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6:イェルク・ヒーバー&ユルゲン・マルクァルト《ラインバッハのガラスパヴィリオン》──透明物のエンジニアリング | アラン・バーデン
Jörg Hieber & Jürgen Marquardt, "Glaspavillon der Sommerakademie Rheinbach": Engineering the Invisible | Alan Burden
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険, 2004年06月発行) pp.108-111

強化ガラスはアルミと同程度の強度と剛性を持つ材料である。透明性という優れた特性を兼ね備える、エンジニアとアーキテクトたちにとって非常に魅力的な材料である。自由に採光が取れたり、外部と内部の境界をなくしたり、ガラスが建築デザインに与えてくれるいろいろな可能性はもう一〇〇年以上の間、建築理論における重要なテーマになっている。ミース・ファン・デル・ローエヴァルター・グロピウスのような現代建築の巨匠たちがいくつかの画期的なプロジェクトでこのテーマに関して実験的試みを行ない、より透明な空間へとデザインを導いてきた。

一九八〇年代から透明性の高いファサードの事例が徐々に増えてきた。多くの場合、何枚かのガラス板をファサード上端部から吊って、ガラスの引っ張り力によりファサード自重を主体構造に伝達させる。そのためにガラス板の角に穴をあけ、金物により繋ぐ方法が一般的に利用されてきた。また、地震や風による面外力は、内側のケーブルトラスやガラスリブのシステムを通して、床構造に伝わることが一般的である。
ガラスは圧縮強度も大きい。強度から考えれば、ガラスの柱で支える大きな建物も設計することができる。しかし、ガラスは同時に脆い性質を持っているのが問題であり、構造エンジニアがガラスを構造に使おうとするときは、まずこの脆さに対する対策を考えなければならない。ガラス板は内部力及び外部の力によりいきなり破損することがあるので、ガラス構造システムにはいつも安全装備のシステムが必要になる。これに関しては、最近までは圧縮構造より引っ張り構造のほうが簡単だと思われていた。
イェルク・ヒーバー&ユルゲン・マルクァルト《ラインバッハのガラスパヴィリオン》(二〇〇〇)[図1─4]の意義は、五〇〇平方メートルの屋根をガラスのみで支えていることにある。三・七×一・二五メートルの強化ガラスパネルが二六枚の壁柱として利用され、屋根の重さ二八トンを支えている。このような構造物は全世界にわずかしか存在せず、この一〇年間ヨーロッパで数例がつくられただけである。二〇〇二年に筆者が仙台で実現した、やはりガラスパネルを壁柱とした《M歯科医院》(意匠設計阿部仁史アトリエ)[図5]では、屋根の面積は四〇平方メートル程度しかない。

1──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》 出典=http://www.workshop-archiv.de/marquardt/marquardt_glas.html

1──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》
出典=http://www.workshop-archiv.de/marquardt/marquardt_glas.html

2──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》 出典=http://www.workshop-archiv.de/marquardt/marquardt_glas.html

2──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》
出典=http://www.workshop-archiv.de/marquardt/marquardt_glas.html

