音の記者聖ヨハネを埋めたエフェソスの芝土が波打ったという昔  噺むかしばなししのばせる。げにうべなるかな、この浩蕩こうとうたるあおの牧場、ひろごりわたる水の草原、四つの大陸の無縁墓地をおおうて、四時絶え間なく波濤が起伏し、海潮が干満することや──ここにこそ、黒白あやめもわかぬ幾千万の暗い影、溺れた夢、夢中の遊行やぎよううつつの幻、なべてわれらが生命と呼び、魂魄こんぱくと呼ぶもののすべてが、その底に夢みつつ、夢みつつ横たわっているからだ」。


たしかにこの小説には深々と死がまつわっている。それは神話的歴史の本性のように執拗なのである。それはときには忘れられる、むしろ何気ない挿話じみた形式で投げ込まれているのだ。だがそのつもりになってメルヴィルの仕掛けた伏線のどれかを辿ってみるがいい。あきらかにひとつの伏線は死の柩にかかわっているのだ。棺桶(コフィン)、つまり生と死を分かつ境界をゆるゆると渡っていく象徴的な死体の容れ物が、この物語の思いもかけない箇所に出現する。突拍子もない連想に思われるかもしれないが、わが同時代人の画家アンセルム・キーファーの作品のなかに、白い帷子のような小さな衣服が、異なる主題のもとで繰り返しあらわれてくるときに気づいたことと同じなのである。それはもともとはアウシュヴィッツの遺品のなかにあったものではないか。メルヴィルにおいて、裏表に貼り合わされた死と生が、どことどこにあらわれていたかは、海上の惨劇がすっかり終わり、イシュメールが棺桶につかまってただひとり生き延びたときになって、気づいたのである。小説の最初にあらわれる柩という言葉は、劇の終わったあと、この物語のなかで何度目かに、しかし決定的に姿を見せるのである。まず勇んで捕鯨船に乗り込もうとしていたイシュメールがニュー・ベッドフォードに見つけたボロ宿の主人の名が、縁起でもない、ピーター・コフィンであるのに気づいた。「コフィン(棺桶)だと?」
彼はさらにその町の教会で絶望的に空虚な捕鯨船員たちの遺骨のない石碑のみの墓を見るのである。おのれを待ち受ける航海にも同様の死があるかもしれない。しかし人間は人間の死を奇妙に扱ってはいないか。霊魂とはなんだ? 死について人は心慰むことはないのはなぜか? だが人間は死について絶大な誤りを犯しているぞとイシュメールはつぶやく。地上に存在する自分の肉体は、自分のよりよき存在の残滓のようなものではないか。自分の肉体は自分ではない……。こんなことで死が片づくはずはないが、死をなんらかの意見で片づけようとしてはいないのである。イシュメールはいまこそ臍を決め込んだのである。なぜなら彼はすでに、自分の生きる歴史の途方もない時間についての直観から歴史なる海に乗り出そうとしていたのだ。どうして予想できるボートの転覆や破壊がもたらす死の恐怖が彼を押し止めることがあろうか。
イシュメールは長い航海の果てに、親しき友、クィークェグが疲労困憊して熱病にとりつかれ、終わりなき終わりに近づきつつあるのを経験するのである。ところがクィークェグは奇妙な頼みをする。ナンタケットの鯨捕りが死ぬと、黒木の独木船に入れられると聞いたが、それは自分の故郷で死者を星屑の群島のかなたに送りだす独木船に似ている。せめてあの柩用の独木船を作ってほしいというのである。そしてピークォド号の大工が手頃な材料を求めてそれを作ってやり、クィークェグはそのなかに一旦は横たわったが、その後、急に容体がよくなり、あっというまに快方に向かったのである。
太平洋のある夜明け、ひとりの水夫がまだ眠りから十分に覚めきっていなかったのか、檣頭から落ちた。バネ仕掛けで巧みに止められていた救命浮標をなげたが、その樽も浸水して沈んでしまった。かわりの浮標をつくらねばならかった。そのとき、クィークェグは、あの柩のことを仄めかしたのである。柩だと? 一等航海士はびっくりしたが、ともかくそれしか材料がない。大工はその柩に蓋をし、継ぎ目を塗りつぶして浮力万全な救命浮標をつくったのである。柩の救命浮標は、前と同じようにバネ仕掛けで船尾に留められた。こうしたことはすべて航海と捕鯨のなかに、たんなる挿話のように書き込まれているので、われわれはなにげなく読み過ごしてしまう。これらの話題そのものがそもそもこの物語りのシネクドックの連鎖をなしているのに気づくのは最後になってからである。
頃合いはよし、エイハブはいよいよ最後の漁場に近づきつつあった。そのとき、ピークォド号は、見事に美しく優しい天空と純粋無垢の海の結合する奇跡のような風景のなかを進んでいた。エイハブなる取り憑かれた執念の男が、この風景に撫でさすられ、抱かれるのである。エイハブはみずからの荒涼たる孤独を痛切に思い、一滴の涙を海に落とした。理性的な一等航海士スターバックは、エイハブの孤独な凍りついた心の底が、解けはじめたのに気づいていた。この機を逃してはならない。この二人が最後にかわした会話は、この小説のなかでは珍しいほどエイハブが感傷的になる場面でもある。スターバックはエイハブが自然の優しい誘惑を感じていたことを理解していた。しかしスターバックはこれが死の誘惑であることには思いいたらなかったのだ。一瞬、柔らかくなったエイハブの心を説得してナンタケットの家へ帰ろうと勧める。白鯨との闘いで、全員を待ちうけているのは死に神だということをスターバックはよく知っていた。白鯨とはエイハブの死の印なのである。エイハブもいくらかは心動く。しかしエイハブはおのれを動かす異様な力から身をふりほどけないのである。