《ラインバッハのガラスパヴィリオン》の巨大な屋根が魔法によって透明な壁の上に浮かんでいるように見えるのは衝撃的である。ガラスパネルは場合によってL字形に、場合によって単独の板として配置されている。このL字形のパネルは展示スペースを囲む壁の一部を成す構成になっている。このガラスの構造物には、いったいどのような、十分な安全装備が計画されているのだろうか?
建築構造における安全装備というのは、構造の一部が壊れたときに全体が崩壊しないよう、適切な余剰耐力を組み込むことである。鋼材や木材、鉄筋コンクリート等の脆くない素材であれば、素材自体に大きな余剰耐力があるので(設計値より破断するまで、大きく変形の余裕があるという塑性挙動を示す)、構造システムに安全装備機能を組み込むことはそれほど重要ではない。一方、ガラスの板材は、事故、ヴァンダル(芸術、文化、公共物、自然などの破壊)行為、テロなどにより容易に壊すことができる。壊れたら、ガラスの強度は直ちにゼロになるのだ。
この問題に対しては設計上三つの対策があるだろう。まず考えられるのはガラスパーツの数を増やすことである。構造全体に重大な影響を与えるためには、多くのパーツが破損しなければならないようにする。《M歯科医院》の構造設計をしたときにこの方法を使った。ガラス板の幅を小さくして(七〇〇ミリと四五〇ミリ)、ひとつか二つが割れても構造にほとんど影響がないようにした。
二番めの方法は、脆くない素材で代用の伝達経路を備えることである。引っ張り系のファサードにはこの方法は結構利用されている。ガラス面の内側にケーブルシステムを配置して、ガラス板が全部割れてもその重さはケーブルの引っ張り耐力が支える。
三番めの方法は、荷重を負担するガラスが壊れることがないよう、保護することである。保護するために芯になるガラス板の両面にガラスかアクリルでできている犠牲板を合わせる。犠牲板は衝撃を受けたり、場合によって割れたりするが、設計上では荷重が芯の板だけで負担できるようにすれば構造的な影響はない。《ラインバッハのガラスのパヴィリオン》では、この対策と一番目の方法を併せて利用している。つまり、パーツの増量と保護という二重の対策を設計のベースとしているのだ。
また、屋根の荷重をガラス板に伝達するため、直径二〇ミリのボルトが上、下端に配置されている。ここからアルミの管を挟んで芯になる、厚み一九ミリの強化ガラスに力が伝わる。芯板の外、内面についている保護板は厚み一〇ミリの倍強度のガラスで、全体が三枚合わせの部材を成す。一〇ミリの倍強度ガラスは保護と面外剛性向上の役割しか果たさない。屋根からの軸力が入ってこないように、ボルトが貫通するところにはルーズホールが明けてある。
単純な座屈計算を行なえば、高さ三・七メートル、幅一・二五メートルの一九ミリガラス板の理論圧縮耐力は三・六tf。全部で二六枚だから、建物を座屈によって崩壊させるためには屋根から約九三・六tfの荷重が必要になる(荷重がガラス板に平等に分担されることを前提にする)。実際の屋根自重は二八tfになっているので全体の安全率は九三・六÷二八=約三・三。建物は夏季だけのものだから、ここでは積雪荷重を考慮しないようにした。しかし、建物の両端に屋根が長くはね出す形になっているので、端部に配置されているガラス板の負担率は大きいと思われる。おそらく安全率は三前後ではないかと考える。
日本では鋼構造の柱を設計するとき普通は安全率を二・一七とする。つまり、《ラインバッハのガラスパヴィリオン》に使われた安全率は鋼構造と比べ、意外と大きくないというように見える。日本ではガラス構造の指針はないが、一般的には長期荷重に対して安全率を五以上とするケースが多い。《ラインバッハのガラスパヴィリオン》では芯のガラスに保護板が存在するので、これより小さい安全率が適用されたと考えられる。もうひとつの要因として、《ラインバッハのガラスパヴィリオン》は仮設建築物として計画されたものであり、ガラス破損のリスクを受ける時間が短く、理論的には設計の安全率を減らすことができたことが挙げられる。

次は一枚のガラス板が破損したシナリオを考えてみたい。安全率は二五×三・六÷二八=約三・二になり、三パーセント程度小さくなる。破損に伴ってある程度荷重の再配分が起こると思われるので、もう少し安全率が少なくなると予測される。実際に設計するときは、破損した板の近くにある板の荷重負担を詳細に検討する必要がある。結果的には安全率は三をかなり下回るだろう。
《ラインバッハのガラスパヴィリオン》の細かい構造調査を行なわない限り計算上ではここまでしかわからない。設計者はいくつかの破損シナリオを検討してから板の数と大きさに関する最終決断をしただろう。現代社会ではヴァンダルやテロリストによる攻撃の恐れが増えてきた。もちろん
《ラインバッハのガラスパヴィリオン》を、十分な量の爆弾や十分な速度の車を利用して攻撃すれば破壊することはできる。しかしほかの素材でできていても同じ結果になるかもしれない。このような極端に厳しい荷重条件に関してどのぐらい考慮すればいいのか、設計者やエンジニア用のガイドラインはまだほとんど存在しない(アメリカの「9・11」の後いくつか報告書が出版されたが)。今後この問題についての配慮がさらに必要になると思われる。

3──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》断面図 出典=Sophia and Stefan Behling eds,Glass, Prestel, 1998.

3──《ラインバッハのガラスパヴィリオン》断面図
出典=Sophia and Stefan Behling eds,Glass, Prestel, 1998.

4──同、詳細 出典=Sophia and Stefan Behling eds,Glass, Prestel, 1998.

4──同、詳細
出典=Sophia and Stefan Behling eds,Glass, Prestel, 1998.