「これは何じゃ──このたとえようもなく霊妙不思議な、この世ならぬもの──これは何じゃ? (…中略…)あらゆる自然の愛情や憧憬あくがれにそむいてまで、四六時中おのれを押しまくり、促し、突き飛ばしつづけ、おれの力も、自然の情も、飽くまで敢えてしようとはせぬようなことを、がむしゃらにやってのけようとさせる、これは何じゃ? エイハブとははたしてこのエイハブか? ……」。


これは優しい海がエイハブにもたらした苦悩の瞬間である。エイハブには生命の力が再び戻ってきたかの感があった。しかしそれはもはや手遅れであった。彼はもはや人間を超えた海のみが表象可能にする神話的歴史の力のなかにあまりにも深々と入り込んでいたのである。ひたすら乗組員を叱咤し、出会う船ごとに聞くことといえは、白鯨の情報ばかりというあのエイハブが、苦悩に満ちて歴史を彷徨う。ダンテの地獄篇に描かれる罪びとさながらに、しかし懐疑にも脅かされつつ、のたうつのである。もはやスターバックの手の届くところにはいない。
こうした出来事があってほどなく、ついに白鯨との言語に絶する死闘が展開され、エイハブは三度闘いを挑んで敗れた。このクライマックスの注釈をするのは愚かしい。フライのいう法螺話の最たるものでもあるし、危難に遭遇した人間の運命を痛ましくも劇的に描いたとも言えようし、ノアの洪水に見舞われた世界とも、ヨナ記の再来とも、なんとでも解釈はお好みのままである。とどのつまりは死がすべてを飲み込んだのだ。しかしそれが全滅ならば、人間の無力を描いたに止まる。メルヴィルは最後にイシュメールひとりを難から脱せしめるのは、決して奇怪な捏造ではない。メルヴィルはどうしても人間の力を浮かびあがらせねばならなかったのである。しかしそのときにイシュメールを救うのが、クィークェグの柩を改造した救命浮標なのである。ピークォド号が暗黒の水底に沈んだとき、その持ち前の浮力で救命浮標だけが飛びあがってきたのである。イシュメールはそれにつかまって、つい先頃すれちがったレーチェル号なる船に救いあげられるのである。死の柩がひとりの人間を死から救い出し、生きる人間どものなかに心優しくも送りかえしたのである。


★一──ノースロップ・フライ『批評の解剖』(海老根宏他訳、法政大学出版局、一九八〇)。
★二──以下の『白鯨』の訳文は、新潮社版、田中西二郎氏による。
★三──「オランダ大航海時代絵画展」カタログ、(朝日新聞社、一九九〇)。
★四──Tzvetan Todorov, 'Synecdoques', Communication 16, 1970.

>多木浩二(タキ・コウジ)

1928年生
美術評論家。

>『10+1』 No.03

特集=ノーテーション/カルトグラフィ