《M歯科医院》を設計したときには、長期荷重における座屈崩壊に対しては安全率を六に、地震・風・パネル破損の短期荷重ケースに対しては安全率を四にした。この程度の安全率があれば、パネルが数枚割れてもまだ十分耐力が残るシステムが成立していると思う。
《M歯科医院》と《ラインバッハのガラスパヴィリオン》の間には大きな差が二つある。まず前者のガラス板には保護板がついていない。全部一九ミリの単板強化ガラスから構成されている。だから破損する確率は《ラインバッハのガラスパヴィリオン》よりかなり大きい。そして《M歯科医院》は仮設建築物ではない。この二つの差が安全率を二倍にする理由になるかどうかという質問には答え難い。それに答えるには両方の破損シナリオに関する詳細解析が必要になるが、ガラス構造物の破損シナリオにおける応用できる確立した理論はまだ開発されていないのだ。現在ガラス構造を設計しているエンジニアたちは一五〇年前に鉄で構造物を設計していた人たちと似ているかもしれない。ほとんどの国にはまだガラス構造指針が存在しないため、安全についてはエンジニアが自分で判断しなければならないところが多いのだ。

5──阿部仁史アトリエ《M歯科医院》 筆者撮影

5──阿部仁史アトリエ《M歯科医院》
筆者撮影

以上によって、建築物をガラスだけで十分安全に支えられることが確認できただろう。最後にガラス構造の建築全体の意義について少し考えていきたい。《ラインバッハのガラスパヴィリオン》をミース・ファン・デル・ローエの《ファンズワース邸》(一九五〇)やほかの透明度の高い事例と比べた場合、空間的にはどれぐらいの差が見られるだろうか? 鉄骨柱数本をなくしたことで、透明性にそれほど大きな影響が現われただろうか? 影響があるとしても、ガラスに開口部が取れないことや、ガラスの入れ替えが困難であるという短所を考えると、本当に意味があるのだろうか?
透明度の限界に達したことにより、われわれが完璧な透明性にしか魅力を感じないわけではないことがわかったように思われる。そうではなく、むしろ、この透明素材が神秘的に建築物を支えているところに魅力があるのではないだろうか。
ガラス構造の建築的可能性についてはまだ探究が始まったばかりだが、構造技法を洗練していきながらも、やはり建築的な側面を忘れてはいけない。この点では特に、色彩ガラス、エッチング加工されたガラス、インターレイヤーつきガラス、およびガラスのコーティングを考えている。透明性だけではなく、半透明性と色彩も積極的に利用すれば、さらに素晴らしい空間の生成が可能になるかもしれない。

初期モダニズム作家パウル・シェーアバルトが建築の幻想小説『Das Graue Tuch und Zehn Prozent Weiss』(一九一四)を書いてからもう九〇年が経った。この小説には南極の幻想的な色付ガラスオベリスクの話や、マルタ島の博物館にある八枚重ねのガラスシェルの採光を通して光が入ってくるなどという、数々の話が出てくる。そして主人公である有名なスイス人建築家が飛行船で世界を旅しながら、数えられないほどの多くのガラス建築プロジェクトに携わる。話のなかには人間が何かをデザインしようとするときの重要なテーマがよく現われる。例えば「多彩」vs「無色」、「複雑」vs「単純」、「ダイナミック」vs「スタティック」。この小説には現代建築設計におけるジレンマが数多く予言されているのだ。
現在ガラス柱が可能になっているように、技術のヴォキャブラリーはその数を加速度的に増やしてきた。とはいえ、シェーアバルトを倣って少し心配されるのは、その進歩に伴い、ガラス建築に多彩、複雑さ、ダイナミックさという要素が十分考慮されているかどうかということだ。今後は、ガラスの特徴を引き出しつつ、これらの要素を取り戻すことと期待している。
ブルーノ・タウトの《ケルンのガラスパヴィリオン》(一九一四)を見たシェーアバルトが「ガラスは新しい時代をもたらしてくれる。煉瓦文化はわれわれに損害しか与えない」と言ったという。それは言い過ぎではあろうが、ガラスからはまだまだ人間が味わえる多くの要素が見つけ出せることと思う。

参考文献
・拙論「ガラスをいかに構造として用いるか」『GA 素材空間02』(二〇〇一年七月号、エーディーエー・エディタ・トーキョー)四八─五七頁。

>アラン・バーデン(アラン・バーデン)

1960年生
ストラクチャード・エンヴァイロンメント代表。構造家。

>『10+1』 No.35

特集=建築の技法──19の建築的冒険

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>ヴァルター・グロピウス

1883年 - 1969年
建築家。バウハウス校長。

>阿部仁史(アベ・ヒトシ)

1962年 -
建築家。UCLAチェアマン。

>ファンズワース邸

アメリカ、イリノイ 住宅 1950年

>ブルーノ・タウト

1880年 - 1938年
建築家、都市計画家。シャルロッテンブルグ工科大学教授。